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Full text of "Hōmei zenshū"

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1921 
V.12 

East 



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ling 1 


from 




University of Toronto 



http://www.archive.org/details/hmeizensh12iwan 




し ^ほ に 

P00 2 f ゾ 



目 次 

池 田 日記 …… • 1 

明治 四十 四 年 四月より 。 一一 

鑌 池 田 曰 記 , :: 八 1 

明治 四十 五 年 七月 十 一 Rt より 八 n 

目 黑 m …: ョル 

大正 元年 一ち 一 

大正 二 年 - コぇ I 

巢鴨 日記 第一 ::… • ニハぉ 

大正 二 年 四月 二十 一日よ リ 一 パ-パ 



大正 111 年 一 月 * , 一一 一八 

巢鴨日 第二 夭 九 

大正 四 ギ 。 Is} 

巢鴨日 Si 第三 

大正 四 年 八月 十 一 日よ リ :… き: 六 

大正 五 年 皇九 

大正 六 年 s=l 

大正 七 年 s, 

大正 八 年 1- 一 S 

大正 九 年 , SKU 



0S0 ? s s 



明治 四十 四 年 四月より 

四月 三十日。 暗。 淸子、 下女と 共に 下阪。 府下 池 田に 定めて g いた 借家に 伴 ふ。 樊有電 軌# 社 

の 新市陣 Q 1 角で、 電車 線路 を 越えた 舊巿 街の あなたに 聳える 五月 山が 書齋と 定めた 一 一階の 一 a から 

見える。 その 隣室から は六& 山が 兒 える。 家の 前方 ニコ 于 にして、 昔の? 織 綾織の 記念なる".. 犬 服祌社 

の 森が 見える。 二三 十 問 にして、 淨 瑠璃に ある 相 模稻川 を 思 ひ 出させる 猪 名 川が 流れて ゐる。 人ら し 

ぃ門附 きの 家へ 這 入った の は, 大久 保の 寓居が 初めて だが、 今回の は 門 も 家の 內も 以前のより はよ く 

且 * 周圜の 風景が 面白い と 云って、 下女まで が 喜んだ。 俊 も、 あすから は、 ここから 五 里 の^を ilw^^ 

で 三十 分で 大阪へ 通 ふので ある。 

五月 廿日。 社から 歸 つて 見る と、 淸 子の 父が ひよ つくら やって 來て 居た I as- の 家庭が 面白くな 

いと 云って。 

五月 廿 六日。 晴。 おや ぢは 目が ね を かけて 頻りに 五月 山の. S を 眺めて ゐ たが、 どうも あれ は 鶴ら し 



いがと 云 ふ。 皆が 橡が はへ 出て 見る と、 冴えた 藍色の S に 三 羽の 黑ぃ 影が 大きな 輪.,.^ 畫 がいて みる。 

その 輪の 一 端 は 家の 上まで も 届く かと 思へ た。 お ほやうな 舞 ひ 方と 云 ひ、 首の 長いと ころと 云 ひ、 き 

ィと 響き渡る 鳴き 聲と云 ひ, 誰れ が 見ても. 鶴の やう だ。 おや ぢの 話で は、 二三 日 前から 氣が 付いた の 

だが、 少く とも、 五六 羽が あの 山から 出て 來て、 また あの 山に 歸 つてし まう さう だ。 

六月 二日。 小川 未明 氏、 社の 方へ 來訪。 珍ら しいから、 應接 室で ゅッ くり 話さう と 思 ふが、 不斷で 

も 例の せかく した 氏 は 旅の ことと て I 暦せ かくして ゐて、 これから 直ぐ 京都へ 行く の だからと 云 

つて 少しも 落ち 付いた 樣 子がない。 そこへ また 意外に も 德田秋 江 氏が やって 來た。 かれ もこれ も.. 

れ 劣らぬ あわて 者 ! と 云って は 失禮の やう だが、 近代 人の 神 經質を 代表した やうな 人 I— が 二人、 

申し 合 はせ たやう に 旅で 出會 したの も 面白い。 文樂 座の 話が 出て、 秋 江 氏 はこれ から 行きたい と 云つ 

た。 未明 氏 はもう 行った から 失敬す ると 云って、 先づ歸 つてし まった。 

同日 ゆ ふ 方、 攝 津大橡 と越路 とを聽 いたと 云って、 德田氏 は 池 田へ やって来た。 一 泊させる 約束で 

あつたから、 ゅッ くり 寳 塚の 新溫 泉へ 案 內 した。 大理石で 加工した 温泉、 その 構造、 容を 喜ばせる 設 

備 等に 對し" 氏 は 『ふむ、 ふむ』 と獨 りで うな づ いて ゐた。 明日 は、 山と 川と を 取り込んで、 それに 

設備 を 施した 面 の 動物 圚を 見せ る つ もり。 

六月 三日。 曇。 淸子も 共に 大 へ 出た。 德田 氏が 大きな 革飽を 1 つ 持って ゐ たのが 邪魔に なって、 

池 田 B SS H 



動物園へ 行く の を 忘れて しまった。 その革飽を梅田停^^場へ預けてから, 市中 を:^ 物させる つもり や 

あつたが • 生 &雨 が •:! りさうな ので * どうしょうと 考 へた 末, に ffi、 千日 前の n: せ 物と^ ゆ S 芝 

居と, CM 景 氣を见 せた。 德田 氏の とて, 吳服屋 が ある 度 1 母に • は その ゥヰン ドウ ショウ をの ぞい 

て见 た。 鎖 は 大阪が 非常に 氣に 入った と 「ム つて • 汽車に 乘 つた" 

六月 四日。. m 軌會 社に 立ち寄って • 五月 山の 鶴の 話 をしたら、 重役 は 同社 經營 s^ffi 動物^の 千 羽 

鶴 か 逃げた ので はない かと 云って、 直ぐ 電話で 照會 したが、 そんな 様子 もない と 云 ふ 返 であった。 

それで 思 ひ 出した が、 きの ふの. 新聞に 姬路 の,: n 驚 城 C 松に 鶴が 來て巢 をへ つたと あつたの は • 五, 月 山 

のが 向 ふに 落ち 付いた ので はなから うか? この頃 は、 もう、 こちらに はゐ ないかして、 飛んで ゐ るの 

を 見た ことがない。 

六月 十日。 京都 一 泊。 , 

六月 十 一. 日。 ゆ ふ 方、 歸阪。 京都へ 行った の は、 兩 本願 寺の 法主 を 訪問し • 多少 議論 を 取り か はし 

た 記靠を 取る 爲 めだが、 どうも 面倒が つて、 なかく 直接に 會 はせ さう ではない。 

七月 五日。 角 靡に 文 藝協會 の 「ハムレ ト」 を た。 ああ やって 見る と • シ エキス ビヤな ど は淺, な 

もの iM。 ハムレ トには 深遠な 哲舉が あるな ど 云 ふの も ♦ 思索に は 素人筋の 云 ふこと で、 公子が 墓場で 

骸骨に つて 述襲を 語る ところな ど は、 今の 半可通が ヘッケル や オイ ッケン やべ ルグ ソン?」 ず;^ を 詩 



化しよう とすると I:: 様、 齒が 浮いて しまう。 シ H キス ピャ は、 實際 • 哲 攀の言 葉 はあって も- 哲學. 

はない。 然し 藝の 上で は • 東 機 氏 も 土 肥 氏 もよ かった。 それに、 上 山 浦路: 十 は 女優と して 脊も 高く。 

聲も 自然に 透って よかった U 早稻, 田 の 人々 の 非常な 蓮 動が あった からと は 云へ- 僕 等の 意外と 思 ふ 

ほどの 成功 をして ゐ るの は, 坪內 博士 並に その他の 一行の 爲 めに 祝さざる を 得ない。 與行を 初めて か 

ら 僅かに 五 曰し か 立たない のに • 市中で は、 子供の 遊びに、 棒切れお 以 つて ハムレ トだ とか、 レャ ー 

チス だと か 云って るの を: て も、 その 人氣の 一 般は 知れよう。 

七 月 六日。 埒內 博士 を 訪問。 朿儀 氏に も會 つた。 二人とも それとなく 得意 さう であった。 

セ. 月 八日。 中 力 島公會 堂に: t 樂俱樂 部の 第一 回 演奏 會を 開く。 僕 等が 發 起した わけに なって ゐて、 

<^,長 は 菊 地 S 芳氏 だ。 .Ig; 氏に は * この頃" この 會の 相談で 度々 會ふ 機が あるが、 會 はないで 考 へて ゐ 

き はも Q 

たのと は 丸で 違った 人物 だ。 m の小說 など は 德富蔵 花 氏 程度 の —— 悪く 云 へ ば、 際物 若しくは 假り物 

に過ぎないが * さすが.. Kl:. 人 だけ に 人物 却々 しツ かりして、 意志の 强固 なと ころが あるら し 

い。 

八月 二十 一日。 讀齊 新聞社の 岡 村 千秋 氏 來訪。 今夜 は 別に 會:^ する 友人が あると S ふので、 獎面電 

車 沿線 を 案 ft して 別れた。 

A 月 二十 二日。 晴。 新報社俳句の選^|?靑太月斗氏をへ5めて訪問したら、 留守。 近』 下阪 中の 夏 w 漱 

n ^ : 九, 



泡 鳴<&5 < お 十二 ® プ 

右 氏が 入院して ゐ るの を 見舞 ひに 行った とのこと だ。 それで は 僕 も 舞って S かう と へ、 新報 社の 

a くの 病院と 聽 いて 行って 見た" 例の 病氣 が再發 したの だ。 月 斗 氏は歸 つた 跡で あるが、 水 落" t 路 "r^iif 

などから 届けて 來 たと 云 ふ 珍奇な 版本 を 枕 もとに S3 いて * 氏 は 寢てゐ た。 額 を 拭く g を 待って^ は そ 

の 宽に 通された が、 け ふ 位 氏が 氏 身の こと を 僅か だが 俊に 話した こと はこれ たでに なかった。 氏 

に會 兌す る 度に- 氏 は 僕に のみ 僕の こと を 話させて • 御自身の こと は 何も V (はなかった。 考 へて W る 

と、 意志 は强 いが、 近代的で ない 様子 は、 菊 地幽芳 氏と よく 似た ところが あるら しい。 この 兩 人が i 

聞小說 家と して、 東西に ffl 對し、 而も21^も敵對してゐるニ新聞で對立してゐる0が而.2ぃ。 

九月 二十 口。 晴。 書齋 から兑 える 五月 山に 登る。 大阪 纏頭の 苫が 島から 淡路島の 一而が 幽かに え 

る。 大廣 寺と いふ 古釗の 庭に 牡丹 花 背 柏の 碑が ある。 5&^^俳人とし て 一 猿の 特色 を以ら て" わた 人物 

で、 池 田の 近處に 住んで ゐた 時、 紫の ひも をつ けた 牛に 乘 つて 悠々 山水の 美 を 賞して 歩いた さう だ U 

當祖の 八百屋で, 每日靑 物を賣 りに 來 るの がまた 面白い 男で、 早稻 田の 法律 科に 遠 入って ゐ たが • ^ 

頭 病 を 病んで あたまが 丸で 1% げて しまったの を 憂 ひ、 この 故鄕 に引ッ 込んで ゐ るが、 商 M 只の 暇々 にパ 

ィ《1 ンの 詩集 を 請んだ え 背 柏の 事蹑を 調べたり して ゐる。 淸子 とへ ッぼこ 心の ffl 手 > 僕と また 玉 突 

きの 相手 だ。 築 を 荒木 無 K 氏と 云 ふ。 

九月 一 壬 二日。 上司 小劍 氏より 手紙 あり、 讀寶 新聞 に 送って 置い た 原稿が 歸 つ て來 た。 束 京出發 



Jjw* 同 に 岡 村 氏と も 談合して * 同 新聞に 再び 僕の 原稿 を 出す こと は その 社で も 構 はない と ー;ム ふこ., 

とに なった のに、 矢張り 反對 者が あって 行けない さう だ。 僕の 原稿が 出せな いのは まだし も 構 はな, 二 

ハ。 然し 岡 村 氏が 僕の 原稿 を 出した のが 1 つの 原因で、 同社 を やめなければ ならない やうに なった の 一 

は氣の 毒で も あるし • また 同社の 不都合 だと も 思 ふ。 同社 はそんな 隱險な 熊 度 を 取らす、 初めから 僕 一 

の 原稿 は 過激で あると か、 社の方針に 反する とか、 (それ は 誤解 や 不識の 結 巣で あると しても) 發 表す, * 

れ 同 ^別に 强 いて 僕 を かばう やうな こと はしなかった だら うに。 同氏が 當 地へ 來た時 そんな こ.^ 

と は 少しも 話さなかった から 夢にも 同社 を やめられ たこと は 知らなかった。 一 

十月 一 日。 獨立 劇場の 公演 を 角 座へ 見に 行った。 中 村泰雨 氏に も會 つた。 氏の 自作 並に 選定 を 見て. 一 

も、 今の II ただ 現在の —— 觀客を 標準に した 上の 多少の 新味と 新 問題と を ねらって ゐる 人で あるの」 

が 分る。 氏から 直ちに イブセン 物 や メタ リンク 物の 獨得を 望む の は 無理 だ。 氏の 行き方 は 一 般社會 を. 

ただ 一歩ぬ けたら いいと 云 ふので、 誠に 實 着な、 惡く 云へば、 臆病な 行き方 だ。 松 居 松葉 氏が 丁度 そ 

れ であった 時代 も あるが、 今 は 中 村 氏が 取って 代った ところ だ。 僕 等 は大膽 過ぎる が 直ちに 二 歩 も 一 ニー 

步 もぬけた ところ を ねらって ゐる。 - 

十月 二日 I 五日。 大阪、 京都、 神戶三 市の 美人 遊 覽圑が 新報 社の 催しで 發 足した。 a も それに 從 

つて、 九州の別府溫^0^まで行った。 電報 掛りを 引き受けて ゐ たが、 僕が 若し 社會部 ^腸して ゐて、 圑 

池 田 日記 七. . 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 八 

爲 の藝 者、 そ 0^ の 感情 を 微細に 觀 察して きけ とい ふ 命令 を 受けて なた とすれば、 分.^;: きた. S ことが 

あった。 往 きに 岡 山 it 湾口 郡の 金 神 (余光 敎會 本部) に 寄り • 歸 りに は安歸 si^adj へ 行った。 ^府で 

使 等が 受け持った 圑 員の 中には * 〇〇 と 云 ふわ (茶屋の 仲居 やそれ が 周旋した 素 封; 尔の 家族 もゐ た。 m 

巾まで ニ臺の 駄馬.! 5!. を驅 り、 坊主 地獄 や 血の 池 地獄 を:: ルた。 途々 地下から 熱^が 吹き出て なて- そこ 

に^ゃ 鍋 を かけて 米 や. 魚 を 煑てゐ るの は奇觀 であった。 社の ® 家 も 一人 一緒であった が、 .tt" & 也..^ 

の 赤い 泥を以 つて 仲居の 11 雜の得 中に 遊覽 3£ 念の 字 を。 その他の 人々 の 扇子 や ハンケ チ にいろん な 

を窨 かせられた。 或 女 は 僕の 額を粛 かせて、 僕に 記念の 署名 を させ" 岩 野さん の は どこの 雜 誌に 2^ 

てゐて も、 特色が あるの だから』 と 云った に は 驚いた。 僕が 新聞記者 になった の は、 平凡 化の r:;!: も 平 

凡 化 をして ゐる つもりで あるのに。 大阪 にも 東京の 雜 誌に 目を通して ゐる 婦人が あると 見える。 

十月 六日。 晴。 舊曆 八月 十五夜に 當る。 僕が 子供の 初めて 大阪に 出た 時からの 友人 を 招いて 觀月 

の 宴 を 張る。 三人 ゐる うちの 二人が やって 來た" 一 人 は^ 君 も 同道 だ。 淸子 もがば 成して 池 田の 蘇^ を 

呼んだ。 僕 は 大久保 寓居 以來眞 面:::: な もので、 一 人で 他の 女に 接した こと はない。 

十月 十日。 淸子 と共に 千日 前の 活動 簏腐 を: に 行く。 どこもく 新報 社の 獒 人別 府遊 Si 圑 のお 露で 

持ち切り だ。 僕 も その 中に 寫 つて 出て 來る ところが 數ケ 所あった。 美人 園と 云っても 附き物 や g 係.? 

の婆ァ さんや 爺さんが 多い ので、 何 だ、 本願 寺の 圑參の やう だと 冷 BIT る觀客 もあった。 然し 余: 神 ま 



では、 それでも、 大阪 第一流の 藝. 者 も 殆どす ベて 行った ので 寫 つて ゐた。 

十月 十六 日。 昨夜, 帝國 座に 川上 一 派の イブ セ ン劇 『人民の 敵」 を 見た。 川上 は 病 氣の爲 め 出 座せ 

す、 その 役 を 一 股 川が やって ゐた。 中幕 後の 靜」 に景 時が 靜の子 を 殺して ほうり 投げる ところが あ 

つた。 あれ はやめなければ ならない ぞと、 角 W 浩々 氏が 作 荐の齋 藤 吊 花 氏に 忠告して ゐた。 川上の 瘸 

氣が ひどい ので、 貞奴も 出 座出來 ないやう になり • たッた 日 目の 今日から 開場 を 中止す る ことにな 

つた。 

十月 十九 日。 淸 子の 父 は * 1^ 介に なつ て 遊ぶ よりも 自分で 自分の 生活 をす る 方が いいから と 云つ 

て • 歸京。 ついで だから、 下女 も 一 緖に歸 つた。 

十一月 九日。 晴。 池 田の 奥に 毎年 禪 傲で 菊花 画 を 公開す るの が ある。 そこ を 見に 行った が、 夏 漱 

石 氏 も來た ことがあ るかして, 同氏の 句 を 書いた 短 t があった。 その 短^と そとの 一 擅?^ の 細 iS;? が 書 

いた 腰折れと を 比べて、 僕 等が 案內 して 賀 つた 八百屋 さんが どちら を れ るかと 云って a たら • どッ 

ちで も 持って行 けと 主人 は 答へ たので" 夏 目 氏の を 貰った。 (八 厘さん は 二三 年 前から それ を赏 ひた 

くて 權ら なかった ので ある さう だ。) 

十二 月 十二 日。 薪 市 街 の倶樂 部で 玉突き をして ゐ ると、 柬 京の 西 本 波 太 氏が やって来た。 雜誌 「趣 

味」 の 再興 はとても おぼつかな いので、 今度 文藝の 通信社 を やる からと 云って ゐ た。 

池 田 B sa 九 



泡 鳴 I 锒 十二 卷 一〇 

十 一 月 十五 日。 朿 京から 平野 氏が 來て" 暫時の 客と なること になった。 利 光 氏の 赛樂の I 部に たづ 一 

さはって ゐ たの だが • 今度 大阪で 株屋に 這 入りたい ので ある。 A 

十一月 廿四 nr 三越 吳服 店の 小 杉 • 小川 兩 氏の 漫蠡展 覽會へ 行って、 久し振りで 出 泣 ffi 氏に お 一 

つた。 氏 は 帝 園 新報の 落ち武者 を 一人 大阪 新報 社へ 入れて 貰 ひたいと 云って、 一 緒に 木 社へ 來 たが、 一 

どうやら まとまり さう だ。 

十一月 廿 五日。 未醍、 芋 錢兩氏 歡迎會 を * 本社に ゐる兩 氏の 知人ば かりで、 &; 嫁の 山 本 旅館と いふ-一 

待 八いで やった。 僕 は 幹事と して 遲 くまで 殘 つたが、 最終 霄 車で 歸 つた。 小 杉 氏 は 僕に 鬼 さ. -へ歸 れと頻 一 

りに 勸 めた。 一 

十 一 月廿 七日。 佐藤歲 三と 川 西 座に 來てゐ る 1 俳優 大木 氏を寳 嫁に 案內 す。 氏 は文薛 に 抱 ft を 持」 

つて ゐる ために 俳優に なって ゐる らしく、 佐 藤が こんなと ころへ 買 はれて 來る を 同情 的に 歎じて 一 

ゐ た。 ^ 

十二月 三日。 「is^ 京 潜伏 時代の 黄 興」 とい ふ 話 を 書いた。 僕が 大久 保に ゐた 時、 ; 溢が 隣り にゐ たこ ti 

を 思 ひ 出して ゐ たからで ある。 一 

十一 ;月十 H。 昨夜より、 新報 揭 載の 小 說 「發 展」 を 書き初めた。 十六 日から 揭ま の蒈〕 これ は 「欲 

浪」 の 前篇に 當る もの だ。 . 



十二月 十 一 日。 先月の 中頃から 舞 ひ 込んで 來た 犬が あつたが、 秀頭 病の 如き 病氣 でから だ 全 體の毛 

が脫 けて 行き、 此 間から 非常に 見惡 くく また 臭かった。 家族 は 追 ひ 出す の も可哀 さう だと 云って、 そ 

のま まにして 置いた の を、 四 五日 前から 平野 氏が 水 をぶ ッ かけた リ、 石 を 投げた リ して、 歸 つて 來な 

いやう にした。 それが 猪 名 川の 土 堤の 禝の 木の もとで 倒れて ゐ たの を、 下女が け ふ 見て 來た。 その 前 

に 飼った 犬 もやう やく 大きくな るに 從 つて、 同じ 病氣 にな リ、 とうく 獨り 手に ゐ なくなつ たが、 同 

じ みじめな 運命に 落ちた の だら うと 思 はれた。 

十二月 十三 日。 神 崎 沈 鐘 氏、 から 大阪の 親戚 を 頼って 來 たお、 その 足で 來訪。 

十二月 十七 日。 三越 吳服 店に 注文した ケ ー プが來 る 箦 だが、 持って 來 ない。 二三 日 も 期日 を 延ばし 

て、 而も 約束 を 守らない ので、 社から 電話 を かける と、 店員が 手 ぶら で やって 來て、 實は出 來てゐ る 

が、 その 代を拂 つて 貰 ふか、 前の 店 拂ひを 入れて?^ れ るかと S ふ。 束 京の 方なら そんな 問拔 けな やり 

方 はしな からう。 談判の 様子が おだやか ならない ので、 勝手にし ろと 答へ て歸 した。 僕 も 家に 歸 つて 

から、 兼て 同店の 雜誌 にと 依頼され て 渡した 原稿の 料金 を、 矢張り 原稿 書き 商人の 態度 を以 つて、 そ 

この 普通 稿料よりも 三倍に した 請求書 を 送った。 

十二月 廿日。 三越 吳服 店より 素直に 請求 通りの 稿料 を 送って 來た。 それで、 そこの 拂 ひよ リも多 

少の餘 りが 出來 た。 馬鹿な 奴お。 初めから 素直に して ゐれ ば、 そんな こと はしないで 濟 むば かりで な 

池 田 日記 1 】, 



^£鳴全$35 i:? +ニ卷 一二 

く、 今月末に は少 くと も拂 ひの 過半 は濟 ませる つもりで あつたのに a どうせ、 段々 に拂 つて n ふ-」 サ 

の餘裕 と金 利と は、 初めから 品物の 代金に つけ 込んで あるので はない か? 

十二月 廿 二日。 昨日、 武林 無想 庵 氏から 長い 手紙が 來た。 蒲 :3、 小山,!:、 岛崎 |g 氏の 近 狀も卞 5 い 

て ある。 ほんに、 云って ある 通り > 同氏と 長い 手紙で 刹那 論 を K 々往復 させてから, もう、 一 年に な 

る。 然し 矢ッ 張り fS を 11 大石正 己 氏 を 先達と して -11 やり 出した たど あるので、 そんな 頓馬 な^が 

あるなら、 もう 创作 にか かれと いふ 意 を 書いて、 1^ 事した。 數 ヶ月 前 氏 は ベルグ ソン を 請め とあった の 

で、 その ま は 二三 册 取り寄せ たが、 いろんな 人の 紹介で 見る と、 讃む氣 に はなれない、 と、 云 ふの 

は、 ベ ルグ ソンに は 俊の 那論 だけ 內觀內 察 的な 力がない やう だ。 他日 * 暇を樗 てこの 人 を 僕の 見 

地から 批判し、 英文 を以 つて 外 國に發 表したい と 思つ てること も 害き-添 へた。 

十二月 廿 四日。 散歩が てら 寶 嫁に 行き、 新溫 泉に 獨り 浴しながら、 それの 建設者 5? 下濟周 氏の 人 

となり を 思った。 纏 は 束;:; -の實 業界の 怪傑 利 光鶴 松の 後 影を拜 して ゐる もの だが、 利 光 氏の 鬼 怒 川 

電工 事 ややが て發 起す る 一 億 寓圆の 東京 灣 築港:;^ 業な どと 性^ は 樣で、 たと へ 規模 は 小くても、 あ 

ち \ ゝ 

んな 所に あんな 建設 を大 膽に實 現した の は、 資現抓 想 だ。 事業の 成功 不成功 は、 すべて i$ 業 を ひ 

付ぃて決心した刹那に^€事がきまってしまぅのでぁる。 

十二月 廿 五日。 平野 氏、 鳥渡 東京に 歸る。 ついでに、 或 仕事 を 初める 爲 めの 取調べ を^んだ。 



十二月せ 九日。 祌崎氏 を 日本 商業 新報 社に 周旋した のが 成り立った。 镆等も 知らなかった 新聞で、 

堂 島の 米 相場 連 を 相手に、 旣に 一 萬敉も 出て ゐ ると は 驚いた。 無論、 十五 年間の 苦勞の 結果 ださう だ 

が、 今回 七臺の 口 ー ルを輪 g 機に 換 へて、 なほ 五. 千 枚は發 展出來 ると S つて ゐる。 

十二月, お 一 日。 曇。 淸 子と 大阪の 今年 最後の 景氣を 見が てら、 ゆ ふ 方から 大阪へ 出かけた。 千日 

前で 一 ケ所 活動 寫眞を 見、 それから 造 頓堀を ぶらつき、 また 心 齋橋筋 をす ッと 歩いて 見た。 隨分賑 や 

かなこと は 賑やかで あつたが、 今年 も 亦 不景氣 だと 黑人 筋の 云って たの を 度々 聽 いた。 然し どこの 吳 

服屋 でも 店 さき は 非常に 賑 はって ゐた。 電摩を 池 田で 降りた 時、 丁度 除夜の 鐘が 鳴り 出した。 また 1 

つ 年を取る のかと 思 ふと そのい やな 感じが 年毎に 增 して 行く 氣 がする。 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 ;】 四 



四十 五 年 

1 月 一 日。 螯顷 から 雨。 社へ 鳥渡 行った 切り、 すべて ハガキ で 御免 を 被った。 今年の ハガキ に は、 

大阪 新報 入社 以卞 氷の 短い 近狀と 新年の 雜 誌に 出る 僕の 作物と を 記して、 不斷 無沙汰 の^びに 代へ た。 

1 月 二日。 初荷と して 魚屋が ハツ を 匿いて 行った。 この頃 はこ ちらに もまぐ ろが 多い。 束 京 祌田生 

れの淸 子 はこの 刺身 を 口にしな いと 顏に瘦 せが 出る と 云 ふ ほど だが、 關西 ではつ くりと 云へば 綱ば か 

り を 珍 E し、 まぐろ 乃ち ハ ッ を-卑し むので、 どうしても それの 資れ 口が 少 いので 減 多に 持って来ない。 

I 月 三日。 社の 同人 四 五名 來訪。 藝者を 呼んで 騷 いだ。 

1 月 六日。 今日より 新報に、 「船 場の 一 隅より」 と 云ふ讀 切りの 小論 文 を 出し 初めた。 強いられた 常 

識に 安んじて ゐる 市民に、 多少 洞察 ある 常識の 哲舉を 平易に 知らし めたい ので ある。 

1 月 十四日。 晴。 德田 秋聲氏 r 徽」、 小山 內薰 氏よ リ 「演劇 新 到着。 

1 月 十五 日 U 晴。 昨日の 兩著 批評 を 社に て 認めた。 文章- W 界の前 ra^ 氏へ 日記の 拔粹 十八 枚 を 送 



る 。佐々 木 政治 氏より 手紙。 

1 月 十六 日。 曇。 雪 ちらつく。 本 多、 麻 田、 正宗 (得)、 前 田 (夕)、 岩 崎 諸氏へ 手紙 もしくは ハ ガキ、 

本日、 午前 一 時より 難 波に S 火 あ. os、 午前 十 時 四十 分鎭 火す るまで、 同 新地 > 千日 前、 日 木 橋 通リ、 

髙津、 谷 町 等、 二十 一 ケ町、 五 千 餘戶を 燒き拂 つたと いふ 號 外が 頻々 に 來 たが、 「發 展」 の 原稿に 氣が 

乘 つて ゐ たので、 大阪へ は 出かけなかった。 火災の 爲 めの 損害 は 約 二 千 萬圓の 由。 

1 月 十七 日。 晴。 社へ 北 村 季晴氏 來訪、 本 月末 頃廣 島で 音 樂會を やる ついでに 大阪 でも 一 晚 やりた 

ぃからと云ふことだ。社の理事富樫氏を紹介し、出來るなら火災義捐慈善會として社が發起して《^^ら 

ど うだらう と 持ち込んで 見た。 北 村 氏 は 直ぐ 廣 島へ 下相談の 爲め 出發。 三時 間 玉 突。 就褥、 午前 三時 半。 

1 月 十八 曰 • 暗。 午前 十 一 時、 起床。 淸 子と 三越へ 行き、 寫 眞を寫 す。 一 一時間 玉 突。 就褥、 十 1 ; 時 

過ぎ。 

1 月 十九 日。 晴。 午前 十 時半、 起床。 風邪の 氣味 にて 出社せ す。 舂陽 堂の 本 多 氏よ リハ ガキ。 夜に 

入りて 雪 あり、 薄白く 積む。 玉 突 三時 間。 就褥、 午前 三時。 風藥を 服す。 

I 月 廿日。 曇、 薄雪 少し あり。 起床、 午前 十 時。 北 村 氏 來訪。 共に 三 木樂器 店を訪 ひ、 また 富 樫 氏 

の 宅 を 問 ふたが、 sl.>。 四ッ 橋の かき 飯屋で 一 杯 やって 別れた。 夜.; 加 藤 朝 鳥 氏、 荒木 氏 來訪。 玉 突 

1 時 ii。 西 村 辰 之 助 氏へ 手紙。 上司 氏よ. =v ハガキ j 就褥, 風藥を 服した の は 午前 二 時半。 



泡 ゆ 仝 a- 第 十二 卷 1 六 

1 月廿 一 日 U 曇、 夜に 入^て 雨。 正宗 (得) 氏よ.^ r カキ。 伊達 氏より r カキ。 

】 月 二十: R,- 晴。 北 村 氏の 音 樂會を 社で は 今やる ことが S 來な いと 云 ふいで、 大;:1^日々社.1^ズ吉弘 

氏を訪 ひ、 R 社に て やらせよう としたが * それ も 駄目 I ^籐 吊 花 氏と も談 八い、 三月 IT 音樂 クラブ 

の 催しに 加 へられれば 加へ ようと 云 ふこと になった。 北 村 氏へ さう 返 した。 佐々 木 政治 氏、 ; Si5 氏 

と 來訪。 宅で 飲んだ 跡で また 面 茂樓へ 行って 飲んだ。 西 村、 吉岡 (哲 夫) 二 氏より ハ ガキ。 枯川 氏よ 

り 「赍 文 猿」 に對 する 序の 依賴。 

1H 廿 三日。 晴。 住 吉に原 (德 太郞) 氏を訪 ふ、 帮守。 その 足で 玉 出の 伊達 氏を訪 ふ、 W 守。 加 藤 

氏、 社の 小說を 取りに 來訪。 池 田の 人十數 名の カル タ會を 催した。 本日 議會の 議事 初 まる、 政府 提出 

の豫弊 歳入 五 億 七 千 二百 八十 九 萬 一 千 八 百 六十 六圓, 歳出 同額。 就褥、 午前 一 時。 

1 月廿 四日。 晴。 起床 午前 十 一 時。 出社せ す。 原 氏 來訪。 山 本 (三) 氏より 乎 紙。 0. 山 本 • 吉 M 岩 

崎 四 氏 へハ ガキ。 王 突 1 一時 閒 半。 就褥、 午前 f 時。 

1 月廿 五日。 藝。 社へ 神 崎、 原、 講演 依 賴の爲 め 松 本の 三 氏 來訪。 清 子 並に 神 崎 氏と 天 滿の初 H< 祌 

に 行き、 それから 吉岡 氏を訪 ふ。 就褥、 午前 一 一時。 

1 月廿 六日。 昨夜より 雨。 起床、 午後 一時。 出社せ t 玉 突 二 時間。 就褥、 午前 二 時。 

1 月廿 七日。 曇。 起床、 午前 十 時半。 堺 氏より ハ ガキ。 山 本 氏より 手紙。 玉 突 三時 間。 就 梅、 午 



前 ! 時半。 

1 月廿 八日。 晴。 起床- 午前 十 時半。 池 田 町.; -齒 科醫に 行き、 齒の 治療 をして 貰った。 出社せ す。 

玉 突 二 時 gi。 就褥、 午前 二 時。 

I 月廿 九日。 曇。 起床 * 午前 十 一 時半。 加 藤氏 来訪、" 玉 突 一 時間。 就褥. 午前 三時り 

一 月 三十 n。 朝 曇 あられ 降る。 S. 床 * 午前 九 時半。 石 丸 氏 来訪。 前 m (木) 氏より 手, 就。 西 中佐へ 手 

紙。 昨夜、 小犬の 棄 てられた の を 拾って いたが、 けさ、 どこかへ 行って しまった。 

1 月 三十】 日。 晴。 出社せ す、 風邪 を 床に 寢てゐ ようとし たが、 小犬 を 下女が また 連れて 來て、 き 

どろ 

の ふの はこれ でない かと 云 ふ。 黑 いむく 犬 だが * 泥 だらけに なって ゐた。 それ を 裏庭へ つれて 行かせ 

はう 

たが、 その 折、 裏 隣り の 家が 二階から 火が 起って ゐ るのに 氣が 付いた。 その 方の 騷ぎ ゃ羊傳 ひで 寢て 

ゐられ す、 夜 はまた 神 崎 氏が とまって 話した。 博 文 館より 文章 世界の 原稿料 七 ffl 五十 錢。 

二月 一日。 風邪、 出社せ す。 東京より 上司 小劎氏 來訪" 西 氏より 手紙 • 返事 を 出す。 吉岡 氏より ハ 

ガキ。 

二月 二日。 雨。 出社せ す、 褥中 にあり。 武俠 世界より 稿料。 原 氏へ ハ ガキ。 社へ 欠勒 届。 

一 一月 三日。 晴。 出社せ す。 原 氏 來訪" 

二月 四日" 雨. 大阪 にも あられ 降る。 武林 氏よ リハ ガキ。 神 崎 氏より 手紙。 起床、 午前 二 時。 「現代 

池 田 日記 1 七 



11 第 十二 卷 一 八 

飜譯^^ の 一 覽」 (上) 十六 枚 を 書いた。 

二月 五 曰。 喑。 起床、 午前 九 時半。 山 本 氏へ r カキ。 文 世界へ 原稿。 相 馬 氏 (早稻田文畢の^^料 

催促 y 上司 氏、 多 の 方から 歸 つて 來 たが、 田舍 人の 歡迎 にっかれ たかして、 !• 夜 をひッ そり 休みた 

いと 云って、 どこかの 宿屋へ 行った。 玉 突 三時 問餘。 就褥、 午前 一 時。 

二月 六日。 雨。 午前 十 時 起床。 前 田 Q 兆) 氏へ ハ ガキ。 中央 公論より 返って 來た 原稿 を 太陽の 淺 E 氏 

へ 送った。 

二月 七日。 晴。 吉岡 氏、 井上 (仲) 氏、 並に 厳 谷 (小波) 氏より ハ ガキ。 上司 氏、 々々田より 歸り 來^、 

鳥渡 話して 大阪へ 行く。 玉 突 I 時間 半。 就 褥, 午前 三時 半。 

二月 八日。 晴。 起床 • 午前 十 1 時半。 加 藤, 神 崎兩氏 來訪。 淸子 並に 祌崎 氏と 共に^ 丽の 瀧まで 行 

く。 石 龍 子 下阪の 宴會に 行く。 就 褥> 午前 四時 五十 分。 上司 氏よ リ、 大阪 出發の ハ ガキ。 

二月 九、 日。 晴。 起床 午前 十 一 時。 德 秋 江 氏 並に 前 田 (夕) 氏より ハ ガキ。 德田 • 井上、 士 :! 岡 氏へ ハ 

ガキ。 玉 突 二 時 si。 就褥 • 午前 一 時。 

二月 十日。 晴。 起床 • 午前 十 時。 〇 三越 寫奠 部へ 社から 手紙 を やり、 活動 寫 K の フィルム 扱 映に^ 

する 問合せ をした。 昨年 末より 平野 氏に 依頼し- 東京で 取り調べ をして 貰 ふ 約束が 今に 至っても 返 

なき ゆ ゑ、 こちらで 手 を 運ばした わけに て、 つまり。 寶缀溫^:^で::十取り寫^;を開業する計劃でぁる。 



同時に * 箕 有電氣 重役の 小 林 一 三 氏の 勸 めに より-' 各 電氣會 社の パス へ 本人の 寫腐を 張り付ける やう 

に 1. 動し、 その 什 事 を こちらで 引き受け たいので ある。 一 枚 十錢宛 を各會 社から 取れば 半分 は 純益に 

なるやう だ。 同會 社で 小 林 氏に 會ひ、 先 づ大體 の 報告 をして 艇 いた。 神 崎 氏に 手助け を賴 むので、 同 

氏が 本日 來訪 したの を 幸 ひ、 細い こと を 高麗 橋の 小 西寫姆 機械 店へ 行って 調べて 貫 ふやう に 命じた。 

〇 荒木 氏より 朝鮮の 雉子 を K つたのと- 先日 小劍 氏が S 直いて 行った 鯉と を * 祌 i 氏に 料 a して 貰って 

晚餐に 供した。 相 馬 並に 前 田 (夕) 二 氏へ ハ ガキ。 吉岡 氏より ハ ガキ。 神 崎 氏 一泊。 就 褥, 午前 三時。 

二月 十 一 日。 晴。 g 床, 午前 十 時。 淸子 並に 祌崎 氏と 平野 鑛泉を 見に 行く。 前 田 (晃) 氏より ハ ガキ。 

右 丸 氏より 手紙。 玉 突 一 時間。 就 褥* 午前 三時。 

1 一月- H 一日- 晴。 起床、 午前 十 一 時半。 早稻 田文擧 より 原稿料 拾圓。 

二月 十三 日" 晴." 本日、 道が 凍て ゐた。 こんな/ J と は 今までに もなかった。 昨日 は 寒い 寒い と 思つ 

たが、 けさ- 珍ら しく 洗 水 鉢に 水が 張った。 山 本 氏 • 上司 氏より ハ ガキ。 石 丸 氏へ ハ ガキ, 出社せ 

す。 就褥、 午前 1 一時 半。 

】 一月 十四 曰。 雨。 起床、 午前 十 時 平。 出社せ す。 終日 • 雨と 風。 就褥 * 午前 四時。 

二月 十五 日。 暴。 @r 午前 十 時半。 玉 突 二 時 問。 就 褥, 午前 一 時半。 

二月 十六 曰。 晴" I. 午前 十 時半。 出社せ す。 玉 突、 二 時 sg。 水 野 氏より ハガキ 、- 就 褥* 午前 零 

田 B sa 一九 



泡 鳴仝槊 ^十二 二 

時半。 

二月 十七 日。 晴" 起床- 午前 十 時半。 一週間 ほど 以前より また 左の 耳が 聽ぇ なくなった" ,:: 社の つ 

いでに、 醫 者へ 行く々、 風 を 引いた 結 栗 だら うと 云 ふ。 風 も 引いた が • 過勞が 影響す る こと も 分って 

ゐる。 ただに 左の みで はなく、 右の 方も漫 性的に 惡 いと 云 はれた。 どうせ 人間 は 聽 える?^ だ、 活 きて 

る 問 だ。 どしどし やれる だけ 何でも やる。 博 文 館より 原 稿料 拾圓? 15。 巖> 原、 二 名より ハ ガキ。 末^ 

博士より 手紙、 同じく 返 w。 北 村 氏より 手紙-" 上司、 押 川 * 日 高、 關、 茅 原 氏へ ハ ガキ。 茅 SGIf 山) 

氏へ は、 ^朝の 社 說に屮 Z た 氏の ロマン チク 鼓吹 說が あんな 淺薄 では, 歸朝當 時 わが 國の 現欣 を硏究 

し • 僕な どに 就いて 自然主義の, S 來をも 知った のが、 ほんの、 表面的で あつたの だら うと 云 ふこと を 

云って やった。 自然 主 翁 を 物質的 ロマ ンチク 主義 を精祌 的と 酉 別す る やうで は、 もとの 三十 年 前の 外 

圃 思想に 跡戾 りする の だ。 ,新聞 gis? どに 深い 觀 察 力の ない ものが 多 いのは、 割合に 分って ゐ ると m ね 

つた 同氏で も そんな 風の を W て も 知られる。 無論 • 新聞 界 のみで はない、 敎 育界, 帝 國大舉 の 連中 は 

勿論、 また 文 藥界の 大部分に 於ても、 さう だからい やにな つ てし まう。 玉 突 二 時 ra。 就 褥* 午前 二 

時。 

二月 十八 曰。 晴 u(n き。 起床 • 午前 九 時半。 出社せ す。 荒木 氏 来訪。 夕方、 大きな 片の雪 少し 降 

る。 玉 突 一 一時間。 就 褥, 午前 一 時半。 



二月 十九 日。 晴 (寒し)" 池 田で は 雪 少し 降ん。 大阪の 耳 科醫へ 行く。 末 博士より 手紙。 玉 突 二 時. 

問。 今月 十五 日の 文章 世界 を 見る と、 俊が 『先 鼙も 後輩 も なく 獨立獨 歩 を 誇りと す』 と S つたの を • 

あり 辰- れた 誇りと 評して ある。 然し 今 H の 如く 先輩 や 後 载を賴 つて 世 il 的 地位 を 固めて ゐる ものが 多 

いきこ, 當り * 俊 は 矢張り 僕の貲 際 を 誇らざる を 得ない。 先輩 や 後輩 を 頼りと した 獨立 眞の獨 立に あ 

らや だ。 去年の 十二月 中旬から 華 を 取り出した 小說 「發 展」 は • 第 九 拾 八 回を以 つて * 今夜、 前篇 を 

御き 終へ た。 来月の 二十日 頃 迄 新聞に 鑌く分 だ。 今回の は柬 京の 友人間に も 評判が いいやう だし • 大 

阪 でも 社中の みならす • 讀者 にも 受けられて ゐる やう だ。 後篇 は爽 京の 新聞に 書きたい。 就 褥* 午前. 

1 二 時半。 

二月 廿日。 晴" 起床 • 午前 十一 時半。 茅 原 華 山 氏より ハ ガキ。 出社せ す。 池 M の 町役場より 役場 員. 

が來 て、 臨時 演習の 軍隊が とまるので、 三 四 名 引き受けて 吳れ ろと 云 ふ。 僕 は 軍隊が 嫌 ひだ。 去年 も 

斷 つたの だが、 今回 は 是非と 云 ふ。 向 ふ も 覺悟を 持って 來 たらしい、 た ッて斷 ると ならば、 知事に. H 

申して 無 醒 にで も 置かせる やうに すると 云 ふ。 僕 はな ほ 謝絶して、 人手が 少 いこと、 軍 敝は國 民から 

の稅 によって 成立して tQ るから その上 人民 ケ煩 はせ る 習慣 はよ くない こと、 テ ントを 張って でも 野宿 

させて ? いこと- よしんば とめる として 故障が 起っても 個人の 訴へは 團體に 勝てない から 損な こと、 

現に 昨年 末 も 大阪市 屮で 止宿 兵士が あばれた のが その 家の 泣き 寢 入りに なった 例が ある こと、 役場 

池 田 日記 一二 



泡 鳴 仝 集 ^十二 卷 ニニ 

が 責任 を以 つて 引き受け ると 云っても 當て にならない こと、 その上 僕 自身の 性 6:? が 軍隊 を 好ましくな 

いこと 等の を 云った 然し、 では 物の 分った 將校述 をよ こすから と 云 ふので、 いやいや 折り合つ 

た。 觅. に, g、 軍隊を戰爭中でぁるかの如く歡迎する人^^は馬鹿な人民だ。 ク贩が 不足した ので、 淸子 

と赘 塚へ 十 M 京 そば を やりに 行った が、 打つ のに 時 がか かると 云 ふので、 うどん } ;: キの物 を やった。 歸 

途、 束 京の 水 野 氏へ 送る 栗 やうかん を 買 ひ 求め • 本社 M 丸國 氏の もと を訪 ふて 歸 つた。 今夜 は脫 1« 小- 

說の 訂正 をした が、 さて、 明日から 何に かからう? 就 得 • 午前 一時。 

二月 廿 一日" 晴。 起床、 午後 零時 四十 分。 耳 科醫へ 行く。 昨日の? 隊止 f 仙の 件、 町長に 手紙 を 持た 

せて やって 謝絶した。 暴力 もしくは 壓制的 命令が 來れ ば、 個人と して は對抗 m.^ ないか も 知れない。 

佐 藤氏 並に 中 2ii 氏へ 手紙 を 書いた" 上司 氏より ハ ガキ。 就褥、 牛 前 一 一; 

二月 廿 二日。 終日、 雨。 起床、 午前 十 時半。 大阪 日報 社の 上 總天香 氏 來訪。 軍隊 は 入り込んで 来た 

が、 僕の 家で は斷 つた。 然し 不都合な の は • 昨日 ことわり を やって 承知した と ありながら、 町からの 

改めた 挨稷 もな く。 兵 ^,1 を 四 名を當 てが つてあった らしい。 前々 日 は將校 をよ こすから と 云 ふ, 2 ふの 

譲歩 も 行 はれて ゐ なかった の だ。 S 力に 角、 止めなかった から、 それで こちらの 意志 は 通った。 

譯、 ワイルドの 「革命 婦人」 を 請んだ が、 下らない 物 だ。 武林氏 並に 華 山 氏へ ハガ キを認 む。 就 褥, 

午後 十一 時。 _ 



二月 卄三 曰、 晴。 起床 * 午前 十 時。 耳 科醫へ 行く。 玉 突 二 時間〕 前 E (夕) 氏より 手紙。 

二月 卄 四:!:。 晴" 西 氏へ ハ ガキ。 超 床、 午前 八 時。 神 崎 氏に^ 守 居 を賴ん で、 淸子 と共に 二日の 小. 

旅! 了 二 出で -0 先づ 京阪 電車で 伏 見の 稻 荷へ 行き、 そこから 官線鐵 道に 乘 つて 石山に 向った。 逢阪 山の 

トンネル を脫 けて、 向 ふに 琵琶湖の あなたなる 比 良の 山脈が、 山の 脊 だけ 露ッ白 になって, 力 力つ 

た 霞に 浮んで ゐ るの を H たた 時, 十 年の 昔 あれ を 後ろから こちらへ、 宵 を かけて、 而も & がりで 越えた 

ことがあ るの を 思 ひ 出した。 今 はそんな 勇 氣が一 I ない ので はない II 自分の 仕 W とい ふこと にば か 

り 籠って しまった。 石山, 三 井寺、 大律 市中な^、 初めての 淸 子に は 感興 もあった らうが * 僕に は 

昔 、ほりな のが 却って 何等の 面白味 もなかった。 藪 田 (信 吉) 氏に 宿から 電報 を かけて 堀 井 英也氏 を 

まじ • • 

呼んで 貰った。 藪 田 氏は來 なかった が、 堀 井 氏 は 午後 九 時 頃に やって 來た。 相變 はら ャ 法螺 交りの 

をと 

問 話 — 話 上手な ので、 つい、 話す だけ 聽 いてし まう。 が、 そこに は、 渠、 ひねくれた 性質と 男氣と 

が 籠って ゐる のが 生命 だ。 小 說の村 料になる やうな こと を澤山 云って 聽? 、せて くれた。 この 男、 縣廳 

の 官吏で ありながら、 一 年 一 二百 六十 五日 を 三分の 一 遲刻 する。. 休暇 や H 曜ゃ 大祭 日な ど を 引く と、 出 

勤 日の is ど 二分の 一 が 震に なって ゐる Q だ。 それで i は平氣 だし • 縣廳の 方で もさう やか 

ましく 責めない。 同廳 ばかりで はなく • 大津巿 一般の 評判 男 だ、 變人 として、 また 人の 世話好き とし 



泡 鳴 <s 第 寸ニ卷 二 四 

二月 廿 五日。 晴。 朝、 縣廳の 中 山、 M 中 雨 氏 來訪。 兩氏 とも 十年一日の 如しと 云 ふこと を 文字: g 

"にやって ゐる 人々 だが • 感心に も、 皆 健全な 様子 だ。 汽船で唐崎の松を::^-に行ってから* 疏水に よ 

つて 京都へ 出た。 南禪 寺- 永觀 堂、 黑谷 等を兑 r- き、 閣 寺に ft (文 次郞) 氏を訪 ふた。 夜に なって、 歸宅 Q. 

吉岡 氏、 ■ 本 某氏より た カキ。 河井(醉^^)氏ょりハガキ^ 

二月 廿 六日。 夜に 入って 風雨 U 耳 科 翳へ 行く。 鼓膜 を 切って 中の 水氣を 取った ので、 少し 氣 分が 

さッ ばりした。 武林 氏より 長い 手紙。 長 谷川 (勝 治) 氏へ 雛人形 一 組 を 送 つた。 (妹 千 窓 子の 子 の爲め 

に。) 

二月 廿 七日。 風雨" 出社せ す。 武林 * 石丸兩 氏へ ハ ガキ、 巖へ 手紙。 小犬が またき の ふから I 匹 迷. - 

ひ 込んで 來て、 居据 つて ゐる。 女子 文壇の 爲 めに、 「諸方 面に 渡る 朿 京大 阪 優劣 論」 (±1 枚) を 書い 

た。 就 褥* 午前 一 時半。 

二月 廿 八日。 終日、 雨。 起床, 午前 十 時半。 耳 科醫へ 行く。 水 野 氏より ハ ガキ。 -I イチ ヱの 口 本譯. 

を 調べて 見た。 就 褥* 午前 二 時 二十 分。 

二月 廿 九日。 曇。 起床 * 午前 十 時半。 出社せ す。 獨逸 語で スト リンドべ ルヒの 「伯爵 令孃 ユリ エト 

を 調べて 見た。 就 褐* 午前 二 時半。 

1 二月 1 日。 ftr 起床、 午後 1 時半。 耳 科醫に 行く。 山 本 ニニ)、 平 稼 • 石 丸 三 氏より ハガキ 。岡 村 • 



山 本 (喜) 二 氏より 手紙。 玉 突 一時間。 E 村 (成)、 本 多、 山 本 (喜) 三 氏へ 手紙 を 書く。 安井、 北 村 • 岡、. 

村、 水 野 四 氏へ ハ ガキ。 就褥、 午前 I 時。 

三月 二 曰。 晴。 深 田 氏より ハ ガキ。 加 藤氏 来訪。 神 崎 氏 I 泊 。「現代 飜譯界 の 一 瞥 (下)」 二十 枚 を 青 

*0 終る" 

三月 三日。 午後より 雨。 起床、 午前 九 時。 深 田、 山 本 (三) 二 氏へ ハ ガキ。 中澤 (臨 川 )• 平樣 (篤) 二 

氏 來阪。 共に 堂 島の 魚 喜で 飮み、 加 古川と 云 ふお 茶屋へ 行き、 中澤 氏の 友人 平 田 を 招く。 平 田 氏 は 僕- 

等 を 新 町の 吉田 星へ 連れて行った * そこで 「きりより、 伊 左衞門 さま まゐ る」 の 手紙の 實物を a せら 

れ などして、 僕 は 午後 十 時半に 別れて 歸 つた。 山 本 (三) 氏より 手紙。 就褥, 午前 I 時。 

三月 四日。 雨。 起床 * 午前 十 I 時。 耳 科 誓へ 行く。 玉 突 1 1 時間。 就褥、 午後 十 一 時。 

三月 五 曰。 曇" 起床、 午前 十 一 時。 平 21 氏より ハ ガキ。 出社せ す。 山 本- 平缀 * 若宮. 中澤四 氏へ 

ハ ガキ。 ゆ ふべ 寢てゐ たら、 耳垂れが 澤山 出た。 就 褥- 午前 I 時〕 

三月 六 曰。 雨。 耳 科醫へ 行く。 起床、 午前 九 時。 就褥、 午前 零時 二十 分。 

三月 七日。 雨 (もう、 雨の 降り 方が 全く 春雨 じみた じ 起床、 午前 九 時。 雹の 經 1 分 ほどの が 降った。 

山 本 (111) 氏より C ガキ。 石 丸 氏 來訪" : お 藤氏 を訪 ふ。 就褥、 午前 二 時。 

三月 八日。 晴。 起床、 午前 十 一 時。 「巡亮 曰 記」 (三十 七 枚) を 寄き 終る。 耳 科醫へ 行く。 中 山、 田 中 

池 田 日記 二 S 



泡 鳴 全集 卷 十ニ卷 一一 プ 

二 氏を訪 ふ。 就褥 t 午前 二 時。 

三月 九日。 晴^ 起床 午前 十 時。 巖、 並に 正宗 氏へ ハガキ C 原稿 を 早稻出 文舉へ 送って た。 博 文 館 

より さ 十三 回。 神 崎 氏 來訪。 玉 突 二 時? i。 白鳥 氏の 小說 を まとめて 請んで 見た。 氏 は 長 に 

なると 短篇に 出て ゐる 鋭感の 度が 薄弱に なって しまう。 主人公 香 取の 人物 も 作者が 獨 りで 飮み 込み 過 

ぎて ゐて、 氏に あり 勝ちの 1^ 人的 態度が ぼつく と 抽象 せられて 出る やうな 氣 がする。 從 つて、 ^取 

がお 多 ad ゃ藝 者に 對 してお のれの 皮 を 一 皮む いて 眞情を 表する 場合に も、 自然主義 的 聯絡が その 麼人. 

性と よくつ いて ゐ ないやう だ。 それにお 多 代の 性格が はッ きり 出て ゐ ないし, • 湯 原が わざとお 人よ し 

にされ て ゐる氣 味が ある。 且、 香 取が お 多 代のと ころに 泊って から 後. そこで また 湯 原と 會 つた ほの 

1 二に の氣 持が 麼昧 だ。 湯 原が その 關係を 知らないに しても 全く 氣を まわして ゐな いと S ふの が K 際の 

人情と も 思へ ないし、 お 多 代の ふてくされな 點も餘 り そこで 容易に 書かれて ゐる。 爲 めに、 香 取が 心 

でお 多 代の 肉的 勢力に 壓 迫され てゐ ると 云 ふの が、 作者の 說 明して ゐ ると だけにし か a えない。 就 褥、, 

午後 十 時半ぐ 

三月 十日。 晴。 起床、 午前 十 1 時。 若宮 氏よ- S ハ ガキ。 近々 ー雜誌 を發刊 する 計 劃が あるので、 =^ 

句の 方の 選者 を 靑木月 斗 氏に 頼みに 同氏 を 尋ねた" そして 平野 町の 肉屋で 飲んだ。 石 田 氏 社へ 尋ねて 

來た。 就裤 午前 零時 半。 



三月 十 一 日。 晴 y 起床、 午前 十 一 時。 耳 科醫へ 行く。 觳 て末廣 博士から 照會 があった 森 法 畢士が 社:. 

へ 尋ねて 來た。 入社 問題に 關 して だ。 また 島 村 抱 月 氏 も 社へ 來訪" これ は 文藝協 曾に 關 しての 件で 

だ。 此頃、 如何に 尊敬し 合っても、 そんな ことで 夫婦の 愛が 虚僞 なく 行く もので ない 襄實が あたま を 

持ち あげて 來た。 肉の 底の 底まで 動かないで、 女に 男 を 愛する 情が 充分 あると は 思へ ない。 かたわ な- 

らば 知らす、 さう でない のに、 淫亂の やうに 思 はれる の を 恐れて 肉の 動き を 或 程度に 身づ から 制限し, 

てゐる やうな 女 は、 愛する 資格 も 愛せられる 資格 もない の だら う。 クラシ クゃ、 a マン チク や、 靈と 

いふ やうな ものが M に實 在す ると 思ふ考 へから 來た 形式の 弊に 堪へ なくなった。 玉 突 二 時間 半。 中 里、 

吉江兩 氏へ C カキ。 就褥、 午後 十 時半。 

三月 十二 日" 晴。 起床- 午前 十 時半。 ひばり は、 もう 一 ヶ月 前から 啼 いてる が、 この頃の ぁッ たか; 

さに 門外の 牡丹 畑が 大分に どす 赤い 芽 を 出して 來た。 けさ、 社へ 出が けに 近づいて よく 見る と、 つぼ 

みさへ 出て ゐる のが ある。 それに、 門內の 庭に はっくし や、 嫁菜 や、 せりが 出て ゐ るの も 分った。 淸. 

子 は 嫁菜と せりと を 摘んで 晚餐に のぼせた。 就褥、 午後 十 I 時。 

三月 十三 日。 晴." 起床、 午前 十 時。 耳 科醫へ 行く。 评內 氏より 中座 招待 狀。 きの ふ、 け ふの I、 さは 

特別 だと 思って ゐ たが、 毎年、 奈 良の -. 水 取り」 の 日 (十二 日) は 寒さが ぶり、 成す のが 常 ださう だ。 玉. 

突 二 時 

池 田 日 SS ニセ . 



If 十四日。 晴〕 起床、 午前 十 時。 驚、 中澤ニ 氏より S キ。 中座に 塞 協會 の 「ノラ」 と 「ヹ 

, ースの 商人」 達の 場と I た。 土 肥 氏の ヘル 了は舊 じみた 態度が あって 少し 感心 しないが、 そ 

れ でも 三菅 では 大分に 働 S た。 松 井須 磨 子? ラは評 霊り 可な り S 來で あつたが、 ま應 S 

りない。 森 氏の 雷 ランク は ,合っても ゐ たが、 どうも、 まだ 呼吸が うまく 行かなかった。 廣田は 

享 の リンデン 夫人 は 最も 拙であった。 ク.^ グス タッドの 東 儀 氏 はさす がよく 出來 た。 氏がなかった 

ら、 あの S は 重みがなかった おらう。 然し 同氏の シャイ ロック は、 如何に 理窟 を 付けても、 大した 

t へがなかった U と 云 ふの は, 藝の 上からで はなく、 シ エキス ピャ は 既に i げて ゐる かさ、 而 

も その上に イブセンの 現代劇 を 見せた 跡で は、 5 下らない もの だ。 评內 氏 はもう 大抵に して 沙菌 

はやめた 方が よから う。 脚本 その物が 翁た わい のない 物 だ。 同座で I 露 石 氏に 初めて 會 つた。 ま 

た帝羅 報へ 來た盡 白 蛇 氏に も 久し fs つた。 生 田 (長) * 吉江 * 籐井 三 氏へ ハ ガキ。 就, 午 

一 寺。 

三月 十五 日。 晴. 起床. 午前 十 時。 耳 科醫へ 行った 歸途 • 車で 今 橋 一丁目 あたり を 通る 時- 二人の 

女の子が ぁッ ちから こッ ちへ、 こッ ちから きち 二方の 足 I く 延ばして 飛んで ゐる。 鳥 渡身輕に. 

上手な 飛び 方 だ。 何 をして ゐる のかと 思ったら a ノラの タラン テラ 踊りの 眞似 だ。 初日に 見て 來 たの 

だと 思 はれた。 け ふの 療治 5 の 中 I し 管が どこか 入らない ところへ 强く當 つたと 見え、 少し 痛 



みを感 する。 哲 會へ 會费。 加 藤氏 を訪 ふ。 中 S 一氏より 手紙" 玉 突 二 時 11。 就 ,• 午後 十二時. - 

三月 十六 日。 暗" 起床 十 時。 神 崎 氏 來訪。 

三月 十七 日。 雨。 出社せ す。 西 村、 近菌 一 氏へ 手紙 リ 吉江 氏より ハ ガキ。 中 里 氏より 手紙。 

三月 十八 日。 雨 (大阪 にて あられ 降る) 清 子、 中座へ 行く。 僕 も 岸澤屋 に坪內 氏を訪 ひ、 それから 

また 中座へ 行った 。耳 科醫へ 行く。 

三月 十九 日。 薄 曇。 西 村 氏 並に 出 本 氏より r カキ。 同氏へ 手紙。 巖へ ハ ガキ。 加 藤氏より ハ ガキ。 - 

三 廿日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 日本 ホテルで 下阪 中の 島 村 抱 月 氏 を、 王容 として 十 名ば かり 甕 飯 を 共 

にした。 その 席で、 森 m 氏が 故 靑木繁 氏の 畫集 a; 版の 件に 就き、 僕に も 五圓の 寄附 をす る やうに 話し 

があった。 同時に、 僕 は靑木 氏の 記念 追想 を 最も 親しかった 人々 から 書いて 貰 ひ、 五月の 早稻 田文擧 

の 一部 を 借りて 出す こと.^ 發 譲した。 島 村 氏 は 承諾した が、 それに 付き、 すべての 斡旋 をさせる 爲め、 

蒲 原 氏へ 手紙 を 書いた。 靑木 氏の 親しかった ものと 云って は、 森 田、 蒲 原、 正宗 (得) • 小 杉、 僕、 並 

に 僕 は 知らない 坂 本と 云 ふ 人の 六 名で あるら しい。 

三月 廿 I 日。 雨、 蒲 原 氏へ 手紙" 正宗 (得) 氏へ ハ ガキ。 石 丸 • 祌崎ニ 氏 來訪、 1 日 を 遊んで 暮し 

た。 m 社せ す。 神 崎 氏 一 泊。 

三ほ廿 二日- 晴" 出社せ す。 淸子 と共に 寳嶽の 寳梅圚 を 見に 行った。 電車 停留所から 山の 奥へ 十 丁 

池 田 日 Si II 九 



is 第 十二 卷 Ho 

ばいり • is. 梅園よりも 大きく- 樹木 も 多い。 梅 はもう 少し 遞か つたが、 月末に は 桃の 花が またい い 

さう だ。 平野 を::^ おろして 海まで a える。 西の 官 から 来て、 テント 張りの 茶屋 を 出して ゐる ものが あ 

つた。 

三月 二十 三日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 薄 出、 H 村 二 氏より ハ ガキ。 大阪 印刷 3^ より 稿料 三圓。 

三月 二十四日。 晴 U 出社せ す。 玉 突 四 £11。 崎 氏 * 淸子 • 荒木 氏と 共に 五月 山の 陽春 寺へ 登え 

和尙を 相手に 午前 一 一時まで 飲む。 , 

三月 二十 五日。 耳 科醫へ 行く。 平 稼 氏より 手紙。 末廣 博士へ 手紙 (森 法博 擧士 入社の 件)。 

1 二月 二十 六日。 暗" 蒲 原 氏より ハ ガキ。 出社せ す。 淸子 と共に 五月 山の 絶 K に 登った。 小犬 を つれ 

て 行った が I 山路 をよ く 歩いた。 玉 突 一 時半。 孔子の 思想 を 冷罵す る 脚本の 材料に、 耶蘇に 對 する ュ 

ダの やうな 弟子 もしくは 後代の 反逆者 を 探して ゐ るが、 見付からない。 「竹 書」 と 云 ふ 古書が それに は 

請んで 見る に 面白から うと 聽 いたが、 書店に ない。 古本の W るの を 待つ より 仕方がない。 宰予の 「聱 

寢 者/子 路の 「佞者」 など は、 左程 物に はなら ないやう だ。 楊、 墨、 王 陽 明な ど はまた 反逆者と し 

て はえら 過ぎる。 梁 や 始皇ゃ はまた あり 振れて ゐる。 「光秀」 の やうな 面 Q い 人物 はない か 知ら 

ん? 

昨年 十二月 中句から 新報に 揭 載して ゐ た小說 r 發 -&」 は 昨日 漸く 百 回で 終り を吿 げた。 東京の 友人 



間に は 却々 評判が よかった と 云 ふ 通知 や 直話 を聽 いたし ♦ 大 阪の讀 者に もさう 惡 くなかった らしい。 

それ は 鬼 も 角 • もう、 新 閱小說 だと 云って こと 更らに 俗受けの する の を 書く 時代 は 過ぎたら しい。 如 

何に 分らない からと 3 つても • 謎で ない 以上 は • 全部な り 若しくは 半分な りの 意味 は 解せられ よう。 

これまで 新聞 編輯 者た る ものの 世間に 對 する 観察が 餘り 低かった の は事實 だ。 

押 川方義 先生 (僕が 先生と 云 ふ はこの 人 だけお) の 細君が 死んだ 通知が 来た。 くやみ 狀を 出す。 

三月 廿 七日。 雨 • 風 。耳 科醫へ 行く。 齋籐 (宏) 氏より 手紙。 石 丸 氏より r カキ。 神 崎 氏へ r 力 

キ。 大阪 印刷 界 より 手紙 • 同じく その 返事。 

1 二月 廿 八日。 晴" 齋 藤氏へ ハ ガキ。 中澤 氏へ C カキ。 出社せ す。 寳 塚へ 散歩す。 「露 國 印象 記」 を讀 

み 終った。 

三月 二十 九日。 雨" 耳 科醫へ 行く、 、王醫 は 留守であった。 西 村- 入江、 木 村 三 氏より r カキ。 木 村 

氏へ ハ ガキ。 末廣 博士より 手紙" 箕有會 社の 小 林 氏を訪 ひ、 梅 田 停車場の ビヤ ホ ー ルで 兼て 相談して. 

あった 雜誌 發刊の 件に 付き 意見 を聽 いた。 資金 上の 補助 はしない こと はない が、 どうせ 寶れ ない な 

ら、 長つ づき はしな からう し、 それ を 無 a につ づければ 僕の 內職 的收 入が 自然に 減す るから 困る だら 

うと 云ふ說 で、 宿題に して 別れた。 僕 自身 は 四 五ケ 月 維持したら、 1 千 部 は 確かに 出る だら うと 主張 

して 置いた。 

池 田 日 SS 111 1 



li 1^ 十二 卷 z 

一 t 二十, 暗。 E 村 氏祌戶 より 来訪 • 弟き シン f ミシン 商 會へ道 人る 件に 關 して だ。 厳 並に 

長、、 l-rr 、手 巧 比 ^ ザ 

三月 三十 一日: 暗。 正宗 (白) 氏より ハ ガキ。 吉味 氏へ 手紙" 大木、 加 藤 (M 外) 二 氏 來訪" 耳 科醫へ 

行く。 

四月 一 日。 晴。 女子 文壇より 槁 料 六 圆。. 耳 科醫へ 行く。 

四月 二日。 夜に 入って 雨 * 風。 池 田から 獎面 公園へ 歩いた。 途中で 奥 村 養蜂 園 を は、 蜂の 養 ひ 方 を 

聽 ハた。 

S 月 三日。 暗 (夜に 入って 鳥渡 雨)" 加 藤、、 神 崎 氏 を 伴 ひ, 岡 町から 十五 丁 ある 熊お 田 7^^ 

氏 を訪 ふ。 I 氏より s。 巖ょ りハ ガキ。 博 文 館より 8 拾 六 §十錢。 0. 西 村 二 氏へ ハ ガキ。 

四月 四日。 晴。 耳 科醫へ 行く.,. 新潮 社より 手紙" 佐々 木 氏より ハ ガキ。 

四月 五日。 暗" 俳優 大木 一座 を 紹介す る爲 め." 二日 以前, 加 籐朝鳥 氏 を 朝日 山の もとへ 行って K つ 

たが、 向 ふが 承知した と 云 ふので、 大木 並 8 曰 山へ ハガキ を 出した。 大木 氏 は 大阪に 於て 自山 i 

もしくは 新時代 细協會 的な 試み を 初めよう として 滯阪 する ことに 決心した さう だ。 四 五名の ものが 生 

活出來 さへ すれば 旅役者 的な ぼ; 似 はして 歩かなくても いいと 云 ふので • お 伽芝居 子供 デ ー を ffi^^s 

物 a で やらせようと * 獎 1^ 會 社の 小 林 氏へ 照會 して 見た が、 駄 ほであった。 で、 朝日 山へ 紐 介した の 



だが、 渠が 多少で も 時代の 新 要求 を 解し さへ すれば、 何 か 物に ならう と 思 ふ。 社の 歸途、 珍ら しく 關 

露 香 氏の 宅 を 尋ねたら • 廣島高 師の杉 森此馬 氏が 來 たので、 昨日から 案內 して 廻って ゐ るとの こと 

で, 留守であった。 歸宅 すると、 間もなく • 關氏も 亦 珍ら しく 訪ねて 來た。 而も 杉 森 氏 を 伴って ゐ 

る。 杉 森 氏と は 二十 四 五 年 振り だが • 明治 擧院で 僕が 英語 をお そ はった 敎師 だ。 もう、 大分に 白髮が 

生えて ゐる" 就褥、 午前 三時 半。 

四月 六日。 雨。 耳 科醫へ 行く。 大阪 ホテル へ、 女子 美術展 覽會の 相談で 招待 せられた。 新潮 社へ 返 

答。 就 褥. 午前 二 時半。 

四月 七日。 暗。 起床. 午前 十 時。 上司 > 北 村 • 正宗 * i. 本 多、 佐々 木 氏へ ハ ガキ。 閼氏 を每日 

社に 訪ひ、 相 島 勘次郞 氏への 紹介 狀を 貰った。 近々 上京の 節 訪問す る爲 めで ある。 社へ 森 田 恒友氏 米 

訪* 青木 氏の 畫會 に關 する 件に 付いて だ。 また、 靑 木櫻溪 氏と 云 ふ 人、 來訪。 演藝畫 報の 爲 めに 毎月 

何 か 書いて 吳れ ろとの 依賴 だから、 承知して 蘆いた。 夜, 荒木 氏、 一休 和尙 直筆 持 有 者 を 伴った。 就 

褥, 午前 二 時半。 

四月 八 曰。 小雨。 耳 科醫へ 行く。 靑木 氏より ハガキ 並に 演藝畫 報、 r 劇界 雜話」 (十 枚) を 書いて、 靑 

木 氏へ 送った。 神 崎、 加 籐ニ氏 來訪" 就褥、 午前 二 時半。 

四月 九日。 小雨。 起床、 午前 十 時。 

池 田 B S1 i 



Ill 四 

四月 十 r^^^ 「淸 子も急に 思 ひ 立って ー緒に行 くこと になった。 午後 七 時發の |に乘 つ 

たが、 車中で 靑木繁 氏に 關 する 追想 文 十 枚ば かり を 認めた。 ...q 

四月 十 一 日。 午前 九 時、 新 霧。 淸子 は、 直ぐ 麻布の 長 谷川 宅へ 行った。 僕 は 同 國人植 村 氏 (f- 

社 S が 經營 する 休き所富屋 で 北 村季晴 氏 宅へ 露 を かけ、 午後 行く とい ふこと を 刘らせ S き、 

荷物 を そこに あ づけた I* 先.、 つ 2 の 主幹 11 郞氏 S 間した。 關 氏から S 介で、 同社へ 這 

入りたい ので ある。 それから、 長 谷川へ 行く と、 先づ、 最も 管たくない 掌の 話が 出た。 而も 或 止 

宿 人と 寵 して ゐ るの を • 娘の 裏 子が I して、 5 妹千惠 子に 語った ことがあ ると 云 ふ。 f 力 

大人の 實 見した S な I ぐ雛緣 S に 好い の だが、 子供の; こと だから、 うかう か 取り あげる こ 

とが 出來 ない。 鬼に 角、 八幡 町へ は 行かないで、 おの、、 つから 向 ふで 處诀 して 來 るの I つより 仕方が 

C: 1^. もう、 1 くから 放棠 した I が • まだ 法律上の 手が 切れないば かりに、 面倒が あ 

る。 早速ぶ 氏を訪 ひ、 相談して 見た が、 起訴す るの は I によせ と 云 ふ。 それに、 訴 へても、 こち 

らに 勝ち 睬 がない と 云 ふ。 向 ふが 離緣を 承認す る氣 分になる の を 待てと 云 ふ。 どうせ、 法律上の こと 

はどうで もい いつもり だ。 

1 先 づ北村 氏へ 荷物 を 運んで 行った が * 上司、 0. 木 村 三 氏から ハガキ が 來てゐ た。 再び 電 単に 

り、 薩摩 原で 乘り換 へようと すると、 小 杉 天外 氏に 會 つた 。『いつ 來 たのです』、 『け ふ』, 『もう 永久 



に』、 『いや、 ちょっと』 と 云 ふ 話で 別れた。 

正宗 氏のと ころへ 行った が、 今 出た ところ だと s ふ" 細君 は." きの ふ德田 (秋 聲) さんが 来ても、 正 

宗 氏と 僕の 歡迎會 をす る 話 をして ゐ たと 云った。 あがって 待てと 云 はれた が、 僕が 下阪 後に 來た細 

で 初對面 だから、 あがる のも變 であった。 德田秋 江 氏が 近 處にゐ る 箸 だから、 それ を 訪ねて 見ようと 

云 ふと、 細君 はついて 來て、 中 村 春雨 氏で 秋 江 氏の 宿所 を 確め て?^ れた。 正宗 氏の 細君 は、 秋 江 氏と 

は 何 か 感情の 行き 遠 ひが 出 來てゐ ると かで、 ついその そばまで 僕 を案內 して 歸 つた。 

木 戶を這 入って だらくと 降りて 行った 突き 當 りが 德田 氏の 家 だと 聽 いて、 ^を かけた が、 返事が 

ない。 留守 だら うと 思って、 手前の 家人に 言づ てを賴 んでゐ ると、 留守と 思った 家の 戶が 明いて 『君 

か^??か』 と 例の 調子が ランプ を 持って 出て 來た。 急な 執筆 をして ゐ るので、 寳は 留守 をつ かって ゐた 

の だと S ふ。 

裏庭へ まわって あがる と、 下女が ゐ ない とかで、 机の あたりに お 鉢 やら、 茶碗 やら、 箸 を 置いた ま 

ま、 何 か 原稿 を 書いて ゐた樣 子 だ。 頻りに 大阪 方面へ 行きたい と 云って ゐた。 國民 新聞の 島 田 氏と 親 

しいと 見え、 いつも 渠の 話が 出る。 僕 は 「立食」 の やうな 物 を誊く 閑が あるなら、 その 筆 を ちゃんと 

した 小, 說に 向けたら どう だと 勸吿 した。 いらいらして ゐる 薬を兑 ると、 長居 も 氣の毒 だから、 1 時間 

ほど 詰して そこ を 出た。 . 

池 田日龃 一 一 一 五 



三 六 

泡 鳴 仝 集 i& 十二 卷 - 6.^:1^. 

今 1§宗氏 を 5 たが 歸 つてね ない ので * 北 村 氏へ 引き返した。 酉 氏より 手紙 カ來て 居た , 

10. 朝、 暫く 北 村 氏と 語って から、 そこ を 出た。 祌 樂坂 で 人力車に 乘 らうと してね ると 

『お 1 と f かけた の は 京都の 上田 (敏) 氏 だ。 珍ら しいと ころで 會 つたから、 

坂 上の ビヤ ホ, ル S 入った。 僕が 京都大舉 大阪 If やったら、 同氏 も 黉成 して ゐた 殊に 文科 

I んな i 的 地方に 置く の 非 は 同氏で も 既に 分って ねる らしい。 約 i り、 S 氏へ 行く と、 待 P 

て,?。 僕 は先づ いい II たもの だと 霣讃 した。 g 皮肉に 鋭い 額が やわらいだ? 見ても U 

hn 二人で 博 文 館に 行き、 田 山 氏と 前 田 氏と に會 つた。 m 

談 をして、 そこで 通知 肷を 出した。 

歸 りに、 正宗 氏と カフェ ブラン タンへ 行って 見た。 し ノ も.; ナ おつ ヒ。 i 

四月 十 音。 11 Mil 「I」 Is 料 (四十 五圆) IU 一 It" 

11 i 幾に も 會った。 IIJ^^H^HU^. 

あった。 會し たもの、 秋聲、 花 袋、 白鳥、 無想 庵- 米 野 口, 前 i) 、生 I) 上司 等の., 十一 

そこ を 切り, てから、 そのうちの 一部 はまた 淺草 の ョカ樓 へ 行った。 武林 無想 庵が 白鳥 氏 を ひや 力 

す。 白鳥 氏 は 中年 會 もしくは 初 I を やらう と 云 ひ 出す。 僕が 驚いた の は * i-iu 

りして 來 たこと だ" ス パル や 一 雷 Is 介され る擎 連中と は、 時代が どうして 4 ふこと I 力 



自覺 して 來 たこと だ。 これ は當 前で ある。 途中で まぐれた 生 田 氏が 吉井 (勇) 氏 を 伴って やって 來 たの 

で、 また 賑 かにな つたが、 いつも 默 つて 微笑して ゐ たの は 秋聲氏 だ。 「さすが 初老 會の會 長 だ、 なァ」 • 

とから かふ もの もあった。 そこで キス キに 五六 圓 取られたら しかった。 

その 夜 は、 水 野 氏へ 淸子も 行って ゐ るので、 俊 は 水 野 氏に 連れられ、 武林 氏と 共に^ 谷へ 行った。 

夜中 語り合って • 夜明け 方 ちょっと 皆が 寢に 就いた。 目が さめたら、 武林氏 はもう ゐ なかった。 

四月 十四日。 午後 * 淸子 と共に 水 野 氏 宅 を 出で、 上司 氏を訪 ひ、 北 村 氏へ 歸 つた。 北 村 氏に 八幡 町 

の 狀態を 語り、 うまく 處 分して 貰 ふやう に 頼んだ。 

四月 十五 日。 野 口 氏を訪 ふ。 午後、 大阪 新報 支局に 立ち寄り、 それから 有樂 座の 名人 會に 行った。 

食堂で 小山 內 氏に 會 つた。 その 歸り に、 田 村 三 治 氏が 相變ら す醉っ て 電車 を 待って ゐ るのに 出くわ 

し、 共に カフ ラフ イオンへ 這 入った。 E 宗 氏より ハ ガキ。 

四月 十六 日。 中澤 氏よ.: N ハガ 午。 中 澤-田 山 二 氏へ ハ ガキ。 秋聲 氏を訪 ふ。 夜、 北 村 氏の 宅で 僕の 友 

人 を 招待した。 會し たもの、 武 林- 木 村 (鷹)、 蒲 原、 正宗 (得)、 生 田 (葵 y 田 村 (三)、 淸水 (橘 村)、 高 

橋 (£ 等の 十二 一 氏。 島 崎、 中澤、 田 山、 正宗 (白)、 德田 (秋: r 生 田 (長) 等は來 なかった。 

四月 十七 日。 島 崎、 上司 二 氏より ハ ガキ。 淸 子の 歡 迎に靑 踏 社の 連中が 田 端の 葳波阖 で會を 開い 

た。 ついて 行った 途中で、 吉江 氏が 鄕 里から 歸っ たと ろに 出くわした。 衣、 中澤 氏を訪 ふ。 氏 は 若手 

池 田 日 Si 



泡 鳴 <- 集 第 十二 卷 一一,' 

連の 跋扈 を 憤慨して ゐた。 さう 經驗 も學カ もな い^に、 ヰスキ など を 飮んで 意 張り 散らす のが 滑稽な 

ので、 それを^^ る の が い や さ に 力 フ ェ プ ラ ン タ ン へ も 行かな くな つ た と 云 つ てゐ た。 

四月 十八 IT" 淸 子の 父に 會 ひに、 二 入して 市 川へ 行った が、 父 は 一週 問 ほど 以前 東京へ 出た と 云 ふ . 

ので 會 はれなかった。 歸 つて、 その 夜 は 長 谷川に とまる。 

四月 十九 H。 责踏 社の 會 合で 話 をす る ことにた つて ゐ たが、 勞 れてゐ たので、 平 嫁 明 子 氏へ 斷 りの 

r カキを 出した。 森 盛 1 郞 氏を訪 ふ。 夜". 田 山 氏を訪 ふ。 

四月 二 卜 日。 

a 月 二十 一日。 麻布へ 行った ついでに、 美 額 術 を 受けて 見た。 上司 氏を訪 ふ。 (時事 t の 社 會部主 

任の 口が かかって ゐ たから • どうい ふ 様子 か聽 きに 行った の だ y 今 井 歌 子 氏 を訪ふ (W 守 )o 松 內氏を 

訪ふ。 日々 社に 關 する 件 だが、 氏が! m 下 上京中の 角 田 (浩 i 氏に 食って f と 注意した ので • その 宿 

を訪 ふた。 そこで 廣 難柳浪 氏と 5: 籐痴遊 氏と に會 つた。 

四月 二十 二日。 松 內氏を 日々 に訪 ふと、 觅に 角、 今 直ぐと 云 ふわけ に は 行かない らしい ので、 樣子 

は歸 阪後聽 かせて 貰 ふこと にして 別れた。 ホ央 新聞社に 吉植 氏、 平 嫁 氏を訪 ふたが いづれ も 留守。 川 

芋 氏と カフ H プランタンで 晚餐を 共に した。 岡 村 氏 來訪、 北 村 氏と 出發 する まで 話して ゐた。 午後 九 

時 品 川から 出發。 



四月 二十 三日。 午前 十一 時半、 梅 田箫。 加籐 氏來訪 U とまって 貰って ゐた神 崎 氏、 その 夜、 引き あ 

げた。 岩 村、 木 村 (信: >、 佐々 木、 武藤、 讀喪 等より ハガキ が 來てゐ た。 

四月 二十四日。 關 氏を訪 ふ。 結果の 分らない こと を 報 $1 して 置いた。 耳 科醫へ 行く。 川 手 氏 下阪, 

宿へ 訪問した。 

四月 二十 五日。 神 崎 氏來訪 > 共に 寳 嫁へ 行って 飲んだ。 

四月 二十 六日。 耳 科醫へ 行く。 薄 S 氏より ハ ガキ。 加 藤氏 を訪 ふ。 

四月 二十 七日。 齋藤 (曉 之 助) 氏より 手紙。 

四月 一 一十 八日 (ほ)。 出社せ す。 獎而に 行く。 

四月 二十 九日。 晴、 雨)。 高 崎、 佐々 木、 松內三 氏へ 手紙。 野 口 氏よ ね 手紙、 生 田 (長) 氏より ハ 

ガキ。 若宮 氏へ ハ ガキ。 木 村 氏、 島 田 氏、 高 島 氏へ ハガ キ。 讀寶へ 返事。 

四月 三十日" 0. 松 根 二 氏へ ハ ガキ。 正宗 (得) 氏へ 青木 氏 追想 文 を 送る。 齋藤 (曉) 氏へ ハガキ 。上. 

司 氏より ハ ガキパ 時事 新報の 社會部 主任の 口 を かけて K つてる の だが、 まだ 返 ない よし) 

五月 一日。 曇。 上司 氏へ ハ ガキ。 北 村 氏より ハ ガキ。 北 村 氏へ 手紙、 雜誌、 並に 音樂 書。 西 村 氏へ 

《ガ 午。 祌崎氏 來訪。 新 小說に 「寢 雪」 前半が 揭 載せら る。 

五月 二日。 晴" 耳 科醫へ 行く • また 痔が惡 くな つて 來 たので、 痔疾 專門醫 石 w 氏へ 行って 手術 を 乞 

池 田 日 SS 三 九 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 四 C 

ふた。 若宮 氏より r カキ。 松內 氏より 手紙 (日々 へ 人 社の 件 まだ 運ばない よし)。 島 田 氏より 手紙、 「放 

浪 J の 偽版が ある 件に 付き • 詳しい 返事 だ。 川 手 氏へ 手紙 を 出し、 「放浪」 の僞版 「我 身の 罪」 なる 書の 

出版 店 博 盛 堂 を 起訴す る こと を 委任した。 

五月 三日。 夜、 雨。 高 崎 氏より 手紙。 痔疾 醫に 行く。 夜、 社の 編輯 會議 があった。 

五月 四日" 晴。 痔疾 醫 並に 耳 科醫へ 行く。 , 

五月 五日。 晴。 茅 原 (華 山) 氏 並に 川 手 氏へ ハ ガキ。 痔疾 醫へ 行く。 出社せ す。 

五月 六日" 晴。 川 手 氏より ハ ガキ。 疼疾 並に 耳 科醫へ 行く。 永 井 氏を訪 ふ。 今朝、 兼て 蜂 を 注文し 

て 置いた 奧村 養蜂 圚 より 二三 日 前 分封した 蜂 群 を 届けて 來た。 新 M 社の 人 だから、 安くして g くと 云 

つて、 箱 ごと 二 a だ。 庭の 日 あた. ns のい. ところに 南向きに 箱を据 ゑた。 入り口に 詰めた 新聞紙 を 外 

すと、 直ぐ 蜂 は 出て 來て 箱の 周圜を 飛び まわる のがあった が、 やがて 働きに 行き 出した。 赤い 花粉 を- 

取って くるの は ゲン ゲの だ。 蜂の 出入 自由に 蜜 を 取り 來 たり、 取りに 行く 様子が 面白い。 尻の 太く 鐵 

色な の は 雄蜂で あるら しい。 働き 峰 は 尻の さきが 黑く、 その 黑ぃ 尻に 細い 黄色 じみた 白色の 横筋が 四 

段に 入り、 一番 胸に 近い 第 八 段! ni のと ころに 少し 薄い 赤 茶色が ある。 高 安 氏より ハ ガキ。 

五月七日" 出社せ す。 痔疾 醫に 行く。 

^月 八 曰。 晴。 痔疾 醫 並に 耳 科醫へ 行く。 浪花 峰圍 より また I 群 (五 圓) の 蜂 を 持ち 来たる。, 箱は假 



り 箱であった から、 本式の を 別に 持って 來て貰 ふこと にした。 奧村 氏から 來 たのに 産卵がない ので 王. 

ぬけ かと つた。 

& さら 

五月 九日。 晴。 浪花 峰 園の 北 川 氏を訪 ふ。 餌 皿に 巢を 造った 蜂が あつたので、 それ を 試みに その ま 

ま 分けて あるの があった。 

五月 十日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 佐々 木 氏より 手紙。 神 崎 氏 來訪。 正宗 (得 三郞) 氏 來訪。 箕面 並に 寳 

塚 を案內 した。 同氏 一 泊" 蜂 を 世話す る時顏 をお そ はれない 爲 めの 網が あるが、 それ を 僕 は 妻の 古い 

三越べ ー ルで やる ことにした。 さきに 北 川 氏へ 初めて 行った 時は茱 種の 時期であって、 峰が 尻 を眞黄 

色に して 歸 つて 來 たが、 この頃 は ゲン ゲに 行く ので、 兩の 蜜ぶ くろに 赤い 花粉 をつ けて 歸る。 

五月 十】 日。 晴。 正宗 氏と 三越 =4< 服 店に 行った。 氏の 繪謹展 覽會を 同所で 開いて 貰 はう として だが,. 

差 支へ て 出来なかった。 木 村 氏、 コ 一井 (甲 之) 氏より r カキ。 川 手 並に 若宮 二 氏へ ハ ガキ。 奥 村 養蜂 圜 

から 届いた 方の 蜂 群が、 届いて から 二三 日 目に なっても 峰 兒を產 みつけた 形跡がなかった ので、 王ぬ 

け かと 心配した。 ところが、 王が ゐ るの は 分った が、 まだ 尻が 細く、 交尾 前で はない かと 心配した。 

それ も、 昨日 調べた に 依る と、 多少の 玉子が. 産みつ けられて ゐ るので、 交尾 ズミ だと 分った。 王の 尻 

も、 昨日 頃 は 少し 太くな つて ゐた。 

五月 十二 日。 雨。 靑踏 社員 連の 中 野 初子 氏 歡迎會 が あり、 それにぉ伴^^して繁面動物圜へほととぎ 

祖 H 日 S1 四 1 



泡 鳴 令: a 1^ 十二 卷 P 二 

す 啼合會 を! S きに 行く。 去年の 啼合會 よりも 時期が 早かった 爲 めか、 うまく 啼 かなかった〕 神 崎 氏 も 

早 川 氏 を 伴って 來てゐ たので ー緖に 行った が、 動物園で 分れた。 初子 氏- 淸子、 僕 三人 は それから 

嫁へ まわって 歸 宅した。 正宗 氏に も 蜂 箱 を 明けて a せた が、 け ふ, 中 野 氏に も a せた。 川 手 氏より 鹤 

居の ハ ガキ。 

五月 十三 曰。 晴 (夜、 雨)。 三 井 氏へ ハ ガキ。 耳 科醫へ 行く。 

五月 十四日。 暗。 東 華圍に 行き、 ラ イラクの 小 株 を 買って 來た。 八月、 花 を 11 くさう だ。 ついでに、 

石 橋 停留 場の そばの 花園で • フレンチ ラナ ンキュ ー ラスと 一:ム ふ 草花 を も S つた。 もしも ッと 永く 大阪 

に 勤めるなら、 蜂の 爲 めに 庭 一 杯ク パ ー の 種を播 いても いいと 思 ふ。 然し 蜂 は 近い 花で も^か あ 

るりこ は 目 を くれない らしい。 庭の ゲン ゲに 働く のを兒 たこと がない。 鬼に 角 飛んで 行って 花粉 や 花 

蜜 を 取って 來な いなまけ 者 はかみ 殺されて しまう の だ。 夕方、 出社し * 中 山 氏.^ 訪ふ。 同氏の^で、 僕 

の 自由 勤務 を 正確に する に は、 表面。 社外の 人 1 客員と でも 云 ふ 名義 — になる がよ からう かとの 

こと だ。 社員 中で 先日の 編輯 會議 に、 僕の 勤務 方に 就て お-せ ッ かひ を 云った ものが あるから である。 

それ 位の ことで 俊に 毎日 出勤せ よと 云 ふの なら、 鳥渡い い 折 だから、 辭 職して 歸京 する 方が いいが、 

客員と でも、 何とで もな つてな ほ 自由 を 許され、 その上 月に 少く とも 一 度 は 東京へ 行ける やうに なれ 

ば、 多少 結構 だが 11 



五月 十五 日。 晴 W 耳 科醫へ 行く。 夜、 箕面 公園 一 方亭 で、 同 乘會の 相談が あって 行った。 

a 月 十六 日。 晴" 茅 原 (華 山) 氏より ハ ガキ。 浪花 蜂 園を訪 ひ、 蜂蜜 を巢 から 分離させる ところ を 見 

た。 八 離さ. y た ,飛び込んだ 蜂 を 一 匹 拾 ひ あゆて、 蜜 だらけの まま 別な 箱の 入り口に 置く と、 その 

箱の 群峰が 出て 來て、 寄って たかって その 1 匹に 藩いた 蜜 を 吸 ひ 取り、 見る見る 丸裸に してお ッ ぼり. 

出して しまった。 他 群の 仲間で あるから であらう。 ところが、 別な 蜂 これ も 同 箱ので ない ^ 

1 匹 入り口に ほうりあげたら, これ は 平氣で 箱の 中へ 這 入って 行った。 今に 見ろ、 引きす り 出される 

からと 云って 待って ゐ たが、 一向に 出されて 來 ない。 多分 産れ 立ての 兒 であらう。 兒は まだ 特種のに 

ほひが 染みて ゐ ないから と 云 ふので, 試みに 別な 兒を また あげて 見る と * 矢張り のこのこと 這 入って 

行って、 出て 來 なかった。 親に なった 蜂なら、 かみ 殺され、 さし 殺されて 出される のに 決って ゐ るの 

だ。 

五月 十七 :n。 晴" 春陽 堂へ ハ ガキ。 若宮 氏 並に 野 依 氏より ハ ガキ。 ^宫 氏の 紹介で 實業之 世界 社 か 

ら 1 發展」 を 出さう と 云 ふので、 その 原稿 を 野 依 氏へ 送った。 條件 は印稅 一 割、 校正 は 一度. 兇る こと、 

再版から 一分 もしくは 二分 $F、 出版 前に 印稅の 半額、 印 を 押す 時 他の 半額 を 受ける こと〕 蜂. が 井戶の 

かてて る 

流し元へ 水を飮 みに 來 たの を兒 た。 耳 科醫へ 行く、 この 二三 回、 鼻から 中耳 〈うまく 棒 が^ら な 力つ 

たのが、 け ふ は 何の 苦 もな く 通った。 涛疾醫 へ も 行った メ近蜇 博士の 音韻論に 就て に 就て レ (八 枚) 

池 田 日記 四ョ 



泡 鳴 令: 第 第 十二 卷 四 四 

草す。 

五月 十八 日。 時々 雨。 若宮、 相 島、 水 野 氏へ ハ ガキ。 深 田 (康) 氏へ 昨夜の 原稿 を 送った、 藝 文に m 

す爲 めだ。 加 藤 氏と 共に 香攄 園に 於け る 慶應マ 一一 ラの 野球 試合 を 見に 行く。 西の 宫の薄 田 泣 靈氏を 9 

ふて 連れ立って 行った の だが、 雨が 降り出した 爲め、 同 園 境內の 料理屋に 這 入り、 三人で 夕方まで 話 

した。 种崎氏 來訪" 

五月 十九 日。 雨。 转 S の I 方 亭に同 乘會が 開かれ、 そこへ 行った。 歸 つてから、 池^の".^.座に藝^^ 

連の" 4<れ は 踊 を 見た。 正宗 (得). 氏より ハ ガキ。 深 田 (康) 氏より 手紙。 

五月 廿日" 晴" 水 野、 森 田 二 氏より ハ ガキ。 耳 科醫へ 行く。 

五月 廿 一 日。 曇。 野 依 氏、 深 W (康) 氏より ハ ガキ。 野 依 氏へ ハガキ (云って やった 條件 中、 印稅 

の 半額 を 出版 前、 他の 半額 を 印 を 押す 時 貰 ふと 云 ふの を、 頼みに より、 出版 發寶 後、 十日 以 5: と訂 

する ことにして 送った )o 川 手 氏、 北 村 氏へ ハガキ 。「故 鄕の 禁止に 就て 當局者 並に 文藝 家に 注意す」 (七 

枚) を 寄いた。 

五月 廿 二日。 晴" 昨夜の 原稿 を キに 添へ て國 民の 德富 氏へ 送った、 東京で 發 表しなければ • 注 

意が 無駄になる 恐れが あるから。 耳 科醫へ 行く。 日報 社に 齋 藤氏 を 訪ひ、 同氏と 共に 驟州樓 に 於け る 

木村麝 家の 突に 行った。 相 島、 若宮 二 氏より ハ ガキ。 



五 fTP 廿 三日。 暗。 淸子 と共に 正宗 氏の 展覽會 を 見に 丸 善に 行き、 その 歸 りに 同氏 並に 森 田、 山 本 : 

(鼎) 二 氏と 道頓 堀へ ぶらつき、 明 陽 軒に のぼって 晩餐 を やった。 丸 善で 外國 養蜂の 書物 二 冊 を 購求 一 

し、 尙ニ册 を 注文して a いた • , 一 

五月 廿 四日。 晴" 耳 科醫へ 行く。 夕方、 岩 崎 氏 來訪、 それから 淸 子と 僕と を つれ 出して、 大阪に 一 

行き、 四ッ 橋の そばの illf ぢと云 ふ 料理屋に 案內 した。 大阪 文藝の 連中の 來る ところと 見え、 宫飼、 一 

その他の 若い 連中 二三 名 を 僕に 紹介した。 加 藤氏より ハ ガキ。 川 手 氏より ハガ キが來 て、 -. 放浪」 に對ー 

する^ 版 「わが 身の 罪」 を 求め 得た から、 近日 訴訟の 手續 をす ると S つて 來た。 島 田, 關 氏へ 《ガー 

キ。 一 

五月 廿 五日。 晴。 川 手 氏へ ハ ガキ。 島 田 氏 並に 國民 新聞より ハガキ 並に 手紙、 送った 原稿の 中の 一 

問題、 乃ち、 「マ グダ」 禁止 問題が 解決した から、 旣に 印刷にまで 附 したと 云 ふ 拙稿 返却の 斷り であ 一 

る。 この 問題が 訂正 を 以て 解決し、 六月 中句に は 大阪で やる ことにすると 云 ふこと は、 昨日 東 儀 鐵笛ー 

氏が 来社しての 話で あつたが、 僕 は 脚本 を當局 者の 意に 滿 つる やう 訂正して 興行 禁止 を 免れた ので 一 

は、 根底の 解決が 付いた もの だと は 認めない。 拙稿 は、 殆ど 同じの を大阪 新報に も 出した から それで 一 

いい. としても、 文 藝協會 が 原作の 訂正 をして i21 も與行 をつ づけよう とする の は、 旣に藝 術 的 誠意 を ® 一 

れて 1 般の與 (t 教 になった わけで、 とても 僕 は 同情 を 表する ことが 出來 ない。 

池 田 B SS 四 五 



ii 〈十二 卷 四 六 

丸 善へ 行ったら、 繁面霄 鐵の小 林 氏が F: 宗 氏の 畫を 見に 来たので、 氏の 爲 めに ー點を 買って K ふこ 

とに した。 谷 崎 (潤 一郎) 氏が 來阪 して 文樂 座に 行って ゐ るが、 僕に 會 ひたいと S つてる とのこと で • 

!ia 示 氏と 同座に 行った。 そして 1 忠臣 藏」 のうち、 南部、 古^ 等の 道行、 攝津大 掾の山 科 閑居 を聽ぃ 

た。 大阪の 岸 本 • 束 京の 柴川 とか 一 K ふ金滿 家の 招待であって、 山 本、 森 田、 織 田の 三 塞,; M も 來てゐ 

た。 京都 祇園の 揚屋の 女將ぉ 高もゐ た。 打 入り 前に 切り あげて、 總勢は 魚 治と 云 ふ 繩暖應 式の 贪物屋 

で 飲んだ。 それから、 谷 崎 氏き • に 畫家 達と 電車で 贅 嫁へ 行って、 みよし 野と S ふ 旅館で 落ち 付いた。 

五月 廿 六日。 晴。 谷 崎 氏 は 昨夜、 長 W (斡 彥) 氏が 來てゐ る^な のを氣 にして、 大阪の 宿へ 電話 を 

かけた。 で、 長 田 氏 も 電車で 飛んで 來 たの だが、 もう 寳嫁 行がなかった ので、 池 田で 下車し, そこ か 

ら 1 里 を 人力車で 飛ばす ことにし かけた の だが、 その 夜、 結婚式が あつたと かで、 土地の 車が すべて 

その 方に 雇 はれて ゐた。 たまたま 一人の 老 車夫に 出くわし、 その 車に 乘 つたの は 乘 つたが、 これ も醉 

っ拂 つて ゐて、 長 田 氏 は 路上へ 投げ出され、 止む を 得す 池 田 どまり にした とかで.. 早朝、 僕 等が つか 

れて 寢てゐ ると ころへ やって来た。 そこ を K 午 十二時 頃 引き あげて、 俊 は 池 田で § "と 別れた。 

俳優 大木 氏の 連中 を獎面 動物園の 餘輿 場に 雇 ふ 問題が また 交 涉出來 さうな ので、 僕は蕖 の爲 めに 園 

長の 齋 藤氏 を その 事務所に 尋ねた。 そして 共に 一方 亭へ 行って 午後 十 時 頃まで 玉 突 をして 歸 宅して 見 

ると、 荒木 氏と 陽春 寺の 和尙 とが 來てゐ た。 巷 を 打って 二 時 頃に 至った。 



- 五 I ヒ日。 お。 松內 氏へ S キ。 大木 氏 來訪集 ひ、 昨日の f 下相談す る爲め lif 

ばつ 齋 I へ 伴って 行った。 動物園 猛與 f ,引 臭け る 言に なれば、 それ を 生 gs にし 

て、 その 時間 I の 連中が 新劇 研 t 供す る ことが 出來て 頗る 好都合になる わけ だ。 靈 f ら 伊籐 

公爵の 半身像 を 貰って 歸 つた。 ノ," -ip . 

五月, 曰。 暗。 耳 科醫へ 行った。 大木 氏 S 加 栗 風 外) 氏 • 社へ 訪問。 川 手 氏より 手紙 ぁリ 

いよいよ 吿訴 並に 委任の 書狀へ 實印 を 取りに よこした。 直ぐ 返事 を やった。 平野 (一助) 氏から 久しぶ 

りに 手紙が 來た。 朝鮮 霊 株 I 社 皮革 部の ■ をして ゐる さう で、 大阪に 於け る 取引先 S ず 

皮革 相場の 霞 的 報 吿ゃ、 梅 田の 靈會社 倉庫へ 來てゐ る 皮革の 寶り拂 ひ を 頼んで 來 たの だ" 木 村 

正宗 (得) 二 氏へ ハ ガキ。 

五月.. 九日。 晴。 野 依 氏より ハガキ 、「重」 の3 版 をい よいよ やる ことにな つた さう で 來月 一杯 

こ 製本 出來 する やうに なった。 £ 中 王 I より S 並に そ 哲人 囊」 を ss て、 批評 をせ 

よとの こと だ。 書 は 上下 ニ卷 で、 上 f 半分 は 俊の 人啬 並に is 批 S 費され て ゐるカ こォ 

に對 して それが 雜誌 中央 公論に 出た 時, して ある (「謹の 靈」 がさう だ) から、 再び 言 を 費す.^ 

要はな からう。 その他に 部面に 於て 云 ふこと が あれば、 熟讀の 上に すると 8 し て置 いた。 "手 氏へ 

ハ ガキ、 云 ひ 忘れた の だが、 「發 展」 の 版 權登錄 はして ない ので、 その 必要が あれば やって 賀 ひたいと 

四 七 





泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 四 八 

云って やった。 

北 川 氏を訪 ふたら、 花屋敷へ 行って 家に ゐな いと 云 ふ。 ゲン ゲ など 少 くな つたので、 そして 蜜柑の 

花の 時期に なった ので、 蜂 をす ベて その 山に 持って行 つたの だ。 田圃 を 五六 町の こと だから、 歩して 

そこへ 行った。 北 川 氏 は 今 分封した 蜂 を、 群ヒ强 盛に して 澤山蜜 を 取る 必要 上、 もとの 箱に 返して や 

つたと ころで、 網 を かぶった ままで ゐ た。. 氏 はこ こで 百 箱 以上の 群 を 世話して 二 年 前に 大 失敗 をした 

の ださう だ。 經驗不 相 應に擴 張した からで ある。 蜜枇 山が その そばに あるので、 蜂に は 持って 來 いの 

ところお。 まだ 充分に 發酵 して ゐ ない 蜜の 探れた のを甞 めて a たが、 水氣が 多くて ねばり 氣が少 い。 

それから 氏と 共に 再び 川 西 へ 歸り、 ァゥ スト リャ 種と! 1 シ ャ 種と の 形相 並 に 働き 娠り を!:^ せ て 貰った。 

洋種 は 蜂の 體も 大きい し、 働き も 却々 强盛 だ。 僕の 宅の 蜂が この頃 ゲン ゲの 赤い 花粉の 代りに、 白い 

の を 持って 來る もの も あるので、 何かと 聽 いて 見たら、 柿の 花に 行って るの だ。 その 花粉 はや や 白 

い。 今 はブ, トウ もあって、 その 花粉 も 白い。 せんだん も ある さう だ。 無論、 まだ 野 醬薇も ある。 長く 

べたべたと 引く 花粉 は あざみ 並に 月見草の 花。 ホワイト クロ ー バ ー の は 黄の 黑 すんだ 色。 みかんの は 

黄の さえた の だが、 本 月の 十五 六日から 來月 十日 頃まで が 時期 だ。 僕の 峰が • け ふ 見た が、 群 外の 草 

原の ゲン ゲ によく 働いて ゐ たが、 もう、 その 花は少 くな つた やう だ。 節 二の 箱へ 十三 日 前に 入れた 

ワクが 一 杯に なって ゐ るので、 け ふ、 また 巢 礎の ついた 一つ を 加へ て やった。 一週 問 程 前に 入れた の, 



が、 . 四 分の 一 ほど $s ぞヒ つけられた。 第一 の 箱へ もまた 一 ワク 入れた。 

五月 卅日。 暗。 田 中 王 堂 氏 か: つ その 奢 「哲人 主義」 が來 た" 春陽 堂 並に 野 依 氏へ ハ ガキ。 山 本 氏 

より ハガ キ。 耳 科醫へ 行く。 社へ 行く と、 京都から 正宗 氏の 電話が 來てゐ たので、 汽^^^で出て行っ 

た。 此^ 文樂 座で 會 つたお 高さん の 家、 機 ffl に 正宗 氏 を 初め、 森 田, 織 M、 山 本、 山の 內、 谷 崎、 長 

田の諸氏が^3-ってゐた。 そこから ボン ト 町の 顧 田 ほへ くり 出し、 藝者ゃ 舞子 八 九 名 を あげて さわい 

だ。 幸 ひ、 月 もよ し、 久しぶりで 京都の 良夜に 接した 心地が した。 然し 人が 多過ぎた 爲 めだら う * 何 

だか 1 座に まとまりが つかなかった。 途中で 散歩に 出かける もの もあった。 僕 等 も 舞子 二三 名 を 連れ 

て、 月光の 中 を « 圍の丸 山め たりまで ぶらついた。 螢を 取って 歸る 人々 が 多かった ので、 舞子 は そ 

れを 欲し さう にして、 その 一 人の 男に 『おくれ やす J1 と 藤 を かける と、 やる から 來 いと 云 はれて、 却 

つて それが おそろしく なった かして、 默 つて 置け,. } ささやき 合って ゐた。 續、 山 木 氏は藝 者な どの 

綾 ハガキ を I 只 はせられ てゐ た。 ポント 町へ 歸 ると、 谷 崎 氏が 1 人で 藝者を 相手に 何 か 歌って ゐた。 山 

本、 山の 內ニ 氏と 僕との 外 は、 すべて 昨夜 もこ こに 止った の だ。 僕 等 は 皆 午前 二 時 頃に 床 を 並べて 落 

ち 付いて しまった。 女 ども は 昨夜の 通り じゃこ 癮 をす る辔 であった さう だが、 の 人數が 多い のと 勢 

ひが 烈しく 兒 えたのと で 恐れ を 抱いた の だら う、 すべて 二階へ は あがって 來 なかった。 僕 は 床に 這 入. 

つてから 峰の ことば かりが 心 ffi になった。 

池 田 B 記 四 九 



泡鳴1^«- ^十二 卷 ? C 

五月 三十 一日。 正宗、 森 田、 山 本の 三 氏は須 磨へ 行く 必要が あって 早く 歸 つたが、 他 は 十 時 頃 そこ 

を 引き あげ、 四絛 橋の 袂の 西洋 料 斑 店で 朝钣 をす まし、 丸 山邊を ぶらついて 閑靜に 横になる ところ を 

探した が、 なかなか 發見 しなかった。 嵐 山へ 行かう と 云 ふ もの もあった。 知 恩院の 僭に 頼んで、 あす 

こで 横になら うと 云 ふ もの もあった。 淸 水へ 行かう と 云 ふ もの もあった。 丸 山の アイス タリ ー ム 店で 

種 々評議 を こらせた が、 皆 疲れて ゐ るので 何の B 氣も 出ない。 たまに 話が はすむ かと 思へば、 駄洒落 

の 云ひッ こに 過ぎない。 止む を 得す、 M 葛が 原の 月 晃樓と 云 ふのに のぼった。 そこで 湯に 這 入.^、 一 

先づ ごろ ッ ちゃらして ゐ たが、 手品の 眞似を やり 出す もの も あれば、 當て物 を 初める もの もあって、 

4 、長. りょく 寢られ なかった。 そのうち、 また 酒に なった。 そこのう ちの 娘娟 世と 云 ふの が 鳥渡 面白い 

ので、 そこへ とまらう と 云 ふ 評議 もあった が、 僕 だけ は 今夜 下坂す る 川 手 氏に 會ふ 必要が あるので さ 

きへ 引き あげた。 十 時 頃 梅 田へ 着く と、 直ぐ その 足で 川 手 氏 を 小 西 旅館に 訪問した。 そして 四ッ 橋の 

「三十 じ」 で 飲んだ • 東雲 堂 並に 博 盛 堂に 對 する 訴訟 は、 版 權登錄 の 有無に 拘らす 成立す る さう で、 然 

し 高々 一 千 圓の耍 求し か出來 ない 樣子 だ。 でも 刑法 上で は 五百圓 までの 罰金が ある。 儷 版の 方 は、 た 

だ 序文と 揷繪 とが 變 つてる だけ、 第一 頁 も 矢張り 「放浪」 通りに なって る さう だ。 歸 宅して 见 たら * 

川 手、 大木、 平野 諸氏の ハガキ の 外に、 野 依 氏から 「發 展」 の 校 E が 來てゐ た。 直ぐ それ を ft て 投画 

k^o この 日、 夕方、 京都で も ゆ ふ 立が あつたが、 午前 零時 頃, 池^ に 下 単す るまで 急 雨が あり、 家 



について から 大 雷雨に なった。 一 

六月 一 日。 晴。 水 野 氏より ハ ガキ。 川 手 氏 來訪。 寶 塚の-. みよし 野」 で 飲んだ。 池 田へ もどった 時 二 

原 氏が 來てゐ たので * 三人で 玉 突 をした。 校正が 來 たので、 見て つた。 出社せ す。 一 

六月 二日。 晴。 出社せ す。 校お、 三十 二べ ー ジ。 祌崎 • 大木 二 氏 來訪。 大木 氏の 芝 席が 來る 日曜日 

に箕面 動物園で 先づ 1 回試驗 的に ある ことにな つた" その 話で 箕 面へ 行った ついでに., 一方 亭で玉 突 一 

をした。 春陽 堂の 本 多 氏へ 稿料 催促。 " 

六月 三 :n。 晴。 田 中、 石 丸 二 氏へ ハガキ C 平野 氏へ 手紙" 耳 科醫へ 行った が、 け ふ は 棒 を 通さない 

で 三度ば かり i41 氣が這 入った。 もう、 二三 回で 僕の 左耳 も 平狀に 返る かと 思 ふ。 木 村 氏より ハ ガキ。 

大阪府 技 M 高撟久 四郞氏 夫婦 はす ッと 以前からの 知り合 だが、 大 阪にゐ ると は 思って ゐ なかった。 先 一 

日の クロス カント リレ ー スの時 • ふと 細君に 會 つたので その 居所が 分った。 細君 は 芝の 幸 子と は 初め 

からの 友達で * 僕 等の 結婚 當時も 仲に 這 入って W 話 を やいて くれた 人 だから、 心配して 芝の 方へ 手 叙 

を やって 見たり、 高 橋 氏が 先月 上京の 節 芝の 方. V 訪!: して 様子 を 見て 來 たりして、 どうせ 一緒に ゐらー 

れな いのなら、 或條 件の もとに 早く 別れて しまったが よから うと 幸 子に 勸 めて、 その 話 を 僕に もす る 一 

やうに 引き受けて 來 たさう だ。 け ふ、 細君から 社へ 電話が かかり、 來て くれろ と 云 ふので 行って 0^ 

た。 全體 どうす ると 云 はれた ので、 この 前 川 手 氏が 幸 子から 聽 いて 來た條 件のう ち、 f< 百圓く れいと 一 

&田 B SS 五】 \ 



泡^ 仝 第 ^十二 卷 

云 ふの を 少し 妥協 屮1 來さへ すれば 承知す ると 俊 も 受け合った。 與 へる 金の 全額 を先づ 二百 圆と 定め • 

それ を 月賦な..、 また 多く 這 入った は それだけ 多くな りして、 段々 濟 ませる やうに と 一一-ふ ことにし 

て 話 を 遠ば せて K ふこと に 似んだ。 歸 つて 來 たら • 春陽 から m 信 力 ヮセで 六 十九 つ て 來 たさ 5 

だが、 その カヮセ を^も なく 失った と 云って 淸 子が おほさ わぎ をして ゐた。 然し これ は 何とか 方づく 

ことで あらう。 鬼に 角、 r 寢. 導」 に 對し て 総計 百 十四 ^ 受け取つ たか ら, 百 九十 枚め つたわけ だ。 

六 月 四日。 夜、 雨。 出社せ す。 珍ら しく 朝早く 起きて 郵便局へ 昨 口の カヮ セ紐 失手續 をし に 行つ 

た。 が、 カヮセ はせ 界 にも 盆 2 底に くっ付いて たの を 下女が 發 した。 歸 宅して" ぐ^に 這 入り、 そ 

れか」 崖」 の 序 (W 山 氏の 評 雷に 對 する 反 蹴) 七 枚 を 認めた。 それ を 秀才 文 a に 送る S め淸書 

して ゐ ると、 供樊 部の 主人が 来て、 露の 一群が 飛んで 來 たから • どうかして SK れ ろと 云った。 幸 ひ 

明いた 箱.: A 1 っ殘 つて ゐ たから、 それと ベ ー ルとを S 意して 行く と、 蜂 は 倶楽部の 庭から S ふ 隣の^ 

氏の 莛こー 了き • 釣り^の ぐるりに うぢ や うぢ やた かって ゐた。 先 づ王を 怖へ ようとし たが、 どうして 

も 發 見せられない。 子供が 棒で 投 つたと 云へば、 その 時う ち 殺された かも 知れない。 どうして 全部 を 

牧容 したら いい か 分らない ので, 慈 ごと そッ くり 箱に 入れて 持って 歸り • 北 川 氏へ クタ を 取りに 行く 

と、 北 川 氏が 一緒に やって 來 て-' 世話 をして 吳れ た。 窓 ごと 持って 來 たのが まだう ぶな 所以で • たと 

へ 王が 發 見せられ なくと も、 捥か何 かです くひ 取れば よかった のにと 云 はれた。 そして 茶 氏の 庭に ま 



だ殘 つて ゐる分 を、 憝を 持って行って、 また それに とまらせて 持ち 歸 つた。 王が ゐ るか 、ゐ ないか、 まだ 

分らない が、 これが 納まれば 第! 二の 蜂 箱が 出来る わけ だ。 第二の にた j: 蜜と 産卵との 澤山附 いた ワク 

を 1,?, ま 力 出し、 跡へ は 薪ら しい ワク を 入れ、 取り出した ワクから 蜂 を ふり 拂 つて、 それ を 第 三 號の箱 

の 中心とし、 左右に 新ら しい ワク を 各々 一 侗 づっ附 けて やった。 中心 ワクの 巢の はみ出た の を 直す 爲 

め • ナイフで うら 表の 兩面 かち 少しづつ そぎ 取った 巣 を ふきんで しぼった」、 一 ポンドの 三分の ー强 

の 蜜 を 得た。 第二 箱の 一 ワクに 王臺が 1 っ出來 て- 旣に クラブの 主人に 群 を 見せた 時 • AJ わご ゎ康を 

さわって 見た その 様子が を かしかった。 旣にニ 曰 H だ。 兎に角- 第 一、 第二の 箱と も- 來た 時よりも 

二倍の 群に なった。 け ふ.' S めて 置いた ダリヤが 芽 を 出して、 もう、 五寸 ばかり 延びた。 板 園 ひに 添 

ふて 植 ゑた 朝顔の 苗 もけ ふの 雨で 大分 勢 ひが 附 くだらう。 北 川 氏 は 養蜂に 趣 を 持って る 細君 を 探し 

てゐ ると S つて ゐた。 氏の 外に、 大木 氏 來訪。 

六月 五日。 晴" 前 田 (夕) 氏と 野 依 氏と へ 同じ 原稿" よみうりから 問合せに 來 たこと へ 返事。 校正 を 

した。 川 手 氏より ハガキ あり、 いよいよ きの ふ 著作 權 侵害の 吿訴を 提出した さう だ。 けさ、 昨日の 蜂 

の殘黨 がま だ殘 つて ゐ ると 云 ふ 知らせが 來 たので • 憝を 持って行かせた。 夜 • 惑を取りに行ったが^- 

その 家が? m 守であった。 

六月 六日。 晴。 平野 氏より 手紙 U 松 永 氏が a ン ドンよ hs ショ, と ワイルドとの $:: 像ハ ガキ、 その他 

池 田 日 SS 五 111 



泡 鳴 仝 集 势 十二 卷 _i 

のき ハガキ を, て來 た。 第一 號 * 第二 號の蜂 箱 I の でこぼこに 出来た Q を 整理して やる 爲め 一 一一 

ワク だけた だ 上部の 蜜 蓋の ふくらみ 過ぎた ところ を 削った が * それで 蜜が 一 ボンドば かり 得られた。 

巢を 整理す る 時、 第一 號の王 蜂が 石の 上に ころがつ たが、 ^に 傷 をした やうで もなかった。 初めて 来- 

た 時から 見れば、 尻が 二倍 ほどに 肥えた。 多分 • 奧村 氏が 今年の 新 王 を 持って 來て くれたの であった 

らう。 第三 號の群 も 落ち 付いた やう だが、 巢 造りに 急がし いせいか • なかなか 荒い。 そして 入り 來る 

もの を 一 々誰 可して ゐた。 敵の 侵入した のを喻 へて 飛んだ のが また 二回まで 見えた。 三ッ S ワク を 入 

れ たのが ニッ まで 大分 巢を 持へ た。 箱が 三 個に なった ので * まごつく あわて 者が W 來 たせいでも あら 

う、 第二 號の 人り 口に はけ ふ は 六 七 匹の 番兵が • 規則正しく • 同じ ほどの 通り 路を あけて 並んで- 

た。 王臺 はけ ふ 取り去った。 不慣れの 爲め、 意外の 時分 封され るの が 心配 だし • 分封 させても 花が 少 

くな つたから 强 盛になる まいとの ことで あるから • 北 川 氏 も、 もう 一日の 蜜の 採收 をと めた が * 本年, 

八 斗ば かり 取った さう だ。 某氏へ 行ったら • もう、 蜂の 殘黨 はねなかった" 王 を こちらへ 持って来た 

の だから、 もとの 巢へ 飛び 歸 つたの だら う。 

白 松 南山 氏の 「神になる 意志」 に 於け る 僕に 對 する 議論に 對し • その 反 馼を七 枚まで 書いた。 

六月 七 曰。 晴。 山 本, 森 田 氏より ハ ガキ。 耳 科醫へ 行く。 關氏、 吉岡 氏、 富 樫 氏が 訪問" 吉岡 氏へ 

蜜蜂 を 養って 見て はどう だと 云ったら、 氏が 家 根の 上で 熱心に そだてて ゐる朝 額の 大輪 を 花粉のば レ 



かいに よりす ベて 變り 物にして しまう の を 恐れる からと 斷 つた。 校正、 二百 二十 四 頁 迄" 野 依 氏の 事- 

業 振の 渉々 しいのに 感心す る。 「船 場の 1 隅より」 を 1 事資と 批評」 として、 前者の 哲學 的で あつたの 

を 改めて、 成るべく 當 時の 問題に 觸れろ ことにした。 

六月 八日。 小雨。 出社せ す。 校正 • 三百 二十 枚まで (但し、 二八 九 頁 11 三 〇 四 頁まで は來ら す。 > 

上司 氏より 手紙 • 並に その 返事。 前に 表 庭の 板壁に 添 ふて 根分けした 朝顔 を • また 极 分けして、 裏庭 

へ植 ゑた。 丁度 小雨が 降り出し たからで あ. る。 第 二番: E の 朝顔 種 をも播 いた。 玉 突、 二 時間。 

六月 九日。 雨。 增永 氏よ リ 手紙" 平野 氏より 手紙" 前 田 氏より ハ ガキ。 三 S: 三十 六 貝まで すべて 校 

了。 第ニ號の蜂群はまた王臺を^£へた* 而も 1 時に 七 個 だ。 第三 號の王 蜂が まだ 見付からな いが、 新, 

らしい 產 卵が 少し あるの は事實 だ。 

「神になる 意志の 不微- 政」 f 白 松 氏 を 反 殴す) 十四 枚 を 書き あげた。 その 中に 峰の 一 群 を 1 つの 肉體と 

見ての 譬喩 を 思 ひ 出した。 

六月 十日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 (カテテ ルは樂 に 這 入る が、 それ を 取った 跡 はま だ 直きに つまって し 

まう。) 校正 • 三百 五十二 頁まで。 坪內 博士より 手紙" 昨日の 原稿 を 早稻田 文學へ 送った。 相 馬 氏、 場 一 

永 氏へ ハ ガキ。 栈內 氏へ 手紙 (先日 關 氏の 話に 相 馬 氏が 東京 日々 を やめた さう だから • 松內 氏が 主に 

なって 僕の 入社 を 奔走して 貰 ふやう に 頼んだ。) 玉 突 I 時? T 遲く なって、 正宗, 森 田 • 織 田の 三畫 家. 

他 田 日記 五 五 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 3> 

來訪。 僕の 峰 群から 取った 蜜を溫 湯に とかして 御馳走と した。 

六月 十一 日 I 晴" 雷 車 定期 乘 J^. 切符へ 本人の 背 像 を寫眞 にして 出す ェ風 を、 大阪の 六 * 社に 交涉 し.. 

て 引受、 ァる つもりで • さきに ロンドンの wutcller& Sons ltd. camela House, Farringdon Avenue へ ダ 

ンヂ カム プレ, I ト (Dandycam Plate) を もッと n 由に 改造して 貰へ るか、 どうか を 問 ひ 合せ て た 

が、 け ふ、 その 返 一 祟が 清した。 が * あれ は あれ 以外に 改造の がない さう だ。 然し 冋 社の 寫】 臥 (器械 キ 

ャタ ログ を?; $1 る ことにな つて ゐ ると 書いて ある。 石 丸 氏より ハ ガキ。 政友會 代議士 會で西 園 寺 俟のゃ 

つた 演說が K に實 質の ない の を 惜しみ、 「^實 と 批評」 の 材料に 入れた。 夜. かじか を 聽 きに、 ^子と 

興: ぬの 一 方亭 まで 谷 合 を 歩いて 見た。 川の 流れが 急で ないから • かじかの 聲も よく 冴えない。 きの ふ 

もけ ふ も * 驟 外の {tij 地の 僅かな クロ ー パ ー に、 蜂が 二三 匹 働いて るの を兒 たが、 もう 蜜 源が 少く なつ 

て來 たやう だ。 第一 號の 箱が 餘り 一 曰 中日 光が 當 るので、 朝 だけ 當る やうに * 夜の 中に 向き を^ f 

た。 け ふ も 第三 號の箱 を 調べて W たが、 王 蜂が a 付からない。 それに 作る 巢の 形が 正 六角で あるの が 

本當 だのに、 心持ち 圆ぃ。 また、 最初に 第二 號 から 入れた、 ワクの 嚴蜜を 喰って る やう だ。 これら は 

王ぬ け 並に 逃走の 恐れ を 示め す。 產 卵が 少しば かり あっても、 王ぬ けの 時 は 働 蜂が 産む と聽 いて ゐ 

る。 I 

六月 十二 日。 晴。 出社せ す。 吉岡 氏が 投網 を 持って 來 たので、 猪 名 川 を 打ち歩いた。 そこ へ 北 川 氏 



が やって 來て、 第三 號の蜂 群が 逃走の 意志が あると 告げた。 が、 まさか, け ふ 直ぐと も 3ぬ はない から 

同氏 を もつれて 川 を 下った。 午後 三時 半 頃 川から 歸宅 すると、 それが 旣に 逃走した 跡であった。 淸 

子の 話に、 僕 等が 歸 宅の 一時間 ほど 前に、 蜂 群が ぞ ろり ぞ ろり と 箱 を 逃げ出し、 穴 二: 中に わんわん 云つ 

て 暫く 飛び まわり、 すべてが 出た の を 待って、 勢 揃への 勢 ひ 見事に 二三 度 うづ を 舞って から 飛んで 行 

ったさぅだ。 襄庭のぉ.^を飛びまゎる羽昔が臺所にゐてもょく聽ぇたさぅだ。 實は * 昨日 調べた 時、 産 

卵が 少し あつたと 思った のは娱 して 働 峰の 産んだ 雄蜂 卵で あつたの だ。 けさ も 第三 號を 調べた が、 ど 

う も 王が 見 常ら す、 且、 第二 號 箱から 取って 入れた ワクの 蜜が 殆ど 喰ひ盡 されて ゐ るので、 ひょっと 

すると 逃走す るつ もリ ではない かとまで 俊 も S 心 ひ 付いた。 それ をう ッ かりして ゐ たのが 落ち度 だ。 王 

峰 は 僕の. 心配し: てゐた 通り, 僕が この 群 を收容 する 前 某氏の 子供が 棒で 投 つた 時う ち 殺されて ゐ たの 

だ。 王がなければ" ゐ 付かな いのは 當り前 だ。 早く もッと 調べて、 新しい 王を與 へて やったら よかつ 

たのに。 逃げ 殘 りの 小 群 (多く は幼兒 だ) は、 北 川 氏が 即 坐の 合同 法を以 つて 第二 號 箱に 合同 させた 

ので 、同 箱 は 十一 ワクに なった。 今 王 臺が出 來てゐ るの を 1 つ 仕 立 あげて、 第二 號群を 分封 させて 見 

ようと 決心した 第】 號 箱の 向きが 面白くな いので、 昨夜 置き 直して 置いた が、 け ふ は、 その 蜂の. 出た 

のが 1 歸 りに は」 たび 元の 場所に 行き、 それから 箱へ 這 入った。 が、 働き振りに 異^はなかった。 峰 

が あたまから 白い 花粉 をつ けて 來 るの は、 栗の 花粉 かと 思った が、 何か雜 草の ださう だ。 

池 田 曰 Si 五 七 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 五八 

獵 して 來た 川魚 を 料理して、 吉岡氏 や 北 川 氏と 共に 飮ん だ爲 め、 午後 五 時から 日本 ホテルに ある ズ 

藝協會 よりの 招待へ 出席し なかった。 北 川 氏 や 淸チと 寳塚を 散歩して、 氷 を 飲んだ。 「發 展」 の 校正 本 

文 を 了す、 總計 四百 十四 頁。 

六月 十三 日。 晴。 野 依 氏へ ハ ガキ。 哲學雜 誌 到着。 淸子も 兼て 分封の 用意が 出来 かかって ゐ ると W ム 

つて ゐ たの は、 きの ふから 思 ひ 違 ひで あるの が 分った。 けさ、 加 藤氏が 来訪しての 話に、 一昨 も^ 

訪 したが 門が 締 つて ゐた —— これ は 下女が その 前夜、 飼犬の からだ を かいて ゐた 振動が 察 所 口の 戶に 

どんどん 當 つたの を 泥棒と 見て. 夜目 を 眠る ことが 出來 なかった ので、 特別な 寢坊 をした からで あるが 

— それが 爲 めに 引き返す ついでに、 吳服 神社の 境 內へ這 入って 見たら、 蜂が 群を成して ぶんぶん 云 

つて ゐ たと 報 齿 して くれた。 で、 また 收容 しょうかと 思 ひ ー緖に 行って 見る と、 群圍 ではなかった。 

太い 大きな 高い 援の木 か、 もち か、 何 かの 木の 高い 枝に 細い 花が 澤 山へ i< いて ゐる。 その 花を澤 山の 蜂 

が 飛び 渡って ゐて、 ぶんぶん 音 はして ゐ るが、 何分 高い ので どうす る こと も出來 ない。 一昨日 は 下の 

方で ぶんぶん 云って たと 云 ふの だから、 或は どこかの 分封 群であった のか も 知れない が、 それとも 

また 花粉 花 蜜 を 取りに 毎日 集つ て 來る蜂 かも 知れない。 もう" 山に 蜜柑の 花 もな くたり、 野に 野 薪 

薇、 クロ ー バ, -、 あざみの 花が 僅かに 殘 つてる 時節 だから、 僕の 峰 もこん な 木へ 來てゐ るの だら うと 

S つた。 が、 その 境內 に、 徑 三寸ば かりの 木で、 縱に 松の 幹の やうな 皺の 寄った、 皮の 堅さうな、 そ 



して 枝の 分れが 少ぃ、 そして 又つ くしの おばさんの 俗名 ある 杉茱の やうな 若芽 を 所々 萌え出して ゐる * 

のが ある。 その 幹の 低い ところに、 1 匹、 蜂が 迷って ゐ たの を 見る と、 日本 種のと は 遠 ひ、 尻が こけ 

て、 赤み を帶 びて ゐる のが 特異 點 であった。 何とか 云 ふ 大木に 寄って るの も それと 同じなら、 池 H の 

山手に、 布哇 から 歸 つた 詉訪と 云 ふ 養蜂: ¥ が 百 箱 も 赤い イタ リャ種 を 飼って る さう だから、 そこの 蜂- 

が 來てゐ るの かと も 思 はれた。 何分 高い ところに ゐ るので、 はッ きりと は 分らない。 

け ふ、 第一 號 箱へ ワク を 一 つ さし 入れた ので、 都せ 七 個 這 入った わけで、 小い 箱 は それで 一 杯 だ。 

第二 號 箱へ は 十一 ワク 這 入って ゐ るが、 一週間 ほど 前に 入れた ワクの-:^ 端に も 亦 一 つ の王臺 が出來 

て、 そこに やがて 王 蜂になる 小い うじが 輪の やうに 丸 まつ てるのが 見えた。 この 臺の 中には 滋養に 供 

する 蜜が 入れて ある やう だ。 つまり、 うじの 時 は 同じの だが、 王 臺に這 入って、 王になる 特^な 滋養. 

分を與 へられる ので、 女王が 產れ るの だ。 とに 角、 兩箱 とも、 狭くな つて 来たので、 蜂 は 箱の 襄 にく 

ッ 付いたり、 出入口に あふれ 出たり して ゐる) 

夜、 北 川 氏のと ころへ 行く と、 大變な ことがあ つたと 云 ふ。 何かと 思 ふと、 二 箱の 洋種のう ち、 四. 

五日 前から ツギ 箱 をした ァ ウス トリ ャ 種の 方が 意外に 早く 分封した が、 それ を 取り逃して しまったの 

だ。 T 度お 晝. 頃 分封して 庭の 杉の 木の 絶頂に とまった。 邦 種 は 何でも 梅の 木のう ろ や、 かけた 寬 など" 

の やうな 低い ところに とまるに 決って るが、 洋種 は 枝葉の 繁 つた 高い 場所 を 撰ぶ の だ。 それが 高い の 



泡^全^^ ^十二 卷 六 

で 困った が、 先 づ收容 する 箱の 盤现 をして から、 半ば 杉の 木 をの ぼり、 鋸を以 つて 蜂のと まった 枝の ■ 

根から そッ くり 切り取ら うとした。 が、 足が すべって 落ち かけた の を 乎で 斡に かかへ 付いた 勢 ひで、 

ゆらゆらと 木が ゆれた それと 同時に、 蜂 群 は {41 に 舞 ひあがり、 二三 度 輪に 飛び まわった 後、 どこか 

へ 見え なくなつ たさう だ。 僕が ただで 收容 したの を 無くした のと は逮 ひ、 三 四 +圆 を 棒に ふったと、 

氏は殘 念が つて ゐた。 ところが、 氏と^ 服 橋の 上まで 來た時 • 氏 は 氏の 友人に 出逢 ひ、 この 殘 念お 話 

したら、 ぢ ゃァ、 その 蜂 だら う、 少し 川上に ある お宮の 藪に 四 五 時間 前わん わん 云って たのが ある。 

信の 臂 かと 思って 仰ぎ見たら、 蜂の 群で あつたと、 その 友人が 告げた。 で、 明朝 見て 來 ようが、 多 

分もう 他へ 飛んだ だら う。 分封 は 一 般に 午前 十 時 ®、 遲 くも 正午までに する ものと しても、 午後 四時、 

頃まで は 同じ 所に ゐる もの だが、 どこか 刖 にいい 場所 を 見つける と、 その 顷 また 飛んで 行く の だと、 

北 川 氏 は 云った。 

六月 十四 曰。 晴" 出社せ す。 昨夜、 十 時 頃、 北 川 氏と 別れてから、 荒木 氏 を 鳥渡 訪ひ、 け ふの 網 打 

ちに 誘って 置いて、 歸 宅した。 文章 世界に 出た 中 村 星 湖 氏の 「描 寫の 意義」 に對 する 誤解 や 矛盾 を 指 

摘す る爲 め、 r 小說 表現の 四 階段」 十七 枚 半 を 誓き 終へ たの は、 午前 五 時であった。 それ を 投函して か 

ら寢に 就いた が、 九 時半 頃 吉岡氏 乘訪。 やがて 荒木 氏 も 來訪。 鳥渡 第二 號 蜂の 王臺を 見てから、 二 氏 

と淸 子と 僕と で 網打ちに 出た。 北 川 氏 を も 呼びに 行って 來 たが、 きの ふの 川 西のお i 呂の蜂 は 逃げた 奴、 



ではなくて、 そこの もちの 木へ 同氏の 箱から 蜜 を 取りに 行って るので あった さう だ。 して 見る と、 吳 

服 神社の も 僕の や、 他の が 働いて るので、 かの 大木 ももち の 木で あらう。 花粉 は 白い さう だ。 ぶんぶ 

ん 云って るの は 働いて るので、 分封 群のと まった の はおとな しくして ゐる さう だ。 

秀の 海と 云 ふ宮 相撲取りが 綢奵き かして 僕 等に ついて 來て" 一人で 網 を 打って 吳れ た。 け ふ は 川上 

へ 行った の だが、 纏が 打った 網の 中 を 水 眼鏡で 探して 乎 取お にす るの だから、 鮎が 三十 尾 も 取れた。 

而も 五六 寸 のがあった 。外に、 なま づがニ 尾と 澤 山の 鮒と 雜魚 だ。 途中から、 奥 村養綠 園の 主人 も 見 

に附 いて 來た。 家で 料理して 喰った の は、 口 岡、 荒木、 北 川の 三人 だ。 川で 柿の 資の 流れて ゐ るの 

を 手に 取って 見た が、 もう 小指の さきほどあった。 北 川 氏 は 第二 號 箱の 王 蜂の 羽根 を 切って れた、 

分封させる のに、 逋く 飛ぶ の を 避ける 爲 めだ。 王臺 の格恰 いいのが I つ、 け ふで 四日 目で ある さう 

だ。 第一 號箱を 僕が 調べて ゐ るの を 3- て、 纏 は 大分 巧 になって 來 ました、 な ァと 云って ゐた。 七 個 

の ワク は 多い ので。 一 つ だけ、 まだ 巢を 造って ゐ ない の を 取り除け た。 野 依 氏より r カキ。 r 發展」 の 

印稅 印紙 に 判 を 押して 送って くれ ろ とのこと。 同書の 序文 校正 ズ ミ 。 

六 n:: 十五 晴。 野伕氏ょ..^ハガキ、 書物の 體 裁と 定價 との 相談 だが、 體裁は 上下 を 裁ち、 表紙 は 

純白な のにた だ 書名と 著者の 名と を 入れ、 定價は 一回 以下 八十 五錢 以上で よから うと 返事した。 荒木 

氏、 神 崎 氏 來訪。 一昨日 服 神社で 見た 蜂の 働き を 再び 見に 行った が、 夕方であった 爲 めか、 ゐ ない 

^田 B 記 六 1 



泡^ fss ^十二 卷 ブー 

やうであった。 杉菜の やうな 芽 を 出して ゐる 木から、 その? k を に 摘んで 來 てこの 日記の £^ に 入 

れ-, こ。 (それ は 紛失して しまつ;: のか、 無くなって ゐる— 編者) 曾て 比 叙 山の 根本 中堂の 門內に 一本 植 

わって るの I たが、 その is らしい。 今夜 は If 明け 放った ので、 然し それでも 光が 蜂箱 の 

ri にきらない やうに 注意して ゐ たが、 二三 SI 氣の 光へ 迷って 來た。 耳 科醫へ 行った、 もう 大抵 

よくな つた やう だから、 次回に カテテ ル なしに i な氣が 耳內に 少しで も 這 入ったら、 最後の 手術と して 

鈹膜を 今 1 度 切って、 中の 水 を 出して 見ようと 醫 者が 云った。 

六月 十六 日。 大雨 風。 襲て 帝國 座の マ グダ をけ ふ 一緒に に 行く 約束 をして あつたので、 正午 頃 北 

1 で、. ミ^、 ,> 、リ 降っても 行く かどう かと 問 ふので、 け ふ は 日曜で も あるし、 たと へ 晴れても 行かな 

へこと にした。 そして 同氏の 知って ゐる識 訪末吉 氏の 經營 する 蜂 圓を訪 ふて 行った。 十 丁ば かり 山手の 

f"it 化と 云 ふところ にある。 大阪の 桃 谷から 四月に 移った とて、 まだ 家は假 小屋の やうな もの だ。 で 

も、 夫婦に 今年 女 擧校を 出た 一人の 娘と 講習 生數 名と がゐる 場所の 外に、 巢蜜 分離 室も^ 來てゐ て、 一 

asc^ 地而に 七十 餘 箱の 蜂 群 を 並べて ある。 すべ ャ外國 種で、 イタ リャ種 は 王 蜂が 全身 茶色が かった 

赤、 S 峰が 黑ぃ 尻に 赤が まじり、 白色 はない。 働 峰 はまた 尻の 前半 は 赤色に 黑の 筋が 入り、 後半 は黑 

色に 白 筋が ついて ゐて、 都合 八 段の 變化 になって ゐるリ 雨風の せいか、 この 日 は 峰が 勢 ひが.^、 かつ 

. で。 が、 ついこ ザった 僕の 洋犬 1 小儈」 と 云 ふの が、 箱の そばに 行って 尾 を 振る ので 蜂 をお だてた 爲 



め、 からだ 中 を さされて、 そこら あたり を驅け まわった の は を かしかった。 つぎ 箱 をした 1 群に 王 蜂 

が 卿って、 二王に なって ゐ るの を: s?. たが、 辦 りたての 新 王が 他の 王臺を かみ 崩して ゐ たの は、 自分が 

その 群の 主權を 握らん 爲め、 競举者 を 生れさせな いつもり ださう だ。 

同阖の そばに は 栗の 木が 多い。 今に 花を晚 かう とする その 芽の 二 三寸 延びた のが 澤山 ついて ゐる。 

栗の 花粉 も 白い が" 白い と 云って 必ら すし も 蜂の 取って 來 たの を それと 判斷 する こと は出來 にくい や 

うだ。 赤い の を ゲン ゲ だと 思って ゐて も、 何か洋 草の が ある さう だリ ィ ボタの 花が 今 は 野に 多い。 雛訪 

氏 は 大阪の 砂 川 辯 護士の 失敗 を 話して ゐた。 市中なら 家 根の 上で 飼 ふの だが > どうした 拍子 か、 分封 

の 折り 出た 王 蜂が ゐ なくなり、 その 一 群が 統轄 を 失 ひ • ちりぢり ばらばらに 迷って 行って、 あちらの 床 

屋* こちらの 煙草屋へ 這入り込み、 娘の 子に 飛びつ いたり、 七十 歳の 老婆 を 刺したり した。 砂 溏屋は 

蜂に 持って 來 いだから、 澤山 つれ 立って 行って、 ぶんぶん、 ぶんぶん 云 ふので、 午後 半日 を 客が 避け 

て來 なかった。 そんな ことで 蜂の 尻が すべても とに 返って 来て、 同 辯 護 士は! 丁 以內の 家々 へ 五圓宛 

の 損害 要 金 を 出した さう だ。 王の 羽根 を 切って 置けば 遠くへ 逃げない が、 それ もよ し惡 しで、 澤 山の 

群 を 持って る圚 では、 その 出た 群が 王の ゐな いの を自覺 すると 元の 箱に 返るべき を、 あわてて 他の 箱 

へ 行って、 ぉほ騷 ぎの 結 菜、 五合 や 一升の 死體が 直きに ころがって しまう とのこと。 

ハルピン にある 菜會 社の 支, S 長が 養蜂 を やって 見たい とて、 夫婦で 見物に 來てゐ たが、 夕方麋 等 並 

池 田 日 記 六 111 



ii 第 十二 卷 

に 僕 等 は 共に 同 園 を? g した。 識訪氏 は 僕に 附ぃ て來 て、 ilSS* の クラブで Kn の對で 四^: 土 突 を やった 

が、 僕が 三!^ 勝った。 それから、 *^^^戰はせ、 氏が 三 HEiJ いて、 二度 共 僕が 負けた。 

今^は 不成躜 であった と 云 つて ゐ たが、 それでも &を 一 一十 樽 ( 一 博 一 一十 貫 宛) を;^ つ たさう だ。 

歸 宅したら、 谷 崎 氏から 键 報が 來てゐ て、 大阪の 某所へ 直ぐ 米い とあった が、 時 問が 連かった ので 

そのまま にした。 

六月 十七 日。 隋。 谷 崎 氏 を そ の 宿に 訪ひ、 午後 五 時 ま で 話し、 それ か ら刖れ て マ グダ を: ^に:;: つ 

た。 うち 合せ をして あつたので、. 淸子も 北 川 氏 も 來てゐ た。 正宗 氏 も 來てゐ た。 マ グダ は £り 泣き 過 

ぎる と 思った が、 須磨 子の 藝は觅 に 角 段々 進歩して 行く らしい。 土 肥 氏の? 父 も 可 なれ だが、 どうも 

臭いと ころがあった。 一 2、 儀 氏の ケラ ー も それが 缺^ だ。 as 々木 氏の 牧師が 一 菥素 M で、 芝居 をして ゐ 

ない ところが よかった。 そして 一般 觀容は 芝居 をして ゐろ ところ を 上手 だと か、 氣が 合って ろと か 云 

ひ • それと ffi 反 對に僕 等が 望む 舞!! 上の 自然主義 を 守って る 行き方お 間がぬ けて ると 云 ふの だ。 氣の 

靡 だと HI 時に、 それで は 自然 的な 藝の發 達しよう がない。 け ふ、 下女 をして 北 川 氏から 蜂 箱 を 一 つ 偕 

りて 來 させた。 蜂が 日光に 當 つて 黄色の 透明に 见 えたの は、 何 a のかと 思ったら、 日本 蜂が 蜜 を澤山 

取つ て 腹 を ふくらせ てゐ るの だ 

六月 十八 日" ®. 平野 氏 • 吉岡 氏より ハ ガキ。 西 本 氏より ハガキ と共に 復活の 「趣味」 を 送り 来た】 



る 柊 内 氏より 乎 紙 あり、 頻りに 運動して ゐ るが 東京 日々 へ 僕の 這 入る 相談が はか 取らない とのこと 

だ。 耳 科醫へ 行く。 髙橋 夫人より ハガキ あ^、 來 て吳れ とのこと だから 行って 見る と • 幸 子が 東京 か 

^來 てゐ た。 かの 女との 離綠 問題の ことで だが、 向 ふ も 僕と は 六 年も會 はない の だから、 もう 尋常に 

あきらめて 出て ゐる らしい とのこと。 幸 子に はわ ざと 直接に 面會 せす、 主人の 高撟 氏と 契約 を 定め 

た。 1、 兩人は |£ 綠 する こと。 二、 僕の 所有の 家 を 幸 子に やる こと。 コー、 三人の 子供のう ち • 富 美 子 

と 馨とを 幸 子の 養子 女に し、 e: 雄 を. こちらの 嫡子と する こと。 四、 離緣の 手緩き はこ ちらが 先 づ鱟百 

圓を與 へた 時 を 以て 行 ふこと。 五 • 幸 子に 五 百 圓を與 "ふること- 但し 手 鑌を實 行した 翌月から 殘金 H 

百 同 を 毎月 拾 M 宛支拂 ふこと。 僕の 目下の あて は、 川 手 氏に 依賴 した 訴訟の 勝利に よ つて 取れる 金 

を、 その 方に 入れる より 外にない の だ > 富 美 子の 編んだ 毛絲の 肱つ きを 高 橋 夫人から 受け取って 來 

た。 色女に 肱つ きを 貰った その 喜び を殘 して ゐ たの もつ ぃ此 間の こと だと 思 ふのに、 早 や 娘から そ I 

か K ふ 時代に なった。 ァラ ビヤ ゴムの ついた 丸い レッテル 紙 を 買って 來て、 r 發展」 初版 一 千 部 (五 枚 

はな ほ餘 分と して" 分の 印 を 押した。 

けさ, ^ニ號 C 箱から 人工 分封 を やって 見た。 王臺が れも 成熟して さきが 赤くな つて 來 たから、 

もう 分封し ザ もい いだら うと 思 ひ、 現在の 王の ついた ワク を刖な 箱に 移し * その 前後に 蜜の 多い ワク 

を 各々 !個づ つ 入れ、 更らに {t^; ワク を 二 個 加へ て 三 號の蜂 群を糾 織して やった。 夜- 歸宅 する のが 

池 田 日記. 六 五 



li ^十二 卷 

邋 かった ので、 その 結 £ 水 はま だ 分らない。 

六 十九 日。 暗。 出社せ す。 野 依 氏から 三百 五十二 頁までの スリ 上り 來 たる。 印税 印紙 を 小包に し 

て野駕 へ m した • 同氏 並に 川 手 氏へ 手紙。 長 谷川 氏へ S キ。 けさ 起きて 璧號の 管 見て ゐても 

一向に 蜂が SI て f いので • みん, Is 箱へ 歸り でもした のかと 心配した。 が、 f 明けて 见 ると、 

さう でな く、 矢張り、 頻りに 足 をつな ぎ 合 はせ て 寸法 を 取りながら • 新ら しい m を裕 へて ゐる。 コッ 

プに 半分 r かり 蜜 を 盛り、 それ をひッ くり 返して 入り口に 伏せて 置く と、 うぢ や うぢ や 出て 來て、 自 

然と? S 蜜 I つて ゐたレ 第 一號は 今 産卵が 盛んだ が、 第二 號 (王の 移されない 前から) と 望 

と は 魔 3?.J の义態 だ。 それでも、 うじに なった の は 大分つ いて ゐる。 第二 號 のから 王 棗 をき の ふ 

ニ侗 切り取つ たの を 試に 又く ッ つけて 置いた が、 1 方の はさきの 赤い ところ からくり 拔 かれて 働 蜂が 

中 を 掃除して ゐた。 多分 切り取った 時, 中のう じ をいた めた ので、 それ を 知った 蜂が やり直す つもり 

なった の だら う。 

夕方、 北 川 氏を訪 ふ。 洋種が 黄い ろい 月見草の 花粉 を 長く 曳 いて 歸 つて 來 るの を 見た。 ァ ウス トリ 

ャ 並に 口 シャ稷 の 働 蜂 は 尻の 横筋が 黑白 もしくは 赤の 七 段に 數 へられる が • さきの 黑 色の 部分が いづ 

れも邦 種よりも 多く、 七ッ 目に 至って、 ァ ウス トリ ャは黑 に ぼけ、 口 シャは 薄い 赤 茶色に ぼけて & 

る。 ィ ボタの 蜜 を 一 杯つ めた ワク 一 枚 を わざわざ 取りの けて あった • 肺病 者に 喰 はせ ると 藥 だと 云つ 



て 。 . 

六月 廿日。 曇リ 夜、 少し 雨。 出社せ す。 耳 科醫へ 行く。 高 橋 氏から また 來て 畏れとの ハガ 午が 來たー 

ので 行って 見る と、 一 昨日の 契約 を 訂正す る 必要が あると 云 ふ。 第二の 家屋 贈 與の個 條を抵 當價凝 

九 fc 五 拾 圓で寶 り 渡した 體 にした こと。 第 四 項の fi 百 圓を壹 百 五拾圓 にし • その 金 を 高 橋 氏に 立て 替ー 

へて 貰 ひ、 . 即金 拂 ひに した こと。 そして 第 六 項 を 加へ て 金錢の 授受 はすべ て 高 橋 氏 を 通して 正 實に實 一 

行す る こと。 この 三 件が 謇き 直しの 理由であった。 高 橋 氏に 對 して は • 別に 壹百五 拾圓の 借用 證書; 

(年利 I 割の こと) を誊 いた。 もう、 離婚 届の 形式 さへ 分れば いいので ある。 歸 宅したら、 午後 九 時で 一 

あつたが、 呼んで あった 神 崎 氏が 待って ゐた。 平野 氏から 依賴の 皮革 相場 を 毎日 もしくは 隔日に 取^ 一 

ベ、 それ を 朝鮮へ 報告す る ことが 出来れば、 相當の 報酬が 取れる から、 やつ て 見よ とすす めて やつ 一 

.*do 長 谷川 氏へ また ハガキ を 出した。 一 

第二 號の峰 群 を 調べて a たが、 まだ 王 蜂が 産れ さう. でない。 王臺 はすべ て 九日に 發 見した の だが、 一 

發 見した 時に 旣に 二日 經てゐ たと すれば、 明日 か 明後日 出る 箸! 5^。 然し まだ 臺の 色が 黑 みがかって 來ー 

ない。 一 

六月- 廿 一 日。 小雨。 上司 氏より 手紙 (時事 新報 社會 部長の 件 * 成立し なかった。) 僕の S 社中に、 下 一 

女が 蜂の 逃走 だと 云って * 第 一 號の入 リロ を 出る 蜂に 水 をぶ ッ かけた さう だ" 一時 逃走 を 防ぐ に は そ 一 

池 田 日 Si 六 七 一 



si ゆ-十二 -ダ 

れ でもい いが、 どの位 騷ぎ 出した の だと 聽 いて a ると、 二十 匹ぐ らゐ だと 云 ふ。 多分 氣浴 をし に^ 

たの を ひ 遠った の だら うが、 それにしても 午後 四時 顷とは * 時間が 遲 過ぎた。 と 云って, けさ、 調 

ベた のによ ると、 第一 號 箱に は 産卵 も澤 山あって、 逃 の 原因 はない 第二 號の 王襄 はま だお 

いま まだ。 梅雨期に も 雨が 餘り 降らない のが こちらの 土地の 取り柄 だ。 降っても じめじめせ t K き 

から ッ としてし まう。 雜 外の ク? パ 1 に 蜂が 働いて るの 直た が、 J? はない から ss な 

い。 颜訪 氏の なら、 赤 蜂ば かり 來る笞 だが、 赤い のと 黑 いのと 入り 雜 つて 働いて るの.^ - 見る と. 北 川 

氏の ァ ウス トリ ャ、 イタ リャ兩 種の 雜植の 群から 來 たの だら う。 ク. 11 パ ー は 花の 時期が 長く 且蜂 

が 少しの 花で も: のがさな いさう だ。 

六月 廿 二日。 雨が 少しあった。 淸子 と共に 認訪蜂 園を訪 ふ。 主人 は 守で あつたが、 氏の 赛 子に 

妻 を 紹介した。 往 きに 安政 年代の 力士 猪 名 川 (稻 川) の 墓 を 見. 復 りに ィ ボタの 花 を 取って 來た。 靡 中 

の 朝顔に 一 つび とつ 女 竹 を 立てて やったら • 八十 本 宛の 束が 三つ 入った。 竹屋 のお ゃぢが 朝顔 齊、 も だ 

と 云 ふので- @ として 珍ら しい 「き 黄花」 や ST 人が 一粒 S にも 寶 つてる と 云 ふ i^u g 入り 

雜 つたの を! 袋學. -て やった。 け ふ は 蜂 箱 を ゆ J けて 見なかった が、 第二 號 箱に 王臺が W 來 て以來 お 

蜂が 妙に f た。 一 i は どの 箱に も 殆ど 全 4 えたので、 i つぶしが ゐ なくなった あんで ゐ たの 

こ. • し 吃 i が 出. 米たら それの 交尾に 必要な ので、 ,n: 然に また 産れ て來 たの だら う。 それ もい いが、 お^ 



犯 限り どの 箱へ も 道 入って 行って、 蜜 を 喰 ふに は ffl つてし, よう。 が、 それ も 一時 "ことで 第二 號 Q 

王が W 來て 交尾 さへ うまく 濟 めば、 たださへ 花の ない 時期 を、 用の なくなつ たもの を 働 蜂が 生かして 

は 置かない の だ。 け ふ も 四時 頃签氣 浴 を やって ゐた。 きの ふ、 け ふ、 王が 生れない の を 見る と. * 分封 

させた の は 少し ¥ 過ぎ たやう だ。 十四日に 四日 H の王臺 もあった の だから、 それで勘^^して见ると、 

廿 五日に 出る の だら う。 

六月 廿 三日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 下女が 親類の 稻植ゑ 付けの 手傳 ひに 行った ので、 けさ、 七 時半に 

起床 リ 蜂の 働き を 見て ゐ ると、 旣に 出て 行った のが 花粉 をつ けて 賑やかに 歸 つて 來 たが • 第三 號の 

せう ぐ.? 

だ 妙 は 一 匹 も 出入りし ない。 蜜お 少し 入り口に 滴らして やったら 二三 匹 出て 來た。 小 群 だから 活動が 

鈍い の だら う。 午後 三^ 頃 社から 歸 つて 來て 見る と, それでも 少し-は 働いて 歸っ て來 r^, のを兑 受け 

どラ 

た。 第二 號の群 を 調べる と、 また 王臺 がー つ 口が 明いた。 働 蜂が ぶち 毀した のなら 橫 からか じった 跡 

が ある 笞だ さう だが、 十九 日に 發 見した の も 又 今 曰 の も、 さきの 赤かった ところ だけが くり 拔 けて ゐ 

るの だから、 ひよ ッ とすると、 旣に 王が 二 匹 出 浓てゐ るの かも 知れない。 臺 のさき が 黑む時 は 既に W 

る 時 ださう だから、 きの ふ黑ん だの かも 知广 ない。 生れ 立ての 王 はちよ こちよ こして なかなか 見つけ 

にく. S- さう だ。 

六月 廿 四日。 晴。 出社せ や。 午前 十 1 時、 樺の 中から 峰の さわいで るの が聽 えた。 そら、 ことおと 

池 田 B SS 六 九 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 

飛び起きた。 戶を 明けて a ると、 第二 號と 第三 號 との 蜂が 出て、 入り まじって i.- にわん わん 云って 

る。 人り 口 を 道 入って 行く のも澤 山あった が、 K 々離れて 行く の は 向 ふ 隣り の 楠 木 氏の 庭へ 下りた や 

うだから 行って 具る と、 そこの 家內 中が あれ あれと 驚いて ゐる ところであった。 庭の 石 S 籠に ザが ちつ 

いて ー园を 成して ゐた。 深い 茶碗 を 持って行って 箱の 中へ すく ひ 取って ゐる ところへ、 北 川 氏 もや ゥ 

て來 た。 きの ふから 疑問であった から、 同氏に 來て贳 .4 ことにして あつたの だ。 第三 號の 王が 入り口 

に 出て ゐ たから、 今 ひろって 置いた と 云 ふ。 では、 第三 號箱を 明けて 兒た時 * 草の 間に 二三 十 匹 群れ 

てゐ たの は 王 を 守って ゐ たの だら うと 氣が 付いた。 この 經過 はかう だ。 第二 號に は、 ^ して 十九 日に 

も、 廿 三日に も 王が 出た。 で、 サ 三日の 王の 仲間が 分封した。 その 騷ぎ につれ、 兼て 逃 去の 念が あつ 

た 第三 號 (僕 もさう 思って、 きの ふ 北 川 氏へ 行った の だが) のが 飛び出し たが、 王の 羽根 を 切って あ 

つたので、 逃走 群が 搏び 元へ おさまつ たの だ。 で、 結局、 第二 號 群から 第三 號は 人工的に、 第 四號は 

自然 的に 首尾よく 分封 出來 たわけ だ。 と 云って、 第 四 號の王 は 生れて け ふで 二三 日 だから、 交 爲がも 

しま だと すれば、 あす、 あさって のうちに その 考 へで 箱 を 出る だら う。 その 時、 無事に 歸 るか、 それ 

とも 雀 か 何 かに 喻 はれて しまう か、 それが まだ 確かで ない。 鬼に 角、 け ふ は どの 箱 を も 明けら.^ ない 

から、 そのまま にして置くの だ。 第 1 號 からう じの 潭 山つ いた ワク を 1 つ 出して 第四號 のに 入れて や 

つた。 第 一 號は^ ィ ボタの 蜜 を 取って 來る らしい、 そのに ほひが する。 



北 川 氏と 共に 花 s 敷に 行き、 午後 三時から 七 時まで 氏が 蜂 群 を 調べる の を 兒てゐ た。 十五 日間 ほう 

ッ たら かしてあった うちに、 王ぬ けが 二 箱 出 來てゐ た。 それに 各々 王臺 のつ いた ワク を與 へた。 黄い 

ろい 花粉 を 取って 來 るの は 栗の 花の ださう だ。 け ふ、 氏から 豫備の 箱 を また 一 っ惜 りて 歸 宅した。 

夜、 荒木 氏 來訪、 共に 寶 塚で 園藝を 商寶 にして ゐる長 井 氏へ 待 はれ、 御馳走に なった" 

六月 廿 五日。 暗。 きの ふ 花屋敷で 蜂に 目の 上 を さされた のが、 け ふ 起きて a たら 意外に 脹れて ゐ 

た。 見ッ ともないので、 出社せ す oi 大木 氏が 臺灣へ 行って 來 ると 云 ふ ハガキ をよ こした。 前 ffl (晁) 氏よ 

リハ ガキ。 け ふ、 第二 號の箱 を 調べたら、 新ら しい 王 を 一匹 發見 した。 ちょ かちよ かして 僕の 手の 上 

へ 這 ひあがった。 王臺 は五ッ 蓋が 明いて ゐ たから、 (明かない 一 つ は 切り取った) 1^ はな ほ 何 匹 か 出て 

ゐ るの かも 知れない。 産卵がない 上に、 蜜 を 殆ど 喰って しまって、 ワクが いづれ も輕 い。 また 逃走す 

る 恐れが ある。 コップに 蜜 を 伏せて 與 へた。 風が つよかった ので、 他の 箱 は 調べなかった。 

時計屋 並に 長 谷川. 氏へ ハガキ 長 井 (獎 面會 社の) を訪 ふ。 

六日 廿 六日。 雨。 目の i れに 氷を當 てて 寢てゐ るので 出社せ す。 西 本 氏へ 「養蜂 日記」 (上)、 野 依 

氏へ ハ ガキ。 第 一 號 箱から 産卵の 付いた ワク を 1 つ 取り、 第二 號 箱の 輕 いのと 入れ かへ て やった。 第 

四號 にも 新 王が 一 匹ゐ るの を發 見した。 また、 一新 王 は 第二 號 箱の 外に 投げ出されて 死んで ゐ. た。 第 

ニ號に は" 1 王より 外ゐ ない。 して 見る と、 なほ 他の 二 匹の 行く へが 分らない。 多分 無用 だから 殺さ 

ffi 田 日 記 セ 1 



泡 鳴 仝 集 m. 十二 卷 七 二 

れて しまったの だら う" け ふ は 四 箱と も 峰 はよ く 働いた j 

六月 廿 七日。 暗。 耳 科醫へ 行く。 目の 脹れ は 直った。 第三 號の蜂 群に は瘦 卵が 出來 出した が、 第二 

號、 IS 四號に はま だない。 神畸氏 來訪。 氏と 共に、 蜂が 月 草 を 取って 來 るの を 見て ゐた。 

六月 サ 八日。 晴." 川 手 氏より 返事の 手紙 (偽版 告訴の 件 は IS 々 檢 事局 に て 取調 巾、 家 M を i^M とす 

れば 千分の 二十 • 印紙 稅を 取られる こと、 嫡子 九 才を癡 する の は 絡對に 不可能、 女 P 主が 將姻 する に 

は癡 家す る を 得べ, -、 別に 相 績人を 定める 必要な きこと)。 ロンドンより 寫 露^ 錄、 第 i: 號の蜂 はま だ 

產卵を 初めす。 獎而會 社の 招待で 寳 稼の 菱 富へ 行った。 出社せ す。 

六月 廿 九日" 晴。 昨夜から 『忠孝 異論」 を 書かう と S わって ゐ たのが、 けさ、 午 前 二 時 過ぎ 目 を. - 

まして それが あたまに 働いて 眠られす • 爲 めに 三時に 床 を 出で、 襄 庭から 外出し, 猎名 川の 梗の木 や 

樫の 大木 堤の 上 を 行き 來 した。 雲雀の あがる 聲に 和して 川の 上 を 飛ぶ 千鳥の 膝が ち ちりと 聽 えた。 

霭 車の 鐵橋を 川 西へ 渡り、 川上の 方へ 四 五 丁の ぼり、 それから 歸途^ 服 橋 を 渡って 歸宅 する S に出俞 

つた もの は 堤 上で 何 かかつ いで 行く 老爺と、 川 西で 野に m て 行く 草 かり 婆ァ さんと であった。 S ニ號 

第四號 との 蜂 を a てから、 入湯と 食事と をす ませ, 「忠孝 S 歸」 を 書き初めた。 上總 氏へ^ 颜の 苗と 極 

と を やった。 小說 「發 展」 の S 本が 二 ッ出來 たからと * その 一冊 ケ來阪 巾の 野 俊 氏が 使を以 つて 社へ 

一部 届けて 來た。 i は 1 面と 付いて る。 早稻 出文蔡 社から 「神になる 意志の 不徹底」 に對 する 搞制 



八圆、 博 文 館より 「小說 表現の 四 段階」 に對 する 十 一圓 を 受取った。 今夜、 讓訪氏は細^;?並に娘を伴 

つて 來訪、 碁 を 四^ 打って、 僕 は 三番 負けつ づけた。 氏が 歧阜の 人が きの ふ來 ての 話 だと 云 ふのに、 

岐阜で はステ ー シ ヨンへ 下りる と 直ぐ 蜂に ぶち 當 るが、 車屋から 宿屋まで が擧 つて 種 蜂 星で、 それ も 

眞面 W な 養蜂家で なく、 m に 相場師の 如く 種を寶 買して 儲ける 手 合 だ。 蜂 を 本統に 養成す るので はな 

く、 庭へ 砂糖の 明 博 わ-出して くと、 その 中へ 人の 峰が 集まる、 それ を い S 加減な 時 に 蓋 をして 持ち 

退る、』 また、 昆蟲 を採鎮 する 袋で 飛び かふ 蜂 をす くひ 取る。 そんな ことが! u 當ー 圆に當 るさラ だ。 そ 

L て それに 王を與 へて 寶 るの だ。 蜂 はまた 粉 蜜の 取り 物に 窮 して 米屋の ぬか を 取り、 また 油 かす を 取 

る。 去年 岐阜に 起った 一揆の 原 SI がそれ ださう だ。 ,! 蜜 源 を 年の 順序で 數 へれば、 菜種が 初めで、 

それから ゲン ゲにク 111 'パ !•、 楔に は 蜜 も ある さう だが、 祧に 牡丹、 しゃくやく は 駄目。 それから 野 

パラ、 葡萄、 栗 * もちの 花、 月見草 等で、 のう ぜんか つら • 夾竹桃、 並に けしの 花 は 蜂に 害 あ 

り。 あやめ は 白の がいいが、 紫の はよ くない。 菊 は 野菊で、 多 瓣の花 はすべ て 蜜に 乏しい。 朝顔に は 

あっても、 深 過ぎて とどかぬ。 調訪 氏と 臾服痕 の 上まで 行って 別れ, たが、 4^川氏の ゃって^^る のに 

逢 ふと、 岐阜の 人が 來て 近處の 峰の 種 を この 一週間に 殆ど 無くなった ほど 贾ひ 取った と 語った。 

今夜、 伏 見から 十 K 歳の 小說 志願者が 誊 生に 置いて 畏れろ と わざわざ 尋ねて 來 たが、 條裕 はない と 

云って ことわつ た。 (七月 八日 に 訂正 あり) 

-池田 日 記 七ヨ 



泡 鳴 令: 第 m 十二 卷 セ 四- 

六月 卅曰。 晴" 出社せ す。 午前 九 時 • 第二 號と 第四號 との 峰 群 をお だてて 王の 交 S を 人工的に 促 

す爲 め、 蜜 を 並んだ ワクの 上に 千鳥 形に 垂らして やった。 これ は 昨夜 觀訪 氏から 聽 いた 通りに 覽 行し 

たの だが、 晝 後まで その 影響 は 見えなかった。 交尾 は 午前 十 時から 十! 時、 遲 くも 午までに 行 はれ 

なければ、 効がない さう だ。 蜂 箱が 蟻が つくので にえ 湯 を 浴せ て じた。 ス パルと 文章, 到箭。 新 

潮 社から 「審の 園」。 長 谷川より 返事" 痔疾 醫ぉ W 氏より 返^ (治療代 七圆 九十 五錢) 。高 橋 氏 へ ハガ 

キ。 神 崎 氏 來訪、 一泊。 

七月 一 曰。 晴。 平野 氏 へ ハ ガキ。 モザイク、 新潮 来たる。 第二 號箱を 調べ-たら、 産卵 を 初めて ゐ 

る。 第一 號のは 勿論、 第三 號 にも 産卵が 澤山 あるの を兒 届けた。 淸 子と 獎 面の 一 方亭へ 行った。 神 崎 

氏 I 泊。 

七月 二日。 風雨。 (夜 晴れた)。 神 崎 氏が 池 出の 舊 市街の 方へ 引越して 來た。 

七 S 二日。 晴。 野 依 氏へ ハ ガキ。 上總 氏より 秋 海 どう、 えぞ 菊, その他の 根 や 種 を 持って 來て くれ 

た。 早稻 田文擧 並に 中央 公論 來 たる。 第 四 號の蜂 も 産卵し 出した ので、 人工的 並に 自然 的 分封の 新 王 

は 共に 物に なった わけ だ。 

七月 四 曰。 晴。 松內、 上司、 白)、 1^5 宗 (得)、 靑 木、 武林、 若宮の 七 氏へ ハ ガキ。 出社せ す。. 

寳 嫁へ 行く。 



七月 五 曰。 暗。 耳 科醫へ 行き、 再び 鼓膜 を 切った。 生 田 (葵) 氏より ハ ガキ。 1 短繁」 並に 「人生と 表 

現」 來 たる。 蜂 群 はすべ て 産卵して ゐ るが、 その 卵 を 解す だけの 花粉が この頃 取れる かどう か 疑問 

だ。 諷訪 氏より 使 あり、 明日 人工的に 蜂 王 を 持へ る試驗 を^せる とのこと。 

七月 六:::。 暗。 前 田 (晁) 氏へ ハ ガキ。 野 依 氏へ ハ ガキ。 青木 氏より ハガキ 。神 崎 氏 を 伴 ひ、 誠訪 氏 

を訪 ひ、 蜂 王の 人工的 製造 法を敎 へて 貰った。 先づ 人工 王 臺に寶 際の 王臺 (これ は 1 昨日から 故意に 

作らせて あった さう だ) 中の ジェリィ を 取って 入れて 置き、 その上へ 働 蜂 房の 玉子が うじに なって 一 

日 目 位の を 取って 載せる の だ。 うじ は 働 蜂の も 女王の も變リ はない が、 王 裏に 於て 働 蜂のと 遠った 食 

物、 ち、 ジェリィ を吸收 する ので 王と なって 生れる ので ある。 小い 交尾 箱の 中に 養 はれて ゐる未 孕 

王 を も 見せて 貰った。 自然の 王臺を 臨時に 造らせよ うとす るに は、 王 を ちょっと 脫 いで 置けば 容易な 

こと ださう だ。 また、 花の 盛りに 蜜ば かり を 充分 得ようと する にも、 殘酷 なやう だが、 王を脫 いて 置 

く。 すると、 產 孵がない から、 その 方に 費す 勞カ をも收 蜜に 用ゐ させる ことが 出來 る。 王が ゐ なけれ 

ば、 却って 逃走の 恐れがない さう だから、 さきに 僕のと ころの. 收容 峰が 逃げた の も、 王脫 けの 故で は 

ない らしい。 王が ゐて、 そこに 落ち 付く 氣が なかった から、 却って 逃走 を 急がせた わけ だ。 無 王の 群 

は、 どうせ 逃げても うまく 行けない の を 知って るから、 自然の 全滅 を 待って るかの 如く、 その 箱 を 1 

匹になる まで 固守す る さう だ。 

池 田 B 記 *r 



泡鳴佥 i が 十二 卷 七 六 

同 圚で繫 飯 を 御 馳定に なって から、 識訪 氏 は その 講習 生 四 名 を 率ゐて 僕の 綠 を n ルに來 た。 ところが、 

歸宅前 一時間の 頃 S 四號の 群が^ 宠 してし まった のを發 a した。 『また 蜂 が^げ ましたよ i と、 淸子は 

少しが ッ かりして ゐた e その 跡を兑 ると、 箱 は 水 だらけ だ。 逃走 を 中途から 防ぐ 爲 めに 水 をぶ ッ かけ 

たが、 もう 役ェ 立たなかった の だ。 原因 は箱內 がぁッ たか 過ぎた のと さなぎが 無くなつ たのと だ。 働 

蜂 はさな ぎに 愛着す るが、 玉子 ゃ旣に 密閉され た 房 兄に は餘り 執^し ないから である。 魔 卿が m 來た 

の をば かり 嬉しがって ゐ たの は、 僕の 不注意であった。 第 四 箱に 殘 つた ワク C うち、 二 個 は 新 S 就に 

包んで しま ひ、 一個 は 第三 號 箱の 殆ど 巢が 着いて ゐ ない ワクと 入れ t^.- へた。 且、 ^ー號 並に 第二 號巾 

の ワクの、 各々 一 侗づ つ、 上から 一 寸 五分 ほどのと ころから、 燒け棠 を 切り取って おった。 五 回康解 

に 使 はれた m は赤黑 くな つて、 蜂が それ を 役に立てない ばかりでなく、 蠟 蛾が^ を喻 ふやう になる。 

よしんば、 產 孵しても、 房が 狭くな つてる ので 生れた 峰の. 形が 小い さう だ。 そんなの を raB に 切り、 

また 七月 初旬に 取り、 更らに 九月 初 句に 取れば、 魔 卵 を獎綠 する ことにな つて" 來ギの 春までに は强 

群になる さう だ。 

同勢 は擧っ てまた 浪花 蜂 園の 洋種 を兑に 行った。 北 川 氏 は大阪 附近の 養蜂家 大會を やる 話が 持ち あ 

がって ゐる こと を 語って ゐた。 そこで 誠訪 氏の 一群と 別れ、 雄蜂 驅除器 を 一個 貰って 歸 宅した。 f か 二 

號 群に 蜜 を コップに 一杯 ほど 與へ、 各 箱の 上に 日光 を 避ける 爲 めの むしろ を かけて やった。 今や S 



花 は、 ま is 奥に は 丹 波 栗の が 盛り ださう だが、 この 近邊 では 過ぎて しまった。 白 あやめ、 蓮、 s、 

早い 蓼な どの 花が ある。 黄色の ジ ヤノ メの 花に 働いて ゐ たの を 北 川 氏 は 一 一 三日 前に 發 見した さう だ。 

け ふ、 切り取った I つの 巢の 上部 をし ぼって、 一 ポンドの 四 分の 一 ほど 蜜 を 得た が、 殆ど 全く 糖蜜 

であって、 蜂蜜の 味が しない。 岐阜 あたりの 蜂と は 違 ひ 砂糖 屋へ 行く 笞も ないから、 纏の 木の 若芽へ 

行く の だら うと 云 ふこと だ。 芽 その物に は 蜜 もない が、 何とか 云 ふ小蟲 がた かって 甘い 物 を 分泌して 

あるの を 取って 來 るので あらう。 

蜂の 酸は纖 酸の 一 種 ださう だが、 識訪氏 は 明確に 蜂 酸と 稱 して ゐる。 この 酸が 人 問のから だに 行き 

渡る と、 惡疫 に傳染 する 因 をな くして 吳れ るから、 米國 では 一 時試驗 的に 無料で 行って 兑た ことがあ 

ると 云 ふ。 結核 性の 人 は 非常に 痛が るが、 辛 棒して 蜂に 刺させて ゐ ると、 その 病 性 を 減す る ことが 出 

來る わけの よし。 リャゥ マチスに は 最もよ く 利き、 延びない 手が 延びる やうに なった 愛 例 も ある さう 

だ 

七月 七日。 風雨" 平野、 武林ニ 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 手紙 (原稿 依賴) 。耳 科醫へ 行って B び 鼓 

膜 を 切った。 新潮 社 並に 上司 氏へ ハ ガキ。 雜 外の ホワイト クロ, を拔き 取って来て、 澤山 庭の 屮 

に植 ゑ-た。 働 蜂の 生命 は 六 ヶ月より 十 ヶ月まで ださう だ。 で、 無 王 もしく ば產卵 不能 王で 六七ケ おも 

つづく と、 蜂 群 は 殆ど 全滅す るので ある。 去年の 末に 讀寶に 出た 服 部嘉香 氏の 「泡 鳴 氏に 酬 ふ」 を i$ 

^田 日記 fcb 



泡 鳴 仝 $s 第 十二 卷 七 八 

絞す る 詩論 十二 枚 を 書いた。 

七月 八日。 雨。 夜に 入って 雷 あり。 新潮 社へ きの ふの 原稿 を 送る。 社へ 來た 通信 中に 亡 國的養 峰 業 

と 云 ふの があった。 岐阜の 或 百姓が 無け なしの 全身 代 を 傾けて 蜂 群 を いくつか 買った ところ、 巡回し 

て 來たー 技師に 見て 貰って 到底 駄目な 蜂な の を 知り、 發 狂者と なった。 蜂 箱 を赞负 つて そこら 當りを 

歩き まわって ゐ たが、 つ ひに その 細君まで が 同じ やうな こと をす る やうに なった と 云 ふこと が 一例と 

して 出て ゐた。 -. 發展」 の 初版 一 千 部の 印税 一 百圓を 受け取った 通知 を 野 依 氏へ 出した。 北 川 氏 來訪、 

同氏と 柳澤 とい ふ K 布 工場の 管理者 (初 會) に 從ひ淸 荒神の 梅 里で 晩餐 を 共に した。 

蜂に 對 する 花の 順序 は、 一 二月に 川柳の 花から 初 まり、 分封に 活氣を そへ る 梅の 花 は 四月 中旬まで 

つづく。 梅に ついで 單瓣の © が ぁリ、 桃が あり、 ゆすら 梅, ハ ダン キヤウ、 ス モモ、 梨 等。 で、 牡丹 

しゃくやく は 駄目。 草花で は、 ス ミレ、 クン ボボ。 菜種から ゲン ゲ。 それから 蜜拼、 その他の W 橘 類 

の 花。 同時 fc 柿、 ブ ドウ、 蜜拼の 花が 濟ん でから、 クは ー バ ー は先づ 赤の 種類、 それから ホワイトの 

だ。 それに、 牧草 一 切の 花。 それから、 モチの 木 並に ィ ボタの 花。 栗の 花 は 六月 一 杯で 終り。 のう ぜ 

ん かづら、 夾竹桃、 並に けし は 有害。 野 薔藻は 五月 末から あるが、 六月 末から 七月が 盛り。 無 花期と 

S ふ 七月に は 叉逮、 白 あやめ、 (紫の はよ くない)。 瓜の 花、 月見草、 ジ ヤノ メ、 ッ メグ サ、 菩提樹、 ダ 

リャ、 藤 等。 また、 野菊 (多瓣 はよ くない y それから、 よく 蜂が 行く 日 まわり 。朝顔 は あるが 問題に 



ならない。 それから 無 花の 時期 を 過ぎる と、 费麥の 花が 第 一 で、 秋 はハギ から 初って、 すべての 七草 一 

が あり、 琵琶の 木の 花を以 つて 一 年中の 終りと なる の だ。 一 

七月 九日 。 暗 (鳥渡 雨が 夕方 あ つ た)。 前 田 氏より ハ ガ キ 。新潮 本 月 號で水 野 葉 舟 氏 の 田 山 氏 作-. 妻」 に 一 

對 する 微細な 批評 を 見た が、 あんな 行き方 を 僕 等が 1 方に 待ち望んで ゐ たの だ。 具體 的に 行き届いて 一 

作^の 落ち度 や 長所 (この 方 は 大した もので ない) をよ く 示め して ゐる。 野 依 氏より 「發 展」 ブ咨 を! 

届ナ來 たる。 大木 氏より ハ ガキ。 リ ヨウ マチの 氣 味が 兼て あるので、 きの ふ、 北 川 氏の 所で 洋種の 蜂 一 

に 左の 二の 腕 を 刺させて 見た が、 直ぐ 間もなく 酒 を飮ん だので、 け ふ は 手首の 根まで も 脹れて ゐる。 一 

氣 分が 惡ぃ。 夜, 富士 市と いふ 料理屋から、 誡訪、 北 川、 並に 前 川と いふ 別た 養蜂家が 呼びに 來 たの: 

で、 行って 見た。 組合 を 設ける 相談であった らしい が、 前 川と いふ 人が 何 か 感情 を 害した のでお じ や 一 

ん になった。 一 

七ョ 十日。 晴" 出社せ す。 蜂の 行勳を 見て ゐ たら、 蜂 取りの 名人と 云 ふ アブの 1 種の 大きな のが 蜂 一 

を喻 はへ て 石の 上に とまって るの. V 發 見した 。投 り!^ さう としたら 逃げて しまった。 また 來る だら うと 一 

思った から 注意して ゐ ると、 一 時 ほど して 與- してやつ て 來て第 I 號 箱の 上の 檜の 木の 枝に とまつ 一 

た。 棒 を 持って 三た びぶち のめした が當ら ないで 逃げて しまった。 家の 峰に また 右の 腕ケ 刺させた。 一 

け ふ は 珍ら しい 程 熱かった ので どこか 凉 しい 所へ 出かけようかと 思って ゐ たのに、 淸 子は獨 りで 出て 一 

池 田 日記 セ九ー 



泡 鳴 4a5 第 十二 卷 八 〇 

行った。 變な女 だと 思って、 僕 は S に箕 面に 行き、 一 方亭で 一 眠りして ビ ー ルを飮 んで歸 つた。 夜- 

北川氏が呼びに^^て、 柳澤 氏を淸 荒神に 訪ひ、 それから 寳 稼へ 行って 玉 突 を やった" 



八 11 

泡 鳴 4s 第 十二^ 



七月 十 一 曰。 III 蜂 II 謹して i 、別 

儀む 

:、 : 、ト, 二 (、nr..-w 口 はせ て やった 。け ふ • 兩 腕 を 各 一匹 宛 f せ7 

國 I の lii" JHt".iH 付いた が、 S HI 

七月 主 曰。 晴。 耳 (P つた 1 の MP た rgliil ゆく 

て 張る こと を Iff に 行った。 クラブ si 氏が 子供のお 誕 る"? 

祝 ひ I かれた。 第一 ii 奮つ i 門の 外に は" K ド 

HH 第二 It 二き tiif I 神裏訪 I 



七月 十三 日。 蒸し 熱く、 少し 雨 あり。 出社せ す。 二 匹の 峰に 腕の 關節を ささせた。 小 林 氏を訪 ふ、 

留守 C. 發展」 とその 原稿と を 届けた) 。新潮 社より 原稿 を 退して 来て 別な の をと 云 ふの だが、 間に合 ひ 

さう でない ので 今回 は斷 つた。 が、 九月 號の 小說と 十月 號の 論文と を 引き受けた。 返った 原稿 は 秀才 

文壇へ 送った。 

七月 十四日。 晴。 正宗 (得) 氏より ハ ガキ。 吉岡 氏が 川 獵に來 ると 云 ふので 北 川 氏 も來て 待って ゐた 

が, 風が 强 いので 来なかった。 で • 北 川 氏 並に 淸 子と 諫訪 氏を訪 ふ。 先日 僕が おそ はって 製造した 王 

峰が 二つのう ち I つ は 成功した の を 見た。 夕方、 同氏 並に その 家族 も I 緖に 町へ 下り、 興訪 氏と 僕と 

は 玉突き を やって るう ちに • 北 川 氏 並に 女 連は淨 璃會 から 歸 つて 來て、 また 一 緖に贅 遊亭の スシを 

喰 ひに 行った。 午前 二 時 頃に なった から、 北 川 氏の 宅で 夜 を 明かしてから 別れる ことにした。 

七月 十五 日。 晴。 午前 四時 • 淸子 と共に 歸宅。 蜂 は その 時旣に 働きに 出て ねた。 第一 號箱を 初め、 

他の 箱の も • ばらばらと la てゐて 面白い ほど 出入り をして ゐ た。 近 重 博士が 僕の 駁論 を讀ん だと n:^ 

え、 ハガキ をよ こし • 僕の 作詩 上の 著書 を 知らせて くれろ とあった ので、 返事 出した。 生 田 (長江) 

氏から 手紙が あり、 「發 展」 を讀ん だので、 僕の 思索 家と して 又 詩人と しての 評論 を ま 3 くと 云って 來 

た。 上司 氏へ 手紙 • 新報の 編輯 長と して 來 ないかと 云って やった。 新潮 社より 「獄中記」 

七月 十六 日。 晴 。出社せ や。 淸子 と共に 神 戸へ 行き、 荒木 郁子 氏 並に 增田氏 を訪ひ • 共に 須磨ゃ 舞 

繽池田 日記 八 111 



泡 鳴 第 第 十二 卷 , 

手に 遊び、 飾 戶へ歸 つて 一泊。 1 

七月 十七 日。 暗。 布引の 瀧 を 見た。 午後 五 時 S 歸宅。 秋 江 氏より ハガキ と 原稿。 北 川 • f マ. i 二 ^3 

七月 十八 日。 晴。 朝 • 蠅 取り アブ を また 一 匹铺 へて 殺した。 出社、 耳 科醫へ 行く。 夕方, 戮 訪氏來 

訪 * クラブで 玉 突 を やり • また 十二 I ぎまで 家で ず • それから 菊 水と いふ 藝靈へ 同氏と 僕 I 

人で 行き、 藝者三 名 を あげて 夜 あけまで 飮ん だ。 

七 g 十九 日。 晴。 午前 W 時半 歸宅 * 峰 を a ると まだ 出ない が, 二十 分 もしたら W 初めた まブ ^ 

つて 來 るの もあった。 が、 歸 つて 衆た の はこれ も 昨夜 歸 りそくね てけ さの 夜 あけ を 待つ てた の だら 

う。 出社。 近 ®r 佐々 木 • 德田 (秋 江), 前 田 (夕) 氏より ハ ガキ。 上司 氏より 返事 (新報へ 來る こと は 

いや だと 云 ふ )o. 高 橋 氏を訪 ふ。 爾訪 氏より 網の 概面 布と 給 蜜 器と を 貰った。 奧村氏 來訪。 今夜. 書齋 

に 這 入った 蝇 取り アブー 一 匹 を 殺す。 

七月 二十 曰。 晴。 木 村 (信) 氏へ 手紙 前 田 (晃) • 佐 i 小 * 長 谷川 三 氏へ ハ ガキ。 iss (夕) 氏へ 「詩 

歌」 へ C 原稿 を 送る。 天皇陛下 御 不例の 號 外が 來た。 西 本 氏へ 「養蜂 曰 記」 の 下 (一 一十一 一枚)。 川 手 氏よ 

り 手紙 (訴訟の, 西 村は關 係な ささう だ )。 同氏へ 手紙 (紙型 を 使用 させた 點に 於て 無難 係な わけ は 

ない とのこと) 。上司 氏より 手紙 (三面 助手の 推薦 )。 ^畸氏 訪問。 加 藤氏 夫 舞 來訪。 出社せ す。 新潮に 



頼まれた * 說を 書き初めた。 „ 

七月せ 一 日。 晴。 出社せ す。 ザ ラメ を 四百 六十 匁 目に 水 を その 三分の 一 入れて 釜で 煑 立て、 蜜の 4^ 

りに 蜂 群へ 與 へる ことにした 。第! 號. * 第二 號の王 峰 もけ ふ 羽根 を 切って やった。 その 節- あやまつ 

て 第 一 ー號 王の 足 を 一 本 少し 切り落した 。雄蜂 驅除 器で 第 一 i 箱の 維 峰 を 一 一三 十 取り殺した。 第一 ー號、 

第三 號には 幼蟲も 少し は あるが、 第 一 號 箱に は 幼蟲が 殆ど 全くなかった。 唐 卵 は いづれ の 箱に も澤山 

ある。 け ふ は、 第二 號 群が 晝 日中 も 大分 働いて.. 薄 黄色の 花粉 (月見草の ではない) を 持って 來た。 夜、 

神 崎 氏と 三人で 寶 凝へ 行った。 朝顔の 花が けさから さき 初めた。 

七月 廿ニ 曰。 雨。 耳 科醫へ 行く。. 生 田 (蝶) 氏 * 片上 氏より ハガ 午。 國民新 S 社より 手紙 (小 說の交 

渉に 對 する 返事 )。 第三 號群は 糖蜜 を 二杯喻 つてし まった が、 第一 號、 第二 號の群 は 喰って ゐ なかった 

ので、 多分 入れ物が 深. いので 惡ぃ のかと 思って、 それに 導く 爲 めに その 蜜 を 滴らして やったら • 段段 

と あり 付いて 來た。 蜜 を やった せいか • 第三 號の はけ ふ は 大分 活動した。 荒木 氏 * 尔訪。 

七月 廿 三日。 雨。 第 一 號。 第二 號の峰 も 糠 蜜 を 喰って あつたので * 三 箱と もまた 入れて やった。 

各 箱の 峰が すべてよ く 活動して ゐス. or 新 日本」 社から 世界 を逋 じての 偉人 を 問 ひ 合せに 來 たので、 左 

の 通お 答へ て やった。 

1 今上陛下 11 神と 云 ふ 物が 殺されて! まった 現代に 於て 神 を 入 間に 實 現し 得て、 それに 偾 する 

繽池田 日 SS 八; A 



泡 第 十二 卷 

だけの 大事 f 世界 に 逢しつつ ある 世界中で 陛下より 外にな からう と 思 はれます、 世界の 人 

人から I ルて も、 現代に 發展 して 行く 日本人の 袋 好 標本でしょう。 

一 ゴルト II その 主 ,權 威と は 決して 或 コンベンション を 1す* 凡 5 の 自己 その物 

から a てゐ る。 S 行動 は 進歩的 米 人 を 代表す ると 同時に、 進歩的 米 人は卞 5 ルト a 身と なって 

活動して ゐ る。 中年 大統領の 候補と して 勝敗 は 別に 關係 致しません。 

先づ 以上の 二者でしょう。 その 國で えらくて 而も その 國が 强大 なら • 世界的 人物です それ 以外に 

世界的と 云 ふの は 空想です。 實業 家の 力 ー ネギゃ ラジウム 發見 *^ などの 如き は 部分的な 人物で 偉人 

の數に 入れるべき ものでないでしょう。 又 • 黨者 ベルグ ソンな どを擧 げて來 ると、 If しての 

嘗身を も 引き合 ひに 出す 震 £ る や、 も 自信して きす。 以上 指定した 二 f I. 极本 S 

想 問題から 僕が 割り出した 答 辯です。 

七月 廿 明日。 晴。 耳 科醫へ 行き、 ブ,. ゼを 鼻から 中耳へ 通した まま、 ためしに、 拔 かないで 歸っ 

て來 た。 靑木 氏より ハ ガキ。 神畸氏 來訪。 靈號の 巢門は 半分まで 棒切れ を以 つて ふさいで あるが、 

その 棒切れ を 小石で 押さへ て ある 下にと がった 草の葉が 一本し かれて 居た。 それ を 番兵が 取りの けよ 

うとして 頻りに 喰 はへ て引ッ 張った が、 なかなか 取れない ばかり か • 却って 自分が 引ッ 張られて 草 

葉 を 食 は/たま 墓に ひらひらした。 それ を 他の 番兵 i が 加勢した が * 矢張り 取れる ずな かつ 



た。 で、 邪魔になる の だら うと 思って, 僕が 取りの ぞいて やった。 

七月 廿 五日。 夜、 雨。 け ふ • 第 一 號 箱の 前に 多くの 蜂が 死んで ゐた .., を發 見し、 その 數を あらま., 

し數 へて 見たら • 六 七十 匹に もの ぼった。 多分 • 一昨日の 大雨に 出た のが 巣 門の そばまで 歸 つて、 這 

入らない うちに 倒れた の だ。 今夜、 識訪 氏が 來訪 したので この こと を 話す と、 橡を 置いて やらない か 

ら だと 說 明した。 出社せ す。 この頃、 蜂の 取って来る 花粉 は • 月見草の べたべたした 黄色 をの ぞいて 

は、 白い のと 黄色のと よごれた やうに 濁って 見える のとの 三種 だ。 よごれた やうな は クロ ー バ 1.、 

黄色の は风、 L 白の は ダリヤ 並に 朝顔の だら う。 

七月 廿 六日。 晴 Q 耳 科醫へ 行き、 ブ ー ゼを 通した まま 歸 つて 來た。 蜂 箱の 入り口へ すべて 橡 をつ 

けて やった。 箱內を 調べたら • すべて 蜜が 多くた く は へられ、 幼 蟲も出 來てゐ る。 花粉 は 今 割合に 多 

く 取れる らしい- ク バ.' 月見草の 外に 胡瓜、 茄子、 南 蓮, ジ ヤノ メ 等が ある。 第二 號の端 

の ワクが 一 つ 蜂が 付かす, 產卵も 蜜 もない ので 取り出したら > 上半 は蠟 蛾に おかされて ゐる やうで あ 

つた。 內藤 C 鏆; 束) 氏" 千 葉 氏より 手紙, 森 田 氏より ハ ガキ。 毎日の 奥 村 氏へ ハ ガキ。 

七月 廿 七日。 夜、 雨。 森 氏へ ハ ガキ。 出社せ す。 識訪蜂 園を訪 ふ。 詉訪 氏に 昨日の 藥を 持って行 

つて 見せたら、 蠟蛾 にお かされた ので はなく、 最も 古くな つた やけ 巢だ。 ワクとの くッ 付き 目に こな 

の やうに ぼろ ぼ. りした のが あるの は、 充分 熟さない 蠟の まま 巢 をく ッ つけた 結粱 ださう だ。 命 數の自 

續&ロ 日記 八セ 



泡 鳴 集 第 十二 卷 八 A 

然に盡 きる 蜂 は 巢門を ころころと ころがって 出て 來て、 草の 中を巢 より ざ かる 方へ、 方へ と U 的 も 

なく 歩く。 水 をぶ ッ かけて 見ても * また 棠 門に 入れて やっても、 もう • 本很 はしない。 そして 草の 中 

で 死んで しまう。 それに 引きが へる は ひどい 害 敵 だ。 これまで にも 見付け 次第 殺して ゐ たが • 今夕 • 

大雨と 共に 大きな のが 出て 來て • 第 一 號 箱の 橡を 半ば 這 ひあが.^、 巢 門に 出て ゐる蜂 を ぺろぺ ろ、 ベ 

ろべ ろと 吸 ひ 取って ゐ るの を 發 した。 直ぐぶ ち 殺した が * かう して 百 匹 や 二百 匹の 蜂 を^ ふの は 何 

でもない 暇の もの ださう だ 雨の ふり 出す 前であった、 石竹 や 芽ば えの 金 仙 花の 問の 草 をぬ いて やつ 

たが * 數日前 さした ダリヤの ぢ くが 四 本つ いたらし い。 パラの 方 は 一 本 だけ は 大分に 弗 を ふいて 來 

た 

七月 廿 八日。 晴。 出社せ す。 奧村 (正) 氏 來訪、 一泊。 

七月 廿 九日。 晴。 德田 (江) 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 「森」、 東雲 堂より 「染物 店」。 岡 村 氏 來訪。 奥 

村 氏, i$ 歸阪。 

七月 卅日。 朝、 さ アツと 雨が あった。 その 前であった、 午前 五 時 頃、 號 外の It がした から 飛び起き 

ると、 茶して 御 崩御の ことであった。 朝顔の t; いたう ちで • 紫 を 白に 洗 ひお とした やうな 色の が カネ 

四寸 あった。 紫宸殿 は それより 少し 小い が、 例の 濃い 紫色に 金粉 を ふりかけ たやうな 艷が 如何にも 面 

fi^o 耳 科醫へ 行く。 社へ 行って、 年號が 「大正」 と變 るの を 知った。 け ふ 1 大阪 研究の 最初の 結 



なる 小說 「ぼんち」 (四十 九 枚) を脫 稿した。 

- 大正 元年 七月 卅 j 日。 晴。 出社せ す。 加 藤氏に 託して、 社へ 「偉人と して の 先帝」 とい ふ 原 

稿 を 届けた。 別な 短篇 小說を 書き初めた。 飼犬の 頸輪 並に 鎖 を 買って 來た。 實業之 世界 並に 秀ネ 文壇 

來 たる。 夕方より 雨 あり。 

八月 一 日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 中央 公論 来たる。 奧村氏 • 荷物 を 持って 來 た。 同氏の 借りる 家 を 見 

に 行った 時 * i 至 町 は づれの 月見草の 多くあった ところ を 調べて 見た が、 もう、 その 花が 少 くな つた。 

八月 二日。 晴 「詩歌」 來 たる。 柳澤 氏を訪 ひ、 夕方から 同氏 並に 北 川 氏 を猎名 川に ボ ー トを 漕い 

だ。 鳳仙花が うちの 庭に 澤 山^き 出した が、 この 花に も 蜂が 行く の を 見た と 北 川 氏が 云った。 その 花 

粉 は fi い。 

八月 三日。 晴。 耳 科醫へ 行った が、 中耳が はれて る やう だから * ブ ー ゼを 通さな か つた • 佐々 木 

(大) 氏より ハ ガキ。 西 本 氏より 手紙。 ス バル、 新潮 來 たる。 「得ち やん」 (三十 八 枚) を 書き終る。 

八月 四日。 晴。 「モザイク」 來 たる。 田 中 (王 堂) 氏よ リハ ガキ。 第一 號の蜂 群の 幼蟲が 全くな く、 ま 

た 産卵が 少 いので、 第二 號 群から 半ば 巢の 出来た ワクに 幼蟲の 付いた の を 入れて、 蜜ば かりの ワクと 

代へ. ことした。 夜、 淸 子と 寳 稼 散歩。 

八月 五日。 晴。 耳 科醫へ 行った が、 中耳が まだ はれて ゐ たので そのまま にした。 「早稻 田 文擧」 (「巡 

繽池田 日記 八 九 



泡 鳴 t<ii 雄 第 十二 卷 九 C 

茶 日記」 揭 載)、 「人生と 表現」、 並に 「短 檠」 來. たる。 けさ 第 一 號 群の ヮ ク の 背に, を 千鳥 形に 垂らし 

た。 奧村氏 • 舊 市街の 借家に 移る。 瀧 W 氏へ ハガキ 並に 「ぼんち」 の 原稿。 

八月 六日。 雨 あり。 夜 • 風。 出社せ す。 第一 號群 へけ さも 蜜 を 垂らして やった。 もよ く 働いて る 

の は 第三 號 群の やうに 見える。 庭の ク パ ー へ 來て、 蜜 袋に どす 黑ぃ 花粉 を 取って るの も 二三 匹 あ 

つたが、 皆 第三 號 箱へ 飛び 歸 つた。 吉岡 氏より ハ ガキ。 川 乎、 茅 原 (茂、 田 中 (王) 三 氏へ ハ ガキ。 新 

潮 社へ 「得ち やん」 の 原稿。 朝顔の 變り 物が 一 つ 初めて 暌 いたが、 瓣が 底まで 切れた 奴 だ。 夕方。 難 

訪 氏を訪 ふ。 途中で 見る と、 英蓉、 えぞ 菊、 野菊、 キビ 等の 花が ある。 雞頭は あれ ど、 餘り W か 行か 

ない さう だ。 

八月 七日。 曇。 第 一 號 群へ 上から また 蜜 を 垂らして やった。 巢 門の 方から 第一 一、 第三 目の ワクに 少 

し產 卵が ある。 夜、 北 川 氏 來訪。 

八月 八日。 晴。 士ロ岡 氏 來訪. - 北 川 氏と も 猪 名 川 を 網打ちし たが、 鮎 五十八 尾、 そのうちに は カネ 尺 

六寸の もあった し、 外に 雜魚 七十 尾。 夜、 新報 社の 會議。 早稻 田文擧 社より 原稿料 一 一十 一 圆 六十 錢 

吉岡 氏、 菊 十 1 株を植 ゑて くれた。 川で、 け ふ、 かじか を 一 匹 捕へ た。 

八月., !。 晴。 出社せ す。 川 手、 內海 一 一氏より 芋 紙。 第 一 號蜂群 は 可な り 働く やうに なった が 念 

の爲 めに 給 蜜 をした。 池 田の 市街の 古道具屋で かじかの 入れ物 を 買った。 ^、 遲 くから 中 山の S 降り 



祭 を 見に 行った。 - 

八月 十日。 晴。 けさ、 黄色と あさ 黄と が ® この やうに 分れた 朝 額が 暌 いた。 大木 氏より ハ ガキ。 

高 橋 氏を訪 ひ、 幸 子との 離婚 届の 證人 になって 貰った。 川 手 氏へ 手管 書いた が、 これ も 同じ 證人を 

賴ん だ。 第二 號峰 群へ 給 蜜 をした。 i ご、..^ 

八, 曰。 (曰) 晴。 出社?。 奧村氏 SI ひだと 云って、 導 二人と 神 崎 氏と I 氏 夫婦と 

が 御馳走に なった。 それから、 皆で 猪 名 川で ボ ー トを 浮べた。 夜、 田 中 氏を訪 ふ。 玉 突。 屮村 武) 氏 

より 九日 附 Q ハガキ 。「發 展」 の發寶 禁止 を 初めて 知る。 吉岡 氏へ ハ ガキ。 中 村 氏 並に 野 依 氏へ ハガ 

キ。 け ふ、 第三 號 群へ 給 蜜す。 第二 號に 幼蟲 がない ので、 第三 號の ワクと 入れ かへ て やった。 どの 箱 

にも、 もう、 雄峰 はゐ なくなった。 庭に は 朝 額と 石竹と 凰 仙 花と が 盛りに なって 來 たが、 その どちら 

へ も 蜂の 行って るの は 見ない。 

八月 十二 日。 晴。 耳 科醫へ 行った が、 なほ 脹れて るので 中止。 大木 氏より 手紙。 角 田 氏より ハガキ 

石橋の 近邊 でさる すべりの 花が 盛んに 暌 いてる ところが ある。 かじか は 雄が 鳴き、 雌 は 鳴かない 雌 

は 少しから だが 大きい さう だから、 一昨日 取った の は 鳴かない 方の らしい。 獎 面に 行って、 雄 を 一 ffi^ 

買って 來た (十五 錢)。 

八月 十三 日。 晴。 猎名 川で 取った 方の はか じかで ないか も 知れない。 これ は 背が 穢く 普通の かひる. 

鑌 * 田 日記 J ノ 一 



泡 鳴仝錯 ^十 II 卷 九 二 

の やうな 紋が あるに 反し、 獎 面で 買った の は 白みが かって、 身が 透きと ほって ゐ る。 からだ も 少し 小 

い。 生きた 蠅を やる と、 直ぐ 飛び付く ほど 馴れて ゐる。 け ふ、 庭の 鳳仙花へ 蜂の 行って たの を a た。 

『文 藝 の發寶 禁止に 關 する 建白書」、 總现 大臣 西 圚寺候 並に e 務大 e 原 敬に 呈す るの を 各 々 八 枚 書い 

た 

八月 十四日。 晴。 出社せ す。 西 圍寺侯 並に 原 氏へ 建白書、 そして その 寫し を讀 寶と圃 民と に。 巾 村 

(武) 氏より ハ ガキ。 本日 上京した 笞の角 m 氏へ ハ ガキ。 クラブの 元 世話人の 話で、 四 升ば かり も ある 

峰 群が 家の 軒へ ぶらさが つたの をけ ふ 捕へ た 人が 舊巿 街に ある さう だ。 様子 を聽 くと 洋 Si らしい。 持 

ち 主が 分らないなら、 こちらで 買っても いいと 云って 置いた。 

八月 十五 日。 晴。 EE 社せ す。 淸子 と共に 吉岡 氏を訪 ひ、 氏の 培養す る 朝 額 を 見た。 去年の よりも 二 

三種 變 つた 大輪が あった。 それから、 浪花 座に 南極 探 險隐の 撮 映した 活動 寫眞を 見た が、 寫 は: を 取る 

方針が 小い 主我 的に 偏して ゐて、 研究 的 思考が あつたと は 丸で 受け取れない。 補 遣と して シ ヤクルト 

ンの 取った の を 見せた が、 その 方が 餘 ほど 頭 腦の いい 人が 取った ことが 直ぐに 分った。 新報 編 に對 

する 意見書 を 書いた。 

八月 十六 日。 晴。 一 昨日 收容 したと 云 ふ 蜂 群 を 見に 行ったら * とまった 軒の そばの 家极の 上に、 米 

匿、 だ,^ ら、 ^瞎を さ,^ さまに してんれ て 置いた ので、 けさまで ゐ たが、 逸げ てし まって、 一匹 もゐ な, 



かった。 そ 近 處の本 養 寺で 飼って ゐ たのであった らしい。 十 個ば かり あるの が蠟 S かついて る さう 

だから、 それで 逃 ゆ 出す の だら う。 

八月 十七 日。 晴。 若宮 氏へ 手紙。 出社せ す。 け ふ、 珍ら しく 散文詩 を 作った。 「カンナの 赤い 1 輸」 

(四十 行) だ。 これ を 文章 世界に 送った。 大阪 並に 池 田 は 東京より 暑い やう だ。 九十 二三 度を越え たこ 

とがない。 蜂 も 暑い の だら う、 井戸端へ 澤山 飛で 來て、 水 を 飲んで 行く。 今夕 庭へ 水 をまい たら、 そ 

れを飮 みに 來てゐ た。 

八月 十八 日。 晴。 出社せ す。 川 手 氏より ハガキ (先日の 離婚 届 は 不完全 だし、 本人が 出頭せ ねば E 

役所で 受け付け ぬと 云って 來 た)。 吉岡 氏が 植 ゑた 菊へ 油 かす を やった。 

八月 十九 日。 晴。 讀寶 新聞社へ 送った 公開 狀- (建白書) が歸 つて 來 たので、 東京 朝日へ 送った。 そこ 

か國民 かの どちら かが 褐戟 する だら うと 思 ふ。 

八月 廿日。 晴。 出社せ す。 大掃除。 かじかが きの ふか. 1 鳴き 初めた さう だが、 け ふ も 亦 二度 鳴い 

た。 いつのまにか 第二 號の も黑 みを帶 びて 來て、 第一 號の と见 わけが つか なくなった。 入れて ある 石 

の 色に 同化して 行く らしい。 

八月 廿 一日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 國民 新聞から も 建白書の 原稿が 返って 來 たが、 東京 朝日 は 電報 

をよ こ し、 「ゥチ (內容 ) バ カリ 1 ダン グライナ ラノ セル ゲン コゥァ ラタ メテオ クレア サヒ」 とあった の 

繽&田 B K 九 H 



泡 鳴仝鎮 ^十二 卷 プ 

で、 返却の 原稿に 中 唇 を 多くして 再び 郵送した。 若宮 氏より 返事。 

八月 廿 二日。 隋。 若宮 氏 並に 野 依 氏へ ハ ガキ。 

八月せ 三日。 夜、 雨。 

八月 廿 四日。 雨。 束 京から 持って 來た 三角 棚と 同じ やうに 紐み 立てる ことが 出來る 四角 棚 を (二 

圆 八十 錢) 賈 つてき の ふ 四 段に 洋害を 組み込ん だが、 まだまだ 整理 出來 ない ので、 八百屋 からさ. りめ 

ん 箱と りんご 箱 十二 個 を 持って 來 させた が、 まだ 半分し か 這 入り 切らない。 殘本を 書 齋の疊 の 上に a 

ベた ままに して 置いたら、 ゆ ふべ の 大風 雨で 明い 格子窓の 紙が すべて 破れ、 それから 這 入った 雨です 

ベ S れて しまった。 そ Q まま かわかして ある。 また、 第三 號の 蜂の 箱が 倒れて ゐ たが、 幸 ひに 蜂 は 

通げ すに ゐた。 哲學 曾から ハガ キ。 洲 本の 井關の 老婆 (九十 才を 越えて る だら う) が 死んだ 通知 カ來 

た。 今夜、 五月 山の 大文字が 點 火せられ た。 

八月 廿 五日。 暗。 昨日の 東京 朝日に 建白書が 褐 載せられた。 

文藝 の 發寶 禁止 に 關す る 建 S 書 

総理大臣 西 園 寺 侯爵 閣下 並に 內務 大臣 原 敬 閣下 

非禮を 顧みす、 玆に文 藝に關 する 政治的 取扱 方に 就き 些か 貴意 を 得たい 事が 出來 たので 有ます (中 

.5 こ,^ てま fci は,?^ して 一 K 人の 考 へる 様た 閑文舉 では 夸 ません (中略) 



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印刷 製 逢. 



き 注 ま" f つ! 他人に^^てぉr«^めg錄A!sisた^>§^S^E,^^iにH,^i..しぉるsg所に一ぉぉせちるへ.^.eして其^t<SB^«aaaしヌuま拽 し ii 




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兩 閣下、 文藝的 作物の 發寶 禁止 は 眞摯な 文藝家 等に 取て 重大な 問題で 有ます 帝國 憲法に 於て 住居 信 、 

敎 並に 言論の 由が 保證 せられて ゐれば こそ 僕 等 は 安心して 當 局の 支配 を 受けて ゐ ますが この 保證 がー 

容易に 蹂躪 せられて は國民 は動搖 する に 決って ゐ ます (中略) 文 藝家等 は 全く 個々 の 行動 を 執って ゐまー 

す tl^, つて 當 局と 少しで も 意見が 違う と 直ぐ 或 法律に 違反 するとして 風俗 壌亂 若しくは 治安 妨害の 名に 一 

嵌められて 了 ひます 結局 團體的 武装の ない 個々 の文藝 家の 重大な 努力 も餘 りに 容易に 一 般的 法律の 春 一 

行に 遭って 了 ふので 有ます。 

第 一 この 點を 熟考して 貰 ひたいので 有ます 早い話が 僕の 今回 禁止に 遭った 小說 『發 展」 は 數年前 か: 

ら思ひ 付て 來て旣 に 出版せられ たの も ある 五部 作の 一 で此ー が缺 ける と 數年來 の 計畫が 完成 致し ませ 一 

ん f 中 &r ン文藝 に は 局外:^ たる 當 局の 人々 はよ くそん な 事 は 書かないでも、 もっと 面白い 事 若く は 光明: 

界の 事が 澤山 あるで はない かと 申される やうに 承って ゐ ますが、 眞摯 深刻な 文藝 になれば なる 程 人生 一 

の H; 相に 立 入る 物です から 何しても 表面的な 光明 や 面白味 丈で は 充分な 生命 を 握る 事 は 出来ない ので 一 

あります、 夫が 偶當局 者の 意見と 衝突す るので 有ます。 一 

此 衝突に 就ても (中略) 原因が 一 一種 あると 思 はれます 1 つ は K 版 物 其の物の 思想が 全く 衝突の 原因に: 

なる 場合です (中略) 然し 當局 者に 舊 思想 的 偏見が あって それが 爲 めに 正 當な新 思想 を 拘束す る樣 では 一 

文藝 家の 罪と は 云へ ない ので 有ます (中略) 叉 若し 無政府主義で はない 取に 社會 主義の 書なら Ki の 直 

藏池田 日記 九 冗 . 一 



ii 第 十二 卷 太 六 

由に 保護せられ ていい 物で それ を當局 者が 禁止す るの は 暴政の 誹 を 免れ 難い かと 思 はれます (巾 略)。 

今 一 つ は 部分的 字句 的 衝突であります 僕の も 之に 相 遠あります まい 此 場合に は當 局お の 命令が ぁリ 

さへ すれば aLi ぜは奢 者と 相談の 上 訂正す る 事が 出來 ます そして 著? めが 何しても 訂正し ない 様な 時に 

初めて 全然 發寶 禁止 をす るの が 穩當. な、 文明 的 處:. a かと 存じます 或 書の 如き は 一 ケ 所に 僅か 二三 言の 

不穩當 があった 爲 めに その 三 四百 H のきが 全體 禁止に なった と 承って ゐ ます s 面 ほな 文藝 家の 努力が 

そんな 風で 葬られる のは國 民の 損失で は 御座いま r まい か (中略) 初版の 寶殘り を 差 押へ て 雑誌なら 共 

場で 訂正 をさせる し、 書物なら: ハ分 を浚收 した 所で 第二 版 を 出させる 爲 めに 訂正 を 命じても いいので 

有ます 能 ラベく ば 「發 展」 からさう して 貰 ひたいので 有ます。 

承 はれば 近々 畏れ多くも 大赦 令が 降る さう で!? ますが 若し 兩 閣下に 願へ る 事なら 此際是 までに 過酷 

又は 正 當の爲 めに 發寶 禁止に なった 書の 解禁 若く ば 訂正 ffi 版の 件 を 奏上して 貰 ひたいので 有ます (以 

大正 元年 八月 十五 日 泡 鳴 岩 野美衞 

かじかが 二 匹と も 入れ物 を^げ 出して しまったとの ことで、 けさ 方々 を 探したら、 臺 所の 燃 木の 下 

に 一 匹だけゐるのを發2^3* それ を W ぴ 入れて 置いたら、 また 逃げ出して しまった。 逸げ さうな とこ 

ろ もない のに、 一 心に なれば 拔け 場所 を 見付ける ものと W ^える。 もラ, いやにな つた。 朝 額 も 1 昨日 



め鹰で 倒れた のが あるが、 それ も 起して やる 氣 にならない 。暑い ので、 ここ 數日は 何 をす る氣 もな 

い。 小說を 書き かけても、 筆が 進まない。 と 云って、 これまでに 九十 二度 を 上った 暑さの 日 はな かつ 

た。 井關 氏へ 香奐、 今回 三十 五 年 記念 をす る淡路 新聞社へ 依賴 により 寫露 並に 原稿。 け ふ、 仲間の 宴 

會を やる 下調べに、 獨 りで 寳 嫁の さきの 武 田尾溫 泉へ 行った。 川に 添った ところに 宿が あって、 なか 

なか 凉 しい 所お。 峰 は 三 箱と も 赤い 花粉 をつ けて 歸 つて 來る。 それが 又兩 方の 足に 峰の 首 ほど 大きく 

丸 まって ゐる。 洋 草の 花粉お らう。 

八月 廿 六日。 晴。 耳 科醫へ 行く。 離婚 届が 整はなかった ので また 印 を 高 橋 氏へ 貰 ひに 行った が、 留 

守 だから 證 いて 來た。 今回 は 芝 E 長に 宛てて 送り、 事務の 簡法を 尊べと 云って やった。 けさ、 四寸の 

紫宸殿が^ いたので 取って 置いた。 のべ ー ジ. % がそれ だ。 

この頃、 淸 子との 間が 何だか 圆 滑に 行かない ので、 つい、 言葉 を か はすこと が 少ぃ。 吉岡 氏へ ハガ 

年 

八月 廿 七日。 暗。 德田 氏より 電報 並に ハガ キ。 出社せ す。 淺田 氏へ 建白書 全文 (太陽の 雜報攔 へ 出 

して 置いて 貰 ふ爲め )o 今夜、 奧村 氏が 元藝 者であった 女 を つれて 來て、 神 崎 氏 を も 招いて おそくまで 

飮ん だ。 

八月 サ 八日。 晴。 川 乎、 上司、 識訪、 北 村、 千歳 樓へ ハ ガキ。 奧村 氏と 僕 等 二人と 贅嫁を 散歩した。 

鑌池田 B SS 九 七 



11 第 十二 卷 ゴ/ 

峰 群 を 調べて 見たら、 いづれ の 箱に も 磨 卵と 幼蟲 とが ある。 が、 貯 蜜に はすべ て 蓋が してない。 これ 

は 何 is する S 分らない ので、 陳訪 氏への ハガキ の 序に 問 ひ 合 はせ た 。庭 I に は どこ を 押して 

もこう ろぎ が 飛び出す。 蜂 箱にまで 這 入って ゐ る。 まだ、 谷 を 出ぬ 爲の やうに、 啼き K が 熟して ゐな、 

いのが 多い が、 晝,^ から 夜に かけて よく 啼 いて ゐ る。 その 聲に まじり、 逃げた かじかの 聲 もして ゐ 

る。 今 井 歌 子 氏から その 父の 訃を 知らせて 來た。 九州へ 歸 つた 平野 氏より ハ ガキ。 

八月 竹 九日。 晴。、 m 社せ す。 今 井 氏へ 香奠。 平野 氏へ ハ ガキ。 淸 子と 大阪に 出で、 夭 王 寺の 新 世 3^ 

を:: S た。 入江 氏より ハガ キ^に その 編 「英和 辭典」。 

八 月^日。 暗。 耳科醫 へ 行く。 博 文 館より 稿料 一 圆 丘十錢 (散文詩の)。 

八ョ化 一 口。 晴。 出社せ す。 北 川、 識訪ニ 氏を訪 ふ。 どす 赤の 花粉 は 南瓜の ださう だ。 今 は 获の花 

が 盛んだ。 蜜 illi を しないの は、 蜜が その 房に 一 杯に ならない からで、 つ まり、 野に 蜜 分が 不足な の 

だ。 ;詉訪 氏 は此? I から 熊蜂 退 じに かかって ゐて、 氏の 近處 中で 旣に棠 七 八 個、 千數百 匹の 大小 熊蜂 を 

燒き 殺し、 うち 殺した さう だ。 氏の 庭に 澤 山あった 交尾 箱の 群の、 未 姙王は 殺し、 小 群 はすべ て 大群 

に 合併して しまったので、 交尾 箱が しま はれた のみなら す、 普通 箱の 數も少 くな つた。 

どうも 夫婦の 屮が f が 立って 面白くない。 昨日な ど は、 ぃッそ 別々 になら うかと も 話し合った。 僕 

自身と しても、 この頃の やうに 仕事が 出來 ないで は、 乃ち、 自己の^^在现由が確かでなぃでは、 愛 も 



佝もぁ つ たも のでない C {Tn 已 の 存立 も 危ぃ賴 腐^ 態で 4= ^を, し て - ると ヨ の: S i.l^ li 遁さ失 

りつつ 愛情 的 言葉 や 熊 度を兑 せる ほど、 僕 は 不正直で はない の だ。 、 

九月 ! 日。 晴。 出社せ す。 奧村、 北 川、 淸子、 僕の 四 人が 武田 尾へ 行って 半日 を 暮らした。 若宮 氏、 

小川 氏より ハ ガキ。 

九月 二日。 晴。 早稻 W 文擧來 たる。 新報 社 を 退社す る ことにな つた。 现由 は、 俊が 東京から 來た時 

の 約束に 毎日 出社し ないでも いいと 云 ふこと があった が、 そんな こと は 云はなかった 笞 だと 社の 方が 

云 ふので — これ は旣に 一 一三 ヶ月 前からの 問題であった。 僕 は 毎日 出社して たった. 五十 圓の傣 給で は 

いや だと 云 ひ 張って ゐ たの だ。 今夜、 小 林 一 三 氏 を その 宅に 訪ひ、 轉宅 費と して 六十 を 借りる こと 

にした。 . 

九月 三日。 晴。 け ふ、 帝國 新聞の 改題した 大阪 H 々新聞社に 新 社長 吉弘 氏を訪 ひ、 東京から 寄稿す 

る ことにして 何とか 相談が 出來 ないか、 どうか を 話して 見た。 多分い いだら うが、 なほ 齋 藤氏に も 話 

して 匿け とのこと で、 日報 社へ 行き、 吊 花 氏に も吉弘 氏の 首 を 語った。 そこで 白 河 氏に 久し 根り で會 

つた。 それから 耳 科醫に 行った が、 どうも 鼻からの 道が 固くな. つて ふさがつ てるので ブ ー ゼが這 入ら 

ない。 當分 中止す る ことに 斷 念した。 新報 社へ 行って、 皆に 退社の 挨拶 をした。 社長に 頼んで あった 原 

內 相への 紹介 狀も出 來てゐ た。 これ は 建白書 事件で 會ふ爲 めの 紹介 だが、 きの ふ、 後藤 男爵に 引き合 

燎池田 日 S? 九九 



11 ^十二 卷 一 f 

はして くれる に 好都合の 人がない かと 尋ねたら、 十一月に 岩 下淸 周が 歸 るから、 あれから やつ 5 ふ 

やうに してやる と 答へ た。 僕 も 何だか 政-治 界へ 出た くな つて ゐ るので、 その 意 をう ち 明けた の だ 力 

政治の 資 際にぶ つかって 行く に は、 今のところ、 後藤と 政友會 との 間に 立って ゐる のがい いやう に m.- 

はれる。 歸 京したら、 誰れ からか 政友會 にも 接近す るつ もり だ。 

今夜、 原稿 を 書いて ると、 熊蜂が 二 匹 飛び込んで 來た。 察する ところ、 ゆ ふべ 小 林 氏の 納 家に 梨 を 

14 つた 8 の 犬 I 巢を退 じる 仕方 を敎 へて 置いた が、 その 通り 今 奏行 して、 やりそこなった 爲め、 

蜂が 散亂 して、 - そのうち のが ここへ も 逃げて 來 たの だら う。 1 

九月 四日。 夕方、 雨。 大阪 日々 社の 人が 來 たので、 その 人と 共に 同社へ 行って、 今回 編輯 長 を 引き 

受けた 上總 氏に 會ひ、 齋籐 氏へ 話した こと を また 話した。 同社の 社長の 口振り は、 きの ふの 檨子 では 

物に なり さう だから、 なほ 今日 相談 を 定めて 見ようと 云った。 德田秋 江 氏、 平野 一郎 氏より ハガキ 

井 脚、 西 田 利 三郞 二 氏より 手紙。 新潮、 詩歌 ニ雜 誌來 たる。 文章 世界 來 たる。 けさ、 早く 起きて 蜂の 

働き を 見て ゐ たが、 いづれ も 白い 花粉 を 取って 來る のが 多い。 

九月 五日。 雨。 平野、 德 m (秋 江) 二 氏へ ハ ガキ。 夜、 上總 氏の 宅を訪 ふたが、 入社が 八九分まで 出 

來 さうな や. うす だ。 

九弓 二 C 日。 夜、 雨。 新潮; U より 電報 か はせ で 二十 六圆。 上司 氏より 電報。 新潮 社 依賴の 論文 『批評 



の« 察-.. (四十 一 枚) を 書き終る。 西 ffl 氏 * 訪、 梅 軍の. 記者 もしくは 梅 軍 評論{ 源に なりたい と S ふ C 

の滋賀 縣にゐ た時敎 へた 中學 生で、 め § 軍 中尉 だが、 脊隨 病の 爲め 先月 休職に な, つた。 病氣は 先年から 

だが、 もう 直った こと は 直った も 同前 ださう だ。 

九月 七日。 曇: 大。 秋 海棠の 花が 喚き 出した。 新潮 社へ 昨日の 原稿。 

九月 八日。 雨。 上司 氏より 下目 黑に 家が ある こと を 云って よこした。 直ぐ 返 1* をして、 蜂 を 飼ふ餘 

地が あるなら、 手金 を 打って 貰 ふやう に 頼んだ。 け ふ、 蜂 群 を 調べて 見た が、 いづれ も 花粉、 

卵、 幼蟲が ある。 この頃に なると、 峰の 氣が 荒くなる と 見え、 どの 箱で も 開けたら 尻 を あげて 飛び 

かかって 來る 蜂が あった。 

九月 九日。 雨。 高 橋 縫 子 氏より 手紙。 その 返事 を 同! 1^ の 名で 八幡 町へ 出す (離婚 届が まだ 形式 上の 

不備が あるの だ)。 「再び 巾 村 氏に」 (十七 枚) を 書き終る。 

九月 十日。 晴。 早稻 H 文禱 社へ 昨日の 原稿。 寶塚を ぶらつく。 

九月 十 一 日。 晴。 詉訪 氏を訪 ふ。 來春 になって 洋種 一 箱 を 貰 ふこと にした。 蜜蠛ナ rt? 分拆 すると 

ころであった から、 その 方法 を 見て ゐ たが、 それから 同氏の 一勢 を つれて、 小 林 氏の 宅に 至り、 熊蜂 

の 巢を退 じ、 二百 十 匹 を 殺して しまった。 け ふ、 瞰訪蜂 園で 見て ゐ るのに、 熊蜂 は 蜜蜂 を巢 門から 出 

ると ころで 捕へ るが、 赤 蜂は嚴 I: へ歸 ると ころ を 捕へ る。 この 方が 機敏 だ。 夜、 池 田の 芝居へ 行つ 

鑌池田 日記 1 1 



it 第 十二お lo 二 

た" 

九月 十二 日。 晴。 小 林 氏に 電軌會 社で 會ひ、 約束の 六十 圓を 受け取った。 その 時の 話に、 氏 は は 

失 &な人 だと 云 ふ。 何かと 聽 くと、 きの ふ 熊蜂 を 退 じたが、 あれ は 幸の 祌 として 緣 喜がい いこと にレ 

てあつた の だ。 然し 退 じて しまったら 仕方ない がとの こと だ。 それ は此 間 の に 行き 遠 ひが あつたの 

だ。 毎日 社へ 行き、 關、 簿田、 ^達 三 氏に 會 つた。 それから、 住 吉に原 氏の §s 守 宅を訪 ひ、 火阪へ 

つて 吉岡、 並に 岡 村 氏を訪 ふ。 

九月 十三 日。 暗。 けさ、 新聞 を 見て ゐて、 夭 皇 陛下が 英國皇 御名 代コ ンノ ー ト 殿下 を 新橋に 迎へ 

られる 記 を讀 みながら、 知らす 知らす 先帝の 威容 を 想像して ゐ たが、 氣が 付く と、 新 ft 帝が 先帝の 

御 喪 镜參列 者 をお 迎 ひに 來てゐ られ るので あった。 また こんな 錯感が 起る ほど、 先帝 は a 分の 心に 近 

くゐ ますの だ。 まだ 歷 史上の 人と して 考へ るに は 近 過ぎる やう だ。 北 川 氏を訪 ひ、 歸京 後、 蜂|^贩ー5^ 

を 弟に やらせよう とする 手 i ぼき を 研究した。 夕^^ 蜂が 一匹 庭の 石竹に 働いて るの を:^ た。 

九月 十四日。 雨 あり。 昨夕、 先帝の 轜車 御行 進の 時刻に、 乃 木大將 がその 夫人と さし 遠へ て夠 死し 

たと 云 ふ 事覽を 報す る號外 を、 けさ 见た。 が、 要するに、 かうな つて 來て は、 お 芝 35 同樣、 寧ろ 沿稽 

だ e 二子 を も戰死 させた と 云 ふやうな ところから、 人生 を 悲観しての ことなら、 まだし もい い 場合 を 

得た と 云 ふに 止る が、 忠義の 意味 を 示め さう とする 殉死なら、 感服し ない。 痰 京に 歸 つてから やらう. 



とする 蜂蜜 贩賣の 説明 誓き 「蜂蜜の 說明」 もま 3 いて 見た。 弟と 淺田 とに 手 新-と ハ ガキ。 

九月 十五 曰。 曇。 Es 氏を訪 ひ、 峰 蜜 贩寶の 工合 をう ち 合 はせ て 見た 11 蜂蜜 原 便 一 ボ ン ドー 一十 四 

錢、 瓶 九錢、 レテル 四 枚 (表、 裏、 ネクタイ、 封 しん )1 錢ニ 厘、 ッメ賛 一 錢、 蜜のへ り ー錢ニ 厘、 

の 割れ (百 分の 三) 三 厘、 一 .{ ス箱 (上等 三十 錢、 下等】 一十 錢の 平均 一 一十 五錢、 それ を 十二に 割つ て ピ 1 

錢五 厘, 包装 費 八 厘、 運替 藝ハ 厘、 計 四十 四錢ニ 厘。 仕 入 一貫 ニ圆、 溶 器 代 (貫に 付き) K 錢 (へり 

等は兒 込んで)、?; g 貸 六錢、 計ニ圓 十一 錢。 おろし 寶ニ圓 五十 錢、 差 引 純利 三十 九錢 (百 斤、 十六 貫に 

付き、 純利 六圆 一 一十 四錢) 。小賣 若しくは おろし 一 ボンド 瓶 入 六十 五錢パ 以下 容器 代 は^) 百匆 以上 は 

百匁に 付き 匹 十八 錢、 一 貫目 以上 は 1 貫に 付き 四圆 五十 錢、 五貫目 以上 は 五 賞に 付き 一 一十 圆 (貫に 付 

き 四 圆)、 (以下 容器 無代)、 十 貫目 以上 は 十 貫目に 付き 三十 五圓 (貫 三圓 五十 錢)、 百 斤 (十六 贯) 以上 は 

百 斤に 付き 四十 圓 (貰 一 一圓 五十 錢)。 

北 川 氏 曰く、 『一 ポソ ド瓶入 ハ正球 百匁) 七十 錢、 百匁 六十 錢、 一 貧 三醒 五十 錢、 五 貫 Ha 貧に 付き 三 匪)、 

十 sm (一貫に 付 二 

入れ物、 チヱ リイの 瓶が 代理に よし、 (一升で 七 八 百匁)、 1 斗 入 (七 八 貫) は グリセリン 若しくは アル 

コ ー ルの 《仝. 鎩が よし、 三 斗 樽 (ふうたい、 二 貫 三百 匁) に 二十 貫以內 十七 八 貫入る (代、 八十 錢)、 一斗 

四 五升榑 (これ は 特別の 形) に 十二 貫入る (代、 七十 五 錢)、 1 斗 入 (ふうたい、 八百^) に 八 油 (代、 七 

攛池田 日記 10 三 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 一 CP 一 

十五錢)0レテルは鉗(ィンヂゴをまぜた)^3が綠蜜の色を引き立たせる0(蜜が六十鹿以下で氷ることを 

ビハインド レテルに 書き入れる こと )o 蜜の 分析 轉:^ i (ぶどう 糠) 七三、 水 二 四、 鲼 物れ 〇* 八、 その 一 

S の 有機物が ^ 部。 蜜の 色 は、 蜜 質の 上等のから 順序立て ると、 一、 類 白色 微黄 (ハゼ ウル シ」, 二、 J 

SKfe (ゲン ゲ)、 三、 純 黄色 (ミカ ン) • 四、 帶揭 黄色 (ソ パ、 タリ、 ゥリ )、E、 類^!色微货で水分の多ぃ 

の は (ナ タネ )o ソバ、 クリ、 ゥリの は 凍っても 色は變 はらない が、 他の はすべ て 白色と なる。 

北川^2曰く、『ミカソ淡^^色、 ゲソゲ 黄色 (氷っても 白 少し)、 ナ タネ 黄色に a み、 ^ち、 稱 色.』 

そして ー且 つたの が 暑熱で 自然に 溶鮮 する 時 • ハゼ ウル シと ゲン ゲ との は 半ばし か 溶けない 他 一 

はすべ て 溶けて 少し 酸味 を帶 ぶ。 いづれ も 日を經 るに 從 つて、 色が 濃くなる。 蜜の 需要、 工業で は モー 

ス リン 友 禪* 火藥 (グリセリンの 代りに)、 花火、 燻 物 (せんかう 等 )o 藥州 ではね り藥 (大木 五臓 M の 一 

如き )o 化 被 料 用で はお 白粉 下、 ねり ハミ ガキ、 しゃ ぼん。 蜂 印で ない B. ざん 葡萄酒。 西洋 葉 子、 ミル: 

クセ ー キ、 アイス クリ ー ム。 種 峰, 純粹 洋種:.^ 十圆 以上 八十 圆 * 雜種 十五 圓 以上 五十 圆、 日本 稷八圓 

以下 四圓 o( 藤 澤藥種 店 は 日本 橋;^ 本 町 四 丁目 )o 蜜 は 冬よりも 夏 分に 寶れが 多い が、 蜜 その物よりも 

あんす、 きんかん、 桃、 しゃう が 等の 蜜 づけの 方が 當分 寶れ 行く ものと 见 るべき だ 。(ついでに、 大雅 

堂の 蜂蜜 羊かん もよ からう)。 

やうかん 製法 ; 



白 あ づき。 かんてん,' 

水、 砂糖 (三分)、 

蜜 (七 分)、 - 

こげつか ないやう にして、 蜜 を まぜる が 必要。 

夏向きに は、 

、 、 、 

こ はく 糖、 

かんてんで 固める、 あ づきぬ き 也。 

九月 十六 日。 雨。 伏 a から 淺 田が やって 來 た。 正直 さうな 少年と 見て ゐ たから、 惠 域へ つれて 行く 

相談 をした の だ。 大木 綠 一 一氏、 庭 鳥 を 一 羽 持つ, だ來 たる。 

九月 十七 日。 雨。 上司 氏より ハ ガキ。 日々 へ 社長 を 訪ねたら、 明日 會は うと 一 K ふこと だ。 曰 報 社 

の齋 藤氏に 聽 けば、 日々 と 日報と 雨 方 を 書く ことにして 頼まれる やうに 定 つてる さう だ。 東京 朝日の 

松 崎 氏に 曰 報 社で 會 つた。 德田秋 江 氏、 毎 曰の!? 野 氏と 共に 來訪、 大分、 前と はから だ もよ くな つた. 

やうで、 感じが よかった。 他に 荒木、 奧村、 二 氏 も 一緒にな つて 話した。 桝本 氏より 芋統。 大木 氏, 

友人 を つれて 來訪、 夜 共に M 〈服 座に 氏の 藝を 見た。 

九月 十八 日。 晴。 日々 社に 行き、 吉弘 社長に 面會 したと ころ、 下阪す るに は 及ばない から、 原 を 

i®' 施 田 日 1〇 五 



鳴 仝 築 ^十二 卷 】〇 六 

書いて よこす ことに • 冗った。 その代り、 手當は 大した もので ない らしい。 バ兒 革が、 もう、 越ハ 牛の 用 

意に、 根から 大きな 葉 を 出して 來た。 鳳仙花 は 全く 花が 落ちて 資 ばかり だ。 カタ パミは 殆ど 全く 消え 

かかって ゐる。 朝顔の 花 は 段々 小くな つた。 

九月 十九 日。 晴。 奧村氏 來訪。 若宫 氏より ハガキ と 東京 魁 新 M と來 たり、 原稿の 依 g を 受けた の 

で、 書く と 返事した。 树本 氏へ 返事。 吉岡 氏へ 手紙 (僕に 忠告した 意味が 逮 つてる から、 それ を どう 

思 ふかと 云って やった)。 

九月 竹 口。 風。 諫訪 氏へ ハ ガキ。 吉岡 氏より 手紙。 淸子 と共に 和歌の 浦、 紀三 井寺へ 行った。 紀 

三 井寺 は 殆ど 兑す ぼらし ぃ場附 だが、 ^歌の 浦の 入り江 は 鳥渡 天の 橋 立に 似て、 靜 かな 感じ を與へ 

た。 外海の^ 岸 は 砂地が 狹 くて 濱寺 ほどの 廣さを 感じられない。 ^だ 機い 休息所の かみさん を 下女が 

『奥 さん』 と 呼んで ゐ たので 思 ひ 出した が、 紀 州で はすべ て さう 云 ふ 習 はし だと 會て 友人が 云って ゐ 

た 。「けれど.! と 云 ふの が 、「けれろ」 の やうに 聽 える。 あしべ 屋と云 ふ 旅館で 夕飯 を やった。 和歌 山 市 

はしみ ッ たれた 市 だ。 * 

九月 廿 一日。 夕方より 雨。 前 田 (S) 氏へ 文章 世界の 正誤。 け ふ、 熊峰の來襲を初めて2^付けた。 狹 

い 庭へ のッ そりと 六 七 匹 群を爲 して 飛んで 來 たの を 兑た時 は" バルチク 艦隊で もやって 來 たかの やう 

にお ッ とりと した 雄大の 氣に 打 たれた。 午後 一 一時 頃が 來 襲の 時 たと 聽ぃ てゐ たの は 如何にも 察 寶 



♦ た。 五 匹 を はたき 落して、 他の 再來を 待ち かまへ てゐ たが、 もう 姿 を 見せなかった。 

九月 廿 一 一日。 終日 雨。 疲れて 夕方より 寢 た。 

九月 廿 三日。 朝 雨め り、 午後より 晴 。「先帝 崩 1: の 暗示」 (三十 枚) を 食 曰き、 太陽に 送った。 いとこの 

鈴 木 花 子 死去の 知らせに 接し、 番奠を 送った。 

九月 卄 四日。 晴。 一 昨日よ, りの 大風 雨で 和歌 山、 淡路、 驟 等に 海 嘯と 大 出水と あり、 先日 行った 和 

歌の 浦の 宿 K など も 浸水 床上 四 五 尺に のぼった らしい。 東京より 電信 電話 不通、 大阪 郊外 も 三十 年來 

の 出水、 毛馬關 門に 於て 新 淀川と 大 川との 落差 二十 尺。 

* 日朝:: 十く 起きて 峰の 行動 を 見て ゐ たが、 ちょっと 目 を 放して ゐたラ ちに、 第二 號 箱の 外に 蜂が ま 

ごつ いて 地上に ちらばって 行く の を 見つけた。 また 强 敵の 來 襲が あつたの かと 思って ると、 その 巢門 

のと ころに 死んだ 大蜂 (熊蜂より は 少し 小い) が 運び出されて 来た。 けなげに も、 箱 中で やっ付け たの 

と 見える。 

午後 七 時 二十 三分 大阪 發。 

九月 廿 五日。 晴。 午前 九 時 新橋 着。 直ぐ 下目 黑に 上司 氏を訪 ひ、 同氏の 見付けて 置いた 家 (七圓 五 

十錢 )- を 下目 黑ニ五 五に 決めた。 そこ を 午後 二 時 過 出で、 新橋より 三時 四十 分の 汽車で 歸阪。 若宮 氏 

へ r カキ。 

鑌池田 日記 1〇 七 



泡 鳴 4i 築 第 十二 卷 】o< 

九月 廿 六日。 晴。 午前 七 時 池 田 着。 北 川、 識訪ニ 氏を訪 ふ。 木 村 (信)、 水 谷、 茨木^ 務署 より 乎 

就。 東京 魁 新聞へ 出す として 若宮 氏より 依賴 せられた 原稿 「發賣 禁止 論」 (六 枚) を 認めて 送る。 深 3 

(康) 氏へ ハ ガキ。 西 村 茂 氏 來訪。 

九月 廿 七日。 晴。 t お宮 氏より ハ ガキ、 返事。 荷物の 引き まとめ。 石 丸 氏 來訪。 夜、 池 田の 述屮の 送 

別會を 受けた。 東京へ つれて 行く 書生と して 淺田 菊次郞 (十五 ネ) が 伏 兑から 到 $s。 

九月 廿 八日。 晴。 荷物 三十 三 個 S: 貸 十八 圓 八十 ニ錢) を 池 田驛の 運送 に 託す。 日本 ホテルで 送刖 

會 あり、 上總、 薄 田、 吉岡、 加 藤、 そ ひ 他、 すべて 十三 名 集って 吳れ た。 それが 終って 上總氏 は儍を 

また 曾 根 崎の 甘 1^ 亭へ 招いた が、 十一 時頃歸 宅。 

九月 廿 九日。 朝から 北 川 氏が 峰の 始末 をして くれた。 饊訪 氏から 洋 SI 群 を 贈られた。 夕方、 奥 村 

氏の 家に 引き あげ、 そこから 出發 した。 梅 田から 乘 車の 前、 僕 は 高 橋 氏を訪 ふたが、 旣に葡 妻との 離 

婚は 成立した 笞 だから、 S 月の 送金 を 渡せ、 また さきに 貸した 金の 注意 をし ろと 云 ふ 件 を 充分に 注意 

せられた。 

梅 田から 出發 したの は、 僕 夫婦と 淺 田と である。 




fill 



It 第 十二 卷 」 



大正 元年 

九月 三十:::。 雨。 午前 十 時 頃、 目黑に 着。 上司氏のところから飯をたぃて貰って^^った。 峰 は邦欞 

三箱を鐡^3便にし、 洋種! 箱 は 乎 荷物で 持って 來 たので、 僕 等が 到 唐す ると 同時に、 庭で 粜 n を g い 

て やった。 二十 匹ば かり 倒れた だけであった。 直ぐ 働きに 出て、 向 ふ 側の 目黑圚 からで あらう、 ,i 化 粉 

を 山 取って来る。 

十月 一口。 雨。 邦 種が また 無事に 届いた。 早速 砂糖 を 煮て 給 蜜した が、 やり方が 惡 かった ので、 洋 

毺 だけに は 蜜が 箱の 外に だらだらと 流れた。 

十月 二日。 晴。 报 して 洋 @ へ 邦 種から 盜蜂を 送った。 見て ゐ ると、 大膽な 奴 はぐ ッと嚴 ns: に 這 入 

り 込む が、 やがて 追 ひ 出されて 來 たり、 又は 喰 ひ 合って ころげ 出たり する。 邦稱 もなかな か 機敏で" 

洋種の 胸 を さして 殺した の も ある。 が、 大抵 は巢 門に 至らないで、 ただ 箱の 後ろに しみ 出た 蜜 を喻っ 

てゐ るので、 そのまま にして 匿 いた。 夜、 上司 氏と 共に 水 野 氏を訪 ふたが、 留守であった。 



十月 三日。 雨。 上司 氏と 共に 五反田 邊 まで 散歩した。 大畸驛 で 僕の 箱 をお ろす 前に も、 七 箱 ほどお 

ろした 人が あつたと 云 ふので、 どんな 養蜂家 か 調べに 行った の だ。 五反田の 高みに ある 驛 から 低地 を 

a おろす と、 茶して 蜂 箱 を 並べた 家が あった。 行って 見る と、 高木 氏と 云って、 一 ヶ月 前に 九州の 島 

原から 來た人 だ。 七 箱の 蜂 は 凡て 僕のと 同じ ィ夕 リャ 種で、 式 は 然し 相 島 式 だ。 そこの 主人の 妹が お 

もに 世話 をして ゐる らしかった。 熊蜂の 來 襲が 甚 しい やう だ。 夜、 寶業之 世界 社に 行ったら、 幸 ひに 

依 氏が ゐ たので 初めて 逢った。 が、 、『今、 あなたの 本 を やぶいて ゐる ところです』 と 云 ふ r 發展」 

の 寶れ殘 りが 五百部 返って 來 たの を、 どうす る わけに も 行かない から、 破って 屑屋に 寶 らうと する の 

だ。 僕 は それ を 見て ゐて、 自分の 身 を 裂かれて ゐる やうな 氣 がした。 

十月 四日。 晴。 盜蜂 はお さまった が、 熊蜂と 赤 蜂と が 時々 來 襲して 來 出した。 赤 峰 二 匹 を 打ち殺し 

た。 洋種 は どの 蜂 も 皆 紅白の 花粉 を 取って 歸 るが、 邦 種 は餘り 取って 來 ない。 殊に 第一 號群は 殆ど 全 

く 働かない。 運搬して 來た ままの ありさまで まだし ばった 針金 を も 取って やらない のが 惡 いの だら う 

が" この 家が 氣に 入らない し、 今 別にい い 家が 明き かけて ゐ るので、 そこへ うつって からにし ようと 

思って る, 

十 五日。 晴。 荷物、 漸く 到着。 だが、 當て てる 家が まだ 這 入れない の だ。 

十月 六日。 晴。 田 代 氏 來訪。 弟 並に 妹が 來訪 新潮 社から 「明治時代に 於け る文界 並に 劇界の 偉大 

目黑 B m 111 



泡 鳴 第 ^十二 卷 二 一 二 一 

なる 作品、 人物、 並に その 感想」 を 質問に よこした。 詩界に 於て は、 新ら しい 感情に 道を與 へた 藤 村 一 

の 「若菜 集」、 新ら しい 思想と 考へ方 を I 變 させた とに 力 ある 僕の 諸 詩集 11 小說界 では、 詩 界の藤 村 一 

に當る 意味での 紅 難 (露 伴な どの位 ml は: € に 及ぶべき でない) 並に 僕の 詩に 於け る SM 咏 での 「獨歩 s」 一 

(その 前後の 他 作家 は 今に 至る まで 獨 歩の やうた 革新 を與 へる ものがない) 11 劇 3^ では、 圑十郞 が藝ー 

と藝 人との 地位 を 高めた 點 (逍遙 氏の 作劇な ど は、 如何に 性格 を 主と したから ッて、 圈 州の 範圍 を脫; 

して ゐ ない) 11 この やうな ffs 事 を 書いて 出した。 家の 前 を 萩の 花 を兑が てら 不動へ 參詣 する 人々 がー 

ぞろぞろ 通った、 日曜 だから。. ; 

十月 七日。 隋リ 博 文 館に 淺田 江村 氏を訪 ひ、 初めて 會 つた。 そして 昔、 氏が. S 花と 稱 して 新 體詩を 一 

女擧雜 誌に 出して ゐた 頃の 話に 及び、 俊よりも 後 叢で あつたと 云 ふやうな ことが 出た。 が、 氏 は そ 3 一 

頃から 新聞記者 になって 政治的 方面に 向って しまったが、 俊 は 漸く この頃に なって 政界に 入らう とし; 

てゐ ると 云 ふこと を 僕 は 語った。 直接の 用 f 梨 は 原稿 「先帝 崩御の 嗜示」 のな り 行き を 聽 きに 行った 一 

の だが、 今少し言紫を和らげてロ^^^ろと云ふことになった。 田 山 氏に も會 つたが、 例の 脚氣 でよ わつ 一 

てゐ るからで も あらう、 額 色が よくなかった。 それから、 正宗 氏 を 訪ねた。 氏 は 段々 きまり 切って 來ー 

る やう だ。 そして 細君に 繙 子の 半襟 付きの 衣 物な ど を 着せて を さまって ゐる。 他に 川 手 氏と 今 井 (歌) 一 

氏と を も 訪ねた。 ^ 



十月 八日。 暗。 淺 m 氏より 原稿 を 返して 來 たので、 注文通り 訂正して W び 送った (二十 三枚に 縮め 

た)。 當 てた 家が 何だか 瞹昧 なので、 上司 氏と 共に 不動の あたりから 桐ケ 谷、 大崎 など を ぶらつい たが、 

適 當な家 も 兑當ら ない。 

十月 九日。 雨。 碑文 谷へ 家 を 探しに 行った が、 なかった。 識訪 氏へ ハガキ 。木 多、 相 馬、 前 田 (晁) 

西 村 (ぎ、 11 中 村 (武) 氏 へ 尸 ガキ (新年 號小說 S 交涉 )。 

十月 十日。 晴。 競馬場 前の 家の 持主 を 四 谷に 訪 ふた (明日い よいよ 返 ま? r が 分る 笞) 。同時に、 先帝 御 

^^儀の11:^場を見に行った。 上司 氏 も 一 緒に 行った が、 話し合つ たの は 本殿であった g! 物の 家 根の 曲線 

が 面,; II くたい こと だ。 東京の 建築家に は、 よくやれ ない の だら うか? 二重 箱に した 洋種の 中 を 初めて 

調べて 兑た。 ワク は 五 個 這 入つ てるが、 蜂が 蜜 集して ゐる 工合 は 正味 二 ワク 分の 群 だ。 幼蟲は ある 

が、 產 卵が 殆ど 全くない やう だ。 ついでに、 王の 羽极を 切って やった。 洋種と 邦 種 第一 號群 とに 給 蜜 

をした。 深 田 (康) 氏より ハ ガキ。 日 高 (猎) 氏 來訪、 ^守であった。 

十月 十 一 日。 夕方より 雨。 當 てて ゐた 家が 駄目ら しいので、 荷物 を 半分 ほど ほごした。 同時に、 邦 

種の 蜂の ワク をす ベて 直して やった が、 この頃 餘り攝 いてなかった の も 、尤も —— 蜜 もな く、 幼蟲も 

產卵 もない。 これで はう かう かして ゐられ ない。 一 つ は、 打ちつ けて 來た ワクの アキが あらかった の 

で 熱 を 保ちに くかった ので も あらう と 思 ふが 11 この頃 山野に は获の 外に、 裔麥の 花や 茶の 花が^ 

目黑 E 節 i 1 一二 



si 第 十二 卷 】 一四 

いて ゐる。 野菊 も ある。 洋種の 取って 來る 花粉に は 赤と 白と 靑み がかった 白と が ある。 小菅 (繼 母の 

弟) から 繼 母の 復籍 を賴 みに 來た (承知の 返 S を 出した )o , 

十月 十二 日。 暗。 洋種 は 搪蜜を 喻ひ殘 して ゐ るので、 殘 つた 分お そのまま 第 一 號 群に 與 へた。 第二 

號のも &ひ殘 して あるが、 これ は 少しづつ 喰って 行く やうす だ。 あたたかかった せいでも あらう、 す 

ベての 群が 多少よ く 活動した が、 最も 小 群な 第三 號が It 働き 方が 鈍い。 新潮 社 並に 西 村 (%) 氏より 

ハ ガキ。 吉弘 並に 小 林 二 氏へ 手紙 。( 吉弘 氏へ は 小說槁 料のう ちから 二百 圓 前お 小 林 氏へ は 五、 十 M 借 

用の 件 )。 書物の 荷 を も 全く 解いて しまった。 日 高 有 倫 堂 氏 來訪、 田 山 氏への 紹介 を賴 でん、 同時に 僕 

の 「斷 橋」 並に 改 發展」 出版の 相談 をして 行った。 田 山、 增永 (加)、 增永 (尙 )、 中 S 氏へ ハ ガキ。 島 

川、 久松、 吉岡、 薄 田、 宫田、 井上、 上總、 江 部、 加 藤 (朝)、 荒木、 祌畸 • 石 丸、 加 與恒) 氏へ ハガ 

キ。 島 田、 原、 生 田 (蝶), 鈴 木 (新 )• 川 手、 若宮 氏へ ハ ガキ。 

十月 十三 日。 晴。 奧村 • 高 橋 氏へ 手紙。 名 古 屋の松 川屋へ ハガキ (蜂蜜 やうかん 問合せ)。 巢箱を 1 

つ 描へ た。 蜂 群に 給 蜜 (洋種と、 第二 號と 第三 號 とへ)。 

十月 十 S 日。 暗。 生 H (蝶)、 前 田 (夕) 氏へ ハ ガキ。 若宮 氏より ハ ガキ。 邦 種 第一 號群 がー ワクの 巢 

の 下半 分 を 喰 ひ 破った 粉が 山積して ゐ たので、 箱內を 掃除して やった。 大きな ナメク ジがニ 匹 も 這 入 

つて ゐた。 け ふは盜 蜂が 多かった。 邦 種が たまに 洋種へ も 行った が、 多く は 洋種が 邦 種へ 行った。 が、 



中へ 這 人る の は極少 いやう であった。 そのうち でも、 li 樂 にもぐ り 込む 蜂で、 洋種の やう だが、 俊の 

イタ リャ 種と は 思へ ない のがあった。 1 は 邦 種のより は 大きく、 尻が 黑ぃ。 一は、 また 黑ぃ 尻の 上部 

に 一 本 赤みがかった 黄 線が ある。 イタ リャ種 も 古くな つた 老蜂 は黑 みがかって 來る さう だが、 栗して 

それ か、 それとも 他に この 近處で 別な 洋種 を 飼って る ものが あるの か、 め-う も 疑問 だ。 け ふ は、 洋種 

と 第 一、 ニ號 とに 給 蜜した。 砂溏を 同じ 水分で 費ても、 け ふ は 直きに 固まって 行く 傾きが あった。 そ 

れ でも かまう まいと 思って、 山盛りに して 入れた。 

十月 十五 曰。 晴。 淺田 (彥) 氏へ 手紙 (太陽の 評論 受 持の 件)。 新潮 社へ r カキ。 峰が 喰ひ殘 した 赌蜜. 

の 固まり をす ベて 煮 かへ て やった が、 そのに ほひ を聽 いて か、 きの ふの 黑峰 がまた やって 夾- た。 T 

度、 外出しょう とする 時であった、 第二 號 群が —— 兼て さ うだらう と 思って た 通り 11 « して 逃走 を 

く はだて た。 わんわん 云って 門前の. S に 渦 をまい てゐ たが、 僕が 羽根 を 切られ C ゐる 女王 を 巢門を 出 

た 時!^ つて いたので、 二三 分に してす ベての 蜂が また 同じ 箱に 歸 つて 来た。 そこへ 王 を 放ちて やつ 

たので、 元の 一通りに を さまった。 現金な もので、 それから 以前と は 打って 變 つて 働く やうに なった。. 

樑が はに 一 時 取りの けて あった 給 蜜 器に は黑 蜂が —— 而も それば かりが 11 二十 匹 ほどた かってね 

た。 こ- れ では 强 敵で あるに 相違ない と 心配 せられる。 有 倫 堂 を 訪ねた。 (僕の 小 說は當 分 駄目 だと 云 

ふ、 株主に 反對 者が あるので )o 德田 (聲) 氏 を 訪ねた が 留守。 北 村 氏を訪 ひ、 十二時 過歸 宅。 吉岡、 增 



泡^^^$ t か 十二 卷 一 ニハ 

永、 樊面. m 軌 より 書信。 

十月 十六 日。 晴。 蜂 箱の 蓋 を! つ 捲らへ た。 すべての 蜂に、 煮返した 耱蜜 をく ばって やった。 m 一 蜂 

は 第一 號箱 をお もに 襲. 1 やう だ。 第二 號、 三號へ は、 たまに 行く。 が、 どれに も S) 入る のは少 いやう 

な。 六 七 K は、 うち 殺した。 洋種へ は 全く 行かない。 第二 號 と^三 號 との 蜂の 出動が け ふ は 大分 列" し 

く、 兩 群の 峰が 互 ひに 與 門 で相戰 つた。 棠 門に 導く 板の 上 を何對 も何對 もころ ころと ころげ 落ちる の 

を21.^^。 おに は、 三 四 匹から 十 匹 も ー緖 になって ころがった。 それ を 兒てゐ ると、 必ら すし も 做と^ 

方との くみ 打ちば かりで はなく、 當の敵 は 逃げても、 味方 同志の 彌次 どもが かみ 合 ひ、 さし 合 ひして 

ゐる。 第 1 號の rn^E: に は、 盜蜂を さける 爲め、 紙 を はさみ、 二 匹 分ぐ らゐの 通路 を殘 して E いたが 

活動 は なかなか 盛んであった。 天氣も 温であった せいだら う。 原、 久松、 前 氏より ハガキ ナ 驮 

八 氏より 手紙 並に 原稿。 淸 子の 父 來訪。 

十月 十七 日。 暗。 野 依、 原、 上總、 正宗 OH)* 長 井 氏へ ハ ガキ。 井, 氏より 僕の 叔父 鈴 木 新 七の 

is 報。 先月 その 娘 を 失って、 今 また 氏の 死 だ。 これで 僕の 母方の 叔父 はすべ て 亡くなった。 け.. - 

上司 氏と 共に 家 を 探しながら 中延、 碑文 谷邊を ぶらついた。 もう、 获の花 はなくな り、 至る ところ 

と 云へば コスモスが 盛り だ。 野菊 もま だ ある。 コスモス や 野菊の 花粉 は货色 だから、 僕の 蜂 群 力 瓜つ 

て來る 赤い 花粉 は^ので あらう?、 今 どこの 花園に も 菊と ダリヤと カンナと が ある。 ダリヤと カンナ 



との 花粉 を 調べて a なければ ならない。 中 延邊は 平野で、 畠ば かりだから、 養蜂に は あま リ いい 所で,, 一 

はない。 淺 田の 母から 手 鋭。 ,一 

十月 十八 日。 晴。 大川氏 來訪。 茅 原 (茂) 氏 • 廛 家の 小 寺 健 吉氏を つれて 來訪。 給 蜜 は 洋種と 邦 種 第: 一 

1、 ニ號 とに。 第三 號の巢 門 へ盜 峰が 度々 行った かして、 邦 種の 死骸が 十數匹 ころがって ゐた。 第一 一 

號の 箱から 黑 峰が 一 匹 飛び m したの を はたき 落した。 北 川、 加 藤、 井關 氏より ハ ガキ。 加 藤、 ちゑ、 一 

田 代、 瀧 w、 識訪氏 へハ ガキ。 茅 原 氏 へ 新刊 雜誌 郊外 新報 へ の 原稿と 腐吿。 1 

十月 十九 .no 晴。 增永 (加) 氏 來訪と 入れ違 ひに 同氏 を訪 ふ。 長 谷川 氏 で 時間 を兑て 再び 訪問。 壷 一 

屋へ 蜂蜜 寶 込の 相談 を賴ん だ。 歸途北 村 氏を訪 ふ。 け ふ、 洋種へ 二 合 五 勺、 ^ニ號 へ 一 合の 給 蜜。 諭^ 

訪 氏より 返事 あり、 蜂 群 はかけ 價 なし 五十 圆、 三 割の ロ錢。 やうかん は 伏 兑のス ルガ 屋 のがよ し。 甘 i 

露 づけ はま だ 物に ならない が、 なれば 蜜 その物と 同價。 防寒 外 箱は巢 箱より 四 寸大、 外 箱の 門 は 高 サム 

一寸 二三 分、 長 サ五寸 五分 o( 內 箱の 門の 高サ 五分、 長 サ四寸 五分に 對 して)。 もみぬ か は (摺 糠、 粗錄ー 

は) 外 箱の底に も、 高サ 一寸の 位置へ ゲス板 を はめて、 その 板の 下に もぬ か をつ める。 二重 箱に した:! 

ら、 屋极 裏の 布 切 もしくは 新聞 はない 方が い. い。 と、 なり。 有 倫 堂へ ハガキ 往復、 K 宗 氏より ハ ガキ。 一 

十月-二十日。 晴。 若官 氏を訪 ふ。 大久 保文學 くらぶ を訪 ふ。 吉江、 正宗 (得) • 前 田 (夕) • 戶川氏 をね 

訪ふ。 切 守に 吉野 (甫) 氏來訪 (「文案 講義」 の 原稿の 件 )o 書生の 淺 S が 不良少年 たる こと を發 した。 一 ^ 

目黑 日記 二 七 • 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 一 1 八 

三日 前 も 二日 一夜 を ぶらつき 歩いて 來 たが、 け ふ も歸ら ない ので 交番 所へ 届けた。 見つかり 次第" P 

鄉 させる つもり。 

十月 一 一十 一 口。 暗。 書生、 朝 巡 に 引かれて 歸り來 たる、 然し また 出た 切り 夜 遲く歸 宅。 明 口 は歸. 

鄕 させる つもり。 洋種と 第二、 三 號へ給 蜜。 第三 號を 除いた 三 箱 は 平 調に 返った が、 ^三號 だけが ま 

だ 尋常の 働き をし ない。 若宮 氏と 共に 池 E 藤 四 郞氏を 日本 新聞社に 訪ひ、 氏の 黑幕 たる 東京 魁 新 M を 

手傳 ふこと になった。 吉野氏 また 來訪、 論文 作法 九十 枚 を 書かせられる ことにな つた。 祌崎 氏より 氏. 

が大阪 3 :々 へ 入社の 報 。「魁」 から 此 間の 稿料 五圓。 

十月 二十 二日。 晴。 水 野 氏 來訪。 洋種と 第三 號 とに 給 蜜。 洋種に はふた された 兒の 外に 幼蟲 がな 

い。 第三 號 群に はまた 産卵が 少し ある だけ だ。 後 もけ ふ は 少し 働いた。 

十月 二十 三日。 晴 。(夜、 ちょっと 雨 )o 夜、 池 田 氏の 宅を訪 ひ、 魁 新聞の 十 一 月 一 日號の 相談 をし. 

た。 報酬 は發行 三回に 對 して 當分 三十 圓と定 つた。 識訪 氏より ハ ガキ。 二重 箱の 中 蓋 は 息を拔 くと こ 

ろ を 置かないで 綿 をの せても いいさう だ。 け ふ、 その やうに 綿 を 洋種のに つめて やった。 けさ、 十 一 

時 頃、 書生に 祌 田の 忠誠 堂 もしくは 本 鄕の吉 野 氏 宛の 手紙 をつ け、 論文 作法 原稿料の 中から 四 圓前情 

を させ、 直ぐ その 足で 新橋から 出發 する やうに 命じた ところ、 犬の 小 借が それに 付いて行つ たもの t- 

見え、 渐く 午後 八 時 頃に 歸 つて 來た。 よく 東京の 複雜な 道 を 嘆ぎ 分けて 來 たもの だ. - • 



十月 1 一十 四日。 晴 。「論文 作法」 を 害き 初めた。 大箱を 捲へ て 邦 種 第 一 號をー 一重 箱に してやった? 

十月 1 一十 五日。 雨。 

4. 月 二十 六日。 晴。 昨日の 雨で 綠 箱の 中へ 水が 這 入り はしなかった か を 調べて 見た。 二重 箱 は 二つ. 

とも 無事で あつたが、 一重の は兩 方と も ワクの 上に かけた 新聞紙が ぬれて ゐ た。 蓋が つぎ 合 はせ で、 

その 間から 這 入る の だ。 近代劇 協會の 「へ ダガ ブラ」 を有樂 座に 觀る。 

ト月ニ 卜 七日。 so 吉野 氏より ハ ガキ。 中 澤* 長 谷川 氏へ ハ ガキ。 吉野 氏, 池 田 氏 を訪ふ 。「近代劇 

協 會の第 一 回 輿 行」 (f^ 枚) を 書く。 

ト月 二十 八日。 晴。 上司 氏と 共に 文部省 展覽會 を兑、 それから 德田 (聲) 氏 を訪ふ (留守)、 正宗 (白) 

氏へ 行って 分れた。 八 「井 氏を訪 ふ。 

ト月 二十 九日。 腾方、 雨 あり。 有 倫 堂より ハ ガキ。 丸 善より 手紙。 上司 氏から 長 谷川 (天) 氏 午前 十 

時に 新橋 着の 通知が あつたが、 間に合はなかった。 蜂 は いづれ も 働く が 花粉の 取り 方が 減じた。 そし 

て 取って 來 ると、 朱色のと 靑 みがかつ たのと だ。 

十月 三十: n。 晴。 中澤 氏より ハ ガキ。 家 を 見に 下 溢 谷邊を ぶらつき、 それから 魁 社へ 行く。 池 田、 

若宮 氏-に 從ひ、 晚食を 銀座で やった。 魁 社から 來月 分手當 三十 圓を 受取った。 

十月 三十 一 日。 雨。 今晴 「論文 作法」 (五十 枚) を 書き終った。 曰 高、 中 田、 相 馬 氏へ ハガキ 。幸 橋稅 

目黑 nl Si 一 1 九 



11 m 十二 卷 1 二 〇 

務署 より 所得 納稅地 變更届 並に 所得 金額 決定 通知 書受 is 届 を 出せと 云 つ て來 たが、 まだ 納稅 した 場所 

もな く、 通知 書 も 大阪の 茨木 署 へ 返却した こと を 云 つて やった。 

十 I 月 一 口。 雨 ( 入江 氏 へ 手紙。 高 橋 氏 へ 十 圓爲替 (八幡 町 へ の 月額) 

十 一 月 一 一日。 晴。 有樂 座に 土曜 劇場の 興行 を 見、 ^、 呂 昇の 義太夫 を聽 き、 印象 「j? 樂 座の 半日」 

(「土曜 劇場の 興行」 と 「RI 昇の Sii り 振」 とより 成る) を 十七 枚 書いた。 中 村 氏より 原稿の 通知。 81 

より 稿料 五 圆。 神 崎。 長 坂 氏より ハ ガキ。 

十一 月 三日。 晴。 大久 保文擧 クラブ、 吉江 * 蒲 原 * 野 口 氏を訪 ふ。 中央 公論、 新潮 來 たる。 

十一月 四日。 晴。 夜 は 雨。 日 高 氏 來訪。 長 坂 氏へ 悔み 狀 (九 郞次郞 氏の 死去に 對 して) 。社へ 行った. 

ついでに、 ヒュウ ザ ン會の 新 洋肅展 會を 觀、 それから 山、 川 手 二 氏を訪 ふ。 

十 一 月 五日。 晴。 蜂の 外 箱 を 一 つ 製造した。 高 橋 (久 )、 高 橋 (五) 氏より ハ ガキ。 ホイト マン の 詩の 

譯を まとめて 見た (n; 十字 詰- 十 行の ボケ ト 本に fzini 十九 枚 は 旣に譯 せて ゐる。 その他に、 「普遍の 

駄」 もあった 智 だが、 中擧 世界に 出た 切りで 保存 せられて ゐ ない。 樺 太での 失敗 時代に、 あいつが ど 

うかした の だ )o 上司 氏が關 西 旅行から 歸り、 僕の 池 田の 宅の そばで 取った と 云 ふ あざみと 紅葉と を 届 

けて 来た。 f 

十 一 月 六日。 曇。 忠誠 堂より 「論文 作法」 稿料 一 一十 五圓。 新潮 社より 「批評の 省察」 稿料 一 一十 0? 社へ 



新聞 を讀 みに 行く。 昨日、 蜂 群 を 調べて 見た が、 洋種 は ワクが すべて 重い ほど 蜜 をた めて ゐ るが、 ま 

だ盖 したの が少 い。 幼蟲 並に 卵 は 四 箱と もす ベて 澤山 ある。 きの ふ は、 皆よ く 働いた が, け ふ は 曇り 

がちな 爲 めか 大して 動かなかった。 松昌 洋行に 山 本 唯三郞 氏を訪 ふ。 二十 四 五 年ぶりで ある。 

十一月 七日。 晴 。消 子 病 氣の爲 め、 昨夜 來 眠られす。 西 本、 淺田 氏より ハガキ 。「いろは 翁漫 語」 三 

枚 を 社へ 送る。 慶應の 石 田 氏へ 手紙 (塾で 一 二 時間の 講義 を 受け持ち たいとの 交 涉)。 中 村 (武) 氏へ ハ 

ガキ。 阿部、 本 間 氏へ ハ ガキ。 

十 一 月 八日。 晴。 石 田 氏より 返事 (餘 地な し )o 中 村 氏より 返事。 大木 氏より ハ ガキ。 きの ふ、 蜂 群. 

の 働きぶ り を 兑てゐ るに、 もり、 花 も 菊の ル, は少 くな つたせ いか、 非常に あせり 出して 來 たのが 分 

る。 そして 勞れ 方が 烈しい ものと 毘ぇ、 まともに 巢 門へ 這入り込める もの は 殆どない。 門の 乎 前へ と 

ッ 付いて レ やんだり、 巢を 通り越して しまって、 跡 もどりの 節、 蓋の 上へ とまった りして、 暫くの ま は 

動け ない。 け ふ、 第二 號の邦 群 を 二重 箱に してやった。 産卵に 幼蟲は 持って るが、 蜜が 少ぃ。 西 本 氏 

來訪。 品 川 稅務署 より 手紙 (また 納稅 通知 書 受領書の 催促) 小說 「正 美 先生」 (三十 三枚) を 書き終る。 

十一月 九日。 晴。 稅務署 へ 通知 書 返納。 鈴 木 氏より ハ ガキ。 本 間 氏より ハ ガキ。 蜂の 箱へ 外から 七- 

を 塗リ、 油 S を かけて やった。 奧村 氏より ハ ガキ。 チ H 子より 弟の 病氣 しらせ。 妹へ ハ ガキ。 

十 一 月 十日。 晴。 家 を 探しが てら、 上司 氏と 中 目黑の 方面に 行ったら、 また 1 つ 高木 養蜂 場と いふ 

目黑 日記 ニニ 



泡 鳴^ 雄 第 十二 卷 一 ニニ 

のを發 見した。 岐 《: 十から やって 來 たんで、 六 箱の 外 國雜種 を 飼って ゐる。 一 箱を险 き、 跡 はすべ て ST 

群ら し い 「情界 日 記」 を 書き 初む。 

十一月 十一 日。 晴 。「趣味」 來 たる。 社 へ 出た。 正宗 Gn) 氏 來訪。 

十一月 十二 曰。 隋。 前 3、 H 山 氏へ ハ ガキ、 GK 溪氏歡 迎會の 件 )o 中 村 氏へ 原稿。 芝 川、 加 膝、 淺 3 

氏より ハ ガキ。 品 川稅務 より また 故障の パガ キ。 午前 三時 半 起床、 支度して 横濱へ 出た、 觀艦 式.^ 

n ルる爲 め 午 丽七時 出帆の 祌奈川 丸 (郵船 會 社の 招待券に て) を キャッチす。 午後六時過歸^^?。 海上で 飛 

行 機 を 初めて 見た。 

十一月 十三 日。 夜、 雨。 長 谷川 (勝) 氏より ハ ガキ。 文 藝協會 より 招待 狀。 帝國 劇場に 外人 團の 「ハ 

ムレ ト」 を兒 た。 外人の 劇 を 見た の は 初めて だが、 ヱ ロキュ ー シ ヨンが 主で、 わが 國の やうな わざと 

らしい 芝居 をし ない のが 取り 抦 だ。 

十 一 月 十四 曰。 晴。 蒲 原 • 野 口 一 一氏 來訪。 神畸 氏より 乎 紙。 弟の 巖、 病 氣の爲 め 勤め を 欠勤し、 八 

王子より 引き あげて 來た。 リ ヨウ マチスと して 醫 者に 取り扱 はれて ゐ たさう だが、 こちらで 见せ ると 

それよりも 寧ろ 心臓の 方が 惑い やう だ。 心臟擴 大病で あると 云 ふ。 け ふ、 野 口 氏 等と 共に 山林 試 ,3 場 

の 中 を ぶらついた が、 ビヮの 花 も旣に 散って ゐ た。 

十 I 月 十五 日。 雨 あり。 入江、 文羅 クラブより 手紙。 前 田 (晃) 氏より ハ ガキ。 高撟 (五、、 川 



手 氏へ r カキ。 吉江 氏、 原 氏へ ハガキ 原 〔德: ^氏より t> 叙.^ 驟 りの を; I^.v- ic^s^>^ 

氣 通知。 

十一月 十六 日。 暗。 西 本 氏へ ハ ガキ。 鈴 木 (初) ょリハ ガキ。 同じく へ ハガキ or フ ー スフ ー インジ ャ 

,ヽ ン」 Jtf より;^ 員 佐 野 tH。 僕の 藏業は w-oa, Novelist, Critic, Free thinker,md Writer だと 吿 げた。 第三 

號の蜂 it を 入れ 換へ、 しきり 板 を 左右に 入れ、 その 餘 地へ わら をつ めて、 箱の 下に も わら を 入れた 藍 一 

を 置いて やった。 蜜の たまって、 多少 ふたの 出來た ワク は 一 つし かなかった。 

十 一 月 十七 日。 晴。 高 橋 (五) 氏を訪 ふ。 弟の 病 氣の爲 め 金が 入る から、 氏の 飜譯 を手傳 はせ て くれ 

ろとの 交涉 をした。 自分 は 餘り名 を 出して 飜譯 者た る を 好まない から — 今 さら、 — これまで それ. 

を i けて 來 たの だ。 有 樂座こ 文藝協 |S の シ ョ ー 劇 rYOU never can tell- を 見た。 これ を 「一 一十 世紀」 と 

譯し、 茶目 公式な ド, 'リ ー や フィリプ を 近代 式な 子供と 決めて ゐる 如き は、 あたまから 薄 浮で 而も 膚 

淺た。 

十 一 月 十八 日。 暗。 茅 原 (茂) 氏 來訪。 棊を 四^のう ち、 一 一度 負けた。 け ふ. * 洋種と 第一 一 號と 第三 號 

とに 給 蜜した。 洋種に は、 旣に ふたの 出 來た貯 蜜 も 可な.^ あつたが、 聽 いたと ころに 攄 ると、 うちの 

蜂が 近所の 八百屋 や 砂糖 屋へ 行く らしい。 どこから、 こんなに 來 るの だら うと 云って る さう だ。 よく 

よく 蜜 源が なくなって 來 たので あらう 

目黑日 Si 1 二三 



泡 鳴 仝 m 第 十二 卷 一二お 

十 一 月 十九: :!。 雨。 社へ 「かんかん 式の 印象」 (四 枚 半)、 「外人の 沙翁 劇」 (五 枚)、 「シ ョ 1 の itr^ し 

(七 枚)、 「今 n の 二 小說」 (九 枚) を 持って行く。 志贺 氏の 在外邦人 發 K 々覽會 を W た。 肺より ハ ガキ。 

十 一 月 廿日。 晴 Q き Q ふ、 給 蜜の 給艰を 調べなかった ので、 け ふ 調べて 見た。 洋械は 殆ど く 吸、 

して、 ただ ふちに 固まって こびり ついた のを殘 してあった。 第一 號も、 殆ど:^ じ 程度に 吸收 した。 第 

三號は 少し 成績が 惡 かった。 三つの 給 蜜 §il に殘 つたの を 銀め て 煮返し、 それ を 第二 號に與 へた。 ^1 

號 並に 第二 號 から ワク を 各 一枚 拔き 取った。 それで、第一號は六枚弱、裙ニ號は五^^ 访三號 は^ 枚の 

群 だ。 洋種 は 初めから 五、 枚 ワクで、 S- 端の 外部が 全く 明いて る 外 は、 すべて 蜜が ある。 努ー號 と? ま 一 

號 とに は、 も ッと給 蜜の 必要が あらう。 洋種と 第二 號 とに、 雨が 漏って 困る、 如何に 油紙 を かけて H 

いても。 け ふ は、 暖 いので、 どの 群 もよ く 働いた。 が、 赤い のと 白い のとの 花粉 を 取って 來 るの は、 

十 中の 二三であった。 議釵に 上司 氏へ よばれ、 簡易 洋食と いふの を 喰べ た。 有 倫 堂、 吉ぎ 一氏より ハ 

ガキ。 妹、 巖の 見舞に 來た。 小い 子供 を 一人 つれて 來 るので、 うるさくて 困る。 け ふ は、 殊に * うん 

こ をした まま • それ を 踏み付けて 歩いた。 

十 1 月廿 一日。 曇。 蒲 原 氏よ.^ ハ ガキ。 水 野 氏を訪 ふ、 留守。 五六 年 振りで, 水上 氏を訪 ふた。 ^ 

谷 停車場 前に 大正 養蜂 場と 云 ふの が ある を 兼て 承知して ゐ たが、 け ふ、 鳥渡 訪問して 見た。 力 I 一一 f 

ラ種を 六 箱^って ゐて、 まだ 大して 經驗 家で はない やう だ。 容:^ な 事業と 思って やりかけ たのた が、 



やって 見る と、 なかなか 六ケ しいので、 明日から 箱 根に ある 養蜂 講習 會へ 行く つもり.^ と £ つて.^ 

た 

十一月 卄 二日。 雨。 二 曰 降って ゐる。 池 田 氏へ、 「耽溺」 再版の 相談、 (病人 やら 何 かで 金の 工面の 爲 

• め y 新 小說へ ハ ガキ。 增永 氏より 書物 を 返送して 来た。 邦 種 三 群 を 二 群に 合同して しま はう かと 迷つ 

てゐ るの だが、 養蜂 上の 霄 物ゃ雜 誌な ど を 見る と、 さう 心配し ないでも 行く らしい。 但し、 も ッと給 

蜜す る 必要 は ある 9 某雜 誌に. 蜂の 近づかぬ 花 は 力 キッ、 ハナ シャ ゥブ、 イバラ ショウ ビン • 牡丹 • 

朝顔、 夕顔と あった。 菊 もさ うだらう。 ケシの 花に は 無論 行かない ので ある。 今 は、 近所に • 蜂の 行 

く 花と て は サザン 花ば かりで、 茶の 花 はもうな いやう だ。 

卜 一月 卄 三日。 晴。 け ふは晝 から 天氣が 暗れ たので、 日本 蜂 は 大分 働きに 出た。 ザ ラメ 砂糖 を 半 t 

ばかり^て、 、ぢ、 よ、 ろに 入れ、 その 口 さき を 平べ ッ たく 叩きつ ぶした の を 築 門から さし 込む やうに して、 

第 H 號 に^ませた。 第二 號 並に 洋種に も 少し 分けて やった。 こぼれ 出る 恐れが あるので、 箱 を 集 門の 

方で 少し 高めに 持ち あげてから 與 へた。 洋種へ 少し 分けた のが 門外に こぼれて 來 たので、 そこの 蜂 は 

外へ あふれ 出る やうに なって 直きに 吸 ひ 取った。 が、 その 間に 邦 種のから 盜蜂 がわ、 つて 来た。 あす は 

第二 號に與 へる つもり。 け ふ 取って 來た 花粉 は 赤のと 白みが かった 黄のと だ。 高 橘 (五) 氏より ハ ガキ、 

シ モン ズの 象 派 運動」 の 飜譯を やって 吳れと ある。 これが 相談 S ^来れば • 多少 助かる 。上司 氏 來訪、 

目黑 B S3 二 S 



泡^ <&f ^十二 卷 1 二 六 

田 中 醫師も 加って、 將棋を さした。 弟の 擧 校へ 手紙。 小 管 • 北 川 氏へ ハ ガキ。 

十一月 卄 MHO 晴。 今井嬉 より ハガ キ。 淸子 と共に 大久 保文擧 クラブの 歡迎會 に 行く。 第二 號 群に 

砂糖 半 斤の 給 蜜 をして S いたが * 夜 調べて 見る と、 固まった 分 (四 分の 一 ほど) が 如露の 中に 殘 つて 

ゐた。 

十 一 月廿五 曰。 晴。 第二 號 群へ 昨日の 殘りを 煮返して 與 へた。 社へ 行った ついでに、 麴 町へ まわり、 

新潮 社 を訪ひ * それから 歸路, 高 橋 氏へ 行った。 . 

十 一 月廿 六日。 晴。 新潮 社へ 手紙 (出版 依 賴の件 )o 中澤 氏へ ハ ガキ。 第 1 一 號へ給 蜜した。 瀨沼 夫人 來 

訪* その 話に 露 西亞で 見た 蜂蜜 は 牛乳の 如く 白く、 味 も リッチ ハネの やうに あまたる ッ こくなかった 

とのこと だ 。「誤解 せられた 半獸 主義の 露 相」 (十 11; 枚、 魁へ 出す 分) を 書いた。 

十 I 月廿 七日。 暗。 第二 號 のきの ふ 吸ひ殘 した 分を赏 返して 洋種へ やった。 柏木の 養、 綠 器具 屋吉田 

明 堂が、 大正 養 峰 場から 聽 いたと 云って、 やって 來 ての 話に、 同 場の 力 1 一 オラ は 各 群 ほど 出し 

たさう だが、 正味の 群 は 箱 毎に 長 ワク 二 枚し かない 様子で は、 越冬が 六ケ しからう と 云って ゐた。 そ 

れに、 イタ リャ種 は 東京で 昨冬す ベて 失敗した とのこと。 け ふ は • 蜂が 赤と 黄色との 花粉 を 十 匹に つ 

き 二三 匹 は 取って来た。 好まない 菊の 外 は * さ ざん 花し かないと 云 ふのに、 何から 取って 來る のか 分 

ら ない。 1 昨年から 中 絡 して ゐたシ モン ズ の-. 表象 派獯 動」 の 飜譯を またけ ふから やり 初めた。 巾澤氏 



-を訪 ふ * 留守。 長 谷川 (天) 氏を訪 ひ、 外 國の實 見談を 聽 いた。 中澤 氏より ハ ガキ。 社より 三十 圆。 

十一月 廿 八日。 晴。 大阪丸 善より 勘定取り (一圓)。 巢 門外に 洋蜂 のころ がって 死ぬ のがき ふに 因に 

立つ の は、 氣 候が 寒くな つた 爲め でも あらう が、 巢 門 から 給 蜜した 流れに おぼれて、 蜜が ついたり し 

て 冷える 爲めも あらう。 二十 匹ば かり を コップに 拾 ひ 取り • 火に ぁッ ためて やったら、 二三 匹 は 生き 

返って 元 紫に 歸 つた。 高木 氏の 養 峰 を 五反田へ 見に 行った。 箱 を 重ねて、 上の は {41 でた だ 瓶 入りの 蜜 

を さかさま にして 下の 箱へ 與 へる 爲 めの 餘地 にして ある。 巢門は ニー 匹が 揃って 出られる だけ 位の あ 

きにして、 ワクの 上に 給 蜜 瓶の 這 入る だけの 穴 を 中央に 殘 した ワラ 布 W をのせ て ある。 同所で は、 十 

月よりも 十 一 月の 方が 花粉 を 澤山一 I 殆どす ベての 働 蜂が 11 取って 來 たさう だ。 

十 一 月廿 九日。 晴。 第一 號の外 はすべ て日當 りが 惡ぃ ところに 置かれて あるので、 椽が はの 近くへ 

置き 換 へて やる 爲め、 け ふから 少しづつ 箱 を 移し 始めた。 北 川 氏 並に 倉 a 氏より ハ ガキ。 

十一月 三十日 晴。 昨日の 倉; 辻 並に 上總兩 氏の ハガ キに從 ひ、 上京中の 大阪 日日 社長 吉弘氏 を 吾妻 

屋に 訪れたら • 來てゐ ない と 云 ふ。 で a 日日 支局へ 行く と • け ふは來 ない が • 今夜 歸阪 とのこと。 會 

つて 二言 譴责 もしたい が * どうで もい い。 自, a 劇場 主催の 劇場 展覽會 を讀賫 社 上に 見て 力ら、 社へ 行 

く。 留守に 淸水氏 來訪。 け ふ、 峰が まごついた のか、 第三 號の 入り口 前に 兩 手に 一 つかみ ほど 倒れて 

ゐ たさう だ。 下女が それ を 火の 上で ぁッ ためて 半分 は 活かせた さ、 ス たが • 僕が 歸 つて 見た 時 * 洋種の 



n ^十二 卷 一 ニハ 

戴 門外に 日本 蜂が また 片手へ 1 つかみ ほど 倒れて ゐた。 洋種と 格闘した の だら う、 ^種 も 亦 少し はま 

じって ゐ た, 尻 を さし 合って 。飜譯 十 枚、 もうあけ 方の ョジ になった から • ヨシます。 

十一 一月 一 日。 暗。 h;;w 氏より 手紙。 原 氏より ハ ガキ。 病人 は 少しい いやうな 口 1^ 歲りを 云 ひ 巾した。 

蜂 は * け ふ は • 箱の 新 位置に 惯れ たらしい。 麵! S 九 枚。 太陽, 中央 公論 來 たる。 

十二 ガ 二日。 晴。 石 £氏* 原 氏より 書信。 夜 • 平 嫁 :5 竹兩 女史が 淸子を 訪ねて 來 たので、 化^^を巾 

止して 上司 氏の 許へ 遊びに 行く。 ふたりで, 長 谷川 灭溪 氏の 歡迎の 意 を 幾て カフ ヱ プランタンで 茶話 

會を 他す 通知 狀を 十五 六 名に した。 鑭譯八 枚。 博 文 館より 稿料 十 raso 

十二月 三日。 晴。 原、 識訪ニ 氏より ハガキ 。「答 辯」 (木 間 氏に 對 する) 四 枚 を 寄いて、 新潮に 送った。 

北 村 氏 を訪ふ • また 劇 圏 を やり 出し * 都合に よると 土曜 劇場 を も 引き受ける さう で、 僕 も ゆ-話 人と し 

て 加勢しても いいこと を 語った。 

十二月 四日。 暗。 博 文 館に 前 田 氏を訪 ふ。 池 田 氏を訪 へば 若 is 氏もゐ た。 松 居 松葉 氏が 今冋の 俊の 

劇評に 就て 云 ひたい ことがあ ると 云って ると かで、 氏 を 呼ん で^で 會食 する ことにな つた。 松葉 氏と 

は 初めての 會 IS だ。 結局 新舊 意見の 衝突に 過ぎなかった。 それに 僕が ショ ー の 作の が 多分 Ens^^ge 

(乃ち, 婚約) と あるの だら うと 云った の を, 原文に は gajriage と あると 反駛 して 俳優に も結奶 する こ 

とになる 人 云々 と 云 はせ たと 云った が、 歸 つて 譯文を 調べて :! かると, 矢張り 「結婚した 人」 と あり = ^俳 



優 も 確かに さう 云った ことが 分った" たと へ Marriage と 云 ふ 語が 道 入って ゐて も、 原文が それ をす る 

ことになる 云々 とあるなら ば、 Fngage と 同じ 意味で、 r 結婚した 人」 では 正當 でないで はない か? け ふ、 

洋種の 峰 箱の 中 を 調べたら、 產卵 はない が、 左右の 兩 端の ワクの 外側 を 除いて は、 すべての 面に 過半 

蓋の 出 來た貯 蜜が 澤 山あって、 蜂の 群集す る 面積の 三 四 倍 を 占めて ゐる。 が、 臬が あれで も 小さ 過ぎ 

る爲 めか、 群集の 中心が 巢 門の 方へ 寄って ゐる、 換氣の 工合が うまく 行き渡らな いので あらう。 そし 

て 最も 奥に あたる 巢 端に 少し かびが 生へ てゐる ついでに 邦 種 第三 號をも あけて 見た が、 これ は 洋種 

のに は 及ばない が 貯蜜も 可な リ あって、 少し は 産卵もう じ も ある。 きの ふ、 北 村 氏からの 歸り 道で、 

ついて 來た 小犬 を つれて 歸 つたが、 今夜 ぼ 小佾の そばに ゐ ないで、 どこか 裏の 方で 鳥渡 聲 がした ばか 

り だ。 

十二月 五日。 晴。 新ら しい 犬 は どこへ 行った かゐ ない。 松 紫 氏へ きの ふの 反覆 をな じる ハガキ を 

出した。 池 田、 加 藤、 高 橋 (久 )、 識訪 氏へ ハ ガキ。 原 氏より ハ ガキ。 正宗 (得) 氏 夫婦、 淸水 氏來; ISO 

正宗 氏 は 『魁」 へ 出す 僕の 原稿の 性質に 關す る傳言 を 持って 來て くれた。 若宮 氏から S ふの を氣の 毒と 

して、 野 口 氏に 頼み 4 野 口 氏 は 蒲 原 氏に 賴み、 蒲 原 氏が また 正宗 氏に 頼んだ の だ。 社で 餘り 困って る 

のなら 身づ から 處诀 しなければ 氣の毒 だと 思 ひ- 池 ffl 氏を訪 ふたと ころ, 事が 傳 言から 傳 言に 大きく 

なって 僕の 耳に 這 入った に 過ぎなかった。 つま b,, 若 is 氏が 僕の 爲 めに 心配して 餘 り六ケ しい 原稿 を 

目黑 B SS 1 二 九 



泡^. 十二 卷 ニー 一 

書くな と 注意す る ことであった。 

十二月 六日 。晴。 天溪 氏の 爲 めに 催した 茶話 會に 行く、 カフ H ブラン タンに 集った 人 數は十 一名で 

あった 。『來 るべき 大阪 文藝の 性質 1 秋 江 氏に 逡る 手紙』 (十七 枚 半) を 書き終る。 ^田 氏へ ハガキ 。松 

居 氏より; 返事が あつたが、 不正直な 辯 解と 無 了解の あげ 足取りと は 駄目 だと B び 返蕻を 害いた 

クラブより ハ ガキ、 同じく 返事 小山 內氏 送別 會の 通知。 

十二 七日。 夕方.' 雨。 K 宗 氏より 手紙 q 曰 曰」 への 寄稿 依頼の 傳言) OS 氏より ハ ガキ。 昨 口の 寺 

稿 を 文章 世界に 送った。 蜂 箱の 位置 を 全く 定めて しまったが、 洋種と 第 1 號と 第三 號とは 西の 橡がは 

さきで 南向き、 第二 號は南 橡の戶 ぶく ろ 前で 南向き。 第二 號が 朝早くから 午後 三時 頃まで 日が あたり 

づ めだが、 他の は 二 時までで 日 は その上 を 越す。 

十二月 八 曰 。風 or 新ら しい 婦人 問の 邋動」 (十八 枚) を 書き終る (『曰 曰」 への 寄稿。) 加 藤氏より ハ ガキ。 

髙橋 (五) 氏 來訪。 淸子、 靑韆 社の 小 林 歌 津子孃 を つれて 來た。 また 松 居 氏より 手紙、 それに返^^。 

十二月 九日。 晴。 朝、 十 時頃寢 床の 中で 門外に 人の 騷ぐ 聲を聽 いた。 どうやら 犬が いじめられて ゐ 

る やうな ので、 どてら で 飛び起き ると、 臺 所の 方から ブル ドクが 魚屋の 犬 を かみ 殺して ゐ ると 下女が 

わさ わさして ゐる 報告に 接した。 うちの 小 僭 は 下女に つれられて ゐ たが、 出て 見る と いかにも 大騒ぎ 

だ。 兼て 危凝 だと 思って ゐた坂 下 池 上 氏の ブルが 二 匹で 魚屋の 犬 (これ も 小^と 云 ふ) を 夢中に なって 



かみついて ゐる。 それが 隣家の 米屋の うらへ 行った ので • ついて 行って 見る と * 普通 犬 は 息 もほう ほ 

うの 體で • ブル を 殺せ 殺せと 叫ぶ もの はあって も * 誰れ も 手 を 出す ものがない。 僕 は そばに あった W 

木 割り を以 つて 一 西の ブルの 顏を投 ぐり • また 一匹の 尻を擲 つた。 が、 考 へて 見る と、 いつ 飛び付い 

て來 るか も 知れない ので、 そのまま 引ッ 込んで しまった。 食事 をす ませてから、 上; E 氏を訪 ひ、 村の 

人々 と 申し 合 はせ て 抗議 を 申し込む ことにした。 同時に 鬼に 角目黑 園の 主人 (家の 差 5-) をして 駐在所 

へ 注意せ しめた。 昨日の 原稿 を以 つて 日日 社を訪 ひ、 後藤 又 男 氏に 會 つた。 そして 二月の 小說を 引き 

受けた。 その上 * 都合に よりて は、 每號何 か 書く こと を 約 東す るか も 知れない。 池 田 氏と 社と に 立ち 

寄って、 歸宅。 け ふの 記念日の 爲め 妹が 呼ばれて 來てゐ た。 上司 氏も來 た。 駐在所の 巡 查を訪 ふて、 

かけ 合 ひの 樣子 を聽 くと、 池 上の 主人 を 呼び ffi して 充分 注意 させ、 以後 犬 を 出させない やうに 固く い 

ましめ ると 引き受け たので、. 僕 等の 申し 合せ は 一先 中止して 置く つもり。 池 田 氏へ ハ ガキ、 池 上 氏へ 

注意の 手紙。 高 橋 (久) 氏より ハ ガキ。 扶桑 新聞より ハ ガキ。 

十二月 十日。 晴。 高 橋 (久) 氏へ ハ ガキ。 扶桑 新聞へ 返事。 日本 新聞社の 赤 岩 氏 來訪。 原 夫婦 來訪、 

渠 等と 僕 夫婦と 東京に 出で 橋 善の 天 ぶら を 喰 ひ、 それから 永 夢 軒に 行く。 原 氏より 備前 燒の龜 の香爐 

を 貰った が、 負ぶさった 方の 龜が 取れて ゐ た。 

十 一 一月 十 一 日。 晴。 北 村 夫婦 來訪。 堯き 附ぎ屋 をして 昨日の 龜 をく ッ つけさせた。 午後 一 ^頃 洋種 



ニ卷 二】 二】 

が 少し 出 遊した が、 第 一 號と 第三 號とは 全く 出ない。 第二 號は、 日 あたりが 袋 もい いせいか、 二"』 過 

ぎまで や t 山 出入りし たが、 何も 取って 來 るので はない やう だ。 識訪 氏より 返 1^ があった。 口 シャの 峰 

蜜が 乳白色で あつたと 云 ふの は 素人の そら 目 だら う。 味 は 寒觀の は暧阔 のよりも 惡ぃゲ ノぃ。 m 脾端 のか 

ぴは そのまま にして 置いても よから うし • また 一 鹿 乾燥 させて 後 返して やれば 1歷 いい。 ただ 保温 上 

の不行 届から 氷 蒸氣の 還元の 爲 めに、 生へ る笞 でない ところに 生へ たかび は餘 ほど 注意し なければ な 

ら ない。 と 云 ふやうな こと だ。 洋種 はこの 樣子 ではう まく 越年す る だら う。 飜譯 十六 枚。 

十二月 卜 二日。 晴。 K 炭 を 費り に來 たので、 十一 俊 を そっくり 買 ひ、 橡の 下へ 入れさせた。 小 5^ の 

癧 床の 周 園が それが 爲 めに 風 當りを さけ、 あつたかく なった。 蜂 は どの 群 も 隨分出 遊した。 そして 多 

少は どす 赤ゃ靑 みがかった 花粉 を 取って来た。 け ふ、 目 黑圚の 主人が 買って 來た 大きな ビヮの 木に は 

澤山 花が t; いて ゐた。 飜譯 十四 枚。 

十 一 一月 十三 日。 晴。 中 村 (武) 氏より 手紙。 淸水氏 • き 代 氏 来訪。 洋種 は、 け ふ • 午後 一 時 前に、 ^ 

山で 空 氣浴を やった。 今 井 郁太郎と 云 ふ 人、 水 野 氏の 紹介 を以 つて 来訪、 1 新 愛知」 の 新 ¥號 に 短 is 十 

七 八 枚 を 依頼した ので、 舊作を I 篇 渡す ことにした。 飜譯六 枚。 

十 一 一月 十四日。 晴。 蜂 は 相 變らす 出る。 水 野 氏を訪 ふ。 飜譯十 一 枚。 

十二 十五 曰。 雨。 列の 如く、 就褥 S の 三時 半。 十 1 時、 起床。 葡作 「店頭」 を 訂正して 新 愛知へ 與へ 



る ことにした o 

十二月 十六 日。 晴。 飜譯八 枚。 午前 二 時半 就褥, 十 時 起床。 後藤 氏より 手 SJ。 け ふ、 峰 を 調べて! 2- 

た。 まだ 花粉 (ビヮ の だら う) を 取って 來 るので、 產 卵が あるか どうか を 調べて 見た の だ。 どれに もな 

かった。 邦 種 第二 號 より は 第三 號の 方が まだし も强 群の やう だ。 洋種 はどう も 心細い、 產卵を 中止し 

てゐ て、 毎日の やうに 少しづつ 死んで 行けば, この 冬 中に 絶え はしない か? 貯蜜は 多い が、 各 ワクの 

りが 小い。 池 田 氏 を訪ふ • f 

十二月 十七 曰。 晴。 飜譯七 枚。 就褥 午前 二 時、 起床 十 時。 博 文 館。 池 S 氏 (日本へ) を訪 ふ。 加 藤氏 

より ハガキ 

十】 一月 十八 曰。 雨。 飜 譯 十五 枚。 就褥 午前 三時。 床士 一時。 一 昨日 警察署へ 飼犬 届 を 出した が、 

耍點は 名 r. 小 僭./ 明治 四十 五ハヰ 四月 生 * 大正 元年 十月 一日 大阪 より 伴ひ來 たる 洋犬、 黑 みがかった 茶 

色 • 爪す ベて 黑し • 暴 筋に Q き 毛少々 あり * 胸に も 白き 毛 あ. =v 、尾 は 長く 天 向きに して 毛 は 房々 す、 胸 

から 腹 並に 尾の 裏側に かけて 白き 毛 あり、 耳垂 る- 身長 三尺 餘、 價 五十 圆也 * 以上、 大正 元年 十二月 

十六 日 届。 加 藤 (朝 )• 後藤 * 中 村 (盛: r 小 林 (一) 氏へ ハ ガキ。 上司 氏と 將 棋.' 三 潘勝、 一番 負。 

十二月 十九 日。 曇。 飜譯五 枚。 就褥 午前 二 時 • 起床 十 時半。 畜犬 届 訂正 を 命ぜられ、 本日 書き かへ 

て 出す。 飜譯四 枚。 



si m.HS 1 一一 I 四 

十二月 廿日。 fsonK 主敎の 秘密 生活」 (廿 枚) を瞽 く。 就 梅 午前 二 時 牛、 起床 十二時。 森 (^) 氏より 

芋 紙。 前 田 (晃) 氏より ハガキ * それに 返 1^。 きの ふ、 下女が 額 を 赤く して 「口; 那 さん」 と S ふ。 何 か 

と 思 ふと、 下帶を 犬が 隣り の 小犬と 一 緖に喰 はへ て 引き 破って ゐ ると 云 ふので あった。 が, I- はし ッ 

かりつ けて ゐ るので、 多分 どこか 外の 主人の ふんどしで あつたの だら う。 

十 一 一月 一 一十 一 日。 曇。 夕方より 雨。 飜譯 十六 枚。 就褥 1 一時 半、 起床 十一 一時。 新潮 社から W 報。 蜂 は 十 

八日の 雨から 以來 • 曇り勝ちで 寒い から、 了 M に 出 なくなった。 社の 井口 氏來訪 。新潮 壯 より ハ ガキ。 

上司 氏から 呼びに 來 たので、 行って 見る と、 岡 村 氏 並に 渡邊 (守 一) 氏が 來てゐ た。 淸子、 け ふ 三越 か 

ら 人形 を 買って 來て 大悅び だ。 一 ニ年來 望んで ゐた 一 つの 望みが 達せられ たからで あらう。 これで H 五 

曰來の 含み 合 ひが 直った ので あらう か? 

士 一月 1 一士 一日。 曇。 飜譯 十六 枚。 就褥 午前 五 時、 起床 午後 一 時。 社 並に 今 井 i) 氏 へ 行く。 

十一 一月 1 1 十三 曰。 曇。 飜譯十 枚。 就褥 午前 五 時半、 起床 午後 一 時半。 新潮 社 へ 行き、「正樊先^-レの^3 

料 廿三圓 を 受取る。 夕刊 を 見る と • けさ は 東京 市中が 非常. な 靄で、 二 £1 しか さきが 兑 えなかった さう 

だ。 夕刊で 思 ひ 出 したが、 この間 中 は政變 のこと で 外出す る 度 毎に 夕刊 をい そいで 賈 つたが、 この^ 

ではもう さきが 分って しまった。 兼ての 望みなる 政 へ關 係す るに は、 この 政 變前, もしくは K 鍵 中 

になら 都合が よく、 また 多少 直ぐに 注意 を 引く 蓮 動 も出來 ただら うに、 情けない ことに は、 まだ 今回 



歸京後 仕事が 定ら ない ので 心に 落ち 付きがない。 それに • 贊は * 政 友會と 國民黨 との 感情的、 窜情的 

分立が ある 間 は、 鮮明な 旗幟 を 立てて 活動す る ことが 出來 まいから * 新參 者と して 而も 有力な こと を 

しょうと する ものに は * 不快で あるに 決って る。 昨今 * 兩黨の 聯合 運動 は 時期に 適して ゐ るが、 とて 

も 分明に 惡 分子 を 陶汰 して 純粹の 民黨を 建設す るに は 至るまい。 仲 小路 氏 は、 とうとう 多年の 望み を 

遂げて、 大臣に なった。 渠を 直接に は 知らないが、 僕の 「巡査 日 g たに 出る 高等官が それ だし、 その 巡 

査ゃ 書生 は渠の 家に ゐ たこと も ある もの 等で、 そのうちの 巡査に なった ものと 僕と は、 國にゐ た 時、 

今の 仲 小路 夫人 を I— その 時 はかの 女が まだ 同氏の 下女に 行く 前であった I . 取り合 ひした こと も あ 

る。 同氏の 外に、 內閣 書記官 長に なった 江 木 氏 も 僕 は 知つ てれば、 地方 局長に なった 湯 淺氏も 知って 

る。 兎に角. 新時代に 近い 人々 が 政權を 握れる やうに なった の は、 如何に 官僚 派の 內閣 が不滿 足で も、 

1 つの 進歩で ある。 

十二月 二十四日。 暗。 飜譯九 枚。 就褥 午前 四時 • 起床 11 正午 頃。 水 野 氏の 來訪 によって 呼び 起さ 

れた。 北 村 氏 來訪、 大 阪帝國 座の 返り 舞 W 開きに エル ガを 持って行く 相談が ffi 來 たら * 1 緖 について 

行って くれろ とのこと。 土曜 劇場に 行き、 『父親」 と 「傳 聞」 と を 見た。 今 井 (郁) 氏より 稿料 七圓。 

十. 1 一月 1 一十 五 曰。 晴, 「屁 ッぴり 腰の 西洋人」 (十 一 枚) を 書いた。 就褥 午前 三時 十分" 起床 午後 一 時。 

高 橋 (五) 氏を訪 ふ。 蒲 原 氏へ ハ ガキ、 靑木 氏の 「發 作」 の畫 稿が 發見 せられた から、 それの 知らせに。 

目 黑 nn Si ニー I 五 



泡 鳴 1*1 集 第 十二 卷 【11H ハ 

十二月 二十 六日。 晴。 飜譯五 枚。 就 福 午前 二 時、 起床 正午。 髓&, 膨田、 後藤 三 氏へ ハ ガキ。 正午 

過ぎに 洋種が 數 t ^出 遊した。 

十二月 二十 七 B。 晴。 飜 譁 十七 枚。 ムブメ ントの 本部 譯了。 就褥 午前 三時 半- 起床 十 時。 社の サラ 

リ 三十 圆を 持って来て 5.1^ れた。 社へ 行く。 

十 一 一月 一 一十 八日。 夜 • 雨と 雪。 飜譯五 枚。 就褥 午前 1 一時 半 • 起床 十 一 ^。 日 高 氏より ハ ガキ。 博 文 

館 文 奪 世界より 稿料 十一 0。 夜、 雪が 降る ので、 蜂の^ 門 につみ ふさがらない やうに、 蓋の 上から 新 

聞 紙 を 常て て やった。 上司 氏のと ころで、 雉の 肉 を 、ふ。 

士 一月 1 不.? -曰。 雪。 飜譯 十 一 一枚。 就褥 午前 一 時半、 起 十 一 時。 ゆ ふべ からの 雪 は 積もって 四 五 

寸 になって ゐた。 日本 蜂が 1 匹 飛び出して 椽が はに ころがった。 小 僭 は 生れて 初めての 雪で、 これが 

何だか 分らない の だら う、 初めは 喰って たりして ゐ たが、 塞い ので いじけて ばかり ゐる。 午後 二 時 

嚷も なほ どんどん 降って ゐる。 夜 • 隣家の 醫者田 中 氏を訪 ふ。 

十二 月 三十日。 晴。 飜譯七 枚。 午前 一 時, ® はやんで ゐ たが、 寒く 曇って る。 就褥 午前 1 時 十分 • 

起床 十 一 時。 後藤 氏より 稿料 十圆。 高 橋 (五) 氏を訪 ふ、 それから 社へ 行く。 け ふ- 蜂 は?.: 遊した。 飜 

譯五 枚。 これで r ヴメ ント」 の 本文と 解題と を 全部 譯了 したわけ だ。 二百^ 一枚で 終った が、 へお 一中に 

一度 雑誌に 出た の を そのまま 訂正して 行った のが あるので、 都合 二百 七 八十 枚に はなった わけ だ。 丁 



度 夜の 十二時 だ。 就褥. 一時。 

十二月 三十 一日。 暗 C 起床 午前 十 時。 け ふ も 蜂 は 出た。 蒲 原 氏より 手紙。 夜、 淸子 と共に 高 橋 (五) 

氏を訪 ふ、 僕の 飜譯 のせ? 斜 少しも 取れなかった さう だ。 それから 銀座 を ぶらつき、 歸宅 午前 1 時。 



si 第 十二 卷 ニニ 八 



大正 二 年 



一月 一 曰。 晴。 起床 午前 十 時。 水 野 • 松 下、 若宮 • 森、 前 E (夕: r 平 出、 1 戶、 川, 川路 • 奧村. 

島 川、 識訪 • 藤 井、 文藝 協會, 宮田 氏より 年始 狀。 上司 氏へ 行き- 来訪の 大杉、 荒 畑 氏 等と 夕方まで 

話した。 蜂 は洋穩 も澤山 出た ばかりでなく • 花粉 を 取って来 るの もあった。 

1 月 1 一日。 晴。 翻 書の 序文 十五 枚。 就褥 午前 1 一時、 起床 十 一 時。 蜂 は 出なかった。 

1 月 三日。 晴。 起床 十 1 時。 蜂 は いづれ も 出た。 洋種の は、 花粉 も 取って 來 たのが ある。 年始 狀の 

來 たの は、 岡 田, 矢 島、 井 ロ* 麻 田、 生 田 (弘 y 水 島 • 宫 飼- 須, 北山。 

1 月 四 nl。 晴。 年始 狀 小た の は, 水 谷 • 增永 (尙 )、 淺田。 i 豕を 探しに 出た。 

1 月 五日。 晴。 青木 氏の 追 回 を 三た び 訂正し、 十八 枚に なった。 就 梅 午前 一 一時 十五 分 a 起床 十 一 時、 

美 好 野, 青木 • 武籐 * 古谷、 振 根、 十 合より 年始 狀 妹 夫婦 來訪。 越後へ 行って ゐた韆 母が 歸 つて 来 

たので、 妹と 一 緒に 來 たが、 近々 うちへ 入れる ことにした。 



r 



一 月 六 曰。 暗。 午後 一 時 起床。 年始 狀 * 高 島, 神 崎、 1. 荒木 • 正宗 (得) • 上 山。 小 林 ( 一 )。 文 1 

章舉會 より 手紙。 俾文舘 へ 原稿 を 持って行き • 歸途、 社に 立ちよ る。 たまたま 淸水 氏に 會 つたら、 雜 

誌 を 出す から 頼む と 云って ゐた。 永點 以下 十三 度に 下った 寒さ は、 珍ら しいさう だ。 

1 月 七日。 晴 or 西洋人 靴の 跡」 (十八 枚) を 書いた。 就 橘 午前 四時 • 起床 九 時。 文章 擧會へ 事。 秋 

江 氏へ 返事 。柬 京へ 出る 

1 月 八日。 暗。 就褥 午前 1 時、 起床 十 一 時。 新聞記者 を 村 料の 小說を 書き初めた。 齋籐 • 田 口 氏よ 

. ^年始 狀。 

一 月 九日。 曇。 起床- 午前 十 一 時。 原 氏 來訪。 文章 世界で r 靑木 氏の I 面」 を 返して 來 たので、 早稻 

m 文 * に 送った 。「新聞記者」 (一 一十 五 枚) を 書き終る。 

一月 十 曰。 暗。 午前 二 時 十五 分 就 褥* 起床 十一 時。 小說を 書き足して 二十 八 枚と なる。 け ふ、 勒め 

て。 人家の 北側の 家 根に 雪が 解ける のを兒 た。 树本、 松 • より ハガ キ。 

一月 十一 曰。 晴 。「高 橋 五郎 氏」 (十 枚) を 書いた。 就褥 午前 1 1 時 • 起 m 十 一 時。 文章 世界 へ 小說 原稿。 

讀書之 友の 稿料 六圓を 取りに、 讀寶に 行く。 中央 公論より 手紙 • 返事。 社へ よる 。『冷 酷なる 愛情 觀と 

婦人問題』 (十 枚) を 書いた。 

1 月士 一日。 晴。 就褥 午前 零時 十五 分、 起床 九 時。 平 嫁 女史へ 原稿。 粗 山、 树本、 新 愛知 支局へ ハ 

目 黑日 S3 二】 ーナ 



泡鳴<^集 ^十二 卷 1 四 〇 

ガキ。 犬の 頸輪 を 失った ので、 いいの をつ けて やった。 峰 群の 第三 號を 調べて 兒 たら、 貯盥を 半分 は 

喰って しまって ゐる。 け ふ は、 どの 群 も 出 遊した。 淸子 と共に 千 住へ 行き * 歸 りに 荒木 氏を訪 ふ。 53 

守に 正宗 (白) 氏 來訪。 就褥 十二時 中。 

1 月 十三 日。 晴。 起床、 午前 十 時。 高 橋 氏よ, リハ ガキ。 高 橋 氏を訪 ふ。 「日本語ば かりが; 5 で 不完全 

だ」 (阿部次郎 氏 へ ) 十 枚 を 書い た。 

一 ni: 十四日。 晴。 午前 四時 就褥, 午前 十 時 起 {ir 

一月 十五 日。 晴。 博 文舘へ 行き a 料 十九 回 六十 錢を 受け取った。 同 舘で鈴 木 三 璽士" 氏に 初めて 會 

つた。 新潮 社へ 行き、 それから 今 井 嬉を訪 ふ、。 加 藤 (朝) 氏よ.^ ハ ガキ、 その 返事。 中 村 (武) 氏へ ハガ 

キ、 德 E (江) 氏より 原稿 「博 文舘」 が來 たので、 「魁」 へ^る。 

1 月 十六 日。 晴。 起床 九 時。 

一月 十七 ほ。 雨。 就褥 午前 零時 十五 分、 起床 午前 十 時。 ゆ ふべ からの 發熱 はけさ 少し 本物に なって 

來た or ぼんち」 の 訂正 を 終った o( 六十 枚に なった y> 中 村 (武) 氏より ハガキ or 平家物語に 就きての S: 究レ 

(前篇) を通讀 し、 曾て 僕が 文章 世界に 出した 平家 論のう ちの * 著 教に關 する 部分に 訂正 を 加へ た。 氣 

分が 惡 いから 十 I 時に 床に 這 入った。 

1 月 十 r< 日。 晴。 起床 午前 十一 時。 赛^ 堂へ 原稿。 北 村 氏へ、 「魔の 夢」 の 三 m 文 雞报戟 を る。 け 



ふちよ ッと 洋種が 出 遊した。 夜、 雪が ふって るのに 氣が 付き、 蜂の 箱の 巢 門に すべて 新聞紙 を かけて 

やった が • 僕は考 へた —— これ は 素人の やり方 だら う。 と 云 ふの は、 紫 門 中 は 蜂の 熱で ぁッ たかい 

ので、 巢 門外の 雪 はすべ て 解けて ゐ るからで ある。 

1 月 十九:::。 晴。 風邪で 引ッ 込んで ゐた。 

一月 廿日。 隋。 昨日 淸 子が 女優に ならう と 云 ふ 決心 をした ので、 け ふ、 北 村 氏 を訪ひ • その 方法 を 

相談して a た。 原 氏を訪 ひ、 「ぼんち」 中の 大阪語 を 讀んで 行けない ところ を 直した。 

1 月 二十! 日。. 晴。 起床 午前 十 時。 淸子 をして 原稿 を 中央 公論 社へ とどけさせた。 洋種 は、 け ふが 

大寒の 入りなる に拘ら すあった かいので、 頻りに 出た。 德田 (江)、 高 橋 (五) 氏より ハ ガキ。 高 橋 氏へ 

ハ ガキ。 社へ ハ ガキ。 高 橋 縫 子 氏より ハ ガキ。 

一月 二十 二日。 雨 (午: 11 十二時まで)。 高 橋 (久) 氏より 手紙。 それに 對 する 返事 (八幡 町の こと)。 高 食 

氏 へ 屮 I 版 物 P 交渉。 坪內氏 へ 手紙 (淸子 を 文藝協 曾の 擧 校 へ 通 はせられ る もの かの 問合せ) 

1 月 二十 三 《1。 晴。 高 橋 (久) 氏へ 手紙 (昨日の 退 寄 を)。 薄 田 氏へ ハ ガキ。 風邪 を 直しに、 森の 宫の 

鑛 泉へ 行って、 一 泊。 

1 ?^:ニ十四日。 暗。 夕方、 歸宅。 高 橋 (五; r 高 倉 • 德田 (江) 氏より ハ ガキ。 

1 月 二十 五日。 晴。 德田 (江) 氏より ハ ガキ。 坪內 氏より 返事。 川 手 氏を訪 ひ、 それから 訴訟の まだ 

目黑 日記 一 四 1 



li , お 十二 卷 T 四 11 

そのままに 進涉 しない ことで 平 出 氏と 會 見す 

】 月 二十 六日。 晴。 

1 月 二十 七日。 晴。 平 出 氏より 手紙- 同じ 事件で 岩 田 氏の意見 を 問 ひに 行く。 川 手 氏 を 訪ふ。 德^ 

氏よ リ r カキ、 同じく 返事。 長 谷川 (勝) 氏へ ハ ガキ。 社より ハガキ け ふ、 邦 種 第 一 號と 第三 號 とが 

S 氣浴 をした さう だ。 洋種 も 出 遊した。 - 

一月 二十 八 R。 晴 orm^ 想界の 維新 を 菊せ よ」 (十五 枚) を 書いた。 午前 四時 二十 分 就褥。 地方 裁判 

所の 撿事 を訪 ふ。 社 並に 池 田 氏を訪 ふ。 

一 月廿 九日。 風。 生 田 (葵) 氏よ. =s《 ガキ。 中 村 (武) 氏より ハ ガキ。 中 村 (武) 氏へ ハ ガキ。 高 橋 (五) 

氏 來訪。 蜂, 出 遊。 

1 月 三十日。 晴。 僞 版の 件に 付き、 僞版 者の 武田 * 媒介 者 阿野 源と を訪 ひ、 川^に 至り、 版元 西 村 

氏 を 雷 話で かけ 合へば、 明日 會見 したしと のこと。 

一 月 三十 一 日。 晴。 峰, いづれ も 出 遊す。 高 本 養蜂 場の 高 本 孃來訪 高 橋 (五) 氏より ハ ガキ。 高 橋 

(久) 氏より 手紙。 西 村 氏と 會見 (川 手 氏 宅に て) 

二月 I 日。 晴。 高 橋 (久) 氏へ 返事。 

二月 二 曰 11 五日。 反省 社へ 行った ついでに、 「人生と 表現」 社へ 立ち寄り、 三 井 氏に 會ふ (四 五 年 前 



二三 度 訪問して くれたが * いつも 留守で あつたの を 思 ひ 出して)。 長 田 (幹、 北 村、 = ^手 氏より ハガ 

キ。 反省 社より 手紙。 この頃、 氣候 があった かく、 梅の 花が 二三 輪づっ き 初めた ので、 峰が 働いて 

る やうお。 ぼつ。 ほつ、 花粉 を 運んで 來 るが、 その 色 は 白に 靑み を帶 びて ゐて、 まさに^ かんとす る 梅 

の つぼみの 色と 同じ だ。 、れ、 ん 、げ! ^の 花が 唉 いて ゐ たの を 見た。 反省 社より 稿料 五十 五圓。 

二月 六 曰。 雨。 森 (盛) 氏 を 訪ふ。 高 橋 (久) 氏より 手紙, 同じく 返事。 近代 si 社より ハ ガキ、 }^ 

尊 、 

二月 七 曰。 暗。 蜂. 第二 號を 除いて は • すべて 出 遊した。 高 橋 (五) 氏へ ハ ガキ。 木 村 (鷹) 氏 を訪ふ 

IO 正宗 (得) 氏を訪 ひ、 青木 氏の 害 7 運命」 を 持ち 歸る (僕の 所持 物で あるから)。 中央 公論 三月 號に 

載る r ぼんち」 の 校正 をした。 

二月 八日。 晴。 

二月 九日。 晴。 蒲 田へ 淸子 と共に 梅見に 行った が、 まだ^いて ゐ なかった 近代 思想 社の 招待 を受 

け、 鴻の巢 に 行く。 客 は 內田魯 庵 氏と 僕と であった。 席で、 土岐、 和氣ニ 氏に 初めて 會 つた。 

二月 十日。 晴 or 犬の 話」 (二十 四 枚) を 書き終へ た。 夕方、 淸 子有樂 座の 稽古から 歸り來 たり、 燒き 

打ちが 初 まった と 報告す るので • 北 村 氏の 宅まで 出て 行って、 電話で 所々 の 形勢 を聽 いたりした。 北 

村 氏 は 今回の この 事件に 感激して * 藝術界 でも この種の 運動 を やるべし だと 云って ゐた 僕 は 無論 そ 

目黑日 SS 】 四- 1 . 



泡 鳴. 集 節 十二 卷 1 四 四 : 

の考 へで 初めから やって ゐ るので ぁゐ。 一 

; 万 十 1 日。 晴。 內閣 總辭職 (桂 第三 次の )。 高 橋 (久) 氏より 手紙 • 同じく 返事。 けさ • ! _^暖 計 四十 一 

二 K。 この 二三 日 は 蜂 出 遊せ す。 一 

二月 十二 日。 晴。 川 手、 泡 S 氏を訪 ふ。 風月 堂で 池 田 a 後藤 六彌、 ^庭 三 氏に 會ひ、 歸途 伊庭 氏と 一 

上 山 氏 を 訪ふ。 一 

二月 十三 日。 晴。 有樂 座での 稽古 を 見に 行き、 淸子 と共に 歸 りに 銀座 を ぶらつく。 一 

1 一月 十四日。 晴。 高 橋 (久) 氏より ハ ガキ。 

一 一月 十五 日。 晴。 靑年會 館に 於て、 靑鞛 社の 演說會 に 臨み、 ! 席の 演說 を爲 した。 大阪 毎日より ハ 一 

ガキ。 日 高 猎兵衞 氏より 同 籐兵衞 氏の 死去 報告。 一 

二月 十六 日。 晴。 高 橋 (五) 氏より r カキ。 日 高、 原、 北 村 氏を訪 ふ。 一 

二月 十七 日。 晴。 木 村 (廳) 氏より ハ ガキ。 淸子 と共に 北 村 氏 を訪ふ (土曜 劇場 はぶち こわれた らし 一 

く、 別に 方面 を か へ て 約束が 成立す るら しい )o 

二月 十八 日ゥ 夜に 入って 雨 あり。 この 1 二日 來 * 梅の 花 大分に 開いた ので、 蜂 も 行く らしい (洋重 

と 第三 號 とが 出た )o 日 高 藤兵衞 氏の 葬式に 行った 歸 りに, 郁子 氏 * 歌 子 氏- 福 廻 氏, 田 山 氏を訪 ふ。 一 

二月 十九 日。 晴。 け ふ、 すべての 蜂 群が 出 遊した。 結婚 届の ことで 芝 K 役所へ 行った。 川 手 • 長お- 



川 (gy 高 橋 (五) 氏を訪 ふ。 西 村 氏, 懦版 問題の 件で 來り, 詫び 狀と 三十 圓と を^ 守に 置いて 行った 

が、 これで は 承知 出來 ない。 0. 快癒 • 八 王子に 行った 

二月 サ日。 晴。 昨夜の 大火の 爲め * 祌 田の 方面へ 見舞 ひに 出た。 郁子 氏 • 平 出 氏 * 忠誠 《患 等 は 無事 

だが、 駒 木 氏 はやられたら しいが、 分らなかった。 

一 一月 廿 一 日。 夜に 入って 雨。 西 村 東雲 堂の 代理 來 たる。 田 中 氏を訪 ふ。 山 本內閣 成る。 

二月 廿 二日。 夜に 入って 大雨。 正午 前後に 蜂 群す ベて 出 遊 寒暖計 六十 三度であった。 東雲 堂よ.^ 

返事 あり、 示談 を 破って 來た。 , 角 田 氏より 乎 紙。 巖 より 手紙。 長 谷川 (勝) より 繼 母が 怪我 をした と 云 

ふ 電報が 來 たので。 行って 見る と、 動 車に 引かれた のであった。 相談の 上、 病院に 入れる ことにし 

た。 近處に 猫柳が 晚 いて ゐる。 

二月 廿三 曰。 晴。 高 橋 (五) 氏、 K 寸に來 たる。 伊藤 野 枝 氏, 靑韆 社の 演說 料十圓 を持參 した。 寒暖 

計 五十六 度。 

】 一月 廿 四日。 晴。 池 田 * 春陽 堂 * 日 高、 德田、 高 安 氏を訪 ふ。 

1 一月 廿 五日。 正午より 雪。 西 村 (辰) 氏より 手紙。 一 慕 物 「停電」 (四十 一 枚) を 書き終る。 

1 一月 廿 六日。 朝から 晴。 正 前 一 時半、 峰の 箱 を 見て やった が、 地上 一 寸 ばかり 積んだ 雪が 箱の 巢門 

に は 消えて ゐ るので、 それ をふさぐ 恐れ はない と 思った が、 念の 爲め 洋種の だけに 新聞紙の おひ をし 

目黑 日記 一四 五 



泡 鳴 fgi 第 十二 卷 I 四 六 

て やった。 雪 はこの 曰 中に 消えた。 

二月 卄 七日。 

二月 卄 八日。 ま: 陽 堂より 十回 八十 錢。 西 本 氏 來訪。 

三月 一 日。 風。 中 村 氏より 新潮の 原稿 依頼、 巖 より ス ガキ。 巖へ ふとんと 手紙。 樱 井 (茂) 氏へ 手紙。 

三月 二日。 晴。 帝國 公論より 原稿 依賴。 病人 兑 舞の 歸 りに 高 橋 (五) 氏を訪 ひ、 吉 E 潔 氏に 會 つた。 

三月 三日。 暗。 水 野 氏 來訪。 病人 見舞。 

三月 四日。 晴。 「表象 派の 提供」. (二十 四 枚) を 書き終った。 繁有會 社の 婦人 博覽會 より 手紙, 同じく 

返事。 

三月 五日。 晴。 繼 母の 被害に 關 する 示談が 整 ひ • 養生 寶 費の 外に 示談 金 百 五十 圓を 受取った。 

三月 六日。 晴。 蜂が 出動して、 足に 黄に 靑 みがかった 花粉 を 取って 來 るの を a た。 多分 梅の 花の だ 

らう。 淸子 と共に 丸 善に 行き • 外 國雜誌 リビング H ジを 注文し、 H レン ケィの 「愛と 結婚」 を購ひ • そ 

れ から 平 稼 明 子 氏を訪 ふ。 歸 りに 武林氏 を も 尋ねたら、 丁度 母堂の 死去せられ たと ころであった。 

三月 七日。 雪 少し 降る、 風 ひどく、 寒い。 深 川と 撗濱 とに 大火の あった 號外。 阿部 氏の 答へ に 答へ 

る 論 (ra 枚) を 書いた 。『表象 派の 提供」 の 終りへ 附 する。 長 谷川 (天) 氏轉 居の 通知。 

三月 八日。 曇。 薪 潮へ 原稿。 川 手 氏へ た カキ。 西 村 氏へ 乎 鋭。 中 村 (武) 氏より ハ ガキ。 黑崎 氏を久 



し 振りで 尋ねて た。 . 

三月 九日。 晴。 上司 氏 方で^ 谷 氏と 俊との 會食 があった 。「婦人 を 了解せ よ」 上 (二十 一 枚) を 書き終 

る 

コ: 月 十 口。 晴。 帝國 公論へ 原稿 を 持って行き、 歸 りに 中 野へ 行き * 蒲 原、 野 口 * 瀨沼三 氏 を 訪ふ。 

三月 十 j 日。 晴。 木 村 (廳) 氏 來訪。 西 村 > 後籐 1 一氏より ハ ガキ。 西 村、 後藤 • 日 高 三 氏 へ ハ ガキ。 

三 十二 日。 晴。 家 を さがしながら、 ^谷 あたり を ぶらつき" 歸路に 水 野 氏を訪 ふ。 

三月 十三 日。 晴。 け ふ、 東京へ 出ようと して 目 黑ステ ー シ ヨンの プラト フォム まで 行った が 氣^ 

が 進まない ので 歸 つた。 そして 綠の箱 を 明けて 見た。 越冬 以來 初めての 調査であった。 先づ 洋種 を 調 

ベて 兒 たら、 五 枚 完全 枠の 各 兩面を 都合 十 面 あるう ち • 六 面に 峰が 附着して ゐて、 四面に まだ 貯 蜜が 

錢 つて ゐた。 獎勵給 蜜の 必要 もない と 思った ので、 貯 蜜の 幾分 かの 蓋 を 切って やった。 產卵 はま だ 初 

めて ゐ ない。 次ぎに、 第 一 號の邦 種 を 調べた。 七 枚す ベて m 脾 半分の 枠のう ち、 三枚に は 旣に產 卵 並 

に 幼 蟲が出 來てゐ る。 そして 二 枚 は 殆ど 全く 蜂が とまって ゐ ないし、 全體 のうちの 二 面 だけに まだ 貯 

蜜が 殘 つて ゐる。 第 1 1 號と 第三 號とは 饑餳徕 死であった。 去 七日の 雪の 日に 失敗した ので あらう か? 

鬼に 角、. 數日前 • 第三 號の嚴 門外で 蜂が 四 五十 匹 も 倒れて ゐ たの を 見た 時、 注意して やれば よかった 

の だら う。 働き はし 初めた が、 さて It 蜜が 切れて ゐ たの だら うから • 早く 給 蜜して やる 必要が あった. 

目黑日 訊 5* 



泡 鳴. {ft- ^十二 卷 

の だ 死 蜂の 跡 かたづけ をして から、 胸の あたりに ぴくぴ くと 痙攣 をす るの が 分って、 机に 向っても 

落ちつけ ない。 煙草 を 中止して、 玉子 を 二つ 1.^ つた。 上司 氏 を 訪ねたら * 大杉、 荒 畑 二 氏が 來て居 

feo 水 野 氏 もやって 來た 左の 如き 曰 記 (六 枚 半) を 「蜂と 人」 として 水 野 氏の 雜 誌からの 依頼に 報いた。 

⑩ 

蜂,、」 人 

1 二月 十三 日。 

おひ、 水 野 君、 君の 『木と 草』 を讀ん だよ。 そして あの 中に 現 はさう とした 感想 — 寧ろ 哲理 若し 

く は具隱 思想 だと 云 ふ デマ ンドを 君 は 持って る だら うが I を あの 程度に 於て は 充分に 受け取れ 

-た。 が- ああ 云 ふ 沈思 默考の 行き方に は、 旣に旣 に、 メタ リンクの 行き方に 最上の 實 例が ある 通り 

見え透いた 型、 乃ち、 淺 薄な 形式が つき 緩って ゐ るに 決った ものである。 

1 面に は、 新ら しく 感覺 から 出發 して、 草木、 呼吸、 繁茂、 沈默と 進む。 他の 一 面で は、 感覺界 

と 無理で 突飛な 關係を 持たせられた 神秘に つづいて、 運命、 靈魂 • 沈 默と來 る。 そして この 兩 方面 

の 到着 點 なる 沈 默は、 內容に 於て 不同 1 であっても、 呼び名 さへ 同じければ 同一 だと 見て、 それ 以 

. 上の 反省 ^<ら ない とした 1 さう 云 ふの が、 君の 形式、 否、 あの の 感想文 中に 於て 君が 有意的 

にか、 無意 的に か、 どッ ちかに 眞 似した メタ リンク 常赛の 形式で ある。 そして さう S ふ 形式の 沈思 



默考は * 單 に修辭 的な 默考に 落ちて、 その デマンド する 哲理 若しくは 具體 思想 を 表現す る ことに は- 

ならない 

デマンド、 乃ち、 要求す ると ころが 如何に 立派で も、 資現 すると ころが 単に 修辭 的で あったら 

_ そして 君の が 大抵い つも さう でない と は 云へ ない ので ある。 君 はよ く無雜 作に 人の 生活 を 粗野 

とか、 雜駁 とか 云った ことがあ るが、 それが 多く は • 君の 落ち入つ てる 缺點を 知らないで、 修辭的 

に 沈思 默考 する こと を 有雅、 不雜 だとす ると ころから 來てゐ た。 けれども * f あの こんな 先入見に 反 

對 する 僕 等の 沈思 默考の 結 架、 乃ち > 生活 は、 如何に 親雜に 見えても、 修辭的 程度に とどまって は- 

ゐな いので ある。 そしてた だ修辭 的に あらゆる 雅致 を盡 したの が 最も 精練 せられた 生活 だ、 などと 

は 思 はれない ので ある。 

感覺が 思想で ぁリ、 思想が 感覺 として 活 きる 表現 は、 メタ リンクの 傾く ニ元觀 では 出来ない。 君 

の 修辭的 生活で も、 無論、 出來 まい。 然し、 君、 話 は 別と して、 君が 草木の 生活に 關 して 感じた 若 

しく は 感じよう として 失敗した こと を * 僕 はこの 1 二 年間 蜂に 就いて 感じて 來 たので ある。 今、 C 

こに 君の 形式 を 借用して 『蜂と 人』 とで も S ふ 小品 を 作る よりも、 ぃッ そ、 作らない でし まひ 込んで 

置ぐ 方が いいと 思 ふが、 きの ふ も 君の 家で 蜂の 話 をして 來 たついでも あるから * あれに 加へ る 報告、 

を 1 つして 置く よ。 

目黑日 SS 「四 九 



泡 鳴< ま? 十二 卷 I 五 〇 

外で もない が、 越冬が うまく 出來 たと 思って ゐた蜂 群 を、 け ふ 調べて たら、 そのうちの 二 群が 

機 鶴 徕死を やって ゐ たこと である。 去年の 九月、 十月 頃から 人 Si と 同様、 越冬の 準備に かかり、 ど 

の 群に も 春までの 消費 蜜 も貯 へさせ、 凍みの^^らなぃゃぅに箱を】 一 重に してやつ てあつた。 

今年に なって 初めての 內部調 茶 をす る氣 候に なった わけで、 然し、 少し 調査の 時期が 後れた かと 

も 思へ たが I— 第 一 に 明けた 箱に は、 貯 蜜が まだ 隨分殘 つて ゐて、 一群 はお ほやう に 槧脾の 面 上に 

動いて ゐた。 そして、 その 問 を 歩きながら、 母 峰 は、 もう、 嚴の 整理に 取り かかって ゐた。 第二の 

箱に は、 もう、 廢卵 も澤 山あって、 幼 蟲の狀 態にまで 進んで ゐ るの も 一 枠 毎に 五つ や 六つ どころ で 

は^い。 働 蜂の 働き も活 澄に なって、 足に 梅の 花粉 を圆 めて 來て、 幼 蟲に與 へて ゐ るの もあった。 

ところが、 三回 目に 明けた 箱の 蓋の 裏が 冷たかった。 又 巣の 上に 置いた 新聞紙が 湯け たやう に 冷 

たかった。 そして 僕 は 直ぐ 失敗 を覺 悟した。 と 云 ふの は、 數日 前に、 この 箱の 巢 門外に 四 五十 匹 も 倒 

れ たこと を 思 ひ 出した からで ある。 めの 前に 新ら しい 耠蜜 をして やれば よかった ので —— 去 七日の 

降雪と 寒風と に 最後の 貯蜜を 喰 ひ盡 したの だら う 。折角 無事に 越冬して 活動し 初めた と 思った のに、 

ぁッ たかい この 二三 曰 を 一匹 も 出 遊 さへ しなかった の は、 群がす ベて 歸 ゑて 凍った 爲 めであった。 

巢の 整理に 取り かかって ゐた 證據に は、 舊ぃ 巣脾を かみ 碎 いた 粉が、 底 板の 上に 枠數 だけの 山 を 

成して ゐた。 が、 その上に 峰の 死骸が 何千 何百と なく、 たと へば、 奪取し 難かった 旅 順 山々 に 



戰 死した わが 同胞 を 想像せ しめる やうに、 累々 とつみ 重なって ゐ た。 かうな つて は、 四 回目に 明け 

たの も • 僕の 胸に 痛い ほど 思ひ當 つて 來た 通り、 矢ッ 張り、 駄目であった。 そして 僕 は 失敗した 看 

護人の 後悔、 さなく ば、 まだ 仕惯れ ない 墓 掘りの 寂し 味 をお ぼえ た。 

この 二 首 內には 小い^の 死と 濕り氣 としかなかった。 そして 僕に はまた 看護人の 後悔 若しくは 墓 

掘りの 寂し 味し かなかった。 各 枠の 巢脾 にと ッ 付いた まま 動か なくなつ てる ものの 中には、 二 匹 や 

三 匹の ぁッ ためれば 活き 返り さうな の もあった が、 どうせ 全滅 だから、 僕 は絕望 的に すべて を、 脾 

のお もてから、 惜しげ もな く、 羽播 木で ばらばらと 掃き 落した。 

どの 枠、 どの 婢、 ど 巢房 にも • 貯蜜は 影 もに ほひ も 皆無な ほど 喰ひ盡 され、 吸ひ盡 されて ゐ 

た。 そして 驚いた ことに は • 蜜の 貯は へられて ゐ たと 思 はれる 巢 房に は、 悉く > 小い 動物が 一匹 づ 

つ あたまから 喻ひ 込んで • その 黑ぃ 冷たい 尻 だけ を 正 六角の 房 外に 出して ゐた。 それ を 摘んで 引き 

出さう としても, いのち 懸けに がつがつ 喰 ひ 込んで 行った 力が まだ さながらに 殘 つて ゐる やうで、 

なかなか 抵抗力が あった。 

君の 『木と 草』 に 於け る 態度 は、 メタ リンクに 習って、 この 形ば かりの 抵抗力な ど を外存 的に 存《 

する ものと して • そこから 邏命ゃ 沈默の 問題 を 引き出さ うとす るので ある。 よしんば、 .S 體 な修辭 

上に 終 はらな いまでも、 內觀 洞察の 寶際的 生命に 乏し いのは 事覽 だ。 僕 はこん な內容 上からの 反 對 

目 黑 日 SS 一 五 一 



泡 鳴 八 玉 集 第 十二 卷 1 五 二 

を 君に 對 していだ きながら I— 丁度 君の 小品 を讀ん だと ころであった から 一. 僕 自身の 蜂に 園す t 」 

】 種の 小品 的 味 は ひの ある 仕事 を 終 へ た。 】 

と s ふの は" I 生麒 命に 房 內へ喻 ひ 込んだ 力の 跡 を 見て. - 蜂 群の 持って ゐた 而も なかなか 侮られ 

ない 生々 慾 を 幽靈の 如く、 まのあたりに ぞッと 感じながら、 明き 箱に なった 箱の 始末 をした からで 一 

ある。 そして 氣を換 へて 再び 机に 向った 時 • 僕の 胸の 動悸が、 どうした もの か、 痙攣の やうに びく 一 

。ひくして ゐて. - 頻りに、 生と 云 ふこと がわが 身に 氣に かかって 仕方がなかった。 1 

木篇は 小品 隨筆 (m 十 一 卷 二百 六十 六 頁) 復ぜろ も、 暫く 揺げ て 原本の 體载 に從ふ o( 編者) , 

三月 十四日。 晴 Q 邦 種に 一 合 半ば かり 給 蜜したら、 1 時間 位で 吸收 してし まった。 生 田 (長) 氏の 紹ー 

介で 竹 中 良 吉と云 ふ 人が 來訪 or 婦人 を 了解せ よ 下」 (十六 枚) を 書き終る。 ふ 

三月 十五 日。 晴。 帝國 公論より 稿料 十圆。 新潮へ 出る 原稿の 校正が 來た。 け ふ、 邦 種へ 巢脾 のつ い 

た 枠 を 一 っ與 へた。 洋種 も.' け ふの 働き は 盛んで、 出た もの は 大抵 花粉 をつ けて 歸 つて 来たが、 そ 

花粉の 色 は 鼠色 をして ゐた。 川柳の か 知らん? 「ェ マ ソンと 支 都の I 自由 思索 家」 (英文) を 書き初め 一 

た。 火 どめの 高く 延びた 鉢物 を 珍ら しいので 買った。 

三月 十六 日。 晴。 峰 はけ ふ 白い 花粉 を も 取って来た。 ,一 



1 二月 十七 日。 朝、 雨。 大杉 夫婦 來訪。 

三月 十八 日。 夜、 雨。 洋種が 產卵を 初めた。 十五 曰に 見た 時 は、 まだなかった ので ある。 英文 三 十- 

一 枚 を 書き終った。 上司 氏 來訪。 長 谷川 氏 へ 手紙。 高 橋 (久) 氏 へ 十圓。 

三月 十九 日。 雨、 夜 晴れ。 高 橋 (五) 氏 來訪、 攀 M 給水 會社 創立の 主 趣 書 を 置いて 行った。 

三お 廿日。 晴。 日本 新聞社に 行き * 池 田 氏の タイプライタ を 借りて、 英文 原稿 を寫 す。 半分ば かり 

進行。 西 本 氏に 會ひ、 カフェ パウリ スタへ 行った。 

1 二 GP サー 日。 雨。 石 田 氏へ 三圓。 芝 K 役所へ 婚姻届 を 出す。 淸 子の 絶家 再與 によって 戶 主たる 遠 藤 

家を癡 家す る 手繽が 面倒臭かった ので ある。 戶籍 謄本に、 「養 祖母 跡 相繽、 絡 家 再 輿」 と あるので、 f 

樓か W 與か の 問題 が E 役所 に 分らなかった ので。 M 有會社 婦人 博覽會 より 手紙。 

1 二月 4., 二日。 青〕 高 橋 C 久) 氏 並に 高 本 氏より た カキ。 タイプライタ を やりに 行った。 午後 三時よ P 

九 時まで つづいた。 十二 頁で 終った。 - 

1 二月 廿 三日。 暗。 茅場 町に 森 氏を訪 ひ、 鑿 泉 給水 會 社の 計 劃 見 積 を 置いて 來た。 野 口 氏を訪 ひ、 英, 

文 原稿の 紹介 狀を貰 ふ。 先づ ボンベイ 發 行の lEIgd west」 へ 送って 見る ことにした。 蒲 原 氏 を V 

訪ふ。 あさ 顔、 その他の 種 をまい た。 

三月 廿 四日。 晴、 夜、 雨。 平 塚 明 子 氏を訪 ふ。 歸 りに 武林 氏へ よって 見た が 留守。 北 村 氏, 近處 へ, 

目黑 日記 1 五三 



泡 鳴 十二 卷 1 五 四 

引越して 來 た。 洋種の 蜂 は 三 枠に 澤 山の 產卵 をした。 雄綠房 は旣に 藍が 出來 たのが 多い。 邦 種 も Si 卵 

が增し • 維 蜂 房に は盖 が出來 たが、 貯 蜜が 少 いので、 給 蜜 をして やった。 婦人 傅 覺會へ 手紙 リ 

三月 卄 五日。 雨。 加 藤 (朝 )• 識訪ニ 氏へ C カキ。 川 手 氏へ r カキ。 芝 K 役所より 婚姻届の 訂; 止 をせ 

よと 云って 來 たので、 ニー 二字 直して つた。 日附は 二十 六日に した。 世 田ケ谷 分署から 裕 犬の ことで 

出頭せ よと 云って 來 たので • 出頭して 見る と、 「小 佾」 を 拘束して 置け と 云 ふこと だ。 人 をかん だのが 

こちらの 弱點 だが • それ は臺 所から 物 を 持って行かう としたの を どろ 棒と 思って かんだ の だから、 1 

昨日 警視 廳 から 獸醫が 診察に 來た時 も 狂犬に あらす と證 明した。 それでも、 年中、 而も 永久につ なげ 

と は 不都合の やうに 考へ るから、 口輪 を はめて 置く ことに 受け 書 を 書いた。 近代劇 協會. 3 らファ ウス 

トの 招待 耿。 

三月 廿 六日。 暗。 邦 種 群 を 二重 箱から 出して やった。 洋種が 盜 蜂に 來 るの を, 二重 箱の 大きな 口で 

は氣が 付かない やうす が 見える からで ある。 その 節、 峰に ひたへ を さされた。 け ふ、 カンナの 极 をお 

ろした、 深紅と 黄色との だ。 树本 氏へ ハ ガキ。 犬の 口輪 を 買って やった。 

三月せ 七日。 晴。 西 村 • 正宗 氏より ハ ガキ。 近代劇 協會の 「ファウスト」 を帝國 劇場に 觀た。 

三月 廿 八日。 晴。 おとと ひから、 洋種の 盜 蜂が 邦 種へ 盛んに 來 るので、 ゆ ふべ い 邦 種に 給 蜜して か 

ら巢門 を かな 網で ふさいで 置いた が • ちょ ッ との スキ があった ものと 見え、 出 働して 花粉 を 取って 來 



だものと 盜蜂 とが 入り n を 探して 澤山 まごつ ひて ゐ た。 試みに ふさいだ 箱 を 別な ところに 移し, i 

に 二つの m 脾を 入れた のと 置き 換人 たが、 花粉 を 持った 蜂 は 勿論、 盜峰も • 一た び 這 入って 直ぐ 飛び 

出して 來た。 そして その 箱 並に 近處に 移った 箱の まわり を 飛び まわって ゐた。 その 中で、 夕 かた 見れ 

は 死んで しまったの も あれば、 假 箱の 巢脾に かじりついて たの もあった。 火に ぁッ ためて 蘇生 させて 

やった の も ある。 盜蜂も 死骸の 仲間に 這 人って 死んで ゐ たの もあった。 相 馬 (泰 三) 氏 來訪、 植竹 書院 

から 僕の 『ぼんち」、 「非常時/ 「巡 登 日記」、 並に 「ゑん まの 眼 玉」 を 小 W にして 屮 I す 約束が 定 つた。 『破 

ファウスト』 (十 枚) を ま 口いた。 

三月 廿 九日。 晴 Q 長 谷川 (天) 氏より 手紙。 石 田醫師 より 受取の パガ キ。 前 田 (晃) 氏へ ハ ガキ。 水 野 

氏へ、 新聞に 於け る 「ぼんち」 短評の 誤 想 を 正す ハガ キ。 僕の 創作的 神經が 一本調子 だと 云 ふこと も • 

常識的な 統一 だと 云 ふこと も * 寧ろ 氏の 方に それ以上の 了解が 出來る 力がない 結果 だ。 け ふ もな ほ盜 

蜂が 來 たが、 邦 種の 入り口が ふさがって たので、 這 入れ はしなかった。 が、 ゆ ふ 方 * 蜂の 納 つた 頃に 

あけて 見る と * その 中に 洋種が 入り まじって 同じ やうに 落ちついて ゐる。 そして 巢 門の 網 を 取って 見 

て も、 出口まで 來た 洋種が 逃げようと もせす、 却って 番兵 をす るつ もりで 邦 種の 外から 歸 つて 來 るの 

を 誰何して 入れて やって ゐ るの もあった。 に ほひが 平均した のか 知らん。 これで、 若し 邦 種 中に ゐる 

洋種が 花粉 を 取って 歸 つて 來れ ば、 ^洋の 雜居狀 態を資 現す るので ある。 原 氏より ハ. -キ。 

i Q 1 五 五 



第 十二 卷 一 五六 

三月 卅日。 晴。 阿部 OhO 氏へ ハガキ 。「閻魔の 眼 玉」 を 訂正して、 植竹 窨院へ 送る。 「il 人 を 了解せ 

よ」 (下) を 訂正し • 二十 三枚になる。 新潮 社より 稿料 十四 圆。 桝本 氏より ハ ガキ。 

1 二月 卅 1 日。 暗リ スケチ 劇 「停電」 の 作 を 了し、 六十 枚 分になる。 きの ふ, 洋種の 群に 邦 極が 二三 匹 

這 入って ゐて、 死骸 を遛び 出したり * ごみく づ を,:: 山したり して ゐて、 洋稷 のどれ にも いぢ めら れては 

ゐ なかった が、 けさ 見る と、 邦 種が ニ匹巢 門外に 殺されて ゐた。 邦 種 の 方に 於ても • 入り まじった 洋 

種 は 矢張り 落ち 付いた ので はない らしい。 いづれ も 蜜 を 運んで は、 洋 ii 箱へ 返つ て 行く もの ばかり 

だ。 洋種の 中 を 調べて 兒 たら、 邦 種が 二 匹 まごついて 無事に ゐ たの をつ ぶして やった。 産卵 は 枠 三枚 

の 裏表 兩面 について、 多く はふた されて ゐ る。., 維 蜂と たの は 遠った。 左右 兩 枠の 內面は 新ら しい 蜜 

と 花粉と に滿 ちて ゐる。 邦 S を あけて 見る と、 三 枠に は 蓋され た幼蟲 がつ いて ゐ るが • こないだから 

やった 給 蜜の 貯 へが 殆どない。 二三 日 鬼!: を 開閉して 兌た のと 盜 蜂との 爲めに それだけ なくなつ たの 

だら う。 今夜 • 邦 種を巢 門の あいた まへ:^ な tem はへ 移した 。「停電」 六十 四 枚に 增 えた。 

四月 一日。 晴。 後藤 * 前 田、 水 野 氏より ハ ガキ。 野 口 氏より 羊 紙 U 桝本 氏へ ハ ガキ。 ^^陽堂へ 「現 

代 五 人 女」 (「鶴 子. T 「藝 者に なった 女」, 「お 島と 亭、 王」 • 「店頭」. 「馬^と 女」) 並に 「俘 電」 を 持って行 

く。 前者 は 出版の 相談、 後,^^は新小ー^への相談。 長 谷川 (5 氏へ 誓 物 四册を 返す。 現代 社へ ¥51。 野 

口 氏 並に 蒲 原 氏を訪 ふ。 假リに 二 枚の m 脾を 入れた 箱に け ふ も 邦 種が まごつく ので、 時々 第った とこ 



ろ を 別に 移した 本 群へ-運んで やった。 が、 盜 蜂が 全く やんで しまった。 今夜, また あけて 見る と、 も 

う 1 西 も 這 入って ゐ ない。 別 位置に ある 箱の 方向 を 段々 日 あたりの いい 方へ かへ て 行かう と 思 ふ。 

四月 一 一日。 暗。 相 馬 (泰) 氏 へ ハ ガキ。 アサ ラン ソム の 論 著 『portraitsana SpeculatlonsJ を 昨日 讃んだ 

お その 米? 口論 並に Kinetic gd .potentiolspeach など は、 僕が 云つ てること に 近い —— この 共通 點 

は、 いづれ も 表象 派 的 發表を 知って からの ことで あらう。 け ふ も、 邦 種 は 签 箱の 方へ 歸 つて 行く のが 

あるので 時々 本 群へ 運び入れて やった。 

5 Japan ahead in Music by Alfred Westharp, Mus. Do? (Araper read before the Japan Society, London 

October 2】, 1912) を讀ん だが、 これに 對 して 英文の 1 論文 を窨 かう と 思 ふ。 先づ 讀寶 新聞に ざ ッと飜 

譯 して 見ようと 思 ふ。 

四月 三 曰。 晴。 普 樂論を 槪譯す (十二 枚)。 「蜜蜂の 話」 (十四 枚 半) • 婦人 評論の 爲 めに。 加籐 (朝) 氏 

より ハ ガキ。 新 文 林より 原稿料 一 一圓。 

四日。 晴。 相 i (泰) 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 手紙。 洋種 を あけて 見たら、 もう 若い 蜂が かへ 

なか 

つて ゐた。 t^y して その 跡 は かたづけられて、 早 や 新ら たに 產 卵が 這 入って ゐる。 中の 三 枠と も, みな 

さう お。 邦 # も 昨今 番兵 を爲 し、 誰何 も 初めた の を 見る と、 越冬 中に 番兵 問題な ど は 忘れて しまう も 

ので、 春に なって 子が かへ てから、 再び ゃリ 出す ものら しい。 新潮 社へ 返 市 5-o( 若し 洋行 するとなら 

目黑日 SS 1 五 七 



泡 鳴佥築 第 十二 卷 • 一 五八 

ばと 云 ふ 質問 だから- 僕 は 先づだ だッぴ ろい 米國に 渡り、 演說 をして 金 を 儲けながら、 あの 活動的な ® 

樂界を 視察し、 それから n ン ドンに 渡り、 アサ ラン ソム とい ふ 若い 評論家に 會ひ、 纏が 米 野 口 氏 を、 

わが 國 では 殆ど 全く 忘れて ゐて、 僕 以外に 氏 を 推薦した もの もない のに、 頻りに 英國で 表象 派 を M 過 

した 新文藝 の^ち 場から 推賞して ゐる勞 を 友人の 爲 めに 感謝して やりたい。 それから 歐洲に 渡り、 巴 

里 かど こかで メクリン クに會 つたら、 お前と おれと は 二十 年 程 前に 共に 同時に ヱ マ ソンの 感化 を 受け 

た 思想 上の 兄弟 だが、 僕が その後 ェ マソ ンを 見限った のに 反し、 お前 は渠 の弱點 ばかり を 誇張 I、 佛 

蘭 西 表象 派の いい 倾向を { 仝虚な 神秘主義へ 持って行 つたの は 不都合で はない かと 詰責したい。 それ か 

ら、 露國へ 行き * 文 藝卽賢 生活の 脚 地に 立つ 多くの 作家 等と 共に、 若し」; ュ 派に 通 譯の勞 を ら てく 

れんな ものが あつ たら、 あ の 米 H の將 來を談 じて 見たい )o 田 中正 平氏 へ 手紙 (音樂 上の 質問) 

四月 五日。 晴 Q 磯村 氏 來訪、 濱ロ 書店から 僕の 小說を 出す と 云 ふ 和 談に來 た。 夜、 水 野 氏へ 木 氏 

の螯を 取りに 行き、 髙村 (光) 氏に 會 つて、 音樂 のこと を暂く 話し 會 つた。 きの ふ、 上司 氏の 話に よる 

と、 俊の 1 ぼんち」 を 讚んで いやな 氣を 起して ゐ たのが、 矢張り 同じ 場所で 同じ 事件に ぶっかり、 卽死 

したの ださう だ、 大阪 朝日の 高 崎 堅 三郞氏 は。 氏 は大阪 赴任の 即日、 池 W の 僕の 寓居 を訪 ふて 來て、 

夜お そく 大阪 まで 歸 つた 時、 電車がなければ 僕の 家で とまれと 云った のに、 遠慮して ssi の を 歩い 

てし まった ことがある。 その後、 他社の 人と は 交渉すな と 命ぜられ、 僕の 家へ はぴッ たり 來 なくなつ 



た。 それが 今回 その 奇妙な 訃に 接した の だ。 

ra 月 六日。 晴。 平 嫁 女史より 手紙、 研究 會は 種々 の壓 迫が あって 實行 出来す、 爲 めに 中止の 上、 講 

義錄 だけ を 出す から、 矢張り 僕の 刹那 哲學を それに 出して くれろ とのこと。 『ぼんち』 の 校正、 け ふか 

ら初 まる。 高 村 (光) 氏より た カキ。 け ふ * 上司 氏のと ころで 社會 主義の 連中が 四 名 集った。 何 か 用の 

ありさう なので、 その 場へ 行き 合 はせ た 僕 は 遠慮して 出て 來 たが、 その 節和氣 氏の 持って ゐたズ ダマ 

ノ "Eoses" を 借りて 來て そのうちの Streaks of や The Visit など を讀ん だ。 また 呼びに 

來 たので 行った が、 皆が 歸 つた 跡での 上司 氏の 話に よると、 大杉 氏が 僕と 喧嘩 をしたかった ので あ 

る。 その 现由 は、 僕 をな ぐる か、 何とかしたら * きッと 新聞に a: る。 すると > なぐった 者が それだけ 

名 を 知られる と 云 ふの だ。 そり ゃァ、 外國 人の 飜譯 で、 冗談に 云って るの だら うと 答へ たら • 上司 氏 

はい や、 あの人々 は モップ 主義で 眞 面目に 考へ てるら しいと。 それから 二人で ® 谷 氏 を 訪問した。 淮 

南 子 を 借りる つもりで あつたが、 なかった。 

四月 七日。 晴。 平 塚 女史へ 事。 新潮 社へ 正誤 をへ る (阿部 氏への 答へ に、 氏 自身と あるべき が、 

どうした のか 俊 自身と なった ところが ニケ 所あった)。 田 代 氏より 手紙。 正宗 (白) 氏が 來 たので、 上 

氏と 食事 をした。 田 中 (正) 氏より 手紙。 松原 (二十 三階 堂) 氏よ お C カキ。 H スト ハプ 氏の 「目 本音 樂 

の發 a」( 音 に 昨年 揭戟) を讀ん だが、 qp^g- in よりも 1 & くだらな いもの だ。 攻 難の 方 

.目 E§ 日記 1 五 九 



泡 鳴 令; 集 ^十二 卷 】 六 

の 材料が】 段まして 来た。 一 

四月 八日。 雨。 島中 雄 三 氏から サン デ ー に 執筆して くれろ と 云って 來 たので、 様子 を 2- に 社へ 行つ" 

たが、 ^守であった。 植竹 書院より ハガキ 二つ。 池 田 氏 を 日本 社に 訪ふ。 長 谷川 (勝) 氏へ 行く。 繼ほー 

の病氣 まだよ くない。 一 

四月 九日。 晴。 島中 氏へ 手 鋭 U The wead {Juesticg of Japanese Music を 書き 一切め.. こ。 

四月 十日。 隋。 島中 氏の 依賴で サン デ ー に 毎月 二回 書く ことにな つた。 今回 は 「婦人 を 了解せ よ」 の 一 

下篇を 「了解 せらるべき 婦人」 として 出す ことにした。 それから、 植竹 書院に 行き、 それから 吉江、 一 

前 田 (夕) 二 氏を訪 ふ。 

四月 十 一 日。 晴。 小說集 「ぼんち」 の卷 頭に 入れる 寫 3M を 日 比 谷窵眞 館へ 取りに 行った。 川 手 氏 を訪: 

ふ (留守 )o 中 村 (武) 氏より 手紙 (表象 派の 文擧 運動 出版の 件 )o 中 村 並に 植竹 氏へ ハ ガキ。 小 杉 天外 氏 一 

來訪, 蔡を 三番 打った。 增上 寺の 前 を 通ったら、 御 忌の 爲 めに 小 田 原 講中が 導師に 引かれて 入門す る 一 

ところであった ので、 電車 を 下りて 暫く 見て ゐた。 一 

四月 十二 日。 晴。 後藤 (又 y 松原 二 氏へ ハ ガキ。 木 村、 鈴 木 (悅 )• 和 馬 (泰) 三 氏よ リハ ガキ。 ^鴨 一 

へ 家 を 探しに 行く。 一 

四月 十三 日。 晴 (昨 1^ 仏から 今朝に かけて 雨が あった )。 中 澤 氏より 问氏著 「トルストイ」 を 送って 來 



た。 同^へ ハガキ • あれ だけ 研究した 骨折 は 他の 人に は 得られな いところ だが、 まだ 外人の 言に 由る 

ところが 多く、 自 個の 批 刺に 缺 乏して ゐる ところが 缺點 だ。 磯村 氏より 手紙。 濱 口の 出版 問題 は 駄目 

らしい。 植竹氏 來訪、 r ぼんち」 集の 稿料 五十 圓 (但し 全集 等 出版の 節 は 返して 貰 ふ 約束で) を 受け取つ 

た。 蜂 群の 內部を 調べた。 洋種 は 五 枠のう ち 四 枠 分 は 充分に 滿 ちた。 その上 • 三 枠の 全面に T 杯の 幼 

蟲の 蓋せられ たのが 出 來てゐ る。 邦 種 は 先日の 位置 移轉の 事件で だら う、 正味 三 枠 分に しか 當ら なく 

なって、 二 枠のから 巢を 引き出して、 四 枠 だけにす る 必要と なった。 驚いた の は, 峰 王の 變 色で、 赤 

みがかって ゐ たのが、 全く 黑び かりの 腹部 を 持って る やうに なった。 老いて 來 たしる しかも 知れな 

い。 産卵 は 三 枠に 渡って ある こと は あるが I. 雄蜂の 生れて ない のと 雄蜂の 房ら しいの がない との 爲 

めに、 識訪 氏へ 質問 を發 した。 

四月 十四日。 晴 o( 夜に 入って 雨 )o 英文 を 三十 枚まで 書いた。 今朝、 茅 原 (茂) 氏 來訪。 

四月 十五 日。 雨。 松原 (二) 氏より 原稿 歸 る。 英文 四十 五 枚に 達して まだ 終らない。 水 野 氏の 招 介で 

大 K 演藝の 婦人 si 來訪。 け ふ は 蜂が 雨の 爲 めに 餘り 出なかった。 もう、 櫻 も 軍へ はなくな つた。 庭 

の げんげ やたん ぼぼが t; き 初めた。. 椿の 花が 目黑 園の 中に 見える。 • 

四月 十六 日。 暗。 中 村 (武) 氏 來訪、 J 表象 派の 文擧 運動」 を 新潮 社へ 相談の 爲め 持って行った。 

時に、 六月 號の卷 頭 物 を ^ ^頼せられ た。 英文の 初 稿が 出來 あがった から、 北 村 氏へ 行って、 詰して 

B 黑 日記 1 六 1 



泡 鳴 仝^ 第 十二 1 六 二 

見た ぶ 

四月 十七 日。 夜、 雨。 . ^野 氏と 前 田 (晁) 氏來 たる。 どこかで 飮んで 大分 上氣 嫌であった。 前 E 氏が」 

國木田 氏 死去 前後に 於け る 田 山 氏と W 山 一 派との 喑鬪 もしくは さや 當て のこと を 語り 出した。 獨 歩の 

死ぬ 少し 前に 病院の 入り口で 數 名と 一緒に 寫眞を 取った 時 は 僕もゐ た。 その 前日 • 茅ケ 崎で とまると) 

ころ を • 小 栗 その他の. 諸氏が ゐ るので はづ したいと S ふ ものが あって、 僕 等 は國府 律まで 行って 1:^ 

した。 正宗 • 口山 • 吉江ノ 前 田、 並に 僕であった。 その 晚、 僕 だけ 藝者を 買った こと は 前 m 氏 も 詳し 一 

くぶち まけた。 それから 死んだ ffl 曰の 晚* 茅 ケ崎舘 で 底ぬ けの 大 さわぎが あった さう だが、 その また 一 

翌晚に は馑も 行き 合 はせ た。 s 山 氏が 小 栗 氏の 横 つら を 『この ちんち くりんめ』 と 云って 投 りつけ た。 一 

小 栗 氏 は そばに ゐた 僕に 何の 意味 だか 分らない が、 全體 どうし たんだと 聽 いた。 間もなく 小 栗 氏 も ふ 

ん どし 一 つに なり、 露 山 氏と 共に 踊り 出し、 鴨居 を どり だと 云って、 それ をった ひな どした。 この 時 

のこと に は、 前 田 氏 はゐ合 はせ なかった が、 蒲 原、 田 山 • 僕 • その他 誰れ かも ゐ たつ 

四月 十八 日。 晴。 ^ 

四月 十九 日。 晴。 淸子 と共に、 千 住の 老盡 家を訪 ひ、 その 歸 りに 荒 川 堤の 八重 櫻 を 見た。 多くの 1 

人が 酒に 醉 つて 踊り狂って ゐ たが、 自分 は あんな こと をして 來 た經驗 がない だけに、 そして 今 さら そ 

んな こと もやる 氣 がない だけに、 寶際は どんな 氣 持ち だかと 云 ふやうな こと を考 へて、 傍觀 して ゐた" 



それから 大 嫁の 貸家 をき めて 歸 つた。 

四月 廿日。 晴。 「ぼんち」 小說集 二百 七十 餘 頁の 校正 を 了す。 

四月 廿 一 日。 奧曙 村へ 缠居。 



ほ籙 B 認 



1 六 111 



泡^ 全 第 第 十二お 1 六 六 



大正 二 年 四月 二十 一日。 晴。 西 本 氏へ 賴ん で、 新宅 地圖の 私製た カキを 捲らへ て K ふ 手紙 を 出し 

た。 目黑 から 北豊島 郡 巢鴨村 字 官仲ー : 五 一 七 h 将 地へ 韓居、 Si 數五、 庭 可な り あり。 なほ i 一十! 一三 坪、 

きこく 垣 を 出して、 取り入れる 約束 だ。 蜂蜜 を も 宇都 宫運送 店の 馬車へ つんで 來 たから、 どうな つ 

たか 心配 だ。 犬 は 隣家の モク を もつれて 來た。 

四月 二十 二日。 少雨。 洋種が 直ぐ 邦 種へ 盜 蜂に 行って ゐる。 邦 種が 白い 幼蟲を 運び出して ゐる のが 

を かしい と 思って、 起きる が 早い か 調べて 見る と、 どの ワク もどの ワク も 落ちて ゐた。 洋 ® の も 五ヮ 

ク のうち 三 ワク 落ちて ゐた。 きの ふ、 二三 十 匹 * 死んだ の も 無理 はない。 王 も 無事 かどう か 分らな 

い。 落ちた 巢を * 竹の 皮で 結びつけて ワクに つけた。 洋種のに は 巢脾を 二つに 割って 元の I ワク を 二 

ワクに したの が ある。 正宗 (得) 氏より ハ ガキ、 靑木 氏の 蠭 集が 出 來 たの を 目黑の 方へ 送った 通知 だ。 

撗山 * 山 本 * 中 村、 前 田 (夕 )• 平 出、 島中、 三 井、 後藤、 鈴 木 (悅 )、 麻 田、 長 谷川、 木 村 (信) 氏へ 轉 

宅 通知。 . 



四月 二 t 曾。 so 風 s かった。 こちら K つも 强 風が 吹く のかも 知れ ま。 峰 S 餘り よく 

ない。 そ L こ 蜂が 花粉 I つて f のが 少 いのは、 蜜 源が 少 いの かも 知れない。 け ふ も 兩方 が 互 ひに 

f こ g たが、 is つけ I 邦 種 を いぢめ てゐ たが、 邦 f 箱へ は 洋種が 自由 S ス りして ゐ 

巢鴨 村より」 (文部省の 霞、 新ら しい 女と 女子 秦 感傷的 は 行けない、 生きな がらの 銅像の 

四 牛) 二十 四 枚、 サン. T へ 行く 分。 千謹資 より イブセンの i 墨 I つて 來た。 

四月 二十四日。 暗。 置 氏へ ハ ガキ。 中 村 氏より 手紙、 新潮 社. で 「表象 派の 豪 i」 をい よ/ 

引 i ける ことにな つた。 稿料 八 s 餐り 切りの よし。 mi^^ U 

氏 來訪。 食 田(淸) 氏 S 介で 坂 口と 云 ふ 人妻。 俊 は 誰れ にも 留守であった。 濯 t 5 難 

晨 I ふ。 0fl 1 對 もらって 來た。 夜の 十 一 時から その I み ち を I ノ 

四月 廿 五日。 暗。 鬼8|ら へた。 サン. テ1の依賴に より、 II ii,^^^^ 

た。 また 訂正して 廿 八枚餘 となった。 新潮 社へ 行き、 正宗 氏 を 批評す る 材料 を 取って 來た 今 井 f 

並に 岡 本 氏を訪 ふ。 共に 專 であった。 ミ多 しこ,, 、 & まに 行 

四月せ ハ曰。 少雨。 風 あり。 昨夜、 邦 fl から 助ける 爲め 別な ところへ 移した f f ィ 

くらしい。 給 蜜 もして あつたの だが、 みんな は I 吸收 してなかった。 Isl^^y 

て $ た。 藤 を 一 贅 つた。 沼 波 氏より 手紙、 近頃 大 煩悶の 騖大 Is たから 近日 |£「 

第 鴨 日 SS 第】 



li 十二 卷 こ、 

來 ると 書いて ある。 パ ンの會 よ iD- へ ガキ。 

四月 廿 七日; 少雨。 風 ぁリ。 パンの 會へ 出席 通知。 村 越 氏へ ハガキ 

四月 廿 八日 e 雨。 邦 種 は 移動 せられても、 け ふ は、 また ■ に やられて ゐ るので、 夜に 入って から. 

巢門 をふさいで 置いた (細い 金 あみ S つて )。l 社へ 行き、 譯雰 i 賈り 切り 料 §1 

つた。 歸途、 前 S (晃) 氏 を 訪ふ。 、オノす I を-父け 取 

f^0i 少雨。 糞 社へ 行き、 舊探 |と白 クロ パ S と 4 つて 來た。 mac 

道ば たへ ふりまいて 置いた。 洋種 を撿 する に 貯蜜 が 殆どない、 それ が爲 めに 花 I 取って 來な いの マ 

はれる ので- 試みに ザ ラメ 半 斤 を やって 見た。 正午 後 やった のが 夕方に まだ 吸 收し? てゐ 

U 力つ ^ 8g ど f I なく、 ,」£ 泰斤 i へた。 囊 §、立 川 二 氏 f4 カキ。 村越 

氏よ リ I、 同氏へ r 力 £gl 來訪。 t 

四月 舟 日。 晴。 邦 種 はもう どうしても 駄,, だ。 盜 f 臭した のか、 け ふ は、 S 外 こ澤山 まごつ 

in 1 匹 もない。 あす 頃、 I を 試みる かも 知れない。 

婦人 評論 社より 稿料 七圓。 今^ 英文 の 音 樂論を いよ/ \ 書き終 つ た。 

五月 一 日。 雨。 風 烈し。 井關 • 鈴 木 (勇)、 吉, 長 谷川 (? 高橋(§石村. 需 (長)、 池 ョ、 

植竹、 I. 川 手、 木 村 (, 小 杉 (, 芝 川, 田 代 • 千 葉、 I. ^ I、 县、 I. 0. 吉 



野、 若宮, 吉岡、 神 崎、 荒木、 長 谷川 北 川、 石 田 立 川 小川 磯村 HU 韉届 i 

谷川 (勝) 氏へ ハ ガキ。 

五月 二日。 晴。 北 村、 田 中二 氏へ ハ ガキ。 サン デ ー より 稿料 八圓 八十 錢。 西 村 氏より 原稿 依賴, ^ 

諾 返事。 品 川 稅務署 より また 通知 書が 來て、 六圓也 大正 元年 隨時 所得 稅^ に十錢 督促 手 數料を 納附せ 

よと。 是を 非に まげる のが 癥 だから • 出来るだけ 反抗して 見る 。( 茨木 署の 落ち 處 だから • 同署 から 直 

接に 云 ふこと を 云へ と 云って やった) 小川 氏より r カキ。 森 氏より 手紙。 白鳥 論 を 誓き 初めた。 

五月 三 曰 。雨。 高 橋 (久) 氏へ 手紙 (力 ヮセ 三十 圓) 丸 善、 千 葉 二 氏より ハ ガキ。 現代 社へ ハガキ (稿 

料 さいそく )o 苗 を寶 りに 來 たので、 ナス、 キ ゥリ" ふぢ マメ、 イン ギンな どを植 ゑた。 

五 日。 暗。 中澤、 植竹、 西 本 三 氏より ハ ガキ。 中島 淸と云 ふ 人から 手紙 (蒲 原 氏から 何 力 紹介 

して あるとの こと だが、 何も 來てゐ ない。) 吉野氏 來訪。 平 嫁 女お その他 二 名の 靑鞘 社員が 來た, 布 川 

夫婦 珍ら しく 來訪 • 千棄 (鑛) 氏が 僕の 家 を 大分 さがした さう だが 分らな くって 歸っ たさう で、 その 魴 

ぶれに 來 たの ださう だ。 

五月 五日。 晴。 佐 藤^ 松 氏 來訪。 氏と 共に、 氏の 新宅 を訪 ふ。 それから、 靑轄社 事務所へ 行き、 昨 

夜 持って行かせた 蜂の 様子 を 見、 給 蜜して やった。 どうしても 洋種が 盜 蜂に 行く ので、 それ を 避ける 

爲め • 一 時 邦 種 をぁづ かって 貫った ので ある。 安 持硏子 氏が 直ぐえ りのと ころ を さされた。 中 を 調べ 

巢鴨日 3S 第】 一六 リ . 



泡 鳴仝络 第 十二 卷 】 七 

て もどう も 王が 見付からない。 ひよ ッ とすると、 ゐな いの かも 知れない。 それに、 巢房 にう みつけ/ 

卵が、 1 房に 二つ 這 入って ゐる のが 二三 ケ 所あった。 或は 働 蜂が 例の 中性 産卵 を やり 初めた ので は, * 

いか 知らん 。歸 つて 洋種 を しらべる と、 そこに もニケ 所、 二つの 產 卵が 這 入って ゐ るの があった。 然 

し 王 は 現に 存 して ゐて、 すん く 整理 等 をして ゐる。 落ちた 嚴の 竹の 皮で 結 はへ たの は、 しッ かりく 

ッ つけられた。 それで 皮 をす ベ て 取り去った。 峰 は 各 ワクの 兩 面に I 杯に くッっ いて ゐる やうに なつ 

たし、 蜜 も隨分 一 杯 だ。 が、 まだ ふたせられ たの はない 。桝 本、 吉岡ニ 氏より ハ ガキ。 ァスカ 山の そ 

ばまで 野菜 種を賈 ひに 行った。 

五月 六 曰。 暗。 树本 氏へ た ガキ。 千惠へ 手紙。 公衆 劇圑 より 手紙。 千 葉 氏より r かキ。 畑 をして ゐ 

る 時、 瀧 W 氏 來訪、 中央 公論の 小說 依賴。 風邪の 氣味 だから、 晚餐後 直ぐ 就褥。 

五月七日。 晴。 昨夜 水 を コップに 五六 杯 飲んで • 寢 たので、 熱 は I 時に 出て しまった。 そして 今朝 

は 何の こと もない。 高 橋 (久) 氏より 返事。 小 杉 (天) 氏より ハ ガキ。 r 藥鴨 村より」 (賢母 良妻と 愚 母 惡 

妻, 支那 現今の 政局、 H? 慰 金 を 他人に 左右せ しむるな) 二十 二 枚。 

、1 ^月 八日。 晴。 中 氏より 返事 (カツ ボ レの譜 )o 中 村 氏より 原稿 催促、 同じく 返事。 千惠 より 返 

事。 島中 氏、 蒲 原 氏へ C ガキ。 サン デ, I へ 原稿。 

五月 九 口。 晴。 サン デ I 記者 川 浪顯宗 氏 來訪。 树本 氏より ハ ガキ。 邦 種を兒 に 行ったら, 银 して 母 



蜂が ゐ ない。 そして 頻りに 働 蜂の 産卵が 出來、 i に 十 も 十五 も 這 入つ てるのが 1。 一 

五月 十日。 雨 あり。 正宗 (得) 氏 來訪。 現代 社より 原稿料 六圓。 Is- が 一 匹 死んだ。 一 

五月 十 ; 日。 晴。 西 村、 中 村、 高 橋 (久) 氏へ ハガキ 。「胃病 所産の 藝術」 の上篇 (四十 枚) を 終った。 一 

五月 十二 曰。 夜 • 雨。 新潮 社へ 原稿。 野 口, 蒲 原兩氏 來訪、 新 &風を 見て、 蕖 等も蠭 かせようと S 一 

つた。 19^ また 死す * 何の 原因 だか 知なら い 。犬が 畑 を あらす と 云 ふ 故障が 百姓から 生じて 雍た 。「紹 カー 

せらるべき 平嶽 女史」 (十四 枚) を 書いた、 文章 世界へ 原稿。 

五月 十! 1 百。 雨。 婦人 新 思潮と 官憲 Q 取締 y 關 する、 中央 公隐 への 原稿 (五 枚) を 書いた。 大野 氏 一 

へ ハガキ の 返事。 一 

五月 十四日。 暗。 ゆ ふべ から、 中央 公論へ の小說 原稿 を 書き初めた、 村 料に は 池 田の 荒木 八百屋 3 一 

んを 取った 。高木 養 峰 場より ハ ガキ。 一 

五月 十五 日。 雨。 正宗 (得) 氏より ハ ガキ。 一 

五月 十六 日。 雨 or 政吉」 (四十 ! 枚) を 書き終り、 中央 公論に 送った。 一 

五月 十七 日。 晴。 代々 木の 高 本 養蜂 場に 行き- 巢礎六 枚 を 枠に つけて 貰った。 そのうち * 二 枚 を 直 

ぐ 蜂 群に 與 へた、 前後に 各々 一。 四 五日 前から、 六 枚の 枠 は 殆ど 一杯に なって ゐ た。 幼蟲ゃ 蓋され た 一 

蟲兒 がー 杯で 4 蜜 をた める 場所 は 殆どない ほど だ。 高 橋 (五) 氏より ハ ガキ。 高 橋 (五) 並に 木 村 (鷹) 氏 

巢 鴨 日記 第 一 f ー セ】 一 



泡 鳴- <KS. 第 十二 卷 J 七 二 

來訪。 

五月 十八 日。 晴。 瀧 田 氏へ ハ ガキ。 沼 波 氏へ 《ガ キ。 蜂 群に いよく 雄蜂が 生れたら しい。 けさ、 

1 匹 巣 門外に 生れた ての がよ わって ゐ たので、 拾って 入れて やった。 給 蜜しょう か、 どうかと お 5, フ へて 

ゐ る。 犬に もはッ きりした 特性が 出 來てゐ るの が 面白い。 モク fl 妻 はよ く モク 助な どと 呼ぶ が 11 

は、 ここへ 來 るまでに 餘リ いぢめ られ て、 半ば 野犬 あっか ひに せられて ゐ たので、 非常に 人 を 恐れ 

る。 惯 れてゐ ながら も、 呼ばれて 直ぐ 人に 近づく こと をし ない。 下女が 憧 らしい と 追つ かける と、 遠 

くへ 退いて、 尻 を 突き あ: b たりす る。 それに、 つないだ 鎖 を * 小 偷は默 つて 辛 棒す るに 反し- がりが 

り 力んで 外して しまう ことが 多い。 それ も 珍ら しくない としても 。かんで 鎖が 切れた の を * けさの 如 

き は、 その 切れた 根元の 方 をく はへ て どこかへ 持って行って しまった ほど、 意地の 惡 いこと を やり 出 

した。 サン デ,' ょリハ ガキ。 

五月 十九 曰。 晴。 新潮 社へ たガキ 。吉野 氏: 来訪、 同氏と サン デ I 社、 池 S 氏、 ナショナル 社を訪 ふ。 

北 村、 上司、 田 中 三 氏 を 訪ふ。 青木 氏蠭 集に 對し 僕の 受け持った 分 を 誰れ かに 寶り つけよう とした 

が、 買 ひ 手がなかった。 け ふ * 蜂. を 調べた が V 新 ワクに はちよ つと しか 蜂が ついて ゐ ない 

五月 廿日。 雨。 博 文 館へ 行き. - 文章 世界の 稿料 九 圓十錢 受取。 春陽 堂へ 立ちよ つたが、 本 多氏不 

在 日本 新 M» に 行き、 池 H 氏の タイプライタで 午後 S 時 頃より 八 時半まで 書いた。 若宮 氏が 來 たの 



で、 その 歸 りに カフェ へ 行った 。きの ふ、 北 村 氏の 話に よると、 或 新聞に、 僕が もう 死に さう だから、 一 

あたま だけ は^ 學で 解剖させる、 からだ は 海へ でも 山へ でも 投げて 吳れ ろと 遣 言した と あつ たさう 

だ。 そんな^}とを疾くの昔云ったことがぁるし、 また 今でも そのつ も" でゐ るが、 近頃 語った こと も 

ない。 多分 • す ッと舊 い 話が 傳 はり 傳 はって、 今 li 書かれた の だら う。 . 

五月 廿 1 日。 暗。 中.^ 公論より 校正 並に 稿料 四十 一 圓は 小說, 一 ニ圓は 談話。 末 政 氏來訪 • 山 座 公使 

について 北京へ 行く さう だ。 茨木 稅務署 へ 三 圓のカ ヮセを 送った、 先日 板 橋の 稅務 署を經 て六圓 (1 

年分) の 滯納處 分 を 行 ひに 來 たが • たと へ拂 ふべき としても、 昨年 九月までの 半ケ 年分の 笞 だから • 

それだけ つたので ある。 野 口 氏から ハ ガキ。 並に 故 原撫松 氏に 關 する 出版物と てんらん 會 招待券。 

五月 廿 二日。 晴。 サン デ, I 社へ 行って 見た。 午後 三時より 十 時まで、 日本 新聞社で タイプライタ。 

五月 廿 三日。 晴。 飜譯の 校 K 來 初めた。 蜂に 半 斤の 給 蜜 をした。 

五月 廿 四日。 晴。 蜂が 澤山 井戸の ボン プロに 來てゐ るの を 見た。 新潮 社よ リ r カキ、 同じく 返事。 

沼 波 氏より 返事、 僕の r 男女 靑 年の 新 思想」 を 東亞 堂で 出して くれる さう だ。 け ふ、 故 原撫松 氏遺衋 

てんらん 會を 見に 行った。 きまり 切った クラシ ク 趣味 を 感じさせられ たが、 あれ だけ 確かな 筆法 は、 

今の 日本 洋麄家 連に は 殆ど あるまい。 瀨沼 女. 來訪、 その 「櫻の 園」 を 置いて 行った。 

五月 廿 五日。 晴。 田 代 氏 来訪。 茨木 稅務署 より また 殘 部の 催促. • だが 僕に は拂 はない 理由が あるで 

巢鴨日 SS 第 一 】 七 W 



Is 第 十二 卷 j 七 四 

はない か? 飜譯 中怫 語の Ties が tenir の變 化で あるか どうか を 確め に 上司 氏 を 訪ね、 氏と 共に 大杉 

氏 をも訪 ふて、 さう だと 確め 得た。 蜂 群に 雄綠が 大分 生れて ゐ るの を 兒 た。 

五月 廿 六日。 晴。 西 崎 嬢が 女子 文壇の 用で 訪問に 來た。 

五月 廿 七日。 雨。 新潮 社より ハ ガキ。 靑踏 事務所へ あ づけた 邦 種 蜂 群 は、 もうう ッ ちゃら かして あ 

るが * 働 蜂が 康卵を 初めて ゐた爲 め、 尻の 劍が なくなって ゐる さう だ。 そして 多少の 貯蜜 もして ゐる 

さう だ 

五月 廿 八日。 晴。 野 口、 サン 1 ァ ー 社へ ハ ガキ。 文章 世界よ の 質問に 答へ る ハガキ を 出した。 淸子 

と共に 平 稼 女史 を訪 ふ。 「ウェスト ァ ンドィ ー スト」 社に 送った 原稿が 返って 來た 

五月 廿 九日。 晴。 夜雨。 前 田 (晃) 氏 來訪。 

五月 卅日。 雨。 大杉 氏を訪 ひ、 譯中 の怫語 をす ベて 確かめて 貰った。 それから 正宗 (得) 氏を訪 ひ、 

氏と 前 田 (夕) 氏を訪 ふ。 正宗 氏の 油 謹 「越 前 堀」 を 持って 來 た。 

五月 三十 一 日。 晴。 大杉 氏より 手紙。 川浪 氏より 原稿 依賴。 隣り へけ ふ、 午後 1 一時 頃 泥棒が 這 入つ 

た。 - 

六& -1 日 。雨 。大杉 氏へ r カキ。 

六月 一 一 曰。 暗。 新潮 社より 《ガ キ、 同じく 返事。 サン デ ー よ. 《s《 ガキ。 



六月 三日。 雨。 サン デ,. より 三十 圆の 稿料 (六圓 八十 錢 不足) 来たる。 「集 鴨 村より」 (奧田 文相の 因 

襲 思想; r サン デ ー 原稿紙で 二十 八 枚。 

六月 四日。 曇。 新潮 社より 稿料 二十 圆也。 末 次 氏 來訪。 蜂に 王 臺が六 個 いつのまにか 出來て • 旣に 

ふたされ てゐ る。 なほ 二 個 出来 かかって ゐる。 また、 念の 爲め 用意の 巢礎を 前後に 各 一枚 入れた。 分 

封 群に 對 する 箱の m 意 をした。 

六月 五日。 雨。 茄子の 根切り 蟲を 取って やった。 

六月 六日。 雨。 本 多、 島中 二 氏より r カキ, 正宗 (得) 氏より 小說 出版の 口が あると 云って 来た 

六月 七日。 雨。 池 田 氏へ sack Is の 意を聽 きに やった。 新潮 社より 手紙。 雄蜂が 少しも 梨 門外 

へ 出た の を 見た ことがない。 たまく てゐ るの は、 死んで ゐ る。 

六月 八日。 晴。 け ふ 二三 日 目に 晴れた ので、 午前 十 時 頃- 蜂が 分封した。 逸げ まど ふ 羽な し 王を收 

容し • その 新-箱 を舊 箱の 位置に 代へ て 置いたら • 分封 群 は それに 納 つた。 で、 これ を 別な 位置に 移 

し、 舊 筘を舊 位置に 靈 してから、 調べて 見る と • まだ 新 王 は 生れ 出て ゐ なかった。 すべて 切り取った 

王臺 のうち • 二 個 は 失敗した ので、 五 個 を 別々 に 王 籠 若しくは 手製の 王 籠 まが ひの 籠に 人れ、 失敗 I 

た王臺 中の 乳 を も 人れ て、 第一 號群 につる してやった。 分封 群に は 幼蟲附 きの 枠】 個 を 中心として > 

まだよ く 受けて ない 巢 礎の 枠 を 二 個 加へ、 なほ 王臺 切り取りの 節く づ した 巢の 小片 を 一つ宛つ けた 枠 

巢 鴨日認 第 一 ーセ 3 



泡 鳴 仝 集 ^十二 卷 -ーセ 六 

二 個 を も 試みの 爲め 入れた。 

六 Ci: 九日。 晴。 沼 波 氏より ハ ガキ。 池 田 氏より 返事。 神 崎 氏より 手 so 長 谷川より 千 J- べんの し 

ら せ。 沼 波、 川浪、 M 田 (夕) 氏へ r カキ。 新潮 社へ 手紙。 けさ、 十 一 時 ST 分封の 第二 號の 方が また 

逃げ出し たが、 王 を 拾って 入れて やった ので、 歸 つて 來 た。 そして やがて 花粉 を 取って くる やうに な 

つた。 本 群に 保 謹せられ る 王臺の 一 つの さきが 少し あからんで ゐた。 第二 號へ給 蜜 をして やる。 トマ 

トを植 ゑ かけて やった。 

六月 十日。 暗。 王 蜂が 一匹 生れた。 これ を 第一 號の 群に つけて 置く つも リ。 小說 r 靈 魂の 行く へ」 

(小片 四十 四 枚) を 書いた。 高 橋 (五) 氏へ r カキ。 

六月 十 1 日。 午後、 雨。 王 蜂が 二 個 生れた ので、 第三 號と 第四號 とが 成立した。 共に 給密 をして や 

つた。 中央 公. fi の 質問 (五 枚 )• 女子 文壇の 質問 ( 一 枚) を 書いた 。高 橋 氏より 返事 (self-csculation が 

自己 診斷と 分った。) 佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 

六月 十二 曰。 晴。 高 橋 (五) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 。「幸 鼷な 不幸」 (十 枚) を 書いた o( 新 文 林へ )0 

生れて ゐたニ 簡の王 蜂で 第五 群と 第 六 群と を 組織した。 巢礎五 枚と 枠に する 木と を 買って 来た。 靑年 

男女の 思想に, する 分の 論文 を 集め、 それ を統 I し 初めた で 出す )o 高 本 氏の イタ リャ ii は 今 

春 以前に 王 を 失ったら、 働 蜂 だけで 王 臺に王 を 生みつ け、 それの 孵った のが 今 立派に 產 卵して、 分 



封 もした さう だ。 僕の 日本 種の 王 を 失った の は、 働 蜂の 産卵し かたが 例の やうで" 1 房中に 五 個 も 十 

個 も 玉子 を 生みつ けたが、 高木 氏の イタ リャ種 は 王の 平常と 同じく 働 蜂 も 1 房に 一 個し かう みつけな 

かった さう だ。 

六月 十三 日。 晴。 蟻が あまり 這 入る ので、 蜂 箱の 周 園に 石油 を 水に 浮かせて 撒いた。 各 箱に 巢礎を 

各 一 個 宛 入れて や つ た。 「新 思想と 新時代」 (三 百 五十 五 枚 分) を 編した。 東亞 堂 へ 渡す ので ある。 板 橋 

稅務署 から 人が また 來た。 で • 大阪 の稅務 監督 署へ 情 を 云って やった。 

六月 十四日。 夜 * 雨。 昨日 取りまとめた 原稿 を以 つて 沼 波 氏を訪 ふ。 ついでに、 德田 (秋 聲) 氏を訪 

ひ、 共に 角 田 (浩) 氏を訪 ふ。 

六月 十五 日。 暗。 瀧 田 氏 來訪、 中央 公論の r 大阪の 夏の 印象」 を 引き受けた。 正宗 (得) 並に 岡 村 書 

店より 手紙。 

六月 十六 日。 雨。 

六月 十七 日。 晴。 大阪 夏の 印象 十六 枚 半 を 書いた。 平鐵 女史へ 借りた 雜誌を 返送。 岡 村 書店へ r 力 

キ。 きうり と 里い もと 唐 もろこしと 枝 S と は 大分う まく 行って なやう だが、 他の もの はう まく 行かな 

い。 茄子 苗 をき の ふ も 買った が、 け ふ は、 淸 子が トマトと かき 菜と いんぎんとの 苗 を 買って 來て、 夜 

; 6 そく 植 ゑた。 

巢鴨日 S1 第】 一 セ七 



s^i 第 十二 @ 一七"^ 

六月 十八 日。 雨。 

六月 十九 日。 暗。 高 橋 (五) 氏 來訪、 氏 を 角 田 氏へ 紹介。 若宮、 千 紫 (鑛藏 ) 兩氏 一 緒に 來訪、 淸子 

も 共に 千藥氏 宅へ 同 俾 した。 「宗敎 心と 人種問題」 (サ ンデ ー 原稿 十八 枚)。 

六月 廿日。 暗。 正宗 (得 y 1. 高 村 (露 )• 森 田、 坂 本 氏 等と 柴 又の 川 遊へ 行き、 半 曰 を 送った。 

イボ クの生 a をして あ る 家が あって、 そ の 花 が 白く 全面 にさい て ゐ た。 

六月せ 一日。 暗。 柬亞堂 番頭 大越氏 來訪、 「新 思恕 と 新時代」 の 出版 を 約す、 但し 稿料 IK り 切りで 七 

十圓。 前 田 (!^ )• 小川 二 氏 來訪。 野 口 氏よ ゥ 手紙、 本 を, 返す。 

六月 廿 二日。 雨。 松 本 (道) 氏來訪 • 例の 文 藝演說 會の演 說を賴 みたい と S つたが、 和 强樂堂 は氣に 

向かない ので ことわった。 

六月 廿 三日。 晴 。武林 氏へ ハガ キ、 氏の サフ ォ譯が あまり ひどい ので、 一 度來 いと 云って やった。 

食亞 堂へ ハ ガキ。 千 葉 氏より ハ ガキ。 蜂 群す ベて まだ 産卵し 初めない やう だが、 け ふ は 特別に 驗 いで 

ゐ たの は、 王が 交尾に 出た のか も 知れぬ。 

六月 廿 四日。 雨。 武林 氏より ハ ガキ。 同氏へ ハ ガキ。 束 HH 堂の 大越氏 來訪。 稿料の 半額 一 二十 五圆を 

受け取り、 他の 半額 は 校正 ズミ 迄の 預り證 を 置いて 行った。 博 文 館の 印刷所へ 行った ついでに、 前 田 

(晃) 氏 を 尋ねた。 歸宅早 々 、 不快で 褥 へ 這 入 つ た。 , 



. 六月 廿 五日。 今朝 腹が 大變 下って、 食事が まづ かった。 博 文 館 印刷所 並に 新潮 社へ 行く。 (校正 

の 注意の 爲 めだ。) M 印刷所の 大きい のに 驚いた。 如何にも 東洋 第 1 だら うと は當 つてる。 武林 氏と ハ 

ガキ 往復。 奇躜社 並に Eg 社より ハ ガキ。 巖 より ハ ガキ。 巖へ ハ ガキ。 け ふ も 加減が よくない。 

六月 廿 六日。 晴。 中 村 (星) 氏へ r カキ。 武林 氏へ ハガキ 往復。 千 葉 氏へ ハ ガキ。 北 村 氏へ r カキ。 

前 田 (晃) 氏より ハ ガキ。 一群の 箱 第 六號に 王が ゐ なくなつ たので、 他の 一 群 第三 號と 合同した。 筑紫 

氏 來訪、 また 同氏 宅へ 行き トマト、 小町 草、 カン ラン、 コスモス 等 を 貰 ふ。 筑紫 氏の 花園の 矢 車へ 頻 

hs に 僕の 蜂が 行って る さう だ。 

六月 廿 七日。 晴。 正宗 (得) 氏へ ハ ガキ。 武林 氏と ハガキ 往復。 中 村 (星) 氏より ハ ガキ。 ホト トギス 

社 招待の 能會に 行った。 靑轄 事務所へ 預けた 蜂 を 見に 行った が、 段々 減じた と 見え、 一 枠の 五分の I 

しかなかった。 働き 綠を 調べた に、 矢 張リ、 劎 ある ものば かりが 殘 つたら しい。 一 枠を殘 して あとの 

枠 はすべ て 持ち 歸 つて、 洋種に 與 へた。. 

六月 廿 八日。 雨。 武林 氏より ハガキ もう、 氏との 議論 はやめた、 多少 は 向 ふが 向 ふの 自己の 爲め 

に 反省す る氣が 出たら うから —— こちら をえ らい 人 だな ど 云って よこした の を 見る と、 まだ こちらの 

期待して ゐな いこと を S つてる やう だけれ ど。 大阪の 小 穰 氏 宛 手紙と 靑木 氏畫集 二部 を 郵送。 正宗 

〈得) 氏より 《ガ キ。 植竹 書院より ハ ガキ。 時事 新報 社より 質問、 その 答へ。 この頃 はとうな すの 花 

粱鵜日 S3 第 一 1 七.^ 



泡 鳴 4f: 鎮 十二 一八 o 

がま ^リ で、 家の 周 園 は その 花見が 出來る やう だ。 そして 蜂が 毎朝 さかんに それへ 行つ てら。 

六月 廿 九日。 晴。 キコク を 二百 本 買った。 

六月 卅日。 晴。 サン デ ー 社へ 行く。 池 田 氏 を 訪ふ。 新 文 林より 稿料 五圓 也。 

七月 一 日。 晴。 峰す ベて 交尾す みで あるの を發 見した。 もう、 新ら しいう じ を 持って るの も ある。 

中 村 (春) 氏 來訪。 文 光堂より 稿料 延引の 逋知。 植 竹より 「ぼんち」 製本 十 部 到來。 出版 届に 制 を 押し 

た。 識訪 氏へ その I 部 を 送る。 邦 種の 巢を與 へられた 群 は、 それ を 整理して 貯 蜜に 用 ゐてゐ る。 

七月 二日。 小 嫁 氏より 靑木螯 集 代 六圓來 たる。 

七月 三日。 晴。 今少し 蜂 群を增 したいので、 第二 號の 王を拔 いて 見た。 千 葉 氏 來訪、 释醒 社への 紐 

介 狀を貰 ふ。 夜、 上野 氏を訪 ふ。 

七月 WHO 雨。 第二 號を 調べて 見たら、 ^して 王 矗 を造營 する こと 五 筒 それでい いだら うから、 

再び 王 を 返して やった 中央 公論、 サン デ!、 前 田 (夕) 氏へ 稿料 さいそく。 「新人の 情 想と 文明 問題 J 

(サン デ IE 鋭 十六 枚) を 書き終 はる。 {4! 蝉 橋に ポスト 新設 願 を 出す 爲め、 上野、 伊勢、 筑紫三 氏の 

印 を 賞 ふ。 

七月 五日。 晴。 警醒 tt へ 「悲痛の 哲理」 出版の 相談 手紙 を 出した。 蜂 王の 羽根 を, 切って やった。 第 

】 號には 蜜が 大分 ふたされ てゐ るので、 近々 一度 採って 見ようと 思 ふ。 正宗 (得) 氏より ハ ガキ。 



七月 六日。 暗。 秋 江 氏 歡迎會 通知。 前 田 0^) 氏よ リハ ガキ。 水 谷 氏より ハ ガキ。 中 村 (春) 氏 を 訪- 

ふ。 粗 山 氏へ 「耽溺」 再版 照會。 白 石 氏へ ハ ガキ。 

七月 七日。 晴广 \ 石 氏より ハ ガキ。 サン デ ー より 稿料のう ち 十五 圓也。 正宗 (得)、 野 口、 蒲 原 氏訪, 

問。 けさ 第 一 號 群の 一 一 枠から 蜜 を 1 1 ボ ン ト採 取して 見た。 岡 村 (千) 氏 來訪、 南洋へ 行く 輻 田 氏と 共 

に。 辻 氏來訪 (共に 僕 は 留守であった。) 

七月 八日。 警醒 社より 暫く 待って くれとの 返事。 新潮 * 岡 村 書店へ ハガキ 。『ェ マ ソンと 支那の , 

自由 思想家」 を 野 口 氏と 相談の 上 シカゴの 「ォ ブンコ I」 へ 管 ことにして 見た 。「禁止 を 抑制に- 

代へ よ」 (五 枚), サン デ ー に。 田 代 氏を訪 ひ、 その 紹介で 山 田 孝 雄 氏と 會ふ。 近頃 珍ら しい 國語 研究 

象で あるから である。 その 奈良朝 文 法史、 平安朝 文資、 並に 平家 物語 秦を 貰った。 纖の は、 轉 

i 田 代 氏から きりて 讀ん だもの だ。 留守に 野 口 氏 來訪、 音樂家 H スト アル 氏 招待 會へ誘 ひに ョ た 

さう だ 

セ月 九日。 暗。 第二 號 群の 王臺は 五つと も 取り 拂 はれて ゐて、 別に 1 つ 新ら しく 出來 たらしい の i 

あつたが、 それ も かみく づ され さう だ。 試みに、 又 第一 群の 王を拔 いて 置いた。 

七月. 十日。 夜、 雨。 淸子 と共に 上野へ 明治 記 念 博 覽會を 2^ に 行った が、 歸 りに 別れて、 岡 村 (千) 巧 

並に 森 田 氏 を 訪問した 。「ほととぎす」 より 先日の 招待 能の 感想 を聽 きに 来たので、 半鞣 十二 枚 を 認め 

粱鴨日 Si 第 一 一八 一 



泡 鳴 全 雄 第 十二 卷 1 八 II 

た。 籾 山 書店より 返事、 「耽溺」 再版 をす る氣 はない さう だ。 第 一 群 を 調べたら、 王臺 一 つし か m 來て 

ゐ なかった ので そのまま にして 置いた 

七月 十 j 日。 雨 。第! 號 群の 王 裏が 六 七 個に なって ゐ るので、 王 を, 返して やった。 岡 村 書店 (拾士 口) 

氏より 返事。 同じく W び ハガキ 。「梁 塵 秘杪」 (今回 發 見せられた) を睛み 終った。 

七月 十二 日。 晴。 識訪 氏より ハ ガキ。 夫婦で 中 村 (春〕 氏を訪 ふ、 留守。 散文 諷詩 十篇を 作る。 

. ^月 十三 51。 晴。 秀. IV 文 壞ー へ 答へ。 中央 公論へ 原稿。 夜、 佐 藤 (稠) 氏 を訪 ふ、 午前 一 時まで 談話。 

七月 十四 曰。 晴。 吉野氏來訪0.同2^と共に山本(一ニ)氏を訪ふ0 歸途千 葉 氏 (留守) :^; に 布 川 氏を訪 

ふ。 「新人の 皇 {If 霞」 (十三 枚) を 書く。 

七月 十五 日。 晴。 サン デ ー へ 稿料 殘金 さいそく。 途中、 佐籐 氏と 會ひ、 すし 星で 飲む。 

七月 十六 曰。 晴。 前 田 (夕) 氏より ハ ガキ、 返事 中央 公論より 銷夏 法 質問、 返事 oi」 の會へ 行 

く、 初めて 森 田 草 平氏と 而會 した。 夜、 ちょ ッと 雨。 

七月 十七 日。 晴 。水 野 氏より r カキ。 中央 公論へ 「皇室 觀」 。中 村 (春) 氏 來訪。 東亞 堂へ 殘 りの 原稿。 

七月 十八 日。 晴 Q サン デ ー よりた カキ。 野 口 氏 來訪。 

七月 十九 曰。 晴。 高 橋 (五) 氏より ハガキ 。、伺 氏 來訪。 第二 號群 につぎ 箱を與 へた。 夜、 夫婦で 佐 藤: 

氏 を 訪ふ。 



七月 廿日。 晴。 高駕猛 頼で、 速成 日本 羣 舉會の披 露 招待 を 角 田 * 上司、 倉 m、 松 崎、 島 田 S 

氏へ 發 した。 新潮 社 を訪ひ * |(義) 氏と プル タク 籠, 相談して 見た。 こんな ことで もやって 常 

牧人 を 5 ない と 困る ばかり だ 。今月の 末に 這 人る 金 は寶に 僅かで • 二十 圓とは あるまい 。上-.^ 北 

付 二 氏を訪 ふ。 , . 

七月 廿ー 曰。 暗。 |( 得)、 新潮 社へ ハ ガキ。 長 谷川 (勝).並に繼 母へ 手紙。 佐 藤 (稠) 氏 來訪。 豪 

堂の 大越氏 來訪。 サン f へ の 原稿、 『新聞紙の 勢力」 (七 枚)。 

七月 廿 二日。 晴。 巖へ 手紙。 サン デ上 原稿。 高 橋 氏より 使 ひ。 島 田 氏よ. i 事。 奮 氏より i 

3 氏の 墨皇 り來 たる。 柬蒸ょ り電を 「近代 I と 靈活」 にしたら と 云って 來た * その 

5^ を i にしても よから うと 答へ た。 峰 は S れも どし く f つくって ゐる。 が、 ここ ニ晉 はとう 

茄子の 花が おとろ へて 來た。 この 花が 周 園 至る ところに あつたので 餘 ほど 助かった の だが- これ 力ら 

魄 花の^ だら う。 . 

七月 t 一日。 暗。 秦 (得) 氏 來訪。 島 H 1郞 氏 • 1( 停 春) 氏の 紹- 介で 來訪。 高 橋 (五) 氏の 速成 習 

字會の 披露に 出席。 長 谷川 (勝) 氏より 返事。 

七 月 廿 四日。 晴。 夜 • 雨 あり。 繼 母と 長 谷川 (勝) へ 縫 交すべし と 云 ふ 手紙 を 出す つもりで 持って 出. 

たが、 その 足で 長 谷川へ 行った 。母 は 僕と 一緒に こちらへ 兴 1 た。 



11 第 十二 卷 一八 

七月 廿 五日。 晴。 長 谷川へ 叱責の 手々 成。 藝術座 賛助 員 を交涉 して 來 たので、 1^ 諾 の::^ le^ を 村 氏へ 

出した。 新潮 社に 佐 藤氏 を訪ふ (留守 )。 東亜 堂に 沼 波 氏 を 訪ふ。 東亞 堂より 書物 二 冊 郵送し たる。 

暑い ので 今月に 至って 何等の 仕事 も出來 ない のに 閉口して ゐる。 第二 回に 東亞 堂より. 出す 文 擧論を 昨 

夜ょ..;^取りまとめ初めた。 夜から いい 雨が あった。 

七月 廿 六日。 長 谷川より 返事 • 到底 話せない から、 以 I 交の つも.^ で搏び 手紙 も 出さす。 

七月 廿 七日。 晴。 中 村 氏から 使 ひ あり、 行って 見たら、 正宗 (白) 氏が 來てゐ た。 

七月 廿 八日。 踏。 新 本の 楠 山 氏より 原稿 依 承諾の 返事。 蜂 群は兩 方と もどう しても 出 來た王 

臺を發 達せし めない- まだ 意志がない の だら う。 いづれ も 九 枠 • 十 枠の 洋^のに。 

七月 廿九 日。 晴。 

七 月^日。 夜、 雨 。文 擧論を まとめて 見たら、 約 千 枚の 嵩が あるので、 これ をニ卷 にしようと 忍 ふ。 

七月^ 一 日。 雨。 東 HH 堂へ 手紙。 第一 號、 第二 號の蜂 群から おのく 三 枠を拔 いて、 第 四號, 第五 

號を 平均せ しめた。 淸 子の 父が 來て、 同居す る ことにな つた。 

八月 一 日。 晴。 中央 公論 • サン デ I、 秀才 等へ 原稿 請求。 茅 原 (茂) 氏へ ハ ガキ。 

八月 一 一日。 晴。 

八月 三日。 晴。 束亞 堂、 サン デ ー、 加 藤 (朝) 氏 • 茅 原 氏より 書信。 加 藤 (朝) 氏の 爲 めに、 .smv^/ 



推薦の ハガキ を 出す。 「新發 想 論」 の 下籯士 一枚 半 を 認めた。 「近代 思想と 實 生活」 の 校正が 來 初めた。 

八月 四日。 暗。 夫婦で とどろきの 瀧 を 見に 行った。 新潮 社よ リハ ガキ 。伊蔵 (證 信) 氏來訪 • S 寸。 

中 村 (春) 氏采訪 * 將ギ 一 一番 まけ, 一 番 分け。 

八月 五 曰。 晴。 サン デ ー より 手紙、 時事の 山 梨 氏 來訪。 夜 • ちょっと 中 村 氏を訪 ひ、 初めて 西 山 氏. 

に會 ふ。 "先帝の 御製」 (九 枚) を 訂正す。 

八月 六日。 晴リ サン デ ー へ 原稿 ニ篇。 

八月 七日。 高濱、 北 村 二 氏へ ハ ガキ。 生 方 (敏) 氏 來訪。 

八月 八日。 晴。 楠 山 氏より 「新 日本」 九月 號 への 小說 依頼に 對し、 承知の 返事。 時事の 柴田 (柴 庵) 

氏 來訪。 第二 號 群が 分封の 念 を 起し 初めた あしい、 以前にう ッ ちゃり 放しに なって る 王臺の 外に もま、 も 

た 王臺を 作り かけて ある。 瀧 田 氏より 「皇 觀」 と諷詩 半分と 歸り來 たる。 

八月 九日。 晴。 生 田 (長) 氏 紹介の 某 來訪。 大阪の 石 丸 氏 來訪。 楠 山 氏より ハ ガキ。 

八月 十日。 晴。 午前 六 時までに、 サン デ ー へ 送る、 「腔の 肉」 (四十 七片 半、 「十三 峠」 の 改作) と 時 

事へ 出す 「計 劃と a 負 心」 (十 片) と を 書き あけた。 

八月 十 一 日。 晴。 時事より 料 1 一圓 五十 錢。 小川 氏より ハ ガキ。 

八月 十 一 一日。 晴。 サ ンデ ー より 手紙、 同じく 返事。 新潮 社 へ ハ ガキ。 中 村 (舂) 氏を訪 ふ。 第 一 號群. 

巢鴨 日記 第一 一八^ 



泡 鳴 仝 集 i が 十二 卷 1A 六 

もこない だから 分封の 念 を 起した やう だ。 

八月 十三 日。 久しぶりで、 夕立。 新 日本への 小說 原稿 「郊外 生活」 (四十 六片) を 書き終った。 同 

じく 發送。 今 井 (歌) 孃 來訪。 . 

八月 十四 nzQ 晴。 謝訪氏 へ 手紙。 吉江" 野 ロー 一氏 を訪 ふ。 

1 1 一十 WI 紀の 優勝者た るべき 暈. K 民族 は 何れ ぞ? 

(政治 上經濟 上" E 心 想 上、 文藝上 はた 生理 上 その他 何れ かの 方面より 觀て) 

11 東洋人と 西洋人と 孰れが ょリ多 <w! 界の 文明の 發 達に 貢献せ しか? 

三 日本人の 性 袼は將 来 世界の 文明 競爭の 優者た るに ii する か、 其 長所 短所、 國民 

性 改造の 必要 あ: y とせば 如何に 改造すべき か? 

『新 日本」 から 以上の 質問が 來 たに 對 する 答へ (二 片) を ま 曰き 送った。 

八月 十 S 曰。 暗。 新潮 社を訪 ふ。 ついでに 宗 (き) 氏を訪 ふ。 

八月 十六 曰。 晴。 新潮 社 へ 原 稿 (諷詩 )o 東亜 堂 へハ ガキ。 吉江氏 へ 手紙。 本 多、 德 M (秋聲 )• 有 

倫 堂 • 高 安、 コ 一井、 沼 波 氏を訪 ふ。 夜、 筑紫 氏を訪 ふ。 

八月 十七 日。 晴。 東亞 堂 • 楠 山 • 生 方 (敏) 氏より 書信。 生 方 氏へ 寄稿 承諾の 返事。 岡 村 書店へ いつ 

來 るかの 問合せ。 春陽 堂より 使 ひ 來訪、 「現代 五 人 女」 の 出版 交渉。 印稅七 分。 



きの ふ、 蜂 群 は 第一 號を 除いて、 すべて 貯蜜を 殆ど 喰ひ盡 して ゐ たの を發見 たのて け ^賴、 

靈 斤の 三分 一 を分與 した。 どう 云ふ 理由 か、 第 S だけ は どの 枠に も 十分 貯 蜜が あるのに。 つま 

リ、 大群 はこの 暑さに も 餘裕が ある やうに 働いた の だら う。 1^、 暖計は 八十 八 九 度まで もの ぼる。 野外 

の 花 は 最も 少ぃ 時ら しいが。 花粉 は 矢張り 澤山 取って 來る。 貯蜜 のん』 はれた 跡へ は、 すべて 産卵 K 域 

が ひろがって、 花粉の 貯へも ひどく に 立つ ほど あるの も ある。 

千 葉 (鑛) 氏 來訪。 ^^、 山 梨 氏 を 訪ふ。 

八月 十八 日。 雨。 n 孚樂」 一 號に 出す 「明槳 ねら ひ」 (廿 八片) を 書く。 

八月 十九 日。 暗。 秋 江 氏が 文章 世界 八月 號に 書いた 無駄話の うちに、 僕の 1 私 首と して 書き あげた. 

件 は、 事實が 全く 反對 であるので、 秋 江 氏へ 抗議と 絡 交と を 申し込んだ。 同時に、 同雜 誌へ 「横 合 ひか- 

らの 取り消し レ文を r カキで 出した。 島 村 氏と 須磨 子との 關係を 俊が 舊 人的に 輕信 した 首 を、 池 田に ゐ 

る 頃 云った と S ふの だが、 寧ろ さう S つたの は 秋 江 氏 だ。 おのれの 便利の 爲 めに、 こちらの 思想まで 

も 無意義に 私用す る やうで は、 以後 會ふ 必要がない。 時事 新報に 出す 斷片語 (十四 片) を 書いた。 原. 

§ 氏 來訪。 こ ないだ 蜜蜂 (と S つても、 ただの 蜂 か 知れない). が來 て、 コ ハク 色の 透明な 物 を 垂れ. 

て? つたので、 手に 取って なめて たら 甘かった から • 多分 蜜お らうと 思った と 云った が、 多分 その 

蜂の うんこであった らう。 吉江、 石 丸 • 識 訪三 氏から ハ ガキ。 僕 所有の 峰の 種類が イク リャ 種で ない 

巢鷓 日記 ^1 ーツ七 



泡 鳴. <5,: 集 第 十二 卷 I 八ス 

やうで、 而も 黄色の 全くな いのも 飛び出す の を 不審に 思って たが、 識訪 氏の 返事で サイ プリ ヤン 種の 

雄に、 力 ー カサス 種の 王が 交尾した 雜種 であるの が 分った。 

八月 廿日。 晴。 .lina 氏の 紹介に よる 長 野 縣の立 田屋へ 手紙 を 出す、 弟に 出させようと 云 ふ 店に 飾る 

フキの 砂糖漬けに 關し、 若し 取引き するとせ ぼ 代金 は後拂 ひ、 供給の 分量, 箱の 種類と 代 is、 この 111 

個 絛の問 ひ 合せ だ。 サン デ ー、 生 方 • 田 代 三 氏より ハ ガキ。 田 代 氏へ 返事。 夜、 原 氏を訪 ふ。 

八月 廿 ! 日。 暗。 山 田 (孝) 氏、 田 代 氏と 共に 來訪。 正宗 on) 氏 来訪。 關翠 松と 云 ふ 人、 生 方 氏の 紹 

介で 來訪。 第 一 號 第一 一 號の蜂 群 • どちらも 王臺 をう ッ ちゃら かしに して あるの を發 見した。 第一 一 號 に 

は、 どの 枠に も貯 蜜が 出来て、 ふたした の も ある。 

八月 廿 二日。 雨。 山 梨 氏 來訪。 北 村 氏へ ハ ガキ。 

八月 廿 三日。 暗。 森 田 (恒) 氏 來訪。 岡 村 書店より ハ ガキ、 二百 三 四十 枚の 短篇 集 三 四十 圏 位 だと 

のこと、 お 話に ならない。 春陽 堂より ハガキ 。同 堂へ 「現代 五 人 女」 の 廣吿文 參考を る。 佐 藤 (義) 氏, 

より ハガ キ、 中 村 (春) 氏を訪 ふ。 夜 • 雨。 

八月 廿 四日。 雨、 ちょ ッと あり。 北 村 氏より 返書 並に 僕の 英文 論文の 村 料に する 樂譜。 巖、 來た 

る。 「巢鴨 村より」 (三十 八片) を 書き終る (「わが 國 民の 獨創」 と 「舊式 家庭と その子 女」)。 

八月 廿 五日。 雨 あり。 信 州 立 H 屋ょり 返事。 春陽 堂より 見本 刷り。 Open Court 會 社より 返事、 僕の 



,春した が、 今 主? 1 フス 博士が 旅行 中 だから 歸 つたら、 見せる と。 西洋 I の 種 を 5 た。 も 

う、 四 五 曰 前から 8 やうな II 人? 來た。 學が 少し 取れな くま、 取れ g も 形が づ くな 

つた。 唐 もき しはすべ て實が 半分ば かり も., I 來てゐ ない。 えだ 豆 はよ かった 。昨今お ゃぢ 力.^ 力ぶ 

にんじん、 その他の 種 を播 いた。 ダリヤの 枝 をす ベて 短く 切って しまった。 きの ふ、 ?が 母と 共に 

百花 I 一丁ったら、 I 获もそ S の 秋草 も S てる さう だ。 第一 isi から 貯蜜は 減じな か 

つたが、 第二 號は今 見る と、 大分 S1 をした。 その他 は 殆ど 蜜がない、 第五 號に 少し あ I けだ。 

このまま にし S いて 見よう— もう、 近頃の 秋草が— 殊に? ff-m したと まから。 第二 

號に 分封の 念が 矢張り あるの か、 二 個の 垂は 大分 形が よくな つて 來た。 箱に は あまる ほどの 群に な 

つてる から、 雄峰な ど は 多く は巢の 上から 追ひ拂 はれ、 底 板の 上に うよく まごついて ゐる 

八月 廿 六日。 雨。 タが ほの 大きくな つたの を 1 つちぎ つた。 瀧 田、 川 手 二 氏へ ハガキ 

卄七 日。 昨夜より 大 暴風雨、 午後 晴れて、 富士 並に 箱 根 山脈が はッ きりと 見えた トマ ー 力 

ン ラン * ダリヤ、 カンナ、 朝 額の 棚 等が 倒れた の を手當 てして やった。 

八月 廿 八日 。晴 。第一 ニ號 群の 巢 門外に 多くの 蜂が ごろく 苦悶して ゐ るの を 見つけた 一 昨日 来の 風 

,3S れた爲 めかと も 思った。 箱內を 調べ 5 ると、 I は 一滴 もな く、 ニー 二 個の 蜂 は I に 首 

をつ ッ 込ん、, ま • 動 かま。 死んだ のかと 思って それ を 引 直す と、 SS 命 £ るの 2 つた。 

驚 鴨 日記 第 一 一八 九 



泡 鳴 令 M ゆい: 十二、 お J.p〇 

僕 は 目黑に 於け る rn 本 蜂 全滅の 時の 心持ちが ひらめいた と 同時に、 今にも 自分が 死ぬ の を 知らない 

で、 死に かかった の をせ ッ せと 運び出して ゐる蜂 もあった。 第 四、 第五の 蜂 群に も 殆ど 貯蜜 はな か 

つた。 直ぐ 三 群に 給 蜜 をした 第 I 、 第二の 群 は 各 枠に ふたされ た 蜜が あるので 大丈夫 だ。 第二 號の王 

臺, 矢張り 生みつ けられて ない。 「歐 米の 新 婦人問題 とその 背景」 (五十 ra 片) を 書き終った。 朿 KH 堂 

より ハガキ 。小山 內氏歡 迎會の 通知が あつたが、 金がないので 不参の 返事 を 出した。 

八月 廿 九日。 晴。 资亞 堂へ 行く。 吉野氏 を訪ふ (留守)。 高 橋 (久) 氏へ 手紙。 

八お 卅日。 晴。 原 氏 來訪。 春陽 堂へ ハ ガキ。 エマソンの r 自然 論」 を 改譯し 初めた (十數 年 前の 僕 

の譯が あるの を 東亞 堂 主人に 話したら、 出さう と 云 ふので、 箱から 引き出して。) 

八月^ 1 日。 晴 * 風。 東亞 堂と 有 倫 堂と を訪 ふ。 .^1 田 (M) 氏へ ハガ キ。 平 出 氏へ 手紙、 著作家 協會 

設立の 件に 就き、 氏の 發 起しようと 云って ゐ たのが 運んで るか どうか を 聽く爲 めだ。 僕の 方で は大阪 

行き 前に 運び かけた の を 近頃の やうに 官憲が いい 氣 になって 十 氷て は 困る ので 回復し ようと 思って ると 

ころ だから、 向 ふが 運んで ゐ なければ、 こちらで 更ら にやり 出さう と S ふ。 

九月 I 日。 霖雨。 前 0( 晃) 氏より ハ ガキ。 植竹 書院へ ハ ガキ。 新譯の 第二 章の 終まで を 東亞 堂へ 送 

る 。第二 號を 二階つ きにして やった • とても 分封し さう ではない から。 

九月 二日。 雨。 巖 より ハ ガキ。 平 出 氏より 返事。 病 氣の樣 子 だから 會 ひに 行って 相談しょう。 二宮 



(行 I) 氏へ 手紙 (「閤 魔の 眼 玉」 を 帝劇で 買 はない かの 相談)。 

九月 三日。 晴。 吉野氏 來訪。 サン デ ー 並に 新 日本へ 稿料 催促。 新潮 社の 佐 藤氏より 手紙、 プル タク 

の譯 をい よくやって くれとの ととで、 僕から も 稿料の 要求 を 返事した。 各 蜂 群に 給 蜜。 おみな めし 

を 折って 行く 子供が あった。 母が 病氣 で、 昨日から S 者 を 呼んで ゐる。 岡 村 書店 來訪, 小品集 出版 

の^ 談 r うり 切りで 四十 五 圓* 但し その 中に 收め たもの を 他の 書へ 僕が 流用す るの はかま はない こ 

と、 菊 半 1M 二百べ ー ジ 標準。) 小說 1 獨り 者」 (六十 片) を 書き終った。 

九月 四日。 晴。 夜に なって 雨。 楠 山 氏より ハ ガキ。 富山房より 稿料 二十 ニ圓。 人 見 氏より 手紙 

サン デ ー よ. is 稿料 十四 圓 六十 錢 (二 圓餘 なほ 不足)。 中 村 氏 來訪。 蜂 群に 蜜が 貯 へられな いのは、 

】 つに は、 もう 無用の 雄が ゐる爲 めだら うから、 雄蜂 騸除 器で 第 一 號 から 五六 十 匹 取った。 氣候は 冷 

やかに なった。 

九月 五日。 晴。 第 1 號 から 雄蜂 を 二三 十 匹 取り除いた。 サン デ ー へハ ガキ、 小說 稿料 を 接って 來な 

乃の よ ニ重寶 り をした と 思って だら うから、 さう 思 ふなら、 どうで もい いが、 こちら は 一 度 出した も 

ので も 丸で 書きお ろしと 同様の 勞 をした のおと 云って やった (「十三 峠」 を 「脛の 肉」 にす るに は )0 

春陽 堂より ハ ガキ。 戶川 (秋) 氏の 紹介に て廣井 辰太郞 氏來訪 。生 田 (長江) 氏 來訪、 夜お そくまで 話し 

た。 秀才 文壇より 質問 その 返事。 

集 鴨 日記 第 一 】 允】 



11 は s 十二 卷 一九二 

九月 六日。 晴。 原 氏へ ハ ガキ。 加 藤 (朝) 氏よ.^ ハ ガキ。 サン デ ー より ハガ キ。 原 氏 來訪。 蜂 群す ベ 

て 多少の 1^ 蜜 を やり 出した やう だ。 京 茱* そら 豆 • ほうれん 草 • 等の 種 を 買 ひに 行った。 

九月 七日。 «!• 夕方 ちょっと 雨。 新潮 社 を訪ひ プル タク 飜譯 をき めた。 印稅 1 割で、 そのうちから 

前借の 工合 は、 原稿紙 一枚に つき 三十 錢。 平 出 修氏を 病床に 訪ひ、 著作家 協會 設立の 下相談 をした。 

雨に 會ひ. - 新開 店の 久美 羽へ 這 入り、 瀧 M 氏 >r® 話で 呼んで 飲んだ。 藝者 三人であった。 大阪の 加 藤 

氏 來訪。 (留守であった。) 

九月 八日。 夜、 雨。 サン デ ー へ ハ ガキ。 蜂 群い つれに も貯 蜜がない、 そばの 花 もへ き 初めた のに。 

r 巢鴨 村より」 「文藝 家の 道德」 (1 一士 一片)、 1 鄕 土色の 發揮」 (十 片)。 

九月 九日。 晴。 蜂 群に 給 蜜。 サン デ I と 「新 日本」 と 1 新潮」 とへ 原稿。 中 村 (春) 氏を訪 ふ。 夕 

方 • 熊 峰が 一 匹來 たが、 取り逃した。 

九月 十日。 晴。 r 生と 同 一 な藝 術」 (ra 枚) を 人 見 氏に 送る。 春陽 堂の 人 艰訪。 時事の 柴田氏 來訪。 

九月 十 一 日。 雨。 楠 山 氏より 原 ii 受取の r カキ。 山 梨 氏來訪 • 同氏が 大きな 佛語字 S3 を以 つてる と 

1K ふので、 行って La Trappe を 引いて 見た、 トラ ピストの 僧院の 名であった。 

九. 月 十二 日。 曇 時事 文藝 部より ハ ガキ。 中 村 (武) 氏よ リハ ガキ。 藝術 座より 招待 狀。 原 氏 來訪。 

春陽 堂より 使 ひ。 大杉 氏と 和氣 氏と 來訪 • 搮愤 がつ いて ゐ たやう だ。 



九月 十三 日。 晴。 「五 人の 女」 校了。 赤 峰 を 一 匹ぶ ち 殺した。 获の早 ざき が 山の手 線路 に^いて ゐ 

た。 筑紫 氏の 言に よると、 获の花 はま だ 盛りに ならない の ださう だ。 原 氏を訪 ふ。 

九月 十四日。 暴。 原 氏 來訪。 佐 藤 (稠) 氏の 紹介で、 島と 云 ふ 人 來訪。 大住舜 氏 かの 芋ら 初めて 

紙、 それに 返事、 片一方の 目が 脹れて 不愉快な ので、 校正の 外 何もし ないで 暮 した。 

九月 十五 日。 暗。 島中 氏より 手紙。 春陽 堂より 人の 女」 I 千 部に 對 する 印 稅五士 画 五十 錢を 

届けて 來 た。 十五夜の 月 • 全 蝕が よく 見えた。 

九月 十三 日。 夜 あけ 前に 雨。 晴。 夜、 月が よかった。 中 村 (泰) 氏を訪 ふ。 

九月 十七 日。 隋。 加 藤 (朝) 氏 來訪。 原 氏, ^ 訪。 中央 公論より 詩の 稿料 五圓。 これ を 原 氏に 融通し 

た。 ""/^:;人の女」 の 出版 届に 印 を 押した。 

九月 十八 日。 暗。 第二 號の蜂 群の 巢 門に 雄蜂 騸除器 を かけて 置いたら b 働 蜂が 十數匹 その 下で 死ん 

だ。 どうした 理. S か 分らない。 住 藤氏 來訪。 坂 口藤 位 布と いふ 報知 g 者來訪 • 淡 路の人 だ。 

九月 十九 日。 晴。 木 村 (鷹 太郞) 氏 來訪, 氏の 發刊 しょうと する 「日本 民族」 の 寄稿 を 頼んで 行つ 

た。 原 氏來訪 •, パ幡 町へ 養女 並に 養子の 件 • いよく 公正 證書 になった。 これに は、 子女が 十五 歲!^ 

達する に從 ひ、 それぐ 送籍の かた をつ ける 事。 逢 金 は來年 1 月末から 五圓 宛の 逢 金。 上司 氏が 關西 

旅行から 端 書 をよ こした。 朝、 佐 藤氏 來訪 • 昨夜の 文字 を 取調べて 來て くれた。 夜、 滞 子と 共に 有樂 

巢鴨 日記 第 1 1 九 111 



泡 鳴 集 第 十二 卷 ーゴ四 

座に 『モナ ブナ」 を 見た 。西洋 新劇の SS 介 もい いが、 メ テル リンクの 如き • 僕 等から 見れば まやかし 

物の 劇 を、 而も あんなへ ッ ぽこ 藝で 見せて、 あんなに 客が 集まる やうで は * 日本 もま だく 心細い。 

九月 サ日。 晴。 サン デ ー より ハ ガキ。 浮 田 博士へ 同氏の 論旨 反駁の 通知。 加 藤氏へ 手紙。 平 出 氏へ 

ハ ガキ。 竹 中と S ふ 人より ハガキ • 返事。 天溪氏 紹介の 柴田 某氏 來訪。 原 氏 を 上野に 見送って から、 

m 手 氏と 久し振りで 玉 突 一 二回。 

九月 廿 一 日。 雨。 加 藤氏より ハ ガキ。 木村氏ょ.^手紙0 昨日、 峰 群 をす ベて 調べたら、 まだく 貯 

蜜 をして ゐな いが、 產卵 はやり 出した。 試みに このまま 置いて 置く が • どうなる こと だか? 第二 號 

の 二階 を 撤去した。 

九月せ 二日。 雨。 加籐 氏よ bv ハガキ o『 巢鴨 村より」 11 r 優强 者の 敎 Ri(一 二十 一 二 片」、 「宣 敎擧 校の 

惰眠」, (九 片) 。け ふ、 家庭 攀 校へ 本棚と 蜂 箱と を あつら へに 行った 歸 りに、 I 人の 男が 短い 竹 ざ をの 

さきに 蛙の むいた の をつ きさし、 その さき を もろこしの 极 へさし 出して ゐ るの を 兒た。 何 をして ゐる 

のかと 思って ると、 それ を引ッ こめて さ をの 根の 方 を 土に さして 立てた。 1 西の 土 蜂が さきにと まつ 

て ゐる。 指さき で しづかに 蛙の 肉 を 少しち ぎり、 それ を 別な 細い 棒 きれの さきにの せ、 峰の 口 もとへ 

持って行く: と、 頻りに 肉 をす つてた 蜂が この 方に 氣を つけ、 ^Jれに抱きっぃたo そして 間もなく それ 

を 食 はへ て 飛んで 行った 男 は それ を 見の がさない やうに 目で 追って ゐ たが、 とうく 見失って しま 



つた 。が、 行った 方角 だけ を 確め たと 云った 。どうす るの かと 聽 くと、 かう して 巢を晃 つけに 行く の だ 

と 答へ た。 運んで 行った もの を 置いて また 同じさ をへ やって 來 るに 定まって るから と 云って、 じッと 

しゃがんで 待って ゐた。 土 峰の 幼蟲を 取って 寶 るの ださう で、 1^ 十五 錢 する さう だ。 巢が 見つかれ 

ば、 必ら す直徑 七八寸 のが 五六 枚 はか かさない ので、 け ふも晝 頃から 五 時 頃までに 三 ケ所發 見した と 

S ふ。 蜜 峰 は 幼 蟲を脫 したの も 煮て 喰へ るが、 針 をす ベて 取る 爲め、 生きながら ふくろに 入れて 振る 

と、 すべて ふくろ を さして 拔 ける さう だ。 土 蜂の 幼蟲 はっく だ 煮に すると 云 ふ。 

九月せ 三日。 晴。 植物園に 行く。 プル タク 二種 を 新潮 社より 送附。 :: ハ. 

九月 廿 四日。 晴。 高 橋 (五) 氏 來訪。 H マ ソンの 雞點 一 一三 を聽 いた。 . . 、 . , 

九月 廿 五日。 晴。 原 氏 • 大阪 より 安着の ハ ガキ。 

九月 卄六 曰。 雨。 高 橋 (五) 氏より ハガキ • 帝國 劇場へ 行って、 マクぺ スを觀 たが、 作 その物が 外延 

的で 少しも 引きつ けられなかった。 蜂に 給 蜜した が、 第一 號は 前から 多少た めて ゐ た。 

九月 廿 七日。 雨。 H マ ソン 「自然 論 八 章」 (一 一 百 六十 片) を譯 了した 

九月 サ 八日。 晴。 山 本 (三) 氏より r カキ、 返事。 時事より 質問、 返事。 東亞 堂へ 譯を 持って行き、 

それから 原 夫人 を訪 ひ、 それから 高 橋 (五) 氏 を訪ひ • それからお 繁 さん を 訪ひ歸 つた。 留守に 正宗 

(白) 氏と 上司 氏が 來た 。蜂に 給 蜜。 

巢鴨日 ^1 1 九 五 



n 第 十二 卷 

九月 廿 九日。 晴。 東 堂亞へ r カキ。 岡 村 書店へ 小 品 叢書 中の 原稿 「岩屋の 娘」 (一 二百 枚 分) を以 つて 行 

つた 潮肚へ 稿料 を 取りに 行った が^ 守であった。 正宗 氏、 平野 氏 (留守)、 生 方 氏 (贺 守), 小川 氏 

を訪 ふ。 木 村 (鷹) より r カキ。 柴田 (流星) 氏の 死 を 報す るハ ガキ來 たる。 同氏と は 曾て. 行き 來 した 

が、 氏が 時事の 記 者に なって る^に、 僕の 何でもない 事件 をお ほげ さに 惡く云 ひまわり、 一度な ど 俊 

が 時事へ 入社 問題が あった 時に、 意外な 寃罪を 口述に して じゃま をした と、 同社の 人から 聽 いたの 

で、 その後 訪問 もした ことが なく、 葬式に も 行く 氣 にならない。 ありふれた 耶蘇 敎 信者に 過ぎない。 

1 P を 逸した。 

九月 * 日。 晴。 小川 氏と 昨夜 約朿 した 氏の 庭の 植木 二十 本、 石 十 五箇、 並に 水 蓮と その 水 鉢 を三圆 

で 持って 來た。 それを植ゑっけるに^^遲くまでかかった。 留守に 東亞 堂 主人が 來 た。 公衆 劇圑 より 招 

待狀。 藤 (みどり) 氏より ハ ガキ。 赤 蜂 1 匹 をう ち 落した。 

十月 1 日。 曇。 加 sf.^ どり) 夭 人へ ハ ガキ。 文章 世界から 十 一 月小說 依賴。 本 村 (鷹) 氏より ハガ 

キ。 野 口 氏より 手紙。 淡 £ 博士へ 再び ハガ キ、 返事が ないから C 無論 返事 は 要求した のでない が) あ 

Q 反^ を 請んだ か讀 まない か は 知って 置く 必要が あるし、 今一つ は 一般的 耶蘇 敎 家の 通弊 通り、 反^ 

者に 對し 底意 地の 惡ぃ 超然 家 癖の 人 かどう か を 試め したい 1. からと 云 ふ, K 味 を 書いて。 公衆 劇 園の 

IH レクト ラー 並に (茶の 家) を 帝劇へ 見に 行った 。( 茶の 家) は 脚本 も 藝も鎮 等の 程 鹿で 可な りの 出 



來 だが、 エレ クトラに 至って は 成って ゐ なかった 。藝 ばかりで はない、 ホフマン スタ ー ル其 人が 大した 

人物で はない らしい 。あれで 見る と、 イブ セ ン ほどに は 勿論、 メ テル リンク だけの 资格 もない 舊人 だ。 

十月 二日。 曇 C 東亞 堂へ 行き • 「近代 思想と 實 生活」 の 稿料 殘 りの 半金 三十 五圓を 受け取った。 新潮 

社へ 行き、 稿料 さいそく。 野 口 氏を訪 ふ。 春陽 堂より ハ ガキ。 

十月 三 曰。 雨。 新潮 社より 小說 稿料 1 一十 一 圓。 山 本 (三) 氏より ハ ガキ。 山 梨 氏 來訪。 . 

十月 四日。 晴。 中 村. (春) 氏 を訪ふ (留守)。 

十月 五日。 晴。 野 口 氏へ ハ ガキ。 玉 川 宅地 經營 部へ 問 ひ 合せ。 中 村 (武) 氏より 手紙。 サン デ ー よ 

ハ ガキ。 森 (盛) 氏より ハ ガキ。 佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 

十月 六日。 晴。 サン デ. - より 稿料 十四 圓 五十 錢。 「近代 思想と 寶 生活」 の 校正 全部 を 了す。 掘 正 一 

氏より ハ ガキ。 峰 群、 いまだに 貯 蜜が 少ぃ。 花粉 は 頻りに 取って 來 るが 11 

十月 七日。 雨。 「今月の 雜 誌から」 (四十 六片) を 時事の 爲 めに 書き終った。 郁子 氏より 手紙。 

十月 八日。 雨。 小說 r 熊 か 人間 か」 (五士 一枚 半) を 書き終る、 中央 公論へ。 加 藤氏 紹介の 近代劇 協 

會の ー會 員が 來た。 正宗 (得) 氏へ r カキ。 

十月 九日。 晴。 加 藤氏より ハ ガキ。 原槁を 中央 公論へ。 並に サン, テ ー へ or 表象 派の 文擧通 動」 全部 

校了。 中 村 (春) 氏 來訪。 

巢鵪日 Si 第 1 】 允セ 



ii 第 十二 卷 し 九 八 

. 十月 十日。 晴。 時事へ 追加 六片 (詩の 句法に 就いて )。 正 (得)、 蒲 Is- 二 氏 來訪。 岡 村 書店より 小品 纖 

書 S 半額 二十 圓。 、 

十月 十 一 曰。 晴。 服 部 (嘉) 氏 • 瀧 田 氏より ハガキ 。筑紫 氏の 會へ 行く。 

十月 十二 日。 晴。 中 村 (武) 氏へ ハ ガキ。 吉丸 氏へ、 此の 駁論 を駁 すろ こと 僕の 論の W る 日 を 通知し 

た。 西 村 氏へ ハ ガキ。 蜂 群に 三 斤の 砂糖 を 半分と 少し やった。 やり方が 惡 かった ので か、 ^一 號と第 

五號 との 嚴 門外に 各々 十 匹 もしくは 二十 匹 死んだ。 きの ふ、 會 での 話に、 筑紫 氏の 襄に、 俊の 家から 

見える 七 かかへ も ある もちの 木が あるの を 知った。 散歩の 間に 小い ほこらが 立って るの を 見た が、 そ 

の 小 森が 一 本の もちで あつたに は 驚いた。 蜂に は 持って 來 いだ。 この頃、 宅の コスモスへ 蜂 はよ く 行 

つて. n る。 ダリヤに も、 聯險 旗と 云 ふのに は 行って る。 どうもね ぎ は 出ない。 け ふ、 その 部分の 畑 を 

返して、 京茱ゃ 山東茱 をまい た。 ゑん どう、 そら S など は 出て 來た。 里 竽畑も 半ば は 返して 京 菜に し 

てし まった 

十月 十三 日。 晴。 小說 r 醜婦」 (六十 I 片) を 書き終った。 蒲 原 氏より 野 口 氏 送別 會 通知。 石 田 氏よ 

リ 「第三 帝國」 を $; ほり 來る。 平野 氏より ハ ガキ。 博 文 館へ 原稿 を 持って行 つたが、 西 村 君 は 留守で あ 

つた。 長 谷川 氏が ゐ た。 丁度 生 方 氏が 來てゐ て、 一 二人の 話 をして ゐる うちに、 生 方 氏の 新雜誌 (享樂 

第 一 號 切りで また 別な の を 出す) の 名が 「ゴ シプ」 と^:ルった。 東亞 堂へ 立ちよ リ、 それからお 繁 さん 



を訪 ひ、 カル タを 三年 やって、 散歩して から 別れた。 蜂に け ふは殘 りの 砂糖 を 給 蜜した。 

十月 十四日。 夜、 雨。 お ほそう じであった 。新潮 社より 手紙、 ァ ー サ ー シ モン ズか、 アサ シ モン ズ 

と 書く かの 電報 を 打って くれとの ことであった から、 わざくな まって ァ ー サ, 'と 云 はないでも、 ァ 

サで いいと 云って やった。 英語の 發音 のな まりが 殆ど それでなければ ならない やうに なって るの は を 

かしな もの だ。 & も、 a も、 or もス キフトの 發音學 を 見ても、 實 際に は 同じで、 イク リャ音 の a と 同 

じだ。 丁度 日本の ァに當 るので、 それ を また 延ばして ァ ー と 云 ふに 及ばぬ。 楠 山 氏より ハガキ 。電報 

をう つたつ いでに、 前 田 (晃) 氏 を 訪ふ。 

十月 十五 日。 雨。 西 村 氏より ハ ガキ。 野 口 米 太郞の 渡英 送別 を 蒲 原、 正宗 (得: r 高 安、 僕の 三 氏で 

山 茶莊に 於て やった。 それから 正宗 氏と 共に 森 田 (恒) 氏を訪 ふ。 

十月 十六 日。 夕方から 雨。 文展の 初日 を毘に 行った。 提燈屋 の甏の やうな も ひば かりで 批評す る だ 

けの 價値 は、 洋畫 にも 日本 畫 にも、 なかった。 織 田 (1) の大阪 から 見に 來 たのに 出會 つて、 暫く tt ハ 

臺で 話して ると、 中央 公論の 瀧 田 氏が 來て、 氏に 新年 號の小 說を賴 まれた。 それから 千 葉 (鑛) 氏を訪 

ふ or 小僧」 が ここ 四 五日 殆ど 歸ら ない、 そして 目的の めすにば かりく ッ ついて 歩いて ゐ るの を 兒 たが、 

瘦 せて 尻の 骨な どが 突起して 來 た。 それでも、 他の 犬 を 追ッ拂 つて 自分ば かりが そのめ すを赛 有して 

ゐ るら しい。 モクが そばへ 寄って 行かう としても、 おそろしく うなって 近づけなかった。 德田 (秋 江) 

巢鴨 日記 第 1 . 1 九九 



泡 鳴 <t 第 十二 卷 §fi 

氏から べんかいの ハガ キが來 たが、 成って ゐ ない。 

十月 十七 日。 雨。 時事 新報より 稿料 十圆。 博 文 館より 同じく 1^ 十四 0。 大住 氏より 手紙。 辻氏ハ ^ 

ガキ。 中央 公論より 校正、 禁止に なり さうな ところが ないかと 注意して 來た。 

十月 十八 曰。 曇。 サン デ ー ょリ r カキ 。米 國リ, 弁ング HI ジ 社より 手紙。 辻 氏來訪 (留守 )o 中央 公論 

へ 行き、 稿料 五十 四圓を 受取って、 歸 りに 瀧 S 氏 並に 島 村 氏と 共に 飲んだ。 

十月 十九 日。 暗。 辻 氏 來訪、 プル タク を下譯 して 貰 ふこと に定 つた。 僕 は训に 自分 だけで 初めから 

終りまで 手に かける の を やらう と 思 ふ。 野 口 氏より 手紙。 瀧の 川の 康樂 園へ ダリヤ を 3- に 行き、 來 

の 1 极ニ圓 と 一 圓 五十 錢 との 二つ を豫 約した。 佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 

十月 廿日。 暗。 ^2〈亞堂並に瀧田氏へ ハ ガキ。 丸 善へ 雜 誌代 を 拂 ひに 行った ついで、 オイケンの 哲舉 

とべ ー タの 「ルネサンス」 とスノ ー ドン の 婦人 論と を購ふ 。よみうりに 上司 氏を訪 ひ、 一 緒 に 水 野 氏を訪 

ふ (內藤 辰 作 氏に 會ふ )o 蜂 群 は いづれ も 蜜 を 可な りため たが、 まだ 蓋が mz 來てゐ ない。 相變 らす廢 

して ゐ るが、 峰の 數は 減じた やうな ので、 どの 箱から も 一 枠 づっ拔 き 取った。 

十月 廿 一 日。 夕方から 雨。 野 口 氏へ ハ ガキ。 小川 氏より 轉居 通知。 

十月 廿 二日。 曇。 英文 原稿、 返送 せられて 來た、 どうも 文 奪が 下手 だから。 野 口 氏より ハガキ 二。 

池 田 氏より 手紙。 「言語の 腐敗」 (サン デ ー 用紙 一 一十三 枚)。 



十月 廿 三日。 夜、 附0 池 田 氏へ 手紙 (r 靑韆」 發行 引き受ける や 否やの 件) 。新潮 社へ 行き、 「文舉 運動」 

の 製本 急 立て 二部 を 受け取り、 野 口 氏 を訪ふ (シ モン ズへ 持って行って 賞ふ爲 め)。 それから 蒲. 原 氏 を 

訪ひ、 野 口 氏と 共に 一 二人で 銀座へ 出で、 別れの カフェ を 一一 ュョ ー タキ チンで やった。 栗 本 氏 も 一緒で 

あった。 午後 力 時、 野 口 氏の 渡英 出發を 送った。 池 田 氏に 會 つたので、 臺灣 茶店で ちょっと 手紙の 用 

件 を 話して 置いた。 

十月 廿 四日。 晴。 川 手 氏より 手 鋭。 吉野氏 來訪、 夜まで ゐた。 風氣 味で、 僕 は 早く 縟に 就いた。 野 

口 氏へ 僕の 英文 マ ソンと 王 陽 明」 を 送った、 (加 茂 丸 宛に て )o 

十月 廿 五日。 晴。 瀨沼 女史より ハ ガキ。 

十月 廿 六日。 暗。 寢てゐ て もつ まらない ので、 當 てもなく 戮を 出た。 先 づ木村 (廳) 氏 を 訪ふ。 留守 

正宗 (得)、 吉江ニ 氏 も 留守。 ちょ ッと 大久 保文擧 クラブに 立ち寄り、 それから 戶川 氏を訪 ふ。 歸 りに 

尾 島 女. 史と大 杉 氏と を訪 ふ。 

十 grh 七日。 曇。 楠 山 氏へ ハ ガキ。 著作家 協會 設立の 件に つき、 詰が あり 田 山 氏を訪 ふ。 その 節 

僕の 島 崎 氏に 對 する 定評 を 酷 だと 云って 辯 解し、 田 山 氏 は籐村 氏に は 詩人の やうな ところが あるの を 

3? さない やうに、 出さない やうに として ゐ るの がいい、 また 同情すべき 點 だと 云った。 が、 僕 はこれ 

に 答へ て、 その 出さない やうに して ゐる ものが, エル レンなら 取り柄が あらう が、 テ 一一 スン なら 何でも 

巢鴨日 SS 第一 rc^ 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 二 011 

ない ぢゃァ ないかと 云った。 これに は 田 山 氏 も 異論はなかった。 田 山 氏 自身 も主觀 をう とんじて ゐち 

ゃァ 駄目な の だら う、 なと S ふこと をし み/^、 云 ふやう になった の を 見て、 僕 は 氏の 平面 描寫 論の 轉 

機が 來 たの だと 注意した。 と 同時に、 僕が 前から 云って た 方へ 近づいて 来たの だ。 それから 平 出 氏 を 

訪ひ、 いよく 協會の 下相談に 取り かかる 手箦 をす る やうに 定めた。 田 山 氏の 宅で 少し 酒 を 飮んで 行 

つた 爲 めか、 ふとした 拍子に 火鉢 をひッ くり 返し、 右の 手の B. を やけどう した。 平 出 氏 宅の 電話 を 借 

りて 仲 小路 氏へ かけ、 兼て 國で 知って る 同氏 細君から 氏に 面會 する やうに 頼まう としたが、 ゐな いさ 

うであった I— 近来の 脫黨、 そ. の 他の 問題に つき" 忠告 的な 攻擊を 氏の 面前でして、 K 際に どんな 考. 

へな のか を 見たい ので ある。 

十月 卄 八日。 曇。 平 出、 生 方、 岡村誊 店、 本 多 氏へ ハガ キ。 

十月 廿 九日。 晴。 昨日、 第 四號を 第三 號に 合同して 置いたら、 け ふ、 もとの 位置へ 歸る のが 多い の 

で、 夜、 給 蜜して 巢門 をふさいで 置いた。 筑紫 氏から 左の 球根 を 買った。 

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巢鴨 日記 第 1 , 



寒 I 森 



抱 鳴佥集 ^十二 卷 no 四 

十月 卅日。 晴。 ゆ ふべ からの 第三 號 群の 狀態を 注意して ゐ ると、 箱の 中で ぶう く 云 ふの がき こえ 

た。 それでも、 出る ものがなかった やうで あるが、 ゆ ふかた になって、 あまり その IS が 大きい ので 行 

つて 見る と、 巣 門外に 二十 匹ば かり 出た のが かじり 付いて ゐ た。 そして 出て 來 るの もあった。 どうせ 

どこかへ 穴 を あけた のなら、 それまで だと 思って、 巣 門の かな 網 を 取りの けて やる と、 直ぐ 二三 十 匹 

が 突進した。 最初に 出た もの は 出る と 直ぐ 氣カを 失った。 その 樣子を 見て 僕 は 戰爭に 於け る 画み をう 

ちから 破る 決死隊 を 思 ひ 起した。 古く 新聞紙お つめて ある 巢門 わきのと ころに 二 一 匹づっ 出られる ほ 

どの 穴 を あけて あった。 蓋 を あけて 見る こと だけ はしなかった。 正宗 (得) 氏 來訪、 畫 家と 文擧 者との 

談話 會 催しの 相談に 來た。 來月 五日、 二人の 名で 二十 名 以內の 人々 に 鴻の巢 へ 來て貰 ふこと にした。 

東亞 堂の 店員 來訪、 「實 生活」 中の 文句に 少し 訂正 を 加へ て くれろ とのこと であった、 禁止 を さける 爲 

めに a 

十月 卅 一 日。 晴。 正宗 (得) 氏へ 婦人 を も 四 五名 招く ことに 云って やった。 博 文 館 (太陽) より 稿料 十 

四圆、 サン デ ー より 十五 随。 第三 號群、 け ふ は、 もう、 落ちつい たらしい、 もとの 萬 際へ 行く もの も 

まごく した 後に 第三 號地 へた どった。 天長節 上野へ 行く。 



十一月 一日。 暗。 サン デ,. 'へ 受取りの ハ ガキ。 田 代 氏、 辻 氏 來訪。 

十 一 月 一 一 日。 晴。 第三 號群を あけて 見たら、 貯蜜は 多い が、 まだ 蓋 はして ない。 第一 一 號群も 同じ 

け ふ、 朝 は 五十 度であった。 花壇 並に 京 菜へ 霜よ け をした。 蜂の 箱 はすべ て 防寒の ござ を 捲いて やつ 

た けさ、 水 じ もが 下りて ゐ たさう だ。 生 方 氏へ、 返事の 催促。 

十 1 月 三 RIO 暗。 中 村、 佐 藤 1 一氏 を訪 ふたが、 留守。 散歩が てら、 靑赣社 事務所 を 訪ふ。 

十 一 月 四日。 晴。 生 方 氏より ハ ガキ。 富山房より 稿料 十圓 (但し 枚数に 比し 甚だ 少 いので、 どうし 

たわけ だか 聽き にやった。) 新潮 • まより 今年 中の 藝術界 に 於け る こと を聽 きに 來 たので、 花 袋 氏の 「樂 

圜」 と秋聲 氏の 1 綠 きり」 はま だ讀 まない が. - 讀ん& うちで は、 白鳥 氏の 「心中 未遂」、 俊 子 氏の 1 憂 

欝な句 ひ」 などが よかった。 靈界 では、 靑木 氏の 畫 集が 出來 たこと、 そして 劇界に は 感服すべき こと 

がなかった と 返事した。 花 擅の 霜よ け をした。 第! 號の峰 群 を 二重 箱に して、 その 間に 新聞紙の くづ 

をつ めた。 枠 は 七 枚であった。 

十 一 月 五日。 暗。 原 氏大阪 より 來た。 加 藤 (朝) 氏來訪 (留守 )。 田 代 氏より ハ ガキ。 K 宗 (得) 氏と 僕 

とで 發 起した 會が 鴻の巢 にあって、 男女 十二 名が 集った。 

十 1. 月 六日。 晴。 第三 號 以外へ 給 蜜。 平 出 氏より ハ ガキ。 加籐、 田 代、 平 出 氏へ ハ ガキ。 巢鴨 郵便 

局長へ 手紙 (犬の 爲 めに 配達 不能と 云 ふう その 附箋が ついて 郵便物 を邐れ させた 件)。 「巢鴨 村より」 の 

幾 鴨 日 SS 第 1 二 ◦£ 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 二 〇 六 

うちへ r 侗 人中: 義と道 德の實 質」 (再び 浮 田 博士へ) を 四十 八片。 博士 は 太陽に 於て 僕の さきの 議論に、, 一 

答へ たの を 僕が 見て だ。 楠 山 氏より r カキ。 

十 一 月 七日。 晴。 吉野 氏を訪 ふ。 

十 一 月 八日。 晴。 加 藤氏 を訪ふ (「近代」 新年 號に 脚本 一 簾 を 受け合 ふ )o 原 氏 を 訪ふ。 川 手 氏 を訪ふ 

(留守)。 歸 りに 今 井馱子 氏を訪 ふ。 

十 一 月 九日。 晴。 尾 島 菊 子 氏、 加 籐朝鳥 氏より ハ ガキ。 中 村 氏を訪 ふ。 原 氏 夫婦 來訪。 

十 I 月 十日。 晴。 サン デ ー へ ハ ガキ。 尾 島 菊 子 氏 も 來る辔 で、 目白の 日吉 まき子 氏 を 訪ねたら、 ,ぬ 

柬の日 變更の 知らせが 行き 違って、 僕 だけであった 。菊 子 氏より ハ ガキ。 

十 一 月 十 一 日。 晴。 三 井と いふ 藥劑師 で、 偏べき だが、 I 種の 考へ を以 つて 日本 主義 を 主張す る 人 

が筑紫 氏の 紹介で 來て、 木 村 氏に 紹介 を 頼んだ ので、 つれて 行って 會は せた。 僕は兩 氏の 話を聽 いて 

ゐ た。 それから、 直ぐ 出發、 稻 毛の 海氣館 へやって 來 た。 一 年と 云 ふ もの、 旅行す る餘地 もなかった 

ので、 少し 保養しながら、 新年 號の 小說と 脚本と を窨 くつ も. OSO 松原の 中の 家で 海の 風が 吹き 入る。 

<H|i は、 殊に、 月の 夜 だ。 

十 一 月 十 1 1 日。 晴 。「巢 鴨 村より」 (道 德の內 容と戀 愛 論) 四十 八片を 書き終った。 瀧 田、 本 多、 淸子、 

禰山、 繁子 氏へ r カキ。 



十 I 月 十三 日。 夜、 雨が あった。 風 も 強かった。 

十 一 月 十四日。 けさ は 雨風であった。 午後 少し 落ち 付いた。 家より 手紙。 岡 村 書店より 校正 (「岩屋 

の 船」 の 校正が はじまった。) 中央 文學 より 文章 座右銘 をて うして 來 たから、 章は卽 ちその 入の 生活 

でなければ ならない ので、 人生 觀と 同樣、 外延 的 傾向 を 避けて、 內 部の 寶 質を捉 へる ように 努む べし。 

何とかう まく 形容し ようと 云 ふ 心 を 起す のが、 I 番 文章 を 作る ものの 避くべき こと だ』 と 返事した。 

今夜、 長篇 「未練」 の 第 四、 第五 を窨 いて ゐる 時、 お 鳥の 本物が ふと 目の前に まざ., (、と 見えた 氣 がし 

て、 海氣 館の 離れに 獨 りで ぼつり として ゐる のが 何だか 怖ろ しくな つた。 淸 子へ ハ ガキ。 岡村誊 店よ 

P 「アポ ト 先生」 は餘 るので 取り返した。 

十 一 月 十五 日。 曇 滋子 氏より ハ ガキ。 本 多 氏よ hsr カキ。 本 多 氏へ 手紙。 瀧 田、 植竹ニ 氏へ ハガ. 

キ 。尾 菊 氏へ ハ ガキ。 

十一 H 十六 日。 晴。 瀧 s、 茅 原 (華 山)、 服 部、 淸 子等の 人々 より ハガ キ。 瀧 田 氏 並に 茅 原 氏へ 返事 

平 出、 サン, ーァ ー、 上司 氏へ ハ ガキ。 

十 一 月 十七 日。 雨。 午前 四時 頃、 「未練」 (上篇 二百 〇 九片) を 書き終った。 富山房より 不足 料: 九圓。 

淸 子へ, ハ ガキ。 

十 一 月 十八 曰。 曇。 サン デ ー へ 原稿。 茅 原、 淸子ー 一名より ハガキ 。稻 毛より 歸京 、原稿 を 中央 公論 社 

巢鴨 BS 第 一 二 七 



泡 鳴 4: 集 第 十二 卷 二 〇 八 

に 渡しに 行った ついでに、 三 井 氏を訪 ふ。 

十 I 月 十九 HO 暗。 新潮 社を訪 ふたつい でに、 K 宗 (白) 氏 を 訪ふ。 日吉 夫人に ハ ガキ。 新潮 社へ は 

飜譯書出來を取..^に行き、 短籯集 もしくは 長篇 「斷 橋」 の 出版 交渉 をして 見た。 

卜 一 月 廿日。 雨。 钍 氏へ ハ ガキ。 浮 田 氏へ 僕の 反駁の 出た こと 並に 誤植 訂正の 通知。 山 梨 氏へ 手紙 

植竹 書院へ 今一度 傑作 叢書へ 入れない か 若しく ば 別に 短篇 集 を やらない かの 交涉を 出 した。 並に 田 村 

俊 子 氏 を 紹介。 川 手 氏より 手紙、 區會 議員 撰擧に 一 禀を 取って くれろ との 依賴 で、 田 中 (正 平) 氏へ つ 

れて 行った。 田 中 氏と は 久しぶりで 會 つたが • 裀變ら す 形式に 傾いた 博士 だ、 熱烈な 惡篤 はおとろ へ 

ない が 11 、 

十 I 月廿ー 日。 曇 滋子 氏より ハ ガキ。 島中 氏から 手紙, 同じく 退 事。 昨日 「表象 派の 文擊 運動」 十 

部 を 受取った。 歸京 早々、 蜂 群 を 調べて 見 だら、 すべて 貯蜜は 十分 ある やう だが、 まだ ふた をした 部 

分 は 多くない。 第 一 號 一 資 箱に した 所の 如き は * 最 端の 枠の 蜂が 三 四 匹 這って る、 そとが はまで 一 杯 

貯めて ある。 け ふ • ダリヤ 並に カンナの 根 を あげた。 試みに 三ケ 所の ダリヤ を そのまま にして 見る。 

昨 RT 瀧 S 氏來訪 < 「未練」 は あと 六十 枚まで 增 して 完結して 四月の 特別 號に 出す ことにして、 別に 四 

十 枚の を 依頼 だ。 東亞 堂 へ 手絨。 窨棚屋 へハ ガキ。 

〇 稻 毛の 旅館に ゐる AT あまりに 月が よさそう なので、 犖を撋 いて 外へ 出た。 可な り 高い 而も 立て 



K.. んでゐ る 松原の 問 を 海岸へ 出ようと すると、 門まで 下りて 行く 道で 一 匹の 大きな 犬が 鼻 を ふん/ \ 

1K はせ て 後ろへ やって 來た。 三 四才の 子供 ほどな ので、 若し 吠えられて は 困る と 思った が、 向 ふ を 驚 

かさ、 ないやう に ふり 向いて 『うしく』 と聲を かけて 見た。 し ッぼを 振って ゐる a これで は 大丈夫 だら 

うと 3^ そ、 僕 は 口ぶ え を 吹いて 少 L 走" 加減に 歩く と、 縝は 僕の さきに 立って、 僕の 行く 方へ 行く の 

である。 , 

淺ぃ 海岸 だが、 滿ち 潮で 岸まで 塞い 月の 光 を きら, (、させて ゐ る。 その 中へ つき 出た さん 橋 やうの 

渡りが ある。 近處の ものが そこへ 渡って 行って 物な ど 洗 ふところ だ。 渠は 僕よ, ジ さきに それ を 渡 .《v、 

僕の 從 ふの を ! 後ろ を 向き-^ みち 引いた が、 そのと ッ 鼻が 海の 中へ すべって 行って ると ころ 

へ 行ったら、 纏 は 驚いた やうに あとす さりし * それから 僕 をぬ けて あと もど x=s した。 

僕 はす ッ とと ッ 鼻へ 進んだ。 そして、 うちに 殘 して 來 たよく 吠える 犬 は 今ごろ どうして ゐる だら う 

と 思 ひ 出しながら- 暫く 海の i41 氣を 吸って ゐ た。 時候が 時候 だけに、 宿に 滯 在して ゐる客 は 僕 だけな 

ので、 ふり 返って 見ても、 海岸に 人影 I つ 見えなかった。 珍らしぃ容に^!^の松原全體を見せてゃると 

云 はない ばかりに、 月 は その上へ あがって ゐ る。 僕 は 蔭 ある 方へ もどって 行った。 

すると、 また 同じ 犬が ついて 來 た。 

愤は駄 萬 子屋へ 立ち寄って かたパン を 二つ 買った。 そして 少しづつ 折って、 これ を與 へながら、 

紫 鴨 日 SS 第 一 二 〇 九 



i$ 十二 卷 一 - 

『^えるな よ 11 ^えて 英れ ると、 散歩 も 夜出來 ないから、 ね。』 

『この 犬 は 吠えません』 と、 そこのお 婆ァ さんが そばから 口 を 添へ た。 入り口の 障子が 少し 締め 殘っ 

てると ころから、 首 を 出して パン を 無 器 ffl に 拾 ふ 物の 頭 は、 猛惡な ブル ドクの それの やう だ。 

『さう か、 ね。』 かう 輕く 受けた つもりであった が、 この 無器用で、 05、 落した パンの ありか を 時々 探 

し. 得ないで ゐ るの を 僕 は 渠が喻 ひたく もない もの をと 沄 つてる やうに、 薄 氣味惡 く 取れた 

僕 はこの 犬 と共にな ほ 海岸 を ぶらつい てから 松原の 中に ある 離れの 二階へ 返った 

頼まれて 書いて I 年小說 が、 もう、 終りに 近づいた 勢 ひ i けて、 5 けがた まで 管 執って ゐ 

たが、 それから 褥に這 入り、 午前 十 時 だと 云 ふに、 起された。 

窓からの ぞくと、 ぶらんこの かけて ある 林間の 空地で、 掘りぬ き 井戶を 掘って る 大輪の 回韓 して ゐ 

るの を 背景に して、 三 四才の 子供が 二 名よ たくして 歩きながら 遊んで ゐる。 そして ゆ ふべ の 犬 力 同 

じほ どの f る この 二 名の H 這 入り、 二 名から して? を 叩かれたり、 ぜ いじ くられた りして、 

怒り もしないで ぴんぴ こ 尾 を 振って ゐ る。 茶色に 黑 毛め 少し まじった おとなしい 犬 だと 思 はれ,.' 

『何と 云 ふ 犬 だね、 あれ は?』 

『皆が あかと ゆして をり ます。』 女中ち ょツと 見て、 かう 答へ た。 

「あかく 1 と、 魔 は 呼んで 見た、 手に は、 ゆ ふべ のかた パンの 殘りを 持って。 



1 向聽 えない やうであった。 二三 度 呼んで るう さに、 それでも 付い,^ と 見え, 恣の 下へ やって.!?;: 

た。 で、 僕 は パン を ほうり 投げて やったら、 矢張り、 受ける こと を 知らないで、 落ちた の を 追って 行 

? 拾った。 

『こいつ は 人に 吠え 付く か、 ね?』 

『いいえ』 と、 女中 は ほかの こと をしながら、 『おしです から II』 

『おうし かい?』 僕 はちよ ッと 不思議 fe 氣 がした が、 呼んで 見ても" パン を やって 見ても、 その 勖作 

の のろいの を それが 爲 めか 知らん と考 へた。 『ぢゅ ァ、 人の 聲も聽 えない 笞 だが —— 』 

『どうです か —— 』 

『全 體、 どうしておう しだと 分った の だ』 と、 僕 tt 根 問 ひして 見た。 

『恃が 試しに よくぶ ちます が" どんなに ぶっても K を 出した ことがあ りません。』 

『可愛 さう に』 ミ、 僕 は 云って、 鎮 に 最後の パ ン 切れ を與 へた。 , , 

もう、 ない のかと 云 ふ 風に 鎮は上 を 仰ぎ見て ゐ たが、 やがて 海岸の 方へ てく く 歩いて 行った。 

『あかく あか』 と、 子供 は 後ろ かち 呼んで ゐ た。 

役に,;^ た い 畜生 犬と 云って 難れ にも 相手に しられない のであった が、 ^つの まに か、 拾 は マ、 

煃草ゃ 郵便切手 を寶る 家の、 獨り 者の 婆ァ さんに 飼 はれる 犬 14 ぬ つてる の ださう だ。 

巢鵜日 S3 第 一 . 



泡 鳴 as 第 十二 卷 £ "一, 

以上、 曰 記の 部分 を 「1 の 犬」 として 雜誌 1 處女」 S つた。 

十一月 廿ニ日 。暗 osk 孝 氏より ハ? 。中央 公論より 二十 圓と 五十 四圓 五十 錢 との 爲替來 たる 

I 社より ハガキ 。散歩の 道で、 茶の 花が i になつ S いてる の を 見た。 n5 スは 歸京蓦 、 も 

ラ, 駄目であった。 

十 一 月廿 三日。. ®o 翥氏 來訪。 田 村 俊 子 氏 來訪。 植 竹よ" IO S 氏よ 义 ガキ。 東 墨より 

十 一 月廿 四日。 風。 岡 村 書店へ r カキ。 瀧 田 氏よ 义 ガキ。 千 葉氏 來訪 。「お 仙」 (七十 片)、 中 t 

十 一 月せ 五日。 暗。 i(s 氏へ ハ ガキ。 サン, や へ ハガキ IO 反省 社へ 原 f 持って行く。 

十 一 月廿六 ほ。 暗。 秦 (得) 氏よ 义ガ キ。 高 橋 (五) 氏よ 乂ガキ 。豪 氏の 靄會 主意 書を 小 嫁 (正 

l^y 祌崎 氏、 堀 氏 へ^った。 , ro 

十 一 月 2 日。 晴。 岡 村 書店よ 义ガキ t、 ? 55 金 二十 圓を 受取る。 i 氏へ ハ,? 

r 近代」 に依賴 され 脚本 一 篇 、「解剖 擧者」 (九十 九 片」。 

卜 八日。 暗 加籐 氏へ 原稿 を 持って行った。 川 手、 平 S 二 氏を訪 ふ。 辻 氏 來訪。 

卜 - 130 io ns-s550is 聞 I 問へ 答へ (その 一 つ は 地方の i に警す 



べき 書籍に 就ての 意見と 云 ふので あったら、 僕 は それに 答へ て —— 地方 人が 東京 風に 書いた 物 を讀ん 

で、 これ を眞 似る の は |S 生活 上に 誡意を 缺く結 某を來 たす。 僕 は小擧 校の 敎科 書が 地方に 於ても 東京 

語で 窨 いたの を 使用して ゐる のが 1 稀 人間 を墮 落させる 原因 だと E わ ふ。 先づ 標準語の 小 擧敎科 誊を打 

破して から、 地方家庭の讀み物などの相談は初めるがぃぃと思ふ。)鈴木(全眞)ょ^老母の死を報じて 

來た、 脊奠 一 圆を 送る。 加 藤み どり 氏より ハ ガキ。 石 丸 氏よ お r カキ。 

+ 1 月卅 日。 風。 三 井、 筑紫、 その他 一名 一緒に 來訪。 サン, テ! より 十六 圓 五十 錢。 ; a 氏 來訪。 

十一 一月 一 日。 雨。 原 氏へ 手紙。 大阪の 高 橋 氏へ 拾圓 返却。 「近代 思想と 寳 生活」 の a 本 出來。 東亞 堂 

へ 手紙。 瀧 田 氏、 佐 藤氏、 辻 氏へ ハガ キ。 

十二月 二 曰。 晴。 鈴 木 (全) 氏よ リハ ガキ。 「巢鴨 村より」 (政治 思想 S 腐敗と 缺乏) (二十 三枚)。 

十二月 三日。 辻 氏 來訪、 夜、 同氏と 江戸 子へ 行って 會 食し、 それから 上野、 淺草を ぶらつき、 江川 

の玉乘 り を 見た。 はしご 乘リの 曲藝を 見て、 僕が 子供の 時、 それが 半分ば か..^ やれて ゐ たの を 思 ひ W 

した。 「炭屋 の 船」 (一 二百 二 頁) の 校正 終る。 加籐 * 岡 村 書店へ ハ ガキ。 

十二月 四日。 晴。 「近代」 へ 送った 脚本が 「近代」 の 維持が もう E 難な ので 歸 つて 來た。 これ を 反省 社 

へ 送って、 來年 二三 月號 のに 1 考を煩 はせ た。 今夜 プル タクの 飜譯を 全部 何枚になる か 勘- 2^ して 見た 

ら、 五 千 枚に は 大丈夫な らう。 うかく 相談して 見た が、 いよく かう してやって ゐ ると、 なか (: 

巢鴨 日記 0^ =1111 



泡 AJ> 第 镇十 II 卷 ni 四 

大事 業 だ。 

十二月 五日。 暗。 國分 まさをと 云 ふ 婦人、 生 田 (長) 氏の SS 介で 來訪、 瞻と 云ふ雜 誌への 論文と 小 說.. 

と を 依轔。 五日 會へ 出會。 「敎育 界批議 十 一 ケ絛」 (十五 片)。 

十二月 六日。 晴。 國分 氏へ 原稿。 岡 村 書店へ 「炭屋 の 船」 の 出版 届 を 送る。 平 出 氏より ハ ガキ。 叔 

父 の 小 林 (克衞 ) 氏 來訪、 墓地 に 關 する 實印 擦し を賴み に 來た。 殆ど 全 く 出入り を させなかった の だが、 

年の 加.^ で 弱い く 人に なって るら しい。 それから 見る と, 今 ゐる淸 子の 父な ど は 殆ど 一 一十 も 上で あ 

おながら、 物 も 分り 又氣も はき./ \ してゐ る。 

十二月 七日。 晴。 三 井 (良) 氏 來訪。 田 代 氏の 友人と 云 ふ靑年 來訪。 國分 (ま) 氏より r カキ。 西 村 氏 

より 手紙、 同じく 返事。 筑紫 氏を訪 ひ、 同氏の よく 行く と 云 ふ 後籐新 平氏へ、 折 を: 1 ルて會 ひに 行く 約 

をした。 無論、 僕の 話 を 敬して 聽く氣 が 出ないなら わざく 行く 必要 もない の だが —— 鬼に 角、 後藤 

と 山 本 (權) には會 つて 意見 も 述べて 置きた. S と 思 ふ。 おとと ひの 晚 i^B; つて 來たギ 一一 ァ ビグ、 乃ち、 1^ 

竺ねづ みのつ が ひの 活動 を 兒てゐ ると、 鼠に も、 ふくろに も、 みみ づく にも、 にも、 猫に も、 鳥に 

も、 膝に も 似た ところがあって、 而も その物 をね だる 翳が かなり やの さ いづる 聲の やう だ。 

十二月 八日。 晴。 北 村、 小 林 二 氏より r カキ。 北 村 氏の 紹介で 井 田紘 聲氏 來訪、 新潮 社へ 第一 回 分 

の飜譯 原稿 百 六十 一 枚 C 一 行 置きに 書いて あれば 正味 八十 枚 半) を 持って行った。 小川 氏 並に 滋子氏 を 



十二月 九日。 晴。 伊藤 證信 氏が 細君 並に 二 名の 靑年 と共に 來訪。 きの ふから、 蜂蠟を て 精 撰して 一 

見た。 

十二月 十日。 雨。 辻 氏 來訪。 尾 島 (菊) 氏より ハ ガキ。 新潮 社から 飜譯 金の 最初が 來 るの を 待って ゐー 

たが、 來 なかった。 一 

十 1 1 月 十 一 曰。 暗。 千 薬 氏より 手練。 木 村 (鷹) 氏より ハ ガキ。 佐 藤 • 中 村 一 一氏 を訪 ふ。 氣分 がよく. 一 

ない ので 早寢。 一 

十二月 十二 日。 雨。 東亞 堂へ ハ ガキ。 有樂 座へ キネ ト ホン を 見に 行く。 一 

十二月 十三 日。 晴。 加 藤氏より 手紙。 神 崎 氏より ハ ガキ。 新潮 社へ 行き、 譯槁 八十 枚 分の 稿料 二十 一 

四圓を 受取った。 一 

十二月 十四 曰。 風。 位藤 氏、 平 m 氏より ハ ガキ。 新渴縣 から 未知の 人の 手紙。 (返事せ す。) 辻 氏來 訪、, 

下譯を ことわり、 もッと 進行す る爲 め、 毎日 俊の 口述 を 筆記し に 來て貰 ふこと にして、 日曜 以外 毎日。 

五 時間、 月給 二十 圓を 出す ことにき めた。 サン デ, '新年 號 から 「事 實と 批評」 と 改め" その 第一 回 「治 一 

安 警察 法 第 五條の 改正」 (サン デ ー 用紙 一 一十 四 枚) を 書いた。 一 

十二月 十五 日。 晴。 二三 日 前、 蜜の 壜 s: に 白 5 ごみが 浮いて ゐ るの を 發 見した と 思ったら、 凍り, 5^ 

巢鴨 日記 鎮 一 一二 五 一 



泡 鳴 <i ^十二 卷 二 一 六 

けて ゐる 泡であった。 佐 藤、 近 重、 二 氏から 「I 貧 生活」 受け取りのへ i 知が こちらへ 來た。 束亞 堂より 

《ガ キ。 淸 子の 父が け ふから かの 女の 兄の 方へ 引き取った。 

十二月 十六 日。 雪。 祌崎 氏へ 手紙。 瀧 田 氏へ ハガ キ。 サン デ ー へ 原稿。 佐 藤氏へ ハ ガキ。 朝から 霉 

がふり つづき、 つ ひに 十七 日の 午前 二 時 頃 もま だ 降って ゐ る。 三 四寸は 積んで る だら う。 

十二月 十七 日。 晴。 日光に 服ら されて きらくす る 雪 は、 七 八寸も 厚さが あった。 蜂の^ 1: は その ■ 

ままで あつたが、 そこ だけ は 雪が 解けて ゐて、 入口 をふさぐ やうな 心配 はない。 

十 一 一月 十八 日。 晴。 木 村 (麿) 氏 來訪。 

十二月 十九 日。 晴。 奥 田 文部大臣より 1 近代 思想と 實 生活」 を 受け取った 禮欣。 筑紫 氏を訪 ふ。 

十二月 二十日。 晴。 吉野氏 來訪。 资亞 堂より 五十 圓、 但し 「自然 論」 譯 料のう ち。 

十二月 二十 一 日。 暗。 東亞 堂へ ハ ガキ。 帝國 劇場へ サ ロメ を 兒に 行った 歸途、 中 村 (春) 氏に 會 つた t 

ら、 入場券 を吳れ るつ もりで 1 枚 持って ると 云 ふから、 族の 行く のに 貫った 。天竺ね づ みのめ す を、 

さきに 死んだ の を 補って やる 爲め、 二 匹 I 貝って 來た。 

十二月 廿 二日。 曇。 

十二月 廿 三日。 晴。 

十二月 廿 四日。 晴。 神 崎 氏より 手紙。 新潮 社へ ハ ガキ。 



十 1 一月 廿 五日。 晴。 東亞 堂より 手紙。 

十一 一月. H ハ 日。, 廿七 日。 廿 八日。 午後 十 一 時より 十 1 一時の 間に 一 中隊 許タの 演習が あ toN、 不都合 

t 一月 廿九 曰。 新潮 社より 譯料ー 一 百 七十 枚 分 八 拾圓。 

十 1 1 月^日。 晴。 筑紫 氏より 水蜜桃 一 本 を 貰 ふ。 平 嫁 女史 來訪。 

十二月 卅! 日 



集 鴨 日記 第 1 1= セ 



泡 晦<< 集 翁 十二 卷 ニニ 八 



大正 三年 一月 



1 月】 日。 晴。 郁ち やん を訪 ふ。 (小 松 氏に 會 ふ。) 

! 月 1 一日。 風。 佐 藤氏 來訪、 誘 はれて 田 村 (松 魚) 氏 を 訪ふ。 

1 月 三日。 風。 靑綣 社の 會が 僕の 家であった のでお つき 合 ひ をした。 

J 月 四日。 晴。 蒲 原、 瀨沼、 正宗、 芝 川 氏を訪 ふ。 

1 月 五日。 晴。 今 井 (歌)、 吉野、 .yi 田、 樱井、 倉; y 氏を訪 ふ。 

I 月 六日。 

1 月 七日。 晴。 滋子 氏を訪 ふ。 歸途、 筑紫氏 宅の カル タ會へ の 招待へ 行 

1 月 八日。 

I 月 九 曰。 晴。 丸 善、 新潮 社、 岡 村 書店へ ハガキ 。-. 新婦 人」 社へ 質問の 答へ。 

1 月 十日。 晴。 十日 會へ 行った。 淺田 氏より 太陽へ の 寄稿 依頼。 



く 0; 



I 月 十! 日。 晴。 淺田 氏へ 返事。 千悲: (鑛) 氏より 碁酋の 招待 狀來 たる。 サ ンデ ー より 稿料のう ち 

拾圓 だけ 來 たる。 ; 

一月 十二 日。 暗。 H 年 振りで 岡野碩 氏より 迎 へが 来たが、 さしつ かへ。 一 

1 月 十三 日。 晴。 千 葉 氏の 宴會へ 招かれ、 初めて 中島 德藏、 隈本 有尙、 高木 壬 太郞、 岡 田 哲藏、 得 一 

能文 等 の 諸氏に 遇つ た。 1 新春 作物 の 批 1^」 (五 十片) . . 一 

1 月 十四日。 大風、 雨 あり。 太陽より 稿料 十五 圓 (不足に 付き" その 分 だけ 請求 )o 蒲 原 氏より ハ ガー 

キ。 讀寶 よりの 質問に 答へ。 一 

1 月 十五 日。 晴。 岡 野 氏を訪 ふ。 加籐 (朝) 氏 來訪。 蜂 群の 第 四號を 調べたら、 蜜の ふたが すべて 切 一 

れてゐ て、 而も 少しし か 貯蔵がない ので、 暧 いうちに ちょ ッと給 蜜して 見た。 一 

I 月 十六 日。 晴。 鴻の 巢へハ ガキ。 讀寶 より 久し振りで 原稿 依頼。 蜂の 全 群に 給 蜜。 

一 月 十七 日。 晴。 藝術 座の 「海の 夫人」 を 見に 有樂 座へ 行く。 サン デ ー へ ハガキ (先月 原稿 不足 催」 

促) 一 

1 十八 日。 雨。 加 藤氏より ハ ガキ。 一 

1 月 十九 日。 晴。 太陽より 追加 稿料 五圓。 東亞 堂へ ハ ガキ。 蜂 は 給 蜜 を 大抵 吸收 して ゐ たので、 

1 度 全 群に 吸 蜜した。 け ふ は どの 群 も 花粉 を 取って 來た、 多分 ビヮ かつば きので あらう。 夜、 郁子 氏 一 

巢鴨 B 記 第 一 ニー 九 i 



泡 鳴佥集 第 十二 卷 11 二 

を訪 ふ。 佐 藤氏 を訪 ふ、 (留守)。 「現 文界と 帝劇と 婦人」 (十コ 一片)。 

I 月 廿日。 晴。 よみうり へ 原稿。 

I 月廿 一 日。 晴。 西 本 氏 來訪。 

二月 廿 二日。 晴。 サン デ ー より ハガ キ。 休刊の 通知。 大寒に 入っても、 峰 蜜 は 壜內に 於て 半ば 凍つ 

てるばか..=^で眞ッ白になるには至らすo 

1 月廿 三日。 晴。 東亞 堂より ハガキ o( 文藝論 出版 見合せ のこと 0) 帝劇へ r マダム バタフライ」 だけ を 

見に 行った。 

1 月廿 四日。 晴。 神 崎 氏より ハガキ 二。 

生 田 扛 氏の 言と して SS 下の 文 r 雜鼸 トゲ I- ミ」 がはリ 付けて ある。 (編者) 



文壇の 自然主義 運動に 對 する 部分的の 小 反動と して、 所謂 享樂 派なる ものの 現 は 

れ たの も、 もはや 兩 一 二 年 乃至 三 四 年 以前の 事と なった。 その 小 反動 は 更に それ 自ら 

に對 する 小 反動 を 呼んで、 斯様の 戯作 的文擧 もやう やく 飽かれ て來 た。 これと 共に 

自然主義 思潮の 本流 を繼 承す る 文壇の 中心 傾向 は- 新 浪漫主義 新 理想主義 等の 旗幟 

を飜 へしながら"' 再び その 人 ifl に對 する 厳肅の 態度に 立ち 歸 らうと して ゐる。 



S1 



ところで 曾って 善き 戰を戰 つた 自然 派の 老將等 は、 この 最近の 風潮に 對し、 如何 

なる 關 係に 立って ゐ るか。 

島 崎 藤 村 氏 は 如何に。 田 山 花 袋 氏 は 如何に。 島 村 抱 月 氏 は 如何に。 その他の 某々 

氏 等 は 如何に。 

少く とも 思想 問題に 關 して、 此後尙 ほ健鬪 をつ づけて 行かれ さうな の は、 岩 野 泡 

鳴 氏 位な もので は あるまい か。 

『傍觀 的 態度」 が 意味 ありげ に 言明され たり、 「藝 術と 實 生活との 間に 横る 一 線」 が 用 

心 深く 劃され たり-した 時代から, 孤立して 『獨存 自我」 の 「心 熱」 を 論じ • 「悲痛の 哲 

理」 を說 いて ゐた泡 鳴 氏 は > 今日の オイケン やべ ルグ ソンな ど を 口にする ところの 

新しき 道德 論者に 對し、 明白に その 先驅 をな した ものであると 思 ふ。 

所謂 無理 想 無 解決の 意味に 於け る 自然主義の 後 をう けたる 新しき 人生 觀は、 一 度 

び 否定せられ たる 人生の、 再ぴ 肯定せられ たる もので なければ ならぬ。 一度び も 否 

定 された ことのない、 ナイ イブな 人生の 肯定 11 それが 所謂 享樂 主義と 云 ふ 淺薄輕 

浮なる 人生 觀 である — と 混同され て はならぬ。 

巢鴨日 S3 第! mil 



is i が 十二^ ニニ 二 

^きょうと する もの は、 まづ 一度び 死んで 來 なければ ならぬ。 

,一 曰 目に よみが へった と傳 へられる 人 は、 十字架 をと りて 我に 從 へと 敎 へて ゐる。 

ツァラ ト ウス トラの 超人 は沒落 を憬憧 する ものと して 說 かれて ゐ る。 

人 はた だ らを 殺す ことによって のみ、 自分 を 活かす ことが 出来る。 私共 は 刻刻 

に 自ら を 殺して 刻刻に 自ら を 活かす より 外 はない。 これに 名 づけて 古くより 克已の 

生活と 言って ゐ る。 

否定の 後の 肯定と 云ふ考 は、 否定 その物に 內在 すると ころの 肯定にまで 進んで 行 

く、 寂滅 爲樂 の哲學 がそれ である。 ショォ ペン ハウェル の 解 脫觀が やはり それで あ 

る 



】 月廿 五日。 踏。 

1 月廿 六日。 晴。 郁子 氏と 小 松 氏 來訪。 

1 月 I 一十 七日。 晴。 大阪の 奧村氏 來訪。 

1 月廿 八日。 晴。 戯訪 氏へ 送 本。 新潮 社へ 行った 序に 正宗 氏を訪 ひ、 氏と 一 緒に 田 山 氏を訪 ふた 



一 月廿 九日。 晴。 筑紫 氏を訪 ふ。 「蒲 原 氏 へ 」0 一十 一 片) 。「若宮 氏 へ 」( 五 片)。 

1 月册 日。 晴。 讀齊と 新潮と へ 原稿。 大阪の 石 丸 氏より ハガキ と 新 M とが 來 たが • 僕の 首て 氏に 語 

つた 話 を、 斷り もな く、 また 意味 も 違って、 文に して 出した ので、 以後 そんな ことのない やうに ハガ 

キを 出した。 

一月^! 日。 晴。 人 見 氏と 若宮と へハ ガキ。 新潮 社へ 行って 二百 枚の 譯料 六十 圓を 受け取った。 バ 

U 氏に 會 つたので 一 緒に バ ー へ 這 入った。 荒木、 吉村 • 麻 田、 德田 (秋 聲) 氏訪 i^。 その 前に 小川 氏と 

別れる 前に 一 緒に 加 IS 氏 を訪 ふ。 辻 氏へ 十圓を 渡す。 

二月 1 日。 晴。 生 方 氏より ハ ガキ。 

唯今 御 葉書 拜見、 小生 は 舊臘中 取る もの も あへ す 旅行に 出かけ、 雜司 谷の 家 は 全部 引拂 ひて 留. 

守の 人 も 無 之 去りと て 今 さら 急に は歸 られャ 誠にお 氣毒 様ながら 如何 ともなし 難く 心勞 いたし 居り 

候、 何れ 歸京 次第 原稿 持參 謝罪に 參る 可く 候 草々。 

遨 動が てら 此氏を 訪ふ。 

二月 二 曰。 晴。 H 木 (露) 氏來訪 • 留守。 北海道の 瀧 川 氏 來訪。 北 村、 上司、 田 中、 木 村 • 正宗, 吉 

江 氏を訪 ふ。 原 氏へ 手紙 (八幡 町の 件 * かの 女が なほ 親 迷な こと を 云って るので、 仲に 這 入った 原 氏 

に 注意,. - た。) 

Mi 5 ご g 



li ^十二 卷 三】 四 

1 一月 三日。 暗。 植竹 氏へ ハガキ 。「よみうり」 より 稿料 四圓。 

二月 四日。 晴。 中 谷 氏來訪 (新 日本の 用 )o 瀧 田 氏來訪 (中央 公論の 用 )。 柴田氏 来訪 (時事の 用)。". 女優 

の 現狀」 (八 片)。 

二月 五日。 晴。 原 氏より 返事。 植竹 書院より ハ ガキ。 

二月 六日。 

二月 七日。 

二月 八日。 大雪。 淡路會 より ハガ キ。 小川 氏の". 夜の 街に て」 到着。 新潮 社へ 行き、 百 枚の 飜譯 三. I 

圓を 受け取った。 プル タルク を 六 冊に して 出す ことに 定り、 また この 書 その物 を 推薦す る 手紙 を、 出 

版 者の 都合 上、 奥 田 (義) • 黑岩 (淚 )、 芳賀 (矢)、 三 宅 (雄、 尾 崎 (行)、 並に 花 井 (卓) の 六 氏に 賴 むこ 

とに した。 三 宅、 芳賀 * 佐 藤 (稠) 氏へ 手紙。 新潮 社へ 手紙。 

二月 九日 晴。 昨夜の 雪五寸 岡 村 書店へ ハ ガキ。 淡 路會へ ハ ガキ。 春陽 堂へ 行き、 「停電」 槁料三 

十八 圓 四十 錢 受取り。 (但しな ほ 十圓の 不足。) 小 松 氏を訪 ふ。 

二月 4. 日。 i。 午前 四時 產婆を 呼びに 行った。 淸子 > 產氣が 出さう であった が、 產婆は 今夜 中大丈 

夫 だと 云 ふので、 十日 會へ 出席した。 歸 りに、 現 政府 彈 効の 餘黨 が鼋車 をと めて ゐる とて 丸の 內 へま 

われ,^、 上野の 方から まわって 歸 つた。 午後 十 一 時 • また 産婆 を迎 へに 行った。 故障が ありさうな Q 



で、 念の 爲め i! 田 病院の 渡邊氏 をも迎 へに やった。 

二月 十 I 日。 晴。 午前 四時 頃、 渡邊 氏が. 來 ての 診察に よると、 子宮 口が 小い ので 出に くいの だとの 

こと。 然し 本日の 正午 過ぎまで はま だ 產氣が 進むまい と 云って、 六 時 頃に 一 且歸 つて 行った が、 十 寺 

頃から 再び 來て、 多少 は 進んで ゐ るの を 確め た。 産婦の 腹 を 暖めた x^、 かんて う をいたり などした が 

とても K さう でない 僕が 時事 新報 依頼の 原稿 を 書いて ると、 午後 四時 頃、 醫師 はいよ (. 手術 をす 

ると 云って 來 た。 機械 を 二 本 入れて、 兒の あたま を はさみ、 引き出した 時 ぼきく と 云 ふ 音が した 

子宮 口の 破裂 だ。 血と 共に 仰向けに 出て 來た兒 は、 出る と 直ぐお ぎゃァ くと 泣いた。 大きく 開いて 

泣く 口の 中 や あたり は 血 だらけであった きん 玉が 比較的に 大きい もの だと 僕 は 思った。 醫 1& は 機械 

で 口内 や 轟の 穴の 血 を 吸 ひ 取って から、 ほ ぞの緒 を 切った。 產 婆が 兒に 行水 をつ か はせ てから • 後産 

が あり。 その後で • 醫師は 裂けた 口 を 縫った。 それに 手 當てを 施し * 腹部 を 庭の 雪で ひやして 置いて 

から、 醫 師は歸 つた。 產 婆の 用務 はな ほ つづいて 午後の 九 時 頃まで かかった。 子 is 口が 小い ところへ 

兒の あたまが 大きく、 且つう は 向きに 出て 來 たので、 廣ぃ額 部が 出 を さまたげた。 その上に、 また、 蜜 

鑛 の 精氣が あまり 長い 苦しみと 一 1 夜の 睡眠不足 とでよ わって ゐ たので、 難 產の條 件が 三つに も 四つに 

も 重なった のであった 人間が 生 を營む 最初から して、 新く も 猛烈な 自我 主義な の だ 母體を 蹴破つ 

て も、 自分 は 生の 具體を 現す るの だ 僕 はこれ まで 前 妻の 兒を六 人まで も產 ませた が、 產の 現場 を a 

巢鴨 日記 第一 ニニ W 



泡 鳴 仝 築 第 十二 卷 モ-プ 

た Q はこれ が 初:? s、 aMsis§o それ 1i と I と は 共に 無事 

らしい。 若 山牧水 氏より 使が あり、 溃說を 頼みに 來 たが、 返事 は あとの ことにした。 明日 渡す 原 を 

書き終って 午後 十一 時 就褥。 

二月 十二 日。 晴。 f (菊) 氏よ 义 ガキ。 平塚、 安 持 二 氏 來訪。 中央 公論へ 一 二十 圓前 借 2 ガキ。 

時事への 雜誌評 (五十六 片) を 書き終った。 佐 藤氏より 手紙。 

1 マ tf 晴。 生れた s、 美 ¥sr 民 雄と 云 ふ f つけて 届けた。 和 田垣§ 氏へ プル タル 

ク蔷 のこと で 手 f 出した。 新 小說へ 不足 分請 求。 中央 公論より 一 二十 画 着。 若 山 氏からの 依賴の 

籠を斷 るハ? を 出した。 佐 藤 (稠) 氏へ ハ ガキ。 今 井 氏 並に 淸 子の 父へ i の 知らせ。 

二月 十四 曰。 晴。 原 § 氏へ ハ ガキ。 富 氏へ ハ ガキ。 時事より § 十 一 歯。 舊號 S 群が 巢,. 

外に ころく 死んで ゐ るので、 あけて 見たら t 緩が 少しもなかった。 こちらの S を給與 した。 r 

の 蜜 はう はか はだけ は 多少 凍って ねても、 中 は どろく して ゐ る。 

二月 十五 曰。 暗。 今 井 (歌) 氏 來訪。 蜂 全 體に給 蜜。 

二月 十六 日。 晴。 荒木 姉妹 來訪。 

二月 十ヒ 曰。 暗。 I、 西: r S より S キ。 西 村 氏へ つ カキ。 中 村 氏 I ふ 

二月 十八 曰。 峰 群の II ると、 蝥 を吸收 してあった。 け ふで も 何 かの 花粉を取 つて 來た 



千 薬 氏 來訪。 

二月 十九 日。 朝、 少し 雪 降る。 夜に 入って また 降り出した。 寒い。 瀧 田 氏よ ぉハ ガキ- 同じく 返事 

に今窨 いてる 長 篇の名 を 「毒 藥を飮 む 女」 とした。 上田 氏より ハ ガキ。 同氏へ ハ ガキ。 春陽 堂より 不 

分六圓 四十 錢。 

1 一月 サ曰。 晴 。「毒 藥を飮 む 女」 書き あげ (總計 三百 六十 八片 )o 加 賀 代議士より 手紙。 先日、 サ ンデ ー 

に 出た 「軍險 はな ほ 跋扈す るか」 を 同氏から 同志 會へ、 他の 二 氏から 國民黨 と 政友會 とへ 提出 させた 

ので ある。 あの方 針で 質問 をしたら どう だと。 

二月 廿 一 日。 夜、 雨 原 氏より 手紙 加籐 (みどり) a 上司、 西 村 氏より ハ ガキ。 原稿 を 持って 中央 

公論 社を訪 ふ。 ついでに 高 安 • 沼 波 * 吉野 氏を訪 ふ。 吉野 氏と 共に 澤 代議士 を訪 ひ、 軍隊 問題の 話 を 

した。 

二月 廿 二日。 雨。 夜より 雪。 今 井 (歌) 氏よ^ r カキ。 西 村 氏へ r カキ Q 奥山 代議士より r カキ。 

1 1 月廿 三日。 雪。 昨夜 積む こと 三寸 今 井 女史より 電報 並に ハ ガキ。 

1 1 月廿 3 曰。 晴。 正宗 (得) 氏來訪 (留守 )o 今 井 女史 を 訪ふ。 滋子 氏を訪 ふ。 今 井 • 文章 世界、 沼 波 

氏ょ^ハガキ。 

二月 廿五 曰。 曇。 沼 波、 正宗、 文章 世界へ 《ガキ 小川 氏へ r 炭屋の 船」。 竹 腰へ 十圓と 養子 緣組届 

巢鴨日 第 一 ニニ ヒ 



泡 鳴佥集 十二 卷 

(58 と I ふの 養子に してやる こと を さ i けて I 爲 めだが、 證人疲 篤と ゆ 村 氏と にや 

つて 貰った。 VI 愛子 女? 淺 草に 訪ふ。 (今 井 女史 S 介。 ぼ B、 今 井二 氏へ ハ ガキ。 

二月 廿 六日。 曇。 蜂を 調べたら I を 半分し か 吸收 してなかった の も f 、 g 靈して やった。 

望 回 貪 養蜂 大會 より 四月に 講演 を賴 みに 來 たが、 斷 つた。 西 村 氏よ 义ガ キ。 西 村 まに 資へ ハ 

二月 廿七 曰。 暗。 i をよ く 曰にぉ してやった。 曰 どめ は 三輪 f 初め • 靑木は 赤い 資の 色が さ 

えて ゐる。 ヒ ヤシン S 育ちが、 もう、 一 寸 五分 ほど の花| した。 |( 朝) 氏 秦。 辻 氏 來訪。 .n. 

(未) 氏よ 义ガ キ。 中央 公論 社より 「寵 を飮む 女」 の 稿料 殘金 八十 九圓 五十 錢也。 謹の, り 手 

紙 二月 廿八 曰。 暗 高 村 (光) 氏へ ハガキ 並 i 誌 8。 染井 ei あたりまで 5 した。 

三月 一 日。 晴。 コ 一井 (良) 氏 來訪。 西 川 (光) 氏 夫婦 來訪。 蜂 は 鼠色 並に I 化 粉 I つて 來た。 f 

£の殘 り を かけ 5」 いたら、 そのに ほひ を 追って 來て、 頻りに 11 匹です つて ゐた。 

三月 1 一日。 雨。 高 村 (光) 氏より ハ ガキ。 糧 (武) 氏 來訪。 時事より】 一圓。 ニニ 

f 晉。 暗。 平 sf 訪ふ、 零。 小 Is 荒木 (郁) 女史 I。 文章 I への 二月 I- 2 

十片 九)。 



1 二月 四日。 曇。 瀧 田 • 小川 二 氏へ ハ ガキ。 高 橋 (久: r 末 次 二 氏へ 手紙。 平 女史 來訪。 出 (修) 氏 

宅より 同氏 危篤の 報 至リ、 見舞 ひに 行く。 川 手 氏を訪 ひ、 共に 江戸 ツ子へ 行く。 け ふ は、 蜂が どれ も 

とれ も 花粉 を 持って 歸 つて 來た。 菜種の 花が、 もう、 ちょいく 暌 いて 來た。 讀寶 より ニ圆 五十 錢。 

三月 五日。 晴。 きの ふから、 ヒ ヤシン スの 花が 開き 初めた。 

三月 六日。 風 • (南で あつ 苦しい ほどであった。) 十日 會の 通知、 小川 氏 加 能 氏の 連名で 來 たる。 第 f 

號 並に 第三 號の箱 を 調べた が、 旣に王 蜂 は 産卵 を 初めて ゐ た。 卵ば かおで なく、 旣に 幼蟲が 蓋され て 

もい いほ どに 發 育した の も ある。 不思議な の は、 然し、 王の ゐ、 る 群に 於て、 ぎ、 の、 一、 つ、 の k 、にご、 つ、 のぎぎ 

をして あるの が ある こと だ。 

三月 七日。 昨夜より 大風つ づき、 夜に 入って やむ。 

三月 八日。 晴。 第 IK 第 四の 蜂 群 も 産卵 あり • 第二 號の 如き は、 五寸四 分まで も、 旣に蓋 をした 幼 

蟲が 出来て ゐた。 全 群に 給 蜜 をして 置いた。 高 橋 (久) 氏より r カキ 。チ ユリ プの I つに 變 形が 出來 て、 

赤い 魏 とも 付かす 花と も 付かぬ ものが aj た or 婦人 觀 察に 於け る 現代の 缺陷」 (十六 片 )• よみうりへの 

した 

1 二月 九日。 雨。 生 田 * 森田兩 氏の 連名で 「反響」 の 招待 狀 

三月 十日。 曇。 報知 新 M へ 行き、 それから 十日 會に まわ リ、 歸 途ぉ滋 さんのと ころへ 二三 名と 共に 

巢鴨曰 記 第 一 ニニ 九 



泡 鳴 <i 第 十二 卷 一二 ュ 〇 

立ち寄った。 藝術 座の 分離 者 等より 手紙。 加 能 氏より ハ ガキ。 

三 月 十 一 日。 曇。 夜、 雨。 伊藤 證信氏 夫人 來訪。 

三月 十二::!。 曇。 

i 二月 十三 日。 暗。 晝間は 一 日 庭の 世話 をして しまった。 

三月 十四日。 雨。 「反響」 の 披露 會 へ 行く。 

三月 十五 日。 曇。 中 村 (春) 氏 來訪。 

1 二月 十六 日。 晴。 新潮 社へ 譯稿百 三十 四 枚 を 持って行く。 二月 十日 並に 十 一 日の 日記 を 書き直し 

て、 「反響」 に 送る (十六 片)。 神 5 で 小川 (未) 氏に 會ひ, 暫く 一緒に ぶらつく。 久し振りで 藤 生 夫人 を 

訪ふ。 IH. 鞛へ 蜜蜂 分封 群豫約 募集の 廣吿を 送る。 

三月 十七 日。 晴。 小 松 氏と 郁子 氏と 來訪。 若宮 氏 來訪。 辻 (雅 俊) 氏來訪 • この 人 は 僕が 滋贺 驟 の 通 

譯兼 英語 敎師 をして ゐた 時に、 警部 をして ゐた人 だ。 伊籐 (證) 氏を訪 ふ。 新潮 社 並に 新 日本 社よ 

紙。 今 井 女史より ハガキ 。「十七 日の 感想」 (六片 y 新 日本へ。 

十七 日の 感想 

け ふ、 1 人の 友人が 來て、 萬 朝 その他の 新聞が 陸 E5f から 手 を ま はされ て、 あんなに 腰が 强く なった 



の は事實 だと 憤慨して 歸 つた。 若し 睦 軍が 成功して 寺內 伯で も檐 出す とならば > 僕 等 は 寧ろ 政友會 が: 

頑張つ て 吳れた 方が いいやう に 思 ふ。 一 

今日の 政黨に は隨分 弊害が 多い こと は 僕 等 もよ く 認めて ゐる。 が、 全く 政黨 なる ものの 長所 を 知ら - 

す • 而も 藩閥の 情資 を以 つてし か 政治と 云 ふ もの を 見ない もの 等が、 再び 數年 前までの やうな 全く 頑 一 

迷無现 解の 內閣を 組織す るよりも * 政 友會の 勢力 を以 つて 今少し やらせて 置く が 他日の 爲 めに はなら 一 

う。 一 

政 友會が 多數を 賴んで 議會に 於ても 横暴な こと も專實 だが、 それ は 寧ろ 非 政 友 側に 於け る 政 黨的準 一 

儲が 整って ゐ ない のを證 する ので は あるまい か? 如何に 人物が ゐ ない 攻友會 でも、 たと へば、 若し 同一 

志會に 直ぐ あとの 內閤を 引き受ける 力が あらば、 潔く これに 譲って また 他日の 回復 を 計る ゃラ にさせ 一 

る だけの 明が ある 人が 一 人 や 二人ないで もなから うと 思 ふ 今の 様子で は、 政 友 會が山 本 伯と 共に 引 一 

ッ a めば、 其 あとへ 出る もの はまた もとの 画 組ば かリ であらう。 たと へこれ に 他の 或 政 黨が喰 付く 一 

としても、 政黨 としての 役目 は 恐く 政 友會丈 W 來な からう 

今の 內閣が 倒れる として 4 その あとへ 少く とも 政 友會と 同檨な 若しくは それ 以上に 純 粹な政 黨內閣 一 

力 立つ きまって ゐれ ば、 俊 等 は 早く 今の 內閤が 倒れて 貰 ひたいの である。 然し 寺內伯 やその 他の 官ー 

僚 系が) ュ つのなら • どうしても 眞ッ 平な 氣 がする。 實を S へば、 僕 等 は 政友會 唯! の 操縦 者なる i^i 

巢鴨 日記 5 二三】 一 



泡 第 ^十二 卷 二三 二 

氏 を も 好まない ので ある。 築に 新 智識と 新 了解と が 全く 3^ えな いのは、 官僚 派の 人々 と 同じ こと だ。 

然し 他の 政 派 を 見渡しても、 僕 等の 要求す る やうな 新 見者 は 一人 もゐ ない。 その 時、 その 時の 策略ば 

かり を 政治家の.^ 1 本領の 如く 心得て る やうな 犬 養 氏から * 僕 等 は 新 舊を問 はす 1 定の 見識 を 求める 

こと をしたくない。 日本人 を 英國人 等の 下に 見下して ゐる やうな 加 藤 男が, 現代の 日本 國 民の 眞 情に 

しッ かり 適當 する やうな 政治 を 施して CJ^ れ ようと は 思 はれない。 尾 崎 氏の 如き も 政權を 得れば、 結局 

舊武な 人物に なって しまう に 違 ひない。 

それでも、 若し さう 云 ふ 政黨の 主領 連が 入閣して、 多少で も 勢力が 振へ るなら やっても 見させたい 

が • 築 等が 入閣しても 伴食で あったり、 または 全く 純 官僚 系の 御用 をつ とめる やうな ことであった 

ら、 それよりも * 今の 多 數黨が 1— たと へ竽 掘り 連中ば かりの 多數 でも 11 藩閥の 1 部 を 戴きながら 

とれ を 殆ど 有名 無實 にこき 使って る 方が * まだし もい いで はない か? 無論 • さう して 藩閥 や 官僚 系の 

勢力 を 段 々削い で 行く ベ きを 條 件と して 云へば だ。 

何に しても、 もう 老人の 代議士 並に 政治家 連 は 駄目 だ。 新時代が 繁等を 後 a し. 監視し * 制 肘し、 

そして 段々 驅逐 して 行くべき である。 (大正 三 年 三月 十七 日 新 日本 揚載) 

三月 十八 日。 曇。 平 出 氏 死去の 通知 あり。 悔みに 行った。 川 手 氏 を訪ふ (留守)。 美音 曾审 ^ 務 所へ 行 



き • 國風 舞踏の 件に 付き 相談。 森 田 (恒) 氏を訪 ふ。 生 田 氏 並に 滋子 氏より r カキ。 伊藤 (證) 氏 来訪- 

留守。 

三月 十九 日。 晴。 千 葉 氏より ハガ キと雜 誌。 鈴 木 (全) 氏よ .^ir カキ。 石 田 氏 來訪。 伊籐 (證) 氏 夫婦 

來訪。 伊藤 氏の 紹介で 當 村の 舊冢保 坂 氏に 面會 し、 二百 坪餘の 地所と 家屋 建設 借用との 件 を 相談した 

(淸 子の 發議で 梅林 を 造る 爲 めで、 本年 七月 頃 建築 を 終る 笞) 

三月 廿日。 晴。 石 田 氏よ リ 《ガキ • 「第三 帝國」 へ每號 何 か 一 ぺ ユン 若しくは 二 頁 (九 枚 若しくは 十 

八 枚) 書く ことにな つた。 

三月 廿 I 日。 ちょ ッと 雨。 平 出 氏の 永訣 會へ 行った。 郁子 氏 並に 歌 子 氏 を訪ふ 。「二重 半; 活の 弊害」 

(十八 片 )。 

三月 廿ニ 曰。 晴。 歌 子 氏 • 愛子 氏、 憂 葉 氏 • 貞子 氏へ ハ ガキ。 第三 帝國へ 原稿。 平纖 女史へ 行く。 

三月 廿 三日。 雨。 上司 氏より ハ ガキ、 女中 ありとの ことで 訪問した 北 村 氏 をも訪 ふ。 千 葉 氏 (.: 丁 

酉倫现 に 出た 飜譁 評に 抗議 (四片 )。 

三月 廿 四日。 雨。 新潮 社より 譯料 四十 圆。 藤 t (愛子) 女史より 手紙。 

三月 廿五 日。 雨。 

三月 廿 六日。 雨。 今 井 女史より ハ ガキ。 瀨沼 女史へ ハ ガキ。 帝劇に 藝術 座の 「復活」 を: る 

巢鴨 D3S 第 一 二 i 



泡 鳴 4.: 第 第 十二 凝 一 I 三 四 

1 二月 廿 七日。 曇。 尾 島 女史の^ 介を以 つて 北陸 クイ ムスの Sit も 赤 壁 氏 來訪。 伊籐 (證) 氏を訪 ふ。 

1 二月 廿八 日。 晴。 上野 散歩。 

三月 廿 九日。 暗。 上司 氏 全快 祝 ひの 會の 通知。 原 (德) 氏より ハ ガキ。 

1 二 月^日。 雨。 念の 爲め 蜂に 給 蜜す。 原 氏 並に 新潮 社へ r カキ。 今 井 女史より ハ ガキ。 筑紫 氏を訪 

ふ 

1 二月 卅 1 日。 晴。 蒲 原 氏 來訪。 カフェ ョ ー パへ 上司 氏の 爲 めの 會に 出席。 

四月 一 日。 晴。 きの ふとけ ふと、 畑の 種 まきをした。 

四月 二日。 雨。 瀨沼 女史 來訪。 新潮 社へ 枚 分を以 つて 行く。 小川 氏 並に 藤: 貞子 氏を訪 ふ。 若 柳 

吉 千代 氏を訪 ひ- 國風 舞踏の 場所 借用の 話 をして 見た。 讀寶 より. 質問。 

四月 三日。 晴。 讀寶へ 返事。 今 井 女史 来訪., 傳 通院 前の 西 川 洋食 部へ 案內 した。 前 HQ5 氏を訪 

ふ。 博 文 館の 少女 文擧の ー篇を 引き受けた、 エノ ク アデンの 讎 案に きまる。 千藥 * 爲ぉ 女史、 十日 會 

より ハガキ 

四月 四日。 雪、 積む。 石 田 氏より 原稿 促。 

四月 五日。 夕 かた、 ちょっと 雨。 佐 藤, (稠) 氏 • 大阪の 中 村 (長) 氏 を 伴って 來た。 新潮 社へ ハ ガキ。 

籐野 女史へ 手紙。 屮村 (武) 氏より 手紙。 「皇窒 と 宗族 制度. 附 忠孝 異論」 (十九 片 )o 新 日本よ n 原 SI 料 二 



四月 六日。 暗。 石 田 氏へ 原 槁。 岩 村 (透: r 前 田 (晃) 二 氏へ ハ ガキ。 岩 村 氏 外遊の 通知。 增永 氏よ. 

ハ ガキ。 前 田 氏より r カキ。 新潮 社より 譯料百 枚 分 三十 圆。 

四月 七日。 雨。 「婦人問題 雜話」 (四十 片; T 新潮へ。 竹 腰より 手紙。 11 五圓 郵送。 (子供 を 向 ふへ 入 

籍 させる こと は、 どうしても 十五 歳になる まで 出来ない さう だ。 〕 藤 野 愛子 氏よ リ手 鋭。 

四月 八日。 雨, のち 晴。 前 田 (晃; r 東亞 堂- 安成 (11) 氏より r カキ。 東 KH 堂へ ハ ガキ。 十日 會の正 

宗、 森 田 雨 氏 送別 會に 行く。 

四月 九日。 風。 東亞 堂 > 加 藤 二 氏より ハガ 午。 筑紫氏 を 訪ふ。 讀寶 よりた カキ。 

四月 十日。 晴。 永 安 初子 氏 • 五六 年ぶりで 來訪。 よみうりの 質問へ 答へ 

四月 十 一 日。 晴。 昨日 御 隱れの 皇太后 陛下の 喪が 本日 發 表せられた。 

四月 十 1 一日。 晴。 讀寶 より 稿料 五圆。 平嶽 女史より. 丰紙。 三 井 (良) 氏來 訪。 

四月 十三 日。 雨。 博 文 館の 世界 少女 文擧 中の ー篇 「榛 の樹 かげ」 (二百 九十 片) を脫 稿した。 

四月 十四日。 晴。 岡 村 • 石 田 * 嫁 原 三 書店へ ハガキ o( 出版の 招談) 。前 田 氏のと ころへ 原稿 を 届けに 

行った。 藤 野 愛子 氏を訪 ふ。 博覽會 へ 寄. リ、 それから 德田 (秋 聲) 並に 瀧 田 氏を訪 ふ。 奥 村 (博) 氏 来 

訪。 

紫 鴨 日 3S 第 1 ui 



泡 鳴 Tgs S: 十二 卷 ニー 5 ん 

四月 十五 日。 晴。 奧村氏 來訪。 平 嫁 女. K を訪ふ 

四月 十六 日。 雨。 前 田 氏より ハ ガキ。 前 田 氏を訪 ふ。 博 文 館より 「包み 合った 心」 前金 六十 圆。 淸 

子の 父 夾訪。 大隈 I 成立、 丸で 官僚 派の 內閣の やう だ。 

四 十七 日。 晴。 生 方 氏 來訪。 生 方 氏と 共に 森 田 氏を訪 ふ。 石 田 氏より ハ ガキ。 

四月 十八 日。 晴。 博 覽會に 行って、 女中お 節の 父なる お 宫師が 捲らへ た 如意 輪 塔を兒 た。 校 倣 若し 

く はほんの ただ 再現 を やった に過ぎないの だが、 製作者 は 上司 氏の 小說 にも 村 料に なった 男で、 ちょ 

ッと H< 才^の あると ころが 面白い の だ。 それから 水產 館の 食料品 陳列 部で 擂潰 機が 味 階 をす つて ゐた 

の を 見て ゐ ると、 臼と 槓 とが 反 對に兩 方と も 動き * いつも 同じ 範園 s: でう まく こねて、 少しも その外 

へ ちらさない。 する に從 つて • 段々 味 のに ほひが 高くな つて 行く のが 氣 持ちよ かった ので、 暫 らく 

ち どまって 見て ゐた。 後一 滕宙外 氏が 秋 田 時事に 赴任す る 遠^ 會に 臨み、 歸 りに 樋 ロ龍峽 氏と 二人で 

一 時 間 ばかり 柳 橋で 遊んだ。 岡 村 書店より ハガキ 返; a。 

四月 十九 日。 晴。 中央 公論の 質問に 返事。 樋 口 氏へ ハ ガキ。 

四月 廿日。 曇。 中央 書院より ハ ガキ。 岡 村 書店へ ハガキ 。「再び 二重生活 否定 レ (華 山 氏へ) 十四 片 。森 

(恒) 氏 渡歐を 新橋まで 見送った。 新橋で, 撗井時 雄 氏、 巖本善 治 氏の * 二 氏と もに 久し振りで 金つ 

た。 横 山 健 堂 氏と も出會 ひ、 1^ を 打た うと 云 ふこと になり、 同氏の 家まで 行った。 道々 話しながら、 



婦人の 觀 察に 薪ら しい 舊 いと s ふこと が 僕の 口から 出た が、 僕の 舊 いと! K ふの は舊ぃ 時代の 多數 婦人 

を觀 察して ゐる ことで、 そんな 觀察 では 少數の 新婦 人觀は 分らない のでと 云 ひ 足した。 

四月 廿 I 曰。 晴。 今 井.^ 史 より ハ ガキ。 石 田 氏 來訪、 現 大隈內 閤に何 を させたら い いだら うかと 云 

ふ 詰が 出た。 僕 は 答へ たに は、 先づ 官制 改革 を 山 本 伯の 改革 以上に 進めて、 思 ひ 切って 海陸 大臣 を 文 

宫 にして しまう こと 國防 も出來 るなら どこまでも やるべき だら うが、 それが 爲 めに 人民の 疲弊 を こ 

れ 以上に して は 困る から、 今日の 「寶 業」 の 面 を かぶった 『虚業」 の 傾向 を排 して- もッ と殖康 工業 

を獎勵 すべき こと。 擧制統 ! 問題 を あんな 签 想 的に 向 はせ ないで、 却って 不統 1 にして、 自由な 敎育 

主義、 地方々々 の 獨立的 經營と In 語 的實生 活と を輕ん じしめ ない こと。 東北 地方の 田園 殖民の 獎勵等 

だ。 第三 帝國 より 穏料五 圓。 けさ、 八幡 町の 家の 債權 者が やって 來た。 が、 僕に は 名 だけの 關 係で、 

寶際は 責任の ない 公正 證窨 が出來 てるので あるから、 さう 云って、 I 先づ歸 した。 また 來 たら、 八幡 

町の を こちらで 寶 つてし まうよ り 仕方がない。 この 相談で 川 手 氏を訪 ふたが 留守。 

四月 廿ニ 曰。 暗。 尾 島 (改め 小 寺) 菊 子 氏より 結婚 披露の 招待、 それへ 出席 通知。 川 手 氏を訪 ひ、 そ 

れ から 永 安夫 人、 ^(柳 浪) 氏、 郁子 氏 等を訪 ふ。 

四月 二十 三日。 晴。 よみうりより ハ ガキ。 前 田 (晃) 氏より ハ ガキ。 前 田 氏へ 返事。 吉野甫 氏 來訪。 

四月 二十四日。 夜、 雨。 ダリヤと カンナと を 庭に 出して やった。 梧挺 と 日本 さくら 草と を 買って 來 

巢鴨 日記 第 1 I1U1 七 



s$ 第 十二 卷 =111 八 

た。 佐籐 (稠) 氏を訪 ふ。 

四月 二十 五日。 晴。 

四月 二十 六日。 晴。 上司、 森 田 二 氏より ハ ガキ。 

四月 二十 七日。 晴, 夜雨。 馬車 を備 つて、 安安 (或は 萬 安 か、 暫く 原本の ままに し おく) に 於け る尾嶋 

小 寺 氏の 結婚 披露 會に 行った ところ、 友人が はの 代表と してお 禮 の演說 をした 席上- 朝日 新開の 松 

山 氏の 夫人に 會 つたが、 氣 持ちの いい 婦人であった。 「或 結婚 席上の 演説」 (十コ 一片)。 

四月! 一 十八 日。 曇。 昨夜の 原稿 を 讀寶へ 送る。 美術 劇場より 招待。 第 1 1 號の蜂 群 は 王 豪 を、 數曰前 

のとで、 三つ 持へ たやう だ。 この 群と 第 1 群と に は 蓋され た 雄蜂の 巢が出 來てゐ る。 中 村 (春) 氏を訪 

ふ 

四月 廿 九日。 暗。 和氣氏 來訪。 美術 劇場へ 行く。 「自由 思想家と は 何 ぞゃレ (九 片)。 

四月 卅日。 晴。 よみうりへ 昨日の 原稿。 新潮 社に 行き、 譯料 前金 二百 枚 分、 三十 圓也。 小川、 森 H 

(末) 二 氏を訪 ふ、 留守。 , 

五月 一 n。 風、 晴。 蒲 原 氏へ ハ ガキ。 西 本 氏へ ハ ガキ。 正宗、 森 田 二 氏へ 巴 里 大使館 宛ハ ガキ。 京都 

の 原 氏 來訪。 「秋 田 雨 雀 氏に 問 ふ」 (十 片)。 中央 公論 社を訪 ふ。 三 井 (甲) 氏, 吉野 氏を訪 ふ。 

五月 二日。 晴。 三 井 (良) 氏 を 原 氏へ 紹介し * 三 井 氏の マンガン 鐡 ペプトンの 一手 贩寶? 1^ を 大阪に 得 



せしめる 相談 を させた。 

五月 三日。 曇0 中 村 (春) 氏 來訪。 川 手 氏より 手紙。 なすび、 唐 もろこし 等を植 ゑつけ た。 

五月 四日。 隋。 無名 會の 演劇 を兒 に有樂 座へ 行く。 川 手 氏 を訪ひ * 竹 腰の 件 を 相談す るに、 矢ッ張 

P. こちらから は 竹 腰の 债權 者へ、 今では 公正 證 書の 文面 上無關 係に なって るから と 云って 置けば い 

いさう だ。 執達吏が 來た としても、 その 時い よく 名義 を 13 曰き かへ させれば とのこと。 

五月 五 曰。 晴。 ,生 田 (長) 氏來訪 * 同氏と 伊籐 (證) 氏を訪 ふ。 筑紫 氏を訪 ふ。 「かな 網と どん底」 (十六 

片) 

五月 六日。 曇。 昨日の 原稿 を 反響へ。 中 村 (武) 並に 生 田 (舂) 氏來訪 • 新潮の 爲 めに 相 馬 御風 氏に 關 

する 談話 をした。 後籐 (宙) 氏より ハ ガキ。 第二 號 群に は、 維 峰が 出て ゐた。 中 村 (舂) 氏 來訪。 

五月七日。 暗。 康樂圚 より ダリヤ 二 球 届く。 カクタス ザ イン プ黑と ピオ 一 1 リバ チ 紅と。 中央 文擧 

( C 

より 質問、 同じく 返事 ,—— 『現代 靑年必 睛の窨 物は澤 山ありましょう が、 少く とも 僕の 著 「近代 思想 

と實 生活」 は その 1 つです 理由 は, この 時代の 轉 機に 臨み、 靑年 自身が (青年ば かりで はない が) 舊 

思想から 新 思想に 移る 道 翁と 方向と が 分る からで ある。 そして この 方向に 進まない もの は、 やがて 思 

想 並に 生活 上の 劣敗 者です から OJ 円 年 日本 社から 社員 來訪 o( 小 松 氏の 紹介。) 西 村 (%) 氏より 文章 世界 

の小說 依賴。 博 文 館より 窟 眞師來 宅。 

巢鴨日 Si 第 1 ニー 一 j 九 



泡 鳴.? -錄 第 十二 卷 一一 四 

五 八日。 晴。 石 田、 生 田 (長) より ハガ キ。 十日 會 より 通知。 讀寶 より 書齋の 好み を 質問、 同じく 

答へ I . 『窗齋 に は 別に 好みはありません 。が、 廣 いのよりも 狹く てきちん とした 方が いいやう です。 

そして 一 つの 仕せ I に 引き出した 霄物 など は、 その 仕事の 終る まで、 いくらでも 散らかして 置け る やう 

な 工合 にして置く のです。』 今夕の 太陽 は、 變 てこに 眞ッ 赤であった 11 ゆ ふべ も 赤かった が。 

五月 九日。 暗。 「女中の 戀」 (六十 一 片)。 ■ 

五月 十 H。 晴。 文章 世界へ 昨日の 原稿。 十日 會で同 原稿 を朗讀 した。 中央 新 M より 質問 。その 答へ。 

けさ、 寢に 就く 前に、 午前 四時より 庭に 出て 草むしり をした。 第二 號の 蜂ば かりが 早くから 出動して 

ゐ たが、 すべて 花粉 を 取って 來 ない。 思 ふに、 n 十廳は 蜜ば かり を 取って 來 るの だら う 。また、 第二 號、 

乃ち * 本 親の 群が 他のより も 強大な ので、 早く 出動す るの らしい。 

五月 十 1 日。 夕方より 雨。 滋子 氏より 歸 京の 通知。 け ふ 1 日 コスモス を植 ゑつけ たリ、 庭 を 整理し 

たりした。 譯, 二十】 枚。 

五月 十二 日。 晴 • 夜雨。 川路 氏より 詩集。 博 文 館より 原稿料 二十 四圆 五十 錢の 通知。 第一 號群 にも 

王臺が I っ出來 た。 筑紫 氏より カンナ 五 球と アマ リ リス 二 球。 うちの カンナ はすべ て 駄目であった。 

譯、 十九 片。 

五月 十三 日。 晴。 反響 社より 招待。 吉 村と 云 ふ 人、 來訪、 下 關の觀 音 崎より 女と 一緒に 逃げて 來て 



女が 身を寶 つてる ので、 それ を 受け K す爲 めに 小說を 書いたら * どこかへ t 話して くれろ とのこと で 

あった は、 とても 無名の 士で小 說を誊 いて それ を 直ぐ 大金に しょうと する やうな 野心 は 駄目 だと 

S つて 歸 した。 トマト やら カン ラン やら を植ゑ かへ て やった。 ,• UJ^^TO 

五月 十四日。 晴。 竹 腰より 富 美 子の 大病 (肺炎) を 報じて 來 たが • 今の 心持ちで は 行く 氣 になれ す。 

たと へ 死ぬ としても、 わが 娘 を 失 ふやう でない 氣 がする (娘に は可哀 さう だが、 その 母の 心がけが 惡 

い 力ら t 方がない。) 反響 社の 宴會に 行き、 初めて 野 上 on 川) 氏に 會 つた。 譯、 一 一士 一 片。 

五月 十五 日。 雨。 薪 潮 社へ 譯 八十 一 枚 分 を 持って行く。 中 村 (武 )、 崇 小川? 訪ふ 。「再び 

秋 田 氏へ」 (七片 )o 

S 月 十六 日。 雨。 時事の 山 梨 氏へ 原稿。 歸 つて 夾, たので、 よみう 力へ。 時事より 稿料 ニ圆。 その.,^ 

の 譯* 三十 七片。 

十七 曰。 雨。 譯, 二十 K 片。 中 村 (武) f 义ガ t 竹 腰へ JKO 富 美 子 死亡の 通知。 

f 十八 曰。 晴。 第二 號 群の 墨のう ち I つ はかみ f れ *F 第一 1には、 墨が ふえた。 第 i 

にも 一 つ 出來た onll たび I Ifss 活 否定」 (十八 片 )o 

次ぎの 手紙 を 蒲 原 氏へ 書いた o( 富 美 子の 死に 關 して 驄 いて 置いて 貫 ひたいから) 

幾 鵜 日記 第 1 :|. 



ii 第 十二 卷 H 

大正 11 一年 五月 十八 日 

蒲 原 君、 

僕 は 君に 聽 いて a いて 貸 ひたい ことが 出來 た。 君のと ころに も 大病人が あると 云 ふ 時に 當.. ^ 歹 

のこと を 云 ふの は 少し 纏され るが- け ふ、 この 感じの 起って ゐる 時に 云つ i かなければ うその 

やうになる かも 知れない から、 强 ひて — 

^ 僕の 今 ゐる子 S うちの 總領 娘で a 十六 歳に なった のが、 11^ てる だら うと 思 ふ 

が, 他の 子供と 共に 先妻の 方へ 行って たが、 —一 昨日 • 兼ての 氣管支 カタルが 肺炎に なって, ダ 

ん ださう だ。 そして その 葬式が け ふあった 管 だ。 然し 僕 は、 昨朝 通知 を 受けお 時から、 少しも 行く 

氣 になれ なかった のです。 . 

それに は 二つの 理 ぬが ある。 そ G1 つ は、 いつも 父 を 霊 だと 云 ひ 馴らされて 來た 子供に f.^ 

上 は、 g 昌 でない こと I つて 聽 かさなければ ならぬ の 4 は 面倒 だと 思 ふし • また さう? 

せば、 これまで 導の 母が 子供に うそ を 云って たやうな ことにな り、 今まで 信用して ゐる母 を疑 ふ 

やうになる だら うと 思 ふと、 子供の ま 場の 上に 非常に ぐらつきが 來て、 S て 誓 ことになる だ 

らう それに、 こちら を 馬鹿と か、 何とか、 鬼に 角惡く 思つ てる子 供 を- 1 如何に 分らない 力ら と 

云っても — 僕 は 一種の 敵と 思って る。 死んだ 娘 だけ は 少し 分って 來てゐ たと 晃ぇ、 時 々手紙 をよ 



こして 會 ひたさう で、 また 遊、 びに 來 たさう であった が、 俊 は —— それ も 父と 母との" 間に 往來 して • 

二 膏藥の やうになる の を 恐れ I - とうく 返事 も 出さす 仕舞 ひであった。 これで 僕 は 子供 を 四 名 

失った。 然し かの 女が 死んだ の は • かう 云 ふ はめに 立って、 而も 貧乏に 育って 行く よ も * 却って 

かの 女の 爲 めに 仕 合せであった らうと 思 ふ。 

第二の 现由は 、僕の 先妻 を 見たくない からで ある。 かの 女と 僕と が 正式の 離婚 をした の は、 大 版に 

僕が ゐた時 • 現今 大阪 在住者で • もとの 仲人であった 夫婦の 家で だが、 その 時 かの 女 も 東京^ら や 

つて 夾 いたが、 僕 は 直接に 面談し なかった ほどでした。 さきの 家庭 內 のこと はさて 置き、 家庭 外に あ 

ら はれた ことで は- 僕が 褒初 にかの 女に 反いた の は、 君 も 知って る 通リ、 事寶で すが、 それまでに 

かの 女に 於ても 僕の 自我 を 家庭 內 のこと で 傷 づける やうな ことが 多かった ばかりで 無く • 僕が いよ 

いよ あの 大久 保へ 別居し- それから また 大阪へ 行って からの ことで、 —— これ は具體 的に は 云へ な 

いが、 11 名義 だけ はま だ 所 天た る 僕 を 最も 侮辱した 行爲 があった のです、 その 證人は 今回 死んだ 

娘であった さう で * 未丁年 者 は 訴訟の 證攄に はなり ませんで したが- それが 僕から 向 ふの 不承知な 

離婚 を無现 にも 1^ 諾 させた 內 因です。 そんな ことで 僕 は 二度と かの 女 を 見る つもり はない。 そして 

あの 「ノ幡 町の 家 は (抵當 のま まだが) やって あるし • その上に 五 百圓に 達する まで 今でも 每 月金 を 

つてる の だから * それ 以上に 向 ふが どんな こ とがあって 病氣 になら うと、 貧困に 迫らう と、 もう、 

日 gi 第一 二 四 一 ュ 



i^i * か 十二 翁 一一 四 四 

fjQ り 見る に は 及ばない のです それから、 子供 は 以上の 條 件の 中へ 這 入って 向 ふで わざく 離さな 

いので、 十五 歳に 達して、 その 自己の 意志 を 云へ る 時になる 毎に、 戶籍 上の 變更を すれば いいやう 

になって ゐ ます。 

こんな こと を 今更ら 君に ft 狀す るの は、 ちょ ッ とわけ が あるので す。 それ も 今回 娘が 死んだ から 

で、 かの 女の §^ も兒舞 はす" また その 死 を も 見 $5 はらない ので、 先妻 はき ッ とそれ を、 ほんの、 常 

識的俗2^^^ら、至るところに非雞して歩くに遠ひなぃ0ひょッとすると、 新聞な どに 書かせる かも 知 

. ^ない。 その 場合 • & 5 は —— 11 論で は 合 はない ところ も あるが、 —— 長らくの 交際で あるから、 この 

手紙 を證據 として 僕の 立ち 場を發 表して 貰 ひたいの です。 否、 その 時 は、 この 手紙 をそッ くり 社會 

に發 表して れた 方が 便利 だ。 その 時に なって 僕が 物 を 云へば、 今 ほどの なまく しい 感じ は ffi な 

いに 違 ひない から、 君に そッ くり あ づけて 置く のです。 . 

僕 は 子供 は 嫌 ひだが、 決して 無情な わけで はない。 ただ 以上の やうな 理由で、 先妻 を 憎む 餘リ、 : 

かの 女の そばに ゐる 子供 を も 見に 行きたくない のです。 そして かの 女との 關 係に は、 今ではた だ, 

. 子供の 送籍 贷來る 年齢 を 待つ こと、 約 鬼の 金 を 五 百圆に 達する まで る こと、 八幡 町の 家の 名餘 

をなる ベく 近々 に 友人なる 辯護士 を 代理と して かの 女の 名に 窨 きかへ る; J とだけ が殘 つてる ばかり 

です。 



今 I つ、 付け 加へ て 置きた いのは、 今の 妻と 先妻との 關 係です。 今の 姿 は その 初め 十分の 理解 を 

以 つて 先妻に 對 して ゐ たが、 先妻が 或 時 毒に 似た 物 を 茶に 人れ て飮 ませた のが 分って から、 全く 交: 

際が 絕 えて ゐ るので す。 今では、 とても、 僕 自身が たと へ 仲に 立つ としても、 今の 妻からの 和解 ま, 

出來 ない のです。 

この 手紙が 役に立つ やうな 時の 1^ ない の を镜は 望む が、 若し 役に立つ と 君が 思 ふ 時が 來 たら、 君: 

の考 へで 發 表して 貰 ひたいの です。 

以 上。 

岩 野 泡 鳴 

五月 十九 日。 晴。 原 氏より 手絨。 十九 日の よみう. CN に 出た 『生 ひ 立ち」 の 一 ,部に 關 する 答へ をし- 

た。 新潮 社 へ ハ ガキ、 昨日の 原稿 を 「第 一 二 帝國」 へ 譯, 四十 片。 

S 月 廿日。 雨。 東京 評論 社の 甘 K 記者 來訪。 プル タルク 序論 (八十 八片) を 終る。 

五月 廿 一 日。 曇。 新潮 社へ 昨日の 槁。 第二 號 群が かみ 崩した 一 つの 王臺 はまた 造營 されて、 1 暦 K. 

きな のにな り、 もう、 直きに 蓋され る やうに なった。 前 妻より 先日の 娘の 死に 就いて 何 か 不思議が あ 

つたら うと、 往復 ハガキ で 云って よこした。 まだ 易と か 占 ひと か 云 ふやうな こと を 信じて ゐる のらし. 

K 奴-事. を やる 氣 もない。 伊藤 (證) 氏 を訪ふ 。譯、 十七 片。 

巢鴨 日記 第一 二 四 五 



li s 'ニ卷 二 

五月 廿ニ 曰。 晴 4 西 本 氏より r カキ。 新潮 社より 譯料 八十 枚 分 貳十謹 並に 新潮 8 十一 圆。 (そ 

のうち、 五 圓は竹 腰へ。 )|( 朝) 氏 來訪。 (請寶 の 用)。 中 谷 氏來訪 (新 日本の 論文 依頼)。 佐籐 (稠) 氏の 

紹介で 原 正 男 氏 來訪。 譯, 二十 四片。 

五月 ±1 三日。 曇 風。 譯、 二十 五片。 母 峰 養成 箱 一 筒 を 造った。 - 

5 廿 四日。 晴。 新 公論 I 地雷 氏 來訪。 蜂 箱の 大を 一 つ 造った。 0. 二十 三片。 今 g 昭 i 

太后の i: 葬式 だ。 

五 ヨ^ 五日。 青。 きうり やいん ぎんに 竹 を やった。 譯、 十九 片 

五月 廿六 曰。 晴。 蜂 iif して 見た、 と 云 ふ SI が 少しより なく、 而も 明 i に 卵き 

みつけて ないから である。 內 S 作三郞 氏を訪 ひ、 ま 僕の 藝主 霊に i 生活 I の 問題に なつ 

,1 氏 ま 『それ ぢゃァ 一 5 囊 ではない か』 と 5 た。 勿論、 僕 は 僕の 囊を 述べて ゐ、 ま I 

てゐ るの だが、 宗敎 だと 斷らな いのは、 i の 裏と 同じ やうに、 善意に も垂 にも、 羅? 

て、 一 般囊 3 外 存外 向 的な 諸道 具 (世 g それ をい いこと にして) S にも 必囊 らうな どと 云 

はれる のが 面倒 だからで ある。 現代の 量 f 豪 界も 幼稚 だから • 僕の 5 てること 行なつ てるこ 

と を、 ほんの、 ただの 文 雲 I 歩した 物と しか 思って ゐな いの だ。 人の 手 を引ッ 張って 憂 i ォ 

こ 一 7 ことが お 来 i 思 ふやう 裏 響 S 的囊 は- g 初めから 謹と しないき ろ だ 力 § 



首 行 は 決して 宗敎に 至る 透で はなく、 宗敎 そのき である。 

五月 廿 七日。 晴。 午前 五 時 頃までに、 譯 二十 三片。 この頃 は 大抵 徹夜で、 夜が あけて 戶を 明け、 畑,, 

に 出る の を 心よ く 待 たれる やうに なった。 譯、 二十 三片。 

五月 廿 八日。 晴。 新潮 社より ハガキ 。同社へ ハ ガキ。 筑紫 氏を訪 ふ。 譯 * 二十 一片。 

六月 廿九 曰。 暴。 第二 號群 (一昨年からの、 最初の 王に 從ふ) の 王臺が 蓋され てるば かりで なく、 

また 外から、 もはや、 働 蜂が 蓋 を 破りつつ あつたの も あるので、 都合 四 筒 だけ を 切り取 リ、 王 籠に 入, 

れて同 群に 返して 置いた。 そして 新箱數 個の 据ゑ 付け 用意 をした。 他の 群に も王臺 はすべ て 數箇づ つ 

あるが、 まだ 蓋され るに 至らない。 

五月 三十日。 雨。 譯、 二十 九片 (但し 昨夜より 朝までに)。 け ふ は、 來た 中央 公論の 自作 長篇 「毒藥 を. 

飮む 女」 を 霞みながら • ところどころ を 直した。 ついでに、 「熊 か 人 か」 並に 「お 仙」 の 訂正 もした。 

五月 一 二十 一 曰。 晴。 淸 子の 父來 たる。 峰 を 三 群 分けた。 原 (正) 氏來訪 。伊藤 (證) 氏 を 訪ふ。 新 公論の 

簡易た 「;活 質問に 答へ 、『根本的に 生活 を 革新せ よ」 (三片 半)。 新潮 社より 三十 圆。 籐野 愛子 氏より 手紙。 

六月 一 日。 *• 夜雨。 蒲 原 氏へ ハ ガキ。 峰 一 群 を 分けた 。「武士の 云拔、 平民の 詰 腹」 (國民 道 德の變 

遷 に 就て 大隈 首相の 反省 を 促す) 四十 一 一片 を 薪 日本の 爲 めに 草した。 

六月 二日。 雨。 中 村 (春) 氏 を 訪ふ。 小 寺 菊 子 氏より ハ ガキ。 第三 帝 國の爲 めに、 「革新 せらるべき.^ ハ 

巢鴨 Bsi 第】 二 四 七 



泡 鳴 4s 第 十二^ 二 四 八 

活レ (十八 片)。 

六月 三 曰。 暴- 夜お ほ 風。 博 文 館へ 「包み 合った 心」 の m 版 届と 版 權讓渡 届と に fe^ 印して 送る。 先般 

の 二回の 批評に 對 して 秋 田 氏より ハ ガキ。 

暫く 失禮 して 居ります。 讀寶 のを拜 見し ました。 僕 は 「化 出」 と 似て ゐ るが 口 ー カリ テを 出す のが 

あの 作の 】 の 要素で あると ころから 全く 異っ たものと して 充分 注意して 書いた つもりで すが、 さう、 

思 はれる の は 作の 拙い 爲め (僕の 作 は 僕の ある 時期 を 代表した もので、 今は餘 程、 殆んど 遠って ゐ 

る。) かと 思 ひます。 拙い と 無 自覺と は 違 ひます。 少く とも 僕 自身 は 作劇の 上に は、 生意氣 だとい は. 

まう i 0000000 

れ るか 知れない が、 拙く とも 僞は 書かない つも リ です。 議論で お 答へ する より 書く つもりです。 此 

內 ゆっくり 伺 ひます から 氣を惡 くしないで 話して ください 。またお 暇の 折 は 此方へ もい らっしゃい P 

奧 さまに もよ ろしく。 

鑌 いて.' 氏の 来訪。 原 田 (信 造) 氏よ. OS 手紙。 新潮 社より 譯料 十三 圆 五十 錢。 新潮より 質問、 これに 

答へ 、「昔の 旅の ; 印象」 (二 枚)。 譯、 十三 片。 . 

六月 四日。 晴。 藤 野 愛子 氏へ 手紙。 原 田 (信) 氏よ..^ 手紙。 富山房より 稿料 十四 圓 七十 錢。 增 野氏來 

訪。 分けた 蜂 群の 二つに 王 は 生れた 跡 はあった が、 王 その物が いづれ にも 姿 を 見せない い 王 豪 を 入れ 

たの を 受けないで、 喰 ひ 破った のか、 それとも 交尾に 出て 歸ら なかった のか だ。 譯、 十六 片。 ■ 



六月 五日。 夜 あけ 前に 雨。 晴。 富山房へ 受領書。 竹 腰へ 五圓 也。 演 藝蠭 報への 質問 答案。 筑紫氏 を 

訪 ふ。 濟生堂 來訪。 譯、 十片。 讀寶 より 十圓。 

六月 六日。 曇。 櫧山氏 來訪、 先日の 原稿が 大隈伯 並に 同 內閽の 攻撃に 當 るから, 外のと 取り かへ て. 

吳れ ろとの こと。 で、 別な こと を窨 くこと にして、 先日の は 陽」 へ 送った。 小此木 (忠) 氏を訪 ふた- 

と ころ、 氏と も 久し振りで あつたが、 また 犬 養 氏と 云 ふ、 これ も舊ぃ 時の 知人に 會 つた。 犬 養 氏 は 曾て 

吉 原の 女郎 を 受け 出し、 待合 を 開 5 たが、 自分の 厭 ひな 客 は 得意の 柔術 を以 つて 投ゅ 飛ばしな どした. 

ので、 つ ひに 廢業 しなければ なら なくなった。 今 は、 草履 工場の 監督 ださう だ。 芝 川 氏より ハ ガキ。 

六月 七 曰。 晴。 「政界 その他の 實 生活 的 觀察」 (二十 九片) 、新 曰 本へ。 大根の 種と 思って 播 いたのが、 

ほうせん 花で あ つたの を 伊籐 氏 へ 半分 わけた。 

六月 八日。 晴。 小 林 (ニニ) 氏へ ハ ガキ。 博 驚會へ 行く。 吉野 氏を訪 ふ。 太陽へ 送った 原稿が 返って 

东 たので、 反響へ。 

六月 九日。 晴。 澤 代議士より 「國 防に 關 する 質問 顔 末 報吿」 を 送り 來 たる。 增野 氏を訪 ふ。 譯* 十.. 

四片。 (三時 間 半で これ だと すれば • 先づ 一 時間 四片の 割り) 

六月 十日。 晴。 石 田 氏へ ハ ガキ。 生 ffl (長) 氏より r カキ。 原 K 氏 來訪。 十日 會へ 行く。 

六月 十一 日。 晴。 三 木 氏を訪 ふ。 小 林 (一) 氏より 《ガ キ。 譯、 二十 四片。 生 田 氏へ ハガ キ。 

巢鴨 日記 第一 二 四 九 



泡 鳴佥雄 第 十二 卷 二 五 〇 

六 CT 十二 ほ。 雨。 西 村 氏 を訪ふ o( 黄色 朝顔の 苗 を 持って行き、 いちぢく のさし 木 を 焚って 來た )o- 

田 氏來訪 * 十二 錢 叢書 百册の うちの、 七 冊 を 引き受けた (これ は 俊む 身が しないでも、 妻に やらして 

いいと 云 ふの で)。 吉野 夫婦 來訪。 

六月 十三 曰。 晴。 藤 野 愛子 氏 来訪。 墦野氏 水 (訪。 三 木 氏 來訪。 讀寶の 質問へ 答へ。 京都の 中外 新報 

より s。 

六月 4. 四日。 ^け 方まで 雨。 晴。 伊籐 氏 を訪ふ (留守 )o 小川 氏より ハ ガキ。 「評 家と して 見た る 作 

家の 藝術 觀」 (「毒 藥を飮 む 女」 に 就いて) を 三十 片。 同 原稿 をよ みうりへ。 唐な すの 花が 喚き 初めた 。門 

前 0^ ッ ばへ 一面に 去年まい た クロべ の 花が 暌 いてる の を、 二三の 子供が 拔 いて 行った。 譯 W 十二 片。 

六月 十五 日。 晴。 伊藤 氏を訪 ひ、 石 丸 氏からの 中外 新報に 毎月 六 回執挚 すると 云 ふ 依頼の こと を ffl 

談し、 石 丸 氏へ 承諾の 手紙 を 出した。 :&!田 氏より ハ ガキ、 同氏へ返^?^。 サン デ ー へ もとの 槁 料 請求。 

咋 日より 「包み 合った 心」 の 校 E が來 初めた。 

六月 十六 日 。「純 全 生活」 (五 回、 三十 一片) を 昨夜 か. ら 書き終った、 初めて 中外 日報へ 送る 分。 雨。^ 

口 (米) 氏 を訪ふ (歸朝 みやげに 口 ー マン n 1 ラン の 「トルストイ」 を 焚 ふ )。 蒲 原 氏を訪 ふ。 譯、 十六 片。 

六月 十七 日。 夜 明 前から 雨。 川 手 氏より 手紙。 生 田 氏より ハ ガキ。 よみうりから 原稿 返り 來り > 二 

題 rK 省の 餘趣 多き 批評」 並に 「事 K と 幻影」 に 分けて、 W び つた。 



六月 十 人 日。 譯、 一 一十 四片 。午前 五 時半 就褥 o( これから また 就褥 時間 をつ けて 見ようと S ふ)。 起床 

午後 一 寺。 川 手 氏 を訪ふ b 同氏と カフェ ライオンに 行ったら、 時事の 川面 廿ボ 氏に? 細 介され た。 

六ョ 十九 日。 曇。 新ら しい 風呂 を 買った ので、 舊ぃ 方の を 鳥小屋に する 爲 めに 毀 わした。 珍ら しい 

力 わざ をした ので、 足腰 や 背中が 痛い ほど 凝って 來た 福 岡 書店 來訪、 淸子 代篇の 「モナ グナ」 を 渡 

し、 ! 一千 部 印税 前金 一 一十 圓を 受取った。 增野氏 來訪。 岡 部 和 一 郞氏、 突然 來訪 — 一 一十 一 年 振り だ。 

氏 は その 問に 支那 浪人の 】 人となり- 第 一 革命の 時、 黄 興 を 掩護して 漢 陽で 戰 つた さう だ。 けさ、 九 

時 頃、 第二 號 群が 自然 分封 を やり、 隣り の 畑の 低い 樱の 木の 枝に 落ちつい たので、 箱に 二三の 巣 枠 を 

入れて その そばへ 押し付けたら、 すべて それに 這 入った。 他に 人工 分封 をした 王が 二つと も 一向に 產 

卵の 形跡が 無い ので、 その I 方 を 第三 號 群の 舊 王と 取り かへ て やった I と 云 ふの は、 その 箱に はま 

だ 雄蜂が 澤山ゐ るからで ある。 蒲 原 氏より ハ ガキ。 淸子 と共に 平 鬚 女, ぉ&訪 ふ。 

六月 廿 一 曰。 曇。 三 木 氏を訪 ふ。 「潜 淵 君に」 2 片)。 譯, 十八 片。 

六月 廿 二日。 曇。 岡 部 氏より ハ ガキ。 よみうりへ 昨日の 原稿。. 長 山 (省 吾) 氏へ ハガキ 、(岡 部 氏來訪 

により、 住所が 分って )。 小 此木 氏、 树本 氏、 伊藤 氏 來訪。 伊藤 氏を訪 ふ。 譯、 十二 片。 

六月 廿 三日。, 晴。 長 山 氏より ハ ガキ。 下痢で 伏せった。 

六月 廿 四日。 晴。 三 木 氏 來訪。 

巢鴨日 Si 第一 二 五一 



泡 鳴 i*i 集 ^十二 卷 n 五 二 

六月 廿五 曰。 晴。 佐 藤 (稠) 氏 來訪。 千 薬 氏より ハ ガキ、 同じく 返_ 事。 

六月 廿 六日。 晴。 第 11^ に 人 H 分封 をした 群の 王 蜂 は • きの ふ、 產 卵して ゐる とこる が 二回 見られ. 

た。 十九 日に 自然 分封 をした 群に は、 どうしても > 王 峰が 見つからない I— そして 分封の 節與 へた 卵 

附 きの m に數侗 の王臺 を經營 して、 旣に ふたされ たの もあった。 その 1 つ だけ を殘 して、 あとの 物 を 

皆つ ぶす 時 • 試みに 三 個 だけ 王 養成 籠に 入れて、 第 一 群へ さし 込んで 置いた。 第三 號 群へ 入れ かへ た 

新 王 は 殺された かして 見えない。 が、 王臺の ふたされ たのが 大分 出来て ゐる。 そして 第三 號 群の 舊王 

を 入れた 新 群で は、 この 舊王を 受け 容れ てゐ る。 舊王は 落ちついて たからで • 新 王が 受け 容れ られな 

かった の は あわてて ゐ たからで あらう (も ッと王 籠の まま 人れ て 置けば 慣れたの であった。) 荒木 (郁). 

氏よ.^ ハ ガキ。 病氣は 殆ど 全快。 

六月せ 七日。 晴。 郁子 氏へ ハガ キ。 新潮 社の 佐 藤氏へ 手 鋭 (別な 出版 相談)。 正宗 森 田 雨 氏 宛の 巴 里 

行き 手 S を 出す。 中外 日報より 稿料 十圓。 伊藤 氏 夫人 來訪。 夜.' 俄 藤氏 を訪 ふ。 

六月 廿 八日。 あけ 方 前に 雨。 譯、 二十 片。 午前 四時 就! 十 時 起床。 晴。 千 葉 氏へ 招待され、 席. 

で 上田 萬 年 氏に も會 つた。 

六月 廿 九日。 暗。 新潮 社から 三十 圓 (譯 料)。 滋子 氏を訪 ひ、 一 緖に 博魔會 へ 行く。 島中 氏より 手. 

銃 。「包み 合った 心」 校了。 南北 社へ 立ちより、 高 橋 都素武 氏に 會ひ、 出版の 相談 をして 置いた。 . 



六 Gri 日 c 暗。 木 村 (廳) • 大町 (桂) 二 氏 署名の ハ ガキ來 たる。 m 京 毎日 並に 時事より 質問、 それに 

答、。 佐 渡 日報より 佐 渡に 關 する こと を窨 けと 云 つて 來 た。". 佐 渡の 思 ひ 出」 (十片 )o 

七月 一 日。 暗。 筑紫氏 來訪。 新 蜂 群 一 一個 は その 王が 産卵す る やうに なった。 加 能 氏、 川 手 氏よ リハ 

ガキ。 譯- 九片。 

七月 二日。 暗。 博 文 館へ 行き 『解剖 舉者」 稿料 四十 圆 八十 錢> 並に 1 包み 合った 心」 殘金 十二 圓 五十 

錢。 郁子 氏を訪 ふ。 ^守に • 第三 號 分封 * 畑の もみ ぢに とまった のを淸 子が 收容 した。 別に また 生れ 

た 王を以 つて^ 群 を 組織し、 その 王 を 王 籠に 入れて 暫く そのまま にして 置いて、 それから 籠の ふた を 

明けた ところ、 直ぐ 働 蜂が 飛び かかって みんなで さし 殺して しまった。 して 見る と、 メ テル リンクが 

云った 働译の 王壓殺 若しくは 取り 卷き 攻め (そして 王 を 働 蜂 は 決して ささない) と 云 ふこと はう そだ。 

バンドマン 歌劇 を 見に 行った。 川 手 氏へ ハ ガキ。 南北 社へ 手紙。 

七月 三日。 晴。 新 曰 本より 原稿 頼み、 斷る 。時事の 柴田氏 i 始訪 。蜂 王が 王臺を 中から 喻ひ 破る 昔 は、, 

寺って 見る と、 ばりく と 響く。 二分の 一 小 枠を以 つて 二 群 を 組織して 見たところ、 二 群と も 纖の爲 

めに 襲 はれて ^ 四方に ちり,? ばらく になった。 そして その 1 方に 生れた 王 もど こへ か 行って し 冷 5 

つた。 け ふ 人工 分封 をした ので 全 群數は 十四 箱に なった。 讀寶 より 八圆。 三 木 氏 來訪。 f 

七月 四日。 晴。 人工 分封 をした 箱の 一 つに 王が 生れ 出かけて ゐ たの を 見る と、 あたま だけ 出て、 働 

紫 鴨 日記 第 1 二 五三 



泡^ ^十二 卷 二 五 四 

蜂の 口から 蜜 を 受けて ゐ たので、 手を以 つて 皮 を 破って やる と、 いそいで 飛び出し、 巣の 上に 二三 分 

じッ として ゐ たが、 ちょこ (- とかけ 出して 働 蜂の 脊 やら 腹部 やら を かま はす- 通り越え て定 つて ゐ 

た。 が、 働 峰 は 害 も 加へ ぬ 様子であった。 昨夜、 ー箱 を筑紫 氏へ やった。 前 妻が やって 乘 たが、 俊 は 

會 はなかった。 增野 氏を訪 ひ、 蓄靑 器と 譜とを 借りて 來た。 

七月 五日。 小雨 あり。 文章 世界 並に 辻 氏へ パガ キ。 最初の 王。 乃ち W 三年 目の 峰 王 を 人 H 分封した 

群 を 調べて 見たら、 その 王 (羽, ® を 切って あった) がゐ すに、 新 王が 出来て ゐた。 そして その 王の 出た 

らしい 王 豪が 破れて ゐた。 前^?^が訪ねて來たが* 僕 だけ は會 はなかった。 今少し 反省と 鎭靜 とが かの 

女に 出 て來 ない と、 僕は會 ひたくない。 

七月 六日。 雨。 川 手 氏へ ハガキ 。(前 妻に 家を與 へる のに、 竹 腰 家 を 別家して ゐ なければ" かの 女が 

若し 死んだ 時 その 家 は 竹 腰に 取られて しま ひ、 子供の 爲 めに はならない こと を 云って やった。) 巴 培^5 

の 森 田 氏から ハ ガキ。 ; W 氏より ハ ガキ。 サン デ ー の川浪 氏來訪 (SS 守) 岡 野 氏を訪 ふ。 

七月 七日。 晴、 夜雨。 サン デ ー の 島中 氏へ ハ ガキ。 H 代 氏 来訪。 蜂の 枠 を 十四 五箇 造った。 人工 分 

封の 一 群の mH 前に 王が 死んで ゐ た。 これに 王饉 の王臺 の、 まだ 出られな いの を さし 入れて 置いた。 他 

にも 二 群 無 王の が あるが、 それら は王臺 を經營 して 大分 熱して ゐ るから • そのまま にして置く。 岡 野 

氏へ 伞を 返しに 行く。 伊藤 氏 を訪ふ 1 が イブセンの ことにな り、 氏 は 森 田 (草) 氏の 言 を 信じて、 ィ 



プ センの 問題劇 は 多く は爵 I 出 た だけ I だと やう s へて ゐ たので、 僕 はさう でない と 答へ 

た。 氏の 言に よると、 何度 聽き 返しても 森 田 氏 は 疑問 提出 劇 だと 云った さう だ。 すべて 問題劇 を 疑問 

劇と 思 ふの さへ 用語 例 を 問 違って ゐ ると 思 ふのに、 かの イブセンの を そんな 煮え 切れない ものに 解釋 

する の は、 1 しほ 問 遠 ひだ。 渠は 問題 を 提出す ると 同時に、 築 だ けの 解決 は 付けて ゐ るの だ。 そ こ 

が 鎮の惡 く 云って 理想家た ると ころ だが、 築 は 一 劇 毎に その 理想 を 建て直して 行った ところに、 具 

體的な 活 者で あつ. たこ と を 示め して ゐる。 それから、 今 一 つの 氏の 誤解 は、 イブ せ ン の 解決 は 破 

瓌に 終って ると 云 ふこと であった。 僕の 考へ では、 建築 師が 塔の 上から 落ちて 死ぬ の も、 ブラ ンド 

が 氷塊に 敷かれて 死ぬ の も。 生活 を破瓌 したので はなく、 全人 的 生活 を 生活した ことにな つて るの 

だ。 

七月 八日。 晴。 北 村 氏 を訪ふ (带 守)。 上司 氏を訪 ふ。 , 

七月 九日。 晴。 石 丸 氏より r カキ。 南北 社 並に 新潮 社 を訪ふ (小 說集並 に 論文 集の 出版 相談 は駄 

目)0露領漁業貿易時報主斡高井義赛久氏並に1^^役員高野金彌氏が來訪, 僕の 「棄藥 を 飲む 女」 を 露語 譯 

にす る 許し を 得た。 高 野 氏 は 僕が 樺 太で 知った 林 氏の 友人 ださう だ。 增野氏 來訪、 同氏 を訪 ふ。 

七月 十 曰。 晴。 十日 會へ 行く。 夜, 雨。 

七:1^十一!1:。 雨。 「婦人問題の 順序」 二十 六片) を 中外 曰 報へ。 昇 氏、 瀨沼 氏へ ハガ キ。 i 鎖 社へ 手 

幾 鴨 ofc 第一 ^r-^ 



li ^十二 卷 二 五六 

紙 (as 版の 件)。 

七月 十二 日。 晴。 王 寡 j の 1 つが! 向に 生れない ので、 つぶして 見れば、 蠛が這 入って 王體を 全く か 

ら にして あった。 譯, 十四 片。 

七月 十三 日、 曇。 一個の 王 籠の 王臺 がまた 生れない ので、 調べて 見たら、 ひからびて ゐた。 三徊の 

王臺を 取り出し, 籠に 入れて 養成す る やうに してやった。 譯、 二十 四片。 

七月 十四日。 晴。 瀧 H 氏 來訪。 增野 氏より ハ ガキ。 昇 氏より ハ ガキ。 藝術 座の IS 四 回 暴行 を 輻澤邸 

の 試演 場に 觀に 行った。 

七月 十五 日。 夜、 雨 あり。 伊藤 義人 氏 來訪、 五部 作の 中なる 加 集また は 加 能の モデルで、 僕が 棒 太 

歸後 途中で 會 つたが 當分來 るに 及ばす と 云って 匿いた。 が、 先日 報知 新聞社へ 行った 時、 ひよ ッ こり 

ffi 會 したと ころ、 妻 も 貰 ひ、 家 も 持った と S ふので、 今後 は從前 通りに 會 つて やらう と 思った。 何と 

云っても、 小 sjf 時代からの 知り合 ひは渠 だけ だ。 野 口 氏 來訪。 時事より 稿料 ニ圆。 蜂 王が また 一 つ 生 

れ たの を 交尾 箱に 收 めた。 露語 家 大井包 高 氏 來訪。 ii 社より la 事、 出版 は 九月に 人る まで 待って 5^ 

れ ろとの こと 

七月 十六 日。 晴。 蜂の 箱 を 一 つ 持ら へた。 增野 氏よ.. =N< ガキ。 文章 世界より 左の 質問、 同じく 答 



お たづね 

一 好きな 色 は? 『特^に 無し。 

二 好きな 花 は? *、 庭に 今暌 いてる ので は、 紫 しづか。 

三 好きな 樹木 は? 「桐に 無花银 などで あらう。 

好きな 季節 は? は 冬よりも いい 氣 持ち だ。 

五 1 日つ 中 り^きな 時 問 は? 「蜂 や 畑な ど を ほ々 なに は 日中、 書き物に は 夜半から 明けが た 

六 好きな 遊戯と 蜈樂 は? 1 玉 突が 好きであった が、 それ を やめてから 碁。 

七 好きな 書籍 は? 「链 人の 書に は 好む ところな し。 

A 好きな 名前 は (男 並に 女の)? 「無し。 

九 好きな 政治家 (現在) は? 『無し。 

lo 好きな 歷 史上の 人物? 「豊 太閤 や #籐 公 を、 僕の 主義から 理解した 上で は、 好きと 云 ふよりも 

m の 主義 を說 明す る に 便利な 人物 である。 

一 一 好きな 女の 顔と 性格 は? 「顔な ど はどうで もい いやう だが、 性格の 上で は、 平 稼 明 子と 21^ 野淸 

子と を つきまぜて、 田 村 俊 子と s ふ 衣 物 を 着せた やうな のが あらば、 結構で あらう。 

ni 好きな 時代 は (東西 古今 を 通じて)? 「現代。 

巢鴨 日記 锛 1 二 五 七 



ss 第 十二 卷 二 五八 

一 三 世界中で 住みたい と 思 ふ 所 は? 「日本。 

一 四 外に 好きな 職業 ビ 選んだら? 「僕 は 詩人、 小說 家、 並に 自由 思想家 だ。 他に 好きな 職業 を 選ん 

でも、 矢張り 詩人、 小說 家、 並に 自 思想家 だ。 但し、 文士と 云 ふやうな 下らない 用語 を以っ 

て 職業の 名と はして ゐ ない。 

一 五 一 恭幸 顧に 思 ふこと は? 「悲痛と 終始す る こと。 

I 山八 一 番 不幸に 思 ふこと は? 「同じく 悲痛と 終始す る こと。 

七月 十七 日。 ちょ ッと 雨。 北 村 氏へ 手紙。 中央 公論への 「まだ 野暮 臭い 田 村 女史」 (二十 三片) 。荒木 

(郁) 氏來訪 • 蜜蜂の 豫約金 _y 圓を 置いて 行った。 

七月 十八 口。 夜、 雨 あり。 香港に 本社が ある ゼメ ー ル 社の 「フ ー スフ ー」 編輯 者 Q 1 人 來訪。 筑紫氏 

で 晚餐を 受けた。 解題 1 モナ ダナ」 の 校正 終る。 

七月 十九 日。 暗。 瀨沼 女史よ リハ ガキ。 同じく 返事。 新橋 堂へ 手紙 (出版の かけ 合)。 包み 合った 

心」 の揷し 靄の 箇所 を 博 文 館に 答へ た。 蜂 王の ゐ なくなった I 群へ、 まだ 出ない 王 臺を與 へた。 伊籐 

(證) 氏の 宅へ 招かれて、 會 食した。 ルソ ー 懺悔 錄の 縮少 編成 を 安 藤氏に 引き受け、 辻 氏に やらせる つ 

もり。 

七月 廿日。 晴。 瀨沼 女史 來訪。 反響への 「さし 迫った 法權 運用の 改善」 (二十 ニ片) 。岡 野 氏を訪 ふ。, 



1 

ヒ月廿 1 日。 晴。 岡 (落葉) 氏 來訪。 岡 氏と 木 村 (廳) 氏を訪 ふ。 岡 氏の 家に 行く。 小 寺 氏 を訪ふ (留: 

守)。 一 

七月.,. 二日。 so a 氏よ リ斷 りの ハガ キ。 高 井 氏へ 「毒 藥女レ の譯し 方の 間違 ひ を、 瀨沼 女史の 注 一 

意に 從 つて、 a 知した。 昨日、 蜂の 新 群 を 調べたら、 二 群に 王が ゐ なくなって ゐた。 また 交尾 箱に 入 一 

れた王 はニ箇 のと もゐ なかった。 そして 無 王 群 はみ な王臺 を經營 して ゐた。 一 

七 g 廿三 日。 譯 * 十三 片。 晴。 ビ ー ル 箱を以 つて 蜂の 箱 四 個 を 作り > ペンキ を 塗った 。中お (春) 

來訪。 中 村 (武) 氏より 手紙。 昨夜 伊藤 (證) 氏 來訪、 ルソ. -を 書く 代りに 平 田 篤 胤 をとの ことであった 一 

が、 こ 1 は 代筆が させられ ないから、 餘 ほど 時 曰 を 貸して 貧 ふこと にした、 本 氣に窨 きたいの は、 こ 一 

の 平 田の 傳と 批評と だ。 一 

七月 廿^ 日。 譯- 十四 片。 新潮 社の 中 极氏來 訪或飜 譯に名 を 貸す ことで あつたが、 これ は斷 つた。 一 

佐 藤 (茂) 氏へ ハ ガキ、 プッ ゲルの 獨 逸文 世界 古代 歷史地 圖を國 民 中 擧會に 買 はせ る こと。 中 村 (武) 

へ ハ ガキ。 新橋 堂より 返事 出版 駄目。 増 野 氏より ハ ガキ。 蜂の 箱 三 個 を 持ら へて ペンキ を 塗った C 一 

夜、 ちょっと 雨 あり。 _ 

七月 廿 五日。 譯* 二十 ニ片。 晴。 蜂 箱に ペンキ を 塗った。 伊籐 (義) 氏 來訪。 夕 かた、 雨が ふり さう 一 

で 降らなかった。 一 

巢鴨日 記 二 五 九 一 



11 第 十二 卷 二 六 . 

七月 サ 六日。 大雷 驟雨。 夜、 濺 谷の 濉谷 氏を訪 ふたと ころ、 氏の 話で は、 谷 附近で は 大粒の 霜が 

降った。 

七 月 廿 七日。 曇。 博 覽會に 行く。 加 藤 (朝) 氏より ハ ガキ。 巴 里の K 宗 氏より ハ ガキ。 中央 公論よ リ 

八 圆。 

七月 廿 八日。 曇。 11 訪氏 並に 愛子 氏へ 最近 著 を 送る。 蓋の 出來 た王臺 のうち、 三 個 を 三 個の 無 王 群 

に殘 し、 他の 七 個 を 王 籠に 封 じて • 或 群に さし 入れた。 

七月 廿 九日。 譯, 一 一士 一片。 晴* 夕 かた I 雨 あり。 中外 日報より 稿料 十圓。 人工 分封に ょリ、 葡王 

m 個を以 つて 別 群 を 組織した。 そして 人工的に 無 王に なった 群へ それぐ 王 臺を與 へた。 別に 交尾 箱 

を以 つて 二 小 群 を 作. =v、 王 臺を與 へた。 畑の 一部 を軿 した。 茄子に こやし を やった。 

お 月 三十日。 譯、 十七 片。 晴。 交尾 箱 を 一 つ 作った。 新 日本よ. nsr カキ。 愛子 氏よ リ 手紙。 中 澤 (臨 

, 川) 氏の 病氣を 見舞った。 郁子 氏を訪 ふ。 

七月 卅 一 日。 晴。 - 

八月 一 日。 譯、 十六 片。 晴。 川 手 氏より ハ ガキ。 加 藤み どり 氏 來訪。 淸子は 今日 平嶽 氏と 共に 內務 

省 へ ,保 局長 の 無責任な 談話 を 質問し に 行った。 

八月 二日。 譯* 十二 片。 晴。 大阪 から 岩 崎 (鼎) 氏 来訪。 福 岡 書店から 『モナ ダナ」 解 說の奧 附印を 取 



に來 た。 「斷片 語」 (一 二十 片) を 新潮に 送る。 

八月 三日。 曇、 ゆ ふかた 降り かけて また やんだ。 南北 社より 手紙。 諷訪 氏より 手紙、 —— 新 蜂 王 は 

十日 若しくは 十五 日間に 産卵し 初めない と 駄目 だと 云って 來た。 藤 (證) 氏を訪 ふ。 反響へ 『豫想 さ 

れる 平民 黨の 意義」 (十八 片)。 

八月 四日。 曇、 「婦人問題 補遺」 (十八 片 )o 中 村 (武) 氏よ リハ ガキ。 蜂に 給 蜜。 ! 群 を 合同した。 七月 

二十 九日に 王を拔 いて 別に 王 臺を與 へた 一 二 群のう ちに、 一 群 は、 王 を 有した が、 二 群 は 王 を 得な かつ 

た。 王の 拔 けた 王 臺を 調べて 見る と、 尋常に うまく n が あいて 戶 びら になって ゐ ないで、 やたらに 喰 

ひ やぶられた 跡の やう だ。 多分、 王に 故障が あつたの だら う。 然し 旣に ふた をした 王 臺を數 個 造營し 

てゐ たので、 f 1 っを殘 して 他 は 切り取お、 これ を 王 籠に 封 じて 或 群に 入れて 置いた o( まァ 六日 目 

の 熟し 臺 だ。) 

< 月 五日。 曇。 新潮 社より 手紙。 藝術 座より ハ ガキ。 給 蜜。 

八月 六日。 譯、 十二 片。 晴。 歌舞伎 座へ 藝術 座の マ グダ を 見に 行く。 

八月 七日。 晴。 交尾 箱の 二 蜂 王 を 大きな 無 王 群に 入れたら、 I 王 は 無事に 納り、 I 王 はさし 殺され 

た。 

A 月 八日。 譯、 十八 片。 暗。 岡 (落) 氏よ tos ハ ガキ、 同じく 返事。 新潮 社へ 行き • 譯 (第二 卷四 t 

巢鴨日 SS 第 1 二 六 二 



11 c メ 十二 卷 II 六 二 

片 より 六 〇〇 片 まで、 計 fc 枚) の 前金 四十 圆を 受け取った。 但し この 分から 一 枚 三十 錢を 四十 錢にレ 

て 貰った。 同社で 相 馬 (御) 氏 並に 中 村 (武) 氏に 會ひ、 將恭 を數番 してから、 ャ マ 一一 パ ー へ 行って 食事 

をした。 今 井 孃を訪 ふ。 竹 腰より 手紙。 

八月 九日。 譯、 十八 片。 川 手 氏を訪 ひ、 まだ 竹 腰の 登記料が 出來 ない こと を 書き 置いて 來た。 吉、 y 

氏より r 三 入」 寄 送。 福 岡 書店より 解題 「モナ ダナ」 到着。 高 橋 (五) 氏を訪 ふ。 二三 日 この 方淸 子と 

物 を 云 はない。 今回 は 向 ふに 落ち度が あるの だから- やがて あやまる おらう。 

八月 十日。 譯、 十七 片。 暗。 生 方 氏より ハ ガキ。 交尾 箱の 一群 は 蠓の爲 めに 段々 平らげられて しま 

つたので、 大きな 群へ ワク を 入れた 。今 一 つの 交尾 箱に は 王もゐ るが、 まだ 交尾す みで はない らし 

い。 原 (正 y 伊藤 1 一氏 來訪 。「大食 喜八郞 氏に 呈す」 (三十 片)、 新 日本へ。 

八月 十 一 日。 譯、 十九 片。 晴。 西 村 氏より 手紙 。「戰 爭卽 文藝」 (九片 y 文章 世界へ。 大杉 氏より ハ 

ガキ。 「大杉 氏 等への 忠吿」 (十三 片)、 近代 思想へ。 伊藤 (證) 氏を訪 ふ。 上 原 ふく子 氏 來訪、 管て かの 

が藝者 をして ゐた 時、 その 身の上の 一 部 を 殆ど 僕の 廣 初の 小說 「藝者 小 竹」 に 於て 書いた ことがあ 

る。 霄 車終點 まで 送った。 

八月 十二 日。 曇。 田 中 (王 堂) 氏より ハ ガキ。 同じく 返事。 伊藤 (義) 氏 來訪、 フ, -ズフ ー インジ ャパ 

y 社の 權利 を寶. り. 渡す ことに ロを聽 かせる ことにした。 これ は !昨曰 高 橋 氏からの 依輟 であった。 乂. 



阪の石 丸 氏 來訪。 夜より 大風 雨。 

八月 十 一 二日 。朝のう ち は 雨。 ふく子 を訪 ふ、 お 互 ひに 何 かに 相 引かれて ゐる やうな ところがあった、 

が、 昔話と 晩餐と で 午後 十 時半 頃まで 無事に 過ぎる ことが 出 來た。 夜 • 十二時より 雨。 

八. -ト 四日。 青。 M の 倒れた トマト や 枝豆 や 唐 もろこし を 竹で 起して やった。 胡凤 は、 もう、 駄目 

だから 引き 拔 いた。 サラダの 種 を 花から 取って * 直ぐ 播 いた。 交尾 箱の 王 を 無 王 群と 合同した。 今 一 

つ 無 王 群 を 合同した。 鈴 木 (三重 吉) 氏來訪 * 出版屋になる から 贊 成して くれろ と 云った Q で * 承知し 

て 置いた。 電車 終點 まで 送って 行って • ミルク セ ー キに キス キの醉 ひ を さました— 

八月 十五 日。 譯* コ不 九. 片。 雨ふり かけて、 晴。 昨日 合同した 二つの 群のう ち、 一 群 は成蹟 よく 王 

も 無事 だが、 他の 一 群の 棠 門 外に 澤 山の 働 蜂と 共に 王が 1 匹 死んで ゐた。 その 死 王 は 見慣れて ゐた交 

尾す みのであった。 で、 その 箱の 中 を 調べて 見る と、 一ヶ所 蜂が 密集して ゐる ところが あるので、 或 

は 王を圍 んでゐ るの かと 思って、 棒で 分けて 見る と、 £}^^て見たことのなぃ新王が出て來た。 つき 剌 

, されない うちに 救 ひ 上げて 王 籠に 入れ、 それから また 群に 與 へて 置いた。 鬼に 角 > 王の ゐな いと 思つ 

て 合同した 群に も 新 王が 無事で ゐ たの を、 知らなかった 爲 めに 合同し • 二王が 一 群に 出来た ので 舊王 

は 合同に 持って行った 群の 爲 めに 若しくは 新 王の 爲 めに 殺し 出され、 新 王は舊 群の 爲 めに 園み 責めに 

されて ゐ たの だ。 伊藤 (義) 氏より ハ ガキ。 竹 腰より 五圓の 受取り。 田 中 (王) 氏 來訪。 

巢鴨 日記 第一 二 六 三 



§s © 十ニ卷 二 六 四 

八月 十六 日。 譯、 十片。 晴。 大杉 氏、 滋子 氏、 中澤 氏より ハ ガキ。 大阪の 小 林 a) 氏より ハガキ • 

1E 氏 を采女 町の 山 口 旅館に 訪ひ、 岩 下淸周 氏の 人物に 關 する 意兑を 參考の 爲め聽 いた。 席に 矢 倉と 云 

ふ 日本 橋の 一 長者が ゐて、 食事 を 一 緒に した。 夜, 小 林 氏に 伴 はれて 帝劇へ 行った。 「現代」 の 記者! i 

本 氏來訪 (SS 守)。 號 外が 出て、 いよく 獨 逸に 園す る 最後の 通知が 公表され た。 

八月 十七 日。 暗。 瀧 H 氏へ ハ ガキ、 巴 里の 森 W 氏より ハ ガキ。 藝術 座より 手紙。 小此木 (忠) 氏より 

移轉 株式 會 社の 紹介。 同氏へ 上 原 ふく子の 亭主 を 使 はない かとの 交涉を 送った。 昨 曰の 橋 本 氏^ 訪 Q 

本 間 (久) 氏 來訪、 早 稻田文 畢講 演會の 講演 を 頼みに 来た。 

八月 十八 日。 譯、 十片。 晴。 フ ー スフ ー 社の 件に 付き、 その 社長 栗 田 俊 治郞氏 並に 製本屋 生 方捨藏 

氏 來訪。 夜淸 子と 共に 野 上 氏を訪 ふ。 蜂 群の 大 合同 を 行った。 

八月 十九 日。 晴。 川 手 氏を訪 ひ、 ふく子 氏と 共に カフェ ライオンに 行った。 高 橋 (五〕 氏より ハガキ 

加 藤 (朝) 氏より ハ ガキ。 峰の 大 合同 は 無事であった。 

八月 廿日。 晴。 伊藤 (義) 氏へ ハ ガキ。 植竹 氏へ 手紙 (フ ー スフ ー の 件)。 生 方 (捨) 氏 js^ 訪。 ^氏よ 

ぉハ ガキ。 鈴 木 (三) 氏より ハ ガキ。 け ふ も 二つの 合同 を 行った。 そして 三 群に 給 蜜。 殘 つた 王の 總計 

六箇 のうち、 一匹 はつぶ し、 三 匹 は 籠の 中で 死亡。 二 匹 はこれ を强 勢の 群 中に あ づけて 置いたら、 そ. 

れが爲 めだら う、 同 群 中に 爭鬪が 起り、 昨日から 今朝までに 死骸が 可な り潭山 運び出され たので、 二 



匹と も 取り出し、 別に 蜜を與 へて 戶 棚に しまって 見た。 

n^g.^ 1 日。 譯、 十六 片。 晴。 早稻 田文學 より 日本 國民性 論 中の 一 つ を 執筆 依賴。 同じく 返事。 昨 

日の 二 合同の 結果 は、 一 つ は 無事。 1 つ は 新 王 を 包 園して ゐ たので、 王 を 籠の 中へ 助け 入れて やった? 

察する ところ、 働 蜂 は 慣れない 新 王 をう ゑ 殺す H 的で 包圍 して ゐ るので はなく、 王に 餌を獻 じょうと 

して われ もくと 迫る の を、 王が 不慣れの 爲め 担む から、 いつまでも 包圍 して ゐる わけになる の だ。 

1 つに は、 舊王 を拔き 取って 直ぐ 合同した のが 惡 かった。 植竹 氏より 返事。 

月廿 二日。 中外への 「露 现と illl 我 主義」 (十四 片) 。譯 * 九片。 晴。 一群に 與 へた 王 を その 群が どう. 

しても 受けない ので、 籠 を 明ける と、 王 は 包函を 逃げて 《仝 中に 去って しまった。 で、 また^な 隔離:, H 

D 1 つ を 與ゝて 置いた。 今一 つの 群 も 王 籠 を 明けて 見たら、 王 を包圍 ばかりす るので、 また 饉に 入れ 

て 置いた。 この 兩 群の 處分 さへ すめば、 今年の 蜂の 用 は方づ くの だ。 楠 山 氏へ ハ ガキ。 伊藤 (證) 氏と 

圍碁、 氏 は 七 目から 進んで、 この頃で は 四 目 だ。 

八月 二十 一 一 百。 譯、 十八 片。 暗。 夜、 雨。 伊籐 (義) 氏より ハ ガキ。 福岡誊 店より 『モナ プナ」 第三 版 

一千 部 印 稅拾圓 を 送り^た る。 二三 日 前に、 文章 世界より 稿料 一 ニ圓 五十 錢を 受取った。 橋 本 氏 來訪、 

フ ー スフ,.. を 石 川 半 山 氏が 引き受けようかと 云 ふと 語って、 內 容を聽 いて 行った。 淸子 と共に 1^ 稿 紙 

を 買 ひに 出た つ いでに、 德 田秋聽 氏を訪 ふ。 け ふ、 獨 逸に 對 する 宣戰 詔勅が 出た。 

« 鴨 日記 第 1 二 



泡 鳴 4s 第 十二 卷 一二 ハナ、 

八月 廿 四日。 譯、 二十 九片。 朝 は 雨、 靈 から 晴。 三 井 (甲) 氏より ハガキ 二 枚。 

八月 廿 五日。 譯、 三十 片。 晴。 新潮 社へ 行き 譯料 四十 と雜誌 稿料 五圆 (ニ圈 S 十錢 まだ 不足) を. 

受け取った。 吉野 氏を訪 ひ- それから 上野 を ぶらついた。 薪 潮 社へ C カキ。 

八月 廿 六日。 淸 子の 代錄の 解說 「マク ベ ス」 を亮讃 した。 「ホイト マン 草の 猜抄」 の 原稿 を 盤へ、 その 

序文 (八 片) を 書いた。 晴。 楠 山 氏より 手紙。 岡 氏よ.^ ハ ガキ。 栗 田 氏へ ハガ 午。 けさ、 籠に 這 入った 

峰 王 を 二つと も 出して やつてから 褥 についた が * 午後 その 二 群 を 調べる と、 I 方の は 王 も 無事で あつ 

た。 十 個ば かり 急 仕立ての、 皮の. うすい 王 臺が出 來てゐ て、 蓋 もして あつたが, すべて 取り除いた 

働 蜂 房に も 幼蟲の 大きい のが 多少 兑 えて ゐ るの を!^ ると • さきに 不赶王 だとして 取り殺して しまった 

王 は 既に 多少の 産卵 をして ゐ たのであった らしい 。(まさか、 働 蜂が 雄峰 卵 を 産み出した とも まだ 思へ 

ないから。) 現に、 働 蜂 卵 を 王 峰蟲に 改造しても ゐ たの だから。 然し 今 1 つの 群に は、 放った 王が 兒ぇ 

ない あす、 よく 再調査 をす るつ もリ。 いんぎんと ジャガ f 于とを 取り除いた 古畑 を 耕して、 こやし 

をして 置いた 

八月 廿七 曰。 譯* 三片。 晴。 柴 S (俊) 氏よ リハ ガキ。 新 曰 本より 稿料 十四 圓也。 夜、 淸子 と共に 神. 

田の 古本屋 を ひやかして、 四 五 撒 買った。 

八月 廿 八日。 ちょ ッと 雨。 本 問 氏より ス ガキ。 窪 田 (通) 氏よ .OS 手紙。 文明 論 を 一 - 



八月 廿 九日。 夜より 大雨、 風も隨 分あった 福 岡 書店へ ハ ガキ。 文明 論を—— 

八月 卅日。 晴。 橋 本 氏 來訪。 文明 論 を 11 , 

八月 卅 1 日。 晴。 ふく子 氏を訪 ふ。 文明 論 を 11 

九月 一 日。 暗 文明 論 —— 

九月 二日。 晴。 文明 論なる 「わが 國民 生活と 文明の 基調」 (百 三十 六片) を 書き上げ、 早稻田 文擧社 

へ 持って行った。 途中で 長 田 (秀) 氏に 會ひ、 木 下 (木工) 氏に 紹介され た。 吉野 氏を訪 ふ。 

九月 三日。 窪 田 氏へ 返事。 

九月 四日。 晴。 伊藤 氏を訪 ふ。 栗 田 氏へ ハ ガキ。 岡 村 氏より ハ ガキ。 

九月 五日。 晴。 吉野氏 來訪。 福 岡 書店 を訪ふ (稿料 を 持って 來 ない 爲 め)。 郁子 氏を訪 ふ。 

九月 六日。 晴。 大阪の 薄 氏へ 手紙 (大阪 毎日へ 1® の歷史 小説 1 鳴門 姬」 を 書かせな いかと) 。警醒 

社へ 手 ®o 母、 二三 日 前より 病 5,.^。 早稻 田文舉 社より 稿料 四十 圆。 福 岡 書店 主人 來訪 • 「マク ベ ス」 解 

說の 稿料 二 千 部印稅 二十 圆 並に 「モナ ブナ」 第三 版 印 稅十圓 を 置いて 行った。 瀧 田 氏 來訪、 中央 公論の 

小說 四十 枚 を 引き受けた。 「解剖 擧 *?」 の 校正 をして 博 文 館に S つ た。 

九月 七 nl。 晴。 竹 腿へ 五圆發 送。 小 菅へ韆 母の 病狀を 知らせに 行った ついでに、 ふく子 氏を訪 ふ。 

髙橋 氏來訪 (留守)。 伊藤 (證) 氏 來訪。 

巢鴨 日記 第一 .1 ニハ化 



泡 鳴 仝 集 i が 十二 卷 U 六 八 

九月 八日。 晴。 中 村 (武) 氏來訪 • 小川 氏に 對 する 批評 を聽 いて 行った。 同時に、 文擧 著作 協曾設 ^4、 

の 下世話 を 頼んだ (生 田 長江 氏が 一 向に はかどらせない から)。 鈴 木 (三) 氏より ハガ 午。 同氏 を訪 ふて 

出版 原稿 を 渡す。 先日 給 蜜した 外の 蜂 群に 給 蜜。 現在の 存在 蜂 群 數九個 11 外に 一 つ、 無 王の が ある 

が > たちが 惡く なった ので 合同して やらす に、 その 亡び 行く 樣子を 研究して ゐる。 昨夜より、 -.藝 者 あ 

がり」 を 執筆。 

九月 九日。 晴。 警酲 社より 主人が 留守 だから 今少し 待つ て くれろ と の 返事。 平 嫁 氏の 宅へ 行つ 

が、 お祭りで 野 上 夫婦、 林 (千) 氏 等が 來てゐ た or 藝者 あがり」 を II 

九月 十日。 曇。 深夜から 雨。 十日 會に 行く。 急に 冷やかに なった 0「藝」 11 • 

九月 十 一 日。 雨。 竹 腰より 五圓の 受取。 瀧 田 氏よ リ 《ガキ • 同じく 返事。 小菅 より ハガ キ、 病人の 

模様 を 知らせる。 反響 社より. ハガキ or 藝」 — 

九月 十二 日。 晴。 岩 崎 並に 小 野 二 氏來訪 (劇國 組織の 賛成者になる 件)。 伊籐 (義 )、 堀、 よみうり 三 

氏より ハガキ 。「藝 者 あがり」 (百 四十 片、 計 七十 枚 分。) この 材料 はふく 子 氏 を モデルに した。 

九月 十三 日。 雨。 中央 公論 社へ 原稿 を 持って行き、 七十 圓を 受け取った。 沼 波 氏を訪 ふ、 留守で 細 

& 5 に會 つて 話して 來た 。「臨 川 ブラス 獨創」 (士 一片 y 中央 公論へ 

九月 十 MEao 雨。 



九月 十五 日。 暗。 東京 堂より 校正。 「宗敎 か 反宗敎 か」 (四十 片) • 中外 日報 へ - 

九月 十六 日。 暗。 ふく子 氏を訪 ひ、 賤 機の 女 は」 のと ころ を 習 ふ 。『評 家 数名の 批判」 (十二 片) • よ 

みうり へ 。 新時代 劇協會 より 招待。 

九月 十七 日。 雨。 譽醍 社より 退 事 (出版の 怦 ととな はす )o 新時代 劇 協會の 公演 を 見に 行く。 

九月 卜 八日。 青。 よみ、?? H りハ ガキ、 同じく 返事。 け ふは澤 山の 來容 があった。 淸 子のお ゃぢが 

1 人 客 を つれて 来たし、 位藤 (稠) 氏が 來 たし。 树本 • 辻、 伊藤 夫人が 來 たし。 夜 • 伊籐 氏を訪 ふ。 

九月 十九 日。 晴。 讀寶 記者 加 藤 謙 氏 來訪。 加 膝 (朝) 氏より ハガキ マクべ ス」 梗概 校正す み。 廣文堂 

より 原稿 を 見せて くれろ と 云って 來た。 早稻 田文擧 社の 文藝 講演 會に 於て 日本 文明 論 を 一 時間と 

四十 分ば かり 演說 した。 

九月 一 一十 曰。 r 舊曰 本の 滅亡 レ若 しく は 『近代 生活の 解剖」 と稱 しょうと する 原稿 四百 四十 枚 分 を まと 

めた。 — 晴。 11 原 槁を廣 文 堂へ 持って行く。 歸 りに 平 嫁 女史 を訪 ひ、 婦人 Si 者の 候補に 木 村 政 了 

と 云 ふ 人 を 推薦す る ことにした (東京 日々 の松內 氏の 依 親が あつたので )。 「藝者 あがり」 の 校正 をす 

ます。 

九月 廿 一 日。 暗。 淸 子の、 夂 來訪。 吉野、 島中 1 一氏 共に 來訪。 野 上 氏 來訪、 自由 講座の 一 講演 『婦人 

問題 研究」 を 引き受けた。 

巢鴨日 第 1 エ六リ 



泡 鳴 仝 集 £«ニ卷 11 七 〇 

九月 廿 二日。 夕 かたから 雨 「戰爭 の 內的耍 件」 (八 片)、 時事 新報へ。 譯、 十四 片。 

九お 廿三 曰。 隋。 こないだ 中から 萩の 花 も 喚いて ゐて、 峰 は 花粉 を 運ぶ ことが 盛んだ。 譯、 四十 二 

片。 

九月 サ 四日。 雨。 g: 由 講座より 受持 時間 通知 ® 

九 ガサ 五日。 譯、 三十 五片。 晴。 自由 講座へ 返事。 钍 氏へ ハ ガキ。 廣文 堂へ 問 ひ 合せ。 トマト を 取 

り 去った あとの 畑 を 耕した。 沼 波 氏より ハ ガキ。 自由 講座の 木 村 (幹) 氏 來訪。 

九月 サ 三日。 譯、 三十 片。 晴。 小松菜と 時な し 大根との 種を播 いた。 廣文 堂の 人が 來て、 原稿 を 五 

十 圓で寶 り 切りに して くれろ とのこと であった から * せめて 代價の 一 割 (千 部に 對 する) にせよ と 云つ 

て やった。 主人に 相談して 來 ると 云って 歸 つた。 伊籐 氏と 二回 碁 を圍ん だ。 

九月 廿七 曰。 譯、 十 H 片。 暗。 安藤 (理) 氏 を 伊藤 (證) 氏が 伴って 來訪, 僕の 「半獸 主義」 を 版す る 

とに なった。 また、 宗 敎叢誊 中に 平 田 篤 胤の 外に 今 一 つ キリスト を 引き受けた。 

九月 廿 八日。 譯、 十六 片。 晴。 楠 山 氏 來訪新 日本 新年 號のを 依頼。 i 之 川 氏より 韓 居の 通知。 ふく子 

氏 來訪。 中外 日報より^ 十圓。 

九月 廿 九日。 譯、 二十 七片。 雨。 新潮 社へ ハ ガキ。 梳竹 書院より 芋 紙" それへ 返事。 新潮 社、 瀧 W 

東亞 堂へ ハ ガキ。 



九月 三十日。 譯、 六十 片。 雨。 安藤 氏より ハガ キの爲 め、 伊藤 (證) 氏を訪 ふ。 病人 はまた きの ふか 

ら惡 くな つた。 け ふ は 殆ど 徹夜で 『半獸 主義」 の 訂正 をした。 

十月 一 曰。 晴。 窪 田 氏より 原稿 依賴。 無 王の 一 群 を 一 一三 日 前から、 どうせ 邪魔になる ので、 入り口 

を ふたして 置いたら、 け ふ 見る と、 大抵 死んで ゐ た。 二三 日の 雨つ づきの 爲 めだら う * 1 群に は飢ゑ 

て 死に 倒れる 峰が 門に 十數個 ほどあった ので、 それに 給 蜜 をして やった。 ついでに、 刖に 弱さう & 

1 群へ もやった。 

十月 二日。 譯、 十四 片。 晴。 福 岡 書店から モナ ブナの 印 を 取りに 來た (第 四 版)。 本 間 (久) 氏 來訪、 

先月 演說の 謝金 を三圓 持って 來た。 大 陽から 小說 依頼、 同じく 返事。 伊藤 證信 氏轉 居の 通知。 正宗 

(白) 氏より ハ ガキ。 け ふ、 別な 蜂 群に も 多少 幼蟲を ® み 出して 巢鬥 外に W したの があった ので、 給窗 

した , 

十月 三日。 暗。 中 村 (卷) 並に 島 村 (民) 氏 來訪。 時事より 稿料 ニ圓。 よみう リ より 四圓。 一 蜂 群へ 給 

蜜。 

十月 四日。 晴。 譯, 三十 片。 木 村 (鷹) 氏より ハ ガキ。 木 村 (幹) 氏より 自由 講座の 時間割 通知。 ふく 

子 氏より ハ ガキ。 沼浪氏 來訪。 

十月 五日。 晴。 廣文堂 並に 東 isi 堂へ ハ ガキ。 自由 講座に 行き * 『婦人問題の 批判」 第 一 講を やった。 

梁鴨 日記 第 一 二 七 1 



泡ゥぉ.4^集 第 十二 卷 二 七 ご 

新潮 社から 譯百枚 分 四十 圓。 

十月 六日。 暗。 小 寺 夫婦 來訪。 岩 村, コー井 (甲) 氏より 十日 會の 件ハ ガキ。 加 藤 (朝) 氏へ ハ ガキ。 村 

役場へ 繼母 寄留の 届。 © 

十月 七 曰。 小說 r トンネル 狂」 (四十 一片 y 太陽へ。 晴。 今 井 歌 子 氏 來訪。 H 井、 蒲 原、 長 谷川 三 氏 

へ ハ ガキ。 藤 野 愛子 氏へ 手紙。 東 SS1 堂より 手 go 安藤 氏より ハ ガキ。 日月 社へ C カキ。 ナナの 梗槪を 

||3 き はじめた 

, 十 H 八日 。雨。 日月 社の 靑森氏 來訪、 「神秘と 半獸 主義」 の 稿 を 渡し、 二 千 部印稅 四十 圓 のうち 二十 

五圓を 受け取った。 加籐 (朝) 氏より ハ ガキ。 福 岡 書店より ハ ガキ。 

十月 九日。 暗。 愛子 氏より 手紙。 福 岡 氏へ ハ ガキ。 中央 公論より 臨 川 論四圆 二十 錢。 

十月 十日。 隋。 畑 を 耕した。 よみうり 記者 並に 筑紫氏 东訪。 蒲 原 氏 來訪。 太陽より 十六 圓。 十日 會 

へ 行く。 

十月 十 一 日。 ^^、 雨。 千菌 (鑛) 氏來訪 • 同氏の 紹介で 圖書 株式 會 社へ 出版の 照會。 廣文 堂より は 喪 

り 切り 五十 圓 でなければ と 云って 來た。 平 澤明子 氏 來訪。 藤 野 愛子 氏の 催しに かかる 駕の會 を 見に、 

鶯 谷の いかほへ 行く。 今 井 歌 子 氏 來訪。 

十月 十二 日。 靑。 安藤 (现) 氏へ ハ ガキ。 沼浪 氏よ リハ ガキ。 愛子 氏より 手紙。 蒲 原 氏よ" ハガ キ、. : 



同じく 返赛。 今 井 歌 子 氏 • 坂 田 幹 子讓を 紹介し に 来たる。 鈴 木 郁 翁 氏 初めて 來訪。 I r 三日 前から n ス 

モ ス の 花が 庭の 周圍 並に 隣り の S 地 へ^き 出した。 蜂 はよ くそれ に? 了って る。 

十月 十三 日。 晴。 日月 社へ ハ ガキ。 お ほ 掃除。 原 (德) 氏より ハ ガキ。 蒲 原 氏に 招待され、 野 口.^ と 

三人で 一 夕を談 じた 。「桑 木 博士に 與ふ」 (八 片)、 よみうりへ。 

十月 十四日。 晴。 齋木 仙醉氏 來訪。 大日 本 阔書會 社より ハ ガキ、 同じく 返事。 木 村 (斡) 氏より へガ 

キ Q 亩野氏 來訪。 筑紫氏 を 訪ふノ 山 田 氏へ r カキ (芝の 家の 件)。 

十月 十五 日。 晴。 今 井 歌 子 氏へ ハ ガキ。 安藤 氏へ ハ ガキ。 敬 文 館 へんしう 員大 月 隆仗氏 來訪、 名著 

批評 叢書 中へ 「古神 道 論」、 オイケン、 ベルグ ソン、 ジ HI ムス、 並に 沙翁を き 受けた。 佐 藤 (稠) 氏 

よ り 手紙。 自. E 講座 の 講演に 行く。 沼 波 氏 來訪。 

十月 十六 日。 踏 晝報 社より 手紙。 沼 波 氏よ リハ ガキ。 人 見 氏より 手紙、 中 村 某氏 出版 「_ ま i さ 

養の 思想」 维記 依賴—— 絛件は 百 五十 枚から 1 1 百 枚で、 五十 錢 本の 叢書の 一 、. 印稅八 分、 期日 七 一 3 

十五 日。 承知の 返事 を 出す。 

十月 十七 日。 晴。 一 茶 同好 會の 催しに かかる 戶隱の もみ ぢ 見に 沼 波 氏よ リ さそ はれ、 午前, 上き 

io . 長 野 地方へ 行く はこれ が 初めであった。 妙 義山を 近く み、 淺 間の 煙 を 遠く 望んだ。 午後 四時 

三十 < 分 頃に 長 野 市 着。 ふぢ 屋^店に 入^、 會 主なる 中 村六郞 氏に 紹介 せられた。 同行の、 フ ちに は、 

MmBm 第1. Mi . 



泡 鳴佥集 第 十二 卷 二 七 四 

se 波 氏の 外に、 佐々 醍雪、 齋藤松 州、 平 一 i 百穗、 戶川殘 花 等の 諸氏 もあった。 同夜、 佐々 氏と ra®! 七 

番、 r 、- のうち I 番は あいこで 六番は 勝負 相半ばした 。家へ ハガキ 二 枚。 

十月 十八 日。 曇。 長 野の 人 は、 もう、 あはせ にあ はせ 羽織、 襦拌を 着て ゐた。 宿で は 多くの 座數に 

ブシの 花 を 生けて あった。 その上、 生け方が —— 菊に せよ、 その他に せよ I すべて 横に まがり 出た 

ゃゥ なのば かりだ。 善 光寺の 境內、 大勸 進と 云 ふ 建て 物の 一 部に 陳列した 1 茶の 筆躀 並に 永 井 雲萍の 

繪晝 を觀、 同 建築物 內の 行在所で 茶會に 列した。 庭 は あまり わざとら しく 作って ない のがよ かった。 

本堂で、 同好 會へ 寄附した S 也 念佛を 行なった。 家へ ハ ガキ。 蒲 原 氏へ ハ ガキ。 夕 かたから 雨。 佐々 

氏と 圍碁 七番 勝負な し。 

十月 十九 曰。 晴。 上司、 S 示 愛子、 滋子 • ふく子 等の 諸氏へ ハ ガキ。 汽車で 柏 原へ 行き、 i の 俳 

諧寺、 1 茶の 住して 死んだ 倉、 一茶の 歌った 栗の 樹 およそ 二 丈 五 尺の 太 さの 等 を a てから、 中お 氏の 

本家に 休憩し、 そば 燒き餅 を 喰 ひ、 そこから 馬で 戶隱へ 向った。 荷鞍 は窮窟 なので、 途中 力ら 西洋 鞍 

にかへ させた。 山に 入る と、 至る ところ 紅葉で、 谷 あ ひから 又 谷の 上から、 それが 見える が、 どこと 

云って 一 ケ所 もい いところ がない ので、 高 尾 や 永 源 寺な どに は 及ばない やう だ。 戶隱 神社の 別當 家に 

宿泊。 そば 入りの 打ち 菓子、 晚餐にはまた岩魚ノナラの木!^等を喰った。 東京から ー緖に 行った 空 也 

連 を 呼んで、 これに 念怫 踊り を 繰り返さ しめた。 また 僕 等 も その 行き方 を 習って 見た。 戶隱 村の 名物 



踊りお 宣畏を どり を 村の 人 等に 踊らせ、 僕 等 も 飛び入りした。 中 村 氏の 姉に 當る 尼さん が 善 光寺で も 

世話 をして ゐ たが、 柏 原から も 1 緖に 來てゐ て、 これ も 踊りに 飛び込んだ。 踊り だけで は 僕の 腹が ま 

だ こなれ ない ので、 僕 は r 賤機」 の I 部 を も s; つた。 歌 子、 愛子、 家へ ハ ガキ。 

十月 二十 曰。 雨。 雷の 中 を 反 厨の 方へ 下山。 飯繩 高原 は 遠く 紅葉 を 臨んで 氣 持ちが よかった 僕と 

佐々、 沼 波 兩氏を 先頭と して、 一 行 は あとさき になり、 皆無 事に 長 野へ 達した が、 日本 橋の 是眞 堂の 

おや ぢ だけ は 長 野で 倒れて、 f 緒に 汽車に 乘る こと は出來 なかった。 

二十 一日。 晴。 朝 六 時 上 I。 伊藤 (證) 氏 來訪。 留守中の 訪問者 武 林無薦 氏 (久しず であった 

のに)、 I 幸 > 氏 (高 駕の 紹介で)、 僕の 子供 二 名 等 、「マ ク ベ ス」 製本 來 たる 。 日月 社より 半 I 響 

二 千 部の 印 稅殘金 十五 圓 《ガキ I 七 尾 某" 安藤 (二 枚)、 沼 波、 小 泉、 等の 諸氏より。 

二十 二日。 晴。 畑の 大根 S 引き、 菊へ よしす の 家 根 をした。 羽太 氏より その 著書 生殖 置。 I 

新報 社よ 义 ガキ、 同じく 返事。 墨 株式. 裏の SAIS 最氏 来訪。 松 本 悟朗 氏 來訪。 自由 講座 

並に 人 見 氏 へ 、ノ ガキ。 藝術 座より 招待券。 

二十 三日。 晴。 安藤 氏へ r カキ 七 尾 某、 田邊 後援 會 等へ つ カキ。 敬 文 館 並に 佐々 木 (政治).? り 

《ガ キ。 以上 二 氏へ 返事。 よみうり 記者 來訪。 

二十四日。 晴。 S を 見に 行った ついでに、 淸子 と共に 田 村 氏 を 2。 木 村 £0 氏よ i ガキ。 ^ 



泡^. 58 si 卷 ェ七六 

澤 (臨) 氏より つへ ルグソ ン」。 東亜 堂 主人 來訪。 曰 月 社 並に 高 井 氏 へ ハ ガキ。 

二十 五日。 暗。 中 村 (六 郞) 氏へ 手紙。 日月 社より ハ ガキ。 福 岡 書店へ ハ ガキ。 「ナナ」 m 來。 . 

二十 六日。 音。 小川 氏より 轉居 通知。 帝劇へ クレオ パト ラを に 行った。 

二十 七日。 奇。 .r 女葡 より ハガ キ。 敬 文 館より ,,Euclsn and Bergson** 伊藤 (義) 氏 來訪。 譯、 十四 



片。 



二十 八 曰。 晴。 圖ま番 社より 使 ひ。 木 村 (斡) 氏より ハ ガキ。 木 村 (斡) 氏 來訪。 勢. K 愛) 氏と 共に 佐 

籐 (稠) 氏 を訪ふ (留守 )o 蜂 群の 小な の を 三つ 1 つに 一 昨日 合同したら、 本日、 王 を 殺して しまった。 

一昨日から 全 群に 給 蜜。 愛子 氏より ハ ガキ。 

十月 二十 九日。 曇。 二 科 展覽會 へ 行く。 電氣 館へ 歐洲戰 役の 活動 窵眞を 見に 行く。 自由 講座の 講義 

をした。 譯、 十八 片。 

十月 三十日。 雨。 西 村 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 

十月 三十 1 日。 譯、 三十 七片。 雨。 ふく 代 氏來訪 (「藝 者 あがり」 が 親戚 中の 問題 を 起した よし )o 木 

村 (幹) 氏 來訪。 高 井、 伊藤 (證) 二 氏より C カキ。 北豊島 郡長より 家屋税 滯納 通知 (これ は芝區 役所 か 

らま わって 來た 物で、 竹 腰が 滞納して ゐ るので ある )o 譯、 八片。 

十一月 一 日。 晴。 「短 4 一 J^- (四 片)、 俳味へ (一茶の こと )o 一 ヶ月 ほど 前から 殆ど 危篤 をつ づけた 繼母 



がけ ふの 午後 九 時 頃 死んだ。 惡 くも あるし 叉 不誠寶 であった 婆ァ さんであった 夜、 十 一 時に 板橋警 

察署へ 行き、 撿死證 を 得て 來た。 看護婦 を 初め 皆 を.一 勞 れてゐ るら しいので 11 寢 かせてから、 譯.. 

二十 一片。 

十 】 月! 一 日。 晴。 村役場へ 行って 死去 届 並に 埋葬 申請の 手繽 きをした。 繼 母の 死 を 熊 谷 (太 郞)、 熊 

谷 (安城)、 杉 本 (鈴 子)、 飯 様 (嘉三 郞)、 並に 鈴 木 (全 眞) 氏へ 通知。 植 竹へ 出版の 相談 書。 落 合へ 死 

人 を 運んで 行って 火葬場に 渡した 歸 りに、 野 口 氏を訪 ひ、 ラン ソムの 「ポ ー」、 ソル レイの 「VI ルレ 

ン」、 ラン ソムの 「ワイルド」 を 借り。 岡 野 (碩) 氏 來訪。 新潮 社より 譯百 枚の 四 拾圓。 

十 一 月 三日。 晴。 自, e 講座より 四圓 五十 錢。 中 村 ( 一 六) 氏より 手紙。 (「惡 魔 主義」 の 督促)。 大月 氏よ 

P 「古神 道」 の 督促。 谷 氏より ハ ガキ。 骨 拾 ひに 落 合に 行き、 それから 蒲 原 氏を訪 ふて ワイルドの 

"Selected l>oems" ヒュネ 力の EgoJBts<h 「最近 獨 逸文 擧の 研究」、 ボ ー の チヨ イス ヲル ク、 スキン パン 

の Poems & Ballads,, ウドべ リ の slnbullne,, 等 を 借りた。 靑山慕 地 へ 行き、 父 並に 母の 墓に 繼 母の 遗. 

骨 を a めた。 それから 川 手 氏を訪 ふと、 平野 氏が 來てゐ たので、 歸 りに 湯 島の クラブで 玉 突 を ニ函, 

り、 內 藤嗚擎 氏の 子なる 人に 會ふ。 木 村 (廳) 氏來訪 (§E 守 )o 

十 一 月 四日。 晴。 福 岡 書店より ハ ガキ。 木 村 (幹) 氏より 十 一 月 自由 講座の 時間割。 大日 本文 舉: 會 よ. 

り監 間、 同じく 答へ。 横 濱の姉 來訪、 一 泊に 付き 活勳 寫厲へ つれて 行った。 

巢鵜 日記 第」 二 七 七 



si 第 十二 ニ七ハ 

十 一 月 五日。 曇、 風。 安 P 氏へ ハ ガキ。 一 i 岡 書店より 拾 11( モナ プナ第 四 版)。 芝- R 役所へ 行く。 長 

谷川 (勝 治) 臺 所の 方から 來訪 • 會ふ 必要 もなかつ たが、 是非に と 頼む ので あげた。 繼母 並に 僕に 對す 

る 仕う ちの 卑劣で あつたの を S つて 聽 かせ、 悔悟の 様子が 見えた により、 渠 並に 僕の 姉 を 許して やつ 

た。 

十一 月 六日。 暗。 竹 腰より r カキ。 同じく 返事 (子 を 二 名と もこ ちらへ 渡すべき こと、 八蟠 町の 家 

は寶 却して 斷然 こちらの 迷惑 を 絡つ こと)。 村^ (五) 氏 並に 天 弦 堂へ 手紙。 佐々 木 (政治) 氏 來訪。 お、 

來訪。 

十 I 月 七日。 晴。 加 藤 (朝)、 小 寺 • 杉 本 諸氏より 吊詞。 早稻 田文擧 社より 大正 三年の 文 藝界總 評 を 

質問して 來た ので、 左の 如く 答へ た 一 I 

r 本年 は 自分の ことに 多忙の 爲め あまり 人の 作 や 評論 を 見る 暇がなかった。 そのうちで 僕が 注意した 

の は、 第 一 に、 一 二 井 甲 之 助 氏の 發表 である、 第二に, 古谷 滎 1 と S ふ 人の 「オイケン 哲擧の 批難」 で 

ある。 同氏 は 曾て 僕の もとへ 「自己の 實 生活の 問題と して 見た る藝 術の 創作の 意義」 と 云 ふ * これ 

も 長大な 論文 を加賀 の金澤 から 送って 來た ことがあ るが、 その 時から なかく 意氣の 盛んな W 年で 

ある ことが 推察 出来た。 願く は、 渠 をして その 考へを 十分に よく 段々 と纆 めさせた いもの だ。」 

中 村 (六 郞) 氏より 手紙。 山 田 (三) より ハガ キ。 . 



自由 講座 臨時 講演 會に 行き、 「發行 停止 發寶 禁止に 就いて」 を 演じた が、 あとで 考へ ると、 安寧 妨害 

の 件 を 治安 妨害と 語った の は 思 ひ 遠 ひであった。 歸 りに 生 田 氏と 共に 安藤 氏 を 日月 社に 訪ふ。 靑島陷 

落の 號 外が 出た。 

十 一 月 八日。 晴。 安藤 氏より ハ ガキ。 中 村 ( 一 ) 氏よ り 手紙。 姉よ り 手紙 (八幡 町の 家と 子供との. 

件)。 圆書會 社より C カキ。 廣文 堂より r カキ、 廣文 堂へ 返事。 滋子氏 来訪。 熊 谷 (トヨ) 氏より 吊詞と 

ニ圓。 

十 一 月 九日。 雨。 小 野 崎 氏より HP 詞と 一 圓。 自由 講座で 講演。 

十一月 十日。 晴。 廣文堂 店員 中 川 氏 來訪、 「近代 生活の 解剖」 原稿、 印稅 として、 二 千 部 六十 圓 の、? 

ち 五十 圆を 置いて 行った。 第三 番目の 千 部から 千 部 i 母に 六十 圓を 出させる ことにした (つまり 最初 一 一 

千 部に 對 して 六十 圓を拂 はせ、 あと は 一 千 部 毎に 六十 圓也) 。敬 文 館の 店員 來訪 (藤 川義雄 氏)。 亞堂 

の 主人 来訪。 前 田 (夕) 氏の 紹介で 中澤 某氏 來訪 (雜誌 まじめの #)。 よみうりの 加 藤氏 來訪。 筑紫 氏來, 

訪。 芝區 役所より 戶籍 謄本。 明治 生命 保險會 社に 行き- 繼 母の 保險料 請求。 村 田 (五郎) 氏へ 手紙 (原 

稿の 交涉を 斷リ、 ^に 婦人問題に 關 する 出版 を 相談)。 十 日 會へ 行く。 横濱の 姉より ハ ガキ、 同じく 返 

事 (竹 腰, の 件)。 

十一 十一 日。 晴。 鈴 木 (昇) より 吊詞。 伊藤 (證) 氏より ハ ガキ。 

紫 鴨 日記 第 1 二せ 九 



泡 鳴 八 If: 集 第 十二 卷 二八 〇 

十 一 月 十二 曰。 晴。 伊藤 (證) 氏へ ハガ キ,。 加 藤 (朝) 氏、 楠 山 (正 雄) 氏へ ハ ガキ。 澤 (飽 治郞) 氏 來訪、 

新ら しい 雜誌を 出す ので 關係 者に なって 5^ れ ろと 云 ふので、 承諾し • 且 * 加 藤 (朝) 氏 並に 吉野 (m) 氏 

を 推 した。 飯 嫁より 吊詞。 

十 一 月 十三 日。 晴。 明治 保險會 社に 行き 、機 母 保險金 百圓を 受け取った、 滋子 氏を訪 ふ。 

十 一 月 十四日。 晴。 澤氏 • 吉野氏 • 加 藤氏 來訪。 上野 葉 子 氏 十^ 訪。 廣文 堂から 校正が 來 初めた。 楠 

"ば より 手^ 

十一月 十五:: 3。 昨夜より 雨。 土 田 杏村と 云 ふ 人より 僕に 與 へる 議論 を 送って 來た。 同氏へ ハ ガキ。 

天 弦 堂より r カキ。 小 林 ( 一 三) 氏へ 手紙 (新雜 誌へ 大阪實 業界の 事 を 毎月 人れ る 件)。 澤 (龜) 氏を訪 

ふ Q 

十 一 月 十六 日。 晴。 ^、 霧が 深かった。 午前 筑紫氏 來訪。 福 岡 書店より ハ ガキ。 

十 I 月 十七 日。 晴。 福 岡へ ハ ガキ。 天 弦 堂の 主人 來訪。 竹 腰の 代理と して 村 上と 云 ふ 婦人 來訪。 

十 一 月 十八 日。 雨。 雜誌 「まじめ, 一の 晟 初の 會議に 臨む。 石 井 (柏) 氏より ハガキ 並 蒲 原 所 の 「ドア 

ズレ」 。押 川 舂浪氏 永眠の 報知、 同じく 悔みの ハ ガキ。 

十 一 月 十九 日。 晴。 原稿 依賴 (若せ: T 伊藤 (證) S 中 (王 )• 田 中 (正)、 木 村, 齋木 • 平缀 * 阿部、 川 

合、 野 田、 蒲 原の 諸氏へ)。 



十 一 月 廿日。 曇 (夕が た 雨 )o 小 称 氏より 返事、 同じく 返事。 田 中 (王) 氏より ハ ガキ。 岡 野 (碩) 氏 * 

訪。 

十 一 月廿 一 日。 暗。 讀賣へ ハ ガキ。 まじめ 會へ ハ ガキ。 土 田 • 天 弦 堂、 自. H 講座 • 田 中 (正: r 敬 文 

館 • 木 村 (魔) • ^藤 (證) • 川 合 (貞 )、 若宮の 諸氏より 手紙 やた カキ。 生 方 氏 來訪。 

十一月 サ 二日。 雨 あり。 木 村 (魔)、 藤 (信)、 天 弦 堂へ ハ ガキ。 よみうりより ハ ガキ。 fK 弦 堂 • 平 

嫁 (明)、 i. 村 田 (五) 氏より ハ ガキ。 核 竹より 手紙, 同じく 返事 (文明 叢書へ 這 入った 「ぼんち」 は 

無條 件で ない こと 並に 校正 を 見せなかった ことの 抗議 )0 木 村 (鷹) 氏 を 訪ふ。 敬 文 館の 藤 川 氏 来訪。 

十 一 月廿 三日。 曇。 

+ 1 月廿 四日。 曇。 小 野 崎 氏より ハ ガキ。 小 林 ( 一 ) 氏より 手 銑、 同じく 返事。 上野 (葉 子) 氏へ ハガ 

十 一 月廿 五日。 晴。 巴 M の 森 田 氏より ハ ガキ。 雜誌 社の 會議へ 行く。 上野 (葉)、 小 寺 二 氏 を訪 ふ。 

十 ! 月廿 六日。 晴。 新 公論の 小阪氏 來訪、 新年 小說を 引き受けた。 一 二 井 氏より 1^ 事 * 同じく 氏へ 返 

事。 ^氏へ r カキ (ぽんち 畫の件 )o 新 評論の 質問へ 左の 如く {^ 事 I - 

(此ニ 行 原稿に 缺く。 編者) 

巢鴨 日記 第一 ,.u< マ 



泡 嗚^ 集 第 十二 卷 11<ー.1 

天 弦 堂より 手紙、 同じく 返事。 淸子 と共に 伊籐 (證) 氏を訪 ふ。 

十 一 月廿 七日。 晴。 淸 子が 病氣が 直った となると 今度 はまた 兒 の病氣 だ。 

十 一 月せ 八日。 晴。 新潮 社の 中 根 氏 來訪。 よみうりの 加 藤氏 來訪。 加 藤 (朝) 氏より r カキ orsf 

飮む 女」 の 校正 はじまる。 巾 村 (舂) 氏を訪 ふ。 自由 講座より 五圓。 

十 一 月廿 九日。 晴。 加籐 (朝) 氏へ ハガキ 二。 田 中 (王) 氏へ ハ ガキ。 藤 川 氏より ハ ガキ。 淑女 靈 報よ 

の 質問に 答へ。 社の 中澤氏 來訪。 敬 文 館の 藤 川 氏 來訪。 

十 1 月 舟 日。 晴。 ヒ ヤシン ス 並に チュ リップ をお ろした。 自由 講座で 講演。 鈴 木 (三) 氏へ ハ ガキ。 

士 一月 一 曰。 晴。 北 村 (季) 氏 來訪。 鈴 木 (三) 氏より 返事。 

十二月 二日。 晴。 澤、 吉野 • 加 藤, 木 村 (廳) 氏 來訪。 上野 M 子 氏 來訪。 ii 氏を訪 ふ。 木 村 (斡)、 伊 

籐 (證 )、 中 村 (武; r 上司 諸氏より ハ ガキ。 敬 文 館より 手紙。 西 村 (错) 氏よ リハ ガキ。 佐々 木 (政) 氏よ 

hvs. 天 弦 堂 來訪。 小説-. 津田 三藏」 (六十 一 片)。 

十二月 三日。 晴。 日月 社, 松 本 (悟: r 千 葉、 加 藤 (信) 氏よ" ハガキ 叉 は 手紙。 松 本 (悟) 並に 千 葉 氏 

へ r カキ。 「故 押 川 舂浪の 事」 (十 一片 y 「斷片 今 語」 (十二 片 )。 

十二月 四日。 晴。 三 井 氏より 原稿 並に ハガ キ。 野 上 氏より ハ ガキ。 澤 氏よ リハガ キ,。 昨日 來 風邪 Q 

氣 味で 何も 出來 す。 よみうりより 稿料 1 一圓 五十 錢。 ; 



十二月 五日。 晴。 風邪に 付き へんしう 會議を 僕の 家です る 箸のと ころ、 潭 氏から 電報で えんきの 知 

ら せが 來た。 生 方、 野 上 二 氏 來訪。 加 藤 (朝) 氏 來訪。 湳山 > 西 本 二 氏より ハ ガキ。 富山房より 三十 1 

圆 (新年 小說 稿料)。 第三 帝國 へ 原稿。 

十二月 六日。 雨。 小 林 (一) 氏より 原稿 並に 手紙。 敬 文 館より ハ ガキ。 加 藤氏より ハ ガキ。 風邪が 直 

つたので. H 口野 氏を訪 ふ。 留守に H 中 王 堂 氏, 效訪。 ぉ滋 さんへ ハ ガキ。 

十二月 七日。 雨。 伊藤 氏より r カキ。 新 雜誌發 刊が澤 氏の 都合で 延期にな つたので、 止む を 得ない 

人 だけの 稿料 請求 をし に 澤氏を 訪問した。 十日 會 より 通知。 峰 群の 一 つ は饑ゑ 死に かけて ゐ るが、 め 

んど うだから そのまま にして置く。 田 氏、 松 本 氏へ 原稿。 

十二月 八日。 晴。 小 林 (一) 氏へ 手 鋭。 手 もとへ 來た 諸氏の 原稿 を 返す 。(上野、 三 井、 木 村 )o 西 村 氏: 

より r カキ。 鴻の池 銀行へ 行った ついでに • 吉 野 氏を訪 ふ。 

十二月 九日。 晴。 加 藤氏より ハ ガキ。 1^ 本 (悟) 氏 來訪。 野 上 氏 を訪ふ (留守 )o 敬 文 館へ ハ ガキ。 

十二月 十日。 晴。 生 方 氏へ ハ ガキ。 よみうりより 新年 原稿 依賴。 岡 野 氏より 塞 菊と 手紙と を 届けて 

來た。 巾澤、 高木 二 氏 來訪。 「近代 生活の 解剖」 校正す み。 十 曰會へ 行く。 

十 1 1 月 十 一 曰。 晴。 けさの 徹夜で 「古神 道 大義」 を 完了。 敬 文 館から 籐川 氏が 取りに 來て、 初版 一 一千 

部印稅 五十 圓を 十五 日拂 小切手で 受け取った。 この 書 は 二 千 部 以上 は 印稅七 分と 宛め た 0. 大信田 (落〕、 

薬 鴨 日記 第. 一 二八 一 11 



泡 鳴 l^i! 集 十二 卷 二八 四 

氏より r カキ。 生 方 氏より r カキ。 小 林 (一) 氏より 手紙。 澤* 並に 廣文 堂へ ハ ガキ。 加 藤 (朝) 氏 を 敬 

文 館へ 紹介。 

十二月 十二 曰。 晴。 新潮 社から 縮刷 出版す る爲 めに 「耽溺」 の 訂正 をした。 新 公論より ハ ガキ。 

十二月 十三 日。 晴。 楠 山 氏へ ハ ガキ。 石山 賢吉 氏より 手紙 ぁリ、 小 林 氏の 原稿 を その 方へ まわし 

た。 澤 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 をして 約束 銀行の 日限 を 再び 注意した。 植竹 氏より ハ ガキ、 「ぼん 

ち」 十錢 本に 對 する 僕の 抗議に 就き、 左の 如く 11 

拜很 其、 後 御 不沙: ^仕り 候裡 『ぼんち」 の 件に 付き 御手 紙に 接し 候 參上 解決 をつ ける 箐の鹿 多忙の 爲 

め 延引 失禮 仕り 候 決して 卑怯に 默 つて ゐた譯 では 之な く 候 何れ 近々 小生な り 代理な り參上 御 相談 可 

壮間候 宜敷御 願 申 上 候匆々 

先妻の 子薰 だけが、 け ふから、 こちらの 家族に 這 入った。 r 鄕土藝 術と 描寫 問題」 (十 一片; r よみうり 

ぺ 

十二月 十四日。 晴。 訂正 「耽溺」 を 新潮 社へ 持って行く これ は印稅 一割の 約束で 出す ことにした。 

歸 りに 小川 氏を訪 ひ、 ャ マユ パ ー で晚酌 をして、 神 樂坂を 通って ると、 村 俊 子 氏と 長 W 幹豫 氏と に 

呼び とめられ、 また 一緒に 川 鐵と云 ふ 鳥屋へ あがり、 途中あった 瀧 氏 も 共に なった。 その あとで、 

俊 や 氏と 共に 楠 山 氏を訪 ふ。 , 



十 n 月 十五 日。 晴。 生 田 (弘) 氏より ハ ガキ。 

十二月 十六 日。 晴。 吉野氏 來訪。 「古神 道 大義」 の 校正が 來 初めた。 鈴 木 (三) 氏へ ハ ガキ。 

十二月 十七 曰。 晴。 小說iょ..^玉江へ」(八十五片)。小林(一)、 高 橋 (久) 二 氏へ 手紙 。天 弦 堂來訪 • 

今月 中に 五十 圓 持って 來る 約束 を させた。 生 方 氏 來訪。 鈴 木 (三) 氏より 使 ひで 「毒 藥」 前篇 印税 二 千 部 

代 三十 圆を 届けて 來 た。 岡 野 氏 を 訪ふ。 薰が來 て 以來、 淸子は 親切に してやつ てるが、 I 方に また 民 

法 を 頻りに 調べ 出 した。 

十 一 一月 十八 日。 暗。 澤氏 來訪。 士 口野 氏 來訪。 

十二月 十九 日。 隋。 寶業之 世界 社より 增 版の 賛否 を 問 ひに よこした ので、 不贊 成と 答へ て やった。 

岡 野、 吉野、 安藤 三 氏より ハ ガキ。 散歩の ついでに 敬 文 館を訪 ふ。 け ふから 『惡魔 主義の 思想」 に 取り 

かかった。 淸子を 代理と して 新潮 社から 「耽溺」 の印稅 のうちから 四十 圓だ けさき 受け取り をした。 

十二 in 廿日。 暗。 澤 氏へ ハ ガキ。 核 竹の 代理と して 鈴 木 (悅) 氏の ハ ガキ、 同じく 返事 (選集 四月 出 

版の 件)。 

十 1 1 ぉ廿 一 日。 暗。 木 村 (廳 y 生 方、 中澤, 岡 野 氏より ハ ガキ。 岡 野、 木 村 一 一氏 へ 、讽 事。 東亞 堂 主 

人來; iJT 僕の 「自然 論」 の 最初 二十 枚 分ば かり を 粉 失した 詫び を 述べた。 • 

十二月 廿 二日。 昨 1^ から 初雪 • 午前 十 一 時に 起きたら、 もラ、 然し、 消えて ゐた。 正宗 氏より ハガ 

幾 鴨 日記 第 1 二八 五 



泡 鳴 仝 a 第 十二 卷 八 六 

キ (旅からで ある )0,辻 氏 來訪。 

十二月せ 三日。 晴。 加 藤 (朝) 氏へ r カキ。 : 

十二月 廿四 曰。 晴。 高 橋 (五)、 廣文堂 二 氏よ リハ ガキ。 春陽 堂より 手統。 敬 文 館を訪 ふ。 

十二月 廿 五日。 晴。 澤氏 來訪、 十圆を 持って 來た。 その他に 加 藤氏 並に 方 氏への 稿料 も 僅少 だが 

持って 來 たので、 それで 無事に 別れた。 その あとへ 二 氏が 來 たので、 それ を 渡した。 天 弦 堂の 代现來 

訪、 金は廿 八日に して くれろ とのこと 黧 のから だが さめ 肌の やうに なって るの を發兑 したので、 醫 

者へ つれて 行く と、 あぶら 氣が少 いからで あるとの ことであった 多少 まづぃ 物ば かり 喰って ゐ たの 

だら う。 筑紫氏 を 訪ふ。 淸 子が 何だかぐ づく云 ふ 風が 見えて 來た 11 こちら は、 もう、 どうで もい 

いの だ 子供 もどう でもい いの だ 

十二月 サ六 曰。 雨。 楠 山 氏より 「津田 三藏」 の 原稿 を 返して 來 た。 その 理由 はいよ く 新 日本 發 行の 

場合に なって 內務省 秘書官から 國交 上さし つかへ あるから との 注意が あった さう だ 木 村 (麿)、 楠 山 

二 氏へ ハガキ 。滋野 氏 來訪、 「大日 本」 へ 書いた 來 一 二月 號の 小說が 都合 惡 いので 別な の を 書き かへ てく 

れ ろとの こと 。淸 子と 共に 小さん 獨演 會を聽 きに 行った。 小さん を聽 くの は 初めて だが、 思 ふに、 い 

や 味がない 話し 振り は 自然 的の やう だが、 どの 話 もどの 話 も 同じ 癖が 出る ところ、, あんまり ェ 虱が 固 

定 過ぎる。 - 



十二月 二十 七日。 晴。 岡 野 氏よ リ ハガキ 。籐野 愛子 氏を訪 ふ、 留守 吉野 氏を訪 ふ、 留守。 鈴 木 一 

(三) 氏から 印税の 1: 並に 出版 届 を 取 リに來 た。 一 

十二月 廿 八日。 晴。 土 田 氏より ハ ガキ。 天 弦 堂より 五十 圓 (但し、 「惡魔 主義」 の 初版 千 部印稅 四十 圓ー 

と 再版の 一 部と しての 十圓) 。野 口 並に 蒲 原 二 氏 を訪ふ (書物 を 借りに )o 一 

十二月 廿 九日。 晴。 よみうり 社を訪 ふ。 上司 氏に 會 つたが、 あのあった 男が 癥の爲 めに す ッと瘦 4d 一 

とけた のが: H に 立った。 伊藤 (證) 氏へ 稿料 を 持って行って、 御馳定 になった。 愛子 氏より 手紙。 よみ 一 

うりから 五 圓のカ ヮセ。 

十二月 卅日。 暗。 薰 をして 廣文 堂へ 殘金 十圓を 取りに 行かせた。 岡 野 氏より 大日 本社の 犒料 五十 圓ー 

を 持って 來 た。 『古神 道 大義」 の 校正 を 終 はる。 生 田 氏へ ハガ 午。 先日 來 • 犬 「小 佾」 がお となし くな つ 一 

たが、 あの 數日閒 うち を あけて ゐ たの は 野犬のお びき 出しに 會 つたの かも 知れない 歸 つて 來た 日、 一 

襄 木戸の 入り口に 弱く あやまる やうに もたれて、 ひィ くと 小い 聲を 出して ゐ たのが 思 ひ 出される 一 

今夜 は、 あたまが 痛い ので 早く 寢る 11 まだ 午後 十二時 だ。 一 

淸子 はまた 何 か 子供の ことから すねて ゐる。 少しめ ん どうに なつ て 来た。 今 書いて ゐる 「惡魔 主 一 

義」 の 一 要件なる アン パシ ビリテ がさ こそと 思 はれる。 ^ 

十二月 *1 日 。晴。 淸子 と共に 夜 • 暮 の 市中 を ぶらついて 見た。 一 

巢鵜 日記 第 I 二八 セ 一 



泡 鳴. 第 十 11 卷 一】 九ノ 



大正 四 年 

1 月 一 日。 晴。 年始 狀 S たの は I 小 杉 (爲 )、 千葉 (鑛) • 吉味、 中 田 • 鷲 見, 吉岡 (哲 )• 藝、 一 

藤 野、 掘 (l^y 奧村 (正)、 原 (德) • 櫻 根 (孝) • 長 谷川 (勝、 長 山、 大月、 廣文 堂. 藤 川、 敬 文 館 • 平 

木 • I $. I 野 口, 川路、 |§、 岡 村 書店 • 川 手、 春 I、 大住 > 西村舊 堂。 

出した の は- 置、 I S. 中 田、 嘉 t i. 爨、 0. I. 原 • 小 杉、 鷲 I 氏へ。 秦 

一月 二日。 暗。 來欲—— 東 18、 高須、 |( 全)、 池 田 • 古, 中央 公論 • 植 竹, 小 林 (克 )、 福." 

書店 • I. 小 林 鈴 木 (昇)、 s、 北山、 伊藤 (義) • 石 丸 I 氏。 出狀— 小 林 s、 I 

池 田、 第 (全) の駕 へ。 § 叢訪。 中 村 (春) 氏囊。 淸 子の 父、 ■。 「毒 藥を飮 む 女」 の 製本 出 

來 

一月 一二 日。 暗。 雍狀 I 阖、 山 本 air/ |(悟)* 田 村 (俊)* 荒木 (滋) • 中 野 (初) • 伊藤 S 



氏。 出狀 —— 山 本 (三: r 岡 1 1 氏。 伊藤 (證 )• 加 藤 (朝: r 植 竹の 代理 三 氏 來訪。 

I 月 四日。 晴。 長 谷川 (勝) がその 兄 二 名 を つれて 來た" 夜、 ; y 氏 を 訪ふ。 

I 月 五日。 晴。 荒木 滋子 氏を訪 ふ。 

1 月 六日。 晴。 愛子 氏より ハ ガキ。 第三 帝國 より 稿料 三圓。 夜、 反響 社の 會 合へ 行った。 

I 月 七日。 午前から 雪ふリ つづく。 濂谷氏 來訪。 

I 月 八日。 昨日からこの夜ぁけまで雪はふ^っづけだ。 午後、 曇。 佐々 木 (政)、 井上 (正) 氏からの 

年賀 狀 a 

一 月 九日。 晴。 中 村 (武) 氏 來訪。 天 弦 堂、 山 本 喜 市 郞ソ中 村 (六) 氏より ハ ガキ。 

I 月 十日。 晴。 人 見 氏より 端 書 新 日本より 手紙。 藤 原 上司 氏より 手紙と 新 原稿。 十お 會へ 行く。 

】 月 十 I 日。 晴。 1K 弦 堂より ハ ガキ。 敬 文 館より 「古神 道」 の 二 千 五百部の 印 を 取りに 來た (その 5 

ち 五百部の 印稅 はま だ 受け取らぬ 0) 

1 月 十二 日。 晴 on^^ 魔 主義の 思想と 文藝」 (凡そ 百 九十 五 枚 分) を 書き終った < - 

I 月 十三 日。 晴。 北 村 (季) よ. =s つ 力 キ。 巴 里の 正宗 氏より 手紙。 r 魔の 妻」 (單行 短篇 小 說六百 枚) を 

まとめて • 植竹 書院へ 持って行った。 小 松 氏 を訪ふ o( 郁子 氏の 友人と 云 ふ 森 田 美 枝 子 氏に 出會 つたと 

とろ、 俊の 國の小 擧敎師 であった 人の子の.! 君であった。) 武林 氏來訪 (留守) 大倉 (喜 八郞) 氏へ 《ガ午 

巢鴨 HSS 第二 二. P J 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 . こゴ二 

と 反響 新年 號 (渠 へ の 忠告 を讀 ませる 爲め) 

I 月 十四日。 暗。 荒木 滋千 氏來訪 (松原 至 文 氏 を 敬 文 館へ 紹介の 件 )。 同氏を案^^して、 小 野 秃雄氏 

並に 三 ケ島葭 子 氏へ 行く。 

1 月 十五 日。 晴。 敬 文 館へ 手紙 (松原 氏 紐 介の 件。) 鈴 木 (全) 氏へ 「ぼんち」 一冊。 土 田 氏へ、 子供り 

中學 のこと 聽き 合せ。 佐 藤 並に 中 村 氏 を訪ふ (共に 留守)。 

1 月 十六 日。 暗。 岡 野 氏、 新潮 社、 天 弦 堂へ ハ ガキ、 淸子 並に 薰を つれて 上野へ 出た ついでに、 田 

中 (王)、 千 葉 (鑛) • 並に 山 本 (露) 氏 を訪ふ (後 二者 は 留守)。 小川 (未) • 並に 岡 野 氏より ハ ガキ。 

1 月 十七 日。 晴。 敬 文 館より ハ ガキ。 土 E 氏より 返事、 平 嫁 氏へ ハ ガキ。 「斷片 語」 (九 片), よみう 

え。 

1 月 十八 日。 譯、 十片。 暗。 岡 野、 夭 弦 堂 1 1 氏より ハ ガキ。 野 口 氏よ リ 英文 「ジャ パー ースボ エト 

リレ 。ク 近代 生活の 解剖」 S 來、 十 部 を 届けて 來た。 佐 藤 (稠) 氏へ 廣文 堂の 中 川 氏 を 紹介。 横濱の 姉よ リ 

書物 を 返し 來 たる。 

一 月 十九 日。 譯、 二十 七片。 晴。 新潮 社の 佐 藤氏、 平 稼 氏より ハ ガキ。 田 中 (王) 氏へ ハ ガキ。 

一月 廿日。 譯、 四十 六片。 暗。 中 村 (春) 氏 來訪。 岡 野、 植竹ニ 氏より ハ ガキ。 近代劇 協會の 連中よ 

りハ ガキ。 僕の 誕生日 だからと て、 淸 子が 田 中 王 堂 氏と 平 嫁 明 子 氏と を 招待した が、 平 嫁 氏の 方 は^ 



なかった。 田 中 氏との 連名で 三十 名ば かりの 人に 談話 會を 通吿 する ことにした — 第一 回 はこの 月の 

末に。 

一月 廿 一 ra 。譯、 十! 片。 晴。 平 塚 氏より ハ ガキ。 土 田 氏よ.^ 返 富 (子供の 中學 に付き )o 淸 子と 共 

に 岡 氏の 新築 を訪 ふ。 「惡魔 主義」 の 校正が 來 初めた。 仙 臺の長 谷川 氏 並に 岡 氏へ 「古神 道」 を 送る。 原 氏 

へ 「ぼんち」。 

1 月廿 1 1 日。 譯、 1 1 十 S 片。 晴。 至誠 堂へ 出版の 相談。 森 (直) 氏 來訪。 先日の 藤 原 氏の 原稿 を 返し 

渡した。 , 

1 月廿 三日。 譯、 三十 四片。 朝、 曇。 愛子 氏が 大築孃 を 伴って 來訪 (近著 一 一種 を與 ふ。) 筑紫 氏を訪 

ふ 

1 月サ 四日。 譯* 十五 片。 昨夜、 so 雨。 加 藤 (朝 )• 酒卷 (貞) 氏より r カキ。 久し振り、 而も 四 五 

年ぶりで 散文詩 「淺 草の 女」 を 作った。 竹 腰が 露 雄 をつ れ來 た。 眞雄 は九歲 だが、 父と S ふ もの を 何 だ 

か 分らない 檨子 だ。 幸 子 を 家屋税 管理人に してし まった。 滞納が こちらへ 來て 面倒 だから。 

I 月廿 五日。 晴。 沼 波、 岡 野 二 氏よ ぉハ ガキ。 人 見 氏を訪 ひ、 僕の 散文詩 集 を 金 風 社から 出す こと 

にした。 岡 野 氏を訪 ふ。 詩? 1^ を 集めて 「戀 のし やり かう ベ」 と 名 づけた。 

1 月廿 六日。 晴。 田 中 (王) 氏へ ハ ガキ。 加籐 (朝) 氏へ ハ ガキ。 平 嫁 明 子 氏 ま.; 訪 に付き、 田 中 氏を電 

巢鵜 日記 第二 二 九 一 ュ . 



泡 鳴 第 十二 卷 n 九 四 

報で 呼んだ。 

一 月廿 七日。 譯* 二十 片。 暗。 田 中 (王) 氏 來訪、 (三十 曰の 會 合の 件に 付いて)。 千 葉 (鑛) 氏より 乎 

0O 小 野 崎 氏より ハ ガキ。 譯、 十八 片。 

1 月卄 八日。 雨。 殆ど 校正ば かりに。 

1 月廿 九日。 晴。 吉野, 德田 (秋 聲) 氏を訪 ふ。 德田 氏と 共に 生 田 長江 (留守)、 武林 (留守)、 並に 生 

方 氏を訪 ふ。 蜂 群に 給 蜜した (あまり 時なら ゃ暧 いので 蜂が 出る から。) 

1 月卅 日。 晴。 E 中 王 堂と 共に 僕の 連名で 三十 餘 名に 對 して 出した ハガキ で 十七 八 名 神 田の 多賀羅 

亭に 集った。 その 席で 會の名 は 火曜日 會 とし、 毎月 第一 火曜に 集る やうに きめた (但し 來月は 十五 日 

のこと 0) 

二月 卅 1 日。 雨。 甥の 小 野 崎が 士官 學 校から 遊びに 來た。 若宮 氏 を訪ふ (古神 道 論 を 森 村翁に 讀ま 

せる 爲め 0) 

二月 一 曰。 晴。 鈴 木 (三) 氏より 手紙。 「悪魔主義. 1 の 初校 終る。 天 弦 堂より > 使 ひ、 (ボ ドレ ルとボ ー と 

の 小傳の 件) 「毒 藥を飮 む 女」 下篇の 校正 初 まる。 吉江氏 へ 手紙 (子供の 中 擧入擧 の 件) 。敬 文 館 並に 廣 

文 堂へ r カキ。 

1 1 月 一 百。 雨。 田 中 (王) 氏 を訪ふ (火曜 曰會の 怦)。 文藝 通信の 尾 木 氏 來訪。 よみうりより 稿料 參圆。 - 



一 一月 三日。 晴。 中澤 (靜) 氏より ハ ガキ。 天 弦 堂 員來訪 a 一度)。 『稻毛 氏 へ の W 駁」 (一 一片)。 よみう.^ 

二月 四日。 雨。 千 葉 氏より 僕 等 夫婦への 招待 狀が 衆た、 同じく W 席の 返事。 新潮 社より 書 齋に關 す 

る 質問が 來 たので、 左の 如く 答へ て 置いた。 

M は 夜中 を 仕事して とほす 靡 だから、 晝間 でも あまり 明るい と 困^ます。 そして 大きな 窒 よりも 狭 

いの を 望みます。 装飾に は 頓着し ません。 書棚の 代りに ニダ ー ス 入りの ビ ー ル箱を (中 を 二 段に 仕 

切って) 澤山 重ねて それに 書物 を 人れ て 置く のが 一番 便利で も ぁリ、 また 書物の 上下に アキが 少 5 

ので ごみが 這 入ろ こと もない のです が、 それ もこの 頃 はやめて、 すべて 戶 棚の 中へ 入れて しま ひま 

した。 つまり、 書 齋には 壁ゃ戶 棚の 代りに、 奧の あさい 本棚 を取リ つけて 置く の がいいと 思 ひま 

す 

士ロ江 氏より 返事 (子供 の中擧 のこと )o 

r 懶け 者の 日記より」 (七十 七片) を 書き終った、 大日 本への 原稿。 同 を 岡 野 氏へ 郵送した。 

1 監獄の 壁」 並に 「犬の 聲」 と 云 ふ 散文詩 ニ篇を 作った。 そして 先日 金 風 社へ 送った 詩集 「戀 のし や 

りかう ベ.」 中に 加へ しめた 

二月 五日。 雪 もやう。 岡 野 氏よ. ON ハ ガキ。 淡 路會の 通知" 同じく 欠席の 返事。 「毒 藥を飮 む 女」 下篇 

巢鴨 日記 第二 二 九 五 



泡嗚八 t ^十二^ II 九 六 

の 校正 を 了す。 天 弦 堂より. i 魔 主義」 六 百 部の 印 を 取りに 來 た。 瀧 田 氏來訪 * 中央 公論の 三月 並に 四 

月の 小說 引き受け。 

二月 六日。 晴。 至誠 堂より 出版 かけ 合に 對 する 斷り。 中澤 (靜) 氏より ハガキ or 戀の しゃり かう ベ」 の 

校正が 來 初めた。 千 葉 氏の 招待に 行って、 初めて 桑 木 博士に も會 つたが、 その 議論と 同様 相 變らす 分 

らな いこと を 云って ゐる人 だ。 渠は擧 問 を こなす 力がない のみなら す、 世間 を も 知らないで、 大學の 

仲間内での 不平 やら 意氣 込み やら を 云って、 それで 滿 足して ゐ るら しい。 鎮が 思想に 國 K 性がない と 

か, 哲擧に 講壇のと 通俗のと の 別が あると か發 表した ことに 對 して、 僕が 直接に 云 ひ 及んでも、 そッ 

ぼうの こと を 云って それで すんで しまった さ 思って る やう だ。 愚 だ! 

二月 七日。 晴。 ^谷 氏より ハ ガキ。 十日 會 通知。 吉野 (甫) 氏。 生 方 氏 來訪。 新潮 社の 中 根 氏來訪 

(原稿 (小 說) の 催促)。 長 谷川 (勝) 氏より &の 安産 通知。 

二月 八 曰。 晴。 中澤 (靜) 氏へ 《ガ キ。 鈴 木 (三) 氏へ ハ ガキ。 天 弦 堂より i 魔」 の 印、 あと 四百 部分 

を 取りに 來た。 京都の 原 氏 また 移轉 して 來た とて 來訪。 

1 1 月 九日。 曇。 女中 一 名、 親の 病 5^ の爲め ひま を 取った に付き、 口 人屋 を 一 一三 軒 あるきまわった。 

溢子 氏を訪 ふたと ころ、 その 妹の 里が へりの 賑やか さのうち に 飛び込んだ ので、 僕も醉 つて 長唄 や 端 

哏を 歌った。 田 中 (王) 氏より r カキ、 同じく 返事。 吉江 氏より 十日 會の帳 簿 を 送り 來る (氏が 



して 明日 出席 出来ない 爲め )o 

二月 十日。 晴。 1K 弦 堂より 「惡魔 11 」 の 出版 届 を 送って 來 たので、 印 を 押した。 小說 「四十 女」 (六 

十九 片) を 書き上げて 新潮 社へ 持って行った。 その 稿料のう ち 二十 圆を 受け取った。 十日 會へ 行く。 

火曜日 會の 通知。 

二月 十 一 曰。 雨。 村役場へ ハガキ (稅 金の 件)。 中央 公論へ 稿料 値上げ かけ 合 ひ。 岡 野 氏を訪 ふ。 近 藤 

逸 五郎 氏の 死去 記念 號の 通知 を、 「音 樂界」 より。 新潮 社の 村 氏より ハ ガキ。 土曜 新聞の 北山 氏より 

ハガキ 「信より 玉 江へ」 (八十 五片) を 七十 七片に ちぢめて 中央 公論へ。 

二月 十二 日。 晴。 滋子氏 来訪 (敬 文 館から 僕が 引き受けた 透 谷 論 を 松原 氏へ 讓 つて くれろ とのこと 

e、 承知 を與 へた。) 原 (正) 氏 來訪。 天 弦 堂より 「惡魔 主義の 思想と 文藝」 の 製本 十 部 を 持って来た。 

二月 十三 日。 晴。 聖擧 院中擧 校へ 子^の 入擧の 件で 行った。 中央 公論に 行き、 稿料 三十 九圆を 貰つ 

て來 た。 新潮の 中 村 氏 來訪、 先日の 原稿 「四十 女」 がき けんだから 書き かへ て くれろ とのこと。 鈴 木 

(三) 氏より 使 ひ あり、 「棄 藥を飮 む 女」 下 篇の印 千 五百部 を 取りに 來た。 巴 里の 森 田 氏より ハ ガキ。 正 

宗 (白) 氏の 韓 居の 知らせ、 僕の 薔 宅の 近處だ とのこと。 

二月 十四日。 晴。 巴 里の 森 田 並に 正宗へ 手紙。 西 村 氏よりも との 龍 土會の 記事 を 文章 世界に 載せた 

いと 云 ふので、 こちらに ある 筆記 (曾て 僕の 主幹した 「世界 文藝」 に 半分 は 出した 物で、 神 崎 氏に 蒲 原 

鴨 日記 第二 二 九 七 



泡 鳴 令; 集 第 十二 卷 二 九 八 

氏の 談を錄 記せし め、 僕が 氏の 忘れた 事贊を 記入した) を 今 一 度 蒲 原 氏に 送った。 女中の ことで 中澤 

(靜) 氏を訪 ふ。 それから 今 井 歌 子 氏を訪 ふと、 途中で, 活動 寫眞に 行く ところに 出會 ひ- I 緖に牛 込の 

それへ 行く。 つれてた 女中 を歸 したので、 歸 りに は 5;$! つて 行かねば ならぬ ので、 神 樂坂を 下り 切った 

所まで 來た 時、 秋 江, 槠山、 その他の 一名の I 圜が何 か 立ち どまって 話して ゐ るのに 出會っ 

た。 秋 江 氏が 僕の 袖 を 引く ので 何かと 思ったら、 細君に 密告す るぞ との ST た。 かま はない よ、 僕 等の 

問 は 何でもな いの だからと 云って 別れた。 

1 一月 十五 日。 暗。 火曜日 會の 第二 回へ 出席。 藤 川 氏來訪 • 敬 文 館からの 叢書 以外の 一 著書 依 賴を受 

けた。 原 (德) 氏 來訪。 どうも 淸 子との 間に 僕 は 思想 上の、 從 つて 生活 上の 衝突が 避けられない やうに 

考 へる。 昨夜、 詰し 合って 見たところ では、 け ふ、 かの 女が 別に 住む 家 を 探しに 行く と 云 ふので あつ 

たが、 け ふ は 火曜日 會に、 少く とも、 僕 は —— 幹 察と して 11 出席し なければ ならぬ ので • ゐて賛 つ 

た 

二月 十六 日。 暗。 槧鴨 村役場へ 行って、 芝の 家屋税 七圆 九十 七 錢を收 めた。 德田 (秋 聲) 氏へ r 力 

キ。 淸子は 昨夜 來の 件で 父 を 呼びに やった。 田 中 (王) 氏來訪 (火曜日 會の 件)。 後藤 (宙) 氏より 手紙。 

二月 十七 日。 晴。 中澤 (靜) 氏より ハ ガキ。 淸 子の 父が 來 たが、 鎮の顏 を 見る と、 かの-女が 渠を 呼ん 

だ 理由 を 話し 切れぬ とのこと で そのまま にした。 この 問題 は * つまり、 當分預 り だら う。 鈴 木 氏より: 



Hi 藥」 下篇ー 一 千 部の 印稅 三十 圓を 送り 來 たる。 

二月 十八 日。 晴。 歌 子、 秋聲、 若宮 三 氏より ハ ガキ。 原( 德) 氏へ ハガキ 。「毒 藥を飮 む 女」 の 製本 五 

部來 たる。 原稿紙 を 買 ひに 出て、 德田 (秋 聲) 氏 並に 吉野 氏を訪 ふ。 風邪の 氣味 だ。 

二月 十九 日。 敬 文 館へ ハ ガキ。 

起きて 見たら 周圍は 雪であった。 ゆ ふが たにな つて やむ。 

宙外 氏への 短信 (五 片: r 秋 田 時事へ。 若宮 氏へ 「肉靈 4 口 致の 證明」 (九 片) • 土曜 新聞へ。 原 氏より 手, 

紙 (出版業 開始の 件) . 

二月 廿日。 暗。 蒲 原 氏と 野 口 氏と へ 參考窨 を 返しに 行った。 瀧 田 氏より ハ ガキ。 

二月 廿 1 日。 晴。 r 津田 三藏」 を r 昔の 友人」 と 直して 大 陽に 送った (採否 を 問 ひに )o 春陽 堂 主人へ 手 

紙 (出版の かけ 合)。 滋子氏 來訪。 今 井、 荒木 ニ孃へ ハ ガキ。 鈴 木 氏より 『毒 藥を飮 む 女」 上篇 第三 版 五 

百 部の 印税 七圓 五十 錢を 郵送し 來 たる。 同氏へ ハ ガキ。 安成 氏より 馬場 氏 後援の 推薦 狀へ 出 名、 演說、 

並に その 文集 原稿 を かけ 合って 來 たが、 どうも 馬場 氏 自身の 依賴 もな く、 政見の 發表 もない ので、 彌 

次 馬と 同視され る 恐れが あるので、 斷 つて やった。 敬 文 館より ハ ガキ。 火曜日 會の 通知 ハガキ 二百 枚 

二月 廿 二日。 晴。 天 弦 堂へ ハガキ (蒲 原 有 明 氏に 表象 主義の 文藝を 書かせる やうに すすめる 爲め) • 

巢鴨日 SS 第二 二.^ 九 . 



泡 鳴 t4s 第 十二 卷 I1IOO 

新潮 社の 加 藤 (武) 氏來訪 (代表的 論文 集 出版の 件に 就き y 加 藤 (朝) 氏へ ハ ガキ。 

昨 S 午前 三時 頃に 寢に 就いた ところ • 嗜 中に 物が 見える ではない か? 暫くなかった 事 だから、 暫く 

は それ を樂 しんで ゐ たが、 そんな 時に 限って あとで も祌經 がさえ て 眠られない。 とうく 夜が 明けて、 

女中が 起き w した 時まで さめて ゐ た。 が、 ふと 思 ひ 出す と、 前夜よ そで 食事 をした 時 食が すすまな か 

つたので、 めし は 1 杯ば かりで 遠慮した のが、 あとで Ml 腹を來 たして ゐ たの だ。 珍ら しく も 六 時 頃 か 

ら 起きて 顔 を 洗 ひ、 机に 向って るう ちに、 ゃッと 朝め しが 出來 た。 それから 間もなく、 またね むくな 

つて、 午後 I 時 頃まで 寢た 頃お 滋 さんが 來 たのであった。 

筑紫 氏を訪 ひ、 グ ラキシ 一一 ァ 1 极を 分けて 貰った。 

二月 廿 三日。 午後より 雨。 文章 世界より 文士 錄褐 載の 條目を 尋ねて 來た、 同じく 返事。 「金に 添へ 

て 」 (五十 四片) を 書き終 つ た (中央 公論 か 新潮 か の 四月 號 へ 行く 笞)。 

二月 廿 四日。 晴。 西 村 (猪) 氏より ハガキ 。(「三 藏」 を 「昔の 友人」 と 直して 太陽へ 交涉 して 貰った のお 

が、 矢ッ 張り 駄目と して S して 來た )o 齋木 氏よ リハ ガキ 並に その 「ファウスト」 を 送り 來 たる (僕が 紹 

介して 出 來た爲 めに )o 春陽 堂より 手紙 (出版の かけ 合 ひを斷 つて 來 た。) 加 藤 (朝) 氏來訪 (同氏と 共に 瀧 

の 川 • 王子 等 を 散歩し、 歸途、 生 田 長江 氏を訪 ふ。 天 弦 堂より ハ ガキ。 火曜日 會 通知 を 五十二 名に 發 

した。 去廿 一 日に 届けて 来た 印 稅に對 し 「毒 藥を飮 む 女」 上篇 五百部の 印 を 押した。 



二月 廿 五日。 晴。 金 風 社へ ハガキ 。鈴 木 (三) 氏より ハ ガキ。 小 林 氏より 僕の 印鑑 證明を 頼みに 來 

たので これ を 送った。 山 本 喜巿郞 (露滴) 氏よ-. 突然 手紙 あ.^. 杏 雲 堂 病院に ゐ るとの こと だから 直ぐ 

見舞 ひに 行った。 棒 太 日々 並に 力 ラフト 夕刊の 社長と して 兎に角 意 張って るの は 結構 だ。 僕が 脅て 北 

海道で 質入れした 時計 を (受け 出して 置いて くれたので) 六 年ぶりで 受け取った。 この 夏 は 今 1 度 棒 

太へ 來 いとのこ とだ。 

二月 廿 六日。 朝から お ほ 雪。 

二月 4., 七日。 雨。 瀧 田 並に 原 (德) 氏へ ハガ キ。 淡 路會の 幹事より 僕 を 評議員に 推薦した と 云 ふ 通知 

が來 たので • 大した ことで もなから うから 承諾 をす る ハガキ を m した。 野 上 氏より ハガキ 。山 本 (喜) 氏 

を 見舞った。 1- 秘書官」 (五十 四 枚) を 書き あげ。 

二月 廿 八日。 暗 。淸 子の 父へ ハガキ 。「金に 添へ て」 を 新潮 社へ 持って行った (稿料 は 先日の 二十 圆で 

さし 引き 一圓 六十 錢) 。同社より 十五 圓を 飜譯 料と して 前借。 滋子 氏と 會っ たので、 一 緖に秋 江 氏を訪 

ふ。 原 氏 来訪 (留守)。 

三月 一 曰。 晴。 士 口野 氏來訪 * 宮城 縣に 於け る澤 來太郞 氏の 代議士 候補に 對 する 推薦者の 一 人に なつ 

て くれろ とのこと だから 承知して 置いた 11 馬場 孤蝶 氏の 推せん を 僕が 斷 わった の は 氏が まだ 不熱心 

な 態度で あるから. だが、 澤 氏のと は 場合が 違 ふ。 瀧 田 氏よ リハ ガキ。 木 村 (鷹) 氏 を 訪ふ。 薪潮& 力ら 

巢鴨日 as 薛ニ 三 01 



li 第 十二 卷 I11011 

as る 『泡嗚 論文 集」 一 ー百三 十 枚 分 を 編した。 

1 一月 1 一日。 晴。 漉 谷 (愛) 氏より ハ ガキ。 太 ra (正) 氏より 氏の 著書。 生 方 氏 來訪。 尾 木 氏 來訪。 佐 藤 

S. 植竹、 金 風 社 > 敬 文 館" 天 弦 堂へ ハ ガキ。 火曜日 會へ 出席。 山 本 (喜) 氏へ ハ ガキ。 修善 寺の 荒 

井へ ハ ガキ。 

二月 三日。 暗。 鈴术 (三重) 氏へ ハ ガキ。 中央 公論 社へ 行き、 五十 圓を 受け取った o( その 內 わけ は、 

鴿 料が 1 枚 一 圆 二十 錢に 上って 二十 八 枚 分 三十 三圆 六十 錢と將 來に對 する 前借 十六 圓 四十 錢) 愛子 氏 

を訪 ふ。 原 氏 來訪。 金 風 社より ハ ガキ。 

三月 四日。 晴。 太 田 (正 雄) 氏へ 「古神 道」。 有 島 氏へ 「惡魔 主義」 木 村 (廳) 氏よ カキ。 藤 井 (伯) 

氏よ" ハ ガキ。 植 竹より 手 直ちに 植竹 を訪ふ (選集の 件。) 郁子 氏 を訪ふ 新 公論の 池 田 氏、 伊藤 

夫人と 共に 來訪。 

三月 五日。 新潮 社へ 手紙 並に 論文 集 原稿 を 届ける。 

1 二月 六日。 晴。 東京 出 發修善 寺 着 (妻子と 女中と 共に) 瀧 田、 山 本 二 氏へ ハガキ 。家へ ハ ガキ。 松 崎 

(BO 氏が 來て ゐ るの を發 見した。 

111 月 七日。 夕、 雨。 原 • 新潮 二 氏へ ハ ガキ。 

三月 八日 。曇。 生 田 氏へ ハ ガキ。 十日 會 より 通知 • 同じく 欠席の ハ ガキ。 留守宅よ リ 《ガキ 。上司 



正宗 二 氏へ ハ ガキ。 

1 二月 九日。 暗。 無事。 

三月 十日。 暗。 土曜 新聞より 稿料 三 圓、 加 藤 (朝) 氏よ" ハガキ 二。 千 紫 (鑛) 氏よ リ手鋭 第三 帝國 

より ハガ キ、 同じく. 斷.^ の 返事。 植 竹の 鈴 木 氏へ r カキ。 「放浪」 を 訂正して しまったら、 もと 約 四百 

八十 枚 分が 六十 枚 減 縮した。 

1 二月 十 一 曰。 晴。 國木田 收 1 1 氏が 伊東から 來て、 松 崎 氏と 共に 三人で 飮ん だ。 夜收 一 一氏と 碁 を 打 

つた。 家へ ハ ガキ。 愛子 氏へ ハ ガキ。 

1 二月 十二 日。 暗。 上司 氏より ハ ガキ。 同氏へ ハ ガキ。 創造 社から ハ ガキ、 11 返事。 

三月 十三 日。 朝から、 雪。 午後に 積み かけた が • やむ と 直ぐ 消えた。 山 本 (喜) 氏より ハ ガキ。 

三月 十四日。 譯、 四十 S 片。 暗。 午後 ちょっと 雨 愛子 氏より 手紙。 植 竹の 鈴 木 氏より 手紙、 短篇 

集の 原稿 を 無くした とのこと だから • 植 竹に 厨し その 無責任 を 詫びさせる 爲め * 金 五十 圓を耍 求した 

手紙 を 出した o( 十 曰 間の 期 を 限って) 。家より 小包み。 吉岡 氏より ハガキ 、同じく 返事。 譯、 一 一士 一片。 

三月 十五 日。 午前 I 時 頃 雪 は ひひと して 降って ゐた。 夜が あけてから 晴。 山 本 氏から 電報。 吉野氏 

から 手紙。 新 日本から 僕の 岩 野 泡嗚論 を依囑 して 來た 。「僕の 見た 僕」 】 十四 片)。 

1 二月 十六 日。 晴。 昨日の 原稿 を 新 日本に 送る 加 藤 (朝) 氏へ 《ガ キ。 植 竹の 鈴 木 (悅) 氏へ ハ ガキ、 

巢鴨日 Si 第二. 三 OH 



泡 鳴 <s 第 十二 卷 三 〇 四 

先日の 植 竹に 對 する 五十 圆耍求 は 取. =s 消し、 若し 原稿の 紛失が 事寳 なら、 辯 護士に 依頼して す ッと多 

大の辨 惯を爲 さしめ るから との 通知 をした。 山 本 (喜) 氏を大 仁まで 迎 へに 行った。 譯- 八片。 

三月 十七 口。 踏。 松 崎 氏が け ふ出發 した。 

三月 十八. 日。 晴。 松 崎 氏より 手紙。 原 氏より 手紙。 留守宅へ ク ガキ。 譯 * 十二 片。. 

三月 十九 日。 晴。 鈴 木 氏より 手紙、 植竹は 原稿 紛失の 賠償 もす るから、 僕の 歸 京まで 待って くれろ 

とのこと。 國木 m 氏より 手紙、 生し いたけ を 送って くれろ とのこと。 山 本 氏と 共に 開 春 亭で藝 ^を あ 

げた。 譯 • 十九 片。 

三月 廿日 。晴。 梳 竹の 鈴 木 氏へ ハガキ (その 賴み 通り 承知した こと を 通知 )o 淡 路會評 S 員會の 通知 

があった が、 欠席の 通知 を 出した。 夭 民 その他 六 名から 寄せ書き ハガキ 。「惡 魔 主義に 就いて、 口 氏 

へ」 (十片 y 時 i$ 新報へ。 

三月 廿 一 日。 晴。 天 弦 堂より ハ ガキ。 阈木田 氏より ハ ガキ。 新潮 社の 中 村 氏より 評論 原稿 依賴。 金 

風 社へ ハガキ 。「優 强 者の 權 利」 (再び 若宮 氏へ) を 九 片、 土曜 新聞へ。 原 (德) 氏より 手紙。 

三月 廿ニ 曰。 晴。 譯. 二十 六片。 就 褥, 例によって 午前 二 時。 竹 腰より 手紙 • JS 氏から 來た手 鋭の 

意と 同事 件で、 原 氏との 交 涉が斷 絡した こと を 知らせて 來 たが * 僕から 兌れば、 斷絕 しないで 原 氏に 

家屋 を まかせた 方が いい、 どうせ あの 家屋 を 維持して 竹 腰が 下 55 屋を やって 行く ことが 出来な からう 



からと 云 ふ 意 を 妻から 返事させる ことにした (その 意に 從 へば、 今 I 度 原 氏との 交涉を やり直す やう 

に 計って やる と)。 「評論 界の 感傷 家 等」 (十 一片 )• 新潮へ。 夜に 入って 雨。 宅へ 金 を 送れと 云って 

やった。 

1 二月 廿三 日。 午前 一 時 就褥。 午後 七 時 頃から 山 本 氏と 共に 當 地の 寄せに 行った。 

1 二月 廿 四日。 晴。 時事 新報より 稿料 參圓。 家より 電報 ガワ セ。 

三月 廿 五日。 雨。 小 寺 菊 子 氏 並に 新潮より ハ ガキ。 原 • よみうり、 時事 * 小 寺" 家 等へ ハガキ (歸 

京の 通知 )o あとに なって、 薰を 呼んで やる ことにな リ、 その 電報と 力 ヮセと を 逢った。 

三月 廿 六日。 譯 * 十四 片。 就 褥* 午前 二 時。 家より でん 報 • 薰來 ぬよ しなれば、 明日 出發の 辔 。夜、 

雨。 山 本 (喜) 氏より 稿料 拾圓。 

三月 廿 七日。 隋。 修善寺 出發、 江. の 島 一 泊。 

三月 廿 八日。 歸京。 鈴 木 (悅) 氏より ハ ガキ、 梳 竹へ 行って る 原稿が 所在 分った よし。 石橋 思案 氏よ 

り 手紙 • 原稿の 依頼。 新潮の 中 村 氏より 手紙。 小 寺 菊 子 氏より ハ ガキ。 

三月 廿 九日。 晴 。や 庭の ヒ ヤシン ス ゃチュ リブ を 鉢に 移す。 峰 は 一 箱 だけが 活動して、 花粉 を 取つ て 

來る。 中 はま だ 見ない が、 もう、 幼 蟲が出 來てゐ る やう だ 。(その 一 っを巢 門外に 引き出して あった )o 

三月 三十日。 晴。 田 中 (王) 氏よ リハ ガキ。 田 中 • 千 紫、 吉 ST 安藤、 滋子、 歌 子 諸氏 を訪 ふ。 

鴨 日 記 第二 一)一 〇 五 



St ^十二 卷 一】i〇 六 

新潮 社の 中极 氏來訪 (習 守)。 中 根、 田 中二 氏へ r カキ。 

三月 三十 一 日。 晴。 後藤 (宙) 氏へ ハガ キ。 加籐 (朝: r 高 橋 (五)、 正宗、 川 手 諸氏 を訪 ふ。 原 氏來訪 

(se 守) 芝 川 氏より ハ ガキ。 增野 氏より 「キ タン ヂャ リ」 並に 手紙。 

四月 一 日。 1 マン ダラ」 を 評す (十五 片), よみうりへ。 晴。 深 田 氏 並に 原 (正) 氏 來訪。 原 氏に 野 口 氏 

へ の ® 介 を 書いた。 天 弦 堂より r カキ。 夜、 筑紫 氏を訪 ふ。 

四 HI 一日。 譯、 十五 片。 曇。 新 日本より 稿料 八圓。 植 竹より 白 井 氏 來訪。 金 風 社へ ハ ガキ。 

月 三日。 雨。 ; t 經衰 弱の やうな ので 何もせ やに 運動が てら 染 井まで 行き、 野 上 (卯) 氏の 家を訪 

ふ 

四月 四日。 踏。 蜂 は 一 群の 外 皆 死んで ゐた。 殘存の 1 群に は、 然し、 j ワク だけ は 半面に ふたの 出 

來 た幼蟲 があった。 これ をよ く ふやして やる 必要 上 * 給 蜜 をした。 人 見 氏より た ガキ。 滋子 氏より 手 

紙、 同氏 を訪 ひ、 1 緖に梅 坊主の かつ ぼれ を 見に 行った。 僕に は 梅 坊主 は 初めてであった。 

四 H 五 曰。 晴。 坂 元ぐ れん 洞 氏 來訪。 小此木 (忠 七郞) 氏と 中 桐 (確 太郞) 氏と が 一 緖に 來訪、 暫く 話 

してから、 僕 も 1 緖 になって 深 田 氏を訪 ふ。 そこで 小此木 氏に 別れ、 中 桐 氏と 共に 歸る 時、 佐 藤氏に 

會ひ、 同氏の もと へまた 三人で 行った。 植竹 並に 金 風 社より 手紙。 「犬 庭中將 の露國 婦人 談を 請んで」 

(二十 一片)。 



月 六日。 晴。 植竹 並に 金 風 社へ ハ ガキ。 增野 氏へ ハガキ (ク ゴルの 「新月」 に 序文 を 書いても いい 一 

が、 どうせ タゴル を 否定的に 批評す るが、 それでもい いかと 先 づ念を 押して やった。) 第一 火曜日 會へ j 

出席 • その 歸 りに 四 五名と 共に 上野 公園 を ぶらついた。 留守に 加 藤 (朝) 氏 來訪。 愛子 氏へ 電話 を かけ 

た (大月 氏 結婚に 相當の 男子が あるが と 云 ふこと を)。 博 文 館へ 行く。 (西 村 氏より 三圓) ^ 

四月 七日。 雨。 「修 善寺雜 記」 (四 回 分 • 二十 八片 y 棒 太 日日へ。 加 藤 (朝) 氏より 手紙。 十日 會ょ リー 

ハガキ 。時事より 稿料 四圓 五十 錢。 一 

四月 八日。 暗。 蒲 原 氏 來訪。 田 中 (王) 氏 來訪。 鈴 木 (三) 氏より Hi 藥 ! 」 上 篇第四 版 五百部 印 稅七ー 

W 五十 錢。 今日から 薰が 中擧に 行く ことにな つた。 一 

四月 九日。 譯 * 十 一 ニ片。 晴。 石 田 (友) 氏よ リハ ガキ。 梅 坊主 を また 見に 行った。 新潮 社へ た カキ。 一 

四月 十: Ho 譯、 十六 片。 晴。 深 田 (憲) 氏 來訪。 十日 會を 森ケ 崎に 催した ので 出席、 その 宿で 僕が. 5 

舟に 乘 つたので 平 鍵 明 子 氏が 同乘 し、 ちょ ッ とした はづ みで 氏 は 水中に 落ちた。 まことに 氣の 毒な こ 一 

と をした が、 衣 物 を 濡らした だけで 濟ん だ。 一 

四月 十 一 日。 雨。 滋子 氏より 手紙。 福 良 (浩) 氏より ハ ガキ。 . 

四月 十二 日。 譯. 四十 一片。 增野 氏より ハ ガキ。 生 田 氏より ハ ガキ。 新潮 社に 行き • 飜譯の 分 十五 一 

.圓" 但 もこれ は 前借 十五 圓を さし 引かれて だ)、 並に 評論 集の 稿料 半分 二十 五圓、 都合 a 拾 画 を 受け取, 

巢鴨 Bsi 第二 一】一〇 七 • 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 三 〇 八 

つた。 生 方 氏 を 訪ふ。 同氏と 平 嫁 明 子を訪 ふ、 それ-から 武林氏 を: 訪ふ。 氣 分が 惡 くて 何もし なかつ 

た。 

四月 十 一 二日。 全日 を嬝 通した。 敬 文 館へ ハ ガキ。 鈴 木 氏より 「毒藥 を 飲む 女」 の 第 四 版の 印 を 取りに 

來た。 (五百部) 

四月 十四日。 晴。 個 島の 曰 高 氏より ハ ガキ。 大阪の 曰 高 氏へ ハ ガキ。 生 E 氏へ ハ ガキ。 

四月 十五 日 —— 十八 日。 病氣 でろ くく 仕事 をせ す。 その 問に, 佐 藤 (稠) 氏が 家族 を つれて 來訪。 

加 藤氏より ハ ガキ。 敬 文 館から 「古神 道」 五百部 印 稅八圓 七十 五錢。 原稿 を 一 つ 書いて、 時事の 山 梨 氏 

へ 届ける 途中で * 薰が 紛失 させて しまった。 植 竹の 店員 来訪。 「蜜蜂の 詰」 を誉き 初めた。 

四月 十九 日。 雨。 加 藤 (朝) 氏へ ハガ キ。 沼 波 氏 來訪。 深 田 氏 來訪。 

四月 二十日 。「蜜 峰の 話」 (八十 片) を 書き あげた。 晴。 中央 公論 社より この 原稿に 對 して (評論 並みに 

されて) 二十 八圓。 公論 社、 吉野、 日月 社、 原 氏を訪 ふ。 

四月 二十 一 曰。 曇。 山 梨- 中 村 (星) 氏より ハガキ 。「書家 ビア ヅレに 就て」 (再び 野 口 米ニ郞 氏へ) を 

4. 八片。 よみうりへ。 

四月 1 1 士 一日。 曇 • 風。 藝術 座より 招待 欣。 淸子 と共に 平缀 氏の 病氣を 見舞った。 僕 も 加減が 惡ぃ 

ので 何もし ないで 寢 る。 



四月 一 一十三 日。 晴。 天 弦 堂 並に ま宫氏 へハ ガキ。 深 田 氏を訪 ふ。 _ 

四月 二十四日。 晴。 安藤 • 田 中 (王)、 日 高 (傳) 氏より ハ ガキ。 中 (王) 氏 來訪。 「功利主義に 純 全た 丄 

れレ (田 中 王 堂 氏の 所論 を駁 す)、 一 二十 七片を 書き終 はる。 今日から 蒲 原孃を 飜譯の 筆記者に 頼む ことに」 

した (月 十五 圆の手 *i で)。 譯、 八片。 一 

四月 廿 五日。 晴 。安藤 氏 並に 有偷 堂へ 手紙。 譯、 十九 片。 天 弦 堂より ハ ガキ。 安藤 氏よ リ 「日蓮 聖な 

人の 敎 翁」。 新潮 社より 「耽溺」 改版の 校正が 來 初めた。 一 

四月 サ 六日。 暗。 吉野氏 來訪。 藝術 座の 興行 を 帝劇へ 觀に 行った。 譯、 十四 片。 f ュ 

四月 廿 七日。 雨。 博 文 館の 石橋 氏より 手紙。 同氏へ ハガキ 右 丸 氏より 手紙。 植 竹の 白 井 氏よ リハ】 

ガキ。 生 田 氏へ ハガキ 。時事へ 原稿。 譯、 十四 片。 . 一 

四月 廿 八日。 雨。 島 田 (俊 雄) 氏より 返事。 「耽溺」 校正 終 はる。 譯* 十八 片。 弓 をき の ふから 引き if-l 

行って る。 一 

四月 廿 九日。 晴。 俄かに ぁッ たかくって、 八十 度 近くに なった。 若宮、 西 村 • 石橋 氏より ハ ガキ。 一 

西 村 氏へ 返事 (六月 號 の小說 承知)。 生 田 (長) 氏 細君と 共に 來訪。 深 田 氏 • 細君と 共に 來訪。 , 

四月 三十日。 晴。 原 氏よ リハ ガキ。 同氏へ 返事 。石 倉 (翠 葉) 氏より 手紙。 日月 社の 安藤 氏より 手紙 

中央 公論より 論文 原稿が 返って 东 たので、 よみう hN へ 送った。 千 葉 (© 氏 來訪。 「放浪と 斷橋 レの訂 14 一 

巢鴨日 ii 第二 ミ 九 ^ 



li 第 十二 卷 三 1〇 

を, ませた。 

五月 I 日。 夜、 雨。 植 竹へ つ ガキ。 天 弦 堂より ハ ガキ。 よみうりより 稿料 四 園 五十 錢。 松 本 (悟) 氏. 

來訪。 ゆ ふが た、 散歩が てら 筆記^の 蒲 原 房 江 (暫く 原書に 從ふ。 編者) 氏を訪 ふ。 譯* 三十 片。 

五月 一 一日。 雨。 新潮 社より 手紙。 川 手 氏より ハ ガキ。 原 氏 來訪。 筑紫 氏來訪 * 岡 落 :1 氏への 紹介 狀 

を 害いた と 同時に、 蒙古 行きの 周旋 を 頼んで 置いた。 譯、 十 一片。 

五月 三日。 晴。 譯, 晝 間に 十七 片。 夜、 (以下 SS 事な し。 編者) ., 

, 五月 四日。 晴。 新潮 社へ ハ ガキ。 火曜日 會へ 出席。 新 公論より 小說 稿料の 殘金 十圓 也。 譯十 一 片。 

五月 五日。 晴。 巴 里の 森 田 氏より ハ ガキ。 伊藤 證信氏 夫人 並に 大杉榮 氏 來訪。 現代 通報 社と 云 ふと 

ころの 濱田 氏來訪 • 然し 會 はなかった。 譯、 三十 三片。 弓が 大分 まとに 附 くやう になった。 

S 月 六日。 

五月七日。 晴。 新 公論 社へ ハ ガキ。 安藤 氏へ ハ ガキ。 近 重 博士よ.^ r 禪擧眞 髓」。 夜、 深 田 氏を訪 ふ。. 

譯* 十.^^片。 夜、 川 手 氏を訪 ひ、 築地の 光琳へ 行った が、 氏 は 一 種の 政治 圑體を 新進 家の みで 起さう 

と 云 ふので、 贊 成して 篋 いた。 十 I 時 引き上げた。 新潮 社より 譯料 三十 圓と 五月 號 稿料 ニ圆 五十 錢 

と。 植 竹から 「放浪と 斷橋」 の 原稿 を 取りに 來た。 

五月 八日。 曇。 沼 波 氏より 手紙。 新潮 社から 『耽溺」 の 印税の 印 を 押す 印紙 1 1 千 枚 を 送って 來 たの 



で、 それに 擦 印した。 夜、 深 田 氏 來訪。 0. 二十 三片。 「功利主義に 純 全 たれ」 を讀賣 から 取り返した". 

ので 第三 帝國へ 送った。 

五月 九日。 曇。 印 を 押した 印紙 を 新潮 社へ 送った。 同時に、 その 印税 1 千 部の 催促 (他の ! 千 部 は 

旣に 昨年 來に 受け取った。) 大阪 の圑欒 社より 原稿の 催促が 來 たが、 多忙の 故を以 つて ことわった。 文 

章 世界の 「八日の 曰 記」 を 依頼して 來 たのに 答へ を 送った。 沼 波 氏より 手紙 (これで 二度の 手紙 はすべ 

て 僕の 『新 體 詩の 作法」 の 紙型 並に 出版 取り もどしの 件に 關す るが、 修文 館から 沼 波 氏の 方へ もとの 原; 

稿料 だけ 出せば 渡す と 云って 來 たさう だ。 それで は あまり 高 過ぎる。) 第 一 一回 水彩晝 てんらん 會へ 行つ 

て 見た or 四十 女」 を 文章 世界に 送る ので、 禁止の 恐れ あると ころ を 訂正した。 

五月 十日。 曇。 日月 社の 安藤 氏よ リ 手紙。 中央 公論の 瀧 出 氏來訪 • 七月 增刊號 の社會 的小說 1 篇 (四. 

十 枚) を 依賴。 譯、 十五 片。 十日 會に 出席 (その 場で 西 村 氏に 小說 原稿 を 渡した。) 蜂の 箱 を 二階に し 

た 

S 月 十 一 日。 雨。 原 (正) 氏より 轉 居の 通知。 佐籐 (榮 枝) と 云 ふ 人より 手紙 並に 詩稿 (大した 作で も 

ないから 駄目 だと 返事した。) 譯、 三十 三片。 

五月, 十 1 1 日。 曇。 瀧 田 氏 へ ハ ガキ。 芳賀 博士 へ 手紙。 僕 は 近頃 僕の 日本 音律 論 を 文 學士會 に 提出し 

て 博士 を 要求す る 必要が あると 思 ふので、 その 手績 きを 氏に 尋ねた の だ。 博士 を くれる • くれない は 

巢鴨 日記 第二 三 1 1 



泡 鳴 仝 態 第 十二 卷 III 1 二 

向 ふの 會議の 如何によ るが、 こちら は 自分の 創見 を 擧界に 報告して 置けば い いの だ。 都合に よ t*±、 

古神 道 論 を も! 緖に 提出し、 その 註 若しくは 參考 として 「近代 思想と 實 生活」 並に 「近代 生活の 解剖」 

を 添へ ようと も 思 ふ。 時事より. 稿料 五圓 也。 博 文 館より 文章 世界の 稿料 1 1 十八 圓也。 安藤 (現) 氏へ ハ 

ガキ。 譯, 三十 ニ片。 

峰 群に 維 蜂 房が 出来た。 また * 王臺 が出來 たの を 一 つ 見た。 

五月 十三 日。 晴れ 又 曇。 西 村 氏よ リハ ガキ。 小 野 崎より 書物 返却。 譯、 三十 六片。 

五月 十四日。 晴。 西 村 氏より ハ ガキ。 芳賀 博士より 博士論文 提 33 手鑌 きの 返事 來 たる。 譯 * 三十 四. 

片。 

S 月 十五 日。 晴。 新潮 社、 荒木 二 女史 を訪 ふ。 滋子 氏と 三 崎 座へ 行った。 譯* 十六 片。 

五月 十六 曰。 晴。 佐 藤 (榮) 氏より 手紙。 同氏へ 原稿 返却。 新潮 社より 譯料 三十 圓、 「耽溺 ヒ 一千 部の 

殘金 十七 圓。 

左の 答へ を 「創造」 六月 號に對 する 質問の 答へ に 送った、 —— 

小說を 作る ものに 對 する こ とも 必要で しょうが、 小說を 評する ものの 間に この頃の やうに 玉石混淆- 

の あたま を 持って る 人々 が 大分 晃 える こと はどうした ことでしょう? J 例 を あげる と- 水 野 葉 舟 氏 

が 時事 新報に 出した なかく 利いた 風な 四月 小說 評に、 僕の 作に 對 して 云って ると ころで、 「人間味』、 



の 足 不足と 5 こと をま た 別に 說明 しかへ て、 「t」 の 能 不能と 書いた。 こん な雜駁な、 出たら ま 

な 用語 例が どこに t? 墓の こと を やかましく 15 人が 先づ 言葉の 使 ひ f 習って 來 ねばならぬ 

と は 何たる 哀れた 現象 だ! 

第三 帝 國へハ ガキ。 新潮 社へ 「耽溺」 の 出版 届に 印 を 押して 送った。 

五月 十ヒ 日。 晴。 ,$ かへ た。 美 川 氏よ 义 ガキ。 文部省 專 門擧鬵 霞に て文擧 博士 請求. 

書、 墨書、 並に 「曰 本 S の 研究」 を 小包 奮 郵便 を以 つて g た。 田 中 氏 來訪、 僕 I 守であった。 

五月. K 曰。 晴。 0. 二十 四片。 S (俊) 氏より I。 同氏へ ハ ガキ。 1: 太の 山 本 氏から 電報き、 

イソ ギソノ チクッ 力 ヘンと あつたが、 どうも 多忙な ので、 ィケヌ と 返電した。 (棒 太 東西 兩 海岸 を 今一 

賓に 行く 約束が あつたの だが。) a 中 (王) 氏 來訪。 Is ら墨 をす ベて (と 云って 二三 箇) 取 4 つ- 

た —— すべ て い ぃ王臺 らしくな いからで ある。 

五月 十九 日。 晴。 滋子 氏より ハ ガキ。 美 川 氏が 或 新出雜 誌の 爲 めに 話 を 乞 ひに 浓 たが、 斷 つた。 鞸 

J 二十」、 キ 

五月 廿日。 晴。 富 氏 來訪。 雷 氏 來訪、 氏 I 潮 社 S 介した。 譯、 H 十五 片。 家庭 博 蕃を邀 

に 行った。 

K 鳴 日記 ,ニ さ】 S 



泡 鳴 八 集 第 十二 卷 r 手 マ 四 

S 月廿 一 日。 曇。 火曜日 會 有志の 立 川 行き 通知。 加 藤 (朝) 氏 來訪、 野 口 (米) 氏へ 紹介 を窨 いた 譯、. 

I 二十 ニ片。 

S 月廿 1 1 日。 雨 あり。 深 田 氏 來訪。 岡 (落葉) 氏 來訪。 譯. 十四 片。 

五月 廿 三日。 雨。 譯 * 二十 片。 深 田 氏を訪 ふ。 夜、 田 中 (王) 氏 來訪。 氏 は 十二時に 五分 まへまで 語 

つて 歸 つたが、 先 の 如く また 電車がない かも 知れぬ。 

五月せ 四 曰。 晴。 深 田 氏 來訪。 峰 群 を 調べたら, * また 王臺 が出來 たので、 今度 は そのうちの 三つ だ 

け を 取り 殘 して 置いた。 維 蜂が. 十 匹ば かり 出 乘てゐ た。 譯、 十七 片。 - 

五月 廿 五日。 晴。 火曜日 會の 有志 五名と 共に 市 川へ 散策に 行った。 天 弦 堂より ハ ガキ。 

五月 廿 六日。 晴。 天 弦 堂 へ ハ ガキ。 深 田 氏 來訪。 譯、 一 一十三 片。 

S 月廿 七日。 晴。 火曜日 會の 通知。 新潮 社、 火曜 rn 會 * 天 弦 堂へ ハ ガキ。 蒲 原、 野 口 一 一氏 を訪 ふ。 

譯, 二十 W 片。 

五月 廿八 曰。 晴。 西 村 氏より ハ ガキ。 北 村 (季) 氏より 手紙。 よみうりの 加 藤氏 來訪。 譯、 四十 ニ片, 

薪 潮 社より 譯料 三十 圓。 

五月 廿九 曰。 晴。 サン, テ.. ょリハ ガキ。 平 嫁 氏 來訪。 譯、 二十 八片。 

五月 卅日 。晴。 原 氏 並に 伊籐 (證) 夫人 來訪。 山 本 (喜) 氏より ハ ガキ。 北山 氏より ハ ガキ。 譯、 三十! 



コ; 片。 け ふ、 蜂 群 を 調べる と、 一 つの 王臺は 蓋が 出 來てゐ た。 そして 割りに 堅くな つて ゐた そ fa 

に は王臺 のま だ 蓋の 出来ない の を 一つ 殘 して、 あと はすべ て l と 云っても 二つ I を 摘まみ 取つ 

た ひ 

五,, >,5" 一 日。 夜に 入って 雨。 齋木 氏より 手紙。 川 手 氏 を 訪ふ。 寶業之 世界 社の 北山 氏 來訪。 譯* 二 

十八 片。 新潮 社より 譯料 三十 圆。 

六月 一 日。 雨。 新 日本より 手紙。 (質問が あまり 下 だらぬ ので 答せ や )。 生 田 (弘) 氏より 轉 居の 逋 

知。 中 厶 論の 田 中 (王) 氏 r 國民 主義」 を讀 むと、 最初 は 堂々 たる もの だが、 あとの 方 は 丸で 煩悶 解決 

所 だ。 第 一 火曜日 會へ 出席。 

六月 二日 .— 四日。 菅 (省 三) と 云 ふ 人より 弟子に なりたい と 云って 來 たので、 斷 つた。 北山 氏より 

ハ ガキ。 十日 會の 通知。 プル タルクの 譯が 半分 を 終り、 第三 卷に 移った。 譯、 十八 片。 

蜂 を 三日に 見たら- ふた ある 王臺 をつ ぶして あった。 他に 二 一 二の 王臺を 取り 殘 した。 また、 箱の 二 

階 を やめた。 

六月 五日. I 六日。 六日 Q 夜 は 雨。 丁度 その 日、 茄子と きう. りとの 苗を植 ゑつけ た。 新潮の 中 村 F 

より 手紙。 福 田 (參 娘) と 云 ふ 人から 手紙 並に 1 ひげ 男」 。譯、 八片。 

六月 七日。 雨。 中 村 氏へ ハ ガキ。 山 本 (喜) 氏へ 手紙。 加 藤 (朝) 氏より 轉居 通知 。「自由 戀 愛の 意義と 

巢鴨日 3i 第二 H - S 



泡 鳴 仝 集 笫 十二 翁 1: 二 六 

社會關 係」 (三十 一 片 y 女の 世界 へ,。 

六月 八日。 晴。 生 方 氏 來訪。 譯* 十五 片。 

六月 九日。 雨。 深 田 氏 來訪。 譯* 1 一十 九片。 

六月 十日。 晴。 お ほ 掃除。 十日 會へ 出席。 

六月 十一 日。 雨。 西 村 氏より ハ ガキ。 誠訪 氏よ リ 手紙。 譯、 二十 八片。 「安成 氏へ 答へ」 (± 一片), 

神道 論に 就て、 よみうりへ。 

六月 十二 日。 晴。 數訪 氏へ 返事。 西 村 氏へ r カキ。 第三 帝 國の中 村 氏來訪 (小 說を誊 く 件)。 譯* 十 

九片。 

六月 十三 日。 雨。 生 田 (舂)、 奥 二 氏來訪 Q 深 田 氏 來訪。 蜂 群 を 調べたら、、 もとの (殘 した) 王 麈 はす 

ベて なくなって ゐ て.' 別に 新ら しいの が、 まだ 卵が 這 入らないで ゐ た。 

六月 十四日。 暴。 譯、 十九 片。 問 (落) 氏を訪 ふ。 

六月 十五 日。 晴。 生 方 氏より ハ ガキ。 譯* 四十 ニ片。 

六月 十六 日。 晴。 西 村 氏よ. ハ ガキ。 同じく 返事。 阳中 (王) 氏 來訪。 稻毛 氏の SS 介を以 つて 米倉 書 

店の 佐 籐擧氏 來訪、 出版の こと を依賴 せられた。 

六月 十七 日。 晴。 夜、 ちょっと 雨。 米倉 書店の 佐 藤氏 來訪、 僕の 出版 書 は 成るべく 哲 梨 的なる をえ 



ら ぶこと にした。 中央 公論への 「三角 畑」 (脚本 y 八十 四片を 書き 上け た e 菊|^对-^|^にゅ.^ハム譎1^へ M 

ガキ。 一 

六月 十八 日。 晴。 中央 公論より 稿料 五十 圓 四十 錢。 新潮 社より 稿料 延引の 電報。 譯* 八片。 一 

六月 十九 日。 晴。 譯 * 二十 五片。 深 田 氏を訪 ふ。 「毒 藥を飮 む 女」 の モデルよ リ 手紙が 來 たが、 誇 子 

の 反對で 返事せ す。 一 

七月 卄日。 晴。 筑紫 氏が 蒙古 行きの 途中、 奉 tK から ハガキ をよ こした。 箕面 電ょリ ハガキ (自筆 原: 

槁を賀 ひに)。 山 梨 氏 を訪ふ 。「刹那 哲擧の 建設」 (七 百 枚 分) を 集めた。 同書 をお 版す ると S ふ 米倉 寄 店 

へハ ガキ。 一 

七月 廿 一 日。 晴。 筆記者 蒲 原 女史が 病 氣と云 ふので 見舞 ひに 行った。 それから 野 上 氏を訪 ふ。 箕有ー 

電鐵會 社 へ せと 云 ふ 依 賴の爲 め に 「四十 女」 の 原稿 を 送 つた。 ^ 

六月 廿 二日。 晴 。「新 W 葛藤の 時代」 (十三 片: r 文章世3^ルへ。 巴 里の 正宗 氏よ^ ハ ガキ。 稻毛詛 風 氏 一 

を訪ふ (僕の 哲攀窨 の 出版の 件)。 沼 波 氏の 「乳の ぬくみ」 の 中なる 新 免 武藏の 研究 を讀ん だが、 今少し 一 

廣ぃ解 釋が出 來ょラ と 思 ふ。 山 崎 氏の-. 地 拍子 精義」 を逋讀 した。 . 

六月 廿 三日。 晴。 野 上 氏より r カキ。 譯、 二十 九片。 

六月 廿 S 曰。 風雨。 樊有 m 軌 より r カキ。 米倉 書店の 佐 藤氏が ri^ 那哲擧 の 建設」 の印稅 五十 圓 (但ー 

奥 鴨 日 SS ^二 111】 七 一 



泡^ <a ^十二 卷 H 1 八 

し、 定價ー の 本になる と て 1 千 部分の 半分) を 持って 來 たので、 原稿 を 渡した。 譯、 m 十二 片。 

六ほ廿 五日。 雨。 千 葉 氏よ hs ハ ガキ、 同じく 返事。 米倉 書店の 佐 藤氏 來訪。 新 公論の 上野 岩 太郞氏 

來訪。 轟、 十四 片。 蜂 群に は、 まだ ふたされ た 王臺は m 來てゐ なかった。 また、 卵の 這 入った 王臺も 

なかった。 , I 

六月 廿 六日。 晴。 第三 帘國の 中 村 氏 來訪。 譯* 十七 片。 千 葉 氏 邸の 淨曲會 へ 行き、 その 歸 りに m 中 

(王) S を訪 ひ.^ 一 緒に 上野 公圜を ぶらつき、 それから 共に 三枚 橋の ビヤ ホルへ 這 入った。 荒木 滋子氏 

來訪 (SS 守)。 

六月 サ 七日。 晴。 譯、 十四 片。 

六月 廿 八日。 夜、 雨。 時事の 柴田 氏より ハ ガキ。 田 代 倫 氏よ リハ ガキと 1 地上 生活/ 譯、 十七 片 。田 

中 (王) 氏の 甥と 云 ふ 人が 使 ひに 來た。 人 見 氏の 紹介で 或 靄 家が 1 名 來訪。 

六月 廿 九日。 晴。 生 方 氏より ハ ガキ。 譯、 四十 ニ片。 

六月 化 H。 晴。 人 見 氏へ ハ ガキ。 火曜日 會の 通知 を 出す。 新潮 社より 譯料 三十 六圓。 藤 野 愛子 B, 

訪ふ (や 3 守 )o 繁子 氏を訪 ひ、 それから 共に 郁子 氏を訪 ふ。 

七月 一 日。 晴。 箕 面より 尸 ガキ。 愛子 氏より 手紙。 譯、 十九 片。 

七 H 二日。 靑。 W 中 (王) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 愛子 氏へ ハガ キ。 ,训藤 (朝) 氏來訪 • 野 口 氏の 



卵 を 生みつ けて なかった。 一 

七月 三日。 晴。 圖案 社よ.^ ハガキ 。木 村 氏來訪 • 同氏と 共に 深 田 氏を訪 ふ。 譯、 十七 片。 十日 會 の, 

通知 を 出す。 ジー 

七月 四日。 曇 。「刹那 哲學の 建設」 を 校正す み。 米倉 書店 へハ ガキ。 中 村 (春) 氏を訪 ふ。 一 

七月 五日。 雨。 譯、 十二 片。 淸子、 房 江 二 氏と 共に 雲右衞 門を聽 きに 新 富 座に 行く (僕 は渠 を聽ぷ 

の は 最初で 最後で あらう 0) 一 

七月 六 曰。 雨。 米倉 書店の 佐 藤氏へ 釗那 哲擧の M 槁を 渡す。 西 村、 北山、 並に 讀寶へ 稿料の 催促。 i 

,、 十一 二, 4ro に 曜日 會 へ 出席、 印度の 靑年擧 者 50h Bsnoy Kamar Larkar (panbi Office, mohabad Inda) 一 

が 友人 二 名 を つれて やって 來た。 若し 僕の 家へ 尋ねて くれば、 わが 國の 思想 問題 を 詳しく 話して やる 一 

と 云って 置いた。 田 中 (王) 並に 滋子 氏より ハガキ 並に 手紙。 一 

七月 七日。 晴。 竹 腰 來訪" 八幡 町の 家の ことで 淸子を 不動 銀行へ やる。 譯、 三十 一 片。 . 一 

七月 八日。 晴。 上司 氏より ハ ガキ。 女の 世界より 稿料 十 一 圓。 淺草を ぶらつく。 譯、 三十 八片。 中^ 

村 (春) 氏 並に 深 田 氏來訪 (留守)。 一 

七月 九日。 晴。 小川 氏より ハ ガキ。 生 方 氏より ハ ガキ。 散歩が てら 三 木 氏 を訪ふ (留守)。 譯、 二十; 

K 鴨 Rr 記 第二 11 二. 九 



II 第 十二 卷 ミ 

片と 十五 片。 新潮 社へ ハガ キ。 < 

七月 十 0。 a。 稻川 (一 郞) 氏 • 西 村 氏、 生 方 氏より 手紙。 新潮 社より 飜譯、 三十 圓。 十 曰 金へ 出席。 

譯、 十九 片。 稻川 氏へ ハ ガキ。 文章 世界より 八圓 五十 錢。 

七 In: 十 1 日。 雨。 竹 腰が 家の 事で 來訪。 生 方 氏が 1 敏郞 集」 の 校正 を 持って 來て序 を 親む ので、 「生 

方 氏の 爲 めに」 (八 片) を瞽 いた。 これ を 生 方 氏へ 發送。 

〇 裁判所よ リ 八幡 町の 家 を 競 寶に附 する 通キ いが 來た。 

『人生と 表現」 の 催しに 係る 松 本 彥次郞 送別 會に 招かれ、 目が ねの ミカ ド 出張店に 行った。 夜、 過く 雨。 

七月 十二 日。 晴。 竹 腰の 家の 爲 めに 日本 橋の 大和 會社 を訪 ふ。 竹 腰へ ハ ガキ。 吉野 氏を訪 ふ。 氏と 

島中 氏と 僕と で 上野 を ぶらついた。 野 口 (米 1 1 郞) 氏來訪 (切 守)。 

七月 十三 日。 晴。 八十 四 度。 生方15^:ょ.^ハガキ。 譯* 十四 片 or 僕の 古神 道 大義に 就いて W び 安成 氏 

へ」 (二十 四片 y よみうりへ。 

七月 十四日。 晴。 八十 九 度。 岡 (落) 氏 來訪。 ょみぅりへ昨^^の原稿。 譯、 A 片。 け ふ、 綠 群に はま 

だ どの 王臺 にも 卵が 產 みつけて なかった。 

七月 十五 日。 晴。 九十 二 度。 譯、 三十 九片。 

七 fir 十六 日。 虎。 よみうりより 稿料 ニ圓 五十 錢。 竹 腰の 5M 救 濟の爲 めに、 八幡 町へ 行き、 大 石と 云 



ふ. 歸. < の もとで ュ の!:^ 舞と 售 貝した ./ f タ flmiiiN ドぉ. 戶ぉ S 售ハ f く . 》mr>:R; J り S ヌ 

七月 十七 日。 晴。 川 手 氏より ハ ガキ。 野 口 (米) 氏より 手紙 (同氏 英著 邦譯へ の 序文 依 賴)。 淸 子と 共 

に 深 田、 生 田 11 氏 を 訪ふ。 

七月 十八 日。 晴。 (日曜) 鈴 木 (三重 士ロ) 氏を訪 ふ。 その 歸 りに 加籐 (朝) 氏を訪 ふ。 

七月 十九 日。 晴。 よみうりの 加 藤氏 夾訪。 譯、 十二 片。 蜂が 意外に も 分封した ので、 これ を 收容し 

た 時に、 原 群に ふたの 出来た 王 臺が澤 山 あるので、 これ を それ.? 處 分して、 なほ 別に 二 群 を 成 

立 させた。 計 四 群に なった。 . 

七月 廿日。 晴。 川 手より 手紙。 野 只 米 y 續 いて 加 藤!: 朝) 二 氏 來訪。 中 村 (孤) 氏 來訪。 譯、 十七 片。 

七月 廿 I 日。 晴。 小 寺 夫人より ハガキ 。譯、 二十 一 片。 

七月 廿 二日。 晴。 岡 野 氏 來訪。 箕 有電、 加 藤 (朝)、 その他 I 名より ハ ガキ、 八幡 町の 家の ことで 竹 

腰 氏 を訪ふ (僕の 印 を 要しないで、 二番 抵當が 出來る ことにした )o ついでに、 正宗 氏を訪 ひ、 共に 中 

澤 (臨) 氏を訪 ふ。 歸途 停電の 爲め • 滋子 氏の もとに、 夜まで 話 をした。 

七月 廿 三日。 晴。 米倉 書店の 佐 藤氏 來訪。 譯、 二 4. 八片。 もと 龍 土會の 諸氏 十五 名に 來る廿 八日 會 

合する こと をず * 宗, 中澤、 口山、 僕の 名を以 つて 通知 狀を發 した。 

七月 廿四 Ho 晴。 譯、 三十 五片。 

巢鴨 日記 第二 nil 二 • 



泡鳴4^|錄 第 十二 卷 三 ニニ • 

七月 卄 五日。 睛。 「野 口 米ニ郞 氏の 爲 めに」 (二十 ニ片 y 氏の-. 日本 詩歌の 精祌」 邦譯の 序。 時事へ $;迗 

る。 加 藤 (朝) 氏へ ハガ キ。 上司 氏へ ハ ガキ。 新潮 社より ハ ガキ、 共に 三十 圓譯 料。 譯、 四片。 

七月 廿 六日。 晴。 淸 子に 語らう 語らう と 思 ひながら 機 を 逸して ゐ たこと を, 昨夜 語った。 それ は 先 

月來 の出來 事で、 僕と 筆記者 蒲 原英枝 氏との 關係 である。 淸子は 止む を 得ぬ と 思って だら う • 英枚氏 

にあ まり 野心 を 生ぜ させぬ 範 a に 於て、 この 關係を 許して くれる ことにな つた。 

昨日 * 蜂の 一 群に 王が 生れた ので、 他の 王臺の 熟した の を 王 籠に 入れて 置いた ところ、 それ も 昨夜 

生れた の だら う、 而も 籠の ふた を 蜂 どもが 開けた ので 群 中に まじった ものと 見え、 けさ、 一 王 は槧門 

外に ほうり 出されて 死んで ゐた。 多分 * 他の 王と 戰 つて 負けた の だら う。 中 を 調べて 見る と、 他の 王 

の 方もゐ なかった。 で、 今 1 つの 王 籠なる 王臺を 籠の ふた を 明けて 與 へて 置いた。 

夜、 淸子 と共に 小 寺 氏を訪 ふ。 藝術 座よ リハ ガキ。 筑紫 氏が 蒙古より ハガキ をよ こした。 

七月 廿 七日。 晴。 小雨。 加 藤氏より ハ ガキ。 一 の 外の 無 王 群に は 王が 生れた。 譯、 七片。 火曜日 會 

の逋 知を發 す。 

七月 卄 八日。 小雨。 加籐 (朝) 氏へ ハガ キ。 中澤 氏へ ハガ キ。 龍 土會へ 出席。 譯、 二十 片。 

七月 廿 九日。 晴。 田 中 (王) 氏より ハ ガキ。 峰の もと 群が また 分封しょう としたので、 巢 門外に 新 王 

が まごつい てるの を^ ひ 取り、 働 蜂の 分封 的 散亂を ふせいだ。 そして その 王 を 今 ある 1 無 王 群に 入れ 



て 見る と、 見て ゐるラ ちに 逃げ 飛んで しまった。 

七月 三十日。 晴。 人 a 氏より ハ ガキ。 譯* 四十 八片。 

七月 三十 一 日。 晴。 植 竹の. m 井 氏より 來狀。 八幡 町の 家の 爲 めに 實印を 押しに 行った が、 遂に 押す 

だけの 要領 を 得なかった。 譯" 十三 片。 雨 あり。 

八月 一 日。 晴。 十日 會の 通知。 川路、 安藤、 並に 戶川 氏へ 誊信。 譯* 三十 六片。 雨 あり。 

八月 二日。 十分の 雨。 無 王 群に も 王 蜂が 生れた。 新潮 社へ ハガ キ。 有 島武郞 氏より 手紙。 譯、 二十 

七片と 九片。 時事より 稿料 五圓。 

八月 三日。 小雨。 吉野 氏へ ハ ガキ。 竹 腰 氏より 裁判所の 通知 を 送って くれと あつたので 、郵送した。 

火曜日 會へ 出席。 

八月 四日。 雨。 竹 腰、 今 井 (歌: r 原 (正) 氏 來訪。 譯, 十五 片。 新潮 社より 譯料 三十 圓。 翻譯 を暫ら 

く 中止して くれろ と淸 子が 新潮 社から 聽 いて 來 たので、 どう 云 ふ 意味 か 僕 自身で 聽 きに 行った が、 社 

長の 佐 藤氏が 留守であった。 譯は今 第三 卷の五 百 枚で 来たのまで * これまでに、 もう、 凡そ 二 千 七 八 

百 枚 は出來 て、 あとに 第三 卷の 五六 i と 第 四卷千 二三 百 枚と が殘 つてる のお。 

譯が 中止なら 別に 仕事 を 見付ける. 爲 めに、 米倉 書店に 立ち寄った 。「日蓮」 か • 「明治 思想 史」 か、 「最近 

歐米, の 思想家 評論」 か を 問題に して 置いた。 ... 

巢鴨 B 記 5 . 1 一 1 



泡嚙 全^ 第 十二 卷 W 二 四 

八月 五日。 一 . 十一 日。 書信、 山 本 (喜) 氏へ 手紙 往復。 同氏より 稿料 十圓。 米倉 書店より 三十 圓 

(但し 「日蓮」 起稿の 前金)。 いよく 淸 子と 別居す る ことにな り、 巢鴨町 一 〇 七 二に 僕 だけ は韓 居。 

ここで 英枝 氏と 同棲す る ことにな つた。 通知 並に 雨 人間の 契約 は 左の通り 11 

^ 1 . . 扁 圍 一 

今 囘僕等 は 別居す るこビ にな,^、 泡 嗚は轉 居 致し ま 

したが、 淸子 は從前 通りの 住 ひを績 けます。 乃ち、 左 

の 通 bl I , 

府下 巢鴨町 一 七 1 一 (fs 新 鴨終|.. が f I;) 岩 野泡嗚 

府下 I 鴨 村 二 五 一 七 岩野淸 

大正 四 年 八月 十 一 日 



泡 鳴 t*l 集 第 十二 卷 111 二 六 



八月 十 1 日。 晴。 淸 子を訪 ふ (留守) 

八月 十二 日。 晴。 三 井 (甲) 氏へ 返蓽。 早稻 W 文攀 社の 質問へ 返事。 西 村 (港) 氏より 原稿の 依頼。 淸 

子を訪 ふ。 深 田 (憲) 氏へ 棚 受けの 印を賴 みに 行った が、 留守であった。 よみうりより * 今回の 別居の 

件を聽 きに 來た。 

八月 十三 日。 晴。 伊藤 (證) 氏へ ハガ キ。 田 中 (王) 氏よ., リハ ガキ。 淸 子の 宅で B 時事 並に 讀賣の 記者 

に會兒 した (別居の 件)。 

八月 十四日。 晴。 吉岡 * 伊藤 (證) 二 氏より ハ ガキ。 

A 月 十五 日。 晴。 「靑年 自殺の 心理」 (±ー片)* 文章 世界へ。 德田秋 藤氏 を訪 ふ。 加德 (朝) 氏と 途 5- 

で會 つて * カフ ェに這 入った。 

八月 十六 曰。 晴。 中 村 (孤 y よみうりの 加 藤, 佐 藤 (稠 )• 木 村 (斡) 氏 來訪。 山 梨- 原 (德) 二 氏より 

《ガキ 。蒲 原 (有) 氏へ ハ ガキ。 窗 



八月 4- 七日。 晴。 ちょ ッと 雨。 伊藤 (證) 氏へ ハガ キ。 深 田 氏 來訪。 

八 ほ 十八 日。 晴。 先日の 印度人 並に 植 竹より ハ?。 S 巖 來訪。 英枝 S 來訪。 「女の 世界」 の Si 

昔 匕ヾ fjvi7 來 

八月 十九 日。 曇。 I、 吉野 1 一氏 來訪。 北 ssr r 女 S 界」 への 原稿 篇。 筑紫 氏、 蒙古よ, リ. 

歸朝、 來訪。 

八月 廿日。 曇。 大 雷雨。 英 枝の 弟、 1 昨夜 來僕 等と 種々 爭論 並に 相談の 上., 歸 つて 英 枝の 父 を大體 

に 於て 承諾させる やうな 口吻に なって、 午後 新 一 潟へ 歸 つた。 大阪 の奧村 氏より ハ ガキ。 岡 野 氏 を訪ー 

ふ 

八月 廿 一 曰。 曇。 後、 雨。 國民 新聞社へ 本 月 十六 日に 出た 今回の 別居 並に 移轉 記事に 對 する 取り消 

し を 申し込んだ (英 枝との 關係を 姦通と 出した からで、 本人 は 既に 三ケ 年間 前夫の 扶助 を 受けす 自活 

して ゐた上 >. 僕と 同居 前に 離婚の 手繽 きをした ので ある )o 

八月せ 百。 雨。 小說 「かの 女の 遺物」 (四 士ハ片 ), 國民 講壇へ。 石 田 氏 來訪。 朝 曰 新聞へ ハ ガキ。 

八月. H 二日。 雨。 岡 野 氏より 手紙 • 同じく 返事。 國民 新聞 本日 號に 取消 文褐 載され た。 萬 朝 報より 

記者と して 木 村 (斡) 氏が 来たり、 僕の 1 部の 傳 記 じみた 事 を 筆記して 行った。 

八月 廿 四日。 晴。 伊藤 證信 氏、 米倉の 佐 藤氏 來訪。 妹 千惠子 * 中 村 (孤) 氏より. ハ ガキ。 木 村 (斡) 氏 

巢鴨 日記 第三 ま. ニヤ 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 三 一 一 八 

より 手紙。 淸 子を訪 ふ。 加 K (信) 氏來訪 (留守)。 英 枝の 弟 • 霞英 氏へ 手紙。 

八月 廿 五日。 曇。 木 村 (幹) 氏より ハ ガキ。 岡 野 氏より 手 鋭、 同じく 返事。 靈英 氏へ 書物。 「姦通に 

非す ——刖 居の 理由」 (二十 ニ片 y 女の 世界へ。 

八月 廿 六日。 雨。 伊籐 (證) 氏より ハ ガキ、 同じく 艇事。 長 谷川より 電報。 弟 厳來訪 。佐 藤 (稱) 氏 を 

訪ふ。 「刹那 哲擧の 建設」 を 再び 訂正し 初めた。 

八月 廿七 u。 雨。 靈英 氏より 手紙 (これによ ると、 英 枝との 問題 もこれ ッ 切り 無赛に 納まる らしい) 

八月 廿 八日。 晴。 文章 世界より 稿料 四國。 若宮 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 新 日本より 原稿 依頼。 

生 ©、 深 田 二 氏を訪 ふ。 田 中 (王) 氏 來訪。 

八月 廿 九日。 晴。 新潮 社より 手紙。 加 藤 (朝) 氏 を訪ふ (§m 守 )o 

八月 i 日。 晴 。新 日本より 手紙。 東京 日々 へハ ガキ。 中澤- 川 手, 滋子氏 を 訪ふ。 川 手 氏へ は 「戀 Q. 

しゃり かう ベ 」 無 印發行 の 訴訟 を 頼んで 置いた。 

八月 卅 一 日。 晴。 淸 子が 筑紫氏 を 俘って やって 來た (さきの 契約に 僕との Si の 衝突が ある 爲 めに )0 

「井上 博士 外數 氏に 詰問す」 (七 片)、 東京 朝日へ。 

九月 一 日。 晴 。「僕の 談の 訂正」 (七 片) • 第三 帝國 へ。; 1 民 新 M の 記 事に 僕の 名譽 毀損の かどが あった 

のに 對し ,——. さきに 取消 文 を 送った にも 拘らす * 人 ini にっかぬ 擱外 などへ 入れた ので、 それ を も不滿 



足に 思って i 抗議 を 申し込み、 反省が なくば 法廷の 問題に すると 通告した ところ、 部長の 石 川 (六 助〕 

氏から 手紙 あり、 また 記者が 1 名來 たので、 今! 度 取り消し かたがた 記事 を 載せさせる ことにした。 

昨日の 件で 筑紫 氏へ 招かれて ゐ たので、 晚餐に 行った。 中 村 (武) 氏へ ハガキ を 出し、 新潮の 記事が 淸 

子の 名譽 毀損に なること を 知らせて やった。 棒 太の 山 本 氏から 電信 力 ヮセで 二十 圆。 

九 H 二日。 曇、 少し 風。 朝日より 原稿 返る。 新 小 說の田 中 氏より 手紙。 火曜日 會のハ ガキ。 英 枝と- 

共に m 子 氏を訪 ふ。 

九月 三日。 雨。 中 村 (武) 氏より ハ ガキ。 淸 子より 使 ひ。 

九月 四日。 雨。 藝術 座、 春陽 堂 氏より 書信。 高 橋 (五郎) 氏來訪 • 世界語 大擧 設立の 件に 付き 相談が 

あった。 一 t 橋 (久) 氏より ハガキ (借金の 催促)。 淸 子より 手紙。 木 村 (朝) 氏へ ハ ガキ。 

丸" 月 五日。 雨。 高 橋 (久) 氏へ 返事。 1 谷 崎 氏のお 才と巳 之 介」 (十九 片), 新 日本へ。 よみうりより 稿. 

料 五圓。 淸 子へ ハ ガキ。 山 本 (喜) 氏より 手紙 * 同じく 返事。 宫 仲の 家の 家主 伊勢の 代 现大原 辯 議士よ 

り 手紙。 男女と 貞操 問題」 (四十 片)、 新潮へ。 

九月 六日。 曇。 松屋へ 原稿 注文。 筑紫、 淸子ニ 氏より 手紙。 筑紫 氏を訪 ふ。 

九月 七日。 我 • 雨。 大原辯 護 士へハ ガキ。 加 藤 (朝) 氏へ ハガ キ。 薄 井 (秀) 、松屋 • よみうり、 中澤 

十日 會 諸氏より ハ ガキ。 新潮 社の 中 根 氏 來訪。 新潮 稿料 十三 圆。 火曜日 會へ 行く。 中极 氏の 依 賴で, 

巢鴨 日記 第 三 一一 三 九 



n 十二 卷 so 

僂の 近頃 書いた 今回の isf 件に 關 する 記事 並に 論文 を I 冊に する こと を 約 東した。 

九月 八日。 雨。 瀧 田 氏へ ハ ガキ。 加 藤、 石 丸 * 木 村 (修) 氏より ハ ガキ。 「僕の 別居 事 |3{ と 諸家の 論 

議」 (六十 一枚 y 新小說 へ。 朝日の 薄 井 氏 來訪。 

九月 九日。 雨。 加 籐 (朝 y 木 村 (修) 氏へ ハ ガキ。 瀧 田 氏よ リハ ガキ。 英 枝の 子が 返されて 來 たので 

當分 ここ へ 置く ことにした。 

九月 十日。 雨、 後 曇。 淸 子より ハ ガキ。 十日 會 へ 出席。 

九月 十一 日。 曇 雨。 伊藤 (證: r 中澤ニ 氏へ ハ ガキ。 淸 子が 契約 破棄 並に 同居 請求の 訴訟 を 起さう 

として ゐる こと は 昨 ちょっと 十日 會の歸 りに 人から 聽ぃ たこと だが、 それが けさの 時事に 出た とか 

で、 讀寶 並に 萬 朝の 記者が また やって 來た。 新潮 社より 使 ひ。 

九月 十二 日。 曇。 木 村 (幹) 氏より ハ ガキ。 原 (正), 生 田 (長) 氏 來訪。 新潮 社へ 「男女と 負 操 問題」 (二 

百 五十 枚) の單行 原稿 を 持って行き、 1 千 部印稅 前金 五十 圓を 受取った ( 一 部定價五十錢の豫^:ルで)。吉 

野 氏 を訪ふ (その 席で • 世界 公論 主筆の 小山 田武男 氏に 會 つた)。 「伊籐 證信 氏へ 返す」 (十 一 一片)。 卷陽堂 

べハ ガキ。 

九月 十三 日。 晴。 伊籐 (證) 氏より ハ ガキ。 春陽 堂に 行き、 六十 枚 分の 論文 原稿 四十 ニ圓を 受取つ 

た。 川 手 氏 を訪ひ * 今回の 事件の 法律 審件を 相談した。 竹 腰を訪 ひ" 質 三十 五圓を 出す。 伊藤 氏來訪 



(留守)。 

九月 十四 III。 晴。 伊藤 氏 來訪。 滋子氏 來訪。 「樺 太の 思 ひで」 (四十 三 片)、 樺 太 曰々 へ。 

九月 十五 日。 夜、 雨。 棒 太へ 電報。 辯 護 士吉田 市三郞 氏より 內容證 明の 手紙 並に 普通の 手紙 (但し 

淸 子の 契約 破棄の 乎繽き だ)。 僕 はこれ に對 して、 契約 破棄 は 旣に淸 子が その 意 を 直接に 僕に 表した の 

で 完結して ゐ るが、 渠の 手紙 着の 四 五 時間 前に 僕から 淸 子に 對 して 戶主 並に 夫と しての 命令と やがて 

離婚訴訟 を 起す 通知と を やった こと を 告げる ハガキ を 書いた。 

僕が 淸 子に 與 へた * 令 並に 通知 は 左の 如し、 I 

1、 親切 上の 注意 

〇 あの 吉 S の 法律事務所 は あまり 腕の ない 辯護士 五六 名の 圑體 で、 左程 責任 あると ころで ない、 今回 

そッ ちの 事件 を 引き受ける からが 旣に 無責任で * ただ それが 爲 めに 名 を 知られよう としたに 過ぎぬ 

さう だ、 と 云 ふの は 夫婦の 契約 は 一 方の 取消 意志が 見えれば それで すんだ こと だし, 同棲 耍求 は戶 

主の.!^ 體を縳 しで もし 得る 法がなければ やっても 駄目 ださう だ。 

〇 新潮 社の 方へ 無料 辯 護 をしょう と 申し出た べんご 士が ある さう だ、 これ も 名 を 知られよう とする 者 

だら うが、 こ ちら は 勝つ に定 つてて も 結局 は 百圓 位と 諸 新聞 へ の 謝罪 文です むに 過ぎな からう と の 

事,、 もど 代議士で 中央 新聞の 主筆 綠 川の 細君が あんまで 淫寶と サン デ ー に 書かれた その 訴訟 も それ 

巢鴨日 Si 第 111 il l 



泡 鳴^ 集 第 十二 卷 一】 ニニ 二 

. であった。 

〇 民法 八 百 十三 條の 第五 項に より 僕から あなたに 對 する 離婚訴訟が、 もラ, 十分に 成立す, る こと を發 

見した、 (但し この 理由での 勝訟 になれば 離婚 後の 扶助 や 賠償 をす るに 及ばす)。 

j 一、 戶 主として 僕が あなたに 命令す る 件々 (但し 直ぐ 實行 を耍す )o 

契約 は 別居のと 嫡子 變換 のと を 共に 取リ 消す。 

〇 戶 主たる 僕 は あなたと 同居に 堪 へない から、 別に 生活して 貰 ふから、 . ^ぎの 條々. を覽 行す ベ きこ 

と 

〇 僕 も 八 圆の家 貸に ゐ るから 妻た る あなた は 多くても 五圓 位の 家に 住むべき こと。 

〇 女中 を廢 する こと (僕が 別に 世話して 貰 ふので ないなら、 妻 1 人が 妻の こと を處分 すれば いい )o 

〇 二人の 子 を I 所に 置くなら それでもい いが、 すると 子 二 名 並に あなたの 生活 费 並に 摩 校费を 最少 限 

度に 縮める こと、 それには金額は家貸とも三十圆渡す(但し黧を^^ちらへょ^-すなら三十圆から十 

圓を 減す )o 

1 二、 最後の 相談 

第二 節の 命令 はま だ 法律上 だけで でも 妻た る 間の こと だが、 僕 はやが て あなたに 厨して 僕の 戶主並 

に として ら临. "趣 M^、 I. i. 名き 設 wc これ も 成立し ます)、 並に 不從 順の 现 ぬを以 



つて 離婚訴訟 を 起す • これに も 勝ち味 は あるが、 若し 相談 づ くで §1? を 承 するなら それても よ 

to 

以上の 注意 • 命令、 並に 相談に 對 して は あなた は 妻と して それぞれに 挨 服從、 並に 返答 を 要 

します。 

四、 追加 命令 

〇w 印と 印稅の 印と を 返せ (これ は薰に 持って 來 させる がいい、 これ も 命令です)。 

五、 追加 注意 

〇 以上 は 辯 護士に 相談した 上の こと だから、 僕の 云 ふこと に は 法律上の 落ち度 はない、 だから — た 

とへば、 そッ ちの 荷物 を 持って こッ ちへ 來た ところが 駄目 だ、 たと へ 妻と 同居す る 義務 はあって も 

KJ ちらに その 意志が なくなったら 道理 上からで も 離婚 か 別居 か だ。 . 

戶主 並に 夫と して 當分刖 居 を 命令す る、 法廷で 爭ふ つもりなら それまで 扶助 はする から 別居して 

ゐる がいい 

餘事 .1 三十 五圓 と十圓 との 質 を 一 緒に 出す つもりで 行った が、 十 圓のは 別な 家に 在る ので 昨 

夜 は 取って 來 なかった、 現金と 竹 腰の 質 かよ ひとは 僕の 手に 在る から 出すなら 渡します。 以上 

六 枚ぁリ 、: 

雜鴨日 S3 第 111 HHH 



泡 鳴ん A» 十二 卷 一一 ニー 一 四 

九月 十四日 岩の 美 衞 

淸樣 ■ 

r 伊籐 證信 氏へ 返す」 (補 遣) 七片を 書いた〕 1 

九月 十六 日。 雨。 吉 EE 辯護士 へハ ガキ。 澤 (來) 氏より 刷り物。 「刹那 哲學の 建設」 の 書き 換 へと 編成 

仕直し を 終った。 英枝 と共に 上野の 廣 小路まで 出た。 

九月 十七 日。 晴。 米倉 書店へ ハ ガキ。 昇 之 助の 義太夫 を聽 きに 行った。 

九月 十八 日。 晴。 植竹 書店より ハ ガキ。 淸子氏 を訪ふ (留守)。 かの 女 はどう も 先日の 命令に 從 ふつ 

もりが 無 ささう だし、 薰に當 り 方が ひどい やうな ので、 本日 また 手紙 を^し、 薰を 直ぐ こちらへ よこ 

せと 云 ふこと、 以後 扶助料 を 送らぬ と 云 ふこと、 民 雄の 方 はそッ ちから 相談 あり 次第 協定す ると 云 ふ 

こと、 並に 離婚 請求 訴訟 を 起さし めないで 取り 定める つもりなら 多少の 讓歩を するとい ふこと を 云つ 

て やった。 昨日から 「日蓮 評傳」 を 書く 參考書 を讀み 出した。 

九月 十九 曰。 暗。 田邊太 1 老人の 葬式に 列し に靑 山へ 行った。 ついでに、 高 橋 (五) 氏 を訪ふ (留守 > 

北 村. (季) 並に 上司 氏 を 訪ふ。 米倉 書店に 原鵠を 渡す。 淸子、 その 父と 共に 來 たが、 荒れた のでな ぐリ 

倒した。 こんな こと をした のは淸 子に は 初めて のこと であった。 武林氏 夜中に 來訪、 夜明けに 歸っ 

た。 け ふから 薰が こちらに 住む ことにな つた。 



九 一 一 十日。 雨。 田邊 氏より 挨拶 狀。 竹 腰 來訪。 米倉より 「刹那 I— 」 印稅 のうちへ i 不圆 入る。 

九月 一 一十 I 曰。 晴。 生 田、 深 田 一 一氏 を訪 ふ。 また 滋子 氏を訪 ふ。 淸 子の 父が 交 涉に來 た。 (が、 僕の 

意 は 決して ゐ る)。 「男女と 貞操 問題」 の 初槁を 終った。 新 小 說の田 中 氏 來訪、 五十 枚內 外の 小說を 引き 

受けた。 若宮 氏より 轉 居の 通知。 新潮 社の 佐 藤氏より ハ ガキ、 飜譯 がまた 初 まること になった。 竹 腰 

より ハガキ 

九月 1 一士 一日。 晴。 野 上、 滋子、 寵土會 より ハ ガキ。 佐 藤氏、 滋子氏 へ 書信。 龍土會 出席 通知。 新 

小說 への 小說を 書き初めた。 

本日 改印 届 を 完全に すませた、 さきの は淸 子が 握って 渡さない からで ある。 K 印 は 乃ち 左の 如し 

新ら しい 印 稅の印 左の 如し。 




九月 二十 三日。 晴。 淺 草へ 行く。 

九月 二十四日。 晴。 竹 腰が 僕の 横 濱の姉 を つれて 來た 。「日蓮 自叙 傳」 を 讀了。 

九月 二十 五日。 暗。 野 口 氏より 手紙。 新潮の 中 村 氏より ハ ガキ。 淸 子が 僕に 對 する 同居 請求の 訴訟 

B の 通知が 地方裁判所から 届いた。 これに 付き こちらの 用意, 乃ち、 反訴と しての 離婚 承諾 請求の 手 

鴨 紫 日 記 第 111 11111! 五 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 三- 1 六 

鑌を する 爲め、 辯 護 士の川 手 氏 を 訪問した。 同氏と 岡 田 氏と 僕と で演伎 座に 天 一 嬢の 手品 を 見た。 

九月 二十 六日。 暗。 棒 太 日々 の 字 野 氏 來訪。 夜、 龍 土會へ 出席。 午後、 松 坂屋へ 黑曜會 の, 展 會を 

見に 行った 

九月 廿 七日。 晴 。「男女と 貞操 問題」 第二 校正す み。 武林氏 を訪ふ (留守)。 

九月 廿 八日。 晴。 米倉より ハ ガキ、 その 店 H; 佐 藤氏 を 解 傭した と 云 ふ 通知が 來て、 而も 本日 待って 

ゐても 約束の 金が 來な いので • 問 ひ 合せの ハガキ を 書いた (明日 投函 )。 吉野氏 を訪ひ a 上野 あたり ま 

で 散歩した or 雄 辯」 に 出た r 岩 野 泡 鳴を彈 劾す」 を 得て 請んで a たが、 あまりに 下 だらぬ 議論であった 

まヒ、 「婦人 雜誌」 にも 何 か 出て ゐ ると 云 ふので 買って 見たら、 浮 田 博士の 談 として 「岩 野と 云 ふ 人 は 

病人で ある。 性欲 上の 一種の 病人な ので ある。 その 病人が ただ 新ら しい 文 學と云 ふ もの を 知って ゐる 

だけの ことで、 病的の 點 から 云へば」 云 々とあった。 これ は 確かに 名眷キ ソンの 訴 へに 債へ する から 

明日 川 手 氏と 相談して 見る つもり だ 

九月 廿 九日。 雨。 新潮 社よ. 《S1 男女と 貞操」 問題の 印税のう ちへ 三十 圆 受取る。 保全 病院へ 行き、 才 

キシ ヘラの 功 能 を 試験して 來た、 1 個を賈 ふつ もりで 。宇 野 • 並に 火曜日 會ょ hN ハガキ 。川 手 氏へ 明 

日 行く と 電報 を かけた。 

九月 三十日。 朝,、 曇。 川 手 氏を訪 ひ, いよく 浮 田 博士 を訴 へる ことにき めた。 その 費 川 一 二十 四 



圓を薪 潮 社から 前借りし たいと 一; ム つて やった c ^角 K より ハカ キ C Jgls より ハカ キ C 

十月 一 日。 曇。 若宮 氏 來訪。 女の 世界 • 中外 日報、 新 日本へ 稿料 催促。 植 竹へ ハ ガキ。 米倉の 代理 

者 伊藤 三郞氏 来訪 (刹那 哲畢の 件)。 「女 四 人と 男 三人」 (百 1 一片)、 新 小說へ 『浮 田 博士 を 詰問す」 (八 片)。 

十月 二日。 雨。 貞操 問題 印稅 十八 圓 入る (これにて 千 五百部の 印稅 すべて 濟み、 但し そのうちの 百 

部 は 無税に した)。 同じく 新潮 社より 十六 圓 (プル. タルク 譯 料の 前借)。 以上 Q1 1 ロを以 つて 訴訟 用の 費 

用に した。 川 手 氏 を訪ふ (留守)。 新潮 社の 佐 藤氏より 手紙。 中外 日報よ, 稿料 六圆。 

十月 三日。 晴。 新 日本より 稿料 六圓。 米倉より 手紙、 同じく 返事。 新潮 社より ハ ガキ。 植 竹よ ハ 

ガキ。 川 手 氏を訪 ふ。 伊籐 (弘) 氏を訪 ふ。 春陽 堂の 田 中 氏へ ハ ガキ。 國粹 全書 刊行 會へ 購讀を 申し込 

ん だ。 

十月 四日。 晴。 女の 世界より 稿料 七圆 二十 錢。 山 本 (喜) 氏より 手紙。 米倉より ハ ガキ。 新潮 社より 

ハ ガキ。 巖本 氏の そば を逋 つたので、 寄って 見た が 留守、 お宮さん に 逢った。 

十月 五日。 暗。 川 手 氏より 手紙。 同氏へ 訴訟 委任 狀。 火曜 曰會へ 出席。 「男女と 貞操 問題」 の 製本 出 

來 or 浮 田 博士に 詰問す」 (八 片)、 訴訟 手繽 きをす ませてから よみう に 出す つもり。 

十月 六日。 暴。 藤 野 (愛) 並に 岡 a 氏へ 書物。 井上 (哲: r 鹿 子 木 (員信)、 畔柳 (都: r 渡邊 (鐵藏 )、 

四 氏へ 各々 詰問 を發 した こと を 通知した。 称屋 並に 十日 會 より パガ キ。 サ ランポの 活動 寫眞を 帝阈館 

巢鴨 日記 第 三 三 三 七 



泡 鳴, ^一雄 第 十二 卷 ミー 一一^ 

に 見に 行った。 けさ、 寓 朝の 佐 藤 (稠) 氏が 來訪、 內務 省の 或 高等官が 文部省に 來てゐ た 時、 上田 萬 

UL 氏が. 3 きと S ふ 人 は 色の 青ざめた 貧相な 男で も あるかと 思って たら、 或 所 (これ は 千 # ^氏の^ 會で 

だ) で會 つて 見る と 立, 派な 紳士 だと 話して ゐ たので、 その 內務宫 が 佐 藤氏 を 別室に 呼び、 内務, おで は 

岩 野の 人物 を 思 ひ 遠へ てゐ た、 君 (佐 藤氏) も 友人なら 注意して やれ、 この頃 特に 岩 野の 書く 物に 內 

務^ は 注意して ゐ るから と吿 げたと 僕に S つて 聽 かせた。 內務の 分らす 屋 どもが 何 を 云って やが るの 

¥-v. 押さ へ ると ころが あらば 押さ へ て 見ろ。 

十ョヒ JO 雨。 藤 野 (愛) 氏より ハ ガキ。 米倉より 三十 圓 (刹那 哲擧 の印稅 のうち、 これで 計百圓 )0 

十月 八日。 曇。 千 葉 氏より 手紙。 桑原 装 氏より 手紙 (要領 を 得ない から J^l* せす )。 小說 「女 四 人と 男 

ニニ 人」 (百 八 枚 半分) を 完了。 「重婚と 單婚」 (五 片)、 中外 曰 報べ。 「自由 戀 愛の 語義」 (九 片)、 時事へ。 

七月 九日。 晴。 川 手 氏より 浮 田 博士に 對 する 訴訟 文案 を 送って 來た 。川 手 氏を訪 ふ。 春陽 堂に 行き、 

H 女 四 人」 の殘金 四十 九圓 三十 錢を 受け取った。 吉野 氏を訪 ふ。 

卜 月 十日。 青、 夜雨。 米倉 氏へ ハガキ (淸 子の 日記 中に 僕 を 侮辱した ところが あらば 止む を 得す 訴 

へ るから と)。 鈴 木 (15 氏へ ハガ キ。 高 橋 (五) 氏の 紹介で 萩原 (紫電) と 云 ふ 人が 來訪。 十 曰會へ 出席。 

左の 手紙 を英 枝の 姉 並に 弟へ 出した、 — 

十月 十 一 日、 東京 岩 野美衞 



尙枝様 • その他 英 枝さん の 御 親族 様 

其 後 は 全く 御無沙汰 致し て ゐ ました Q 

さて、 僕 等の 事件が 以外に もや かまし くな リ ましたので、 世人の 誤解 や 反 對に對 して 僕 は 自身の 

立ち 場 を 明らかにする 必要が 生じ、 止む を 得す 1 冊の 書物 をまで も 書きました。 あなたがたの 御、, ひ 

配 を 減少させる 爲め讀 んで貰 はう と 思って、 さきに 英 枝さん から 御 一 一人に 問 ひ 合 はせ て 貰った とこ 

ろ 御 返事がない ので そのままに 致しました。 あなたが たは 一 I 尙 枝さん のお 手紙に よると 11 書物 

を 出した のが 却ってい けない やうに 思つ てられる やうです が、 それ は 姑息な 考 へです。 自分の こと 

が I たび 公け の 問題に なった 以上 は * 自分 もこれ を 公け の 問題と して 自立の 對抗 をし なければ 世^ 

から 自己の 生存 を 危うく されます。 まして 僕と して は、 また 英 枝さん として は、 理解 あが 人々 から 

見られ て 決して 耻づ ベ き點 ゃ弱點 がな い の です も の 

今回の 著書-. 男女と 貞操 問題」 に 於ても 書いた 通り、 僕の 今回の^ 居並に 英 枝さん との 同居 は 僕の 

I 龍獨 得の 思想 的 生活、 乃ち 宗敎の 一 端を賨 行した ことにな つて ゐ ます。 それに 對 する 俗人の 反對 

は日蓮に對する鎌倉^^代の俗衆の反對のゃぅなものです。 近頃 日蓮の 評傳を 書く 爲 めに 日 運の 物 を 

讀 んでゐ ますが • 渠は 僕よりも: r 容に 於て 貧弱 だけれ ども 形相に 於て は 僕と 同様に 自力 的に 熱烈で 

ありました。 熱烈な だけに 一 種の 宗敎的 革命 を 行 ひっつ ある もの は 反對を 受ける ことが 多 いのは 僕 

巢鴨日 Si 第 ni き 11 九 



泡 鳴. K 橥 第十ニ^^ -PC 

としても 覺 悟の 上です。 かかる 人に 英 枝さん を 綠 にして 關係 がつな がるお 方々 は先づ 寧ろ さう S ふ 

點に 於て 十分に 僕に 肩を持って 下さっても いいではありません か? それ を * 俗の 駄言 にび くくし 

て I 々消極的な、 姑息 的な 手段 ゃ考へ をお 起しになる の はどうした ことでしょう? 僕 は 主義 上手^ 

を絕 した 純 全 生 I を 主張 もし、 實行 もして ゐる 人間で • これで 以 つて 段々 日本画の^ 界に 於け る r 

心 存在 力 を 作つ て ゐ るので す。 

以下 分り 易く する 爲め、 個條 書きに 致しましょう、 

(1)、 して は淸 子との^ と英 枝さん との 同居と は 別々 な 問題です たまく 同時に 起, 

たに 過ぎぬ。 で、 今回 淸 子の 同居 請求 訴訟 は英 枝さん に は 直接の 關 係が 御座りません。 又、 この 

訴訟 は 法律上 成立し ない わけが あります から • 淸子は 成功 致す 替 はありません。 かの 女が 勝って 

も 負けても 何の 効果 を も かち 得ない のです。 僕 は それに 對 して 反訴と して 侮辱 罪の 證據を 握って 

離婚 請求の 判決 を 求めて あります。 この 方が たと へ 負けた としても、 同居 成立が 出來 ない 限.^, 

^&子はゃがて相當の淚金を得て離籍するにきまってます0 この頃で は、 收入 三^の 契約 はお ふ 力 

ら破禁 され、 且 僕の 命令に 從 はない 狀 態に あるので、 扶助料 を さへ^って ゐ ません。 

f 二; r あなた 方が 僕 等の 爲 めに 世間 を 憚る と 云 ふの は、 幾重に も 間違った 考 へです つまり 

あなた 方 御自身の 不德を 僕 等に かこ つけて 隠さう とする に過ぎない 利己的な 煩悶です よ 第- 



尙 枝さん に はお 話しした 通り、 事實 をよ く 理解せば 僕 等 (僕と 英枝) は 公明正大 であるの だから、 . 

世間で かれこれ 云へば これ を以 つて なぜ 辯 解な り、 擁護な り をして ss^ れ ません? その 正大な 辯 解. 

や 擁護が 直ちに あなた 方の 顔が 立つ 早道です。 第二に、 それだけの 御 熱心が なくば あなた 方の 兄 

弟なる 英 枝さん を 信じない の だから * 兄弟 だけれ ども 信じて ゐ ないから、 あれに 對 して は 責任が- 

ない と 世間に 公然 云つ てれば いいのです。 御 自分 さへ 正直な 德に 於て しッ かりして ゐれ ばです。 

それ を わざく うそ を 云って 英 枝さん を 兄弟で はない とか、 英 枝さん の 今やって る 通り を 事實通 

りに 云 はないで 置かう とか、 何とか かと か 下 だらぬ 世間 體を 胡麻 化して 置かう として 胡麻 化し 切 

れ なくなって 苦しむ やうな こと は あなた 方に 於け る 不正直な 報いです。 殊に、 輻 島の 御兄弟から 

僕 等 Q 爲 めに 御兄弟が 離婚す ると か、 しないと か 云って 來る 如き は、 世間にば かり 媚びく たぶ 

の 劣等な 利己的 手段からの いざこざであって、 眞に 兄弟 を 思って る わけに なって はゐ ない と 思 ひん 

ます。 苟も 一 個の 寺院 を 持って る 程の 人が こん ことで 檀徒 を 憚る やうな 見識な しで は德ゃ 精. 

it に 足りぬ ところが あるので す。 福 島からの 手紙に よれば、 . 新 潟に ゐる英 枝さん の 妹さんが 僕 等 

の爲 めに 不名譽 を 感じて お 嫁に 行けぬ とお 泣きに なった さう です が、 そんな 無 見 5P な こと を 若い 

者と 1 緒に なって 僕 等の 方 へ 傅へ て來 るの は 最もお となげ ない ことではありません か? なぜ そん 

な 無 見識で は 駄目 だと 新 潟の 方へ 敎 へて やる ことに 氣が 付かなかった のでしょう? 如何に 兄弟 ,*^ 

巢鴨 日記 第三 一ュ四1 



SI 第 十二 卷 兰四ニ 

ッて、 旣に I 人前に なった 者 をお のれ 等の 世間 體 ばかり を 考 へる 爲 めに いろんた 尤もらしい ロ資 

をつ けて 左右しょう とする の は あんまり 勝手な 蟲 がよ 過ぎます。 親 5 ごかし もこ こに 至れば 利己 

の爲 めに 過ぎなくなる ではありません か? 第三、 尙 枝さん の 校 S が 若し il 以上の こと をよ く 語 

つて 聽 かせても 分らす に 1! 1ー異 に I 永して 僕 等の 事 怦の爲 めば かりに 擧校 をよ せと 云 ふなら、 僕 は 

當分尙 枝さん を 引き受けても いいです。 校長の 大 村と 1K ふ 人 は 僕 を 淡路洲 本に 國 引けして ゐた蜂 

須賀 侯の 直 家來の 一 人なる 岩 野 直 夫の 息子 美衞と S へば 知つ てるおら うと 思 ひます。 あの人 はも 

と は 有名な 秀才であった が、. 楚 いぼれ てた だ 幕 勿れ 主義の 敎 育法 に 安んじて 來 たものと a えま 

す。 鬼に 角、 尙 枝さん は 心配なら 校長に この 手紙 を 見せて 校長から 講堂に 於て、 何 かの ついでに、 

あなたの 便宜に, なること を S つて 賞へば、 直ぐ 徒の 不信用 (若し 僕 等ば かりの 爲 めに 得た の だ 

とすれば.) は 直ります 0. それ もしないで 辭職 しろと など S ふなら 餘 ほどの 分らす 屋 だから、 俊 は 

主義 上 校長と 戰 つて そんな 分らす 屋の 校長 を敎 育^から 葬っても よし。 ただ 斷 つて E くの は、 尙 

枝さん が 僕 等の 事件 を だしに 使って 他 Q 目的に 利用して 貫って は 困ります。 (たと へば, 他の 事で 

不評判に なった の を 僕 等に かこつけた りする こと は)^ 上の 三 項 をよ く御考 へに なって、 よぐ お 

分りに なったら, 尙 枝さん の ロタ マ クゃ元 丸さん のぼん やりして ゐ ると 云 ふやうた 病狀 (?) が 

. I 果して 僕 等の 爲め ばかりの ことなら 1 - 直ぐ 直る 箸です 。それでも 直らないと 云 ふ 場合に S 



もう、 こちらの せいで はなく • あなた 方の:^ 息婦ゃ 卑しむべき 世 M 心が 然 らしめ るに 過ぎない こ 

と をば 反省なさい まし。 福 島で —— 、うそ か 本統か 知りません が —— 夫婦別れの 問題が 持ち上がら 

うとした のな ども 世間 心からの 一 種の 病氣に 過ぎません。 

(三 )• 福 島から は田舍 に引ッ 込めと か * 尙 枝さん から は 當分隱 れてゐ ろと か英 枝さん の もとに 

御す すめが あります。 かの 女に して 若し その 氣が あらば 僕 は反對 致しません。 また 尙枝 さんの 御 

考案の 如く 僕から 生活費 を 送っても いいです。 この 點は 然し 英枝 さんが 自身で、 返事な り處 分な り 

をす るでしょう。 ただ 申して 置きた いのは、 かの 女 は 僕 を 十分に 信頼して ゐ ます。 僕 も 信 賴を受 

ける 限り、 愛護 致します。 

(四 )• この 項 は 無理に 云 はないでも いいこと です が、 今の 生 狀 態の ことです。 尙 枝さん のい 

らしった 頃 は 丁度 夏で もあって 牧 入が 少なかった 爲め 末の 御 心配が あなたに 見えました です が、 

九月から は 殆ど 時間が 足りぬ ほど 働き • そして この 働きが そのまま 僕の 宗敎 です が、 それに 添つ 

て 報酬と して 先月 も 二百 五十 圓 ほど 這 入り、 今月 はま だ 十日に しかな りません が、 旣に百 五十 画 

ほど 入りました。 今月 中には まだ 外に 五十 圓と 九. 十圓 との 分 は 確かに 入る ことが 分って ゐ ます。 

そして 先日 は英 枝さん が 村 上に 預けて 來た紋 つき や 長 襦禅を 出し ましたし、 例の 三十 五圓の 僕の 

質 物 も 出しました。 今日 も 松坂屋 から 一 一三 十圓の 註文 をして 歸 つたと ころに あな たの 手紙が 來て 

巢鴨 日記 第三 三四づ 1 



泡 鳴 仝 集 1 が 十二 卷 ョ四四 

ゐ ました o( 但し こんな こと はさきに 內證を 御存じであった 尙 枝さん だけに 聽 いて 貧ったら いいの 

です )o なほ 福 島からの 書信に よると、 等 は 世間から 全くう とまれて ただ 二人で 往生して ゐるゃ 

うに 御 想像の 樣 子です が、 東京 は 地方よりも 分りの いい 人が 多いだ け、 寧ろ 同情者 は 僕 等の 方に 

あります。 そして 僕 は 相 變らす 毎月の 三會 合に 出席 もし、 そのお もな 世話 を も 致して ゐ ます。 無 

論、 僕 は 世間の 同情 や 貧富な ど は 眼中にないの は 豫め御 承知 を 願 ひます。 

以卜; くど/ \ 巾 しました が、 これでな ほお 分りに ならない 點は、 もう、 思想 上 並に 信仰 上の 和 

違から 來 るので あります から、 あなた 方 もさう 御 決心に なって、 僕 等の 信者になる か反對 者に な 

るか、 二つに】 つの はッ きりした E 刖 しか あ bv ません。 そして 斯く酉 別が 立ったら、 親 だ ッて子 

の 信仰 を 左右す る ことが 出來 ぬの だから * 兄弟 同志 は 心配 も 無用です" また 無现 解な 親切 も 無用 

です。 たと へば、 眞宗の 檀徒 を 日蓮 宗に 取られた やうに、 あなた 方の 子 若しくは 兄. を 一 名 僕に 

取られた とお あきらめになる のがよう 御 坐い ましょう 

この 手紙 は 先づ尙 枝さん に 御覧に 入れます が、 お 請み の 上 は 元 丸さん へ 御 送り を 願 ひます。 但 

しこれ は 多少 こころ 安立ての 云 ひぶり で まだ 面會 しないお 方々 へ は 失 禮な點 もあります が、 僕の 

隱し 立てな き 精神で 御 坐い ますから、 元 丸さん がお 讀 了の 上 は 福 島の 御兄弟へ 御 送り 下さい。 そ 

れ から、 またお 濟 みの 上 は失禮 です が 11 どうか 破らす、 また 手段 的な ぉ考 への 爲 めに 途中で 左 



右す る ことなく 11 新 潟なる 英 枝さん の 御兩親 様へ お届け を 願 ひます。 そして 御兩 親から 御挨 

が 願 へれば 最も 結構です。 願へ なければ、 また 時 を 待ちます が。 その他のお 方々 から もこの 手紙 

,に對 して は 僕に 御 挨拶 を 願 ひたいの です。 以上。 

尙枝様 

元 丸 様 

福 島 御 夫婦 樣 

蒲 原 靈性樣 

十月 十 一 日。 晴。 夜、 雨。 T 乂倉 氏より ハ ガキ。 生 田 氏、 深 田 氏 を 訪ふ。 

十月 十二 日。 雨。 鈴 木 (三)、 菊 子、 時事の 柴田 氏より ハ ガキ。 時事へ つた 原稿が 返って 來 たので, 

新潮へ や 3 つた。 米倉 氏へ ハガ キ。 小 寺 * 加 藤 (朝) 二 氏を訪 ふ。 け ふから また 飜譯を 初めた。 

十月 十三 日。 雨 あり。 米倉より ハ ガキ、 同じく 返事。 高 橋 (五) 氏を訪 ふ。 譯、 十八 片。 

十月 十 日。 曇。 棒 太の 山野 氏より 手紙 並に 寫眞。 僕が 棒 太の 日露 國境標 に 於て 寫 した 寫 眞も來 

た。 山野氏へ返^&。 龍 十; 會 より ハ ガキ。 梳 竹へ ハ ガキ。 川 手 氏より パガ キ C 浮 田 博士に 對 する 訴狀ぃ 

よいよ 提出した さう だ)。 米倉 氏より ハ ガキ。 英 枝の 母、 越後より 來訪 • 止宿。 譯、 二十 七片。 

十月 十五 日。 晴。 藝術 座より ハ ガキ。 寓 朝の 宮田 (滋 子) 氏へ ハ ガキ。 よみうりへ 「浮 田 博士に 詰問 

a* 鴨 日記 第 三 111 四 五 



泡 鳴 48- ®: 十二 卷 一一 一四 六 

す」 を 送る。 三越へ 二 科 展覽會 を n ルに 行った (英枝 並に 母と 共に)。 譯、 十八 片。 

十月 十六 日。 晴。 米倉より ハ ガキ、 同じく 返事。 藝術 クラブの 建物 を 2^ に 行った。 譯* 十三 片。 

十月 十七 日。 雨。 岡 田 氏よ. - 手紙。 田 中 (純) 氏より 丰紙、 同じく 返事。 淺 草へ 活動 寫 a; を 見に 行 

十月 十八 日。 雨、 夕方よ .o 晴れた。 萩原 oi 三郞) 氏より ハ ガキ。 よみうりより ハ ガキ。 譯、 四片。 

十月 十九 日。 晴。 よみうりへ 原稿。 川 手 氏へ ハ ガキ。 淸 子が 淺 草の 公園 女優に なると S ふ 新 事 

が 出た ので、 まだ 法律 ト: 夫た る 僕が それ を さしとめ 置く 權 利がない かどう か を 川 手 氏へ 尋ねに 行った。 

歸途、 岡 田 氏に 會ひ、 氏の 家 を 初めて 訪問。 譯, 二十 ニ片。 

十月 二十日。 晴。 武林氏 來訪。 實業之 世界の 質問に 左の 如く 答へ た • . I 

一 、 大浦 問題 は、 

- (ィ) 不起訴 は 否。 (a) 少く とも • 政治 道德を いつまでも 進歩 させない。 (0 大隈 内閣 はこの 問題 

の爲 めに 辭 職すべし。 

1 r 乃 木 問題 は、 

(ィ) 街、 興 は 非。 (roAJ の 問題が 乃 木 大將を あまりえ らい 者と して 取り扱つ てる ものと すれ は、 愚 

だ。 騷ぐ だはが 却って 害あって も 益な し。 (ハ) 非 を 取り消せ。 



川 手 氏を訪 ひ け ふの 裁^の 禱子を Er,> て 貝 たガ 録ー ー叵は i* 1 月 「ノ曰 つた,; 

植 竹より 白 4k 氏 來訪、 「放浪と 斷橋」 の 原稿 を 返して 來て • 無期延期の もとに 力に 角 同店から いづれ. 

出す ことにして 置いて くれろ と 云って 來 たので、 五十 圓の 損害 金 を 出せと 請求して 返事 を 一 週 閒 待つ 

ことにした。 

十月 二十 一日。 暴。 新 小說の 中 氏 來訪。 英 枝の 母、 八日 目の 今日 出發 歸國、 僕 等の こと は大 體認. 

めて 行った わけ だ。 譯 * 十 一片。 

_ 十月 一 一士 1 日。 曇。 中外 曰 報 並に 中央 公論に ハ ガキ。 島 田 • 柴田、 石 田 • 北山、 吉野 諸氏へ 尸 ガキ? 

植 竹より 來月 五日に 三十 圓を 渡す と S ふ 返事が 來 たので、 承知の 返事 を 出した。 町の 八幡 神社 (僕の 

うぶすな 神) から 寄附 金の 通知が 來た、 僅か 逸った ところで 仕 やうが なから うから、 逡ら ぬつ もり。 

譯、 十八 片。 

十月 二十 三日。 曇。 新 潟なる 英 枝の 父 蒲 原靈性 氏より 初めて 手 鋭、 同じく 返事。 譯、 二十 一片。 

. 十月 二十四日。 雨。 龍 土會に 出席。 譯* 十七 片。 國 民の 島 田 氏より ハ ガキ。 

十月 二十 五日。 雨。 淸 子より 英 枝の 事情 ある 私生兒 (六 歳) に對 する 冷笑の ハガキ が 来た (わざ- 

新 潟へ 戸籍謄本 を 取りに やった と 云って、 自慢 さう に) 。前 島 (震 太郞) 氏の 使 ひが ォキシ ヘラ を 届けて 

來た 。_ 午前から つづけて 使って 見る と * 今、 夜中の 午前 1 時半まで も 大して 勞苦 をお ぼえぬ。 譯、 三. 

a 鴨 日記 第 一二 三 四 七 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 一】1 四 八 

十八 片。 

十月 二十 六日。 曇。 中 村 (武) 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 譯料 三十 圓 (そのうち、 二十 三 圓は前 偕々 

して さし 引かれた)。 同じく 新潮 稿料 一 面 五十 錢。 山 本 (喜) 氏の 新宅 を訪 ふ。 譯, 二十 八片。 

十月 廿 七日。 晴。 火曜日 會の 通知 を發 す。 高須 (梅) より 手紙。 藝術 クラブより 手紙 Q 譯* 七片。 

十月 廿 八日。 晴。 昨日 淸 子のと ころへ マ ント その他 を 取りに 行ったら、 保存の 雜誌等 はあった が、 

マント は賣 つて しまったと 云 ふし、 蜜蜂 四 箱 も なくなって ゐた。 多分 二 群 は 減 亡し、 他の 二 群 は 喪つ 

てし まったら しい。 今夜, 祌樂坂 上で 木 村 (麿) 氏に 會ひ、 ャマ 一一 パ ー へ 行って 暫 らく 話した。 , 

十月 廿 九日。 晴。 三 井 (甲) 氏へ 木 村 氏 後援 會の 趣意書き を 送った。 原 氏より 返事。 山 本 (孝) 氏 樺 太 > 

よ^ 上京、 氏の 宅に 於いて 訪問した が、 . 菊判 三十 二べ ー ジ ばかりの 雜誌を 勝手に 出す だけの 费 川を负 

檐 すると 云 ふから、 「新 日本 主義」 と 云 ふ 名で 僕の 意見 を發 表する 舞臺 にしようかと 思った。 中 村 (武) 氏 

を訪 ふ。 

十月 * 日。 曇。 木 村 (鷹) 氏へ ハ ガキ。 生 田 (長) 氏より 轉 居の 通知。 山 本 (喜) 氏へ 手紙。 左の 證明書 

を 書いた (川 手 氏へ 渡す もの)。 11 譯 * 十九 片。 

十月 三十 一 日。 曇。 小 寺 (菊) 氏より ハ ガキ。 英枝 と共に 文展を 見に 行った。 滋子氏 も 一 所に 狩って、 

ま.£^,©^1し匸.^らきぉ^;^&:てし.3^。 をれ" ら m き 入 もお て、 四 人で 花 を 引き、 ^にかけ たわけで 



はなかった が. - 久しぶりの 遊びであった ので、 徹夜 をした。 一 

十 1 月 一 日。 曇。 滋子 氏、 午前 十 1 時に 歸 つて 行った。 山 本 (喜) 氏 來訪, いよく 僕の 爲 めに 「新; 

曰 木 主義」 と S ふ小雜 誌の 發行費 並に 保 證金を 融通して くれる ことにな つた。 來年 一 月 1 日 創刊 號發 一 

行の iO とに きめた。 竹 腰 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 。川 手 氏へ ハガキ 。譯、 三片。 一 

十 一 月 二日。 雨。 山 本 (喜) 氏より ハガキ (徂 し保證 金は當 分納め ないで やらう と 云 ふこと になった, 二 

雜誌 のこと)。 川 手 氏を訪 ひ、 この 八日の 公 If 材料 を 渡す。 火曜 曰會へ 出席。 譯、 ナシ。 

十 一 月 三 曰。 晴。 三 井 (甲) 氏へ 手紙、 加 藤: 武林ニ 氏へ ハガキ (三 名と も 今度の 雜 誌の 件で)。 

田 中 (王) 氏 來訪。 武林氏 を 訪ふ。 山 本 (喜) 氏へ ハ ガキ。 一 

十一月 四日。 晴。 瀧 田 氏 來訪、 中央 公論の 小說 依頼。 植竹 * 前 島 二 氏へ ハガ キ。 新 小 說の田 中 氏よ 一 

り ハガキ • 同じく 返事。 滋子 氏を訪 ふ。 譯、 三十 八片。 . 

十 一 月 五日。 晴。 ォキシ へ ラの前 島 氏 來訪。 加 藤 (朝) 氏來訪 (1 新 日本 主義」 C 連中 になる と 云つ 一 

た。) 植 竹を訪 ふ。 譯* 十七 片。 一 

十 一 月 六日。 喑。 川 手 氏 を訪ふ (浮 田 博士の 訴訟 は 今月 十八 日と きまった) 。今 井 (歌) 氏を訪 ふ。 三 一 

井 氏より 運動 贅 成の 返事が 來た、 同じく こちらから ハ ガキ。 哲)、 山 本 (喜) 氏へ ハ ガキ。 今 井 歌 

キ 氏へ 書物。 十日 會 より 通知。 植 竹より 一 二十 圓 (これ は 原稿 m 版 遲延の 損害に 取った 金た )o 譯 • 十七 

巢鴨 日記 第 111 三 四 九 . 



泡 鳴 仝 雄 十二 卷 三 五 〇 

片。 

十 一 七日。 雨。 出 本 (喜) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 加 藤、 武林 • 廣瀨 氏へ ハ ガキ。 廣 1 氏より 

r ガキ。 譯、 三十 八片。 

十 一 月 八日。 g。 大须賀 氏、 木 村 (卯) 氏 へ ハ ガキ。 譯 * 十九 片。 訴訟 第 1 一回の 公判 を聽き に 行つ 

た。 

十 一 月 九日。 雨。 新潮 社へ 行き、 譯 料のう ち 三十 圓を 受け取った。 「新 日 木 主義」" K 初の 會合を 山 本 

氏 宅に 開いた、 木 村 • i. 武林 S 四 氏 出席 (三 井 氏 は 地方に 在って 缺席 )o 竹 腰の 件に 付き 英 

枝 を 八幡 町へ つか はす。 浮 田 博士の 答 辯 書に 對 して、 辯 議士の 參考 となる やう 反驗を 書いた。 

十 一 月 十日。 晴。 三 井、 加 藤、 米倉 三 氏へ ハ ガキ。 十日 會へ 出席。 本日 即位式の 影響で 市中 は賑ゃ 

かであった ので。 會が 終って から、 ぞ ろく 人が 歩いて る 道 を 一 緒に なって 須田 町まで 歩いた。 

十 I 月 十一 日。 雨。 今日、 僕の 代表者と して 田 島 氏 を 竹 腰の 爲 めに 棟梁に 會 見し にやった。 米倉 til 

來訪。 淸 子の 「愛の 爭鬪」 を讀み 終った が、 こんなに 僕 を 解して ゐ なかった のかと 驚かれた。 それに 肉 

と霾と が 頻りに 區 別し て あるの が を かしい ほどこと さら じみ て ゐ る。 .ry 

十一月 十二 日。 曇。 竹 腰が 來て、 八幡 町の 家の こと を -—— たと へ 多少 不利益で も ——穩 便に して 置 

いて くれと 賴 むので * 僕 は 出張して 棟梁- その 金主 • 並に 營業掛 り を 並べて 置いて、 無事に 竹 腰の 身 



だけ を賴ん だが、 竹 腰に 不利益な の は實際 多少 どころではないの は 分り切って ゐ るの だ。 約束の 一 二 年 

gi に、 どうせ あの 家 は 取り返せまい。 川 手 氏へ 訴訟に 關 する 意見 を 手渡しした。 中央 公論の 小說を 書 

き 初めた 

十一月 十三 日。 曇。 加籐 みどり 氏 並に 米 野 口 氏より ハ ガキ。 みどり 氏へ 返事。 日 比 谷の 菊 を 見に 行 

き、 銀座 を ぶらつく。 小說 をつ づける。 

十 一 月 十四日。 晴。 無盡燈 社へ 手紙。 右田、 茅 原 • 山 本、 瀧 H 氏へ r カキ。 石 田 氏より 手紙。 加 藤 

(朝) 氏が 小形 某氏 を つれて やって 來た。 原 (正) 氏 來訪。 

十 一 月 十五 日。 晴。 瀧 ffl* 三 井二 氏より ハ ガキ。 小說 r 膝に 飛び付く 女」 (三十 一枚) を 書き終った。 

中央 公論 社へ 行き、 三十 七圓 二十 錢を 受け取った。 

十一月 十六 曰。 晴。 山 本、 龍 土 會ニケ 所より ハ ガキ。 田 中 (純) 氏へ ハ ガキ。 渡邊 (誠 人) 氏と 云 ふ 人 

來訪。 田 中 (王) 氏を訪 ふ。 僕の 雜 誌に 出す 宣言、 斷片 語、 並に 未開人と S ふ 事の 由來を 書き、 「米 野 口 

氏の 發想」 (二十 五片) を 書いた。 . 

十 一 月 十七 日。 晴。 瀧 田 氏より ハ ガキ。 同じく 返事。 山 本 (喜) 氏を訪 ふ。 淸 子の 「愛の 爭鬪レ を 評す 

(士 ;片 )。 

十 一 月 十八 日。 藝。 浮 田 博士に 對 する 公判 日 だと 思って 裁判所へ 行ったら、 昨日の ことであった。 



^^i 第 十二 卷 一 二 五 二 

川 手、 吉野ニ 氏を訪 ふ。 川 手 氏より r カキ。 第三 帝國 より 華 山 氏に 對 する 意見 を聽 きに 來 たが、 返事 

せす。 「日蓮 舉 者に 問 ふ」 (九片 y 新 日本 主義へ。 

十 一 月 十九 日。 晴。 加 藤 (朝)、 木 村 (鷹 )• 小 寺 (菊) 氏を訪 ふ。 

十 一 月 廿日。 晴。 西 村 (渚) 氏より 手紙。 山 本 氏 を訪ふ (留守)、 滋子 氏を訪 ふ。 歸途醉 つた 爲め にど 

ぶ どろに 落ちた。 

十 I 月廿 I 日。 晴。 岡 田 氏より 手紙。 龍 土會へ 出席。 三 井. 加 藤氏へ. ハ ガキ。 田 中 (王) 氏へ 書物 を 

十 I 月廿 一 一日。 晴。 けさ 午前 一 時から 武林兒 玉 (花 y その他! 一名の 連中に 叩き起され、 あけ 方の 五 

時までお つき 合 ひした。 英 枝の 父より ハ ガキ、 同じく!?^事。 千^^(.鍍)氏來訪。 

十 I 月卄 三日。 晴。 岡 田 氏 來訪、 高 橋 五郎 氏への 紹介 を 書いた。 ここ 二 三日、 痔 が再發 して 治療 

中。 譯, 二十 六片。 

十 I 月廿四 曰。 晴。 中澤 (靜 雄) 氏 來訪。 譯, 1 一十三 片。 

十 I 月廿 五日。 晴。 山 本 氏より ハ ガキ。 譯、 三十 六片。 

十一月 廿 六日。 小雨。 野ロ(米)氏ょ.=^ハガキ、 同じく 返事。 岡 (落) 氏へ ハガキ 。(森 田恒 友氏歸 朝に 

づき 十日 會 にて 歡迎の 件) 譯、 三十 一片。 



十 I 月サ 七日。 晴。 三 井 氏より ハ ガキ。 木 村 (鷹; r 石 田 氏へ ハ ガキ。 川 手 氏 を訪ふ (留守 )o 廣瀨氏 一 

を訪ふ (留守)。 蒲 原 * 野 口、 . ^藤氏 を 訪ふ。 ' ^ 

十 一 月廿八 曰。 晴。 三 井、 大杉、 山 本 氏へ ハガ キ。 木 村 (卯)、 中 村 so 氏 来訪。 天 弦 堂の 店員 來訪、 一 

>.與 魔 主義の 思想と 文藝」 の 第三 版 一 二百 部の 印 を 押した。 千 葉 氏より ハ ガキ。 新潮 社へ r 力 午。 一 

十 一 月廿 九日。 晴。 前 島 氏より 尸 ガキ。 吉野氏 來訪。 山 本 氏を訪 ふ。 . 一 

十一月 卅日。 晴。 山 本、 森 H 氏へ ハガキ 。森 田 氏より 歸 朝の 通知。 木 村 (鷹) 氏より ハ ガキ。 三 井 氏 一 

より ハ ガキと 原稿。 前 島 氏の 店員 來訪 (五圓 渡す)。 武林 氏を訪 ふ。 「孤月 氏へ」 (士 一片)。 一 

十一 一月 一 日。 晴。 千 葉 氏へ 返事。 中 村 (武 )、 廣瀨 氏へ ハ ガキ。 川 手 氏 を訪ふ (留守 )o 中 村 (武) 氏よ: 

り " ガキ。 岡、 新潮 社、 安江 氏より ハ ガキ。 安江 氏 へ 尸 ガキ。 三 井 氏 並に 武林 氏より 原稿。 一 

士 一月 一 一日。 晴。 岡、 加 藤 1 一氏へ ハ ガキ。 火曜日 會の 通知 を發 す。 譯、 一 二十 四片。 野 上 氏 を訪ふ (留ー 

so 一 

, 十二月 三日。 晴。 廣瀨 (哲) 氏、 原稿 を以 つて 來訪。 川 手 氏を訪 ふ。 中 村 (武) 氏より リ ハガキ (原稿 一 

の 事)。 加 藤氏より ハ ガキ。 野 口 氏より 手紙。 文章 世界より 酒の 事で 質問、 左の 如く 答へ た、 一 

『消に はさう 趣味が ありません。 猪口に 二三 杯で 醉 ふの はもと からの ことです から、 家で は晚酌 さへ 一 

しません。 ただ 事の 勞れを おぼえた やうな 時には • 近頃で は 葡萄酒 を 少し 飲みます o』 一 

巢鷓 nz 記 第一 II 111 五 111 一 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 111 五 四 

譯、 ナシ。 國 家と 個人」 (新 曰 本 主義の 意義)、 八片、 新潮へ。 

十二月 四日。 晴。 中 村 (孤) 氏より ハ ガキ。 徹夜。 

十二月 五日。 譯、 六十 片。 野 口 氏より 著書。 木 村 氏より 原稿。 加 藤氏、 原稿 を 持って 來訪。 雜誌編 

輯 すみ、 社へ 持って行った。 新潮 社より 譯料 三十 圓。 留守に 木 村 (鷹) 氏 並に 竹 腰 來訪。 

十二月 六日。 晴。 け ふ は 裁判所に 僕の 事件が 二つ あつまった。 淸 子のと 浮 田 氏のと だ。 そして 二つ 

とも 辯 論 終結に なって、 前者 は 十三 日、 後者 は 二十日が S ひ 渡し 日 だ。 讀寶に 行き、 『浮 田 氏に 詰問 

す」 を 取り返し、 上司 氏と カフェ へ 行った。 米倉 書店の 主人 来訪。 三 井 氏より 手紙。 

十二月 七日。 晴。 三 井 氏へ ハ ガキ。 山 本 氏へ 手紙。 木 村 (鷹) 氏より 手紙。 千 葉 氏よ ハガ キ。 火曜 

日會へ 出席。 譯、 二十 五片。 

十二月 八日。 曇。 十日 會の逋 知。 淡 路會の 通知。 譯、 三十 2 片。 

十二月 九日。 晴。 中 村 (孤) 氏より ハ ガキ。 竹 腰 來訪。 觀世舞 裏の 招待 能に 行った。 その 歸途、 野 上 

氏 夫婦の 紹介で 山 崎樂堂 並に 阪本 (雪) 氏に 會ひ、 山 崎 氏の 宅へ 寄った。 譯、 十二 片。 淡 路會へ 出席の 

通知。 . 

十二月 十日。 晴。 野 口 氏、 讀寶、 時事へ ハ ガキ。 紀 平氏へ ハ ガキ。 譯、 九片。 111 井 氏よ リ r カキ? 

十日 會へ 行く。 : 



十 一 一月 十 一 曰。 晴。 山 本、 紀平 一 一氏より ハ ガキ。 淡路會 へ 出席。 

十二月 十二 日。 晴。 紀 平氏より 「認識論」 寄贈。 譯、 十片。 喜 多の 能へ 行った。 

十二月 十! 二日。 晴。 淸 子の 起した 同居 請求の 訴訟が 勝利 を 得、 僕の 反訴なる 離婚 請求が 負けた ので、 

淸 子が 父 を 使 ひとして 僕に 相談に 來 いとのこ とだが、 かの 女の手 紙の 文句が 倨傲 過ぎる ので 行く にも 

及ばぬ と 思った。 たと へ 訴訟に 破れても、 まさか 法律が 同居 を强 いる 規定 はなから う。 辯 護 士に電 詰 

を かけた が、 留守であった。 やまと 新聞社の 大館憲 平氏 並に 東京 朝日の 芳賀榮 造 氏が 來訪、 負 訴のぁ 

と 始末 如何 を聽 きに 來た。 譯、 三十 五片。 

十二月 十四日。 暗。 相 馬 (御) 氏より 手紙、 同じく 返事。 龍土會 よお ハガ キ。 紀 平氏へ ハ ガキ。 岡 氏 

を訪 ふ。 滋子氏 來訪。 譯、 1 一十 六片。 

十二月 十五 日。 晴。 新潮 社より 譯料 三十 圓。 山 本 氏を訪 ふ。 譯、 十七 片。 • 

士 一月 十六 曰。 晴。 讀寶、 時事へ 轉 居の 通知。 巢鴨町 一 〇八1 1 へ轉居 (家賃 十五 圓)。 原 (德) 氏、 加 

藤 (朝) 氏 来訪。 

十 一 I 月 十七 日。 踏。 一,?! 田 氏より 手紙。 

十二月 十八 日。 晴。 松屋へ 原稿紙 二 千 枚 注文。 山 本 氏よ bsr カキ。 川 手 氏を訪 ふ。 その 結果、 淸子 

の 父へ 返事の ハガキ を 書いた。 つまり、 まだ 判;^ 書が 到着して ゐな いが、 それが 來た 模様で 或は 控訴 

禁鴨 日記 第三 HI 五 五 



ii 第 十二 卷 ま 五山 ハ 

する かも 知れぬ こと、 並に それに 拘 らす淸 子が 相 當の鼸 儀を以 つて 直接に 相談した いと 云 ふなら" 書 

面で 以 つて 分る こと、 並に 如何に 裁判に 勝った とて 僕に 加へ た 侮辱 は 取り消された のでない こと を 通 

知した の だ。 譯、 七片。 安江 爵 院長へ 四圓 二十 ー錢 送った が、 それ は 十 年 ほど 以前の 殘金 だ。 

十二月 十九 日。 晴。 朝日, 日々、 やまとの 記者へ 十四日の 記事 を 二 枚 送る やうに 手紙 を 33 した。 田 

中 (王) 氏へ ハ ガキ。 山 本 氏より ハ ガキ。 r 戀の しゃり かう ベ」 の絨型 を大精 社から 取って 來た。 無 印 出 

版 をされ たので、 その 損害と して だ。 龍 土會へ 出席。 譯* 十片。 

. 十二月 廿日。 暗。 中央 公論 • 新 小說、 t 文章 世界に 轉 居の 通 出。 島 田 (俊) 氏へ ハ ガキ。 新 日本 主義の 

校正 を 終った。 山 本 氏を訪 ふ。 浮 田 博士に 對 する 訴訟 はけ ふ 負けに なった さう だが、 まだ その 现由等 

は淸 子のと 同様 判決 書が 辯護士 の 手 もとへ 達しない ので 分らない。 譯 * 七片。 

十二月 廿ー 日。 夜、 雨。 今 井、 藤 野 ニ孃へ r カキ. - 三 井 氏へ ハ ガキ。 横濱の 姉より 手紙、 同じく 返 

事。 相 馬 (御〕 氏よ リ 手紙、 同じく 返事。 大館、 原 田 (信 )1 芳賀 (榮) 三 氏より 返事。 譯, 二十 九片 

十二月 廿ニ :=:。 曇。 宇 野 氏 來訪、 新 日本 主義 編輯 人と したる 僕の 印 を 取りに 來 たの だ。 今井孃ょ^ 

ハ ガキ。 原 田 氏へ ハ ガキ。 譯、 一 二十 一 ニ片。 V 

十二月せ 二 曰。 晴。 譯* 二十 六片。 镤 Q 主幹と して 出す 1 新 曰 本 主義」 が 出来した (部數 は 一 千 部)。 

十二 ヨ廿 M 日。 曇。 原 田 氏より C カキ、 同じく!^ 事。 前 島 氏より ハ ガキ。 譯, 五十 三片。 新潮 社へ 



r カキ o 

十二月 廿 五日。 晴。 三 井、 田 中 (王 y 中央 公論 社より ハ ガキ。 譯、 四十 五片。 

十二月 廿 六日。 晴。 中央 公論 社の 質問に 返事。 新潮 社より 譯料 三十 圓。 山 本 氏を訪 ふ。 田 中 智擧氏 

へ r 新 日本 主義」 を 送り、 1 日蓮 攀 者に 問 ふ」 の 答 辯 を 求めた。 譯 * 1 一士 一 片。 

十 一 一月 廿 七日。 晴。 田 中 (王) 氏 来訪。 淸風亭 に 於て 著作家 協會の 相談に 行く。 

十二月 廿 八日。 曇。 田 屮智攀 氏より 返事。 譯、 三十 八片。 

十 一 一月 廿 九日。 暗。 山村 氏より 手 銑と 詩集 け ふ 一 日 風邪で やすむ 

十二月 卅日。 晴。 木 村 (卯) 氏 來訪。 千 《氏と 布 川 氏と が來訪 (§£ 守)。 廣瀨 氏より ハ ガキ。 新潮 社よ 

り譯料 三十 圆。 山 本 氏へ 立ち寄る。 

十二月 卅ー 日。 晴。 け ふ、 例年の 通. OV 夕 かたから 東京 市中へ ぶらつきに 出た。 銀座 を ぶらつき なが 

ら 或は 淸 子に 出 會ふ かも 知れぬ と 注意して ゐた。 若し 會 つたら、 きッと 疑問の 男 を つれて ゐ るに 相違 

ない と 思った の だが、 會 はなかった。 念の 爲め、 日本 橋の 鴻の棠 へ 行って、 ひよ ッ とすると 來る だら 

うと 思ったら、 與- してやが て やって 來 た。 男 も豫期 通りので あった。 この 男と 先日 來 殆ど 毎日の やう 

にかの 女^ 出歩き、 夜 十二時 過ぎに ならねば 歸 宅せ ぬと 云 ふ 情報 は 竹 腰から も聽 いて ゐ たの だ。 ぉ定 

と云 ふ 女中 も それが 爲 めに 出て しま ひたいの だと 聽 いた。 ts^ に 角、 今晩は 計 劃 通りの つぼに はまった 

巢鴨 日記 §1 三 五 七 



I s 第 十二 卷 一「i 五八 

の だ。 これでな ほ 引き 續き 訴訟が ある 場合 は 或 程度まで こちらの 利 S になる 證據 をつ きとめた。 男と 

云 ふ は 米倉 窨店 だが、 關 係が あるな し は、 もう、 問題と なすに 足りぬ。 僕に 取って は淸 子に これから 

何も S はさぬ だけの 證據を 握つ てれば いいので ある。 みそかの 晚 にこん な 獲物が あつたの もき は どい 

わけ だ。 (大正 四 年 終り) 



:,、 ヽ^ 



(^ ^ ^ w H :s 




大正 五 年 

I 月 一 曰。 曇 • 小雨。 火曜日 會 通知 狀 1 1 十八 枚 を 出す。 樋 口、 岩 村 • 野 口、 若 1气 竹 越 (三叉)、 芳 

賀 (矢 1〕、 田 山、 田 中 (王: r 中 澤の九 氏 〈昨年 末に 定 つた 著作家 協 會の發 起 人 承諾 請求の ハガキ を W 

す (これ だけ は 僕の 受け持ちに 當 つた 分で ある)。 賀狀 返し 七。 來狀 十三。 

I 月 二 曰。 曇。 來狀 七、 返し 七。 來狀 三、 返し 二。 來狀 十、 返し 九。 德田 (秋 聲)、 吉野 • 深 田 三 氏 

を 訪ふ。 深 田 氏 來訪。 吉野 氏のと ころで 新 公論の 森 氏に 初めて 會 つた。 1 輿 味を以 つて」 (九 片)、 新刊 

批評 (四片 )o 

1 月 三日。 曇。 來狀 十七、 返し 十二。 若宮、 北 村 二 氏を訪 ふ。 北 村 はけ ふ 頻りに 僕に 詩人と して 詩 

を 作れと 勸め たが * これ は渠が 今の 僕の 氣 ぶん を 知らないから である。 

1 月 四日。 晴。 夜に 入って 風。 加 藤氏 來訪。 深 田 氏 來訪。 來狀 十、 返し 七。 1 普通 擧 としての 外 國語 

を廢 止せよ」 (十五 片 )o 「斷片 語」 (十 一片 )o 「日本 著作家 協會の 立」 (十片 )o 以上 いづれ も 新 日本 主義 

巢鴨 日記 第一 II 111 五 九 



泡 鳴 ム土築 十 II 卷 六 

一 月 五 曰。 晴。 年賀 來欺 三。 山 本 氏より ハ ガキ。 「一 一 訴訟の 經過」 (十一 一片)。 斷片語 (十 一 片)。 

1 H 六日。 晴。 賀狀 四、 返し 二。 三 井 氏へ ハガ キ。 加 藤氏 を訪 ふ。 

一 月 七日。 晴。 賀狀 二、 返し 一。 千 葉、 野 ロニ 氏より ハ ガキ。 竹 越 (與 三郞) 氏より ハ ガキ、 著作家 

會の怦 に 就き 會見を 申し込ん であつ たので, 氏の 事務所 を訪 ふたの だけれ ども • 時 gi が 後れて 留 

守。 滋子氏 を訪ひ > それから 共に 小 寺 菊 子 氏を訪 ふ。 

1 月 八日。 晴。 三 井 • 菊 子 二 氏より ハ ガキ。 十日 會の逋 知。 山 本 氏を訪 ふ、 新 日本 主義の 景氣は 割 

.9 合に いいやう だ。 川 手 氏を訪 ひ、 淸子 問題の 判決 誊を 見たところ、 淸 子の 言行 は 僕が 普通人なら 無 

論 僕 を 侮辱した ことになるが、 僮が 特別なん だから 侮辱に ならぬ と 云 ふ 趣意であった。 その意は^^-が 

普通人の 如く 名譽 など 無頓着 だと 一 K ふに あるら しい。 人 を 馬鹿にした 判決 だ。 辯 護士も 怒って 接訴す 

る 方が いいと 云って る。 その上、 また • 今夜 深 田 氏が 來訪 して、 淸 子に 丁度 昨年 末日に 於け る 證攄發 

見 を 別な 事で 確め る 報吿を もたらして くれた。 

1 月 九日。 曇。 夜、 雨。 米倉 書店に 手紙 を 出し、 「钊那 哲擧の 建設」 を 送り返せと 云 ふかけ 合 ひ をす 

る ことにした。 新潮 社より 耽溺」 の 印 稅の印 三百 三十 三部 分 を 取りに 來た。 (印稅 は十圓 也)。 竹 越與三 

郞氏 へ 手紙 を 出した (著作家 協會の 件)。 相 馬 氏より 著作家 協會の 規則 ズ リ 送附。 竹 腰 ま訪。 



I 月 十日。 晴。 英 枝の 父へ 手紙。 相 馬 氏へ ハガ キ。 十日 會へ 行く。 深 田 氏より 原稿。 米倉 氏來訪 • 

持って 來 させた 1 刹那 哲舉の 建設」 を 一 先づ 僕の 手に 取り返す ことにして、 前借金 百圆の 受け取り を 書 

いた。 • 

1 月 十 一 日。 綠。 火曜日 會へ 行く。 大月氏 來訪。 三 井 氏より 原稿と ハ ガキ。 新潮 社より 質問、 同じ 

く 返 m>。 正 富 (. 汪洋) 氏より 原稿と 手紙。 野 上 氏よ ハ ガキ。 

I 月 十 一 一日。 礬。 相 馬 氏より r カキ、 同氏より 小包み。 廣 .1 氏より 原稿。 戶張 氏より 展覽會 の 招待。 

新 日本 主義 第二 號 のへん しう を 終へ たの を、 山 本 氏へ 持って行った。 譯、 二十 片。 

一月 十三 日。 晴。 廣瀨 氏へ ハ ガキ。 田 山 • 樋 口、 中 澤の三 氏へ 著作家 協 會の發 起 人名 ズリ 並に 規則 

草案 を る。 著作家 協會 設立 襲 後の 內 相談 會の 通知 を 十三 名に 送る 三 井 氏へ ハ ガキ。 山鳥が また 届 

いたので、 川 手、 山 本、 溢子、 菊 子、 四 氏 を 招いだ が、 菊 子 氏 だけ は 不參。 滋子氏 は 一泊。 藝術 座よ 

りハ ガキ。 

, I 月 十四日。 晴。 

1 月 十五 日。 晴。 樋 口 氏より 著作家 協 會發起 人 承諾の 通知。 芳賀氏 (矢 一) を訪 ひ、 また 同 協 起 

人 承諾の 返 W を聽 いた。 そのつ いでに 昨年 出した 博士論文の 樣 子を聽 くに、 松 本 (亦) 氏が 先づ 請んで 

審査の 價値 ある こと を 認めた ので、 それから 坪 井 その他の 博士へ まわった が、 僕の 別居 赛 件が 邪 魔 を 

Mm00 第三 11 一六 r 



泡 嗚^ 集 第 十二 卷 111 六 II 

して 多分 決される だら うから、 今のう ちなら 取り下げられる がと S ふので あった。 然し 僕 は 終り ま 

での 經過を 31^ た 方が いい、 それから いよ/ \否 決されたら、 京都の 大擧へ 移す からと 答へ た。 歸 宅し 

てから、 念の 爲め 僕の 「男女と 貞操」 を芳賀 氏に 送.^、 僕の 道 德に對 する 立ち 場 だけ は 明らかにして 置 

いて くれろ と 云って やった。 岡 村 (千) 氏を訪 ふ. - 譯、 一 二十 ニ片。 僕と 薰 との 寄留 届 を 出した。 

;1 月 十六 日。 晴。 深 田 氏 來訪。 譯、 I 二十 四片。 

】 月 十七 日。 晴。 昨夜、 深 田 氏が 僕の 家で 食事 をした 時 僕の 羽織 を 着た が、 それ を そのまま 忘れて 

着て 歸 つたので、 今日 人が 届け て^た。 山川 智應 氏より^ 譯法華 經とハ ガキ。 同じく 1^ 事。 譯、 四十 

五片。 

一月 十八 曰 。晴 。譯、 三十 八片。 

I 月 十九 日。 晴。 雜 誌の 校正 初校す み。 滋子 氏を訪 ふ。 讀賫の 加 藤氏 來訪。 「固定 は眞现 でない」 (石 

阪 氏に) を 十八 片。 

1 月 二十日。 晴。 若宮 氏來訪 (留守)。 著作家 協 會の內 相談 會に 出席。 中澤、 田 山、 竹 越, 與謝 野, 

馬場の 諸氏へ 同會の 件に 付き ハガ キ。 丘淺 次郞、 有 島 (生; r 千 葉、 金子 (築)、 角 田 (勤) の 三 氏へ 同じ 

く 同會の 件に 付き 手紙。 原稿 を 時事へ 送った。 、 

1 月 二十 一 日。 晴。 譯* 三十 九片。 中 村 (雨) 中 村 (宗 )一 一氏 へハ ガキ。 



I 月 二十 二日。 暗。 雜誌 出来で 山 本 氏を訪 ふ。 小川 氏を訪 ふ。 福 田 (和) 氏より その 母 死去の 通知。 

角 田 (浩々 ) 氏より 返事。 千 薬 氏より 返事。 馬場 氏より 返事。 川 手 氏より 手紙。 譯。 十 1 片。 

】 月 二十 三日。 晴。 福 田 氏へ 悔み 狀。 永 井、 角 田 二 氏へ ハガキ (奢 作家 協 會の件 )o 三 井 氏 へ ハガ. 

キ。 曰 蓬 宗大擧 敎師淸 水 龍 山 並に 淸水榜 山 氏へ ハガキ (「曰 蓮 擊 者に 問 ふ」 の 件)。 石 井 (柏) 氏へ ハガ キ。 

川 手 氏を訪 ひ、 淸 子に 對 する 控訴 を 委任した 。田 山、 中澤 * 丘 (淺 )• 有 島、 中 村 (舂) 氏よ リハ ガキ (協 

會の 件)。 譯、 一 二十 八片。 

1 月 二十四日。 小雨。 大月 氏へ r カキ。 時事の 柴田 氏へ ハ ガキ。 竹. 越、 金子 二 氏よ.^ ハガキ (協會 

の 件 )o 土 田 (杏村) 氏より ハガキ 並に 書物。 中 村 (星) 氏 來訪、 協會の 件に 就き 發起 人會 開催までの 下 仕 

事 を 相談 ズミ。 

I 月廿 五日。 暗。 大月氏 來訪。 柴田氏 來訪。 與謝野 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 (協會 の 件)。 

1 月廿 六日。 譯、 六十 片。 晴。 川 手 氏より 淸 子に 對 する 控訴 手續 きを 了した 通知。 三 井 氏より ハガ 

キ。 鈴 木 (三) 氏より ハガキ (協會 のこと)。 新潮 社 並に 山 本 氏を訪 ふ。 譯、 九 片。. 

1 月廿 七日。 夜、 小雨。 ま 裁 1: 所より 親族 會の 通知 (何の 爲 めか 分ら す)。 與謝野 氏より 電報 (協會 

の 件)。 無盡燈 社より バガキ 。「發 想と 人格」 (野 口 氏 を す) 十八 片。 . ^藤氏 來訪。 

1 H 廿 八日。 晴。 森 Kcely 無 盡 燈、 三 井、 木 村 (卯) • 諸氏へ ハ ガキ。 松田湛 堂、 與謝 野" 寵土會 

巢鴨日 Si 第三 -. Ill 六 111 



泡 鳴. s 第 十二 卷 11! 六 四 

より 《ガキ 。筑紫 氏の 庭へ 淸 子が 僕の 峰 二 箱 を あ づけて あるの を聽 いたので、 け ふ、 同氏へ ハガキ を 

出し、 無條 件で 僕に 渡す かどう か、 然ら ざれば 預からないで 淸 子に 返せ, そこへ 取りに 行く からと 通 

知した。 火曜日 會の 通知 を發 す。 け ふ、 呼び出しの H 裁判所へ 行く と、 淸 子が 民 雄の 扶助料に 對 して 

親族 會を 設ける こと を 中 請して あった。 僕 は 子の 扶助料 を 出さぬ と は 初めから、 云って ない の だが、 

向 ふ は 毎月 十 圓を凝 低額 だと 云 ふし • 僕 は 今のう ち は五圓 でい いと 云 ふので 折 合 ひが 付かぬ。 つま. 

かの 女の 方 は 子 を 出しにして 少しで も 金 を むさぼら うと S ふの だから、 寧ろ こちら へ チ供を 引き取つ 

た 方が いい、 向 ふで は 時々 おのれの. 外出 遊びの 爲 めに 病 氣で 泣い てる子 を 女中に まかせて 置き ッ 放し 

にして ある やうな ことが 度々 あると か聽 いてる。 友人の 川 手 氏と も 電話で 相談して 兒 たら、 ぅッ ちゃ 

つて 置け と 云 ふ。 で、 受持 判事 磐 井 氏に 當て、 兩 方の 中を取って 向 ふが 申請 を 取り下げる やうに 賴ん 

で やった。 若し 取り下げねば、 親族 會は向 ふの W した 父の 木 村 信義、 兄の 木 村騰藏 にこ ちらから 千惠 

と 初と を 加へ、 向 ふの 出した 筑紫昌 門 氏 を 省いて、 深 田 憲治氏 を 加へ る やうに 書き送る ことにした。 

け ふ は、 また、 板橋署の刑^:1^野木村慶五郞と云ふのが訪ねて.^^た。 これ は 著作家 協會の 下相談 を この 

1 1 十日に 開いた の を 何か氣 にした 內務 省からの 命令で ださう であった ので、 協 曾の 性質 を 詳しく 云つ 

て譜 つて やった。 

1 月 廿 九日。 晴。 時事より 稿料 四圓 五十 錢。 木 村 i) 氏 並に 木 村 (卯) 氏より ハ ガキ。 



m 紫昌門 氏より 昨日の 詰問に 對 して 左の 返事が 來た。 . 

朵: 裏 拜誦仕 候 小生より こそ 御 無音 致 失 禮の段 御 海容 被 下 度 候 扨て 御 問合せ の 蜜蜂 は 昨年 十月 鎮な 

りしと 思え 候 確かに 御 預り申 候 事 は 事實に 御座 候 右 は 淸子氏 訴訟 其 他 多用の 爲め 充分の 手 當出來 ざ 

る爲め 小生 方へ 持ちし まれた るに 小生 も 其 後 各方 面に 要用 有 乍殘念 充分の 手當 をな す 能 はす 殊に 養 

綠は 不得手の 爲め 遂に 全部 凍死せ しむる に 至り 候閒 せめても の 記念と 存じ 巢 全部 は 保存 致 居候 淸子 

氏の 云 はるる 蜂の 凍死 S 々は 事實に 御座 候 小生 は 自己の 最も 正義と 信す る處に 向って 其 措置 を 採る 

もの 故へ 特に 贵 下の ものに 故障 を 付ける やうの 事 無 之 候 是非 1 夕 i: 淸話拜 聽致度 御 來遊待 入 候、 時 

下 朝 霜暮駕 f の砌り 折角 御 自愛 祈 上 候 敬具 

これに 對 して、 また 僕 は 左の 絡 交狀を 送った。 

御ハガ キ拜見 致しました。 御 返事の 通りで は 僕と は餘 ほど 解 釋が違 ふやう に 思 はれます。 人の 財産 

の 一部 を 主人の 承諾 もな く、 ただ 妻の 依賴 だと 云って 引き受け、 而も その後に も 一 言の 御挨 さへ 

な いのは 正義で も 何でもありません。 以上が 理由の 一 つです。 それからた とへ 引き受ける こと はよ 

かった として 見ても、 なほ 不都合と 思 ふの は 僕と は 違 ひ 君に 養蜂の 失敗が あった こと は、 さきに 僕 

が 君に 與 へた 蜂 群の 時で 分って る ぢゃァ ございま せんか。 火鉢と か 他の 死物なら まだし もです が、 

生き物 を さう した 引き受け をした の は、 殺した 後と は 云 はす、 お引き受け なすった 時に 既に 思 ひ 遠 ひ 

巢鴨 日記 第三 11H ハ五 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 11 一六 六 

がお ありでした。 以上 は 僕の 非常に 不快と 思 ふところ ですから、 つつます 御知らせして 置きます 

巣 も 君から 直接に 受け取る に は 及びません、 淸 子に 返して 置いて 下さい まし。 以上。 

譯、 十八 片。 

I 月 三十日。 晴。 昨日 書いた 手紙 を筑紫 氏へ 送った。 著作家 協會發 超人 會の 案內狀 並に 名簿 その他 

の 刷れた の を 五十 一 名に發 遠す。 竹 腰 並に 有 島 氏より ハ ガキ。 英 枝と 目黑 不動へ 行った 途中で 北 村 氏 

を訪 ふ。 歸途、 大久 保に 加 藤氏 を訪ふ (留守)。 譯、 二十 六片。 

一月 三十 一 日。 暗。 木 村 (廳 )、 森 田、 三 井 氏より ハ ガキ。 三 井 氏へ 返事。 小 杉、 中澤ニ 氏より ハガ 

キ。 淸 子より 强 迫が ましき ハ ガキ。 川 芋 氏より 對浮 田の 判決 誊を 届けて 來 たが、 これ を 見る と、 つま 

り、 r 性愁 上の 病人」 と 云った ところ だけ を 見れば 無論 名 譽キソ ン だが、 あとに 「病人の 點 では ある 他の 

凡人 も同樣 で」 云々 と あるの を 見る と、 僕 だけに 特^に その 語 を 適用した わけで もない と 云 ふに 在 

る。 この 點は辯 護士に 控訴す る だけの 意氣 込みと 理解と が あるか どうか を^して から、 控訴の 可否 を 

考へ るつ もり。 加 藤氏 來訪。 譯、 十六 片。 

二月 一 曰。 曇。 新 潟 • 木 村 (鷹) • 武者 小路、 內田 (貢)、 桑 木 (嚴) 氏よ. ^vr 力 キ。 火曜 曰會へ 出席。 

同 會で千 葉 並に 田 中 氏が 淸子 事件 を 仲裁す ると S ふので、 鬼に 角 • 二人で 淸子 にかけ 合って 見て 貰 ふ 

U とに した o( 離婚の 條件 さへ おとなしければ )o 譯、 ナシ。 



二月 二日。 晴。 千 薬 氏へ 昨夜の 件で 念の 爲 めの 手紙 を 出す。 若宮 氏へ ハ ガキ。 山 本 氏へ r カキ。 杉 

村、 松 居 二 氏より ハ ガキ。 天 弦 堂より ハ ガキ。 姉 崎、 小山 內、 野 口 三 氏よ リハ ガキ。 譯* ナシ。 川 手 

氏 を訪ふ (對浮 田の 控訴 を もす る ことにな つた )o 

二月 三日。 晴。 「再び 日蓮の 研究に 就いて、 山川 智應 氏へ」 (十四 片)。 生 方 氏 來訪。 土岐、 よさ 野、 長 

谷川、 戶川 氏より ハ ガキ。 譯" 三十 八片。 

二月 四日。 晴。 裁判所より 淸 子が 申 受けの 親族 會 通知。 巖谷 氏より ハカ キ。 岩 村 氏より ハ ガキ。 横 

濱の 姉より 手紙。 著作家 協 會發起 人會へ 出席。 滋子 氏、 他の 一 婦人 を 伴って 來訪。 譯* 三片。 

二月 五日。 暗。 親族 會の 件に 就き、 撗濱の 姉と 麻布の 妹と に 手紙。 十日 會の 通知 来たる。 

二月 六日。 雨。 横濱の 姉より 手紙。 姉の 手紙に よると、 E 裁判所 は淸 子の 申請に 對 して 親族 會 にか 

の 女の 父兄 二 名の 外に は 僕の 姉 一人し か 加へ てない ので、 不公平な 處置 だとい ふこと を 磐 井 判事 當て 

にて 書き送 リ、 親族 會の 決議 は 無効になる やうに して 置いた。 撗濱へ も 手紙。 譯、 五十 三片。 

二月 七 曰。 雨。 讅 曲の 先生 來 たる (これが 第二 回の 稽古)。 譯、 四十 七片。 新潮 社へ r カキ。 

二月 八日。 雨。 寓 朝の 服 部 氏 來訪。 米倉 來訪。 竹 腰 来訪。 山 本 氏より 原稿。 譯、 五十 七片。 

二月 九日。 晴。 新潮 社より 譯料 四十 圓。 三 井 氏より 原稿。 廣瀨 氏よ "ハ ガキ。 「すゐ せん 道化者」 

(詩 y 「日本語の アクセント X 共に 新 日本 主義へ )o 

巢鴨日 Si 第三 . H.1 ハセ 



泡 鳴 仝 築 第 十二 卷 !! 一 六 八 

二月 十 口。 晴。 十日 會に 出席。 木 村、 新潮 社ニケ 所より 書信。 新潮 肚の巾 村 氏 來訪。 木 村, 深 田 二 

氏より 原稿。 雜 誌の へ ん しう を 爲す。 

一 一月 十 一 日。 晴。 竹 腰が 家の 件に 付き、 その 親屬 本山 茂 I 氏と 共に 賴 みに 來た。 辻 氏 來訪。 へ んし 

う. の 爲め加 藤氏 來訪。 1 新 理想主義」 の 西 宫藤朝 氏來訪 (留守)。 山 本 氏を訪 ふ。 滋子 氏を訪 ふ。 淡路の 

淡 路大觀 刊行 會へハ ガキ。 

二月 十二 日。 晴。 淡 路大觀 刊行 會へ ハ ガキ。 三 井 氏へ ハ ガキ。 井奈 氏より ハ ガキ。 山 本 氏 を 訪ふ。 

譯 * ナシ。 

二月 十三 日。 暗。 山 本 氏より r カキ。 山 本 氏へ ハ ガキ、 某氏より r カキ。 同 じく 返事。 川 手 氏へ 訴 

訟參考 物。 生 方 • 中 村 (孤 )1 一氏 來訪。 深 田 氏 を訪ふ (留守 )o 生 方 氏を訪 ふ。 

二月 十四日。 晴。 川 手、 山 本 二 氏へ ハ ガキ。 山 本 並に 阔家 擧會 より 《ガ キ。 小 寺 氏を訪 ふ。 譯、 五 

片。 ゆ ふ 方、 ちょっと 雨。 

二月 十五 日。 晴。 譯、 册 一片。... 

二月 十六 日。 晴。 よみうりの 加 藤氏 來訪。 馬場 氏へ 手紙 (著作家 f へ入會 せぬ ことにした 通知と 

四圆 〇 六錢の 出費 勘定書き)。 譯 * 卅, 四片。 

1 一月 十七 日。 晴。 滋子氏 來訪。 譯, 廿七: t。 



二月 十八 日。 晴。 譯、 五十 五片。 新潮 社へ r カキ。 

二月 十九 日。 晴。 山 本 氏へ ハ ガキ。 加 藤氏へ ハ ガキ。 生 田 (長江) 氏 來訪、 僕が 著作家 協會 との 關係 

を §2 つ ことになら ないやう に勸吿 と、 さきの 馬場 氏まで 出した 返會 理由 一 一箇の 申し わけとに 關 する 件 

だ。 1 淡路 大觀」 刊行 會と云 ふの 依賴 により、. そこ へ 僕の 小 傅と {aw と を 送った。 譯、 四十 八片。 

二月 廿日。 晴。 新潮 社より 譯料 三十 圆。 山 本 氏より 五 M (棒 太 日々 稿料)。 川 手 氏を訪 ふ。 木 村 (卯)、 

加 藤 • 深 田 三 氏來訪 (いづれ も 不在 中)。 

ニー 月サ 一日。 夕 かたより 雨。 千 葉 氏を訪 ひ、 さきに 氏と 田 中 氏との 意思から 出ての 仲裁 を以 つて 淸 

子に 無事 離婚 をさせる 件の 結 梁 を 訪ねた ところ" 淸 子が あたまから 人 を 馬鹿にし たやうな こと を 云つ 

て 激して ゐ るので とても 駄目 だと 諦めて 二 氏は歸 つて 來 たの ださう だ。 まるで 女 志士の やうな 組 I 本な 

態度に 變 化して ゐ るとの こと 11 但し 却って それが かの 女の 本質 を 暴露して 來 たのであって、 僕と 1 

緒の 時の 多少 思索的 戕態 はかの 女の 僕に よって 臨時に 得て ゐ たもので あったらう。 田 中 氏 を訪ふ (留 

守)。 三 井、 廣瀨 • i. 武林 • 大須賀 • 森 田、 深 田の 諸氏へ ハ ガキ。 

二月 廿 二日。 地に は 雪、 1K は 暴。 午後 晴れた。 三 井 氏より ハ ガキ。 雜誌 三月 號 校正 終り。 

二月 廿 三日。 雨。 加 藤氏より ハ ガキ。 同じく 返事。 川 手 氏より 對淸 子の 控訴 一 二月 十八 日 を 通知して 

來た。 Hr 對浮 H 控訴の 委任 耿を 取りに 来たので、 5^ 印 を 押して 途 つた。 

棠鴨 日記 第 11! 三 六 九 



泡 鳴 令; 集 IH- ニ卷 二 七 〇 

二月 廿 四日。 晴。 三 井、 大須賀ニ氏ょ^ ハガキ0「三田の俗聖人」 (田 中 氏の 「幅 澤論 吉レを 評す) 四十 

七片を 書き終 つ た (新 曰 本 主義 四月 號 の 爲 め)。 

二月 廿 五日。 晴。 廣瀨 氏、 文章 世界より ハ ガキ。 文章 世界へ ハ ガキ。 山 本 氏を訪 ふ。 若宮 氏來訪 

木 村 (卯) 氏來訪 (留守)。 , 

二月 廿 六日。 曇。 寵土會 通知。 缺 席の 返事 。千禁 氏よ リハ ガキ。 譯、 四十 三片。 

二月 廿 七日。 晴。 新 日本 主義 社の 小 集 を 家で 開いた。 來會者 加 藤、 木 村 (卯)、 廣瀕、 大須賀 (鑌 )、 , 

田 中 (王 堂)、 山 本の 六 氏。 他に 若宫、 武林、 森 田 (恒 )、 深 田、 千 濃 (鑛) 氏 も 招待して あつたが さし 支 

へた。 竹 腰より ハ ガキ。 夜 • 田 中、 加 藤- 山 本 三 氏と 共に 寄せへ 行った 歸 りに 生 田 (長) 氏に 會ひ、 

カフェに 行った。 

二月 廿 八日。 小雨。 三 井、 中外 日報へ ハ ガキ。 淡 路會へ 原稿。 讅 ひの 師、 森 田 二 氏よ リハ ガキ。 米 

倉 書店 主人 來訪 。「出京 を 望んだ 或 娘の 爲 めに」 (七 枚)、 「希望」 へ 。 

二月 廿 九日。 雨。 滋子氏 並に 前 島 氏より ハ ガキ。 希望 社へ ハガ キ。 

三月 I 日。 曇。 山 本 氏へ 手紙。 英 枝の 父よ リ 手紙 (淸 子が 恐喝 同 樣の件 を 申し込んで 行つ たに 付 

き、 心配して 上京す ると 云 ふ 通知 だが、 そんな ことに 及ばぬ と 云って やった )o 希望 社より 稿料 四圆ニ 

十錢。 夜、 淺 草へ クオ グヂス の 活動 を 見に 行った。 



三月 二日。 晴。 よみうり 社より 料 S 圆。 若宮、 井奈 二 氏へ ハ ガキ。 火曜日 會の 通知 二十 枚 を 出 

す 朝鮮の 田 代 氏よ リハ ガキニ 枚。 同じく 返事。 深 田 氏 を訪ふ (氏の 娘の 緣談の 事) 。譯、 二十 一 片。 

三月 三日。 晴。 加 藤氏 並に 米倉へ ハ ガキ。 川 手 氏へ 手紙。 滋子 氏を訪 ふ。 田 中 (王) 氏來訪 (留守 )0 

譯、 十九 片。 

1 二月 四日。 暗。 米倉 氏 來訪。 譯、 四十 一 片。 

三月 五 曰。 晴- 夜雨。 田 代 氏よ リハガ 午。 十 曰會の 通知。 譯、 五十 四片。 

三月 六日。 晴。 希望 社より 手紙。 諮 ひの 稽古。 譯、 三十 五片。 ^倉へ ハ ガキ。 

三月 七日。 晴。 米倉 來訪。 三 井 氏よ. CV ハガキ 並に 原稿。 火曜日 會に 行く。 新潮 社よ リ 一 二十 圓 (譯 

料)。 山 本 氏を訪 ふ。 

一 三月 八日。 晴。 丸 善へ <ガキ0 山 本 氏へ ハガ キ。 吉丸 I 昌 氏の 死去 通知。 譯、 一 二十 丸片。 

三月 九日。 晴。 加 藤氏 來訪。 吉丸 家へ ハ ガキ。 大須賀 氏より ハ ガキ。 譯、 三十 六片。 

三月 十 曰。 き。 伊藤 (證 信) 氏より ハ ガキ。 米倉 來訪。 十日 會へ 行く。 譯, 二十 四片。 

三月 十 一 日。 雪。 美術 週報 社よ リハ ガキ。 木 村 氏より 原稿。 譯、 二. 十三 片。 

三月 十二 日。 晴。 新潮 社より 譯料 三十 圓。 寳生 會の讅 ひを聽 きに 行った 加 藤氏より 原稿 or 新 日本 

主義」 のへん しう。 

巢鴨日 gi 第 111 ! ij セ J. 



li 第 十二 卷 さ 七 二 

. 三月 十三 日。 雨 もよ ひ。 川 手 氏 を訪ふ 

三月 十四日 。雨。. 山 本 氏を訪 ふ。 

三月 十五 曰。 小雪。 諷剌詩 1 蜜蜂の 霞よ」 を 作る。 譯、 十八 片 。よみうりの 加 藤氏 來訪。 

三 5 十六 口。 雨。 三 井、 木 村 (卯). 氏へ ハ ガキ。 1 よみうり」 へ 昨日の 原稿。 地方 裁 1^ 所より 淸>^*& 

起した 家族 扶助料 請求の 裁判 事件の 通 來た る。 それに 付き 川 手 氏へ 相談に 行く。 僕の 考 へで は淸 

子が 何故に 民 雄 を 渡さな^で 扶助料 を むさぼる かが 第一の 疑問 だ。 そして 淸 子に 扶助料 を與 へな かつ 

-fe の は、 昨年 九月 十九 日に 與 へた 命令 を用ゐ ない のと、 他の 男子と 飮み 歩いたり して、 而も 或 男子の 

1,- 白狀 したに よると * 娼婦の やうな 誘惑 をしたり したから である。 僕 はこの 頃に なって 淸 子の 前身 

が 全く 潢淨 でなかった こと を 思 ふ。 僕が かの 女の 淸淨を 信じた の は 全く 愁目 であった の だ。 吉野氏 を 

訪ふ。 

三月 十七 日 ゆ ふ 方、 雪 ふり、 初 雷 あり。 

三月 十八 曰。 晴。 譯* 1 二十 ニ片。 茅 原 (華 山) 氏より 手紙。 角 田浩々 氏 死去の 通知。 

; 二月 十九 日。 晴。 米倉 來訪。 昨日の 公判が 川 手 氏 旅行の 爲 めに 延びた ので、 成るべく 蕖の名 を 出さ 

< ないで 濟む やうに と賴 むの だが * 僕の 方で は 引き合 ひに 出すべき 時に なれば 出す が、 さう わざく 出 

すつ もり もない 



竹 腰 氏來訪 • いよく 今月 中に 三男 眞雄を 渡す と 云 ふので、 引き受ける ことにした。 その 事で 英核ー 

がちよ つと 怒り 出し、 外出した が、 間もなく 歸 つて 來 たので どう 云ふ氣 になった の だら うとう ッ ちゃ 一 

つて いたら、 あとで 聽 くと、 どこかの 横丁で うんこ を 踏みつけ たので 心機 ー轉 したので あった。 こ i 

れ からまた 衝突が 多くなる ので あらう が、 當 分は淸 子に 對 した 如く 英枝 にも 決して 合理 以上の 譲歩 は 一 

しない。 去る もの は 去れ * 伹し 心からと どまる もの は 追 ひもし ない。 淸 子の 如く、 調子に 乘 つて 自 FLT 

の 位地と 程度と を 知らぬ もの は、 向 ふから 去って 行く ので ある。 僕 は 僕 だ。 女の 一 人 や 二 入 を 救 ふよ、 一 

bs も 國家を 救 ふ 方が 多忙お • 否、 國家を 救ふ爲 めに 自分 を 救って る 方が 多忙 だ。 夜. - 武林 氏を訪 ふ。 一 

三月 二十日。 晴。 角 田 氏の 靡 式に は 行けなかった ので、 ハガキ を 出した。 譯, 二十 六片。 一 

また 淸 子から 別な 訴訟が 出た の を * 1 ^裁判所から! p;!! して 來た。 今度の は 別居 前の 金 を 立て 替 へて,. 

あるから と 云 ふ 請求 だが、 それ はかの 女が 勝手に 處 分した 蜜蜂 四 群 (代價 百 二十 園: r マント (二十 四 一 

圜)、 火鉢 (五 M)、 銘仙 綿 入 (九 圓)、 勸 業情權 (百 五十 圆)、 貯金 (二百 七 八十 圓) • その他 家具等で ま. 一 

だかの 女の 請求 高の 六 七 倍 も 渡して ある わけ だ。 一 

三月 二十 一 日。 晴。 藝術 座より 帝劇の 優待券。 使 ひに 薰を深 田 氏へ やった。 雜 誌の 校正 全部 スミ。 . 

譯、 二: H 片。 . 

:1 二. 月 二十 二日。 雨。 川 手 氏を訪 ひ、 また 今回の 裁判 事件 を 依頼した。 一 二 井 氏より ハ ガキ。 譯* 十 穴; 



泡 鳴 Ks- is 'ニ卷 s 七 四 

片。 ; 

1111 一十三 日。 晴。 吉野氏 來訪。 雜誌 校正 ズミ。 譯、 1 1 十五 片。 

三月 一 一十 四日。 晴。 竹 腰 來訪。 譯、 四十 四片。 . 

三月 二十 五日。 晴。 新潮 社へ ハ ガキ。 竹 腰より ハ ガキ。 譯、 五十 七片。 

1 二月 二十 六日。 晴。 新潮 社より 稿料 三十 圓。 吉野 氏へ 手紙。 山 本、 深 田、 廣瀨 氏へ ハ ガキ。 藝術座 

の 出演 を 帝劇へ 見に 行く。 

三月 二十 七日。 晴。 出 本 氏 を訪ひ • それから 寄せに 行く。 竹 腰の 方から 三男 眞 雄が 來て、 一 緖に住 

む やうに なった。 

1 二月 二十 八日。 晴。 三 井 氏へ ハガ キ。 木 村 (卯)、 田 中 (王) 氏へ 手紙。 英枝 と共に 石 録 氏を訪 ふ。 

この 二三 日、 神經 衰弱 か 一 向に 仕事が 出来す、 明日から 旅行と 決す。 

三月 廿 九日。 晴。 英枝 と共に 森ケ 崎に 行く。 

1 二月! 二十日。 晴。 森ケ 崎が あま.. N 氣に 向かぬ ので 歸 京。 龍 ± 會 より 通知。 木 村 (卯) 氏より ハガキ 9 

1 二月 三十 I 日。 曇 大阪. の 小 林 氏より 手紙 並に その 作 「會 根畸艷 話」。 尾 島 菊 子 氏の 紹介で 生 駒義薰 

氏來訪 (山 本 氏 へ 絡 介)。 譯, 二十 片。 

四月 一 日。 雨。 竹 腰來訪 (もう、 子供 を 二人とも 引き受け たから • 金錢 その他の 事で 僕 等 を 煩 はせ 



に 1 切 来るな と 命令した。) 森 田、 井奈 二 氏より ハ ガキ。 京都の 檣 川 正 氏より ハ ガキ。 木 村 (卯) 氏へ ハ 

ガキ。 譯、 三士 一片。 

K 月 二日。 晴。 橋 川 氏へ ハガ キ。 京都より ハ ガキ。 譯, 四十 ニ片。 

四月 三日。 曇。 譯、 三十 五片。 

四月 四 曰。 曇。 六士 一片。 新潮 社 へ ハ ガキ。 

四月 五日。 雨。 新潮 社より 譯印稅 一 二十 圓。 山 本 氏、 滋子 氏を訪 ふ。 

四月 六!! I。 暗。 吉野 氏へ ハ ガキ。 夭 野 (敬) 並に 十日 會 より ハ ガキ。 若宫 氏へ ハ ガキ。 譯、 十片。 

四月 七日。 晴。 川 手 氏より ハガキ (裁判 事件 四 件の 公判 日 通知。) 新人 社へ 問 ひ 合せた ことの、 返事 • 

加 藤 (朝) 氏 來訪。 譯、 三十 六片。 

四月 八日。 暗。 若宮 氏より ハ ガキ。 謠 ひの 稽古。 譯、 四十 ニ片。 

四月 九日。 暗。 十日 會の 郊外 大會 に森ケ 崎に 行った。 

四月 十日。 强風。 中央 公論の 瀧 田 氏 來訪。 中島 (德) 氏より ハ ガキ。 譯 * 十七 片。 昨日から 風邪の 氣,. 

味が け ふ 熱が 非常であった。 木 村 氏より 原稿。 

四月 十 一 曰。 晴。 謠 ひの 師匠 來 たる。 三 井、 橋 川 一 一氏より 原稿。 廣瀨、 馬場 一 一氏 へ 尸 ガキ。 譯、 三 

巢鴨 日記 第三 三 七 T 



泡 鳴 ^築 第 十二 卷 三 ヒレ、 

四月 十二 日。 晴。 淡路會 より 通知。 同じく 缺 席の 返事。 譯、 六十 ニ片。 

四月 十三 日。 晴。 金 もくせい を 植木屋から 買って 植ゑ させた。 加 藤- 深 田 二 氏から 使 ひに 原 ig。 木 

村 氏より 手紙。 廣 藤氏より ハ ガキ。 長 谷川よ. =s 手 鋭 o( 著作家 協會 への 立て 替金 四圆 六十 錢來 る。」 新潮 

社より 三十 圆。 廣 S 氏 來訪。 次ぎに、 木 村 (卯) 氏 來訪。 

四月 十四 曰。 晴。 新潮 社へ 「耽溺」 の 印稅印 五百部 分 押した 。「日本 膨脹の 根本 眞理」 (二十 五片 y 新 

日本 主義へ。 謠 ひの 師匠。 

ra 月 十五 日。 雨。 「穿き 違へ た 自由」 (五片 y 「用語に 無 反省な 蘇 峰 氏と 井上 博士」 (七 片)、 「今 一度 山 

川 氏へ」 (五 片) 以上 新 日本 主義へ。 新 日本 主義 十月 號 へんしう を 了す。 山 本 氏を訪 ふ。 

四月 十六 曰。 雨。 春陽 堂の 田 中 氏へ r カキ。 增野氏 追悼 會の 通知。 「發寶 禁止に 對 する 三 耍點」 (十二 

枚 半)、 中央 公論へ。 寄せへ 行った。 

四月 十七 日。 夜、 雨。 深 田 氏へ ハガ キ。 灶村 農園より 庭 を 作.^ に來 た。 中央 公論より 稿料 八 園 七十. 

五錢。 文章 世界へ 小說 「かの 女の 遺物」 (卄四 枚 半) を 送った 同時に 西 村 氏へ ハ ガキ。 

四月 十八 日。 晴。 加 藤 (朝)、 岡 二 氏 を 訪ふ。 

四月 十九 日。 晴。 よみうりの 加 藤氏 來訪。 原 (德 太郞) 氏 來訪。 大須 賀鑌氏 来訪。 博 文 館より 稿料 二 

十圓 也。 譯* 十 1 一片。 



四月 二十日。 暗。 西 村 氏より ハ ガキ。 井上 右近と 云 ふ 人より 手紙。 壻 野 氏 追悼 會に 臨む。 吉野 氏.^、 

訪ふ。 それから 共に 沼 波 氏を訪 ひ? 同氏が 近頃 熱心の 術に 依って 試みに 僕の 近眼 を 直して 貰った が、 

^に 直った 様子な し。 譯. 六 枚。 

叫 月 I 一十 一 日。 曇。 夜雨。 近眼 は 別に 直って ゐ ない。 川 手 氏を訪 ふ。 滋子 氏を訪 ふ。 

四月 二十 二日。 曇。 原 田 (信)、 井上 (右) 氏へ ハガ キ。 川 手 氏へ 清 子に 對 する 訴訟の 追加 事項 を 送る 

, I 證人 として 呼び出す 淸 子の 女中の 住所と 質問の 要件。 並に、 淸 子の 惡 性癖と して 第 1、 ふしだら 

な 評判。 第二、 砍酒。 第三、 狂人の 血統。 第 四、 無 反省と 傲慢。 第五 * 家庭 內の 横暴。 第 六、 過分な 

贅澤の 傾向。 第 七 * 子供 (薰) 虐待。 第 八、 所 1K 侮辱。 第 九、 飲み 歩き。 第 十、 僞 善性。 第 十 一 、 粗大, 

性、 等。 

四月 二十 三日。 雨。 原、 新 渡、 沼 波、 加 藤 四 氏へ ハガ キ。 加 藤氏より ハ ガキ。 新 潟より 藥及 小包。 

m. 十三 片。 

四月 1 一十 四日。 晴。 加籐 氏を訪 ひ、 仔犬 を 一 匹. 直つ て來 た。 「新 日本 主義」 の 初槁を 了す。 譯, 十 I 

片。 謠 ひの 稽古。 

四月 二十 五日。 雨。 譯、 十九 片。 高 橋 (久) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 原 田 氏より ハ ガキ。 

四月 1 一十 六日。 暴。 校正 再校 終リ。 小此木 (忠) 氏を訪 ふ。 野 上 氏を訪 ふ。 譯* 1 一十 三 片。 

巢鴨 日記 § 111 七セ 



泡 鳴 仝橥 第 十二 卷 一二 七 「/ 

四月 二十 七日。 暗。 妹千蒽 より ハガ キ。 小此木 (信 六郞) 氏を訪 ふ。 山 本 氏を訪 ふ。 

四月 二十 八日。 晴。 山 本、 川 股 二 氏と 共に 小金 井に 行った が、 花 は 全く 散って なく、 葉 ざ くらで あ 

つた。 歸途, 三 河屋で 牛肉 を喻 ふ。 前 島 氏より ハ ガキ。 

四月 二十 九日。 夜 • 雨。 原 (德) 氏 來訪。 火曜日 會の 通知。 藤 野 愛子 氏より 手紙。 廣瀨 氏より 手紙。 

譯、 二十 片。 

四月 三十日。 雨。 廣瀨、 長 谷川、 新潮 社 諸氏へ r 力 午。 滋子 氏、 長 谷川 (勝) 氏より ハ ガキ。 譯、 H 

十片 a 

a 月 一 日。 曇。 長 谷川より ハ ガキ。 福 迫 氏 來訪。 鐵道 時報 社の 記者 來訪。 野 上 氏へ 提燈を 返しに 行 

つた。 譯, 四十 五片。 

S 月 二日。 晴。 新潮 社より 譯 印税 前金 三十 圓。 同じく 「耽溺」 第五 版 五百部 印稅 十五 圓。 山 本 氏を訪 

ふ。 火曜日 會 へ 行く。 長 谷川 來訪 (留守)。 

五月 三日。 晴。 帝文會 並に 世界 社へ ハ ガキ。 「新 日本 主義」 今月 號六册 を 所々 へ 。「ドクトル 小此木 氏, 

の談片 と攘白 堂說」 を 同氏の 爲 めに 書いた (雜 誌の 材料)。 長 谷川 (勝) 來訪。 加 藤 夫婦 來訪。 小此 

术 (忠) 氏 來訪。 廣瀨 氏より ハ ガキ。 

五月 四日。 雹 ふる。 西 村 (渚)、 關 (露 香) 二 氏 來訪。 羽太 • 加籐 (房 藏)、 丸 善三ケ 所より ハ ガキ。 橫 



濱の鈴 木 (全) 氏より 手紙、 その 息子 結婚の 披露に 付き 出席の 返事 をした。 小肚" 木 氏 を; IS ふ。 

五月 五 nic 暗。 小此木 氏より r カキ。 謠 ひの 師匠。 加 藤 (sy 木 村 (鷹) 氏を訪 ふ。 西 村 中島 

S. 鈴 木 (全) 氏へ つ カキ。 

五月 六日。 暗。 中島 (德) 氏より ハ ガキ。 長 谷川 来訪。 小說の 考案。 

五月七日。 雨 かぜ。 希望 社へ ハガ キ。 小說を 書き出した。 「功利主義 を 恥づる 勿れ」 (六 片: r 新 日本- 

主義へ。 英 枝の 母が 夜遲 く大阪 の遊歷 から 到着した。 

五月 八 口。 晴。 高 橋 (縫 子) 氏より ハガキ 。米倉 氏 來訪。 小說 のつ づき。 

五月 九日。 晴。 鏠子 氏へ 返事。 小說 「藁人形」 (八十 ニ片 y 文章 世界へ。 

五月 十日。 晴。 博 文 館より 十二 圓 八十 錢、 これ は 昨日の 小說と 退って 來 た-. かの 女の 遺物」 との 稿料 

差金。 川 手 氏を訪 ふ。 Q 木 屋に森 田 長 谷川 二 氏の 展覽會 を Hp. る。 丸 善へ 行く。 十日 會へ 行く。 木 村 氏 

より 原稿。 吉野氏 来訪 (留守)。 

五月 十 一日。 晴。 鈴 木へ 一 圆のカ ヮセ。 迂、 中 村 (孤)、 宮島三 氏 來訪。 三 井 氏より 原稿。 田 中 氏へ 

入 ガキ。 新潮 社中 村 氏 宛 『かの 女の 遣 物」 を 送る。 

S 月 十二 日。 晴。 英 枝の 母が 吉原を 見に 行きたい と 云 ふので つれて 行って 見た が、 十 數年來 行かな. 

かった ので、 丸で 様子が 遠った やう だし、 また 寂 びれ 方も甚 しい やうに 思 はれた。 

槧鴨日 SS 第 u!. 三 七 九 



泡 鳴 第 十二 卷 三 八 〇 

五月 十三 日。 晴 Q 丸 善より ハ ガキ。 長 谷川 來訪。 中 村 (孤) 氏 來訪。 母、 新 潟に 來 るので、 上野へ 見へ 

りに 行った。 

五月 十四日。 晴。 丸 善へ、 返事, 鈴 木より ハ ガキ。 

五月 十五 日。 曇。 山 本 氏、 太に; S るに 就き、 上野まで a 送った。 

五月 十六 日。 晴。 木 村 (廳」 氏 来訪。 岡 氏を訪 ふ。 深 田 氏 來訪。 

五月 十七 日。 雨。 文章 世界へ 校正 or 佐 藤 信 淵の ffi 服 的 宗敎」 (六十 八片) を 書き終った 

五月 十八 日。 雨。 雜誌 へんしう 濟み、 印刷 崖へ 届けた。 今 井 歌 子 氏を訪 ふ。 

五月 十九 日。 曇。 新 日本 主議 社へ 手紙。 譯 * 十片。 

五月 廿日。 雨。 社へ ハ ガキ。 馱子 氏へ 書物。 三 新聞 へ ハ ガキ。 木 村 (ii) 氏より ハ ガキ。 譯, 四十. 

片。 - , 

五月 廿 一 日。 雨。 原 (正 氏) 來訪。 米倉より ハ ガキ、 同じく 返 IST 磯村 氏より ハガキ 「同じく 返事。 

譯、 五十 五片。 

五月 廿 1 一日。 曇。 米倉より ハ ガキ。 吉野 氏來訪 Q 錢 草へ 活動 を。 

五月 廿 三日。 晴。 社より 使 ひ。 中澤 (靜) 氏 來訪、 その 書いた 小說 原稿 を 僕の 材料と して 買って くれ, 

とのこと だから、 四十 枚 分 を S 圓で買 ふこと にした。 米倉へ ハガキ 。廣翻 氏へ た ガキ。 譯、 二十 a- 



片。 

五月 廿 四日。 雨。 雜 誌の 初校す み。 譯、 ! 一十 四片。 

fd 月卄 五日。 大風、 後晴。 新潮 社へ ハ ガキ。 大月 氏より ハ ガキ。 滋子氏 來訪。 譯、 五十二 片。 

a 月廿 六日。 晴。 大月 氏へ ハ ガキ。 新潮 社より 譯印稅 のうち 三十 圓。 山 本宅 を 訪ふ。 中 村 (武) 氏 を 

訪 ふ。 E 氏來訪 (贺 守)。 「デビス 博士の a 愚 レ( 十四 片)。 

五月 廿 七日 晴。 中外 日報へ 原稿。 中澤 (靜) 氏べ 五圓。 大掃除。 

. 五月 廿八 曰。 晴。 秦 氏より 招待券。 大月 氏より ハガ キ。 關 氏を訪 ふ。 高 橋 (五) 氏 を訪ふ (韓 居して 

ゐ なかった 0) 中 村 (春) 氏を訪 ふ。 佐 藤、 深 田 二 氏を訪 ふ。 瀧 田 氏へ ハガ キ。 

五月 卄 九日。 晴。 上司 氏へ 中澤 氏の 原稿。 大月氏 来訪。 原 氏 來訪。 生 方 氏を訪 ふ。 

五月 价日。 晴。 三 井- 木 村 一 一氏 へ 尸 ガキ or 表象の 意義」 (山川 氏に 對 する 駁論)、 十 一 片。 野 上 氏 を 

訪ふ。 - 

五日^ 1 日。 雨。 田 中 (王) 氏より 轉居 通知。 湯淺(善保局長)氏ょ.=^手紙。 譯、 十 一片。 

六月 一 曰。 晴。 木 村 (卯) 氏より ハ ガキ。 中譯 (靜 y 原、 廣瀨、 井奈、 木 村 (卯) の 五 氏、 順次に 來 

訪。 譯、 十六 片。 . 

六月 1 一日。 晴。 火曜日 會の 通知。 藝術 くらぶへ 「三角 畑」 の 演出 具合 を 見に 行った。 小此木 (信) 氏 を 

粱鴨 B 記 第三 一 二八 1 



泡 鳴 4a? 第 十二 卷 ヨ八, 一一 

訪 ふ。 中 村 (孤) 氏 來訪。 譯、 三片 Q 

六月 三 曰。 晴。 川 手 氏より 手 鋭 (訴訟の 件)。 木 村 (卯) 氏よ リ手 鉞。 新潮 社の 佐 藤氏へ ハガ キ。 社 へ 

r カキ。 譯. 二十 四片。 

六月 四 曰。 晴。 中 村 (春) 氏へ ハガキ (「三角 畑」 中の I ケ所訂 件。) 中 澤 8) 氏より ハガキ 。撗務 の 

姉 來訪。 譯、 五十 片。 

六月 五日。 晴。 加 藤氏 來訪。 大月 氏より 手紙。 裁判所へ 行った が、 榜養料 件 は 向 ふの 呼び出した 證 

人が 出席し いなので 延期と なった。 譯、 三十! 一片。 

六月 六日。 晴。 新潮 社より 譯印說 のうち 三十 圆。 山 本 氏を訪 ふ。 火曜日 會べ 行く。 伊藤 (證) 氏より 

ハ ガキ。 

六月 七日。 晴 。三 井、 ^藤 二 氏へ ハガ キ。 野 口 氏へ ハ ガキ。 千 葉 氏へ 手紙。 齋藤 (茂) 氏よ ,=s ハガキ 

深 田 を訪ふ (留守 )0 「注の 穴に 圈 する 川 村 氏の 發見」 並に 「身づ から 卑賤と S ふか」 (五 片〕 時事の 柴田氏 

へハ ガキ。 

六月 八日。 晴。 橋 川 氏より 原稿。 十日 會 通知。 布 川 氏 夫婦 來訪。 譯。 。 . 

六月 九日。 曇。 加 藤 (よみう,^ の)、 井奈、 生 方 H 氏 來訪。 山 本、 柴田ニ氏ょ.:^ハガ午。 千 葉 氏より 

手紙。 譯 • 六片。 , 



六月 十日。 晴。 米國フ レス ノの 小此木 (文 九郞) 氏 へ 手紙 並に 雜誌 I 部。 中譯 (靜) 氏より ハガキ 、並 

に 原稿。 野 口 (米) 氏より 手紙。 山 本 氏 を 北 里 養生 園に 見舞 ふ。 十日 會へ 行く。 

六月 十 1 日。 晴。 つかれ を おぼえて 一 日ぐ づく 過ごした。 氷 窒延と 云 ふ 人が 栃木 縣芳賀 郡 淸原村 

から 夜、 尋ねて 來て、 十二時 頃まで 話し込んだ 。「新 日本 主義」 の 支部 を 同村に 設ける よし。 

六月 十二 日。 晴。 木 村 氏より 原稿。 宇 野 氏より 手紙。 五 新聞社へ 新 日本 主義 新定の 規則 通知。 山 本 

氏 へ 手 鋭。 「タ ゴ ル 氏に 直言す」 (十六 片) よみうり へ。 原稿 をよ みうり へ 。 

六月 十三 日。 晴。 原 氏 來訪。 三 井 氏より 原稿,, 伊藤 氏よ リハ ガキ。 報知 社の 安信 所へ 女中の 依賴。 

譯、 二十 四片。 

六月 十四日。 小雨 あ^。 原 氏 來訪、 近處の 借家に 入る ことに 定めしめ た。 山 本 氏より ハ ガキ。 譯、 

十四 片。 

六月 十五 日。 小雨 あり。 夜、 風。 伊藤 氏へ ハ ガキ。 中澤 氏より 手紙と 原稿。 遠 州 笠 井町の 松 t.. 春洋 

と 云 ふ 人より 手紙 (雜誌 を 一部 送った。) 譯、 三十 片 Q 

六月 十六 日。 雨 • 風。 山 本 氏を訪 ふ。 

六月 十. V 日。 晴。 風。 新潮 社より ハガキ 並に 手紙。 池 田 氏 を訪ふ (留守 )o よみうりに 立ち寄り、 稿 

料 四圓を 受取った 。「タ ゴル 氏と その 周 園」 (九片 )o < 

鎮鴨 日記 第三 三 八 ミ 



泡 鳴 全集 欲: 十二 卷 一一 一/に 

六月 十八 日。 雨。 茄子 を 十五 本植 ゑつけ た。 廣瀨 氏より ハ ガキ。 前 島、 中澤 (靜) 二 氏へ ハ ガキ。 新 

潮へ 原稿。 譯 • 二十 三片。 ー 

六月 十九 日。 晴。 前 島 氏より ハガキ 並に 廣吿 文。 山 本 氏より 小包。 高嶺 堂へ 原稿 を 持って行く。 川 

侯 氏を訪 ひ、 共に 山 本 氏 を 訪ふ。 岡 野 氏を訪 ふ。 この頃 少し 仕事が 出來 ぬので 英 枝が 今夜 これまでに 

なき 小言 を 心 あるら しく 云った。 たまの 翁 乏に堪 へぬ やうなら • どうせ また 僕の 妻た る资 格な し。 

, 六月 二十日。 小雨。 高嶺 堂へ 追加の 原稿 を 送る。 淸 子へ 僕 以前に も處 女でなかった 外的 證據と 

後の 不身持ちと を こちらで 知つ てること を 通告した。 新 日本 主義 發行所 變更届 を 內務大 e 並に 束部遞 

信 局へ 出す。 束 部への は 書式が 違 ふので 返って 來た。 今夜 原 氏を訪 ひ、 昔の ことにな つた 時、 築の 擧 

生 時代からの シャボン えらびが とうく ス ミス 石鹼屋 になって、 失敗 も 亦 シャボンの 爲 めであった と 

S ふと- 鎮 はまた 僕の こと を-. 君の 新 日本 も 久しい こと だぞ」 と 云った 。成る ほど、 僕は大 阪の舉 校に 

於いて 新 日 木の あだ 名が あった。 原 氏と は 三十 來の 友人で、 僕が 鄕垔を 出て からの 初め て の 友人 

だ。 譯、 二十 九片。 , 

六月 1 一十 一 日。 曇。 0. 1 一十 六片。 原 氏 來訪。 

六月 二十 二日。 晴。 中 村 (孤) 氏 来訪。 原 氏 夫婦と, 淺 草へ 1 力 ピザ ァ」 を 見に 行く。 川 手 氏より 手紙 

譯, 七片。 



六月 二十 三日。 晴。 山 本 氏より ハガ キ。 デビス 博士より 手紙。 

六月 二十四日。 暴。 デビス 博士へ ハ ガキ。 四 新聞社へ 七月 號 nn 次。 帝國 典範 會 社より 手紙。 小 坂 田 

某氏よ P ハ ガキ。 原 氏の 依賴で 公證人 役場へ 行く。 川 手 氏を訪 ふ。 滋子 氏を訪 ふ。 浮 田 氏^ 對 する 控 

訴 は破キ された。 

六 H 二十 五日。 雨。 原 氏を訪 ふ。 新潮 社へ ハ ガキ。 川 手 氏へ 證攄 用の 束 京 日々 とハ ガキ。 譯、 十五 

片。 

六月 廿 六日。 雨。 地方裁判所へ 出頭、 仲裁 をしたい から 來ぃ とのこと であった の だが、 淸 子の 方が 

as 席し なかった。 僕の 方 も 仲裁 は 到底 成り立 つまい と 云 ふ 意志 を 示め して 歸 つた。 穴 回 は 來月七 R 

(位し 淸 子からの 扶養料 要求の 件)。 今日、 妹 千 惠が來 ての 話に また 淸子 離婚に 對 する 證據の 一 つが 擧 

つた。 雜誌 初校す み。 譯、 七片。 

六月せ 七日。 雨。 新潮 社より 譯印稅 のうち 三十 圓。 神 崎 氏より 手 鋭。 中 村 (武) 氏より ハガキ 。今日、 

「闇の K ュ盤」 の僞 版が 日吉堂 本店と 云 ふところから 本年 一 一月に 出て ゐ るの を 發 見した。 かけ 合 ふつ もり 

だ。 原 氏を訪 ふ。 

六月 廿 八日。 雨。 神 崎 氏へ 手紙。 新潮 社へ 手紙。 田 中 (王) 氏より r カキ。 雑誌 木 文 再校す み。 下痢 

で やすむ。 

薬 鴨 日記 § 三 八 五 



泡 鳴 八 t^. 十二 卷 一 二八 六 

六月 廿 九日。 曇。 萬 歳 社へ 雜誌 廣吿。 火曜日 會 通知。 山 本 氏より 手 so 「力 ピリア」 の 續篇を 原 氏と 

見に 行った ついでに、 僞版 家の 日吉 堂を訪 ひ、 昨 曰 午後 六 時までに 挨援 をし ろと 放って置いた。 千^^」 

が來 て、 淸 子の 材料 を 探索して 來た。 雜誌發 行 所 並に 見本 差 出 局變更 届の 二通 をす ませた。 一 

六月 三十日。 晴。 武林、 中村(孤)ニ氏朝からっれ立って^^訪、 ゆ ふ 方まで。 原 氏 來訪。 また 別な 粳 

(正) 氏 來訪。 譯、 十三 片。 ; 

七月 一 日。 雨。 川 手、 山 本 1 一氏へ 手紙。 S. 澤氏發 送の 手傳 ひに 來た。 十四 五 年 前に 滋賀 縣で敎 へた 一 

擧 生の 井尻 新 之 助が 九 年 米國に ゐて歸 朝、 新 日本 主義の 仲間に なって 斡 事と して 奔走す る ことにな つ i 

た。 支部 設 a 依 賴のハ ガキを 次ぎの 人々 に 出す、 盛 岡の 大信 m、 日向の 日 高、 横 濱の鈴 木、 K 野の ゆ; 

村、 大阪府の 荒木、 淺 草の 藤 野、 淡 路の鈴 木、 中津の 林、 大津の 堀 井、 北海道の 田 口、 京都の 井上。 ; 

木 村、 三 井 1 一氏へ 尸 ガキ。 前 島 氏を訪 ふ。 山 本 氏を訪 ふ。 一 

七月 二日。 晴。 新潮 社の 佐 藤氏より 手紙。 井尻 氏より ハガキ or 國 法と 生活」 (十四 枚 y 巾 外 日報へ、 " 

渡 邊素海 氏への 答へ。 一 

七月 三日。 晴。 木 村 (卯) 氏より ハ ガキ。 本日 原 氏と 共に 府中に 行き、 中 厘と 云 ふ 宿屋 を搮 偵して a; 

た。 淸 子が ここに 三日 若しくは 四日と まった と 云 ふこと を聽 いたからで、 先月 八、 九、 十日の 三 晩ぶ 

とまり、 十 1 日に 出發 して ゐ る。 その 用向き は 別に 問題に ならぬ が、 十日の 晝 ちょ ッと 尋ねて 行った 一 



男 * あると 5 ふその ス相は 1^ く 田 中 Hi 堂 R らしい。 それから 清 子の 歸京 は實 際に 於いて は 十二 日で あ 

つたとまで 分って るので、 十 一 曰の 晚を どこで とまった かが 疑問 だと S ふところまで 漕ぎつ けて 歸っ 

た 

七月 四日。 雨。 田 代 氏へ ハ ガキ。 松 下、 池 田 (芳: r 西 本 氏よ. リハ ガキ。 火曜日 會に 出席、 田 中 王 堂 

氏 を^ 逢へ 呼んで 誓言 を 破って 昨日 發 見の やうな 行爲が あるの をな じリ、 私 交 斷絡を 宣言して 置いた 

(但し 公け の 席で 會 ふの は 別と した )o 

七月 五日。 雨。 敎育 實驗界 から 敎青 界に對 する 質問が 來 たので、 左の 如く 答へ た、 I 

今日の 敎 育に 最も 疎んじられて ゐ るの は 本能と その 結果と である。 俗に 天才と 云ったり、 靈 まと 云 

つたり する もの は、 すべて 本能 を 適當に 理智の 制限から 解放した 狀態 である これが 今の 敎 育に 忘 

れられ てゐる 

文章 世界の 西 村 氏から 原稿 依賴、 昨今 多忙な ので 斷 わった。 

本日 • 原 氏が 田 中 (王) 氏の 宿 (喜樂 園と 云 ふ、 三 河 島の 貸 席) へ 行って 探偵して 來 たによ ると、 先月 

十】 日の 夜は歸 宅して ゐす、 十二 日 もお そくな つて 歸 つたの ださう だ かうな ると、 淸 子の 行 爲と段 

段 接近して 來た。 明日 は、 その 十 I 日の 晚の 密會 所と 思 はれる ととろ を. 8 する つも ジ 萬 朝 報 社の 

野 上 氏を訪 ひ、 同社が 聽き 込んで る密會 所の 寺と は どこの 方面 だと 聽 くと、 「日 暮 里の」 とだけ 分って 

巢鴨 日記 第 111 ーュ. 八 七 



li 第 十二 卷 ミ 八み 

る。 等の あてのと ころと 大體は 一致して ゐる。 譯、 十八 片。 タゴル 氏へ 「直言」 揭 載の 雜誌。 

七月 六日。 曇。 一 元 社より ハ ガキ、 同じく 返事。 井上 (右) 氏より ハ ガキ。 文章 世界の 西 村 氏より 原 

稿 依 幅の ハ ガキ、 同じく 斷 りの 返事。 譯、 四十 五片。 十日 會 よ.^ 通知。 この 會 通知に 正宗 氏 歡迎の 意 

を 書き入れ てない ので、 別によ みうりと 時蕖 とへ その 意 を 書き 添へ て赏ふ 知らせ を 出した。 

七月 七日。 曇。 關 氏より ハ ガキ。 氷窒 氏より 手紙、 同じく 返事。 け ふ、 原 氏に 伴 はれて 淸 子の 行 爲 

偵察の 爲め熊 野 前の ラヂ ゥム溫 泉淸遊 館と 碩 (原本 缺字) 寺と に 行って 見た が、 効 円 水 は擧ら なかった。 

但し 前者の 方 は 主人 並に 女中が すべて 昨今 改まったので、 以前の 主人に 聽 い、 て 返事させる ことにし 

て來 た。 日吉堂 主人が 石 川 誠 三 氏 を 俾 つて 來訪* 僞 版の 妥協 を 申し込んで 來 たが、 旣に辯 護士に 訴訟 

依頼 をした ので • その 方へ 相談す ると 1K つて 歸 した。 统-型は「簡の1^盤」の外に「新自然主翁」のをも£^ 

つ て あるとの こと 

七月 八日。 晴。 川 手 氏へ ハ ガキ。 タゴル 氏へ 雜誌。 中 村 (武) 氏より 手紙 並に 小說の 返槁。 關 氏よ リ 

書物。 中濘 (靜) 氏 來訪。 正宗 得 三 郞氏歸 朝に 付き、 十日 會歡 迎會の 通知 ハガ キ。 高嶺 堂へ ハ ガキ。 前 

島 氏より 手紙。 四^ a 十錢、 新潮の 原 3i 料。 譯、 二十 ニ片。 今夜, 淸 子の 宅へ 午後 十 時 頃に 田 中と 云 

ふ 人が 來 たと 云 ふの 內通 があった ので、 張 iws# をさせる つもりで 妹の 宅へ 行って a たが、 惯察 による 

と、 淸 子が 午後 十一 時 過ぎに 筑 紫の 書生と 歸 つて 來た。 藝術 くらぶの 芝居 を兒に 行った の だ。 田 中 は 



】 度 あがって 待つつ もりで あつたが、 芝居と きいて 歸っ て 行つ たの だ。 明日 來 ると 1K ひ 置い たさう 

だ。 

七月 九日。 暴。 本 曰 • 原 氏が 淸 子の 女中が 病氣で 引き さがって る 叔父の 家と- iK ふの を 尋ねた が、 ど 

うしても 分らなかった。 前 島 氏へ 手紙。 川 侯 氏へ 手紙。 譯、 三十 七片 o( 千 ゑの 報 $r 淸子 はこの 夜 十 

二 時頃筑 紫から 醉 つて 歸 つた、 田 中 氏が 門まで 來て、 では また 明 rn 來 ますと 云って 別れた)。 

七月 十日。 大雨。 井川 氏より ハ ガキ。 中央 公論の 瀧 W 氏よ ぉ小說 依賴、 同じく 返事。 川 手 氏 を訪ひ • 

偵察 材料 を 報告す。 十日 會に 行く o( 千 ゑの 報吿、 淸子 はこの また 府中へ 行った、 中と 一 緖 らしい) 9 

七月 十 一 ョ。 隋。 it 崎 氏より ハ ガキ。 じく 返事 (鑛山 は 自家 經營 などの 野心 を 起さす、 喪って し 

まった 方が いいとの 忠吿 )o 井川 氏より 手紙。 譯、 三十 片。 

七月 十二 曰。 雨。 新潮 社の 佐 藤氏へ パガ キ。 澤 (來 太郞) 氏より 手紙 • 同じく 返事。 木 村 (卯) 氏より 

原稿。 上田 (敏) 氏の 死去の 通知。 山 本 氏より ハガキ 。譯、 三十 七片。 

七月 十三 日。 雨。 新潮 社より 譯印稅 のうち- 三十 圓也。 山 本 氏 を 訪ふ。 井尻 氏より 手紙、 じく 返 

事。 上 m 敏氏の 訃報。 谷 中 へ 上田 氏の 葬式に 列し に 行く。 

七月 十 W 日。 小雨。 上田 家より ハ ガキ。 小說を 書き初めた。 

七月 十五 日。 晴。 正宗、 廣瀨 氏より 原稿。 廣瀨 氏より r カキ。 加 藤 (朝) 氏より r カキ。 雜誌 へんし 

巢鴨日 S3 S 111 八 九 



泡 鳴 第 m 十二 卷 一一 ーォ C 

うすみ。 原 氏 來訪。 

七月 十六 日。 十七 日。 曰 東 堂よ.^ ハ ガキ。 小說 「その 一日」 (五十 枚) を 終る。 

七月 十八 曰。 晴。 山 本 氏より 手紙。 米倉より 手紙。 E じく 返事。 中央 公論 社より 六十 圆。 吉野氏 を 

訪ふ。 譯、 十 一 片。 

七月 十九 日。 晴。 池 田 氏 を チウ インガム 社に 訪ふ (留守 )。 藝術 くらぶに 「三角 焖」 試演の 準 儲 を 兄に 

行った。 得) 氏を訪 ふ。 氏より セザン の 版霱を 一 つ 貰 ふ。 山 本 氏を訪 ふ。 途中で 平 嫁 明 子 氏に 逢 

つた。 米倉より 手紙。 譯。 四十 片。 

七月 廿日。 晴。 米倉へ 返事 原 氏 を 伴って 「三角 畑」 を H ルに 行く。 . 

殆ど 三 ケ^の 飜譯 • ゃッと 完結した。 總計九 千 四百 八十 七 片* 乃ち、 四千 七 百 四十 四 枚で ある。 あ 

と は 索引と 挿し 靈 とだ。 これに 印稅 のうちと して これまでに 取った 金を^ 葬す ると、 一千 四百 六十 三 

圆 二十 錢也。 

一月 廿 一 Ho 暗。 山 本 氏を訪 ふ。 新潮 社の 佐 藤氏に 面會し * 飜誊の 始末に 付き 詳しい こと を 相談し 

た。 前 島 氏を訪 ふ。 米倉より 手紙。 

七月 廿 二日。 隋。 丸 善へ C カキ。 新潮 社の 佐 藤氏へ ハ ガキ、 羅馬 衰滅 史飜譯 の 件。 萬 歳 社より 手 

紙。 中央 公論の 小說 校正 ズミ。 鈴 木 a 二) 氏 畑 君 死亡の 通知。 廣瀨 • 蒲 原 (お)、 野 口 三 氏を訪 ふ。 



七月 廿 三日。 關 氏よ リ ハ ガキ。 

七月 廿 四日。 雜誌 再校す み。 印刷屋 主人 來訪。 夜、 三重 吉 夫人の i に 列し、 歸. =N に 野 上 生 田 二 氏 

と共に 日 比 谷の 松 本で ビ ー ルを飮 む。 

七月 卄 五日。 晴。 

七月 廿 六日。 野 上 氏を訪 ふ。 

七月 廿 七日。 廿 八日。 「鄕 土と 日本」 なる 雜誌を 送って 來て、 何 か 言 紫 を 求められ たので、 左の 如 

きこと を 通知した、 —— , 

鄕 土と 日本と 云 ふこと は、 結局、 j つで ある。 僕 等に 對 して 日本 は 抽象的な 物で はなく、 僕 等が 人 

生 を經營 する 具體 力で ある。 僕 等 は 人生の 實際 經營を 國內の 一 地方に 於いて、 乃ち h 1 鄕 土に 於い 

てす るが、 其鄕 土人なる 僕 等 は 間接 若しくは 部分的な 日本人で はなく、 直接に 全部 的 日本人で ある。 

斯う S ふ氣分 なり 哲理な りに なれて こそ、 僕 等の 日本 主義 は具體 化せられ、 又統 一 される の だ。 

日記の 一 節 . 泡 鳴 

殆ど 一 二 ケ年を 費やして、 ゃッと ブル タルク 英雄 傳の飜 譯五千 枚が 出來 上った け ふこの S ;、 三 四日 來 

何 だ カ氣拔 けがした やうに なって、 毎日 朝湯 をす まして 食事 を 終 はると、 椽が はの 椅子に もたれて 庭 

巢鴨 日記 S&ui さ >】 



泡 曝 仝 第 ^十二 卷 一一う 

ばかり を 眺めて ゐ る。 

け ふ も 雨で I 土用 芽 を ふいて る 檜 葉、 ちゃぼ 檜 薬 * 山吹、 えに しだな どが、 下なる黑.^んだ槊ゃ 

枝から 段々 と 上の 方に. a の&を 成し、 濃い 綠* あさ 綠 のうへ が黃 色に ぼけ てるのが、 闇に 光り を 添へ 

たやう だ。 

すいて ふ 花と 云 ふ 名で 買って 來 たやさし い. 一本の 草花が、 今澤 山の ひげの やうな ぢ くの さきに さや 

豆の やうな 實を 結ぴ殘 しつつ、 上へ 上へ と 延びて 唐人 まげの、 やうな 花 を 開ら いて 行く。 その 根 もとに 

ある 五六 本の 低い 桔梗の 花 は 凡て 淡 紫 だと 思って ゐ たら、 けさから! つの 白い の を も t やき 初めた。 

七草の 寄せ 植 ゑの 获に は、 もう、 つぼみが 見える。 ここに も桔 挺が 唉 いて ゐて, うす 紫の 下向き 膝 

ち は 寂しい 感じの する もの だが、 その上に は 二 もどの をみ なへ しが 黃 いろい 花 をば ッと 夭に 向けて ゐ 

る。 

かかる 狭い 世界の 中央なる 圆ぃ 花壇の ン 中には、 今 を 盛りと 靑ー i の カンナが 眞ッ 赤な 花 を 吐いて 

ぼんやりして ゐる 主人 S を さまして くれる。 然し 變は 一 つ 物足りない S 蜜蜂がない ことで ある。 

この 五月 頃に は、 どこかに 飼 はれて る 蜂が 澤山 やって来て 山吹 やえに しだの 花の 蜜 を 取って たので • 

あさゆ ふに それ I て S すんで 今 は 花の 少く S て來 S 節で、 露 も 飛んで 來 ない。 S. 

1 I 群 を 新たに 買 ひ 求めようと して ゐ たの だが、 そこまで 手が 届かない。 去年 I した あの 妻が 僕. 



の數 年來. ^精して 來た 蜂の 四 群 を 殆ど 故意 的に 無くした のが 如何にも 殘 念で たまらぬ。 

今の 家婦が 西本願寺の 連枝 同格なる 別格 寺の 娘で あるの を聽き 知って、 僕の 一 友人で 大谷 光端 氏め 

もとに ゐた 者が 二 樂莊に 育った 朝 額の 種を數 種類 吳れ た。 それが この頃 毎朝の やうに 二三 輪 づっ暌 く 

育て方 や 芽の つみ 方が 惡 かった 爲 めか、 最初に 唉 いた 光輝 ある 紅の 一 輪が 徑四寸 あった だけで、 その 

他の はすべ て それ 程に 達する のがない。 

雨の ゆ ふ 方 を 僕 はふる 帽を 被った だけで 庭へ 出た。 そして 庭と 玄關 道と を 仕切る 竹垣に 纒は せて あ 

る 金 連 花の 延びた の を • ぶら 付せ ない 爲 めに 竹に まと ひ 付けた。 そのつ いでに • 四 坪ば かりの 畑 をお, 

ほって る 胡瓜の 棚 をの ぞいて 見る と • また 新たに 1 尺ば かりの が 四つ 五つ 出 來てゐ た。 僕 は その 1 つ 

を 切って 來て歷 をつ けて 喰った。 こんな 小い 畑で も • 成り 出す とそれ から それと 出來る もので • 近處 

の 友人な ど は 毎日の やうに 1 つや 二つ 細君 をして 取りに よこす すべて 僕が 自分で 畑 をして、 自分で 

こやし を與 へた もの だ。 

成り 物の 成る の を 待つ 而 ほさに おとな も 小 供も變 はりない やう だ。 今年 十四に なった 子 は、 I 昨年 

の暮 から 僕と 初めて ー緖に 住む やうに なった の だが、 去年の 春 はさきの 家の 庭ぢ うに 出た 11 そして 

僕が 樂 しみに して ゐた 11 紫 しづかの 芽生え をす ッ かり 雜草 と共にむ しり 取って しまった もの だが、 

もう、 と の 頃で は、 僕の 手つ だ ひ をして、 朝顔の 芽の つみ 方 も 分った し、 畑への こやし もやれ る。 ま 

巢鴨 nisi S H^H 



泡 鳴 築 ^十二 卷 1】1 九 四 

た、 今年 十 I の 子 は、 去年の 春 初めて 僕のと ころへ 遊びに 來て、 俊の 畑 を やって るの を 見お ぼへ 市中 

へ歸 ると 直ぐ * 八百屋から 奇麗に 洗った 大根 を 一 つ 買って 來て、 庭 さきへ 植えた が、 白い ところ を H< 

邊に 向けて、 葉の 方 を 土に 埋めた さう だ。 が、 本年から 僕の 家で 小攀 校へ 通 ひながら、 歸宅 するとい 

つも、 今】 名 下の 子と 共に 畑の 周圍 をめ ぐって 枝 S の 數を數 へて 見たり、 唐 もろこしの 資を 仰いで 兒 

たりして、 いつ 食べられる だら うと 語り合つ てる。 唐 もろこし は 家の 板壁 うらに 添って 家の 周 園に 纖 

を播 いたので、 總計百 五六 十本 は あるが、 そのうち よく 寶を 結んだ の は 五六 十本 だ。 その 花の さき は 

板壁 を 二三 尺もう へ へ 出て ゐる 。僕 は 胡 風 を喻 つた あとで、 また 雨に ぬれながら、 試みに 唐 もろこし 

を 三つ だけ 取って 見たら、 すべて 十分に 粒が 揃った 上出来で, 齒の拔 けた やうな ところ はない。 

然し 下の 子 は ゆ ふべ から 熱が あって、 ォキシ へ ラを かけて やって るが まだ もどす 氣が 去らない ので、 

その 最も 樂 しみに して ゐる唐 もろこし だが * これ は與 へられぬ。 (七月 二十 八日) 

新 日本 主義 第 i 第 九 號に揭 載され る 日記の 一節が 入る) fsAUISKI).- 

七月 廿 九日。 大風 雨。 竹 腰 來訪。 風雨に 付 一 泊 。「日本人と ユダヤ人」 (撰 民の 觀 念に 付て) 十七 片。 

七月 三十日。 晴。 竹 腰 は 今回 阿波に 行く に付き • 死に場所 を 岩 野 家の 墓地なる 故 長女の 墓に 定めて 

置いて くれろ と 頼んで 歸 つた。 せん 別に 多少の 金錢を やる 約束 をした。 英枝 と共に 加 籐 氏 を 訪ふ。 僕 

はまた 木 村 (鷹) 氏 を 訪問した。 



七月 三十 一 日。 晴。 野 上 氏來訪 • 共に 丸 善に 行く。 新潮 社主より ハ ガキ。 高嶺 堂より 手紙。 氷室 氏 

より 手紙。 新潮 社、 中 村 (武) 氏 • 山 本 氏、 前 島 氏 を訪 ふ。 プル タルク 揮 整の 整理 をす ませた。 

八月 1 日。 晴。 中澤氏 來訪。 千 ゑの 家族 四名來 たる。 廣瀨氏 來訪。 吉野氏 並に 木 村 (秀 雄) 氏 來訪。 . 

八月 1 一日。 晴。 春陽 堂、 西 村、 新 曰 本、 早稻田 文擧社 等へ ハガキ (小說 を 書く かけ 合 ひ)。 野 上 川 氏 

へ ハ ガキ。 井尻 氏より 手紙。 

八月 三日。 晴。 井尻 氏へ ハ ガキ。 田 中 氏へ ハ ガキ。 永窒 氏よ リハ ガキ。 原 氏 來訪。 夜、 若宮 氏を訪 

ひ、 西洋 古典 飜譯事 雜會の 組織 を 相談す。 

八月 四日。 ちょ ッと 雨。 朝早く、 千 ゑから 使 ひ あ hs、 田 中 氏が 淸 子のと ころへ 昨夜 九 時 頃に 來て、 

十 I 時 過ぎまで ゐて もま だ歸ら なかった ので、 車屋 を 續んで 外に 番 させて あつたが、 氏が 歸 つた か歸 

ら ないか 分らない が、 今 玄關に 男の はき 物が あるから 通知 するとあった で、 長 谷川へ 行って 見た が、 

その 時 は、 もう、 その はき 物 もなかった とのこと であった。 

中 村 (孤) 氏來訪 or 六 #に 三番 づっ) 。原 氏 來訪。 「不搌 か 持久 か」 (十 2 片)、 新潮へ。 

八月 五日。 ちょ ッと 雨、 あと 踏。 早稻 田文擧 より 小說 三十 枚 以下 依賴。 淡 路の鈴 木 氏より ハガキ 

佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 中譯氏 來訪、 I 回 を 貸す。 

t< 月 六 口。 晴。 淡 路大觀 發行所 並に 鈴 木 (勇) 氏へ ハガキ 並に 雜誌數 十 部。 原 氏 來訪。 深 田 氏 二度 來 

巢鴨 Bss 第 111 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 W 九 六 一 

訪。 佐 藤 (義) 氏より 手紙 C. 羅馬 衰亡 史」 飜譯の 伴 は プル タルクの 景氣を 見てから のこと、 また 本^.^ 

:1 母 月 六十 圓づっ 前金 を 渡す こと は 御免 を 被む りたし とのこと を 中 纖會の 返事と して 通知)。 竹 腰より ハー 

ガキ (阿波 行き は 見合 はせ の 由)。 田 中 氏へ 催促した 書物が 返 送 されて 來た。 生 田 (長)、 德 0( 秋 |^) 二 

氏を訪 ふ。 生 W 氏へ は希臘 ii 馬 古典 飜譯會 に 名 を K す 承諾 を 得に 行った の だ。 

八!^ 七日。 晴。 米倉より ハ ガキ、 同じく 返事。 S 生 方 氏を訪 ふ。 小說を 書き初めた。 一 

八月 八日。 夜、 雨。 池 W (藤) 氏へ 手紙。 米倉よ リハ ガキ。 大月 氏よ リハ ガキ。 小說 をつ づける。 , 

八月 九日、 十日。 岡 氏より ハガ. キ。 山形の 堀 新と 1K ふ 人から ハ ガキ、 同じく 返 。「二 頭の 錫」 (三. H 

1 枚 分: r 早 稻田文 ゆへ。 . ^村 (星) 氏へ ハガ キ。, 一 

一 

t< 月 十 一 !!:。 雨。 池 W 氏より 手紙。 淡路の 石上欽 一 1 氏より ハ ガキ。 一 

八月 十二 曰。 曇。 石 上 氏へ r カキ。 佐 藤 ハ稠) 氏より ハ ガキ。 池 田, 氏 を訪ふ (雜 誌の 廣吿を 取りに )o 一 

1 警戒す ベ き 世界主義」 (1 一 十六 片)、 新 日本 主義 へ 。「鬼の 憤激」 (諷刺 詩)。 一 

八月 十三 日。 曇。 雜 誌の へんしう、 三 井 氏より ハ ガキ。 滋子氏 來訪。 

八月 十四日。 晴。 千 紫 氏より ハガ キ。. " 

八月 十五 :!:。 晴。 長 谷川へ ハ ガキ。 京都の 伊藤 氏へ ハ ガキ。 千 紫 氏へ r カキ。 滋子 氏より バガキ C " 

諸 新 M へ雜誌 九月 號の 目次 通知。 原子 氏 を訪ふ 0. 日蓮」 出版の 相談 をして 見た)。 1 



t:; 月 十六 日。 晴。 日吉 堂よ^ 「闇の 盃盤」 並に 「新 自然主義」 の 紙型 を 届けて 來た (これで 僞 版の 問題 

は方づ いた)。 世界 名著 飜譯會 の 趣意書 を 起草した、 明日 若宮 氏に 兑 せに 行く つも.^。 

八月 十七 曰。 晴。 新潮 社主へ 手紙。 滋子 氏より ハガ キ。 中澤、 加 藤 (朝)、 加籐 (謙) 三 氏 來訪。 若宮 

並に 北 村 二 氏 を 訪問。 

八月 十八 日。 踏。 山 本、 巾澤ニ 氏よ リハ ガキ。 北 村 氏へ n ミ クオ ベラ 原稿と ハ ガキ。 氷窒氏 来訪。 

原 (正) 氏 來訪。 女. の 世界 記者 來訪 (ことわった)。 

- 八月 十九 日 。雨。 

• 八月 卄日。 晴。 雜 誌の 初校す み。 山 本 氏 を 見舞 ひに 行く。 木 村 (卯) 氏へ ハ ガキ。 

八月 卄 一 日。 晴。 高嶺 堂の 主人 來訪。 日本 蓄音器 會 社の 社員 來訪。 中外 日報より 參圓 野 上 氏を訪 

ふ (g 寸)。 木 村 (卯) 氏より r カキ。 川 手 氏より 手紙 (浮 田 氏に 對 する 控訴棄却の 寫し 文)。 

八月 廿ニ H。 雨。 中 村 (星) 氏より 手紙。 時事の 柴田 氏より 手紙。 雜誌 再校 ズミ。 

八月 卄: 二日。 雨。 東亞 堂へ 手紙 (「日蓮」 出版の かけ 合 ひ )0 畑の 胡瓜 を 切 取る に付き、 根から 水 を 取 

つたら、 化粧水が ビ ー ル 瓶に 五本 分出來 た。 井尻 (新) 氏より 手紙 (家の 難局 を發 見した 爲め、 新 日本 

主義 運動に 當分は たづ さはれ ぬ さう だ)。 原 氏 來訪、 四 五 時間 花 を 引いた。 

八月 :}"四 日。 晴。 井尻 氏 へ }s*o 日蓄 より 稿料 五圓。 野 上 氏 を 訪ふ。 

槧鴨 日記 第三 1】1 九セ 



;?: 鳴み: 集 第 十二 卷 一一 1 九 八 

月卄 五日。 晴。 博 文 館、 チウ インガム、 新潮 社、 ォキシ ヘラ、 山 本 氏、 天 弦 堂、 東亞 堂を訪 ふ。 

月廿 六日。 ちょ ッと 雨。 關 氏を訪 ひ、 鑭譯會 に 寄附し そうな あて ある 人 1 名の 勸誘を 頼んだ。 川 

芋 氏を訪 ふ。 野 上 氏より ハガキ 。新潮 社の 佐 藤氏より 手紙。 

月廿 七日。 晴。 佐 藤氏へ 手紙 (關 氏の 書物 紹介 )o 川 手 氏へ 手紙 -0 高嶺 堂へ 手紙 (印刷 代 を もっと- 

安くす ると ころが あると 掛け合 )o 中澤氏 來訪。 

八月 廿 八日。 晴。 犬 月 岡 氏より ハ ガキ。 新 潟 縣の小 慕と 云 ふ 人より ハ ガキ。 東 fa 堂 並に 天 弦 堂 を 

訪ふ (共に 主人 资守 )o 今 井 (歌 子) 氏 を 訪ふ。 畑 を やり直して いろくの 茱ゃ 大根 をまい た。 

八月 廿 九日。 神經 衰弱の やうで 何もせ す。 

八月 卅!: :!。 雨 あり。 正宗 氏より ハ ガキ。 植竹 氏より 手紙。 北 村 (季 )、 奥山 (寬 平、 若宮 氏へ 書信。 

八月 三十 一 日。 晴。 本 富 士町石 川文榮 堂へ ハガキ (「ボン チ」 紙型 買 ひ 受けの 件。) 吉江 氏、 木 村 (廳) 氏 

よ hs ハガキ 。新潮の 佐 藤氏より 手紙。 池 田 氏を訪 ふ。 生 田 氏 を 訪ふ。 若宮 氏來訪 • 同氏と 共に 布 川 氏 

を訪 ふ。 新潮より 稿料 四圓。 

九月 I 日。 晴。 馬場 • 41 口 江 二 氏へ カキ。 關 氏へ 手紙。 川 手 氏へ 手紙。 火曜日 會の 通知。 

九月 T 一日。 晴。 加 藤 (朝) 氏を訪 ふ。 , 

九月 三日。 晴。 馬場 氏より 手紙。 蕃我 堂より ハ ガキ。 福 迫 氏より ハ ガキ。 印刷屋へ 行った ついでに 



川 俣 氏を訪 ふ。 

九月 四 曰。 晴。 氷室、 大野 二 氏へ ハ ガキ。 中 村 2) 氏へ 手紙。 川 侯 氏へ ハ ガキ。 滋子 氏より ハガ 

キ。 巖 より r カキ。 吉江氏 送別 會の 通知。 中 村 (孤) 氏來訪 (留守)。 

九お £ 日。 晴。 佐 藤 (義) 氏より r カキ。 小 寺 (菊) 氏より ハ ガキ。 火曜日 會へ 出席。 

九月 六日。 晴。 川 侯 氏より ハ ガキ 文藝雜 誌より 文擧 愛好 の靑 年に 對す る 坐 右 銘を徵 して 来たの 

で、 「經驗 もな く • 自分で よく 考 へて 見た こと もない 言 葉 を 吐くな」 と 答へ て 置いた。 中澤 氏、 原氏來 

訪。 犬の 1 方 (ェ ス) を 捨てに 山の手 電車で 上野に 行った、 到底 育つ H.; 込みがない からで ある。 

九月 七日。 晴。 十日 會 より 通知。 よみうりの 加 藤 (謙) 氏 來訪。 原 氏 を 訪ふ。 早稻 田文擧 より 原稿料 

十八 圓。 

九月 八日。 晴。 「國家 主義 並に 個人主義の 獨斷的 酉^の 撤廢」 (三十 枚) を 日本 評論の 爲 めに 書いた 

九月 九日。 晴。 日本 評論 社より 稿料 十五 圓 。散文詩 r 生活の, 寂しみ」 雜誌新 日本 主義 を 「日本 主義」 と 

改題の 辭 (七 片)。 

九月 十 曰。 晴 * 風。 木 村 (卯) 氏へ ハ ガキ。 十 曰會へ 行き。 天 弦 堂より 手紙。 木 村 (卯) 氏よ タ 返事 ハ 

ガキ。 

九月 十 一 日。 風。 高嶺 堂 並に H< 弦 堂へ ハ ガキ。 三 井 氏へ 手紙。 中澤 氏よ" ハ ガキ。 澤 (來 太郞) 氏よ 

萬 鴨 B 記 望 £ 九 



泡 鳴佥集 第 十二 卷 E00 

り 刷り物。 木 村 (卯) 氏より 手紙。 

九月 十二 日。 藝。 田 代 (順 一) 氏 來訪。 高嶺 堂 主人 来訪。 山 本 氏を訪 ふ。 永窒、 並に 橋 川 氏より r 力 

キ 

九月 十三 日。 雨。 小此木 (忠 )、 橋 川、 氷窒, 川 俣 氏へ ハ ガキ。 fM 部遞信 局へ 手紙。 I 元 社より ハガ 

キ。 加 藤氏より 原稿。 川 侯 氏より ハ ガキ。 三 井 氏より ハガキ 二, 原稿 二。 川 手 氏 來訪、 いよく 「口 

本 主義」 の 協 S 主幹に する ことにな つた。 

九月 十四 口。 雨。 川 手 氏 並に 一 元 社へ ハ ガキ。 內務 大臣 宛 雜誌題 號變更 届。 東部 遞信局 宛 同じく 届 

け。 振 巷 口座 加入の 手續 きを 了す。 原 氏と 共に 伊籐 (義人) 氏を訪 ふ。 原子 氏へ 手紙。 

九月 十五 日。 晴。 川 手 氏より ハ ガキ。 雜 誌の へんしう をす ませて、 高嶺 堂へ 持って行った。 川 £ ^氏 

より 論文 作法の 稿料 二十 五圓。 氷窒 氏へ r カキ。 原子 氏 來訪、 夜 また 同氏 を訪 ふ。 

九月 十六 曰。 雨。 山 本 氏へ 手紙。, 控訴院へ 行く、 (示談の 様子 もあった が、 とてもお 話に ならな かつ 

た)。 鼻 かぜの 爲め、 夜 は 早く 就褥。 -, 

九お 十七 日。 中 村 (孤) 氏 來訪、 病氣の 無聊の 爲め蓉 を 三十 八九番 うち、 それから 花 を 三年 やった。 

九月 十八 日 * 十九 HI、 廿日。 雨。 生 方 氏 を 訪ふ。 

九 ョ廿ー 日。 *LH^。 ミス 、エルシ,.' ワイルと 云 ふ 人より 手紙、 同じく 返事。 氷 氏より バ ガキ。 中澤氏 



來訪。 

九月 廿 二日。 雨。 石 上 氏よ. os、 並に 大野 氏より 書信 (共に 支部 設置の 件 )o 天 弦 堂より 手紙。 

九月 廿 三日。 雨。 ゃッと 「枕と ハ ン ケチ」 (三十 枚 分) 脫稿。 京都から 滋 子の た カキ。 

九月 廿四 曰。 雨。 新潮 社へ 原稿。 I 元 社に 茂 氏を訪 ふ、 曰 本 評論に 各號 評論の 評論 を 二十 枚 づっ書 

くこと になった。 それから 同社の 小 說依賴 の 相談に ぁづ かる ことにな つた。 士 口野 氏 を 訪ふ。 岡 (落 薬) 

氏夾訪 C 说 守)。 米倉より 手紙。 

九 n;: 卄五 曰。 晴。 米倉へ 返事。 石 上 氏へ 手紙 (支部の 怦)。 瀧 田 氏へ 手紙 (借金の 件)。 大月、 水 室 二 氏 

へ r カキ。 木 村 (卯) ♦ 高嶺 堂 • 關三 氏よ.^ ハガキ 別な 小 說をま 曰き 初めた 

九月 廿六 n。 晴。 木 村 (卯) 氏へ た カキ。 茅 原 (茂) 氏へ 《ガ キ。 川 侯 氏へ 返本。 雜誌 初校す み。 原 氏 

九月 サ 七日。 中澤 (靜) 氏へ ハガキ 

九月 廿八、 九、 三十日。 

十月 一 Do 晴。 I. 山 本、 生 方 三 氏 を 訪ふ。 大月、 小 寺 菊 子、 正宗 (得)、 深 田、 原子の 五 氏 別々 

に 來訪ノ 

十月 一 一口。 雨。 川 手、 瀧 高嶺、 永窒 氏へ r カキ。 高嶺 堂よ リ 手紙。 山 本 氏より 返事 • 同じく 返 

巢鴨 日記 第三 四 〇 一 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 四 〇 二 

事 (以後 雜 誌への 廣吿 料が 出せぬ と 云 ふこと になった)。 中 村 (武) 氏より 原稿 を 返して 來た、 危險 だと 

云 ふので。 

十月 三日。 雨。 瀧 田 氏より 借金 斷 りの 手紙。 火曜日 會に 出席。 

十 H 四 曰。 晴。 H 木 (照 氏へ 手紙-並に 雜誌。 (郵船 會 社の 外 國通ひ 諸 船に 「曰 本 主義」 を備 へさせる 

交涉) 。川 手 氏へ ハ ガキ。 寓歲 社へ ハ ガキ。 關氏を 見舞 ふ。 若宮 氏を訪 ひ. - ここ 半年ば かりの 生活 を飜 

譯か 著述 を條 件に 補助して くれる ものが ないか 一 考 して 貰 ふこと にした。 ついでに、 北 村 氏を訪 ふ。 

「個人の 國家的 生活」 (平 嫁 氏への 答へ.) 三十 三片 * 文章 世界へ。 :- 

十月 五日。 晴。 大住 (嘯) 氏より r カキ。 大月 氏より 手紙。 日本 評論の 爲 めの 「評論の 評論」 (四十 片) 

を 寄き 終った。 • 

十月 六 日。 雨。 井奈 氏より ハ ガキ。 一 元 社へ 原稿 を 持って行く。 

十月 七日 。晴。 十日 會の 通知。 野 上 氏 來訪。 野 上 氏を訪 ふ。 

十月 八日。 晴 Q 中 村 (孤) 氏 來訪。 中澤氏 來訪、 その 小說を 一 元 社へ 紹介。 野 上 氏の 家に 行き、 碧 梧 

桐 並に 鼠 骨の 1 1 氏と 共に 讅ひを 歌 ふ a 一氏に 會 ふの は 初め だ)。 

十月 九日。 雨。 木 村 (卯) 氏より ハガキ 並に 原稿。 

十月 十日。 雨。 敬文舘 主人に 手紙。 m 中 (正 平) 氏より 手紙。 籐村氏 歡迎會 の 通知。 博 文 館より £1 料 



八圓。 十日 會へ 行く。 山 本 氏を訪 ふ。 

十月 十 I 日。 晴。 茅 原 (茂) 氏へ 原稿。 大月 氏より, ハ ガキ。 和 泉 流 後援 會 より 招待 狀 

十月 十二 日。 雨。 木 村 (卯) 氏へ ハ ガキ。 川 手 氏へ ハガキ また 同氏へ 手紙。 原 氏、 岡 田 (勝) 氏 來;. 

訪。 大杉 氏、 野 枝 氏と 共に 來訪。 雜誌 へ ん しう。 

十月 十三 曰。 雨。 敬 文 館, 木 村 (卯)、 廣瀨 氏より ハ ガキ。 橋 川 氏より 原稿。 三 井 氏へ 手紙。 博 運 社 

へ ハ ガキ。 一 元 社 へ 廣吿料 雜誌 原稿 を 印刷所 (本 號ょリ 無我 山 房) へ 波す。 川 手 氏より ハガキ • 協同 

の Tn*- の 件を斷 つて 來 たが- それ も 多少 は豫 期しないで はなかった ので、 十月 號に はさう 揭げ ながら 

も 僕 は 危ぶんで ゐ たのであった 

十月 十四日。 晴。 小此木 (信) 氏へ 手紙 (雜 誌の 件)。 各 新 M 社へ 目次 通知。 三 井 氏より 原稿。 中澤 氏. 

ょリハ ガキ。 和 泉 流 後援 會の 能狂言へ 行った 歸 りに、 德田 秋聲氏 並に 生 田 葵 氏と 共に 神 田 を ぶらつき、 

また 川 竹亭の 落語へ 這 入った。 それから また 本榔 まで 歩み、 生 田 長江 氏 を 訪ふ。 

十月 十五 日。 雨 宇 野 氏より 手紙 (見本の 件) 。原子 氏より よびに 來 たので、 碁 を 打ちに 行って 來た。 

十月 十六 日。 晴。 川 手 氏へ 手紙。 

十月 十七 日。 晴 川 手 氏よ リハ ガキ。 犬;^ 氏よ カハ ガキ。 中澤 氏來訪 (早稻 田 文擧へ 紹介 )o 原 氏 を 

訪ふ 。齒醫 * へ 行く 五 回目 

巢鴨基 第111 四 2 



泡 鳴 仝 $a ^十二 卷 四 ◦ 四 

十月 十八 日。 晴。 川 保 氏を訪 ふ。 加 藤 (朝) 氏、 他の 一 友 を つれて 來訪。 大月氏 來訪。 

十月 十九 日。 新 潟から 英 枝の 父 來 たる。 

十月 廿日。 雨。 

十月 廿 一 曰。 父、 1 一泊し * 今夜 出發。 伊籐 (義人) 氏 来訪。 原 (正) 氏 來訪。 

十月 廿 二日。 暗。 中 村 (孤) 氏 來訪、 を 三十 五番 打って、 僕が 白と 定 つた。 雜誌 校了 

十月 サ三 口。 晴。 正宗 (得) 氏 を 訪ねながら、 コ 一越の 二 科 展覽會 を觀に 行った。 歸 りに 長 谷川へ 立ち 

よる (惜 金の m 話の 返事 を聽 きに だが、 出来なかった)。 正宗 氏に は靑木 氏の 書 を 一枚 賣 つて 貰 はう と 

したの だが、 二十 五圆 以下 だら うと 云 ふので やめた 

十月 二十 H 曰。 夜、 雨。 木 村 (秀) 氏より 招待 狀。 大阪の 吉岡氏 來訪。 德田 (秋 聲) 氏 並に. 田 (弘 )^ 

を訪 ふ。 

十月 二十: A 曰。 夜、 雨。 博 運 社へ ハ ガキ。 中澤氏 來訪。 小說 「瓢簞 みがき」 を脫槁 2 十八 片)。 原 氏 

と共に 吉岡 氏の 宿 を 訪ふ。 

十お 二十 六 曰。 晴。 前 島、 中 村 (武 )、 正宗 (得), 山 本、 小此 木の 諸氏 を訪 ふ。 小 此木氏 はこ こ 1 ニケ, 

月間 雜 誌の 不足 費 を 補って くれる ことにな つた。 雜誌 出來。 新潮へ 小說 原稿。 

十月 廿 七日。 曇。 吉# 氏 來訪。 同氏と 共に 淺 草の 駒 子の 「蜘蛛の 舞」 を 見、 暫 らく 樂屋で 御馳走に な 



る o 

十月 廿 八日。 夕 かた 雨。 前 島 氏へ 「ォ キシ ヘラに 關 する 經驗」 を $50 る。 正宗 (得) 氏より 靑木 氏の 霱を 

111 十 圓で芝 川 氏が 買 ふ 承諾 をした と 云 ふ 通知が 來た。 加 藤 (謙) 氏 來訪。 原 氏を訪 ふ。 

十月 廿九 曰。 雨。 I 元 社よ ね ハガキ 。德田 (秋 聲) 氏へ 「黑 瀨」 の 原稿 を 持って行く、 「枕と ハンケ 

チ J を 訂正 增裕 して 「思 ひ 違への 《ン ケチ」 (四十 I 枚) として だ。 

十月 三十日。 暴。 新潮 社より 原稿が 返って 來た。 芝 川 氏を訪 ひ、 靑木繁 氏の 麄 r 蓮 命」 を 四十 圆で 買, 

つて 貰った • (これで 雜 誌の 費用に も當 てられる )o 曰 本 評論 社を訪 ふ。 

十月 三十 I 日。 曇。 火曜日 會の 通知。 

十】 月 一日。 雨。 小說 1 お 園の 家出」 (九十 片) を 終 はる、 日本 評論の 爲 めに。 

十; 月 二日。 晴。 橋 川 氏へ た ガキ。 須原啓 輿 社 並に 千 章 館へ 手紙 (小說 出版の かけ 合 ひ )o 三 井 氏へ 

《ガ キ。 渡邊素 海と S ふ 人より ハ ガキ。 服 部 守成と 云 ふ 人より ハ ガキ。 中澤氏 來訪。 

十 一 月 三 曰。 立太子式。 晴。 若宮 氏へ 手紙。 水 谷 (竹) 氏より 《,力 キ。 加 藤 a 戶川、 前 田、 野 口 氏 を 

訪 ふ。 

十 一 お-四 曰。 晴。 若宫 氏より 手紙。 須 原より 返 S (駄目 )o 今 井 歌 子 氏 を 訪ふ。 小此木 (信) 氏 を訪ふ o」 

『評論の 評論」 (四十 片: r 日本 評, 論の 爲め。 

巢鴨 日記 第三 四 p 产 



泡鳴.^<築 ^十二 卷 fwLO 六 

+ 1 月 五日。 晴。 中澤氏 來訪。 「4 上 問答」 (一 一十 片)、 新潮の 爲め。 

十, I 月 六日。 暗。 「親 遠 疎 近の 弊」 (七 片)。 へんしう。 

十一月 七日。 晴。 新潮 社の 佐 藤氏へ ハ ガキ。 ニ兀 社へ ハ ガキ。 前 田 (洋) 氏より ハ ガキ、 氏の 爲 めに 

前 島 氏へ ハガ キ。 火曜日 會へ 出席。 散文詩 コフザ の 姉妹 マルタ」 (四十 行)。 

十 一 月 八日。 晴。 吉野、 德田 (秋 聲) 氏 を. 訪ふ (後者 は 留守)。 長 田 (秀) 氏に 出會 ひ、 氏の 家へ 行つ 

た。 前 田 (洋 y 宇 野 • 大月三 氏より 書信。 「著書の 憔 版に 就いて、 一 般の 著者 並 5請 者に レ (十 一 片)、 よ 

みうりへ。 

十 一 月 九日。 雨。 黑 潮の 中 根 氏より ハ ガキ。 三 井 氏より ハ ガキ。 原 氏 來訪。 よみうりへ 原槁。 

十 I 月 十日。 雨。 中 根 氏 へ 返事。 久原氏 へ 手紙。 橋 川 氏より 原稿。 一 元 社 へ 行く。 十日き 出席。 

に 十一月 十一 日。 雨。 夜、 晴。 黑 潮の 中 根 氏より ハ ガキ。 讀 うりより 原稿 返る。 竹 腰より ハガキ 。「本 

號の 評論」 (二十 片)、 時事の 爲め。 茅 原 G© 氏へ ハ ガキ。 德田 (秋) 氏へ ハ ガキ。 

, 十一月 十二 日。 晴。 『新聞の 新聞」 の柴崎 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 山 本 氏より 輔 居の 通知。 時 

事へ 原稿。 一 元 社の 太 田 氏 來訪。 雜 誌の へんしう 濟み。 「艷福 家と しての 大杉 氏」 (十 片) 日本 評論り 

爲 め。 - 

十一月 十三 日。 晴。 生 田 (弘) 氏へ ハ ガキ。 三 井、 木 村 (卯 )• m 代 氏へ r カキ。 a 本 評論へ 原槁。 日, 



本 評論より 使 ひ。 

十 一 月 十四日。 晴。 柴崎 氏より r カキ。 若宮 氏より ハ ガキ。 中外 日報 社よ, ハ ガキ。 山 本 氏 を兒舞 

ふ。 中 村 (武) 氏 を 訪ふ。 

. 十 一 月 十五 日。 雨。 川 手、 若宮、 中外 日報 へ ハ ガキ。 中 川 (小 十郞) 氏 へ 手紙 (寄附 勸 誘と 山 本 氏 病 

狀 通知と )o 中外 日報の 質問へ は、 「一、 近頃の 感想 は 矢張り 悲痛で 面白い。 二、 近頃 讀んだ 本 は • ^ 

華經を 叮嚀に 請み 返した が、 ます, そのつ まらぬ 现 ぬを發 した」 黑 潮より ハ ガキ。 

十 一 月 十六 日。 晴。 長 谷川へ 行く (留守 )o 中 村 (吉) 氏 を訪ふ (留守 )o 生 方 氏へ ハガキ 返 赛。 

昨日から 「曰 蓮 聖人 御 遣 文」 を讀み 初めた (硏究 的に )o 

十一月 十七 日。 雨。 時事より 一 方の 方の 原稿 返し。 時事へ 返事。 木 村 (卯) 氏へ 原稿の 參考 物。 木 村 

(卯) 氏より ハ ガキ。 原 氏を訪 ふ。 黑 潮の 中 根 氏 來訪。 

十 一 月 十八 日。 雨。 川 手 氏 を^ 行に 訪ひ、 鴻の 巣へ 行く。 德田 (秋 聲) 氏 を 訪ふ。 米倉より ハ ガキ、 

同じく 返;: ョひ 

十 I 月 十九 日。 夜 • 雨。 米倉より ハ ガキ、 同じく 一 讽事。 時事の 柴田 氏より ハ ガキ。 

十一月 廿日。 晴 校正 ズミ。 柴崎 氏より ハ ガキ。 「日本 一」 社より ハ ガキ。 @| 瀨 (哲) 氏へ ハガキ 原. 

氏 を 訪ふ。 殖民 公論の 掘 E 氏 來訪。 同氏の 爲 めに 「陸上 唯 一 の 我國々 境」 (十! 二片 )o 

巢鴨日 Si 第三 g5 ヒ 



泡 鳴 十二 卷 八 

十 1 月廿 一 日。 晴。 鈴 木 (三直 吉) 氏より 韓 居の 通知。 この 數日は 日 1 遣 文 をば かり 研究。 

十一月せ 二日。 晴。 井奈 氏より ハ ガキ。 野 上 氏を訪 ひ、 「熊 野」 を 謠 つた。 

十 1 月 二十 三日。 晴。 堀 田 * 柴田 * 廣 ® 三 氏より ハ ガキ。 生 田 (弘) 氏を訪 ふ。 

十一月 二十 W 日。 晴。 長 谷川へ ハ ガキ。 祌崎 氏、 生 方 氏より ハ ガキ。 生 方 氏へ 返事。 時雍 より 料 

五圓。 田 中 (純) 氏 を訪ひ • 新 小說の 二月 小說を 請け合 ふ。 

十 一 月 一 一十 五日。 夜、 小雨。 原 氏 を 訪ふ。 

十一 n^: 二十 六日 。晴。 瀧 田 氏へ 人ガキ (火曜日 會の件 )o 前嶋、 山 本 • 小此木 氏を訪 ふ。 

十 一 月 一 一十 七日。 暗 東京 堂、 北隆 館へ ハガ キ。 原子 氏へ 手紙。 小此木 氏へ 手紙。 滋子 氏、 正宗 

(得) 氏 連名の ハガ キ.' 京都より 來 たる。 長 谷川 來訪。 原 氏 來訪。 

十一月 二十 八日。 筑紫氏 來訪、 去年の 事件 以來絡 交して あつたの だが、 あげて 見る と、 想像 通り 淸 

子との 件に 和解 離婚 をしたら どう だと 云って 來 たのであった。 淸 子に 簡 單な條 件で 離婚 承諾の 意志 さ 

へ あれば、 今 暫くの Si は餘 地が あると 云って やった。 但し 去^の 蜂の 件 並に 民 雄 代理人に なった 件 は 

不都合 を黉 めて 置いた。 この 二 件に 對 して 渠 がま だ 少しも あやまる 氣 がない ので、 俊と して は 從前通 

りに 取り扱 ふこと は 出来なかった。 

十 1 月廿九 曰。 雨。 黑 潮の 中极氏 來訪。 稿料の 殘金 三十 圈 (これで 都合 五十 圓) を 受け取った。 原 氏 



を訪 ふ。 火曜日 會の 通知 を 發す。 中 川 (小 十郞) 氏より 返事 (雜 誌への 寄附 は斷 つて 來 たが、 山 本 氏の 

病 氣に對 する 補助 は 出來た )o ) 

十 一 月 三十 曰。 雨。 紀 平氏 * 茅 原 (茂) 氏より ハ ガキ。 茅 原 氏へ C カキ。 原 氏を訪 ふ。 

十二 H 一日。 山 本 (喜 巿郞) 氏の 死去の 爲め、 この 九日 間 は 何もせ す • 屢々 の 徹夜に 耳が 一 方き こえ 

なくなり、 また 風 を 引いて ねる。 小此 木耳 科 病院に かよ ひ 中。 

十二月 九日。 晴。 病院の 歸途、 吉野 氏を訪 ふ。 木 村 氏より 原稿。 

十 J 1 月 十日- 十 一 日、 十 1 1 日。 耳 科 へ 行く。 

「故 露滴 山 本 喜 市 郞の傳 J (三十 片 )• 日本 主義へ。 中澤 氏より ハガ. キ。 雜誌 へんしう すみ。 日本 評論 

より 三十 圓。 

十二月 十三 日。 宇 野、 佐 藤 (四)、 三 井 • 中澤 氏へ ハ ガキ。 

十二月 十四日。 森 田 (恒) 氏を訪 ひ、 共に 田 山 氏を訪 ひ、 また 郊外 を 散歩す。 

十二月 十五 日。 石 塚 氏を訪 ふ。 

十二月 十六 日。 け ふで 耳 はいい かと 思ったら、 また 矢張り あす も 行かねば ならぬ。 中澤氏 來訪、 雜 

誌の 收金 を依賴 す。 山 本 氏、 新潮 社- 天 弦 堂を訪 ふ。 , 

十二月 十七 日。 晴。 耳 科へ 行った ついでに、 芝へ まわって 川 手 氏 を 訪ふ。 

巢鴨日 Si 第三 四 〇 九 



泡 鳴 r*| 築 第 十二 卷 四 IO 

十二月 十八 日。 晴。 耳 はよ くな つた やう だから、 病院へ 行かなかった。 

十二月 十九 日。 晴。 水上 (寧) 氏より 手紙、 同じく 返蔡。 

十二月 廿日。 晴。 

十 一 一月 廿 一 曰。 晴。 田 中 純 氏の 代理 來訪 (夏 目 氏の 思 ひ 出 を 「三度の 面會」 と 題して 話した )o よみう 

5 の 加 藤氏 來訪。 原子 氏を訪 ふ (校正に) Q 田 中 (純) 氏へ ハ ガキ。 

• 十二月 サ 二日。 西 村 (渚) 氏へ ハ ガキ。 

+ 二月 廿 三日。 晴。 村 山 氏より 原稿。 黑 潮の 中 根、 長 谷川 二 氏 來訪。 

十二お 廿 四日。 晴。 中澤氏 來訪。 小說 「韉 母と 大村 夫婦」 (七十 二 枚 半; r 新小說 へ。 野 口 (米) へ氏ハ 

ガキ。 田 中 純 氏へ r カキ。 ,. 

十二月 廿 五日。 晴。 中澤氏 來訪。 弟の 巖を 伴って 安倍 氏 を訪ふ (弟の 件に 付き )o 

十二月 廿 六日。 晴。 高 橋 (久) 氏へ 手紙。 瀧 田. 西 村 二 氏へ ハ ガキ。 春陽 堂より 稿料 六十 二 圓五錢 

也 

十 一 1 月廿七 R。 風。 英枝 • 女兒を 生む 母子と もに 健全。 前 島、 新潮 社、 中 村 ( I )、 小此 木、 ! 元 社 

を訪 ふ。 新 潟、 山 本へ ハ ガキ。 襄灣の 中 川 氏へ 手紙 (山 本 氏の 件)。 

十二月 廿 八日。 强風。 中澤 氏より ハ ガキ。 長 谷川へ ハ ガキ。 耳 科へ 行った が、 耳 はもうよ くな つて. 




?プ 

十二月 廿九 口。 晴。 萬 歳 社へ ハ ガキ。 淸 子の 代理人が 執達吏 を つれて さし 押へ に 來た。 押さへ たの 

は 衣 物 四 五 枚と 書物 八 百 三十 三 冊。 

十二月 卅 日。 晴。 こちらから 淸 子の 宅に 行き、 僕が 持って 夾-る 櫂 利 ある もの を 車に のせて 持って 來 

た。 其 中に 淸 子の しまって あった 書類が あった。 其 中に 田 中 王 堂が 淸 子に Si3 つた 夜中 呼出し 狀 (中 野 

ステ ー シ ヨン へ 二、 池 袋ステ ー シ ヨン へ 1) 並に 其 他の 往復 廿五 通と 淸 子が 王 堂に 送る とて 書いた 翹書 

1 通と を發 見した ので、 證據 品と して 整理した。 其 他に も 他の 男との 變な 意味 ある 誊類も ある 樣だ。 

十 1 1 月卅 一 口。 暗。 川 手 氏を訪 ふ。 押 取 品 中から 淸 子へ 子供の 衣類と 貯金 帳と 實 印と を 長 谷川の 手. 

を經て 返却した。 




巢鴨 日記 第三 



ii ^十二 卷 : . .1 f . 四 二】 



大正 六 年 

一月 一日 P 晴。 天 弦 堂より 雜誌 廣吿料 三圆。 年賀 耿 I 出した のが I 一十 七。 I— 來 たのが 三十 一 10 

山 本 氏より 手紙 (故山 本の 記念と して 書棚 を 一 つくれる さう だ )o 時事の 太 田 (稠 夫) 氏 來訪、 葡臘 一 二 

十日の 件 を 調べに。 

1 月 二日。 大雪。 中澤氏 來訪。 原 氏 を 訪ひ。 今 村 高皇ニ 氏に 逢 ふ。 年賀 狀 一 I 來 たのが 十二。 I - 

出した のが 十二。 

1 月 三日 。暗。 長 谷川へ 行く。 

】 月 四日。 晴。 長 谷川、 小 野 崎、 伊藤 (義)、 原 氏 來訪。 賀狀 Ii 來 たの は 一 一十 一 出した の は 九。 . 

1 月 五日。 晴。 横濱 より 姉 夫婦 來訪。 若宫氏 來訪。 加 藤 • 小 寺 • 深 田、 佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 

一月 六日。 晴。 女兒、 美 喜と 名 づけて 届け出た。 口 ー マ 字 ひろめ 會の鳴 海 氏 來訪。 若官 氏來訪 (事 

^を 1^ とか 方 づければ どうかと )o 年賀 狀 -, i 来たの は 八、 出した の は 五。 川 侯 氏より 山 本 i へんし 



うの 打合せ。 原 氏を訪 ふ。 長 谷川、 先日の 事, 件に 關 係した 爲 めに 始末書 を 出さねば なら なくなつ たと 

云 つ て來 た。 一, 羅馬 字に 對 する 僕の 考 へ 」 (八片 )。 

i 月 七日。 晴。 原 氏に 從 つて 今 村 氏を訪 ひ、 「日本 主義」 の米國 並に 布哇 に發展 すべ き 道 を 相談し 

た 

1 月 八日。 晴。 山 本宅に て 川 侯 氏と 共に 露滴 遣 槁を編 ii した。 正宗 (得) 氏を訪 ふ。 賀狀 11 來 たの 

は 五、 出した の は 三。 

1 月 九日。 晴。 米國行 手紙 十五 通 を 認めた (雜 誌擴 張の 爲 め)。 

1 月 十日。 晴。 十日 會へ 行く。 生 田、 長 田、 高 安三 氏を訪 ふ。 若宮 氏より 手紙。 

一月 十一 日。 晴。 事件に 付いて、 若宮 氏と 川 手 氏と を訪 ふ。 歸途生 田 (長) 氏 を 訪ふ。 

1 月 十二 日。 晴。 木 村 氏より ハガキ 並に 原稿。 原子 氏 來訪。 

一月 十三 日。 晴。 昨年 末淸 子の 宅へ 物 を 取りに 行った 時の/ J とが 時事 新報に 出た のに 對 して、 長 谷 

川がかかb^合ひにな.《^、 その 職の 任地 を變更 させられた 損害 上、 今後 その 取り返しが つくまで 月々 俊 

から 七圆の 補助 をす る ことにな つた。 但し、 千惠 がその 前に 朝早く やって 來て、 蒲 原の 枕 を 蹴たり し 

たので、 以後 この 家に は 入れぬ ことにした。 

1 月 十四日。 晴。 吉野氏 來訪。 

棄鴨 日記 第 111 四 二 II 



泡 鳴 全集 ^十二 卷 四 4H. 

】 月 十五 日。 暗。 加 藤氏より 原. 稿。 田 中 (純) 氏より 手紙。 木 村 (S} 氏の 絡 介で 中島 德三郞 と S ふ 人 

が來 た。. 正宗 (得) 氏 宅の 義太夫 會を聽 きに 行った。 雜 誌の へんしう 終る 。「民族的 功利主義の 覺酲」 (十 

四 片)、 日本 主義へ。 

1 月 十六 日。 晴。 三 井 氏よ リ 尸 ガキ。 山 木 氏より ハ ガキ。 シ H ル コ フと云 ふ 夫人より 手紙、 同じく 

退 十 $。 武林氏 を訪ふ (留守)。 

1 月 十七 日。 雪 ちょっと 降る。 寓歲 社より 手紙。 天 弦 堂, 大須 iKi 一氏より ハ ガキ。 原 (德〕 氏 來訪。 

1 お 十八 日。 晴。 若宮 氏よ リハ ガキ。 若宮 氏來訪 (事件の 爲 めに )o 齋藤 (未 鳴) と 云 ふ 人より 手紙。 

夜、 山 本 氏 へ 七七日の 法事に 呼ばれた。 

I お 十九 日。 晴。 齋 藤氏へ 事。 田 中 (純) 氏へ ハ ガキ。 原 氏、 中澤氏 来訪 。「德 富蘇峯 論」 (八十 片: r 

新小說 へ 。 

! 月 二十 曰。 晴。 シ エルコ フ 夫人より 手紙。 帝國 ホテルに 同 夫人 を訪 ふ。 春陽 堂よ リニ 十八 圆。 田、 

中 (純) 氏と 鴻 の^へ 行く。 德田 • 安倍、 木 村 (卯) 三 氏 を訪ふ (共に 留守)。 ついでに、 長 谷川の 叔母 を 

訪 ふて 久しぶりで 會 つた。 

1 月 二十 一 日。 踏。 若宮 氏より 手紙。 維新 公論の 芳井氏 來訪。 「僕が 若し 女で あったら」 と 云 ふ 質問 

に 答へ て くれろ と 云 ふから。 「I 生 結婚 をせ す、 誰れ を も 引きつけ て、 いつも 若々 しく 渠 等て 尊敬 を さ 



せる」 と 答へ て やった。 黑潮 社に 中 根 氏を訪 ふ。 雜誌 初校す み。 

1 月 二十 1 一日。 晴。 執達吏が 來 たが a 競竇 延期。 木 村 (卯) 氏 來訪。 若宮 氏へ ハ ガキ。 

J 月 二十 三日。 晴。 田 中 (純) 氏より ハガ 午。 大月氏 來訪。 若宮、 北 村、 上司 氏 を訪ふ (共に 留守 )0 

I 月 こ 十四日。 晴。 fK 弦 堂 並に 田 中 (純) 氏より ス ガキ。 中央 新聞社に 若宮 氏 を 訪. 4。 池 田- 德田 

-A タ 

二 氏を訪 ふ。 萬 歳 社の 佐 藤氏 來訪。 宫地 氏來訪 C 若宮 氏、 夜、 來訪 (淸 子の 專怦が 同氏 仲裁の 條 件で 

方が つきさう だ )o その 爲 めに 僕 はかの 女に 先づ與 ふべき 百圓を 明日 都合せ ねばならぬ 

J 月 二十 W 曰。 晴。 若 { 呂、 川 手 二 氏を訪 ふ。 川 手 氏と 共に 「光親」 へ飮 みに 行く 新潮 社へ 行く。 

1 月 二十 六日。 晴。 新潮 社へ 行く。 事件の 爲 めに 川 手、 若 宫ニ 氏と 共に 吉田 氏の 赛務 所に 集った が、 

こちらの H 風すべき 百圓 がま だ 出 來ぬ爲 めに 事が 運ばなかった。 新潮 社長より 手紙。 田 中 (純) 氏より 

た カキ。 中澤 氏來訪 (留守 )o 

1 月 一 一十 七日。 晴。 新潮 社長 へ 手 鋭。 執達吏 役場よ リ 1 1 月 1 1 日 競寶の 通告 。「シ ェ ル n フ 夫人の 計 劃 

に 就て」 (九 片: r 時事へ。 實業之 日本 社へ 手紙 Gratural Education 飜譯の 怦)。 

1 月サ 八日。 晴。 淡路會 より ハガ キ、 同じく 返事。 米窒 氏より 手紙。 武林氏 を訪ふ (病氣 のよ し )0 

中澤氏 來訪。 

i 月廿 九日。 晴。 若宮 氏 へ 手紙 (仲裁 示談の 條件 )o 

巢鴨 日記 第三 四 一 五 



泡 鳴 4s 第 十二^ 四 一六 

1 月 三十日。 晴。 吉野氏 來訪。 ® 業 之 日本 社より 返審 (斷り )o 佐 藤 (義) 氏より ハガキ 二 枚 。敬 文 做、 

寳文 館- 大同 館 へ 手紙 (ナチ ュ ラル H ヂュ ケシ ヨン の 件)。 若宮 氏より 半紙 あり、 今回の 「日本 主^」 に 

出た 「田 中 王 堂 氏」 ふ」 の 如き を 書けば 折^の 仲裁 も 破れる か 知れぬ と 云って 來 たので、 伎 は 然し 他 

日に 僕の 不利益な 感じ を殘す Q がいや だか 或 程度まで 事寶を 書いて S いたの だと 答へ る 返^ を 出し 

た。 そして それが 爲 めに 仲裁が 破れる のなら それ も 止む を 得ぬ からな ほ爭 ふつ もり だが、 まだ せ" 氏 

の 文意に は 昨日 つた 條件を 一 者して くれる 後地 は あらう と。 

1 月 I 二十 一 日。 晴。 時 市 J より 稿料 一 一圓。 • : • 

二月 一 日。 暗。 け ふ は 社用の を も 加 へれば、 郵便が 隨分 多く 來 た。 僕 だけのに 園しても、 若 氏よ 

り 手紙 (例の件 )o 大月 氏より ハ ガキ。 寳文 館より 返事 (斷り )o 大同 館より ハガキ (明日 來訪 とのこと)。 

原子 氏 來訪。 1 

二月 二日。 暗。 文章 世界より 稿料 ニ圓。 大同 館主 人 坂 本 眞三氏 來訪。 敬 文 館より ハ ガキ。 同 館へ 行 

く (主人 留守)。 

二月 三日。 暗。 坂 本 氏より 手紙 (斷り )o 大月 氏より 原稿。 「訴訟より 離婚まで」 (八十 三枚)。 中夬 公論 

を訪. ふ。 田、 野 上 二 氏 を訪ふ (共に sso。 

二月 四日。 唐。 新潮 社より 「耽溺」 五百部の 印稅 十五 圓。 々長から 百 くめんの 問題に は駄 ほの 



返事が 來 たので 事件の 示談 を 破談に せねば ならぬ。 原 氏を訪 ふ。 

二月 五日。 晴。 中央 公論より 原稿 歸る。 橋 川 氏より 原稿。 大 氏 來訪。 今日の 公 寶が音 さたな かつ 

たので • 若宮 氏を訪 ふと、 淸 子が はの 辨護士 が 成るべく 示談に する 意志が あり、 僕の 百圓 はこ こ三ケ 

月間に 拚ら へる ことにして、 若宮 氏が 用意の 八十 圓を 先づ 渡し、 それで 方 づけて しまう つも.^ だと 分 

つた。 

二月 六日。 晴。 川 手 氏へ C カキ。 若宮 氏より 昨夜と 行き 違 ひの 手紙。 ! 11 マ 字 擴め會 より ハガキ 並 

に t の i。 黑潮社 並に 泰陽 堂へ 行く。 

二月 七日。 晴。 若宮 氏より ハガ キが來 たに 付き、 央 新聞社に 氏を訪 ふ。 川 手 氏と 肉屋へ 行き、 歸 

途 一緒^ 活動へ 行く。 • 

二月 八日。 晴。 央 新聞社に 若宮 氏 を訪ひ 共に 東京 法律事務所に 行って 淸 子と の 難 婚手鑌 きを 了 

す。 この 時 若宮 氏の 工面した 八十 圓を 渡し、 あと は 五月 十日に 七十 圓、 それから 毎月 十圓を 七十 圓、 

八十 圆とを 加へ て 五 百圓に 達する まで 與 へる ことにな つた。 大 月- 赛陽堂 • 北隨 館より ハ ガキ。 春陽 

堂, 北隆 館へ r カキ。 黑 潮の 中 根 氏、 敬 文 館主 人、 並に 新 潟の 蒲 原 氏へ 手紙。 

一 一月.^ 日。 暗。 中 根 氏 來訪。 十日 食より 通知。 

二月 十日。 晴。 池 田 • 石山 (i 口: r 千 葉、 新潮 社の 佐 藤氏へ ハ ガキ。 樫 村 敬 文 館よ. =N 手紙 (駄目)。 

巢^ 日記 第 一.11 四 1 七 



:S 鳴 14s- 势 十二 卷 四 1 八 

黑 潮より 手紙。 莴歳社の^^藤氏來訪(留守)。 黑潮 社に 行き、 稿料 九十 六圓 受け取る。 十日 會 出席。 

二月 十 一 日。 暗。 原 氏へ あ づけて あった 書物 をす ベて 持ち運ばせた。 淸子 宅へ 昨年 來の 荷物 を 届け 

させた or 評論の 評論 X 十 E 枚 忿, 日本 評論へ。 黑 潮へ r カキ。 

二月 十二 日 。晴 

二月 十三 日。 晴。 夭 弦 堂へ 手 まぶ 風の 氣味 でか 眼が 赤くな つて 氣 分が 惡ぃ。 i. 山 田, 小 寺 氏 を 

訪ふ。 

二月 十四日。 

二月 十五 日。 晴。 中澤氏 來訪。 木 村、 三 井、 橋 川 氏より 原稿。 雜誌 へんしう を 終 はる。 

二月 十六 日。 晴。 

二月 十七 日。 曇。 原 氏を訪 ふ。 

二月 十八 日。 晴、 風。 原 氏と 共に 川 手 氏を訪 ひ、 若茱 氏と 會ひ、 共に 牛 肉屋 や バウ リス タゃ 鴻の巢 

へ 行った。 長 野 氏 來訪。 

二月 十九 日。 晴。 長 野 氏へ ハ ガキ。 

二月 二十日。 氷室に 山 本 氏より 《ガキ 。氷窒 氏へ 返事 

二月 二十 I 日。 晴。 長 野 氏よ.. S ハ ガキ。 執達吏より ハ ガキ。 川 手 氏を訪 ひ、 訴訟の 證據 物件 を 取り 



SH^,-て來た。 原子 氏を訪 ふ。 

二月 二十 二日。 曇 (また 寒かった )o 長 野 氏 來訪、 俊が 淸 子から 押 取して 來た田 中 並に 淸 子の 信書 並 

に 淸子宛 米倉、 筑紫、 安原、 伊藤の 書信 (すべて 證據 物件であった) を 受け取って 行った。 同時に 清 子 

に屬 する 諸 印 を も 渡して やった。 正宗 (得) 氏 を訪ふ (留守〕。 中 村 (武) 氏 を 訪ふ。 新潮 社へ 「半 獸 主義」 

の 訂正 改版 「肉靈 合致の 曙」 を かけ 合 ひに 行った が、 佐 藤氏が 留守な ので 置いて 來 た。 山 本宅べ 行き、 

露滴 遣 稿の 出来た の を 二 冊 持って 來た。 

二月 二十 三日。 晴。 

i 一月 1 1 十四 曰。 晴。 中 村 (孤) 氏 來訪。 朝より 夜 八 時までに 碁 を 一 一 十五 六番戰 ひ、 とうく 渠を 先に 

した 。原子 氏 も 來訪。 

1 一月 1 1 十五 日。 晴。 深 田 氏 • 朝と 夜と に 來訪。 シェル n フ 夫人よ お 手紙。 小 寺 氏の 紹介で 佐 藤眞也 

來訪。 文章 世界より ハガキ 、同じく 返事。 

二月 二十 六日。 晴。 

二月 二十 七日。 久しぶりの 雨。 鈴 木 (全) 氏より 僕の いとこの 吉味錢 十郞が 死んだ 通知が 来た 吉味 

氏へ 香奠- 1 圓を送 つ た。 大月氏 來訪。 

二月 廿 八日。 曇 (小雨 あり)。 英 枝の 弟より 手紙。 春陽 堂の 細 田 氏來訪 。「讀 者 は 批評家」 (七 片)、 中央 

巢鴨 日記 第 四 1 九 



泡 鳴 全集 第 十二 卷 P 一 一 C 

女 學に。 

三月 一 日。 暗。 中 根 氏 來訪。 櫻 井 照 直の 葬式に 臨んだ。 

1 二月 二日。 晴。 大月、 井上、 細 田、 長 野、 櫻 井 (ちか) の 諸氏よ. -ハ ガキ。 田 中 (正 平) 氏より ハガ 

キ、 同じく 返事。 一月」 (八十 一片) • 文章 世界へ。 

1 二月 三日。 晴。 新潮 社. -り 出版 原稿 返る 1 新潮 社、 天 弦 堂、 小川 氏を訪 ふ。 郁子 氏を訪 ふ。 

博 文 館より 稿料 三. 十二 圓 八十 錢。 

. 11 一月 四 曰。 晴。 寳生會 へ 行く。 四 谷の 三河屋 で 開いた 龍 土會へ 行く o( 猿った もの 田 山、 前 田、 上司、 

島 崎 • 長 谷川 b 生 蒲 原 氏と 僕 )o 歸 りに 生 m 氏と 飯 田 橋まで 歩いた。 

三月 五 曰。 暗。 郁子 氏、 中央 公論、 東亞 堂、 新潮 社へ ハガキ 。「今 lil し 假名」 (六 片)、 よみう リ 

へ。 大月 • 原 二 氏 來訪。 

1 二月 六日。 晴。 中 村 (星) 氏より 原稿 依賴。 太 田 氏より 同じく。 「花 袋 論の 1 端」 (十七 片) • 文章 世界 

1 二月 七 曰。 晴。 十日 會 より 通知。 東 Si 堂 主人より 返事。 野 上 氏を訪 ひ、 「松風」 を 讅ふ。 「文藝 上から 

の 了解」 (九片 )• 時事へ 文壇の 現 狀に對 する 私見」 (十九 片)、 早 稻田文 學へ。 大月 氏より 原稿 

三月 八日。 晴。 相 馬 (御風) 氏より 手紙。 郁子 氏より ハ ガキ。 吉昧 氏より ハガキ 。大月 氏より ハ ガキ。 



加 藤 (朝) 夫婦 来訪.^ , 

三月 九日。 雨。 1 飜譯的 人 斑 主義の 不成立」 (三十 片)、 日本 主義 並に 日本 評論へ。 

.1 二月 十日。 雷雨 あり。 萩原 朔太郞 氏より ハ ガキ。 十日 會へ 行く。 

三月 十 一 日。 晴。 前 田 (洋 )、 東亞 堂、 吉田辯 護 士* 田中義 一 諸氏へ r カキ。 米倉 氏よ^ ハ ガキ。 橋. 

川 氏より ハ ガキ。 淺 草の 愛子さん を 一 年ぶりで 訪ねて 行った。 

三月 十二 日。 曇。 「現 詩壇と 月に 吠える」 (十八 片 y 日本 主義 五月 號へ。 

1 二月 十三 曰。 晴。 萩原 氏へ r カキ。 吉 氏 來訪、 とう. 僕が 碁で 先にな つた。 吉田、 前 田、 東亞 堂 

1 1 氏より ハ ガキ。 臺灣 の柴田 (廉) 氏より 手紙。 

三月 十四日。 晴。 木 村 氏より 原稿。 窒生 (犀 星) 氏より ハ ガキ。 木 村 (卯) 氏 來訪。 雜誌 編し うやみ。 

三月 十五 日。 風。 窒生 氏へ 返事。 時事の 柴田 氏へ r カキ。 川 手 氏, 手 鋭。 (浮 田 事件と 競 《r 延期の 

件)。 1 元 社より ハ ガキ 。「文壇 現狀 論」 (十八 片)、 よみう. ON へ 。 

1 二月 十六 日。 晴。 愛子 氏より 手紙。 萩原 氏より 手 銑。 薪 潮 社を訪 ひ、 ここ 二 一 二 ヶ月の 牧 入の 道お 相 

談 した (fe 來れば い い が )o 山川 氏を訪 ふ。 

1 二月 十七 日。 晴。 生 田 氏よ.. vr カキ。 よみう リ の 加 藤氏 來訪。 原 氏 を 訪ふ。 『戰 爭の氣 ぶんと 考察』 

Oii 十九 片; r 黑 潮へ。 

巢鴨 日記 第三 四 二 1 



泡 鳴 第十ニ^^ 四 ニニ 

「三月 十八 日。 曇。 島中 (雄) 氏へ ハ ガキ。 春陽 堂より ニ圓 五十 錢。 紬 田 氏より 手紙。 三 井 氏より ハガ 

キ。 巾澤 氏、 一 人の 友人 を つれて 来訪。 吉野氏 來訪。 中 村 (孤) 氏、 若い 一 婦人 を つれて 來訪。 新 公論. 

の 島中 氏へ ハ ガキ。 

三月 十九 日。 雨。 三 井、 相 馬, 黑 潮の 中 根 氏へ ハ ガキ。 問 遠って また 執達吏が 來た 。「田 山 氏の 一 兵 

卒に 於け る描寫 上の 缺點」 (十五 片 y 時事へ。 長 谷川へ 二 W 五十 錢。 

1 二月 廿日。 雨。 川 手 氏 を訪ふ (留守で 在た から 電話で 用件 を)。 原 氏を訪 ふ。 加 藤 (朝) 氏より 乎 紙。 

三 月せ 一 日。 隋。 橋 川 氏へ ハ ガキ。 

三月 廿 二日。 晴。 中 村 (孤) 氏 來訪。 野 上、 中 根 二 氏より ハ ガキ。 小說 「鼻」 (三十 七 片)。 

1 二月 廿 三日。 夜に 入って 雨。 島中、 茅 原, 靑年 文壇より ハ ガキ。 靑年文 擅へ 返事。 

三 月廿 四日。 雨。 「京都の 一 友人へ」 (一 一枚)。 . ? .3 

岩 野泡嗚 

近頃 は 信仰 問答でば かリ ぉ隱れ です か? 細君 は 京都が、 もう、 いやにな つて 來て はゐ ません か? 俊 

も 時期 を 見て I 度 御 地 や 大阪へ 日本 主義 宣傳 演說を やりに 行きたい と 思って ます。 その 時 はお 力 を 

0000000000000000000000000000000000 

借りたい と 思 ひます。 文壇の 人々 の あんまり 吞氣 なのに は 時々 手賴 りない 感じ を 催す ことがあり ま 

す。 日本 主義 社へ 相當 の寄财 でもして くれる ものが あらば, それ を费 用に して 1 度 全國へ 宜傳に ま. 



わりたい とも 思って ます。 今更ら 日本 主義で もない と 云 ふやうた 飛んでも ない 思 ひ 遠 ひ をして ft 

る ものが 靑 年間に は 殊に 多い やうです が" それ は 却って 渠 等の 問に 外國を 新ら しがって、 外國 思想 

むの 物の 旣 にわが 國の新 發展に は 時代 後れな の を 知らない のが 多數を 占めて るの を證 します。 

僕 は 近頃 殊に 日常生活に 追 はれて 散歩な どす る ひまが 少 いので" からだの 運動の 爲め讅 ひ を 初め 

てから、 もう、 I 年 以上になります 。敎 へに 來て 吳れる ものが よく その 道の 萬 事 を 心得て る 人な の 

で、 割合に 進歩 も 早く、 もう、 難物なる 「松風」、 「俊 寬/ 「あし 刈り」 等 も 一 わたり はやりました。 

本日 は 午後 五 時から 野 上臼 川 宅に その 方の 五六 名の 集りが ある さう で、 僕に は 「三 井寺」 がきめ て あ 

る さう です。 野 上 夫婦 は 共に うまい ものです。 また 同席す る 笞の碧 梧桐 氏 は 半ばく ろと です。 安倍 

能 成 氏 も 僕より はす ッと 心得が あるときい てます。 

oooooooooooooooooooooooooo^ o f> 9 o o o o o'o O o o ^ 

黑潮 三月 號に 出た 僕の 「離婚まで」 を 讀んで 下さい。 君な どが 公開 的に 僕に 忠告した その 意味の 當 

つてなかった こと も 分. ns ましょう。 事實 通りです が、 然し • そのまま 僕の 創作と して、 その 主人公 

に は 必要な 批判と 洞察と 客觀 化と を 十分に 與へ てあります。 そこ を 讀 まないで、 ただう わ ッらに 見 

て 直ちに 僕 自身の 辯 護と a 做した 評 家の 如き は 全く 分らす 屋 です。 (六、 111、 二 四) 

中外 S 報へ 原稿。 野 上 氏 宅の 讅ひ會 へ 行き、 「三 井寺」 の シテを 諮った。 

三月 廿 五日。 雨。 柬亞 堂よ リハ ガキ。 原 氏を訪 ふ。 

巢鴨日 as 第一 11 四 U111 



泡鳴*^1|集 ^十 II 卷 四 二 四 

三 月廿 六日。 晴。 , 、 

三月 廿七曰 「 晴。 英 枝の 弟より 手紙。 「眞實 の 生活」 (十六 片)、 青年 文 麼へ。 中 村 (孤) 氏 訪。 

三月 廿 八日。 晴。 郁子 氏へ ハガ 午。 長 田 (秀 雄)、 武林ニ 氏 來訪、 共に 武林 氏の 宅へ 行き、 それから 

また 德田 (秋 聲) 氏 を 訪ふ。 

111 月 二十 九日 。雪 少し ふる。 . 

三月 11 一十 曰。 晴。 宫地氏 來訪。 時事 新報より 稿料 1 画 五十 錢。 

三月 三十 一 日。 晴。 郁子 氏より ハ ガキ。 吉野 氏來訪 (とうく 白 を 取り返して 互 ひ 先にな つた )0 

四月 一 日。 晴。 武俠 世界へ 左の 取消 を 出す、 ,、 

1 武俠 世界 編輯 者へ」 11 

何とか 散 史と云 ふ 人 は どなた か知リ ません が、 いづれ 大した 考へ もな くから 氣焰を 吐いて 甚ぶ 連中 

の 1 人と 存じます。 僕の 事に 關 して 書いた の をち よ ッと拜 見し ますと、 僕が 芝の 下宿屋の 娘 を どうか 

したと あれ ノ ますが、 その 下宿屋 は 僕のお ゃぢ の經營 してた のです かち、 何 かの 聽き 11 違 ひでしょう。 

おまけに、 その 家で 僕 は 故 押 川 舂浪を その 兩 親の 依 賴 により 1 時 監督して ゐ たこと も ありました。 卷 

浪の兩 親 は 僕 も 第二の 親々 と 思って た 關係も あり、 旣に 僕が その 時妻帶 して ゐ たので、 赛浪の 監脊を 

頼まれた のでした。 思 ひ 遠 ひ をして 餘り 無責任な こと を 書いて は御雜 誌の 體面 上から もよ くあります 



まい。 この 全文 を かかげて 御社 は 取り消しの 資 任を盡 して 下さい。 四月 I 日。 

大月氏 來訪。 木 村 (鷹) 氏來訪 * 同氏と 共に また 小 寺 氏を訪 ふ。 

四月 I 一日。 晴、 < 長 野 氏 來訪。 よみうりより 稿料 四圆。 

四月 三 曰。 夕方より 雨。 田 中 (純) 氏へ 手紙。 木 村 (S 氏より ハ ガキ。 振 # 貯金 中の 十五 回 を 現金で 

受け取った。 門 馬 氏 來訪。 i. 小此 木、 前 島、 天 弦、 中央 新聞 を訪 ふ。 薄 井 (秀) 氏に 逢 ひ、 東京 朝 

日の クラブで 玉 突と 碁と を やった or 遊蕩 文擧と 否との ®g」 (再び 宮森氏 5 十 一片、 時事へ。 

四月 四日。 晴。 英 枝の 弟へ 手紙。 中央 公論へ ハ ガキ。 門 馬 氏へ r 力 午。 木 村 氏へ 雜誌。 井上 (右) 氏 

より 原稿, それ を 訂正して 返す。 野 口 氏より 招待 狀。 同じく 返事。 中 村 (孤) 氏 來訪。 

四月 五日。 晴。 西 村 氏より r カキ、 同じく 返事。 木 村 (卯) 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 手紙と ハガキ 

(f 料金と 出版 相談の 斷 りと)。 1 元 社の 山川 氏 來訪。 

四月 六日。 風。 散 髮屋へ 行く。 ゃッと 風邪の きみ 去る。 井上 氏より ハ ガキ。 長 野 氏より ハガキ (民 

維 養子の 件の 手續き 完了の よし)。 春陽 堂の 田 中 氏 (純) より 返蔡。 .大 月 氏より 原稿。 內籐巧 能の 招待 狀。 

-. 上司 論の I 端」 (十 一 片)、 文意 世界 へ 。 中 村 (星) 氏 へ 稿料 催促。 

四月 七日。 雨 あり。 野 口 氏の レ. セブシ ヨン へ 行く • 米阈 詩人 ビン ナ氏 並に フネ ケ氏 夫!! や 佐々 木 信 

綱 氏 やに 初めて 會 つた。 時事の 柴田 氏より 原稿 歸 る。 東 KH 堂より 雜 誌への 廣吿 原稿。 巾澤 氏より ハガ 

巢鴨 日記 第; 11 E1 一 五 



si 第 十二 卷 sni 六 

キ 大月 氏來訪 (留守)。 早 文より 稿料 三圓。 

四月 八日。 晴。 伊藤 (證) 氏へ ハ ガキ。 山 {.0 氏へ 雜誌。 愈々 困って、 「自然の 敎育」 を譯し 初めた。 

四月 九日。 晴。 正宗(得)氏ょ.=^ハガキ。 黑 潮の 中 根 氏 來訪、 共に 飛鳥 山の 櫻 を 見に 行った. - 

四月 十日。 小雨。 小秫 (一) 氏へ 手紙 (黑 潮の 爲 めに)。 三 井 氏より ハ ガキ。 山宫 氏より 窨物。 森 ケ崎開 

會の 十日 會へ 行く。 

. 四月 十 一 日。 原 氏 來訪。 早 文 社より 追加 稿料 一 圓。 

四月 士 一日。 晴。 一 元 社の 山川 氏 來訪。 一 元 社より 稿料 八圓。 

四月 十三 日。 小雨 あり。 中 村 氏 來訪。 木 村、 橋 川 二 氏より 原稿。 

四月 十四日。 曇。 內 藤氏 古稀の 賀 能に 行く。 廣瀨、 一 元 社、 靈英、 橋 川 氏よ リハ ガキ。 

四月 十五 日。 雨。 木 村 氏 來訪、 雜誌 へんしう をす ます。 三 井 氏より 原稿。 小 倉 氏より ハ ガキ。 小 林 

( 一 三) 氏より 返事。 木 村 氏と 共に 大須賀 氏を訪 ふ。 

四月 十六 曰。 晴。 靈英 • 川路 二 氏へ 雜誌。 中 根 氏へ r カキ。 橋 川 氏へ ハ ガキ。 三 井 氏へ ハ ガキ。 池 

田 氏 へ 手紙。 

四月 十七 日。 晴。 野 口、 蒲 原、 加 藤 三 氏を訪 ふ。 中 村 (孤) 氏 來訪。 池 田 氏より ハ ガキ。 

四月 十八 日。 晴。 池 田 氏より ハ ガキ。 池 田 氏 を訪ふ (譯 書の 件)。 中 村 • 深 田、 原 三 氏 來訪。 . 



四月 十九 日。 中澤氏 來訪。 中 村 氏と 共に 普通 敎育 社を訪 ふ。 

四月 廿日。 晴。 

四月 廿 一 日。 晴。 正宗 (得) 氏より ハ ガキ。 

四月 廿 二日。 晴。 三 崎 行きの 會へは 多忙の 爲め 並に 金がない 爲め 行かなかった ょみぅ,=^-り原稿 

歸る。 廣瀨 氏より r カキ。 「雄 辯」 の靑柳 氏來訪 • 原稿 を 頼んだ。 同氏に 田 山、 正宗 > 若宮、 秋 聲四氏 

へ 紹介す る 名刺 を 渡した。 

四月 二十 三 曰。 曇 • 夜 小雨。 平 録( 明) 氏より 轉 居の 通知。 中 村 (孤) 氏 を 紹介が てら * 野 上 彌生氏 を. 

訪ふ e 

四月! 一 十四日。 雨。 靑年 文壇よ ,==N ハガキ 並 に 稿料 四圓。 靑柳 (隆) 氏よ 力 《ガ キ。 三 井 氏よ リ r 力 

キ、 同じく 返事。 原 氏を訪 ふ。 

四月 二十 五日。 晴。 小 野 崎より 手紙。 大月氏 來訪。 沼 波 (武) 氏 來訪。 み どお 氏 來訪。 野 上 氏よ リ〈 

ガキ。 

四月! 一十 六日。 踏。 原 氏を訪 ふ。 ,1 田 氏 來訪。 

四月 二十 七日。 晴。 中 村 (孤) 氏 來訪。 井上 氏より ハガキ 並に 原稿 

四月 二十 八日。 井上 氏へ 返 稿。 

巢鴨日 Si 00 inl4^ 



泡 鳴垒集 第 十二 卷 き 一 八 

四月 一 一十 九日。 井上 氏よ リ ハ ガキ。 

四月 三十 曰。 新潮 社より 「耽溺」 第 九 版の 印税 十五 圓。 ぉ滋 さんよ" 《ガ キ。 井上 氏より ハ ガキ。 ^ 

波 氏を訪 ふ。 大月、 平 嫁 夫 揷來訪 (留守: T 中 村 氏 來訪。 

五月 1 日。 大雷 あり。 黑 潮の 中 根 氏 來訪。 同氏と 满 草の 活動 や 五九郎 を 2- に 行った。 雄 辯 社より £1 

料 十圓。 

. 五月 二日。 暗。 中 村 氏 來訪、 同氏と 共に 秋 聲氏を 訪ふ。 新潮の 中 村、 谷崎諸氏もまじって^^の十,^ 

過ぎまで 花 を 引いた。 十二時 頃 引き上げる 時、 中 村 氏と 武林 氏と がつ いて 夾 1 て、 とうく 微 夜して 詰 

した^ 

五月 三日。 晴。 二人 は 朝の 六 時頃歸 つた。 伊奈 氏より 乎 紙。 山川 氏^ 訪。 龍土會 より 通知、 同龠當 

番へ 返事。 新潮の 佐 藤氏へ 手紙 (プル タルクの 件) 池 田 氏へ ハ ガキ。 羽太 氏へ 手紙。 

五月 四日。 雨。 米倉 氏より ハ ガキ。 

五月 五日。 晴。 中 村 氏 來訪。 天 弦堂廢 業の 通知。 大月 氏より ハ ガキ。 * 川 (小 十郞) 氏の 父君 死去 通 

知、 同じく 返事。 「創作と 主義との 關係」 (十 枚)、 春陽 堂 中央 文擧 へ。 『「うそ」 と は? (田 山 氏へ)』 (六 

片)、 文章 世界 へ。 

五月 六 口。 東亞 堂より < ガキ。 細 田 氏より ハ ガキ。 利 光 (常) • 池 m、 北 村、 若宮 諸氏 を訪 ふ。 中 村 



ら- 、、方 o 

ス ノ さ 1!^ 

五月七日。 雷鳴、 雨 あり、 地震 あり。 池 田、 :§、 山 本 氏 を; IS ふ。 

五月 八日 。晴 ハ^ 太 氏よ や ハガキ C 

S 月 九日。 晴。 宇 野 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 新潮の 佐 藤氏よ リ手 鋭。 

五月 十日。 晴。 瀧 田 氏を訪 ふ。 加 藤氏より 原稿。 行樹 社より 招待 狀。 十日 會へ 行く。 普 逋敎育 社よ 

b 譯 料のう ち 三十 M 也。 

五月 十 I 日。 晴。 柴田. 氏よ ハガ キ。 

五月 十 一 I 日。 暴。 井奈 氏より た カキ。 淡路 新聞社よ. 9 手紙。 中 村 氏 來訪。 加 藤氏 を訪 ふ。 

五月 十三 日。 雨。 正宗 (得) 氏よ リハ ガキ 並に 著書 。「日本に 於け る 亞紬亞 主義の 勃與」 (三十 1 片)、 

日本 評論と 日本 主義と へ。 原 氏 來訪。 秋 田 氏へ ハガキ (僕に 對 する 攻擊が 中外 日報に 出た の は 筆記 通 

り 間遠 ひがない かどう かの 問 ひ 合せ) 

五月 十四 曰。 雨。 中 村、 原 1 一氏 來訪 * 一 元 社より 稿料 八圓。 橋 川、 1 一; 井 * 木 村 一 二 氏より 原稿。 廣瀨 

氏より 三角 菜の 種。 萩原 氏より 手紙- 乃ち, 左の 如し。 

あなたの 御 批評 を拜讀 して 非常に 感激 致しました。 あなたから 御 批評 をいた だいた こと は 小生に 

とって 此の上 もない 名譽 です、 絶大な 光榮 です、 小生 感激に たえません。 

巢鴨日 as 00. 



li 第 十二 卷 四 1110 

御 敎訓は 押しいた だいて 拜讀 致しました , 

あなたの 御 推賞に ぁづ かった HK 上 溢 死」 の 詩 は 小生に とって 最も 自負の あった ものです、 あれ を 

作った 頃 小生 狂態して 自ら 日本 第一の 名 詩と 稱 しました、 併し 何ぴ とから も 認められないで (北 原 

白 秋 氏 だけ は 認め ましたが) 却って 詩壇の ある 方面から 非常な 罵倒と 嘲笑と を 買 ひました • 川路 柳 

虹と いふ 人の 如き は 「瓦 かけの ガラ クタ 詩. T たといって 冷笑し ました、 然るに 今日に なって あなた か 

ら 推賞に ぁづ かった こと は 小生に とって 何とも 言へ ぬ悅 びです、 失禮な 申し 條で すが 知己 を 得たり 

と い ふやうな 幸福 を 感じました。 

「ありあけ」 もまた 小生に とって 最も 自信の ある 作品です、 あなたの 御 敎訓の 中で 何よ リも 痛切に 感 

じた こと は 音韻 ゃ营 律に ついての 御注意でした。 

小生 自身 の 最も 考 へて ゐるこ とも その 問題です が、 また 自ら 最も 不安 を 感じ て ゐる もの も それで 

す、 森林 太郞氏 もこの 點で、 私の 詩 及び 現 詩壇 I 般に 通す る缺陷 を指敎 して 下さいました。 

ぁなたの御敎訓は私ばか.=^でなく他の作家たちにもょぃ御敎訓でした" 今の 詩壇で は 1 つと して 

「完全なる 韻 詩」 の 形 を もった ものが ありません、 この 點 では 私ば か^でな くだれ も 羞恥 を もって ゐ 

る ことと 思 ひます、 ぁなたのゃぅな先覺者から時A注意をぁたへてぃただく^Jとは現詩壇のために 

翁 も 肝要な ことと 思 ひます。 



私の 詩の 句點 のきり 方に ついての 御注意 は 特に 私 を 反省 させました、 正直に 申し あげる と 私 は 今 

まで 少し 馬鹿でした、 句點. をう つ 場所に ついて 少しく 無神經 にす ぎて 居ました、 御言 葉に よって 始 

めて それ を自覺 しました、 今後 は 自ら 注意し ます。 

揷喬に ついての 御 HI 一口 葉 を 地下の 田 中恭吉 にき かせた く 思 ひます" 窒生犀 生 君が あなたの 御言 葉 を 

よんで Hi 吉と いふ 人 も 仕 合せ もの だ」 と 言った の を 私 は 特に 意味 深く 考 へました、 恭吉君 は 全く 

世に 認められない 死んだ 人です、 あなたの 御言 葉 は 彼の 靈に とって は どんなに 滿 足な 微笑に 債す る 

ことで せう * 今後と も 小生 は あなたの 御 指 敎をぁ ふぐ 場合が 多い のです" 何 は ともあれ 御 厚情に 對 

して この 感 鳴と 歡 喜と を 申し あげます、 亂筆 平に 御 許し 下さい、 敬具 頓首 

萩. 原生 

岩 野 泡嗚檬 

侍 史 

S 月 十五 日。 晴。 アテネ 印刷所、 昨夜 全燒 に付き、 「日本 主義」 編輯が 終っても 印刷に 附 する ことが 

m 來 なくなった。 三角 氏より ハ ガキ。 秋 田 氏より 返事。 木 村 (卯) 氏 來訪。 木 村 (秀) 氏よ り 尸 ガキ。 

五月 十六 日。 晴。 中 村 (孤) 氏 來訪。 廣瀨 氏より 手紙。 川 俣 氏を訪 ひ、 印刷屋 を もとの 高嶺 堂に きめ 

槧鴨日 Si 第三 四コ 一 】 . 



泡 鳴 l^a- 第 十二 翁 四 三 二 一 

た 1 一 

五月 十七 日。 晴。 廣瀨 氏へ 三尺き うりの 種と ハガ キ。 木 村 (秀) 氏へ ハ ガキ。 中澤 氏より 原稿。 川 手 一 

氏より ハ ガキ。 「草の葉」 畲 より 招待、 同じく 出席の 返事。 羽太 銳治氏 を訪ふ (初めてな り)。 

五月 十八 日。 晴。 野 上 氏より ハ ガキ。 木 村 氏より ハ ガキ。 木 村 駒 子 氏 夫婦 來訪。 中 村 氏 來訪。 川 手 一 

氏、 押 川 氏を訪 ふ。 野 上 氏より 雹 報 (午前 一 時半)。 芝 川 氏 へ 手紙" 一 

五月 十九 日。 晴 Q 野 上 氏より ハガキ * 同じく 返事。 芝 川 氏より ハ ガキ。 吉田 氏より 手紙, 同じく 返 一 

0O スト, 'ナ 夫人の 「自然の 敎育」 譯了、 但し 僕の 名 を 出さす、 中 村 氏の 名で 公け にす る (僕 はこれ で 一 

淸 子に 拂ふ分 のうち 今月 中に 拂 ふべき 七十 圓が 出來る わけ だ、 別に 三十 圆は 先日 取った )o 渡 擾氏 歌集 一 

披露の 宴に 上野 精 養 軒に 行く。 一 

五月 廿日。 風。 原* 深 E1 一氏 來訪。 前 島、 吉田 一 一氏より ハ ガキ。 神經 衰弱の 爲め 何も 出來 す。 . 

五月 廿 一 HO 晴。 有斐閣へ 手紙 (川 手 氏の 著 誓に 付いて) 池 田 氏 を; B ふ。 安成 氏より ハ ガキ。 一 

五月 廿 1 一日。 晴。 原、 中 村.' 加 藤 (朝) 三 氏 來訪。 ; 

五月 廿 n 一日。 大月氏 來訪。 中 村, 1^ 一氏 來訪。 一 

五月 廿 四日。 若宮 氏より 手紙。 「愛の 本性 = 熱烈な ほど 鬪爭 的」 (十七 枚)、 女の 世界へ • 一 

五月せ: 力; 日。 晴。 大掃除。 吉野、 中 村 一 一 氏 來訪。 一 



五月 廿 六日。 晴。 女 g "秕界 記者 來訪。 十 一 一圓 を 置いて 行く。 有斐閣 を訪ふ 歌 子 氏 を訪ふ 一 

五月 廿七 曰。 晴。 中澤、 中 村 • 原 三 氏 來訪。 中 村 氏 は 初めて 95 を つれて 來た 。荒 畑 氏よ, 义ガキ 

髙嶺 堂より r カキ 。荒 畑 氏 を訪 ひ、 犬の 子 を I 匹 買って 来た。 . 一 

五月 廿 八日。 踏。 大月 氏へ ハガ キ。 有斐閣より 返事 (川 手 氏の 著書 出版の 件 だめ )o 譯 了の 書の 件に 一 

付き 普通 敎育 社を訪 ひ、 中 村 氏に 會ひ、 共に 歸 つて 來た。 途中で 平 鬚 (篤) 氏に 會ふ。 一 

S 月サ 九日。 晴。 中 村 氏來訪 * 譯の書 は 今 I 度 池 田 氏から 原著者の 手紙 を 取らねば 出版 m 來ぬ こと 一 

になった、 從 つて 淸 子へ まわす 分の 金 も llo 一 

五月 三十日。 晴。 文章 世界より 稿料 一 圓 五十 錢。 池 田 、若宮、 吉田 氏を訪 ふ。 一 

S 月 三十 一 日。 雨 あり。 若宫、 吉田 一 一氏 を 訪ふ。 一 

六月 I 日。 暗。 中澤氏 來訪。 大月 • 西 村 二 氏より ハガ キ。 「鼻」 (訂正して 五十 五 枚 半)、 新小說 へ。 一 

吉田 氏より 乎 紙 • 少しで も 金 を やらねば 淸子 はさし 押へ を實 行す る さう だが、 これ は 實際は 若 is 氏と 一 

吉田 氏との 問の 純士條 約で 淸子 だけが やかましく S へぬ 箬 だ。 一 

六月 1 一 曰。 晴。 1. ぎ 3! I 氏を訪 ふ。 新小說 より 稿料 四十 七 随六 十錢。 吉野氏 を訪ふ (いよく 一 

先にして やった )o 一 

六月 11 一日。 晴 中史 公論よ リハ ガキ、 同じく 返事。 山 本 一 家歸 北の 送別 會を川 俣 氏 宅で 開ら き、 出 一 

巢鴨 i § . SI 三 一 



si 第 十二 卷 四ミ 四 

席。 深 氏を訪 ふ。 中 村 氏 來訪。 . 

六月 四日。 越 山 堂 並に 上田 氏へ ハガキ (書物 八 百 冊 を寶る 相談の 爲 め)。 

六月 五日。 雨。 越 山 堂 並に 上田 星來 たり、 和洋 書 八百箭 以上 を 四十 四^ 五十 錢に 寶り拂 つた。 

六月 六日。 晴。 昨日の 書物 寶り拂 ひ 代と 衣 物 を 質に 入れた のとで 六十 圓を 捲らへ、 これに 二三 日 i" 

に,: a した 十 圓とを 加へ て吉田 辯 護 士に淸 子の. 差し 押へ を 解かしめ た。 これで あと は 毎月 十 圓を淸 子れ 

やれば いいの だ。 f » 北 村 氏を訪 ふ。 中 川 (小 十郞) 氏より 手紙。 越 山 堂 • 高嶺 • 加 能 氏よ." グ 

r カキ。 

六月 七日。 晴。 加 能 氏へ 返事。 加籐 (朝) 氏 來訪。 嗚海 うらぶ る 氏 來訪、 蜜蜂の 箱と 蜜蜂と を 交換す 

る ことにして、 夜に なって 一群 を 持って 來た。 

六月 八日。 雨 あり。 中 村 夫婦、 中澤、 原、 嗚海氏 來訪。 昨日 鳴 海 氏 宅で 多くの 蜂に さされた のが 熱 

を 起し、 昨 衣 は 早く 寢 たが、 け ふ もな ほ 乎 やくびに こり を 生じて ゐ る。 け ふ、 殘 りの 書籍 を 並べて 見 

ると、 なほ ビ ー ル 箱に 十三 杯 ある。 

六月 九日。 十日。 十 1 日。 十二 日。 十三 日。 十四日。 越 山 堂 * 十日 會, 加 能、 高嶺 堂, 上司 • 東 KH 

堂 • 小川、 生 田 • 三 井、 木 村 (卯) 中澤 諸氏より 書信。 

「近頃の 創作 界」 (九 枚; r 文章 世界へ。 「獨存 孤立の 偉大」 (十片 y 「有 主義で 無理 想」 (十 片: r 「崇外 



病と 恐 外 病」 (八片 )- 日本 評論と 日本 主義へ。 . 

日本 評論 社より 稿料 八圓。 文章 世 3^ より 稿料 六圓 三十 錢。 木 村 (卯) • 中澤、 都留氏 來訪。 川 手 氏 0^ 

憲法 論の 校正が 來 初めた (これ は 氏の 爲 めに 一 度 目を通 してやる ので ある )o 

十四日- また 執達吏が 來て浮 ffl 氏に 對 する 敗訴の 費用 都合 十五 圓 四十 錢 ばかり 取られた。 ::,. : ; 

六月 十五 日。 晴。 山 本 氏 一 家 歸北を 上野に 見送った。 その 歸 りに 英枝を 伴 ひ、 川 俣 その他の 二 一 二 氏 

と共に 安倍 氏を訪 ふ。 中澤氏 來訪。 、. 

六月 十六 日。 晴。 野 上 氏より 手紙。 中 村 氏 來訪。 廣瀨 氏より 誊物。 中 村 氏と 共に 原 氏 宅でから 花 を. 

引く。 新 渴縣柏 崎に 引ッ 込んで る故繼 母の 娘 安子が 出京、 末の 娘 四 歳 を 女優に して 東京に 住みた しと 

云 ふので、 明日 その 口 を 探して やる つもり。 

. 六月 十七 日。 雨。 伊藤 (證 )、 木 村 二 氏より ハ ガキ。 郁子 氏を訪 ふ。 安子へ ハ ガキ。 原 夫婦 來訪。 

六月 十八 日。 曇。 前 島 * 郁子 二 氏より r カキ。 都留 氏より 手紙。 大津 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 

黑 潮の 中 根 氏 來訪。 

六月 十九 日。 雨。 中 村 氏 • 大津氏 を 伴って 來訪, 三人 協議の 上 スト ー ナ の飜譯 原稿 は 向 ふへ 渡す こ 

とに して、 僕 はさきの 三十 圆以 外にた ッた 八十 圓を來 月から 四 ヶ月に 割って 取る ことにした。 池 田 氏 

へ, 手紙。 針 重 氏より ハガキ 、同じく 返事の 手紙と 取り消し 文と。 神 崎 氏より r カキ。 「押 川 春浪と 僕」 

« 鴨 日記 第一 II 四 一ー一 五 



泡 鳴^ 橥 第 十二 卷 四 三山ハ 

< 六片 y 武俠 世界 へ の 取り消し 文。 

; 六月 廿日。 夜、 小雨 あり。 鳴 海 氏 を 訪ふ。 

六月 廿 一 日。 雨。 茄子 苗の 追加 を 買 ひに 行った ついでに 沼 波 氏を訪 ふ。 『霜 子の かたみ」 (訂正 六十 七 

枚)、 黑潮 へ。, 

六月 廿ニ * コ 一、 四、 五、 六日。 r 坪內 氏の 星月夜に 對 する 異議」 (十 片)、 日本 主義、 日本 評論へ。 中 

澤 氏より r カキ。 加 藤氏より 手紙。 都留 氏より 手紙。 中 村、 中澤、 吉野氏 來訪。 

六月 廿 七日。 都留 氏へ ハ ガキ。 . 

六月 卄 八日。 雨。 中 村 氏 夾訪。 

六月 廿 九日。 雨。 伊藤 (證) 氏よ リハ ガキ。 加 藤 (朝) 氏へ 手紙。 生 田、 中 村 二 氏の m 介を以 つて 掘 木 

克 三と 云 ふ 人が 來訪。 雜誌 校正す み。 川 手 氏の 憲法 論 校正。 

六月 三十日。 晴。 木 村 氏より ハ ガキ。 川口 氏より ハガキ 

七月 一 曰。 晴。 川 侯 氏 等と 玉 川へ 行き • 歸 りに 生 田 OS 氏 を 訪ふ。 留守に 中 村、 中澤ニ 氏來訪 X, 

みうりより 【原稿 歸り來 る。 遠 藤より ハ ガキ。 

七月 二 m。 雨 あり。 伊藤 (證) • 柳 田、 渡邊三 氏へ 手紙。 廣瀕氏 並に 舊巢會 よ.^ ハ ガキ。 川口 氏よ, 

so 同氏へ 返事。 新潮 社、 前 島、 中 村 (武) 氏を訪 ふ。 黑 潮の 中 根 氏へ ハ ガキ。 



七月 111 日。 晴。 ^潮 社 並に 中 村 (武) 氏を訪 ふ。 中 村 氏より 手紙。 氷窒 氏より ハ ガキ。 同氏へ 返事。 一 

r 槪 念からの 要求」 (十五 片)、 日本 主義 並に 日本 評論へ。 一 

七月 四日。 晴。 野 口 氏を訪 ふ。 在米の 木 村 駒 子 氏より ハ ガキ。 柳 田 氏より 乎 紙。 「個人主義に 關 する 丄 

三種の 誤 想」 (七 片)、 日本 主義へ。 一 

七月 五日。 雨 あり。 中 根 氏を訪 ふ。 川 手 氏を訪 ふ。 中 村 氏 來訪。 一 

七月 六日。 風。 伊藤、 十日 會 より ハ ガキ。 中央 公論より ハ ガキ、 同じく 返事。 「自國 を 知れ」 (再. 一 

び)、 (五 片)、 中外 日報へ。 黑潮 社より 八十 圓 四十 錢。 j 

七月 七日。 晴。 氷窒 氏より 手紙 • 同じく 返事。 野 村 氏よ リ 手紙。 加 藤 ( I 夫) 氏より ハ ガキ。 田 中. 一 

(孤) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 『感情家の 田 山 氏」 (十 一 片: r 新潮へ。 本多氏ょ.0^キングと云ふ洋犬ー 

を 貰 ふ。 一 

七月 八日。 暗。 「歐洲 政治 史槪 論」 (六 片)、 川 手 氏の 「比較 憲法 論」 (六 片: r 共に 日本 主義へ。 一 

七月 九日。 晴。 森 (盛) 氏より 手紙、 同じく 返事。 靈英 より ハガ キ。. 鳴 海 • 中 澤ニ氏 來訪。 沼 波 氏 を 一 

訪ふ。 d 

七月 十日。 晴。 山 本 (唯 三郞) 氏へ 手紙。 羅馬字 擴め會 へ 手紙。 吉野氏 來訪。 十日 會へ 行く。 ノ 

, 七月 十 1 日。 晴。 擴め會 の 鳥 谷 部 氏 來訪。 鳴 海 氏の 宅で 山 田 (純 三) 氏 を 知る。 硏究 社へ 手紙。 宇 野 一 

巢鴨 日記 第!】 1 « 三セ. ,ー 



泡 鳴 全集 IS 十二 卷 四! II ベ 

より ハ ガキ。 

七月 十二 日。 晴。 橋 川、 木 村。 三 井 三 氏の よせがき r 力 午。 山 本 氏 を訪ふ (留守)。 池 田 氏を訪 ひそ 

の 席で 久しぶりに 兒島 氏に 會 ふ。 川 手 氏を訪 ふ。 橋 川、 井上 二 氏來訪 (留守 )o 神經 衰弱と 暑さ あたり、 

で ,る。 

七月 十三 日 j 晴。 夜、 木 村 氏が 橋 川 氏と 田 代 氏と を 伴って 來訪。 ; 

七月 十四日。 晴。 三 井 氏より 原稿。 中澤 氏より ハ ガキ。 原 (正) 氏 來訪。 

七月 十五 日。 晴。 沼 波 氏 來訪。 研究社より 返事。 

七お 十六 日。 晴。 加 藤氏 を訪 ふ。 

七月 十七 日。 廣瀨 • 龍土會 より r ガキ。 龍 十一 會へ 返事。 

七月 十八 日。 ふく子 氏 來訪。 十九 日。 アメリカの 木 村 駒 子 氏より ハ ガキ。 鈴 木 (三)、 中澤 * 都^,. 

1 二人 社、 中央 公論より ハ ガキ。 中央 公論へ 返事。 川 俣- 大須賀 二 氏を訪 ふ。 

七月 廿日。 晴。 東亞 堂より 手 鋭、 返事。 德 s、 生 田 • 一 元 社を訪 ふ。 

七月 廿 一 日。 晴。 長 谷川おば 來訪 (留守 )o 久し振りで 湯淺 (倉 平) 氏を訪 ふ、 碁 を 三番、 二目 置いて 

勝負 まけ をした。 郁子 氏、 羽太 氏を訪 ふ。 羽太 氏へ 手紙 (雜 誌の 八月 號 印刷 費 借用の 件) 

七月 廿 二日。 晴。 羽太 氏より 返事。 木 村 氏より 雜誌。 東亞 堂よ リ 手紙。 木 村 氏を訪 ひ、 雜誌 印刷 費 



IE 金 を 借りる。 中澤氏 來訪。 , 

七月 卄 三日。 晴。 雜 誌の 印刷所 を 萬 月 堂に きめた。 中澤氏 来訪。 nic 司 氏の 謬見」 (三た び y 七片。 

七月 卄 四日。 晴。 沼 波 氏を訪 ふ。 

七月 廿五 nzc 晴。 英枝 と共に 平 中 村 二 氏を訪 ふ。 

. 七月 廿 六日。 晴。 巾澤 氏より r カキ。 中澤氏 來訪。 ふく子; 中外、 羽太 三 氏へ ハ ガキ。 

七月 卄 七日。 暗。 中外 日報より ハ ガキ。 新 東洋 社より 手紙、 同じく 返事 並に 英文 原稿。 「指の 傷」 (二 

十四 片), 靑年 文壇へ。 嗚海 氏の 蜂 を 調べに 行った。 

七月 廿 八日。 曇。 鳥 谷 部 氏へ ハ ガキ。 蓊會に 行く (湯淺 (倉 平) 氏も來 たる。) 

七月 廿 九日。 曇。 北 村 氏 を訪ふ (留守: r 若: 呂 氏を訪 ふ。 薰 の中擧 より 手紙 (呼び出し)。 宇 野 氏より. 

ハ ガキ。 

七月 三十日。 晴。 ^:<^^堂ょり九圓六十錢。 鳴 海 氏を訪 ふ。 

七月 三十 一 日。 晴。 佐 藤 (稠) 氏を訪 ふ。 

八月 一 日。 晴。 新潮 社より ニ圓 五.?. 錢。 中 村 氏 來訪。 

八月 二日。 小雨 二度 あり。 遠 藤より r ガキ。 鳥 谷 部 氏より 手 鋭。 聖擧院 へ 薰の爲 め y 呼び出されて,. 

行く。 中 村 氏を訪 ふ。 鳴 海 氏來訪 (留守)。 

幾 鴨 nws3 第三 四 三 九 . 



St 第 十二 卷 四 四 〇 

八月 三日。 小雨、 風。 前 田 (晁) 氏より r 力 キ* 同じく 返事。 三 井 氏より r カキ、 IS じく 返.; *。 滋子 

來訪。 嗚海 氏の 蜂 群へ 王 を 誘 入 させた。 「喧曄 相手の 急 轉を覺 悟せ よ」 (十五 片、 日 木 主義へ。 

八月 四日。 雨 あり。 三 井、 中 村 (武) 氏へ 書信。 ^<權 干犯 論の 常 否」 (七 片), 日本 主義 並に 日 本 評論 

へ。 鳴 海 氏 を訪ふ (蜂 王 はう まく 落ちついた)。 

八月 五日。 少雨 あり 。「新 舊 日本の 解驛」 (十コ 一 片)、 日本中; 義 並に 日本 評論へ。 印刷 星へ ハガキ 。中 村 

氏 來訪。 

A 月 六日。 暗。 夜、 小雨。 鳴 海 氏來訪 (前 島 氏へ 紹介。 中澤氏 來訪。 野 上 氏を訪 ふ。 

八月 七日。 晴。 中 村、 一 元 社ニケ 所へ ハガキ 。「描 寫 上の 我執と は」 (五 片)、 日本 評論へ。 

八月 八日。 九日。 

八月 十 曰。 十 曰會へ 行く。 小 林 (一) 氏へ 手紙。 「內部 的寫實 主義から」 (九 枚)、 へ。 

八月 十 一 日。 新潮 社主 を訪 ふ。 新潮より 四圓 五十 錢。 三 井 氏より ハ ガキ。 伊藤 (證) 氏の 紹介に て t 

菱隆彥 氏 來訪。 

八月 十二 曰。 雨 ぁリ。 三 井、 木 村、 川口、 宇 野 氏へ ハ ガキ。 中 村、 生 田 (長江: r 滋子三 氏 來訪。 

A 月 十三 日。 曇。 山 本 (唯)、 池 田、 滋子三 氏を訪 ふ。 

八月 十四日。 晴。 小 林 氏より 手紙。 廣瀨 氏より 尸 ガキ。 , 



八月 十五 日。 曇。 佐 藤氏へ 手紙 (借金の 件)。 黑 潮の 中 根 氏來訪 • 共に 横 山、 沼 波 二 氏 を 訪ふ。 

A 月 十六 日。 佐 藤氏 * 、江の 島より r カキ。 靑柳 (隆) 氏より ハ ガキ。 鳴 海 氏 を 訪ふ。 

八月 十七 日。 曇。 三 井、 木 村 二 氏より 原稿。 「比歙 山 下の 日吉 祭」 (十 枚)、 黑 潮へ。 鳴 海 氏 外 一 名と. 

共に 來訪。 野 村 氏-; "お- 訪。 

八月 十八 日。 雜誌 へんしう すみ、 印刷屋へ 持って行く。 

八月 十九 日。 晴。 山 本 (唯) 氏 へ 手紙。 はら H 合が 惡 くて 何もで きす。 

八月 二十 曰。 暗。 おやす より ハガ キ。 川 侯 氏の 紹介 を以 つて 島 田 美彦氏 來訪。 

八月 一 一十 I 日" 晴。 深 田 氏 來訪。 島 田 氏 再び 來訪。 田 丸 氏より 手絨、 同じく 返事 (短篇 小說 は ー マ 

ギ譯 の 件)。 加 藤氏より 轉 居の 通知。 中 村 氏 來訪。 

八月 二十 二日。 晴。 野 口 氏より ハ ガキ。 中澤氏 來訪。 嗚海氏 來訪。 

八月 二十 三日。 晴。 野 村 氏 來訪。 ゃッ とけ ふから 小說を 書き初めた。 

八月 一 一十 四日。 ふかた 小雨。 竹 腰、 德 島より 歸京 一 泊。 山川 氏 來訪。 

八月 廿五 曰。 踏。 鈴 木 (初) へ 手紙。 英枝 と共に 中 村 並に 平 嫁 氏を訪 ふ。 スト ー ナ J 譯料 のうちへ 五 

八月 廿六 曰。 暗。 細 田 氏より ハ ガキ。 木 村 (卯) を 訪ふ。 深 田、 川 俣 • 武林 氏を訪 ふ。 

粱鴨日 記 § 四 四 1 



ii ^十二 卷 二 

八月 廿七 曰。 晴。 大月 氏より ハ ガキ。 宮§ "氏 來訪。 川口 氏を訪 ひ、 淸 子に 與 へる 七お 分 十圆を 渡す 

深 田 氏ヒ訪 ふ。 

八月 廿 八日。 晴。 土岐、 茅 原 二 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 手紙 並に 三十 圓 (「耽溺」 の 重版 稿料) 

八月 サ 九日。 晴。 滋子氏 來訪。 中澤、 大野 1 一氏 來訪。 

八月 三十 曰。 夜、 雨。 十日 會の釵 能 行きの 件に 就き、 武 藏野鐡 道へ かけ 合に 行った。 同氏 を 訪ふ。 

茅 原 氏より ハ ガキ。 

八月 三十 I 日。 雨。 嗚海 氏を訪 ふ。 布 川 氏 を訪ふ (今回 露國へ 派遣され るので 俄かに 露語 を 一 般的 

に おぼえた いと S ふので、 敎師の 周旋 をして やる ことにして、 先 づ沼波 氏へ 心當 ての 露 人へ かけ 合ゥ 

て 貰 ふ ハガキ を 出した。) 

九月 一 日。 夜、 雨。 黑潮 社、 川 手、 池 田、 滋 子、 前 島 諸氏 を訪 ふ。 

九月 二日。 雨。 加 藤 夫) 氏より r カキ。 十日 會の 通知 を 出す。 

九月 三日。 雨。 森 田、 岡 二 氏より ハ ガキ。 中澤氏 來訪。 生 H (弘) 氏の 紹介 を以 つて 小 田 部と 云 ふ 人 

九月 四日。 雨 あり。 山 本 (留守 y 池 田 二 氏を訪 ふ。 鳴 海 氏來訪 (留守 )。 秀* 大 須賀、 荒木 (郁) • 齋 

藤 • 藤 (謙) 氏よ リハ ガキ。 屮村 並に 黑 潮へ た ガキ。 



九月 五日。 雨。 山 本 氏 を訪ふ (留守 )o 德田 (秋 江) 氏より ハ ガキ、 同じく 返事 。淸 子より. 催促 ハガキ 9 

. 沼 波 氏より ハ ガキ。 加 藤 • 長 3、 柴田、 在 田 * 鈴 木 • 小 寺 夫婦 • 得) 氏より ハ ガキ。 中 村氏來 

訪。 - 

九月 六日。 晴。 尾 山 氏 • 短歌 雜 誌の 原稿 を賴 みに 來た。 山 本 氏を訪 ふ。 夜、 原 氏大阪 から 歸宅 を訪 

ふ 西 村、 山 田 • 小 泉 氏より ハ ガキ。 

九,., 七 曰。 暗。 川路 • 滋子、 廣津 氏より ハ ガキ。 木 村 (麿) 氏 來訪。 原 氏 を 俘って 皐月 丸寶 買の 件 を 

矢 島 氏へ 紹介に 行った。 中澤氏 並に 奧村氏 來訪。 小說 「獨探 嫌疑者と 二人の 女」 (百 枚) 中央 公論へ。 . 

九月 八日。 曇。 中 村 氏來訪 • 譯 料の 內金 二十 七圆を 持って来た。 瀧 田 氏へ 原稿 を 持って行く。 宫地 

湊屋 より ハガ キ。 黑 潮より 稿料 十圓 也。 隣り の 野 村 氏を訪 ふ。 

九月 九日。 雨。 十日 會を飯 能に 開いた 爲め、 旅行に 出た。 久しぶりで 田舍の 景色 を 見た。 

- 九月 十日。 雨。 三湳氏 來訪。 

九月 十一 曰。 雨。 吉野 氏より ハ ガキ。 「經濟 的非戰 論の 缺陷」 (二十 六片) 日本 主義へ。 曰 本 評論 へ。 

1 心理の 描 寫と說 明」 (三片 y 日本 評論へ。 ニ兀 社へ ハガ キ。 

九月 十一 一日。 雨。 中澤氏 來訪。 一 元 社より 稿料 八圓。 木 村 (卯) 氏 來訪。 森 田 氏より 招待 狀。 三 井 氏, 

より 原稿。 

戴 鴨 ofi 第一 11 : 四 mil 



泡 鳴 fss 十二 卷 四 四 四 

九月 十 三日。 曇。 「大阪 辯 護 論」 (四十 六片: r 大阪每 日へ。 

九月 十四日。 晴。 吉野氏 來訪。 木 村、 大須賀 1 一氏より ス ガキ。 

九月 十五 曰。 雨。 大阪毎 曰へ 原稿。 野 村 氏 來訪。 「人 麿の 佳作 傑作」 (十五 枚)、 短歌 雜 誌へ。 

九月 十六 日。 雨。 尾 山 氏 來訪。 原稿 を 渡す。 大須賀 氏より 原 槁" 院展並 二 科 を 見に 行った。 雜 誌へ 

ん しう やみ。 

九月 十七 日。 . 

九月 十八 日。 暗。 神 崎 氏 來訪。 中外 社の 青山 氏 來訪。 中 村 氏へ ハ ガキ。 

九月 十九 曰。 晴。 中澤 氏來訪 (留守 )。 山 本 • 池 田 • 滋子、 德田、 生 m、 長 田、 瀧 田 諸氏 を訪 ふ。 

九月せ 日。 晴 Q ォキシ ヘラ 會へ ハ ガキ。 川口 氏より ハ ガキ。 東雲 堂より 橋 料七圓 五十 錢。 「夜の 虹』 

〔六 片)、 ァ カツ キ文擧 並に 中外 日報 。「僕の 本年の 作」 (六 片: r 中外へ。 

九月 廿 一 日。 暗。 山 本 (唯) 氏 を その 社に 訪ひ、 秘書 役に 會ひ * 日本 主義 社へ 寄附の 件 を 話し込ん 

だ。 大月氏 來訪。 ォキシ ヘラ 會ょ リハ ガキ。 

九月 廿 二日。 曇。 大阪 毎日 並に ォキシ ヘラ 會へ 書信。 臺灣の 中 川 氏より 手紘 • 同じく 返事。 帝劇へ 

行く。 

九月 廿 三日。 雨。 木 村 * 中外- 前 島、 山 本 (露) 氏より ハ ガキ。 島 田 氏 來訪。 鳴 海 氏 を訪ふ 中 村 氏 



ぺ r カキ。 

九月 廿 四日。 雨。 木 村 氏より ハガキ 。「佐 藤 中將の 軍事 思想 論」 (十六 片)、 時事へ 

九月 サ 五日。 雨。 生 田 氏 を訪ふ or 神社 宗敎 論」 (十 一 片)。 瀧 田 氏 を訪ふ (留守 )o 

九月 卄 六日。 曇。 中 村 氏 を訪ふ (留守)。 中澤氏 來訪。 山 本 (唯) 氏より 手紙 (寄附 謝 絡)。 西 村 i) 氏 

より r カキ、 同じく 返事。 中央 公論 並に 時事より 原槁歸 る。 

九月 廿 七日。 曇。 簿田 氏より 返事 • 同じく r カキ。 禁娘洋 社より 手統。 黑潮 • 若 宫、 茅 原、 寓月堂 

へ 行く。 布 川 氏より 本!: " 露 國出發 の 通知。 野 村 氏より 家贊の 催促。 「博士 ケ! ベ ル その 人」 (十 I 片 )o 

九月 廿 八日。 曇。 大月 氏より ハガキ 萬 月 堂、 若せ :!、 池 田 氏 を 訪ふ。 宅に 月評 會ぁ bN、 十 名 集つ 

た。 

九月 廿 九日。 雨。 お ほ 家へ 斷り。 西 村 (齙: r 1 元 社より ハガキ 

九月 三十日。 雨。 若宮、 北 村 一 一氏 を訪 ふ。 

十月 一 日。 大 暴風雨。 小 林、 帝!: 文學、 S 大須賀 氏へ ハガキ。 薄 田 氏より 手紙、 > 同じく 返事。 

機 村 氏より 耽溺 英譯 稿。 今朝 午前 二 時 頃より 大 暴風雨に なリ、 家 根の かわら を 飛ばし、 庭の 板 垣 を 倒 

し * 畑 は 丸でめ ちゃくに なった。 一 ちんち、 その 始宋に 費やした 。鼋燈 もけ さから まだつ かぬ ので 

ある。 

紫 鵜 日 SS 第 111 四 四 五 



mi0 第 十二 卷 四山ハ 

十月 二 曰。 晴。 池 w、 滋子、 川 手 氏 を 訪ふ。 押 川 先生 を訪 ふた けれど §s ^であった。 後藤 • 滋子ニ 

氏より ハ ガキ。 

十お 三日。 晴。 遠 藤、 大 須賀、 西 村 (鷂) 氏より ハ ガキ。 遠 藤へ 返事。 『武林 氏へ」 (四 片)、 カネへ。 畑 

を 耕し 山 東 菜 をまい た。 

十月 四日。 晴。 大月 氏よ リハ ガキ。 岩 村 家の 新生 人よ リ 手紙。 前 島 • 川 手 二 氏を訪 ふ。 

十月 五 rn。 雨。 中 村 • 平 1 二 氏を訪 ふ。 大阪毎 曰より 原稿 返る (手 遠 ひで 「日本 主義」 の 方へ さきに 

出て しまったから) 。加 藤 sy 萬 月 堂 二 氏より ハ ガキ。 岡 田 氏より 電報。 

十月 六日。 雨。 京都へ 原槁。 薄 氏より 大阪 毎日の 爲め 十五 六 回の 短篇 依賴、 同じく 承知の 返蓽 

加 藤 (朝) 氏より 手紙 並に 原稿。 「憶 良と 旅人の 對照」 (三士 一片), 短歌 雜 誌へ。 

十月 七日 。雨 。尾 山 氏へ 昨夜の 原稿。 

十月 八日。 雨。 月評 會 あり。 

十月 九日。 曇。 神 崎 氏より 手紙 同じく 返事。 原 氏へ 手紙。 

十月 十日。 雨。 尾 山 氏より ハ ガキ。 十日 會へ 行く。 朝、 押 川 先生 を訪 ひ、 雜誌 維持の いい 方法 を ffi 

談 して 見た。 三湳氏 來訪。 : 

十月 十 一 日。 1 ほ。 尾 山 1^ より ハガ キ。 奧村 氏來訪 (犬と 子^との 寫】 呉 を 取って 貰った )o 



十月 十一 一 曰。 晴。 橋 川 氏より 原稿と ハ ガキ。 

十月 十三 日。 曇。 滋子 氏より ハ ガキ。 「中外」 より 手紙。 岩 村 透 氏 Sg 悼會の 通知が 來 たけれ ど 金が 

ない ので 行けさう もない。 宫地氏 來訪。 

十月 十四日。 曇。 家主より 家賃の 催促。 英枝を 中 村 氏へ 使 はす。 生 田 (長) 氏より r カキ、 同じく 返 

事。 木 村、 中澤 1 1 氏より 原稿。 三 井 氏より 原稿。 雜誌 へんしう すみ。 

十月 十 五日。 雨 あり。 泄田、 押 川 二 氏よ.^ ハ ガキ。 英枝を 短歌 雜 誌へ 使 はす。 雜誌 原稿 全部 を 萬 月 

堂に 郵送。 

十月 十六 日。 雨。 「法 學士の 大藏」 (百 三十 片 )• 脫稿。 

十月 十七 日。 薄 曇。 奧村正 雄 氏 死去の 通知。 短歌 雜 誌より 稿料 八圓。 英枝を 中 村 氏へ 使 はす。 

十月 十八 日。 雨。 三 井 氏より ハ ガキ。 瀧 田 氏へ 稿 を 持って行く。 

十月 十九 日。 雨。 奧村氏 來訪。 i 北峯 氏より 手紙。 

十月 廿日。 雨。 深 田 氏より 紋 つきの 羽織 を 借りて 演說會 に 出かけた。 あかつき 文 攀社第 一 講演 會で 

「國語 上の 自營」 を演說 した。 1 時間で S 意の 半ば を 演じ 終る ことができ ただけ。 

十月:^ 1 日。 曇。 北條、 三 井 一 一氏 へハ ガキ。 

十月 廿 1 一日。 鳴 海 氏 來訪。 押 川 先生 へ 手 鋭。 

粱鴨 nss 第 三 四 il 七 



^^i 第 十二 卷 四 M 八 

十 廿 三日。 暗。 

十月 ト 四日。 曇。 原、 山川 二 氏より ハ ガキ。 大阪の 小 林 氏より 名簿。 中 潷、 宫地 • 岡 三 氏 一 緖に來 

訪。 瀧 田 氏へ ハガキ or 耽溺」 の英譯 を通讀 訂正して しまったので、 磯村 氏へ 郵送。 鳴 海 氏を訪 ふ。 

4. 月卄 五日。 雨。 シ H ルコ フ 夫人 へ 手紙。 原 氏より 手紙。 

十月 廿 六日。 晴。 三 浦、 原子 二 氏を訪 ふ。 三 浦 氏と 初めて 及 川 氏を訪 ふ。 

十月 廿 七日。 雨。 

十. -ォ V 日。 雨。 rrri 氏へ ハガキ :^; 上 氏より パガ キ。 !ニ浦 氏と 及 川 氏 を訪ふ W 山 本 (一 二 :! 氏を訪 

ふ 

十月 十九 日。 暗。 『華 族の 家僕」 (九十 六片) を 書き終 はる、 大阪 .1 母 日へ 郵送。 薄 田 氏へ 手紙。 有吉氏 

より ハ ガキ。 萬 月 堂へ ハ ガキ。 

十月 卅曰。 晴。 黑 潮より 原稿 返り 來 たる。 「靑 年」 より 手紙。 野 上 氏より ハ ガキ。 早稻 田文舉 社より 

ハ ガキ。 原 氏 來訪、 原 氏を訪 ふ。 「羅馬 字と 國語 上の 自營」 (二十 五 枚 分)、 新小說 へ。 

十月^ 一日。 晴。 萬 月 堂より ハ ガキ。 山 本 (三) 氏より ハ ガキ。 萬 月 堂へ 校正。 押 川 氏を訪 ふ。 深 ra 

氏 を訪 ふ。 川口 氏を訪 ひ、 淸子 へ の 九月 分 を 渡す。 

十 一 月 一 日。 衣、 雨。 羽太 氏へ 手紙。 萬 月 堂へ 校正。 大須賀 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 鳴 海 氏、 



H 浦 氏 を 訪ふ。 

十! 月 二日。 上司 氏へ ハガ キ。 增田 氏へ 手紙 (日蓮の 研究 出版 交 涉)。 羽太 氏より 返事。 三 浦氏來 

訪。 及 川 氏 を訪ふ (留守)。 生 田 氏 を訪ふ (§5 守)。 . 

十 一 月 三日。 曇。 樋、 口紅 陽と 云 ふ 人、 序文 を賴 みに 來た。 米倉より 手紙。 新 日本 社より 手紙。 大須 

.賀 氏 宅へ 招かれて 英枝 と共に 行く。 大阪 1 母 日より 稿料 五十 圆 なり。 

十一月 四日。 雨。 釆 倉へ 返事。 上司 氏より 返事。 新 日本へ ハ ガキ。 早 文へ 答へ。 薄 田 氏へ r カキ。 

ムニ 浦 氏 來訪。 

十 一 月 五日。 晴。 草 村 氏へ 手紙 (出版の 件)。 

十 一 月 六日。 晴。 增田 氏より 返事。 三 浦 氏が 飯!^ 海軍 中佐と 高 田 氏と を 伴って 來た. - 押 川 氏 並に 長 

谷川 (天) 氏を訪 ふ。 

十 一 月 七日。 晴。 大江 書房へ 手紙。 十日 會 より 通知。 島 田 氏より 國 民への 原稿 依賴。 薪 潮 社より 手 

紙。 前 島、 滋子、 萬 月 堂へ 行く。 中澤 氏來訪 守)。 

十 一 月 八日。 晴。 島 田、 奧村 ニ氏ハ ガキ。 前 島 氏へ ハガ キ。 大月氏 來訪。 「新聞 並に 新聞記者の 改善 

法」 (二十 五 枚)、 新 日本へ。 

- 十 一 月 九 曰。 雨。 新 日本へ ハ ガキ。 大江 より 返事。 薄 田 氏より r カキ。 前 島、 依藤 (鐧 次郞) 氏 

粱鴨日 SS 四 四 九 



泡 鳴 fss 第 十二 卷 E 五 

より ハガキ 。「國 際 正義 は どこまで 主. 股で きる か」 (十 片) • 日本 主義と 中外 日報へ。 本 多 氏 來訪。 

十 一 月 十日。 雨。 竹 腰より ハ ガキ。 十日 會へ 出席。 

十一月 十一 曰。 晴。 本 多 氏 一 一人 來訪。 奧村氏 來訪、 前 島 氏へ 紹介の 名剌を 書く ong! 統と僕 等の 日本 

主義」 (三十 一 片) • 日本 主義へ。 中 村 氏へ ハ ガキ。 

十 1 月 十. 一 一 曰。 晴リ 前 島 氏の 紹介で 東方 時論の 東 氏を訪 ふ。 中澤 氏よ リ ハ ガキ。 中央 公論 より 手 

紙。 「西宫 氏に. r 日本 主義へ 「有 島 氏の 愛と 藝術」 (六 枚)、 國民 新聞へ。 

十 1 月 十三 日。 晴。 新 日本 並に 國民 新聞へ 原稿。 本 多 氏 を 訪ふ。 

十 I 月 十 M 曰。 晴。 中 根、 加 能 二 氏へ 手紙。 福 岡 曰々 へ 手紙。 三 井, 木 村 二 氏より 原稿。 小 野 • 池 

田 二 氏を訪 ふ。 月評 會 があった。 

十 一 月 十五 日。 晴。 萬 月 堂へ 雜 誌の 原稿。 「若宮 田 中 比較 論」 (一 1 十五 片)、 中央 公論の 爲め。 中澤氏 

より 原稿。 莴月堂 へ 追加 原稿。 

十 一 月 十六 曰。 早朝、 雨。 曇。 大江 書房へ 手紙。 小 野 氏より ハ ガキ。 小 野 氏を訪 ふ。 三湳氏 來訪。 

十 1 月 十七 日。 晴。 三 浦 氏と 共に 隆文 館の 草 村 氏を訪 ふ。 本 多 氏來訪 大江 氏より 手紙。 原、 加 能 

二 氏より ハガキ 。中澤 氏より ハ ガキ。 

十 一 月 十八 日。 晴。 大摇除 



十 1 月 十九 日。 暗。 木 村 氏 並に 長 谷川 (樂) を訪 ふ。 

十 1 月 廿日。 晴。 小 林 氏より 手紙、 同じく 返事。 都留 氏より 手紙。 , 

十 一 月廿 I 日。 晴。 原 氏 來訪。 生 方 氏 來訪。 

十 一 月せ 一日。 隋。 「中外」 社より 参圓 也。 國民 新聞より 四 倒 也。 有 島 (武) 氏へ 《ガ キ。 コ 一 井 氏へ も 

141 種。 小 林 ニニ 氏の 招待で 喜 文へ 行った。 

十 I 月廿 三日。 雨。 黑 潮の 中极 氏へ 手紙。 萬 月 堂 へ ハ ガキ 

十 I 月廿 四日。 晴。 有 島, 沼 波 二 氏より r カキ。 

十 I 月廿 五日。 晴。 沼 波 氏へ 返事。 黑潮 * 押 川、 池 田、 中 根、 中 村 氏を訪 ふ。 r I 日の 勞働」 (八十 

片) • 文章 世界の 爲 め。 

十一月 廿 六日。 晴。 滋子 氏へ ハガ キ。 

十 一 月サ 七日。 晴 • 風。 黑潮、 新 日本、 池 田、 博 文 館を訪 ふ。 文章 世界より 三十 六圓 五十 錢。 

十 I 月廿 八日。 晴。 押 川 氏の 話で 初めて 飯 野 吉三郞 氏に 會 ひに 行った。 向 ふ は 古 祌道を 古神 道の ま 

ま 新ら しい 解釋 なしに 押し通すべき だと 云 ふが、 僕 は 解釋を 現代的に しなければ 無駄 だと 云った。 然 

し 僕の 所謂 新ら しいと は外國 的で なく 日本人と しての 自覺を 云 ふの だから、 つまり、 兩 人が 兩 端から 

持ち 合って 日本 主義と 云 ふところで 1 致點は あらう と 思 ふ。 鬼に 角、 今 一 回會 ふこと にし て^れた。 

巢鴨日 SS S 四 五 1 



泡 鳴 仝 • 集 ^十二 餘 二 

押 川 氏へ その 知らせ。 大八木 氏へ ハガ キと雜 誌。 田 島 夫人 來訪、 一泊。 

十 一 ぉ廿 九日。 晴。 — 

十 一 月 卅日。 晴" 田 島 夫人 本日 歸る。 淸子 へ 十圓。 

士 一月 一 曰。 夜、 雨。 黑潮 社、 新 曰 本社 を訪 ふ。 山 本 一 周忌の 爲 めに 川 俣 氏 宅に 集った。 

十二月 二日。 晴。 木 村 (卯) 氏 來訪。 

十二月 三日。 夜、 雨。 三湳氏 來訪。 中 极氏を 訪ふ。 

十二月 四日。 晴。 4^ の ft 界へ 返事。 龍土會 より 通知、 同じく 返事。 前 島、 滋子、 藤 井 三 氏を訪 ふ- 

十二月 五 曰。 暗。 北隆 館へ ハ ガキ。 小說 1 乃 木 大將の 惑 ひ」 (二十 七 枚 半)。 中央 公論 社より 稿料 十圓 

五十 錢。 

十二月 六日。 晴。 飯 野 氏 を訪ふ (け ふ は 例に 聽 いた 劎を 握って 兑 せた が. つまり 信念が 强 いから 乎 

が 切れぬ と 云 ふの は、 木 村秀維 氏の やる のと 同様 心理 擧 的に も解釋 がで きる こと だ。 僕 はこれ を I 番 

よく 云っても 充實の 刹那 を 示す 以上で はない と 思った)。 

十二月 七 曰。 晴。 東方 時論 • 中外 社 • 押 川 氏, 川 手 氏を訪 ふ。 黑 潮を訪 ひ、 稿料のう ち 九十 九圆 

也。 姉 崎 (博士)、 千 薬 二 氏より ハ ガキ。 十日 會の逋 知。 

十一 一月 八日。 暗。 中 根 氏 來訪、 共に 湳 安並に 宇喜田 村の 水害地 を 見舞 ふ。 



十二月 九日。 

十二月 十日。 十日 會へ 行く。 中澤、 青山 二 氏 來訪。 「我國 思想界の 現 狀と其 救濟」 (六十 片) • 「中外」 

へ 十二月 八日より 十 一 日に 至る までの 書信 一 I 奥 村 正 雄 氏 遺族より r カキ。 中外より 電報。 服 部 桂 

子 氏より ハ ガキ。 宇 野 氏より 手紙。 龍土會 より ハガ キ。 新 東洋より 英文 原稿 返る。 西 本 氏 追悼 畲 通知 

髙橋 (久) 氏より ハ ガキ。 

十二月 十一 口。 晴。 中外より 稿料 二つ 分に て 四十 五圆。 押 川 氏 を 訪ふ。 

十二月 十二 日。 晴。 寓月堂 • 東方 時論、 加 藤 (房 藏) 氏、 押 川 氏、 池 田 氏を訪 ふ、。 佛蘭 西擧會 ょリハ 

ガキ。 川路 氏來訪 Q 內 弟子に して くれろ と 云 つて 來た 女が あった さう だ。 月評 會 であった。 

十二月 十三 日。 晴。 小 寺 (南: r 齋藤 (茂) 氏より ハ ガキ。 佛舉會 へ 返事。 羽太 氏へ 手紙。 飯 野 氏へ ハ 

ガキ。 押 川 • 德田、 生 田、 長 田 氏 を 訪ふ。 

十 1 一月 十四日。 晴。 新 日本、 岡、 前 田、 鈴 木 氏を訪 ふ。 

十二月 十五 日。 夜、 小雨、 風。 羽太 氏より 返事。 淡路會 より 通知。 「斷片 語」 (九 片 )o 

十二月 十六 日。 晴。 寓月 堂, 池 田 氏、 芝 川 氏を訪 ふ。 龍土會 より ハガ キ。 、 

十二月 十七 日。 晴。 龍 土 會- 野 上 氏へ ハ ガキ。 北隆 館よ ぉハ ガキ、 同じく 返事。 新 潟より ハ ガキ。 

ワルト 社より ハガキ 。池 田 氏へ 書冊。 

菜 鴨 日記 第 111 四 五 111 



is ^十二 卷 四 五 四 

十二月 十八 日。 晴。 

十二月 十九 ほ。 晴。 「鐘」 より ハ ガキ。 寓月 まより ハ ガキ。 寵土會 へ 行く 0, 

十二月 二十日。 

十 1 1 月 一 一十 一 曰。 晴。 中 矢文 擧 より 問合せ。 山形 縣の伏 見と 云 ふ 人 來訪。 岩 淵に 田 中 怕を訪 ふ • 

氣の 爲め會 へす。 與津の 西 園 寺 侯を訪 ふ、 入れ違 ひに 上京との ことで これ も會 へす。 靜閊に 伊藤 (仙 

峯) 氏 を 十五 六 年ぶりで 訪問 • 一 泊。 保 田 俊 子 氏 をも訪 ふ。 

十 一 一月 1 1 十 一 曰。 晴。 靜 岡へ 來. た 原 氏と 共に 保 田 氏を訪 ふ。 夜、 出發。 

十二月 二十 三日。 晴。 早朝 歸宅。 池 田 氏より ハ ガキ。 池 田 氏へ 返事。 野 上 氏より ハ ガキ。 中外 社よ 

りの 招待で 神樂 坂の 常 盤亭に 行き、 久津見 氏 並に 福 田 博士に 會ふ。 千 葉 氏^ 訪。 

十二月 二十四日。 晴。 上田 屋 支店へ ハ ガキ。 雜誌 出來。 押 川 氏を訪 ふ。 

士 一月 1 1 十五 曰。 晴。 前 島 氏、 滋子 氏を訪 ふ。 

十二月 二十 六日。 晴。 押 川 氏、 池 田 氏を訪 ふ。 歸 つて 見る と、 つい 近所に 火事が 出た あとで あつ 

た。 中 村 (春) 氏 來訪。 佛爾西 擧會の 招待で 華族 會 館に 行く。 

十 一 一月 廿 七日。 晴。 萬 月 堂、 一 元 社、 鳴 海、 原 氏 を 訪ふ。 E 川 氏 を 訪ひ、 先日の 寄附 金 (社の 爲 

め) に對 する 鳢に靑 木 氏の 紀念霤 を 渡した。 この 二三 日の 來信—— 中外 社より、 有 島 (武) 氏より、 木 



村 (卯) 氏よ リ。 

十二月 廿八 日。 晴。 木 村、 內籐ニ 氏へ ハ ガキ。 

十二月 廿 九日。 晴。 芝 川 氏よ リハ ガキ。 新 潟へ 海苔 を 送る。 

十 1 1 月 三十日。 晴。 木 村 (卯) 氏來 訪。 

十二月 三十 一 曰。 暗。 夜、 生 田 氏を訪 ひ、 留守で あつたから E 中 (純) 氏に 行き、 そこから 生 田 氏 を. 

呼んで 共に 除 をした。 



巢鴨日 Si 第 三 四 五 五 



泡 鳴 仝 集 ^十二 卷 四 五六 



大正 七 年 



1 月 I 曰。 暗。 子供と 共に 朝食 前に 「君が代」 を 歌 はう とした ほどの 氣 ぶんに なれたが、 それ もほん 

の 僅かの 間で、 直ぐ 面白く なくなった。 僕 自身が もっと 氣 さくに なれない 爲め でも あらう が、 英枝も 

よくない の だと 思 はれる。 ^賀狀 へ 二十ば かり 答へ を 出した。 

I 月 二日。 雨。 五つば かり、 來賀狀 へ 答へ。 

1 月 11 百。 晴。 押 川、 飯 野, 00. 野 口 氏を訪 ふ。 木 村 (卯) 氏、 田 代 氏 を 伴って 來訪 (留守)。 來狀 

へ 十三ば かり 答へ。 

1 月 四日。 晴。 吉野氏 來訪。 碁 を 打って 向 ふ を 二 E にして やった。 / 

I 月 五日。 晴。 中澤氏 來訪。 野 口 (米) 氏 來訪。 ^狀 への 答へ 四つ を した。 

1 月 六 曰。 晴。 蒲 原 (有 明) 氏、 原子 氏 來訪。 賀欽 への 答へ、 一 。 英枝 と共に 德田 at) 氏を訪 ふ。 

. I 月^日。 11。 实枝を 伴って 生. 田 (長〕 氏 宅の カル タ會に 行く。 「しづ 機」 の 一 節 を 歌って a た。 深 E 




(影 撮 月 二 年 七 正大) 



◊ 雨 氷 

厶珍 らしい 現象 

△ 被害 は 無った 

東京 市內 にて は 一 一日 午前 一 一時 四十 

分 頃より 雨と なり 午前 六 時半 頃歇 

みたる が 同 四時 より 樹木の 枝 潔 

電信 電話線 等 悉く 水に 包まれて 珍 

らしく 雨氷の 現象と なり 地面の 如 

きも 一 面に 平滑なる 氷に 覆 はれた 

り 此の 現象 は 天 保 五 年 正月と 明治 

卅五 年の 正月と に 起り し 稀なる 現 

象に して 時 に は 電信 镇話 線の 切斷 

する 察 あり 數日前 石 川 縣金澤 に 於 

ける 雨氷 は 其の 1 例に して 被害 多 

かりし も 昨朝の は 其の 程度に は 達 

せざ,=^き (新聞の 切拔) 



氏來訪 (留守)。 

! 月 八日。 晴。 前 島 氏を訪 ひ、 ォキシ ヘラの 溫布 をして 貰 

ふ、 また 耳が かた 一 方き こえぬ ゆ ゑ。 『文 藝雜 話』 (三十 八 

片)、 新小說 へ 。 

一月 九日。 晴。 返狀、 二つ。 

1 月 十日。 晴。 十日 會へ 行く。 こ の 一 週間ば かり、 夜半 は 

氷點 下に 五六 度 だと 云 ふ ほど 寒い。 返狀、 三つ。 吉野 氏を訪 



m 小鴨 日 31 4$ 三 



一月 十 一 日。 暗。 耳 科醫へ 行く。 小此 木、 飯 池 田, 若 

宮、 北 村 氏 を訪ふ (共に stoo 關 氏より ハガキ 。本年、 け ふま 

での 年賀 狀> 總 計 百 十二 枚。 

1 月 十二 日。 暗。 

一 月 十三 日。 晴。 月評 會の 新年 赛會が 宅に あった、 集まる 

もの 十三 人。 石山 氏 夫婦 來訪。 

1 月 十 W 日。 隋。 飯 野 氏を訪 ふ。 中外 社へ 行く。 加 能 氏よ 

四 五 七 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 四 五-/ 

..^校正が來たのを見た。 

一 月 十 K 曰。 晴。 中澤 氏より ハ ガキ。 內海 (宗) 氏より 手紙。 大月、 H 井二 氏より 原稿。 古 館、 ェ藤 

二 氏 來訪。 新 曰 本へ 小 說-. 乃 木 大將の 惑 ひ」 を 渡す。 

】 月 十六 日。 風。 瀧 田 氏 來訪。 中央 公論へ 小説 を 害く 爲め。 淼ケ 崎へ 來た。 

I 月 十七 日。 十八 日、 十九 日。 森 ケ崎滯 在 。「非凡 人のお も かぜ レ (五十 九 枚)、 中央 公論の 爲 め。 

1 月 廿日。 森ケ 崎より 歸る。 朝 * 同地に 於いて 散文 ST 森ケ 崎の 朝」 。留守中に 北 原 * 與謝 野、 川 手、 

髙桑 氏より ハ ガキ。 

一月 廿 一 日。 中 澤* 小川 一 一氏 來訪。 中央 公論より 七十 圆八 十錢。 

1 月廿 一 一日。 廿 三日。 (小雪)、 廿 四日。 中 井 氏より ハ ガキ。 深 田 氏を訪 ふ。 淸 子へ 十圓。 「流行と 不 

八 枚 y 青年 文壇の 爲め。 

1 月廿 五日。 雨 あり 。「散文詩に 就いて レ (十 片 y 時事へ。 靑年 文壇より 稿料 五圆。 

1 月廿六 曰。 晴。 春陽 堂 主人へ 出版の 相? gso 新時代の 杉 中 氏へ ハガ キ。 芝 川、 茅 原 氏 を 訪ふ。 , 

1 月廿 七日。 晴。 芝川氏へ手紙(原氏のブレスボタンの^^とに就ぃて)o 

1 月せ 八日。 暗。 春陽 堂より ハ ガキ。 

1 月廿九 曰。 晴。 「散文詩の 夢幻 的說 明」 (一 一十三 枚 半)。 



一 月 三十日。 晴。 ? 1 の 原稿 を 文章 世界へ。 加 能 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 芝 川 氏より 手紙。 氷, 

窒 氏より ハ ガキ。 カフ H シン バシ より. ハガ キ。 氷室 氏 来訪 • 宇都 宫演 說會 のこと を 相談して 歸 つた。 

中澤氏 來訪。 

】 月 三十 一 日。 晴。 

二月 一 日。 晴 。「田 中 氏の 擧問獨 立論」 (九 片: r 日本 主義へ。 加 能 氏より ハ ガキ。 時事より 稿料 一 面 

S 十錢。 

二月 二日。 暗。 中 根 氏へ た カキ。 萬 月 堂へ 校正に 行く。 加 藤 (房)、 木 村 (鷹)、 小 寺 三 氏を訪 ふ。 仙 

臺の齋 藤氏より 手紙。 

二月 三日。 雨 あり。 中 根 氏よ ぉハ ガキ。 新潮 社より 「耽溺」 の印稅 十五 圓。 新時代の 佐 藤氏 來訪。 

二月 四日。 晴。 正 富 氏よ. =N 〈ガ キ。 新時代へ 原稿 「新政 論 家 等の 思想 程 俊」 (三十 一 片 )。 

二月 五日。 晴。 正 富 氏へ 返事。 文章 世界へ 原稿。 前 島- 滋子、 加 藤 三 氏を訪 ふ。 中澤 氏より 端誊。 

1 1 月 六 曰。 雨。 木 村 (卯 y 井上 1 1 氏より ハ ガキ 木 村 (卯) 氏 來訪。 「誇張と 疎放の 意味 如何」 (士 一 

片)、 時事へ。 

二月 セ日。 晴 Q 時 寧へ 原稿。 木 村 (廳) 氏へ その パイ はン 傑作 集に のせる 書翰 1 篇を。 木 村 (巧 氏よ 

"《ガ キ 。永 室 氏より 手紙。 

巢鴨 日記 第三 四 五. S 



泡 鳴 仝 築 ^十二 卷 四 六 〇 

二月 八日。 暗。 氷窒 氏へ 返 一 供。 木 村 (卯) 氏へ ハガ 午。 押 川 氏へ 手紙。 加 能 氏より ハ ガキ。 博 文 IS よ 

り 稿料 二十 四圓 四十 錢。 木 村 (廳) 氏より ハ ガキ。 金澤貞 1 郞と云 ふ 人より 手紙 * 同じく 返事。 小 野 崎 

より ハガ キ。 E じく 返, 「吉野 氏の!:^ 本 主義 論」 (十三 片) • 曰 本 主義へ。 中澤氏 來訪。 「內務 省 岡 書 課 

長へ」 (六 片)。 . 

二月 九日。 雨。 春陽 堂の 林 氏. 十日 會* 11.1 井 氏より ハガキ 。「大山 氏の 思想」 (十八 片)、 日本 主義へ。 

二月 十日。 雨。 十日 會 あり。 川 俣、 大須賀 二 氏 來訪、 共に 十日 會へ 行く。 

二月 十 I 日。 曇。 帝劇へ 行く、 小 野 崎より ハ ガキ。 

二月 十二 日。 晴。 坪內 (士) 氏より 手紙。 

二月 十三 日。 曇。 博 文 館 • 田 中 伯爵 • 氷 Bar 小 野 崎 氏へ 手紙 叉 はハガ 午。 

二月 十四日。 雨。 木 村 (卯) 氏より 原稿。 

二月 十五 日。 晴- 雨。 代 氏より 手紙 • 同じく 返事。 月評 會 があった。 演說 會の 原稿 を 作る。 

二月 十六 日。 晴。 宇都 宮へ 行き * 小 野 崎へ 1 泊。 

二月 十七 日。 晴。 小 野 崎 方へ 氷室 氏來訪 • i 會 延期の ことが 分った。 同氏に 伴 はれて 水窒 村なる 

同氏 宅 へ 行き 一 泊。 

二月 十八 日。 宇都 官に 小雪。 歸京。 晴れ。 留守中の 來狀一 I 河 田 • 新 日本 畫會 * 齋 藤氏より 手紙 並 



にハ ガキ。 田 中 伯爵より 手紙。 

二月 十九 日。 晴。 三 浦 氏、 生 田 (長) 氏 來訪。 田 中 伯爵へ 手紙。 氷室、 小 野 崎 二 氏へ ハ ガキ。 

二月 廿日。 晴。 東北 擧院 のシュ ネイダ 氏へ 英文 手紙。 西 園 寺 侯へ 手紙。 三 井 氏より ハ ガキ、 同じく 

i 氷室 氏より 手紙 • 同じく 返事。 臺灣 の柴田 氏より 原稿。 小 野 崎へ ハ ガキ。 i 話 細君 操縦 策」 (十 

五 枚)、 中外 新 論の 爲め。 飯 野 氏 を訪ふ (留守)。 伊藤 (義) 氏 を訪ふ (贺 守)。 

二月 廿 一日。 晴。 田 代 氏へ 原稿 並に ハガ キ。 關 氏へ 手紙。 吉野氏 來訪、 共に 衆議院の 傍聽に 行く。 

黑潮 社、 田 中 (純 y 德田 (秋 骤) 氏を訪 ふ。 田 代 氏より ハ ガキ。 宮地 氏より 手紙。 時事より 稿料 四圓。 

伊藤 (義) 氏よ, リハ ガキ。 

二月 廿 二日。 晴。 田 代、 宮地 • 新時代 へ ハ ガキ。 新時代より 稿料 十二 圓也。 午後 八 時 宅 を 出發旅 

行 I . 

二月 二十 二日の 午前に、 長 野から 電報が かか リ、 r ァ ス會ァ リ直グ 來ィ」 1コ ンャ 一〇 ジ 上野 立テ」 

とあった。 信 濃 曰々 の 主筆 關露香 氏からの だ。 で、 詳しい こと は 分らなかった が、 急いで その 用意 

にか かり、 指定の 時間 を 後れない やうに 家 を出發 した。 巢 鴨から H 端へ 下りて 見る と、 まだ 殆ど 二 

時間の 餘裕 があった ので、 近 處の山 本 鼎 氏の 宅に 立ち寄った ところ、 どうせ^つ てた 方が いいの だ 

から 少し 酒 を 飮んで 行けと 勸 めら れた。 長 野 市の 關氏 宅に 着した の は、 何でも 二十 三 口の 午前 七 時 

巢鴨日 Si § 四 六 一 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 四 六 二 

頃であった。 少し 休めと 云って 寢床を 取って „4< れ たが、 久々 で會 つたの だから 炬爐 にさし 向って 語 

り 合 ひながら 十 一 時 頃に なった。 それから 同社の 副社長 小 瀧 辰 維 氏の 案 內で關 氏と 共に 晝食を やり 

に、 善 光寺の かたはらなる 見晴 しのい い 萬 佳亭に 登った。 

僕 はま だ 雪の 深 5 國の 景色 を 見た ことがない ので、 この 旅行に は必 すそれ が 見える と 想像して ゐ 

たの だが、 この 1 つの 樂 しみ を 裏切られ たの は 案外であった。 それでも なほ 汽車が 上田 あたり を 

越えてから は、 すべての 山の頂 上から 汽車の 通り道なる 平地まで も 3 呉ッ 白に なつ てるのが あけがた 

の. 月夜に 氣 持ちよ く 見えた。 そして 今 * 莴佳亭 から 長 野 市の 家々 の 屋根 や 川 中島の 平野が 白くな つ 

てるの を 見お ろして、 ぁッ たかいが どこかに 凛と したと ころも ある 風 を顏ゃ 胸に 受ける と、 どう L 

て も 高原 寒國 の 跳め だと 云 ふこと が 感じら れ た。 . 

午後 三時 * 小 瀧 氏 を 初め、 信 濃 日々 の 記者 二 名と 共に、 僕 は 再び 汽車の 上の 人と なって 四十 分ぱ 

かりの 道 を 土倉驛 まで あと 戾 りし、 土 倉 温泉に 來て晚 食 をす ませ * 直ぐ 脊中合 はせ になって る 上 山 

田 温泉に 移り • そこの 新築 『溫泉 劇場」 に 於いて、 小 瀧 氏等數 名の 政談の あとで、 僕 は 定められた 日 

本 主義 演說を 一時間ば かりやった。 f 衆 は 百 六 七十 名 足らす であった。 午後 十! 時に 演說 が 終って 

から、 直ぐ また 溫泉 宿に 於いて 長い 紙 や 扇 面に 揮毫 を 二十 枚ば かり 轔 まれて 書いた。 初め 斷 わった 

の だが、 是非に と 云 はれた ので 思 ひ 切って 大膽に 成った の だ。 僕の 揮毫な どと はこれ が 一 生に 初め 



てで ある o 

^^の演說會を世詰した更南共嗚圑の諳氏十數名はぁとに殘って僕等の爲めに宴會を午前のニ時半 

までつ づけた。 そして 日本 主義 社 支部 を溫泉 劇場に 設置す る ことが 定められた。 同地 は 冠 着 山の ふ 

もとに 在って、 その 川床から 鐵氣 ある 琉黄溫 泉 を 涌 出させて ると ころ だ。 湯 好きの 僕に は 名 殘り惜 

しかった が; 宇都 宫 市に 於け る 同日の 日程が 動かせな いので、 ここにで きた 支部の 代表者に 見送ら 

れ ながら、 午前 二 時半、 僕 は 夜明けに はま だ ひまの ある 月夜 を 再び 千 曲 川に さしかかった。 寒い 風 

を 辛抱して 車の ほろ をはづ させる と • 三丁餘 にも 渡る 低い 板 橘の 眺め は 僕の 眠り 不足な 目に 却って 

鋭敏に 吸收 できた。 

如何にも 塞く 冴え、 夜 づらに 靄の かかって る わけはな いが、 月の 光に 見る 限りが 何となく ぼやけ 

てゐ たの は 夜の 感じが 與 へる 想像から であらう。 正面に 白く そびえて る 山の かげが さかしまに 橋の 

下の 水に 寫っ てるの かと 思った が • 橋の 中 ほどに 來て 見る と、 それ は その かげで も 何でもなく、 川 

原に 消え 殘る 雪と 砂利との 構成す る 幻影であった のが 分った。 そして ごろくと 草の 輪の ころがつ 

て 行く 音 は與を さます もので あつたが、 橋 を 渡り 切って から 山の ふもと 路を 車の 輪が ばりく と途 

上の 氷 を 破って 進む 勢 ひ に 再び 心 が 緊張 を增し た。 

土倉驛 から 高 崎に 着す る 汽車の 進みが 後れた ので、 乘り換 への 車 は 待って ゐ なかった。 そして 僕 

粱鴨日 as 第一 11 四 六 三 



. 0S0 十二 卷 四 六 w 

の. 早く 溫泉場 を 出た 苦心 も 無駄に なった。 ねむたい にも 眠られす、 1^ 間 半 を 乘り換 へ 場に 待って 

. ^の 列車 を 捉 へた。 宇都 宫には 午後 一時 半に 着いた。 停車場に 待ち受け てた 僕の 甥と 共に、 直ぐ 

車を舊 城址に 走らせた。 一週間前に見た布役所前の^^^は、 水 を 吹き上げつ つも 幾 W すぢ かに M ま 

つて、 水リ しだ 比^ を 成して ゐ たが、 け ふ はぁッ たかいので 全く そんな 幻影 を帶 びて ゐ なかった。 

. 舊城处 の演說 場に は旣 に: i 衆が 多く 集って て、 熱心な 主 f の 水 室 正 氏 は 氣が氣 でなかった と 云つ 

た。 僕 も 然し 汽車の 上で 氣が氣 でなかった の だ。 

なほ も 集りつつ あった 人々 の爲 めに、 僕 は 所定の 時間 を 止む を 得す 1 時間 後れて、 午後ニ^^^ら 

約 一時 問 半 を演說 した。 もッと 述べる のが 主催者に 對 しても 本 銃であった の だら うが、 二日 ニ晚を 

卜ノ しも 横にな つて 眠らなかった 疲 勞の爲 めに うまい 工合に 行かなかった。 それに, 或 事件 を 述べる 

時な ど、 少し 胸が 塞がって 來 たので • 途中から 別な 問題に 移った ところ もあった。 二百の 聽衆は 過 

半、 同市の 智識 階級に 屬 する 人々 であった さう で、 上 山 田に 於け るよりも 人數は 多かった。 

演說 後、 別室で これ も 氷室 氏 催しの 实に 列し、 それから 甥の 宅へ 行って ぐッ すり S 二十 五 = の 朝 

まで 眠った o、 

二月 サ五 H。 暗。 朝、 小 野 崎の 家 を 出で • 氷室 氏に 送られて 宇郤宫 出發。 歸 京して 直ぐ 帝劇に 村 田 

かく 子の 總 に 行く。 



贺守 中の 來狀. I 西 園 寺 侯、 三 井 氏、 田 代 氏より。 

二月 廿 六日。 晴。 原 (正)、 伊藤 (義) 氏 來訪。 

二月 卄 七日。 雨。 關、 小 瀧, 氷室、 小 野 崎 氏へ 手紙。 萬 歳 社へ 廣吿 原稿。 新 潟へ ハ ガキ。 萬 月 堂、 

末日 會 • 井上 猛と云 ふ 人より ハ ガキ。 鳴 海 氏を訪 ふ。 

二月 廿 八日。 雪。 井上 氏へ 返事 (その子の 出奔 を 知らない かと 云って 來 たの だが、 僕の 名 を かたつ 

て 誰れ かが その子 を 東京へ 呼び出し たもの らしい。 絡え て おぼえな き 人の こと だから、 迷惑 を感 する 

と 云って やった)。 飯 野 氏 を訪 ふ。 : 

三月 一 日。 晴。 木 村、 代 一 一氏 を訪 ふ。 

三月 二日。 暗。 田 代 氏 來訪。 中外 新 論より 七十 圓。 小 崎より 手紙。 有 島 (武) 氏より ハ ガキ、 同じ 

く 返;? f。 中 村 (星) 氏より 手紙、 同じく 返 一 $。 

三月 三日。 晴。 木 村 氏、 小川 氏夾 -訪。 中外 新 論の 爲 めに 「思想と 文藝 評」 (二十 八片 )o 中央 文擧 より 

ハ ガキ、 じく 返事。 

三月 四日。 晴。 新 論へ 原稿。 新 潟へ 九圓 送る。 滋子、 生 方 二 氏を訪 ふ。 - 

三月 五 曰。 晴。 萩原 (井^水) 氏より 手紙 並に 書物。 前 島、 中 村 • 小川、 野 上 氏を訪 ふ。 

三月 六日。. 晴。 官呵 获原ニ 氏へ ハ ガキ。 社 • 佐 藤 (義) • 及 川、 春陽 堂べ 書信。 尾 山 氏 來訪。 

巢鴨日 SS § G ハ五 



泡 鳴 r^ll 集 第 十二 卷 四 六 六 

井上 氏より ハガキ 。萬 月 堂、 アル スニケ 所 を訪ふ 

三月 七日。 晴。 山 下 氏へ 手紙。 古 垣 氏へ ハガ キ。 佐 藤 (義) 氏より 返事。 奧山 氏より ハ ガキ。 奧村氏 

來訪。 薰が 車力に 敷かれた ので、 順 天堂へ つれて 行った。 今、 早稻田 文舉へ 短篇 を賴 まれて ながら、 

どうも 書き 苦しかった ところで あるので、 直ちに この 察 件 を 題材に する ことにした。 

三月 八日。 晴。 短歌 雜 誌より ハ ガキ。 佐 藤 (義) 氏よ, リ r カキ。 中 村 (S) 氏より ハ ガキ。 十日 會ょリ 

通知。 川 侯 氏より 手紙。 順 天 堂- 新潮 社を訪 ふ。 新潮 社より 印稅の 先借り 十圆。 また 左の 耳が きこえ 

なくなつ たので、 小此木 病院へ 行く。 

三月 九日。 晴。 中 村 氏 並に 短歌 雜 誌へ 返事。 隆文 館の 草 村 氏へ 手紙 (飜譯 の 件 相談)。 新潮 社より 印 

稅 先借り 貳十圓 也。 小此 木耳 科へ 行く。 順 天堂から 薰を迎 へ 返す (足の 骨 は 幸 ひに 折れて なかった)。 

川 俣 氏より 手紙。 河 井、 鹽田 氏より ハ ガキ。 加 藤氏より 原稿。 

三月 十日。 雨。 夜、 あらし。 鹽田氏 來訪。 耳 科へ 行く。 十日 會。 

三月 十 一日。 晴。 耳 科へ。 中 井 氏 來訪。 田 代 氏より 手 鋭。 德田 氏を訪 ふ。 『强ぃ 相手」 (四十 片)、 早 

文の 爲め。 

三月 十二 日。 晴。 田 代 氏へ 手紙。 耳 科へ。 

三月 十三 日。 晴。 河 井 氏より ハ ガキ。 大月 氏よ リハ ガキ。 靑柳氏 來訪。 「人縻 の高巿 皇子 繽宮 歌」 (二 



十三 片)。 

J 二月 十四日。 暗。 耳 科へ。 吉野 氏を訪 ふ。 奧村氏 並に 明 子 氏 米訪。 H 井 • 木 村 二 氏より 原稿 川路 

氏より 手紙 尾山氏を^^ふ。 

三月 十五 日。 雨。 錄^ 氏より ハ ガキ。 横濱の 姉より ハ ガキ、 E じく 返事。 樋 口 (紅) 氏へ ハ ガキ。 月 

評會 あり。 「平和論者との 對話」 (一 一十三 片)、 世界 公論 へ 。 

三月 十六 日。 雨。 橋 川 氏より ハ ガキ。 世界 公論の 安藤 音 三郞氏 來訪。 世界 公論 社より 稿 科 十圓な 

三月 十七 日。 晴。 耳 科へ。 關 氏より ハガキ 。「中 産 農民の 漸減と 高等 遊民の 勞働」 (廿三 片)、 日本 主 

義へ。 「民 愚 主義の 議會答 辯」 (八 片: r 日本 主義へ。 散文詩 「外交 政策」 (ニ片 y 日本 主義へ。 「斷片 語」 

(四片 )o 

三月 十八 日。 晴。 川路 氏へ 返事。 森 田" i 二 氏を訪 ふ。 極 口 氏より ハ ガキ。 「井泉水 氏の 句」 (四 

片: r 日本 主 読へ。 

三月 十九 日。 晴。 隆文館 • 中外 新 論、 川 手 氏を訪 ふ。 耳 科へ。 川路 氏來訪 (sw。 明治 舉院 より 報 

吿。 

三月 卄日。 晴* 風 。川路 氏 來訪。 

巢鴨 nlss 第三 四 六 七 



li 第 十二 卷 ^^六パ 

三月 廿 1 日。 耳 科へ。 三湳 氏を訪 ふ。 萬 歳 社より 手紙。 峰が う ゑて 死に 出す のが あるので!^ を やつ 

た。 

三月 廿 二日。 ちょっと あられ あり、 雷鳴 あり。 蜂 は 蜜 を吸牧 してない。 三 浦 氏 * 中澤氏 來訪。 萬 月 

堂へ ハ ガキ。 雄 辯會へ isr 「加 籐 朝 鳥 氏に」 (六 片) を。 「三た び西宫 氏:」 (五 片)。 

三月 廿 三日。 晴。 山 口 氏へ 拾圓を 振替で、 淸 子への 二月 分と して。 古 垣 氏より 手紙。 耳 科へ。 

三月 廿 四日。 晴。 雄辯會 より ハガ キ。 耳 科へ。 原子 • 滋子 * 武林 氏を訪 ふ。 

三月 廿 五日。 雨。 田 中 伯へ 手紙。, 傲 野 氏へ 手紙。 萬 月 堂へ ハ ガキ。 

三月 廿 六日。 晴 (夜、 雨)。 隆文 館の 草 村 氏より ハ ガキ。 隆文 館を訪 ふ。 押 川 氏を訪 ふ。 三 浦 氏を訪 

ふ。 田 代 氏より 手紙。 人の 主義」 (十六 片)、 時事へ。 

三月せ 七日。 晴。 隆文 館を訪 ふ。 途中で 平纖篤 氏に 逄ひ、 カフ H ライオンに 立ちよ る。 田 中 純氏赛 

陽堂辭 職の 通知。 

三月 廿 八日。 晴。 隆文 館を訪 ひ、 ゲェテ の r ヰル ヘルム マ イス テル」 の 後部 を飜譯 する 約朿 がで きた。 

賞 索の 世界 並に 中外 社を訪 ふ。 後, li? で、 さきに 送った 小說 「乃 木大將 のま どひ」 を 受け取った。 官 中の 

ことがあ るので どうしても のせに くいとの こと だ。 夜、 帝 闺小舉 校の 西 出 氏を訪 ふ。 子供の 1 人 を 同 

校へ 入れようかと 思って。 • 



三月 廿 九日。 雨。 混沌 社より ハ ガキ。 前 島 氏を訪 ふ。 末日 會へ ハ ガキ。 

1 二月 卅日。 雨。 三湳氏 来訪" 原 氏を訪 ふ。 

1 二月 卅 一 日。 晴。 池 田 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 石 丸 氏より " ガキ、 同じく 返事。 伊藤 (證) 氏よ 

hs ハ ガキ。 末日 會に 出 席" 代議士の 尾 崎敬義 その他に 會 つた。 

四月 一 日。 晴。 隆文 館の 關 氏より ハ ガキ、 同じく 事。 大須賀 氏より 半紙。 

四月 二日。 晴。 小川 * H 井二 氏よ リハ ガキ。 「淚 の こぼれた 話」, (二士 一片)、 中外 日報 並に 曰 本 主義 

へ。 蜜蜂 はとうく 死んで たの を發 a した。 井上 氏が 大擧 英文科の 擧生 と共に 訪問して 來た。 中澤氏 

四月 三日。 晴。 有 島 氏より ハガキ • 同じく へ ハ ガキ。 寓月 堂より。 M 雄が どうも 少し 物忘れ をす る. 

ので 耳 科へ つれて 行って 見て 貰ったら、 喉の 奥に はれが あって、 それが 爲 めに 腦カを 害せられて ゐた 

の だ。 田 中 (純) 並に 石 丸 氏を訪 ふ。 本日、 初めて 子供 を 三 名 もつれて 上野へ 行って 見た が、 下の 子が 

自轉 車に ぶっかった。 

四月 四日。 晴。 新潮の 中 村 氏、 原稿 を賴 みに。 木 村 (卯)、 宫地ニ 氏 來訪。 十日 會の 通知。 

. 四月 五日。 晴。 耳 科へ 行った。 伺 じく 露 雄の 喉に も 手術が 施された。 宮地 氏より ハ ガキ。 伊藤 (證 > 

氏より ハ ガキ。 

粱鴨 日 S §1 BLK.S 



泡 鳴. Kg; 第 十二 卷 四 セ〇 

四月 六日。 晴。 氷室 氏、 三 井 氏より 手紙。 荒木 滋子 氏よ hsr カキ、 同じく 使 ひ を やる。 中外 社を訪 

ふ。 中外 新 論 社より 稿料のう ち を 十圓。 

四月 七日。 雨。 石 丸、 大月ニ 氏より ハ ガキ。 蒲 原 氏より 手紙。 先日 中 純 氏のと ころで 會 つた 平 

山 幹 子 氏より 手紙。 時事より 稿料 四圆。 吉野氏 夾-訪 (留守 )o 十日 會の 會場柴 又へ 行った。 「蛇の 記憶」 

(十八 枚 半 )• 中外へ。 

四月 八日。 晴。 田 代 氏より ハガキ 。「野 村 氏の 初見 參」 (十二 片)、 中外 新 論へ。 中澤氏 來訪。 早 文よ to> 

稿料 十六 圆 也。 

四月 九日。 夜 • 雨。 安藤 氏へ ハ ガキ。 中外 新 論へ 原稿 並に 手 鋭。 小川 氏よ リ 手紙。 ホ 村 (孤) 氏に 5513 

つた 《ガキ が 不明で 歸 つて 來た。 大阪の 上 ffl 氏より 手紙、 同じく 返事。 け ふ、 菊の 根 を 分けた。 

四月 十日。 雨。 丁度 极 わけ をした 菊に よかった。 三 井 氏より ハガキ 並に 原稿。 同氏へ 手紙。 

四月 十 一 日。 雨。 木 村 氏より r カキ。 英 枝の 弟 俊 麿^た る or 憑き物」 (百 十九 片 y 新潮へ 

四月 十 I 一日。 晴。 新潮より 稿料 四十 八圆 也。 

四月 十三 日。 

四月 十四日。 曇。 隆文 館より 手紙。 樋 口 氏よ り 手 鋭。 奥 村 氏より ハ ガキ。 月評 會の 觀樱 会が あつ 

た。 . 



四月 十五 日。 晴。 隆文 館を訪 ふ。 ゲ -i ァの 譯は駄 a になった。 中外 社 を訪ひ * 稿 のうち 七圓 二十 

錢也。 钣野 氏を訪 ふ。 

四月 十六 日。 晴。 耳 科へ。 吉野、 石 丸 一 一氏 を訪 ふ。 

四月 十七 日。 曇。 中澤氏 來訪。 樋 口 氏へ ハ ガキ。 英 枝の 弟 去る。 但し、 再び 歸宅 • つづけて ゐるこ 

とになる。 

g 月 十八 日。 宇 野 氏より 手紙、 同じく 返事 

四月 十九 日。 樋 口 氏 來訪、 三 浦 氏 を 訪ふ。 

四月 廿日。 一 日中、 病臥。 

四月 廿 一 日。 晴。 吉野氏 來訪、 碁 を 七八番 試む 

四月 廿ニ I 廿 六日。 風邪の 氣 味に てぐ づく してし まった。 その 間に 新潮 社の 森 本 氏 來訪、 I つ. 

談話 筆お を 取 つて 行った。 宇 野 氏より 發 行人 變更届 の 押印 をし て 來た。 

- 四月 廿 七日。 廿 八日。 せ 九日。 中 根 氏 来訪、 共に 横 山、 沼 波 二 氏を訪 ふ。 「签氣 銃」 (百 五十 一 片), _ 

中外へ。 

四月-三十 Ho ^> 雨。 中外 社より 原稿料の うち 四十 圓也。 淸 子へ 拾 圓也。 

巢鴨 日記 四 七】 



ii it 十二 卷 四 七 二 

S 月 一日。 雨。 英 枝との 結婚 届 を S3 す、 同時に正英と美喜とを認知して第五5^^第三女とにした。 

中澤、 加 能 二 氏より た カキ。 西宫、 中 村 (武) 二 氏へ r カキ。 

五月 二日。 晴。 神 崎 氏より ハ ガキ。 西宫 氏より ハガキ 、同じく 返事。 羽太 氏より 乎 紙、 じく 返事。 

中 村 (武) 氏へ 返事。 一 二 浦、 中 澤ニ氏 來訪。 石 丸、 野 上 二 氏を訪 ふ。 

五月 三日。 晴。 贩野 氏を訪 ふ。 森 田 氏より ハ ガキ。 新 潟より ハ ガキ。 新潮の 森 本 氏 來訪、 同氏へ 

稿と なる 舊 手紙 一 一通。 雄 辯 社より 手紙 (原稿 依 賴)、 同じく 返事。 r 

五月 四日。 曇。 新 潟へ 結婚す みの 通知 狀を 出した。 吉野 氏を訪 ふ。 耳 科へ。 

五月 五日。 雨。 中外 社を訪 ふ。 久保田 * 沼 波、 中 根 三 氏より C カキ。 「僕の イズム 觀を 述べ て 諸家の 

イズム 觀を 評す」、」 二十 片 y 新潮へ。 、 

五月 六 曰? 滋子 氏を訪 ふ。 

五月七日。 曇。 吉野 • 中极 1 一氏 來訪、 共に 横 山 (健) 氏を訪 ふ。 中澤 氏より 轉居 通知。 長 安 氏より 手 

紙。 小 野 崎 氏より 手紙 > 同じく 返事。 、 

五 月 八日。 晴 。太陽の 淺 H 氏より 原槁 依賴、 承知の 返事。 新潮 社より 稿料 七圆 五十 錢。 十日 會 より 

ハ ガキ。 加籐 (謙) 氏の 紹介で 大觀 社の 池 田 氏 來訪。 「詩論 四 則」 一十 一 片 y 文章 世界に。 

五月 九日。 晴。 伊藤 (義) 氏 來訪、 築が 東海 生命 保險會 社へ 這 入る 身元 保證 をして やった。 三 浦 氏 を, 



訪ふ。 「現大 戰に對 する 傍 觀的觀 察と 自覺の 印象」 (十八 片 y 大 陽へ。 

五月 十日。 雨。 加 能 氏より ハ ガキ。 小^^崎ょリハガキ、 同じく 返事。 十日 會へ 出席。 「外國 語の 必耍 

程度と 國 語戰」 (二十 五片 y 日本 主義へ。 

五月 十 一 日。 曇。 木 村 (幹) 氏 來訪。 

五月 十二 日。 晴。 『室 伏 氏の 雷同 移植 的 ifsH 論」 (二十 ニ片: r 日本 主義へ。 中澤氏 來訪。 小 野 崎が 蒙 

古 熱心 家の 西 岡 士郞氏 を つれて 來 た。 木 村 (卯) 氏より 《ガ午 

五月 十三 日。 晴。 三湳氏 夫婦 來訪。 石 丸 氏へ ハ ガキ。 

五月 十四日。 晴。 大月氏 來訪。 西 岡 氏より 手紙 (これによ ると、 西 藏のラ マ經 文中に ジ ンギス 汗の 

こと をョ シ ツネと S ふよ LO) 

五月 十五 日。 晴 。「蕖 の 疑惑」 (八十 二 片)、 「大 觀」 の 爲め。 三 井 氏より ハ ガキ。 石 丸 氏より 返事 CM. 日. 

會 があった。 

五月 十六 日。 晴。 池 田 氏へ ハ ガキ。 一 二 井 氏より 原稿。 元 丸より 手紙。 雜誌 へんしう を 終る。 飯 野 氏 

を訪 ふ。 森 田 氏を訪 ふ。 - , 

五月 十七 日。 雨。 大觀の 池 田 氏より 電報。 

五月 十八 日。 晴。 使 ひ を大觀 社へ 出し、 原稿 を 届けた。 池 W 氏へ ハ ガキ。 春陽 堂の 野 村 氏 來訪、 新. 

巢鴨 日記 璧 四 室 . 



. 四 七 四 

、烏 今- 桌 第 十二 卷 

小說の II。 齧 S 本 氏へ io 春 I の 野 村 乗訪、 小 I 頼。 

五月 十九 日。 夜、 雨。 大観 社より 簿五 十九 圓。 池 田 氏 |(專)。 中 駕來訪* 同氏 宅へ 伴 はれ 

た。 

S 月 一 一十 日。 

五月 一 一十 一 so 暗。 野 村 氏、 Is 促に 來た 。「入れ 墨師?レ (八十 一 片) 新 小 說の爲 め (I 曰、 

ii ハ lissg られ、 f に議 I 止されで まつち T 春 春 8 の 前"」 入る ベ t の h 、そ 

H liliil SITU 何う し 

で材 S 體 S いと 5 ふの. て、 絡 fs めら れて しまつ II 憾"" 思 ふ)。 

中" I 囊。 一 I ハ?。 I へ ハ?。 ill 

見 、垂 氏より ハガキ 。議正 I。 川 ill 元 氏 

辯」 へ 手紙。 



2 月 二十 五日。 晴。 雄 辯 並に 大阪陽 明擧會 より 手紙。 杉 田鑲が 尋ねて 來 たが、 英 枝が 留守な ので 直 • 

ちに 歸 つた。 一 

K 月 1 1 十六 日。 暗。 井上 氏へ r カキ。 英 枝より 手紙、 同じく 返事。 一 

S 月 二十 七日。 晴。 三 井 氏- 井上 氏 • 末日 會 より ハ ガキ。 溢子 氏 を訪ふ or 青春の 頃」 (八十 枚: r 雄 ^ 

辯へ o( 編者 曰、 第 六卷靑 春の 頃の 解 魔に 文 f せ 笄に摁 載せられ たと stv^ おいれの は |g リで、 雄 辯に 揭げ. ので あ」 

つた? 5fr 正します)。 新潮の 森 本 氏 來訪。 雄 辯へ r カキ。 i 

a 月 二十 八日。 夜、 雨。 中外 社よ.^ 有樂座 招待。 英 枝より ハ ガキ。 前 島、 新潮 社、 小川、 德田氏 を: 

訪ふ。 雄 辯 社より 稿料 八十 圓也。 一 

五月 二十 九日。 曇。 大 須賀、 雄 辯 i& 二 氏へ ハガ 午。 大觀の 池 田、 英枝、 大月 氏よ,^ た カキ。 中外 招. に 

待の 有樂 座へ-. 圓光」 を 見に 行った。 德田 氏を訪 ふ。 , 

五月 卅日。 晴。 英 枝へ 手紙。 春陽 堂の 野 村 氏へ ハガ キ。 木 村、 森 田、 川 俣 氏より ハガキ ひさし 振 一 

で大 W 氏 を たづね たけれ ども 留守、 川 俣, 大 須賀、 中 尾 氏を訪 ふ。 佐 藤氏 來訪。 龍 土會の 通知 を 出 一 

す。 一 

S 月 三十 I 日。 雨。 森 田 氏へ ハ ガキ。 淺岡 氏へ 手紙。 宋日會 に 行き- 小 村 侯 その他に 會 ふ。 一 

六月 】 日。 晴。 田 代、 野 村 氏よ ぉハ ガキ。 藤 野 愛子 氏よ リ手 紙、 同じく 訪問す。 深 田、 木 村 1 1 氏來ー 

葉 鴨 日 K 第三 四 七 五 一 



泡 鳴. <>a- 十二 卷 四 七 六 

訪。 : 

六月 1 一日。 曇。 久保 W 氏 へ 尸 ガキ。 鐘 岡 氏より ハ ガキ。 英 枝より 手 鋭。 平 嫁 篤 氏と 會見。 

六月 三日。 雨。 吉野 氏を訪 ふ。 平 山 氏より 手紙、 同じく 返事。 原 氏 を 訪ふ。 

六月 四日。 雨。 春陽 堂を訪 ひ- 野村氏と共に內務省に發81^^の內意を聽きに行った。 赤 木と S ふ 

事務官に 面會。 「入れ墨 師の 子が」 禁止され たのであって、 兄弟 姦を窨 いた 爲 めに 普通で は、 祧發 的で な 

くと ほる ことが 祧發と 昆られ たの だ。 平 塚- 原子 * 滋子 氏を訪 ふ。 

六月 五日。 曇。 『海上 いのち 拾 ひ」 (九 片: T 中外 新 論に。 三 井 氏より ハ ガキ。 龍 土會へ 行く。 

: 六月 六日。 晴。 三 浦、 生 方、 青柳 氏 來訪。 英枝を 上野へ 迎 へに 行った。 

六月 七日。 晴。 三 井 氏より ハガキ 並に 原稿。 田 中 (純) 氏を訪 ひ、 また 共に 小川 氏お 訪ふ。 

六月 八日。 晴。 鳴 海 氏 來訪。 「挥保 川の 月夜」 (六 片)、 大観へ。 

六月 九日。 夜 * 雨。 池 田 氏へ 原稿。 川路 氏より ス ガキ。 吉野、 平 山 (幹: T 大月、 中 村、 安倍 夫婦の. 

六 名、 順々 に 落ち合った。 アメリカの 晚 人生より 手紙。 

六月 十日。 雨。 川 俣 氏よ リハ ガキ。 十日 會へ 出席。 

六月 十 一日。 暗。 中极、 吉野ニ 氏來訪 • あとで 一緒に 秋 » 氏を訪 ふ。 土岐 氏より 手 鋭 並に 「指 Q 

傷」 の羅馬 字が き。 雄辯會 より 使 ひ。 



六月 十二 日。 晴。 土岐 氏へ 返犒。 井上 氏より 原稿。 三 井 氏より ハガキ • 同じく 返事。 土 田へ ハガ 

キ。 平 山 氏より 手紙。 木 村 氏より ハガキ 。「政治 小說の 出ぬ 所以」 (三十 一 片)、 世界 公論へ。 石 丸氏來 

訪。 

六月 十三 日。 曇。 野 口、 土岐、 田 代 n 一氏より ハ ガキ。 新潮 社の 加 藤氏より 手紙、 同じく 返事。 深 田 

夫婦 來訪。 

六月 十四日。 暗。 子 氏 十 氷訪。 流行 世界の 高 橋 氏 來訪。 中外の 安成 氏より 手紙、 同じく 返事 (小說 

選者 依賴の 件) 。灭佑 社より 手紙。 木 村 氏より 原稿。 巾 村 (fo 氏 來訪。 

六月 十五 日。 中 根、 吉野ニ 氏 來訪。 月評 會 あり、 荒 川 氏が 藝 人の 猫 八 を つれて 來た。 

六月 十六 日。 曇。 愛子 氏より 半切の 書。 

六月 十七 日。 曇。 新 潟へ 手紙。 三 浦 氏、 石 丸 氏 來訪。 石 丸 氏を訪 ふ。 

六月 十八 111。 曇。 田 中 (純 y 三 井 氏へ 手紙。 新潮 社、 大同 館 並に 玄文 社へ 出版の 相談。 櫻 井一 作 氏 

ベ 手紙と 雜誌十 部。 松 本 氏へ r カキ。 世界 公論へ ^槁" じく 稿料 十圆 也。 右 丸 氏 來訪。 中 村 (春) 氏 

を 訪ふ。 © 

六月 十九 曰。 雨。 流行 世界の 高 橋 氏へ r カキ。 加 藤 介 春 氏へ ハガ キ。 大同 館 (阪 本眞 三) 氏より ハ 

,力 キ。 電話 加入の 中 込 をし に 中央 電話局へ 行った 歸 りに、 新潮 並に HI 中 (純) 氏 を訪ふ 。石 丸 氏のと こ 

巢鴨日 Si 第三 四 七 七 



泡 鳴 14<集 第 十二 卷 四 七 八 

ろで 氏の 長篇小 說を讀 ませられ、 乞 はれた ままに 批評と 注意と を與 へた。 中 村 氏 來訪。 

i ハ月 二十日。 雨。 荒 川 氏、 關氏 * よみうりの 淸欢氏 来訪。 山川 氏より r カキ。 

六月 二十 一 日。 雨。 齋木 氏より パガ キ。 太陽より 稿料 十圆 也。 「僕の 見た トルストイ」 (三十 1 片)、 

トルストイ 研究へ。 

六月 1 一士 一日。 暗。 靈英 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 中 川 (小: r 小 林 ( 1 ) 氏へ 軸物 (買 は せる 爲 

め)。 原 氏の 義父が 死去、 悔みに 行く。 

六月 一 一十三 tno 暴、 夜風 あり。 中 根 氏が 搏の II 佾 一 名 を つれて 1 ^た。 

六月 二十四日。 晴。 薪 潮 社より 拾五圓 也, 「耽溺」 印稅 前借。 小川 氏のと ころで 初めて 西宫 氏に 逢つ 

た。 川 俣 氏を訪 ふ。 三 井 氏より ハ ガキ。 

六月 一 一十 五日。 雨。 雜誌 校正 をす ませる。 

六月 二十 六日。 曇。 櫻 井 • 氷. M、 靑榔 氏より f 威 ,0 中外 新 論より 稿料 四 圆也。 平 嫁 氏 を訪ふ (©寸)。 

靑柳 • 安藤 二 氏へ ハガ キ。 

六月 二十 七日。 晴。 大觀社 を 訪ふ。 靑柳 氏より 手紙 あり、 また r 靑 春の 頃」 が發賫 禁止に なった と 云 

ふ 通知が あつたので • 雄 辯 社を訪 ふ。 田 代 氏 を訪 ひ、 共に 木 村 氏へ 行く。 坂 下 の 長 谷川 を訪 ふ。 

六月 二十 八日。 晴。 三湳 氏を訪 ひ、 共に 田 中、 稻毛 • 藤 生 • 今 井 • 並に 三 星へ 行く 。長 谷川へ ハガ、 



キ。 一 

六月 二十 九日。 晴。 田 中 氏 を訪ふ 吉-野 氏を訪 ひ、 ともに 一 二 星、 日本 評論 K 等を訪 ふ。 菊子氏^^ 

訪。. 一 

六月 三十 曰。 IT 平 « (篤) 氏 を訪ふ (留守)。 石 丸 氏を訪 ふ。 大月、 原! 一 氏 來訪。 淸子 へ 十圓 也。 一 

この 四日 間の 來狀 11 加 藤 (介 舂: T 小 林、 中棂の 諸氏より。 文章 世界より 稿料 十圓也 一 

七月 I 日。 ( 一 字缺) 。愛子、 內藤、 加籐 (介)、 靑柳氏 へ 尸 ガキ。 ^ 

七月 一 百。 晴。 小 倉、 田 中 (純 )一 1 氏より ハ ガキ。 新潮 社より 稿料 八圆。 新 潟より 手 鋭。 

七月 三日。 晴 。井上 氏より ハ ガキ。 小 林 氏へ ハガキ 二。 二 

七月 四日。 夜、 雨。 池 田 氏へ 〈ガキ 

七月 五日。 雨。 安藤 氏より ハ ガキ * 中澤氏 來訪。 

七月 六 H。 夜- 雨。 池 田 氏より ハ ガキ。 新潮よ リハガ 午。 池 田、 若宮、 北 村 三 氏 を訪ふ o( 若宮 氏に 一 

、プッ ゲル を 返却) 關 氏へハ ガキ。 

七月 七日。 晴。 三 井、 加 能 * 新時代へ ハ ガキ。 中 川 (小 十郞) 氏より 手紙、 同氏 を 東京 ステ ー シ ョ ン 

ホテルに 訪ふ。 田 中 (純) 氏よ. り 返事. 同氏 を訪 ふ。 押 川、 川 手 氏 を 訪ふ。 永 田警保 局長 を その 官宅こ 一 

訪 ふたが, 留守。 大 須賀、 中 尾 * 川俟 氏を訪 ふ。 一 

幾 鴨 BS3 第三 gi, ね 一 



泡 鳴, {r: 集 第 十二 卷 八 

七月 八日。 晴。 永 田 氏 を訪ふ (留守 )o 

,月 九日。 暗。 永 W 氏 を內務 省に 訪ひ、 左の 件 を 質問に 及んだ。 1、 僕に 對 して 內務省 では 誤解 若 

しくは徧見を^^してゐることは以前から新聞記者どもの知ってることでぁるが、 それ はどうし たこと 

であるか? これに 對 する 攝の 答へ は、 まさか そんな こと もなから うが、 半歡 主義と 云 ふこと が 云 はれ 

た 土 ゆ 代に 少しき 視 された その餘 波に 過ぎな からう とジ、 ふので あった。 これに は 僕 は 半 i 主, 力 古祌 

逭の 精神 を 新 解 釋 に附 した ものであって、 今の 日本 虫義の 發足點 なること を說 明した。 第二に、 僕の 

作 を 何でも 當 分發寶 禁止に して、 當分 葬らう と S つてる さう だが、 審實 そんな 考へ か? これ は その 資 

俊ば かりに 向けた 考へ か、 また 葬らう とする 人數 中に 僕が 寶 際に 數 へられて るの か、 ど ッちも 確かで 

なかった が * 少し 鎌 を かけて 見た のであった。 築の 答へ は、 いや そんな こと はない、 內務 省で は大钐 

氏の やうな 社 侍 主義者に でも その 書いた 物に 就いて 別々 に釗斷 する やうに 努め • 決して その 人 全體^ 

就いて 拒否し ない。 まして 社會 主義者の やう、 な 者で ない 俊に 對 して はだと 云 ふので あった。 第三に、 

雄 辯 社へ 七月 號を 押さへ に 行った 巡 亮が岩 野の 如き は 注意人物 だから あんな 者の 作 を 描 載す るの はや 

めろ と 云つ. たさう だが • これで は 人の 生活 若しくは 營業を 妨害す るので ある。 その 責任 は警保 局に あ 

るか 警視 廳 ばかりに あるか? これに 對 する 纏の 答へ は、 直接に は 警視 磨に あるが、 警保 局で も れんら 

くが な ハこ ともないから、 IIR 長と して 警 硯廳 へそん な ことのない やうに 語って 置く とのこと であった。 



斯う 云 ふこと で 正面の 用事 はすみ、 あと は 餘談で 分れた。 渠 は同國 人で、 もとは 手紙の やり取り もし 

てゐた ことがある。 會 つたの はけ ふが 初めて だ。 

中 川 氏 を 再び 東京 ステ ー シ ヨン ホテルに 訪ね、 いろく 政治 上 や 思想 上の 話 をした。 氏 は 日本 主義 

社へ 五十 圓を 寄附した。 

七月 十日。 晴。 歌 子 氏、 安子 氏を訪 ふ。 十日 會へ 行く。 宫地氏 來訪。 

七月 十 一 日。 晴。 三 浦 氏が 文昭 堂の 主人 林 繁夫氏 を つれて 來た。 原子 氏 來訪。 江 部 氏を訪 ふ。 安子 

氏より ハガキ 。木 村 氏より ハガ キ。 

七月 十二 日。 暴風。 三 井 氏より ハ ガキ。 

二三 日來、 不快で たまらな いので ある。 黧が これまで にも 度々 不審の かどが あっても、 まさかと 思 

つて 見の がして 來 たの だが、 一 昨日 家の 金 七 圓を盜 んで竹 腰に 與へ たこと を白狀 した。 そのつ いでに、 

すべて を も白狀 したが、 その 十二 年の 時、 乃ち- 五 年 前に、 初めて 宫 仲の 居へ 來た 年に、 暮れの 三十 

1 日に 郵便局から 出して こさせた 十五 園 を 落した と 云 ふの も 竹 腰に 與へ たのであった。 その 時 竹 腰 は 

直ぐ あとから やって 來て とぼけて ゐ たが、 今から 思 ふと、 あの 時から 子供 を 使嗾して ちび く 家の 物 

を盜 ませて ゐ たのであった。 僕 は 薰の擧 校 を斷然 やめさせて 小佾 にで もやって しま はう と 思って る。 

この 事件 をし ほに 英枝は 別れる こと を 申し出し たので • 僕 も 承知し ない わけに 行かなかった。 

巢鴨 ciSS 鎮ョ 四 八 一 



泡 鳴 仝 雄 ^^十ニ卷 四 t< 二 

原 氏を訪 ひ、 薰の小 僭になる 口 を 大阪の 方へ 照會 して 貰った。 

竹 腰へ 手紙 を 出し、 先日 盗ませた 金 七圓を 返せ、 然ら ざれば 訴へ ると 云って やった。 酷の やう だが、 

さう でもし なければ いつまでも 直るまい。 

七月 十三 日。 暗。 茅 原 GB} 氏 朝より 來訪。 碁 を 二十 番 ほど 戰ひ、 それから 夜に なって 玉突きに 行つ 

て 十二時 過ぎまで。 然し 子供が 親の 物 を盜み をした し * 英枝は 里へ 歸 ると 云って るし * 英 枝が 歸 るな 

ら歸 つても よいが、 それよりも 不愉快な の は 子供が 親 を あざむい てた ことで、 それ を 思 ふと 何の 仕事 

も 手に つかぬ。 きの ふ、 原 氏に 頼んで 大 阪へ薰 を小懵 にやる 口 を照會 させた が、 眞雄 もどう せ あの 竹 

腰が ついて たら また 薰の 二の 前になる だら うから どッ かへ やって しまう つもり だ。 

七月 十四日。 晴。 

竹 腰 へ 子供 を 返す に 就き 左の 事々 を 申し やる 

I 、 子供 をお だてて お前が 外から おれの 家の 物を絕 えす 盜 ませて ゐ たやうな 不心得で は 子供の 生 ひ 

立ちに 望みが ないから 寧ろお 前が 何とで も 子供 をして しまへ。 

1、 おれ を あざむいて たやうな 薰 にも 呆れて しまったし * お前が 生きて る 限り 眞雄を もお だてて さ 

うさせる やうになる だら うから これに も 見込みな し、 不良少年 じみた 二人とも やる から、 籍を取 



】、 お前と 子供との 爲 めに 今回 英枝 とも 別れる ことにな つたが.' 女房と 別れる のよりも 子 M ハに 呆れ 

た 方が おれに は 何 倍 悲しい か 知れぬ けれども • おれの 性質と して 以後 蠶と眞 雄と は 死んだ ものと 

諦める。 

以上。 

〇 別れる 子供に 與 へる 心得 11 

I 、 母親が 取れと 云っても 父親の 物 を 取る の は 親に 對 して 不孝で ある 

1、 物を盜 めと 敎 へる 母親 は 子供に だッて もい い 母親で はない 

I、 小 信に 行っても- その 主人の 物 を 盗んで 母親に 渡す の は 母親 を も 泥棒に する 不孝な 子で ある 

】、 親孝行 をす る爲 めに でも 惡事 をす るの は 矢張り 惡ぃ 

1、 これまで 父親 を あざむい てた 罪 を あがな ふつ もりなら、 小僧から 仕上げて 立派な 人間に な 1、 

それまで は 父親へ 音信 をす るに 及ばぬ 

】、 どうせ 竹 腰に やる ことにした お前ら だから * 以後 岩 野 を 名乘ら す竹媵 蒸- 竹腰眞 雄と 云って ゐ 

1 , お-前 等が 他日 立派な 人間に なった 時 再び おれに 會 ひたい 場合に はこの 心得 書き を 持って 來 たれ 

大正 七 年 七月 十四日 、义認 む 

巢鶚 日記 璧 四 八 三 



泡 鳴 仝 集 第 十二 卷 四 八 四 

け ふ 午後 二 時に 薰と眞 雄と に 以上の 手紙と 心得 書きと を 持たせて 竹 腰の 方へ 送った。 或は 誰れ かに 

つれられて 歸 るかと も 待ち受け たが、 とう,/ \ 歸ら なかった。 , 

木 村 • 三 井二 氏より 原 jsr 木 村 (鷹) 氏より 轉居 通知。 中外 社より 中元、 大觀の 池 田 氏より 中元。 深 

田 氏 來訪、 子供の こと 並に 英 枝の 離婚 希望の こと を 話したら • 英 枝に 對 して 思 ひとまる やうに いろい 

ろ 1K つて ゐたッ け。 

七月 十五 日。 夜、 雨。 宅に 月評 會 あり、 七名會 合。 隆文 館の 關 氏より 手紙。 「日本的と 無 消化 的批 

¥」 (九 片)。 

七月 十六 日。 晴。 三 浦、 大月ニ 氏 來訪。 原 氏 宅へ 竹 腰が 黧を つれて 來 たさう だが、 僕は會 はな かつ 

た。 警察へ 辯 解し に 行った さう だ。 

七月 十七 日。 晴。 飯 野 氏を訪 ふ。 中外 新 論。 川 手 1 一氏 を訪 ふ。 中澤 氏より 原稿。 雜誌 編し うすみ。 

江 部 氏を訪 ふ。 

七月 十八 日。 曇 * 夜雨。 帝劇へ 行く。 けさ、 大 稼の 警察 分署から 呼びに 來 たので 行って 兑 ると、 竹 

腰 は 子供 を 入らぬ からと 云って るので、 矢ッ 張り こちらへ !先づ 引き取る ことにした。 で、 夜お そく 

僕 等が 歸 宅して 見る と、 もう 二人とも 來てゐ た。 

七 H 十九 日。 晴。 川 手 * 文 昭堂ニ 氏へ ハ ガキ。 伊藤 (義人) 氏よ お r カキ。 子供 は 矢張り さきの 白狀 



をう ち 消して ゐ るので、 とても 家に 置いて やる 氣 になれ ぬ。 夜、 森 田 氏を訪 ふ。 

七月 廿日。 晴。 新 潟より ハ ガキ。 羽太 氏より 手紙。 中澤 氏夾訪 守 )o 小 寺 氏を訪 ふ。 

七月 廿 一 日。 晴。 羽太 氏へ ハ ガキ。 森 H、 ォキシ ヘラ、 井上 * 林 氏より ハ ガキ。 夜、 石 丸 氏を訪 ひ、 

三浦氏並に江部氏と落ち合っ て江部氏^1? へ 行って 小宴 を 催した。 

七月 卄 二日。 暗。 森 ra 氏來訪 • 共に 江戸 ツ子へ 鯉 こく を 喰 ひに 行った。 大月 氏より 手統。 

七月 卄三 口。 晴。 子供の 小齡 行きの 口の 爲 めに 日本 橋の 方へ 出かけた 歸 りに 滋子氏 を 訪ふ。 それ か 

ら歸 宅、 一 晚^ 下痢で 困った。 

七月 廿 四日。 晴。 雄 辯 社、 加 藤氏より ハ ガキ。 江 部 氏を訪 ふ。 

: 七月 サ 五日。 晴。 寓月 堂へ ハ ガキ。 鳴 海 氏を訪 ふ。 深^ • 石 丸 二 氏來訪 (留守)。 大阪 から 英 枝の 肺 

上京。 B 雄が ちょっと 歸 つて 來 たが、 今の 使 はれさき が氣に 入った やうす だから- あす、 いよく 本 

式に 送って 行かせる ことにした • 帽子 製造お ろし 屋だ。 

七月 廿 六日。 晴。 深 田 • 江 部 1 一氏 來訪。 

七月 廿 七日。 晴。 末日 會 より ハ ガキ、 同じく 出席の 返事。 萬 月 堂より ハ ガキ。 加 藤、 石 丸 二 氏 作 

で 訪問。 よみうりの 淸水氏 來訪。 英 枝の 姉 出發。 「誤られた 國家 主義」 (十 片)、 東京 朝日 へ 送る。 鎌 R 

榮吉氏 所論の 攻擊。 

« 鴨 日 SS & :1 . 四 八 五 



泡 鳴 仝 a 第 十二 四 八 六 

セ月廿 八日。 晴。 朝日へ 原稿。 大阪每 日の 薄 田 氏より 原稿 依賴。 if ちょっと 歸宅、 そして 荷物 を 

持って行った、 使 はれさき は藥 問屋で ある。 

七月 廿 九日。 晴。 薄 田 氏へ 承知の 返事。 杉 浦翠子 氏よ リ 手紙、 同じく 返事。 飯 野 氏を訪 ひ、 同氏と 

世田ケ 谷へ 行く。 水上 (梅) 氏 を 訪ふ。 原子 氏 來訪、 • 夜、 同氏 を訪 ふ。 

七月 三十 曰。 晴 (夜ち ょッと 雨)。 光成、. 巖、 國民 新聞社より 書信。 同社へ 手紙 (人物 一 覽の 返事〕 。嗚 

, 中 井二 氏 來訪。 川口 氏 を訪ひ • 淸 子への 十圆を 渡す。 深 田 氏 を 訪ふ。 「猫 八」 (九十 八 片)、 大阪毎 

日の 爲め , 

七月 三十 一 日。 晴。 末日 會に 出席、 歸途窒 伏, 田 中 (純: r 長 田 (#) 氏 等と 新橋 カフ H に 立ち寄る。 

八月 一 日。 晴。 英枝 と共に 木 村 (魔) 氏を訪 ふ。 

八月 二日。 晴。 橋 井 氏より 手紙。 田 代 氏より 手紙。 三 浦 氏 來訪。 江 部 氏を訪 ふ。 

八月 三 曰。 晴。 大阪 1§ 日へ 原稿。 中 井 氏より ハ ガキ。 江 部 氏を訪 ふ。 黧 より ハ ガキ、 おなじく 返 

事。 . 

八 月^日。 晴。 中 川 氏へ ハ ガキ。 森 律 子 • 姉 崎 博士 二 氏へ 《ガ キ。 蒸よ リハ ガキ、 同じく 返事。 鎌 

田 氏へ 本日の 東京 朝日に 築に 對 する 駁論が 出た の を 通知。 中极 氏よ リハガ 午、 同じく 返事。 十日 會の 

通知。 , 



八月 五日。 晴 o『「 白 S: 合」 時代』 (十五 片: r よみうりへ。 中 根 氏を訪 ふ。 夜 あらしの 瞥報ぁ bs。 多少 

は當 つた。 大阪 毎日より 電報 ガワ セ。 

八月 六日。 未明よ リ 雨。 晝 i§ は 降ったり やんだり。 深 田 氏 來訪。 夜、 雨。 

八月 七日。 曇。 中 根 氏を祌 田の 社に 訪ひ、 一 緖に 羽太 氏へ 行き、 また 三人 1 緖に三 ッ星カ フ H に 行 

つた。 飯 野 氏を訪 ふ。 桑 木 氏より ハ ガキ。 

八月 八日。 曇。 木 村 (廳) 氏 來訪。 井上 氏より ハ ガキ。 大阪 毎日より 稿料 六十 一 ニ圓。 宫地 氏、 來訪 

池 田、 寓月堂 二 氏へ ハガ キ。 

, 八月 九日。 晴 。「詩の 語勢 論を駁 す」 (十五 片)、 文 世へ。 

八月 十日。 晴。 十日 會へ 行く。 伊藤 (證) 氏、 和 田 春陽 堂より ハ ガキ。 

八月 十 一 日。 晴。 關氏 來訪、 氏 を 紹介し に 中外 社 を 訪ふ。 寓月 堂、 中外 社よ bsr カキ。 

八月 十二 日。 晴。 中外 社 を 訪ふ。 薪 潮 社、 中 村 (武) 氏を訪 ふ。 夜.' 原子 氏と 碁 を 戰ふ。 

八月 十三 曰。 晴。 大須賀 氏へ r カキ 。新潮の 佐 藤氏へ 手紙 。「耶蘇 敎 思想に 對 する 對抗 意志」 (九 片 )、.. 

"本 主義 へ 。「斷 片語」 (十五 片)、 日本 主義 へ 。 江 部 氏を訪 ふ。 

八月 十四日。 晴。 大觀の 池 氏 浓訪。 石 丸 氏 來訪。 雜誌 へんしう すみ。 

A 月 十五 日。 ちょ ッと 雨。 月評 會ぁリ 大月 氏よ リ 尸 ガキ。 木 村 (卯) 氏來訪 . 

巢鴨 日記 第 三 四. ,-4} 



泡 鳴 <H.: 集 ^十二 卷 四 八 八 

八 cj: 十六 日。 ちょ ッと雨 あり。 三 井 氏より 原稿。 小 寺 菊 子 氏より ハガキ 。「親鸞 敎 徒の 现 想に 對 する 

疑問」 (二十 ニ片 )• 日本 主義 並に 親鸞 研究の 爲め。 飯 野 氏を訪 ふ。 伊藤 氏を訪 ふ。 

八月 十七 日。 晴。 川 侯 氏 來訪。 關 氏より 尸 ガキ。 .&lt 氏より 原 i?。 

八月 十八 日 德 あり。 氷窒、 池 田, 齋藤 • 山 本 (三 y 平 iy 祌 崎 六 氏へ 手紙 (雜誌 維持 费の 

件) 。田 中 (純) 氏 • 島 田 氏より ハ ガキ。 末日 食の 用事で 森 律 子 氏を訪 ふ。 茅 原 (茂) 氏を訪 ふ。 小 說を書 

き 初めた。 

八月 十九 日。 暴。 萬 月 堂へ ハ ガキ。 婶畸 氏へ ハ ガキ。 江 部 氏を訪 ふ。 

八月 二十日。 晴。 三 浦 氏 來訪。 小检 菜と 山 束 菜との 種 を 買った • 胡!^ の あとに 播 かねば ならぬ。 

八月 二十 一 日。 暴。 原子 氏 來訪。 

小島 氏より 轉居 通知。 

池 田、 平 稼 * .E 本 氏より 返事。 

新潮の 佐 藤氏より ハ ガキ。 

左の ハガキ が 届いた * n 



大 
正 
七 
年 

八 

月 

十 




起 



川 加 a 中 

侯 藤 田 尾 

倍 

馨 

一 識儀知 



翁 鴨 日記 ^111 



其 後 御無沙汰 仕 候 小生 も 出席 可 仕 候 乙 字 (以上 自筆 添書) 

時下 殘炎將 軍 未 敗 候處、 愈々 御淸穆 奉賀 候。 陳者岩 野 泡 鳴 君 

の 筆禍 を 慰め 度, 一 夕 懇親 會相催 旁々 御高 說 承り 度、 萬 障 御 繰 

合せ、 御 臨席 被 下 度 御 案 內申上 候 敬具。 

曰 時 八月 二十 六 n! 午後 五 時 

場所 市外 雑司ケ 谷、 鬼 子. 母祌境 內。 開 康 S 築 、曰 木 料 理、 

入^ 隨意) 

會費金 1^ へ 圆 (當 日 御 持參) 

準備の 都合 有 之 候 • に 付 御 出席の 有無 は、 電 話 小石 川 1〇 五四番 か、 

折リ 返し 葉書に て 御 返信 顧 上 候-し 



a 第 十二 卷 四 力 〇 

A 月 二十 二日。 曇。 石 丸 氏よ. 《v《 ガキ。 中 村 (孤 y 原子 二 氏 來訪。 四 五 丁ば かりの 近 處に火 が あ 

つた。 猫 八 來訪。 

八月 二十 三日。 晴。 滋子氏 を訪ふ (英 枝と 共に )o 胡瓜 を 毎夕 段々 切って 行って、 化 被 水が 今年 はび 

ん にた ッた I 杯し か 取れなかった。 

< 月 二十四日。 晴 。「國 語と その 表現 文字」 (十 一片) • よみうりへ。 嗚海 氏、 原子 氏を訪 ふ。 日本 主 

義 主幹の 名刺の うらに 左の 如き 文句 を 入れさせた。 



僕 等の 主 藤 

B 本の 思想、 日本の-画 語、 魈に 日本人 

としての 生活の 11 立 あ 期し、 政^に も 

宗敎 にも 日本中 心 ^以 つ て,: W: 笄 人類な 

吸收 同化す る爲 めに、 古神 道 糈 神の 新 

時代 的發 現なる C" 求 主義 .Mf;?^ す 



八月 廿 五日。 晴。 田 中 (純) 氏へ ハガ キ。 神 崎、 中 井 • 末日會ょ.=^ハガキo「淺間の靆」 (七十 枚: r 中 

外の 爲 め。 胡瓜の あとへ 小松菜と 山 東 菜と を播 いた。 

八月 廿 六日。 晴。 末日 會へ ハ ガキ。 中外 社へ 行く。 菊の 竹 を 改めて やった 。(もう、 二百十日の 嵐が 

きざして るから。) 中 根、 山 本 氏より ハ ガキ。 山 本 (鼎) 氏が 信 州より リン ゴ 一 箱 を 送って くれた。 筆禍 

慰藉 會へ 招待せられ、 一 場の 挨拶 を 述べた (十七 八 名 出席であった)。 

八月 廿 七日。 晴。 秀英舍 へ 中外の 中 目 氏に 會 ひに 行った。 そこで 中央 公論の 瀧 田 氏に 會ひ * 十月の 

小 說を賴 まれた 00 大月 氏より; ハ ガキ。 齋籐 (茂 吉) 氏よ リ 手紙。 巢鴨驛 長よ リ ハガキ C 山 本 氏へ ハガ 

キ 

八月 サ 八日。 急 雨 あり 1 一 一 浦 氏 來訪。 江部氏ょ,=^ハガキ0 深 見 氏を訪 ふ。 小說を 書き初めた。 

八月 廿 九日。 晴 (風) 加 藤氏よ り r カキ。 時事へ 原稿。 樋 口 氏より ハ ガキ、 同じく 返 察。 一 二 井 氏へ ハ 

ガキ。 石 丸 氏 來訪。 

八月 卅日。 大風 雨。 原 氏を訪 ふ。 

八月^ 1 日。 晴。 伊籐 氏 來訪。 末日 會に 行き、 初めて 床 次 竹, 灭郞 氏、 伊藤 文吉氏 等に 會ふ。 歸. =v に 

E 五名と 力 フユ を 二 軒 まわり 歩き、 午前 三時に 歸 宅。 時事より ハ ガキ。 

九月 一 日。 曇。 原子、 石 丸、 平 嫁 (篤) 氏 來訪。 平 嫁 氏に つれられて 同氏 宅へ 行く。 樋 口、 中央 公論" 

巢鴨 日記 gl】 四 九 1 



泡 鳴^ 集 ^十二 卷 四 九 二 

中外 社、 三 井の 諸氏より 書信。 よみうりより 稿料 三圆。 雜 誌の 校正。 

九月 二日。 晴。 中外 社 を 訪ひノ 稿料 八十 四圓を 受け取った。 校正に 行った。 

九月 三 曰。 晴。 川上 (賢 三) 氏へ 手紙。 中外 社へ 短い 原稿 五 枚。 石 丸、 中 澤ニ氏 來訪。 

九お 四日。 晴。 片上 氏へ ハ ガキ。 三 浦 氏 來訪。 伏兒 保と 云 ふ 陸軍 屬 なる 日蓮 信者が 日本 主義の こと 

を 尋ねて 來た。 秋聲 氏の 紹介で 多 紀と云 ふ 人が 來訪。 夜、 布 川 氏を訪 ふ。 「要 太郞の 夢」 (七十 八 片)、 

中央 公論へ。 新小說 より 小說 依頼。 :. . 

九月 五日。 晴。 別な 小說を 書き初めた。 瀧 m 氏へ 原稿 並に 手紙 (稿料 慎 上げの 怦 )o 露西亞 評論よ リ 

芋 紙。 原子 氏を訪 ふ。 

九月 六 曰。 晴。 川 俣 • 中 根 二 氏より r ガキ。 片上 氏より 手紙。 英枝 と共に 秋 |g 氏 を訪ふ (货寸 )。 本 

鄕で べに 雀 を 買って 來て、 十四 末 と共にして やった。 中澤氏 來訪。 石 丸 * 大月、 官地三 氏 共に 来訪。 

中央 公論 社より 稿料 五十八 圓五 十錢。 

九月 七 :n。 晴。 中央 突 術より ハガ 午。 中外 社 募集の 小說 十三 篇の選 をした。 

九月 八日。 夜、 雨。 中外 社- 野 村 氏へ ハ ガキ。 中 村 (武) 氏より 手紙。 姉 崎. • 中外 社より ハ ガキ。 二 

科會 より 招待 狀。 石 丸 氏 來訪。 「生 田 長江 氏の 印象」 (十三 片)、 新潮の 爲 め。. 

九 九日。 雨。 中 村 (武) 氏より ハ ガキ。 二 科 を 見に 行く。 歸 りに 石 丸 氏 を 訪ふ。 



九月 十 曰 。晴 o 十 曰會へ 行く。 

九月 十 一 曰。 晴。 r 僕の 描寫 論」 (五十 四片) 、新潮へ。 中 村 • 前 島 二 氏 を 訪ふ。 江 部 氏を訪 ふ。 三湳氏 

來訪" 小說 の伎賴 。「無 內容の 犧牲」 a 一枚)、 露西亞 評論へ。 

九月 十二 日。 暗。 野 村 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 大町 (桂月) 氏の ss^ 會逋 知。 石 丸 氏 來訪。 滋子 

氏を訪 ひ、 萬 年 筆 を 買った。 

九. 月 十三 日。 夜、 雨。 露西亞 評論より 手鉞。 生 田 (葵) 氏より ハ ガキ。 橋 爪 氏より 原稿。 羽太 氏へ ハ 

ガキ。 原子 氏を訪 ふ。 

九月 十四 曰。 雨。 風。 木 村、 井上 二 氏より 原稿。 野 村 氏 來訪。 「午後 二 時半」 (四十 三枚 )• 新小說 へ。 

九月 十五 日。 晴。 春陽 堂 主人 へ 手紙 (稿料 値上げの 件)。 帆 足 氏より 原稿。 月評 會 あり。 駒 子 氏 來訪。 

九月 十六 日。 晴。 千 薬 (江 東) 氏へ 手紙 (新 閜小說 A. 書かせとの 件)。 帆 足 氏へ ハ ガキ。 石 丸 氏來訪 

ふ 

九 H 十七 日。 晴。 中澤 氏より 原稿。 中 根 氏を訪 ふ。 關 氏を訪 ふ。 新小說 より 稿料 三十 八圓 七十 錢。 

日 置 氏を訪 ふ。 

九月 十八 日。 雨 あり。 神 崎 氏へ 手紙。 新潮より 稿料 十五 圓 五十 錢。 萬 月 堂より. 手紙。 帆 足 氏よ リ< 

ガキ。 

粱鴨 日記 第三 a 九 111 



泡^ t<K» 第 十二 卷 四 九 四 

九月 十九 日。 晴。 深 見 氏を訪 ふ。 文擧界 より ハガ キ、 同じく 返事。 

九月 廿日。 夜、 雨 あり。 帆 足 氏 來訪。 叔父の 小 林、 何とか 云 ふ 人 を 紹介し につれ て 來た。 

九月 廿 一日。 晴。 新小說 より 校正。 江 部 氏 * 訪、 夜 また 同氏 を訪 ふ。 

九月 廿 二日。 雨。 (日曜) 氷窒 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 中 根 氏より r カキ。 深 見 氏を訪 ふ。 

九月 廿三 曰。 雨。 池 田 (藤) 氏 > 新居 氏 * 外 山 氏 • 中 村 (春) 氏へ r カキ。 雜 誌の 校正 。「父の 出奔 後」 

(九十 n; 片 y 文章 世界の 爲め。 . 

九月せ 四日。 雨、 大風。 原子 氏 來訪。 江 部 氏を訪 ふ。 

九月 廿 五日。 蹐。 文章 世界より 稿料 四十 六圓 五十 錢也。 池 田 氏 を 日本 病院に 訪ふ。 江 部 氏 家に 將ギ 

會ぁ リ。 

九月 廿六 曰。 晴。 樋 nr 氷室 1 一氏より 手紙。 山 本 (三)、 千藥 1 一氏 を訪 ふ。 田 中 (純) 氏を訪 ひ、 田 中 

(貢) 氏と 三人で 講武 所で 飮ん だ。 

九月 廿 七日。 雨。 四 谷 へ 行く。 

九月 廿 八日。 曇。 三湳氏 來訪。 橋 爪 氏へ ハガキ 駒 子 氏 來訪。 

九月 廿九 曰。 雨。 山 本 (一 二)、 薄 田 • 藝術 クラブへ ハ ガキ。 日 置 氏よ bsr カキ。 内 藤、 00. 俊 子、 j 

押 川、 川 手、 前 島 * 佐 藤、 五來の 諸氏 を訪 ひ、 前 島 氏の 外 はすべ て 留守であった 



九 月^日。 暴。 三 浦 氏より 手紙。 薄 田 氏より 手紙 * 同じく 返事。 末日 會に 行く。 

十:.^ 1 日。 雨。 池 田 (林)、 淸水、 原子、 木 村 (卯)、 關の 諸氏 來訪。 夜、 石 丸 氏 を 訪ふ。 

十月 二日。 雨。 原子 氏 來訪。 森 (盛) 氏を訪 ふ。 俊 子 氏へ ハ ガキ。 三 井 氏より 〈ガ キ、 同じく 返事。 

新居 氏より ハ ガキ。 

十月 三日。 藝。 押 川 氏を訪 ふ。 小 西 書店より 手紙。 薄 田 氏よ hs 手紙。 吉岡、 吉井、 橋 爪 三 氏よ bs 八 

ガキ。 草の葉 會 より ハ ガキ、 同じく 返事。 藝術 座の 研究 劇 見物。 

十月 四日。 曇。 薄 田 氏へ 返事。 吉岡 氏へ ハガキ 橋 爪 氏へ r カキ。 木 村, 內藤、 滋子三 氏より r 力 

キ。 寓月 堂、 中外、 滋子氏 を 訪ふ。 

十月 五日。 曇。 俊 子 氏より ハガキ 0吉野* 平 嫁 (篤 )ニ 氏 來訪。 石 丸 氏 を 訪ふ。 

十月 六日。 曇。 加 藤氏へ ハ ガキ。 正 雄の 行って る 所 を 訪ふ。 

十月 七日。 曇。 吉 野中 根 1 一氏 來訪。 共に 淺 草へ 行って 歌劇 を 見た。 

十月 八日。 曇。 十日 會 より 通知。 廣瀨 氏より 手紙。 

十月 九日。 晴。 K 瀨 氏へ 返蓽。 結 城 氏へ 出版物の 相談。 三 井 氏へ 書信。 原子 氏 來訪。 

十月 十日。 雨。 飯 野 氏を訪 ふ。 生 方 氏; 米訪。 曰 本 評論 社より 媾和 使節に は 誰れ を 押したら いい かと 

質問して 來 たので、 左の 答へ を 書いた、 11 

巢鶚 日記 第 111 四 九 五 



泡 鳴 仝 築 ^十二 卷 rol 九 1 ノ 

媾和 使節の 條件 11 

1、 日本の 存在 精祌 をよ く 信念に 於いて 體 現し 得る 人物。 

一、 外國 語的辭 令の 爲 めに 荷 負け をし ないで、 飽くまで 正義 人道 を 日本 虫義 的に 押 通せる 人物。 

三、 K 直に 生死と 毀譽 褒貶と に超脫 する 人物。 

四、 日本の 實 カを內 察し 得て ゐる 人物。 

以上つ ^條件 をす ベて 具備す る もの は 今の 政治家に も 軍人に も 見當ら ない ので ある。 伊藤巳代治 や 加 

籐高明 や 犬養毅 では 駄目 だ。 止むな くば、 現內閣 の產婆 役の 一 人であった 飯 野 吉三郞 を 押して 見る が 

よから うか? 外交 上の 外面 的 事情な ど は その 場で 聽 かせて やれば 足る こと だから。 

十月 十 一 日。 雨。 玄文 社より 返事。 同じく また ハ ガキ。 日々 の 畑 氏より ハ ガキ、 同じく 返箏。 池 W 

氏 來訪。 飯 野 氏を訪 ふ。 ぬ 

左の 趣旨 書きが でき 上った、 一I 

曰 本 主義 協會 設立 趣旨 

佛敎 並に 儒敎 の渡來 以後 • わが 國は その 1 面に 於いて 事大主義の 傾向に 壓 迫され て來 たが、 明治 

年 re に 西洋 諸國の 文物に 接する やうに なつてから それが 】 層甚 しかった。 彼の 長 を 取って 我の 短 を 



補 ふと 云へば 如何にも 結構の やう だが、 その 標準が 何でも かで も 外國に 在る ので は、 自國の 寶質ゃ 

特性が 忘れられ たので ある。 

僕 等 は 鬼に 角 それ 相 當の實 質と 特性と を 有する 自國の 存在 を 先づ考 へに 入れて、 他 國を兒 ねばな 

らぬ、 鎌倉時代に 怫敎を 日本化した 親鸞 や 日 運は卽 ちそれ であった。 德川 時代に 儒敎 から 出て 而も 

日本 獨 得の 思想 を發 揮した 山 鹿 素行 や 佐 籐信淵 はまた それ だ が、 明治 年代に なつてから、 世 は 3 

滔 として 歐化 主義に 流れ 行き、 その gi に 三 宅 雄 次 郞氏等 は 政治的に、 木 村 鷹 太 郞氏等 は哲擧 的に 日 

本 主義 を 叫んだ けれども * その後 その 叫び は 殆んど 消えて しまった やうな 狀態 である。 僕 等の 現資 

に屐も 接近す る 政治 や 外交で も、 これが 思想 的に 解釋 される 時には、 西洋人の 頭 腦で以 つてす るの 

を 1^ 新ら しい こと、 また 正しい ことに m や はれて: Q る。 

今や わが 國人 一 般の無 自覺者 流 は儒敎 K 盛時 代に 行 はれた 地獄の 審判 繪に 於け るが 如く、 自分 等 

が 罪人と なって 外國 人の 判官に 裁きと 憐 みと を 乞 ふて ゐる 有り 樣だ こんな こ とで は 思想 上に も 生 

活上 にも 1; 民の 獨立 など は あぶな ッ かしいで はない か? けれども、 わが 國 では • 他の 一面に はわが 

建國以 來の大 精神 • 古神 道 主義の 對抗 意志的 勢力が 各 時代に いつも 潛在 又は 旺 溢して ゐて、 それが 

明治時代に は!^ の 明治 1K 皇 C 征服 愛 的 大事 業と なって 顯 はれた。 僕 等 はこれ を 思想 的宗敎 的に 新ら 

しく 解釋 して、 日本 主義 itsg の大權 化と 見 倣す ので ある。 

旗 鴨 日 Si ^三 七 



ii 第 十二 卷 四 九 

けれども、 西洋 思想 をのみ 檩準 にして ゐる もの 等に は、 E 義ゃ 博愛が その 實 際に 於いて 人 の征 

服 心の 發現 である ことが 分らない ひ そして これ を 分らせる のが 今日 わが 國 をして 西洋 思想から も、 

儒敎 ゃ怫敎 から も獨 立させる 所以になる ので ある。 同時に また、 僕 等の 日本 主義が 今までの 佛敎ゃ 

懦敎 のみなら す、 耶蘇 敎をも * あべこべに 救って やる 所以になる の だ。 一般に 西洋 は 積極的で、 束 

洋は 消極的 だと 云 はれる が、 東洋のう ちに 數 へられる わが 國の 人道的 特性 だけ は 印度 佛敎ゃ 支郝儒 

敎の やうに 消敎 的で はなく * 而も 西洋の I 般 思想 や 宗敎 よりも 元來が 積極的で ある。 

かかる 立脚地に 在って、 僕 等 は 岩 野 泡 鳴 を 主幹と して 小雜誌 「日本 主義」 を 毎月 發刊 配布して 來 

たこと 旣に 滿三ケ 年に 達し かけて ゐ る。 これ を 機と して 今回 日本 主義 協會を 設立し、 1 歷 盛んに 左 

の 思想と 信念と を 宣傳し 實 行した いので ある。 

r 日本の 思想の、 日本の 國 語の、 並に 日本人と しての 生活の、 獨立を ■ する。 

二、 日本 を 中心として 世界の 文明、 進歩、 並に 統 1 の爲 めに 戰ふ。 

111、 わが 國家的 制限 はわが 個人の 膨娠內 溶で あるから、 これ を 離れて 日本人と しての 人類の 存 

立 はで きぬこと を 確信す る。 

四、 外國 人の 事 は 外國人 をして 理由 づけし めよ、 日本人に は實 力の あると ころ、 即ち、 道なる 

を以 つて、 國際 問題に 於いても 寶カ 以上 若しくは 以下 を 問 ふに 及ばない。 - 



五、 獨斷的 個人主義、 II 斷的國 家主 赣、 

六、 肉靈 合致の 生々 的 充寶を 生活と し、 

n 本 主義 協會々 則 

一 名稱と 在 

第】 條 木 愈 は no 木 主義 協 會と稱 す。 

第二 倏 本會本 lifHS^Li 、支部^ 必要に 

應 じて 各地 方に 置く。 

二 搴 欒 

第 111 倐 本會は 新. 時代に 相應 する 日 木 主義 

宣傳 の爲め 左の 寧 業ん」 行 ふ 

(一) 雜 誌の 發行 

(二) 地方 遊說 

a 二) 岡 書の 刊行 

(四) 日本 を 中心としての, せ界 事情 研 

究 

ni 會員 とその 義務 

, 大正 七 年 十月 

» 鴨 日記 第 111 . 



i4i 想 的 世界主義、 並に 無政府 的社會 主義 を IS 斥す る。 

純 全 征服の 福音 を體 現す る。 



^四條 木會々 A は 賛助 會 A と醬 m 會 量との 

二種と す 

第 五條 赞助會 A は每 お金 壹圓 以上 を 水會維 

持 a に 提供 マる もの、 瞢通會 A は 本 

會 雑誌 ¥3- 購饋す る, ものと す 

四 役員 

第六倐 木 脅に 左の 役 量.^ 置く、 11 

會頭 一名 

1A . 若 千 名 

. 粋 事 若 千 名 

(伹 し當 分の 內岩野 泡 鳴、 主 斡- yj し 

て 本 會の八 貴 任ん i 擔す) 

日本 主義 協會 

假^^ 所 束 京 市外 藥鴨町 一 〇 八 二番 地 

四 九九 



泡 鳴 仝 鶴 第 十二 ®> 五 o〇 

十月 十二 日 , 曇。 三 井 氏へ 手紙。 羽太 氏より r カキ、 じく 返事。 「勝利」 の會 より 通知、 1: じく 

返事。 池 田 氏へ ハ ガキ。 夜, 外出。 

十月 十三 n。 晴。 三 井 氏より ハ ガキ。 石 丸 氏 來訪。 原子 氏 宅の 正信偈 輪講 を 聽 きに 行く。 「原 內閣成 

立と 之に 對 する 希望」 (十一 一片), 大觀 へ 「描 il 補 遣」 (十 • 一片)、 新潮 へ 

十月 十四日。 晴。 木 村 (廳) 氏 來訪。 飯野ゾ 伊藤 1 一氏 を訪 ふ。 木 村 (卯) 氏より 原稿。 朝日の 伏 氏へ 

《ガ キ。 

十月 十五 日。 雨。 高須 氏より 手紙 (「放浪」 を 明治 名著 文庫に 入れる 件)、 同じく 返亊。 外 山 氏より 手 

紙 並に 原稿。 京 北擧院 1: 恣會 より ハガ キ。 月評 會 あり。 

十月 十六 日。 雨。 コ 一井 氏より ハガキ 並に 原 加 藤 (謙) 氏より ハ ガキ。 新潮の 中 村 氏へ ハ ガキ。 川 

路氏 「勝利」 の會へ 行く。 

十!!:: 十七 日。 藝。 窒伏 氏より ハ ガキ。 北 原 氏より ハ ガキ。 巾 村 氏より ハ ガキ。 木 村 (廳) 氏 を 訪ふ。 

十月 十八 日。 晴。 原子 氏來訪 。「中 村 星 湖 氏へ」 (八 片)、 よみうりへ。 東北 擧院 同窓 會へ 行く。 その 歸 

途郁 氏に 會 ひ- ちょ ッと カフ H へ 一 緖に道 入った。 

十月 十九 日。 晴。 池 田, 山 本 等の 諸氏へ 協會 趣旨 を 送る。 松 田 氏より ハ ガキ。 弘 氏を訪 

ふ。 深 田 氏を訪 ふ。 



十月 サ日。 晴。 吉野、 布 川、 山宫 * 中 澤の四 氏 來訪。 . , 

十月 廿 I 日。 暗" 伊藤 氏 來訪。 飯 野 氏を訪 ひ、 歸 りに 詩 話會へ 列し、 出官 氏の 宅へ 立ち寄った。 田:. 

中 (貢)、 高 橋 (壽) 氏より 尸 ガキ。 £1 奴 上 氏より 手紙。 中外 社より 贈お。 

十月 廿 二日。 晴。 飯 野 氏 を訪ふ (日本 主義 協き を いっその こと 氏の 精神 圑と 一 緒に してやらう では 

ないかと 云 ふので、 明後日よ く 話し合って a る ことにした )o 押川氏を訪ふ(けふは他日の爲めに^^?っ 

經驗 をよ く 話して 貰った )o 川 手 氏を訪 ふ、 途中 平 嫁 氏に 會ひ、 ミカ ドで玉 突 を 五 回 やった。 同氏 を 伴 

つて 滋子 氏を訪 ふ。 

十月 廿 三日。 雨 ぁリ。 江 部 氏を訪 ふ。 5- 籐公を 題の 小說を 書き初めた。 

十月 廿 四日。 晴。 原子 氏 來訪。 飯 野 氏 を訪ふ (いよく 雜誌を 大きく する やう. になね さう だが、 な 

ほ 明後日 決定の 辔)。 

十月 廿 五日。 暗。 碁會の 通知。 桐 生の 坂 元 氏より 手紙。 原子 氏 來訪。 

十月 廿 六日。 暴。 飯 野 氏と 金 原 銀行に 行き、 相談の 怦を 即決す ると/ころで あつたが、 相手の 人が © 

守で 引き返した。 石 丸 氏を訪 ふ。 生 方 氏來訪 (留守 )o 氏へ 返事。 シュ ネイダ ー 氏より ハ ガキ。 伊藤, 

氏より ハ ガキ。 中外に 出る 小說の 校正。 

十月 廿 七日。 雨。 時事より 稿料 】 圓 五十 錢 羽太 氏より 手紙。 錄會に 行く。 

日記 第 III 五 1 



li ^十二 五 〇n 

十月 廿 八日。 晴。 生 raG 癸) 氏へ ハ ガキ。 羽太 氏へ ハガキ 。矢 崎 氏より ハガ^。 桐 生の 阪本 氏より ハ 

ガキ、 同じく 5^ 事。 飯 野 氏 を訪ふ (今日 も 解決せ す)。 一 二 浦 氏 來訪。 伊籐 氏 來訪。 

十月 廿 九日。 晴。 石 丸 氏來訪 。羽太 氏より ハ ガキ。 末日 會 より ハ ガキ。 國士會 より ハガ キ。 a; 生、 

松 本 二 氏より 詩集。 生 田 (獎) 氏よ ぉハ ガキ。 

十 月^日。 雨。 生 田 氏へ 返事。 『公爵の 氣 まぐれ」 (五十 枚)、 大觀 十二月 號へ。 石 嫁 夫婦 來訪。 

十月 卅 一 日。 晴。 石 丸、 池 田 一 一氏 來訪。 大観より 稿料のう ち 五十六 圆。 よみうりよ, 稿料 登圆 五十 

錢。 新潮 社より 「耽溺」 の 印税 十五 圓。 新潮より 稿料 三圓 五十 錢。 時事より 稿料 三圆 五十 錢。 高須、 

川口 二 氏へ ハ ガキ。 淸 子へ 十 圆也。 末日 會 にて 初めて 西 園 寺八郞 氏に 會 つた。 

十一月 一 日。 暗。 羽太 氏に、 小石 川の 大正 亭へ 招待され た。 その 節, いちじくの 木 を 一 本 焚って 車 

で歸 つて 來た ところ、 翌朝 見る と、 桑であった。 で、 同氏へ ハガキ を 出し、 お 酒 を 頂戴した 上に もま 

た j 杯クヮ せられ ましたと。 宮地 氏より ハ ガキ。 

十 一 月 一 一日。 雨。 大觀 社より 殘 りの 稿料! 一十 四圓 也。 飯 野, 伊籐 氏を訪 ふ。 

十 一 月 三日。 晴。 羽太 氏より ハ ガキ。 熱 海の 極 口 氏より 手紙 • 同じく 返事。 猶興社 並に ni. 稻 田文學 

社より ハ ガキ。 山 本 氏の 能會へ 行く。 原子 氏を訪 ふ。 I 小說を 書き初めた。 

十 1 月 w 日。 



十 一 月 五日。 雨。 須藤 (鐘) 氏よ リ 手紙、 同じく 返事。 新潮より 手紙。 ろし や 評論より 手紙。 

十 一 月 六日。 雨。 中极氏 來訪。 

十 一 月 七日。 晴。 島 村 氏 葬儀の 通知。 熱の 氣 味で 葬式に 列し かねる 斷りを 出した。 

十 一 月 八日。 暗。 「お 安の 亭主」 (六十 八 枚)、 新小說 へ。 川 侯 氏より 手紙、 同じく 返事。 春陽 堂へ ハ 

ガキ 

十 一 月 九 曰。 雨。 中极、 小 野 1 一氏 來訪。 赛陽 堂より 稿料 六十 ! 圓 1 1 十錢 也。 「生 氏 へ の 答へ」 (廿. 

五片) 、中外へ。 森 本 氏より 手紙、 同じく 返事。 中央 怫敎 より 新年 號の爲 めに 信仰 をき きに 來 たので、 

左の 如く 答へ た、 —— 

「僕 は 僕の 部に 深く 現 はれて 來る僕 を 信す る。 そこに 自然の 制; 限が あつて 組國の 生命と 現じ、 

その^ 那 の充實 努力が 無制限の 廣 がりなる 所謂 祌ゃ 理想 を 絶 減す る。 人間の 認識で きる 最上の 現實 

は それであって、 それ 以外に 露理 もま こと もない Jo 

滋子氏 並に 生 方 氏を訪 ふ。 

十一月 十日。 晴。 巾 外 社。 西 村 • 野 村 三 氏より 書信。 飯 野 氏を訪 ふ。 r 久米正 雄 氏へ」 (十五 片 y 時 

事へ。 十 曰會へ 行く。 齋 藤氏より 長 崎の カステラ。 

十一月 十一 日。 暗。 森 田 氏へ ハ ガキ。 巖へ 手紙。 「自作と 當遠 ひの 評」 (四 片)、 新潮へ。 吉 野氏來 



泡 鳴佥猿 s< 十二 卷 五 〇四 . 

訪。 新ら しく 小說を 書き初めた。 一 

十 !月 十二 日。 啧。 中 根、 吉野氏 來訪。 吉野氏 は 立ち合 ひ 人 を つれて 來て、 きの ふの 復鑼戰 に 來もー 

の だが、 二目 を 取り返した だけで、 矢ッ 張り、 白 は 取れす に歸 つた。 中 澤* 原子 二 氏 來訪。 時事よ リー 

稿料 五圓。 一 

十 一 月 十三 日。 夜 * 雨。 大觀 社より 稿料 五圆。 滋子 * 平 IT 生 方 三 氏を訪 ふ。 , 一 

十一月 十四 曰。 暴 • ^llw。 森 田 氏より ハ ガキ。 つき 女房」 (三十 枚)、 新 日本 士 lex: 號へ。 同社へ ハー 

ガキ。 平 嫁 氏 來訪、 同氏のと ころべ 行く。 木 村 氏より た カキ。 巖 より 手紙。 „ 

十 一 月 十五 日。 晴。 渡 邊、 明治 擧院 より ハガ キ。 三 井, 春陽 堂よ リハ ガキ。 月評 會。 駒 子 氏 來訪。 一 

十 一 月 十六 日。 晴。 新潮 社, 中 村 • 前 島、 巾 外 社 * 飯 野 • 伊藤 氏を訪 ふ。 飯 野 氏との 詰が 本 日;^ 氏; 

の 宅に て 伊勢 支部の 人と 會 r ル して 大體 きまりが 付いた ので、 いよ/、 來年 一 月號 よ,^ 日本 S 義を擴 £硙 

する ことにな つた。 : 

十一月 十七 日。 雨。 三 井- 木 村、 池 田 三 氏へ ハ ガキ。 大月 氏へ r カキ。 佐 藤 (新) 氏より ハ ガキ。 川 一 

俣、 深 田 二 氏を訪 ふ。 一 

十一月 十八 日。 晴。 一ニ井* 詩話會 より ハガ キ。 詩 話會へ 返事。 沼 波 氏より ハ ガキ。 同じく 返事。 外 一 

山 氏より 原稿。 外 山 氏來訪 (留守 )o 福 田 博士- 森 田、 木 村 三 氏を訪 ふ。 井上、 齋藤、 橋 爪 * 相 馬. • a 



使 河原 • 杉 浦 氏へ ハ ガキ。 石 丸 氏、 近火 見舞に 來た。 

十 一 月 十九 日。 晴。 萬 月 堂、 外 山 二 氏へ ハ ガキ。 康子 氏より r 力 

キ。 中外 • 押 川、 玄文社 を 訪ふ。 玄文 社に て 一 に 小 說集を 一 冊 出 

す ことにした。 

十 一 月 廿日。 晴。 佐 藤氏、 遠 藤氏へ 手紙。 木 村, 井上、 土岐 氏よ 

ね ハ ガキ。 康子 氏、 羽太 氏を訪 ふ。 散文詩 「きリ ぎお す」 (十四 行)。 

十 1 月廿 一 日。 晴。 森 本 氏より ハ ガキ。 外 山 氏より ハ ガキ。 三 井 

氏より ハ ガキ。 詩 話會に 行く。 

十一月 廿 二日。 雨。 圍欒 社、 井上 氏よ. 力 キ。 飯 野、 江 部 二 氏 

を訪 ふ。 「ト ルスト ィ論補 遣」 (十七 片)、 日本 主義 一 月號 へ。 

十 一 月せ 二日。 晴。 三 井、 佐碍 中外 社へ 返事。 天佑 社の 宫本氏 

來訪。 三 蒲 氏 來訪。 日日 新聞の 野 島 氏 來訪。 中 根 氏よ.. カキ 遠 

藤氏より 返 m>。 

十 1 月廿 四日。 曇。 本日よ みう リに 下の 如き 記事 揭載さ 

る 

^鴨 日 Si 第 3 



日本 主義の 大發展 

雑誌 『日本 主義』 マ」 い へ ば 恐らく 

天下 一 の マメ雜 誌で、 それが 文壇 

1 方の 御大 將岩野 泡^ 氏の 主幹 

する 所と は、 大概 は 知らぬ 人が 多 

い。 所が、 氏 は 這 度 『0 本 主義 協 

會』 な る もの ^設立 し 、盛ん!!^ 動 

中のと こる、 穏 E 行者 飯 野 某氏と 

結託し、 愈々 『日 本 主義 協會』 發辰 

の 端緒と して 伊勢の 有志 問に 支 as 

を 設け、 更に 來年 早々... -リは sit 

『日 木 主義』 の 頁 を SM< し、 七 千 部 

以上 も 刷る とい ふ 素晴らしい^ 氣 

込み ださう だ。 小說 なん ぞづク T1 

ク 書 く や う な 4^ チな仕 寧 は、 もう 

やめ やう かや」 思 ふな ど 7」、 今から 

して 常に 百倍す る 大氟烟 上げ つ 

つ ある ミ、 或 人 は 泡 鳴^の 近狀を 

つ て ゐた。 



橫 線の 倾處は 間違って る。 



泡 鳴 4<i 集 お 十二, 2^ 



五 〇 山ハ 



泡 鳴が 穩田行 

者の^ Tfu 



なり 濟 して 



主義が 一 致した 爲 

合併した ビ いふ 

岩 野 泡 ii 氏 は 何時の間にやら 穏 田の 

怪行卷飯^^吉三^!^^氏の信徒になリ濟 

ました、 府下 巢鴨町 一 〇 八 二の 日本 主 

義; M に を訪 へ ば 同^ は 語る 『飯 

野さん r り麗體 Q 根本主義が 神道 を 基 

礎と して, 居る 點に 於て 

► ▽ 僕の B 本 主義 7」 相! 致し 

て 居る 寧が 判った、 所へ 今度 僕が, ?に界 

で 唯 一 人の 先生と して 居る 押 川方義 

氏から 飯 野さん ミ 握手して 事業 を 共 

にして はどう かと 云 ふ 熱心な 勸め. 

受け;^ ので 遂に 精神 圑と 日本 主義 協 

ま」 が 



橋 爪 氏より ハ ガキ。 木 村 氏へ ハ ガキ。 叙^ 氏を訪 ふ。 本日 

伊勢の 支部 奔走 者が 出て 乘る ^3 なのが 明日に なった ので、 ま 

た あす 行く こと。 沼 波 氏 來訪。 

上の 如き も、 本日 東京 日々 

に 出た の だが、 

十 一 月廿 五日。 晴。 飯 野 氏を訪 ひ、 伊勢の 鳥 海 氏と 共に 雜 

誌の 件に 就いて 相談の 結 ST 來ギ 二月 號 から 初める ことにな 

つた。 夜 * また 鳥 海 氏の 宿を訪 ふ。 關氏 來訪。 南 人 社の 川口. 

氏 來訪。 

十 1 月廿 六日。 晴。 沼 波 氏より 手紙。 松 本 氏の 會 より 通 

知、 同じく 返事。 石 丸 氏 來訪。 江 部 氏を訪 ふ。 

十 一 月卄 七日。 晴。 文章 世界より ハ ガキ。 木 村 (卯) 氏より 

ハ ガキ。 關氏を 訪ふ。 

十 一 月廿 八日。 晴。 中外 社より 選 料 二十 回。 文^ 世界へ 尸 

ガキ。 末日 會 より 通知、 同じく 出席の 返事。 小川 氏より 手 



併 する s ずな リ 明春 一 

月發行 の^お 集 1 號 から B 本 主 義 

ぁ鞲祌 国の 機 蘭 雑誌と する、、 と Li し 

た あの 圑體の 後に は 金 原 銀行が 控へ 

て 居 ズ金は 自由」 使へ るし 双 方 共!. 1 

好都合 だと 思 ふ』 



紙。 飯 野 氏を訪 ふ。 鳥 海 氏 並に 滋子 氏を訪 ふ。 

十 一 月廿 九日。 晴。 南 人 社の 川口 涉氏 來訪。 大觀 社の 池 田 

氏 來訪。 小川 氏へ ハ ガキ。 

十 1 月 三十日。 晴。 三 井, 木 村 二 氏へ ハ ガキ。 萬 月 堂へ 十 

二月 號 原稿 を 逡る。 川口 氏へ ハガ キ。 淸 子へ 十圆 (十月 分) 

sisl^ _ の 振替へ。 齋 藤氏より ハガキ 。末 曰會へ 行く。 

十二月 一 日。 晴。 小川 氏より ハ ガキ。 池 0( 藤) 氏 送別 會 通知 • 同じく 返事。 山 本 露滴 第三 周忌 會へ 

行く。 短篇 小說鎮 「猫 八」、 四百べ,.. ヂ分を 集めて * 訂正 を 終 はった。 

十二月 二日。 E-。 北 村 氏より ハ ガキ。 井上 氏より ハ ガキ。 外 山 氏 * 訪。 巖 並に 原 (寧) 氏へ ハ ガキ。 

に 餓^ 氏 へ 大観 各 一 冊。 文章 世界より 稿料 六圓 五十 錢。 

十二月 三日。 晴。 日々 新聞、 相 馬、 土 田 三 氏より 書信。 池 田 (籐) 氏の 送別 會の爲 め 築地 精 養 軒に 

行く。 米 <:,1 锜 兵衞、 野 島 常.^ 郞* 田 鍋 二 r 星 一等の 諸氏に 會 つた。 

十二月 四日 あられ あり。 マ 字 社 並に 羽太 氏より ハ ガキ。 小 說の別 集 を 整理し、 「非凡 人」 と 名 

づけた (天 佑 社よ. り: m す 分)。 外 山 氏^ 訪。 

十二月 五日。 晴。 博 文 館、 東部 遞信 局より ハ ガキ。 東部 遞信局 並に 寓月 堂へ ハ ガキ。 玄文 社へ 小說 



泡鳴,{^化+ ^十二 卷 |^〇\ 

集 原稿 を 渡し、 印 稅內金 七十 五圓を 受け取る。 押 川 先生 を訪; T 共に 銀座の 肉屋へ 行く。 今 井 (歌) 氏 

を訪 ふ。 川路 氏より 使 ひ。 

十二月 六日。 晴。 木 村 並に 巖 より ハ ガキ。 英 枝の 弟より 手紙 鈑野 氏を訪 ひ- 媾和 問題に 對 する》; M 

見 を 明日 新聞記者に 發 表する ことにした。 

十二月 七日。 晴。 木 村 並に 巖へ 返事。 滋子氏 を 訪ふ。 翠子 氏より; 稿。 三 井 氏より ハ ガキ。 木 村 氏- 

より 手紙。 最上 氏より 手紙。 飯 野 氏を訪 ふ。 

十二月 八日。 , 

左の 手 統を西 園 寺 侯に 送る、 

まんで 1 書を呈 する 事 をお 許し 下さい。 媾和 問題に 圈 する ことで ございま すが、 若しい よく あ. 

なた がお 立ちになる ことにお 成りで ございましたら、 どうか 日本 主義の 根本に 攄 つて 日本の 立^地 

を 十分に 發 揮して 載きたい ので ございます キル ソン 氏に せよ. - a イド ヂョ ー ヂ にせよ、 結局 は、 

自國の 利益 を考 へに 入れての 正義 人道であります。 日本 も 日本の 利ハ; ^を 以ての 正義 人 でなければ 

鹿 を 見ます。 ! 國の 利害 は 取り も 直さす 一 画の 精神であります 利害 を 離れて の 精神 や K 義は摸 

倣で あり 迂 潤な おつき 合 ひであります。 で • 日本の 純 粹 な 利害 的 精神と は 古神 道に 現 はれた そして 

明治天皇に 體 現された 征服 愛であります。 日本 H 家の 制 K 內に 化して 來ぃ、 ,代" らズ 川ら を すヾ 



て K 人間 (僕 はこれ を 人間 神と 巾し ます) にして やる と: K ふ 精神です。 日本画 家の 存在意義 は卽ち 

この ゴスペル 即ち 福音に 在ります。 崇神 天皇が 四 道 將軍を 派遣した の はた だ 軍人 派 遺で はなく、 こ 

の 福音の 宣 傅であった ので ございます。 これに まつら ふ もの は 和し • まつろ はぬ もの は 平らげる と 

は、 日本の 實利的 精神 資現 S 道 (即ち、 これが わが 國の 正義 人道) であります。 

他人 他國の 土地 や 住所 を必 すし も 貰 はないでも かまいません、 けれども この 精神の 實現を 妨げら 

れる 場合に は、 日本 は 昔からの 憒 例に 依りい つ 何時 w ぴ劍を 取らない と は 限らぬ と 云 ふ覺悟 を外國 

の 談!? 委員に 十分に 示め して 下さい。 これに は 外 國の宗 敎ゃ哲 舉を考 へに 入れる 必要 もな く、 わが 

國 特有の 宗敎 ゃ哲擧 がさう した 精神と 覺 悟と を 發 揮させる もの だと 思って 下さい ませ。 

そして 若し この 覺牾 の發 表が 櫞和 會議で 侮蔑され るなら • 結局 • cleft- し 出で 行っても 亦 侮蔑 さ 

れ るに 終りましょう。 中途半端た 1 がで 侮蔑され るよりも、 わが 國家 # 立の 根本 問題で 侮蔑され る 

方が、 他日 わが 國 民の それに 對 する 奮起と 公憤と をより 以上に 有効に 致します。 

十二月 八日 岩 野 泡鳴拜 

侯爵 西 園寺樣 

Mf0 第三 . 五〇九 



泡 鳴 4: 集 第 十二 卷 五 

十二月 A 日。 晴。 吉野 氏、 ^子 氏 來訪。 

十 1 1 月 九 曰。 暗。 ま 京 日々 の 『平素 懐抱の 信仰」 質問に 對 する 答へ 11 

僕の 平素 懐抱す ると ころの 信仰 は 征服 愛の 福音です。 これ はわが 國 の古祌 道に はあり. ますが、 耶蘇 

敎 にも 佛敎 にも 儒敎 にもない 精神です。 そして 個人 卽國 家の 存立 现 由であります 

中外 報 和 克復 第 I 年に 於る 宗敎 家の 赍務」 質問に 對 する 答へ *| 

外國 摸倣の 平和 論と 無制限 平等 觀の高 尙がリ と を撤囘 して、 ますく 他に 對 する 個人 卽闘 家の 對抗 

意志 を自覺 する こと (媾和 會議 にも、 日本の 立ち 場 を 正直に 持ち出して、 日本の 精神 を 邪魔され る 

は 將來も いつにても 戰 ひを辭 せぬ との 意志 を發 表して 置け と 云 ふこと を 目下 その 筋へ 運動しつつ あ 

ります )o 

十二月 九日。 踏。 巖 より ハ ガキ。 中央 公論の 小說を 書き初めた。 

十二月 十日。 踏。 巖へハ ガキ。 翠子 氏より ハ ガキ。 池 出 (籐) 氏^ 訪。 天佑 社より 印稅 のうちお 十 E 

也。 福 田 氏より 原稿。 十日 會へ 行く。 

十二月 十 一 日。 初雪、 つむ こと ニ寸。 夜、 木 挺. 町の 吉田屋 に 福 澤桃介 氏の 池 田 氏 送別 會 あり、 出 

席。 男 は 明治 擧院 出身が 主で、 女 は 帝劇の 女優 八 名であった。 

十二 ガ十 二日。 曇。 福 田、 談笑 會 等に C カキ。 熱 海の 樋 口 主人へ r カキと 「大 觀」。 加 能 氏へ ハカ 



キ。 英 枝の 弟より 菓子、 同じく 禮狀。 

十 I 一月 十三 日。 晴。 まだ 雪が とけない。 , 

十二月 十四日。 生 方 氏の 「猫」 の會に 行く。 

十二月 十 五日。 瀧 田 氏來訪 • 書いて ゐ だ小說 (百 枚 を 越えた) は 少し 新年 號に はお そろし いと 云 ふ 

ので、 あとまわし にして 別な のを嶽 E くこと にした。 月評 會。 

十 1 一月 十六 日。 晴。 長 谷川 氏 へ 手紙。 池 田 (林) 氏 へハ ガキ。 

十二月 十七 日。 晴。 關、 新 潟 • 樋 口 諸氏より ハ ガキ。 男兒 出産、 諭 鶴と 命名す。 

十二月 十八 日。 晴。 「家つ き 女房」 を 訂正して 百 三十 六 片* 瀧 田 氏へ 渡す。 中央 公論より 稿料のう ち 

二百 圓也。 飯 野、 新潮 社、 中 村 氏を訪 ふ。 前 田、 詩 話 玄文 社よ リハ ガキ。 

十二月 十九 曰。 雨。 玄文社 • 長 谷川 氏へ r カキ。 詩 話 會へハ ガキ。 芝 E 役所へ 謄本 願。 江 部 氏 を 

訪ふ。 

十二月 廿日。 雨。 小 野 崎より ハ ガキ、 同じく 返事。 時事の 柴田、 讀寶の 加 藤氏より 窨信。 中澤 氏よ 

りハ ガキ。 釵 前 島 • 莴月堂 等を訪 ふ。 

十二月 廿 一日。 暴。 明 氏へ ハ ガキ。 淸 子へ 十 I 月 分。 玄文 社の 長 谷川 氏より 手紙。 琴 子 氏 來訪。 吉 

野 氏 來訪。 

巢鴨 日記 鎮 111 五 】 】 



ii 欲: 十二 卷 HI 1 二 

十二月 廿 二日。 雨。 淺野氏 初めて 來訪。 外 山 氏 來訪。 長 谷川 氏より ハ ガキ、 同じく 返 JeJ (出版 ま h 物 

の 件)。 新潮 5^ の 佐 藤氏. より ハ ガキ。 

十二月 廿 三日。 雪。 大 阪の英 枝の 姉へ ハ ガキ。 新 潟より ハ ガキ。 

十二月 卄 四日。 晴。 中外 社 C 中 目 氏へ r ガキ。 雪見が てら 琴 子 氏と 共に 武藏 鐵 道に 乘 つたが. 所 

澤へ 行って 甥の つてで 飛行機 練習場に 入り、 暫 らく 見物した。 

十二月 卄 五日。 夜 • 雨。 所澤 から 晝頃歸 る。 小 野 崎へ 手紙 (細君の 候補 紫の 件)。 

十二月 廿 六日。 雪 四寸。 池 W (林) 氏より ハ ガキ。 玄文 社の 長 谷川 氏より 一 部 不用の 原稿 返し。 ^藤 

氏より ハ ガキ。 相澤 氏より ハ ガキ。 石 丸、 中 澤ニ氏 來訪。 外 山 氏 來訪。 川 合 氏より 手紙。 

十二月 廿 七日。 晴。 池 田 (林) 氏を訪 ふ。 

十一 一月 卄 八日。 tl 田、 中 村! 一氏へ ハ ガキ。 滋子 氏より ハ ガキ。 杉 中 氏より ハ ガキ。 時事より 稿料 四 

W 也., 内 藤氏より ハ ガキ。 

十二月 廿 九日。 舊臬會 へ 行く。 「征服 被 征服」 (二百 六 枚 分) を 書き終る。 

十二月 三十 rll。 池 田 (藤) 氏 を 東京 停車場へ 見送る。 琴 子 氏、 木 村 (鷹) 氏を訪 ふ。 木 村 (卯 之) 氏 米 

訪。 

十 1 一月 三十 一 日。 晴。 芙子 氏より 手紙。 中外 氏より 稿料 拾圓 也。 . 



大正 八 年 日記 

1 月 一 日。 琴 子を訪 ひて 1 治。 

1 月 二日 ぐ 

一 月 三日。 琴 子と 共に 有樂 座へ 行き、 カルメン を 見. UO 

i 月 四日。 

一 月 五日。 琴 子の 件、 豫定 より 早く 妻に 知れて 失敗。 

1 月 六日。 

1 月 七 曰。 晴。 釵野 • 德岡、 生 田、 高 安、 野 上 氏を訪 ふ。 池 田 氏來訪 (留守 )o 

1 月 八日。 晴。 

1 月 九日。 雨。 池 田 氏 來訪。 

】 月 十 口。 雨。 新年 狀、 け ふまでに 達した のが 百 四十 六 枚。 

巢 sfcwss ssg 五】 三 



泡 鳴 令; 集 第 十二 卷 五 1 四 

! 月 十 一 II 七日。 r 抱 月 須磨子 辯 護 論」 (十九 枚) 新 小 說へ。 

1 月 十八 nil 十九 • 廿 • 廿 一、 廿ニ* 廿 一 二日 風邪の 爲め數 日 臥床。 耳の 一 方が 聽 えなくな hN、 

廿 三日より 小此 木へ 通 ふこと にした。 

新潮より r 耽溺」 の印稅 十五 圓也。 、 

加 能 氏より 手紙 (原稿 依賴) 、同じく 返事 

德田、 長 田 一 一氏 を訪 ふ。 鳥 海 氏 へ 手紙。 

】 月廿 四日。 原子 氏を訪 ふ。 

一月 廿五 曰。 雪と 雨。 江 部 氏 を訪ふ 。「土 田 氏に 答 ふ」 (五 枚 分)、 文章 世界へ。 小說を 書き初めた。 

1 月卄 六日。 晴 宮地 (謙) 氏より ハ ガキ。 横濱の 姉より 手紙。 石 丸 氏を訪 ふ。 

1 月廿 七日。 晴。 耳 科へ 行く。 江 部 氏を訪 ふ。 赤 木 (桁) 氏より 轉 居の 通知。 

1 月廿 八日。 晴。 耳 科へ 行く。 野 上 氏より ハ ガキ。 同氏へ 雜誌 返し。 めいぼが 左り の 目に できて 不 

愉快 だ。 

1 月せ 九日。 雪。 樫 村 敬 文 館へ ハガキ C. 古神 道 大義 論」 を 昨日 廣吿の 名著 評論 文集へ 入れて 貰って 

は 困る と 云 ふ 通知、 獨 立の 印稅物 だから)。 

1 ^日。 雪。 新 pry の 佐 藤氏より ハ ガキ。 同じく 返事。 末日 食より 通知、 同じく 退 事。 



一 月 三十 I 日。 曇。 飯 野 氏を訪 ひ、 伊勢の 鳥 海 氏に 會 見し、 第 一 回の 雜誌費 一 部 を 受取る。 末日き 

へ 行く。 中央 公論より 稿料 殘金 1 一 百 三十 六圓 四十 錢也。 滋子 氏より 手紙。 

二月 I 日。 曇。 よみうりより 稿料 I 圓也 淸子 へ 十圆 (十 一 1 月 分 )o 山 宫 氏よ タパ ガキ。 藤氏 を 訪.、 

ふ (ブル タルクの 件 )o 小川 氏を訪 ふ (將 棋六番 のうち 四番を 負けた )o 

二月 二日。 雪。 五來 氏 送 S 會の逋 知、 同じく 出席の 返事。 滋子 氏來訪 , 、 

二月 三日 。曇 。飯 野 氏へ 電話。 

二月 四日。 風。 露英 より 手紙。 十日 會の 通知 糠 谷 美 代 子と 云 ふ 婦人が 小說の 指導 を輯 みに 來た 0T 

二月 五日。 曇。 五來 氏の 送^ 會へ 行く。 同會で 川尻 東 馬、 吉川正 I、 澤田撫 松 氏に 初めて 會 つた。 

安子 氏より ハガキ 。新 小說 より 稿料 十三 圓 三十 錢。 

二月 六日。 晴。 耳 科へ 行く。 菊 子 氏より ハ ガキ。 深 田 氏 來訪。 

二月 七日。 雪。 若宮 • 長 谷川、 山宫 氏へ ハ ガキ。 美 代 子 氏より 手紙。 中 村 (武) 氏よ,: S ハ ガキ。 原子 

氏 來訪。 

二月 八日。 雪。 春陽 堂 • 明治座より 手紙。 加 能 氏へ ハガキ or お 你婆ァ さん) (百 四十 六 片)、 大觀 三月 

猇の爲 め。 雪 ふりつづく。 

二月 九日。 晴。 池 田、 久和代 氏 • 加 能 • 山宫 氏より ス ガキ。 加 能、 長 谷川 • 靑柳 氏より 手紙、 小 野 

巢鴨日 SS 第三 i£ 



泡鳴.^.:第 第 十二 卷 五 1 六 

崎、 池 ra、 三 浦 三 氏 來訪。 

二月 十日。 曇。 奇柳 • 長 谷川 二 氏へ ハ ガキ。 三 井 • 夭 佑 社 二 氏より ハ ガキ。 露 SI 亞& 論より 手紙。 

飯 野 氏を訪 ふ。 耳 科 へ 行く。 十日 會 へ。. 

二月 十 一 日。 晴。 飯 野 氏 を 訪ふ (伊勢 支部の 代表者が-. 日本 主義に 渡すべき 金 を 他へ 流用した ので、 

ここ 二三 日 保 證金を 待って くれとの こと だ)。 巖 より ハガ キ。. 荒 川、 小 野 二 氏來訪 (花 を 引いた)。 ^藤 

氏へ その 兒 にやる 下駄 を 届けた。 

1 1 月士 !日。 晴。 大須賀 氏より ハ ガキ。 外 山の 父よ^ 手紙。 月評 會。 「 一 元 描 寫の實 際 證明レ (三十 

1 一枚 分 )♦ 新潮 三月 號へ。 大觀 より 原稿料の うち 五十 圓也。 . し 

二月 十三 日。 曇。 伊藤 氏より ハ ガキ。 東部 遞信 局より 手紙。 石 丸 氏 來訪。 平 稼 (篤) 氏より 使 ひが 

あつたので、 晩餐に 行った。 し 

二月 十四日。 朝、 雨。 午後、 晴。 新潮より 槁料 二十 圓也。 大須賀氏ょ.=^ハガキ。 飯 野 氏へ 雷 話。 原 

子 氏 来訪。 

二月 十五 日。 晴。 大須賀 氏より 原稿。 大月氏 來訪。 文章 世界の 小說 をけ ふ斷 わ, つた、 書きつつ ある 

のが まだ 長くなる から。 飯 野 氏へ 手紙。 

二お 十六 日。 晴。 碁會へ 行く。 詩 話會、 柴田 • 增田 • 新 潟より ハ ガキ。 柴田 氏へ 返事。 濉谷 夫人 來 



訪 (その 作 を讀ん だが なかなか よかった, ちょ ッと 描寫 上の くれちが ひ を 直せば )o 

二月 十七 日。 晴。 高木と 云 ふ 人より 手紙。 

二月 十八 曰。 雨。 春陽 堂の 店員 小峯 氏來訪 * 「征服 被 征服」 (並に rs 氣錢」 と 「離婚まで」) を isf 行 本に 

する 約束が 成った。 これ は 1 つの 長 篇小說 である。 中 根 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 詩話會 より r 力 

キ、 Hz じく 日本 かや 刊 詩集への 原稿 を 送る。 原子 氏 來訪。 

二月 十九 日。 暗。 ^ハ 介 夫人より ハ ガキ。 中外の 生 駒 氏 來訪。 江 部 氏 を訪ふ (將 恭七番 のうち 一 ハ^ を 

勝った)。 

二月 廿日。 晴。 中 根 氏より ハ ガキ、 同じく 返事。 ^谷 夫人より 原稿。 池 田 氏へ ハ ガキ。 新 小 說の小 

野 氏 來訪。 1 部落の 娘」 の 前篇 六十 枚 分 を 渡す。 

二月 二十 一 日。 雨。 中外 社へ 使 ひ。 中 根 氏より ハ ガキ。 阪 尾と 云 ふ 人より 手紙、 同 じく 返事。 詩 話 

會に 行く。 

二月 二十 二 口。 雨。 駒 子 氏 來訪。 

二月 二十 三 曰。 暗。 新潮 社の 佐 藤氏へ 手紙。 耳 科へ 行く。 池 田 氏よ" r カキ。 石 丸、 中澤 ニ氏來 

訪。 

1 S 1 十四日。 晴。 中央 公論よ toN 尸 ガキ。 吉野氏 • 荒 川 氏 來訪。 

巢鴨日 S 五 1 セ 



泡 鳴. <H.:es 十二 卷 五 一 < 

二月 二十 五日。 晴。 飯 野 氏 を訪 ふ。 島 氏より. r カキ。 中ノ 0: 氏 • ^谷 夫人より 手紙。 官地氏 來訪。 

二月 廿 六日。 晴。 宇都 宫の水 {S 氏 來訪。 雄 辯の 靑柳氏 來訪。 長 谷川 (勝) より 手紙。 

二月 廿 七日。 晴。 長 谷川 氏へ 返事。 新 小説の 小 野 氏よ リハ ガキ。 文章 世界より £1 料 四 回 四十 錢。 大 

觀 社より 稿料 殘佥 六十 八圆 四十 錢也。 大觀 社へ ハ ガキ。 末日 會 より 通知。 中外の 高木 氏 來訪。 大月氏 

來訪。 

二月 廿 八日。 晴。 子供に ひな を 出して やる。 「「巖 より ハガ キ。 末日 會に 行く。 飯 野 氏 を 訪ふ。 

1 二月 一日。 晴。 國 民の 島 H 氏よ. りハ ガキ。 「部落の 娘」 (繽) 、五十二 枚。 

三月 1 1 日。 晴。 新小說 へ 手紙。 島 田 氏 へ 手紙。 

三月 三日。 晴。 木 村 (鷹) ニニ 浦 二 氏 來訪。 抒情 文擧 社より ハ ガキ。 江 部、 原子 二 氏 來訪。 

1 二月 四 B。 晴。 春陽 堂へ 「ffi 服 被 征服」 の 原稿 を 渡す。 木 村 (幹) 氏より ハガキ 並に 著書。 日本 IS 報. 

通信社 『新聞 總覽」 より 新聞 S 者 座右銘 を徵 して 來 たので • 左の 如く 答へ、 I— 

もッと 世間 を 知れ。 多く はまた 聽 きの、 その また 又聽 きに 安 じて 見當遠 ひの 獨斷 をして かかる の 

は 凝 もよ くない 

池 田 氏 來訪。 春陽 堂より 百 W 届く。 

1 二月 五日。 晴。 春陽 堂より ハ ガキ。 小 野 氏より 手紙。 京都の 川瀬と 云 ふ 人より 手紙、 同じく 返事。 ノ 



靑柳 氏より 手紙。 ii 谷 夫人 來訪。 中澤氏 來訪。 森 ケ崎溫 泉に 着 , 

三月 六日。 滯在。 

三月 七日。 滯在。 內外 時論の 社長 住居 氏 • 竹 森 氏と 共に 來訪、 (小 說依賴 )。 女中 二 名、 各々 十 圓の給 

金で 來 た。 

三月 八日。 滯 在。 

1 二月 九 曰。 歸宅 。「蜜蜂の 家」 (七十 枚)、 雄 辯の 爲 めに 脫槁。 留守中の 書信 11 中 村 氏、 露 西 亞硏究 

會、 上 杉愼吉 氏、 羽太 氏、 十日 會* 荒木 老母 死去 通知 • 中外 新 論 社 • 川瀨 氏、 俊 麿 等。 

三月 十日。 曇。 舂陽 堂の 小 峰 氏へ ハ ガキ。 川瀨 氏へ 返事。 十日 會へ 行く。 

三月 十 一 日。 晴。 維 辯の 靑柳氏 來訪。 原稿料 九十 一 圓を 持って 來た。 春陽 堂の 小 峰 氏來訪 ♦ 印稅の 

うちの 三十 圆を 持って 來 た。 書生の 外 山が あまりに しらみた かりなので あすから 斷 わる ことにした。 

三月 十二 日。 雨。 大金へ ハ ガキ。 三 井 • 木 村 • 佐 藤 (四) の 三 氏へ 書信。 月評 會。 

三月 十三 日。 晴。 中 村 (武) 氏の 原稿 催促の 手紙が 森ケ 崎の 方から まわって 來た。 永窒 氏から ハガ 

キ。 內外 時論の 住居 氏 かた 〔原稿の 催促。 宽 北蔡院 より 中擧部 全燒の 通知。 小說を 書き初めた。 

1 二月 十四日。 晴。 中 村 氏へ 斷 りの 返事。 樋ロ氏宅ょ^ ハガキ。 羽太 氏 • 菊 子 氏 來訪。 「わが 子の やう 

に」 (七士 一 片), 內外 時論の 爲 めに。 

巢鴨日 Si 笫 H 五 1 九 



is 第 十二 卷 ^§ 

1 二 十五 日。 雨 あり。 住居 氏より ハ ガキ。 住居 氏 來訪、 原稿料 七十 二 謂 を sa いて 行く。 氏に ra 

山 • 正宗、 德田三 氏への 紹介 狀を 渡す。 江 部。 原子 二 氏 來訪。 m 行 本、 猫 八」 の 初校 了。 

三月 十六 日。 晴", R: 外 時論 社へ ハ ガキ。 明治 擧院 同窓 會 より ハガキ 吉野氏 を 訪ふ。 薦へ 少し また 

默大 な戏 めの 手 鋭 を 書いた。 

111 月 十七 日。 晴。 江 部 氏を訪 ふ。 天 佑 社、 春陽 堂の 小 峰 氏より ハ ガキ。 青柳 氏へ ハ ガキ。 

三月 十八 日。 晴。 大月、 中 根 二 氏 來訪。 加 能 氏の 「世の中」 の.^ へ 行く。 薰ょり 手紙。 長 谷川、 H 

橋、 靑柳三 氏より ハ ガキ。 

三月 十九 日。 耳 科へ 行く。 夜に なって 大風。 

三月 廿日。 晴。 詩話會 より ハガ キ。 飯 野 氏 を訪ふ (雜 誌擴 張の 件 • 擴張費 を 銀行から 受け取った 中 

間者が それ を 米 相場に 立て かへ て、 この頃の 暴落に 失敗して しまった。 その 影響で I 人 は 昨 rn 窗を纖 

つて 死んだ。 そんな わけで 常 分 見込な し )o 菊 子 氏 を 訪ふ。 小 野 崎 來訪。 

三月 廿 一 日。 晴。 福澤 (桃 介) 氏、 小 野 崎 氏より 手紙。 天 佑 社より ハガ キ。 道頓堀 記者 齋 藤氏 來訪。 

田 中 (純) 氏へ ハ ガキ。 三 浦 氏 來訪。 石 丸 氏を訪 ふ。 詩 話會へ 行く。 

三月 廿 二日。 晴。 大金へ 手紙 (詩 話 會宴會 の 件 )。 小 野 崎、 ^谷 夫人、 亩野、 横 濱の姉 等 來訪。 川瀨 

氏より 手紙。 . 



三月 廿 三日。 小雨。 姉、 歸濱。 稻 毛の 上 總屋へ 投宿。 

!ニ 月卄 四日。 滞在。 

三月 廿 五日。 滯在。 

三月 廿 六日。 歸京。 n 一食 主義者」 (七十 四片: r 內外 時論の 爲め。 

® 守 中の 來 — . 大金、 菊 子 氏、 山 氏、 渡邊 氏より ハ ガキ。 宽北 擧院, 自由 てんらん 會、 長 谷川 

(巳) 氏より 乎 紙。 

1 二月 廿七 nl。 晴。 長 谷川 (巳) 氏へ 手紙。 三 浦, 生 駒 氏 來訪。 江 部 氏を訪 ふ。 飯 野 氏へ 手 鋭。 

三月 廿 八日。 晴。 生 方 氏 來訪。 末日 會 より ハ ガキ。 

三月 廿九 口。 暗。 飯 野 氏を訪 ふ。 

三月 卅日。 隋。 山宫 氏へ ハ ガキ。 高木、 內外 時論、 中 村 (武) 氏より 書信 中澤、 原子 二 氏 來訪。 a 

浦 氏を訪 ふ。 

1 二月 卅 一 日。 晴。 伊 1$: 保 書院の 高木 氏 來訪、 また 1 つ の 約柬が 成った。 末日 會に 行く。 横演 

の 姉 • 衆訪。 

四月 一日。^。 原子 氏を訪 ふ。 

四月 二日。 雨 あり。 ^谷 夫人 来訪。 抒情 文擧、 詩